後の祭り! 城塞都市エクセター(2日目) 清水貞子

 パディントン駅を11時過ぎに発車した列車は、間もなく田園地帯に入り、窓の外には褐色や緑色の牧草地、収穫が近い黄金色の大麦畑、ブドウ畑などが見えた。その間、前回のファンクラブの旅行の時にも見た緑の丘に描かれた美しい白馬にも再会した。
 セント・デイヴィス駅 には予定通り13時半頃到着した。夏休みだったがエクセター大学行のバス停には学生らしい姿があった。ちなみにエクセター大学は1955年公立大学の認可を受けた歴史の新しい大学ながら世界ランキングで100位以内に入っている。図書館にはクリスティの書簡が寄贈されていて、今年4月にはクリスティに関するThe Hidden Horizons' Conference(隠された地平線会議) というシンポジウムが開かれて、クリスティが優秀なビジネスのセンスと手強い交渉力があったことが発表された。
 スーツケースは重いし、バス待ちの時間も惜しく、タクシー乗り場に向かった。バス代より安く行けることもわかり、三台に分かれてタクシーに乗った。「今までずっと天気が悪く寒かった」、「セントラル駅前のクイーンズ・ストリートが町の中心街だ。食事するところもいっぱいある」などと教えてもらいながら、間もなくジュリーズ・イン・ホテルに着いた。予定より早くチェックインできて、街へと繰り出した。
 エクセターは人口11万強で、ローマ時代からの古い歴史を持つ城塞都市である。中世の地下道を通れるというので地下道案内所に行ったがもう閉まっていた。レッドコート・ガイドというパンフレットには有志による観光案内がたくさん載っていて、1日2回、午前と午後で、2時半には締め切りになる。火曜日だけ7時から始まる幽霊屋敷ツアーがあったが夕食の時間に間に合わないのであきらめた。
 途中のショッピング・モールで夕食のためのレストランを物色したり、由緒ありげな美しいホテルやレストランなどの建物に取り囲まれた緑の広場を見ながら、エクセターのシンボルの大聖堂に向かった。エクセター大聖堂は12世紀のノルマン様式も交じっていてさすがに見事な建物だった。大聖堂の中の幾つものチャペルはドイツ軍の空襲で破壊されその後修復されたものがあったり、中世の有力者の墓所となっていて、死者のレリーフや献辞が書かれているものもあり、その数と歴史に圧倒され、教会はこの世界とあの世を結ぶところだと厳粛な気持ちになった。回廊を取り巻いているベンチのクッションは繊細で美しい刺繍で飾られていた。デヴォンの有名なクリーム・ティー(アフタヌーン・ティーの一種のお三時)を食べたくて、大聖堂の敷地の一角にあるカフェに向かった。でも、ここも閉店時間で、この分だと楽しみにしていた博物館も閉まっているはずだとあきらめた。


エクセターの大聖堂                           その内部

 まだ日は高く、古い市街を通ってローマ時代の壁の一部や城壁の間にある道を下るとエクゼ川のキー(波止場)地区だった。昔の税関、倉庫も残っていて、海外からはるばるとエクゼ川をさかのぼり人や物資が運ばれたことがしのばれる。川のすぐそばに往時の市長でありワイン商のサムエル・ジョーンズが作った同名のビール醸造所兼パブがあったので、夕食はここに決め、波止場地区を散策した。お天気が良く、豊かに流れる川と対岸の緑を見ながら、気持ちの良い川風に吹かれて、のんびりクロティッド・クリームがトッピングされたアイスクリームを食べた。橋を渡って対岸をずっと川の先の橋の方まで散歩するグループ、波止場にあった骨董店に吸い込まれたままのアンティック好き、骨董も対岸散歩も楽しんで、遠くに教会の尖塔を望みながら散策をする人などに別れた。骨董店にはクリスティの廉価本、雑誌、鉄のアイロンや鍋、アクセサリー類など、ありとあらゆるものが並んでいた。骨董店も店を閉めたので、私も橋を渡りしばらく歩くと船着き場があり、散歩組を渡し終えた舟が戻ってきて、終業時間なので乗れないと言う。交渉名人の出番となり、説得のおかげで乗ることができ無事全員がふ頭にそろった。若者が額の汗をぬぐいながら川に渡したロープをつかんで舟を進めるという人力だけの渡し舟で40ペンスだった。アイスクリームが£2.5だったので、申し訳ない気になった。エクセターの人は5時には仕事を終え帰宅するようだ。
 まだ日の明るい5時半には全員が予約していたサムエル・ジョーンズ・パブレストランに入った。ここのライムの入ったジンジャー・ビールは英国で飲んだジンジャー・ビールの中で一番おいしかった。料理も変化に富んでいた。食事が終わってもまだ明るく、宿までゆっくり歩いた。


サムエル・ジョーンズ・パブレストラン                      エクゼ川

 翌朝、今日もお天気が良くて出発まで同室のHさんとホテルの近くを散歩した。Clifton Cottages@という標識があり、いまどきの「コテージ」ではなくてマープルさんが住んでいる家のようなヴィクトリア朝の'cottage'とはどんなものだっただろうと興味を惹かれて、民家の間の細い路地を入ると、新しい建物が数軒立っている敷地や、古い屋敷や、駐車場、納屋のような建物、昔の厩などが残っている敷地など、時代の変化が刻まれているのを感じた。エクセターという地名は『シタフォードの秘密』のナラコット警部や『スリーピング・マーダ―』でエクセターの町はずれにある「水仙観光」の品のない社長が印象に残っているのだが、我々の泊まったホテルのそばにもやはり大きなバス会社があった。
 しかし、陸軍エクセター駐屯地にいたクリスティ少尉とアガサ・ミラーが恋に落ち、駅の喫茶店でお茶を飲んだというのは旅行が終わってから、改めて『アガサ・クリスティー自伝』やジャネット・モーガンの『アガサ・クリスティーの生涯』を再読して知った。また、大聖堂の前の広場で見た白い美しい現在のアボウド・ホテル、元のザ・ロイヤル・クラレンス・ホテルの隣にはデラーズ・カフェAがあり、クリスティも当然ここでデヴォシャー・クリームを食べたことがあるだろう。旅行前に読んでいたらと後の祭りながら悔やまれる。


細い路地                            Clifton Cottages

@:『シタフォードの謎』ではジェニファー伯母は駅から徒歩三分のローレル館に住んでいる。
A:『シタフォードの謎』で探偵役のエミリーが新聞記者の青年とお茶を飲むカフェ。ネット検索で見つけた1907年の写真'The Royal Clarence Hotel and Dellars Cafe'には大聖堂前広場の現在のThe Abode HotelとDellars Cafeが隣接している。
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