どしゃ降りのち晴天(前泊・1日目)  戸塚美砂子

 何の因果であろう。子供のころから愛したアガサ・クリスティの足跡をたどるイギリスへの旅のまさに初日、想像もしなかったアクシデントがあろうとは! 怪我はしょっちゅうだが、ここ何年、病気らしい病気はしたことはなかったのに。これを読んでくださる皆さんには冒頭からこんな不快な話で、はなはだ申し訳ないです。
 羽田発が早かったため大事をとって京急・大鳥居駅近くの「東横イン」に前泊したのは数藤さん、大阪組2人、埼玉1人、千葉組が2人の計6人。午後5時半にロビーで待ち合わせ、近くの手頃なファミレス「華屋与兵衛」に入り、アルコール抜きで丼ものやうどんなどのささやかな食事をいただく。おなかもいっぱい、明日からの旅の期待感も胸いっぱいに、そそくさとホテルに帰ってそれぞれの一人部屋に戻った。
 夜中の3時。気持ち悪さに目が覚めて、だだっーとトイレへ直行。そのあとは座りこんでのお決まりのコース。前日の食事はパンやうどんだったので、ノロやロタのウィルスとは考えにくい。「あー、何でこんな時に。イギリス行きはキャンセルか〜。皆さんに迷惑はかけられないし。後から合流できるかしら。イヤ、それは到底無理。払い込んだ○○万円はパーか」などと、クリスティのことよりもお金の心配をする私は情けない。
 5時過ぎにちょっと寝られて、ふらふらしながらもなんとか6時45分発羽田行シャトルバスに乗りこめた。朝食にはせっかくおかゆもあったのに、食いしん坊の私が何も食べられないとはトホホである。他のメンバーは食事に出てこない私を心配してくれて訳を話すと「緊張でしょ!」の声しきり。私ってそんなに繊細だったかなあ。でも運命の女神はぎりぎりのところで微笑んでくれた。羽田に着いて、からっぽの胃にひとかじりのパンを放り込むと何事もなかったようにすっきり。そのまま機上の人となることができた。ああ有難や。


ブリティッシュ・エアウェイズBA008便

 羽田を8時50分発、約13時間のフライトでヒースロー空港に着いたのは13時40分(日本時間21時40分)。途中、一度目の食事が出た時に、カップに入った紅茶がこぼれるほど、機体がひどく揺れた以外は何事もなく到着した。まず各自持参のオイスター・カードに入金するが、なかなかチャージできず、もたついた。チャージ完了まで、画面にカードを押しつけたまま離さずにお札を入れるのがコツだったが、残った手が一本では、お札を入れるのが大変で、一人がカードを押さえつける役となって、なんとか全員がチャージ完了。その後、ヒースロー・エクスプレスに乗って、一路懐かしのパディントンヘ
 パディントン駅に着くと、前回は見かけなかった警察官がうろうろ。みんなとちょっと離れて一人でいるとカードを首に下げた係員がすぐに近寄ってきて「大丈夫?どうしましたか?」てなことをいうのでセキュリティは万全だ。
 地下鉄に乗り換え、シェパーズ・ブッシュ・マーケット駅で降りて徒歩5分、Dorsett Shepherds Bush Hotelへ到着。ホテル周辺の道路は車やバスがひっきりなしに往来してゴミゴミした雰囲気。ホテル前はちょっとした公園だが、ベンチにはウイスキーの空き瓶や食べ物の屑が散らかっているし、同じロンドンでもパディントン駅近くのハイドパークは池あり、川あり、樹木にリスは遊び、とてつもなく広大で、本当に美しかったなあと、つい比べてしまった。
 ホテルのロビーには子パンダの置物がずらり。ランドセルを背負ったり、可愛い服を着てはいるがお世辞にも可愛いとは言えない顔立ちが妙に印象に残る。部屋に上がるにはエレベーターにカードキーをかざさねばならず、しかも、他の階には行けないシステムで、セキュリティに厳しいのはよいが、違う階に泊まっている仲間のところに行くのに本人同伴しか方法がないのは困ったものだ。


Dorsett Shepherds Bush Hotel                   ホテルの内部

 5時半に近くのスーパーMorrisonsにその夜のサンドイッチ・パーティ用食糧を買い出しに行き、それぞれ好きなものを買う。買い物を終えレジに向ってからがさあ大変。10数台並んだレジは、すべてセルフ。その場には私と竹村さん、野村さんがいて、まあ3人いれば何とかなるさと考えて不安はなかったのだが、何とかならなかった。セルフレジは西友でやったことがあるのにまるで勝手が違う。ポリ袋をひっかけ、バーコードをガラス面にかざすが、スキャンできたのは最初の2品。3品目はやってもやっても読み取らない。係員呼び出しのボタンを押すと40代位の金髪女性がやってきて何かのボタンをささっと押しすぐ去ってしまう。「ああ、待ってよ、行かないで」。なぜかというと隣のレジでも、あちらのレジでも現地(たぶん)の太っちょおじさんが呼び出しボタンを押しているのだ。こちらも再度つかえて、おねえさんを呼び出す。また来てくれる。目にも止まらぬ早さで何かのボタンをタッチして去る。それが3、4回続いたろうか、やっと最後の支払いにこぎつけるが、今度はお札が入っていかない。「もう!訳の分からない東洋人が困っているのに。そんなに品数はないんだから最後までやっちゃってよ」と心で願うものの、おねえさんも何人もの人に呼び出されて忙しいのだ。
 想像してほしい。レジは大混み。東洋のおばさんはもたもたして時間はくう。後ろに並んでいる人の目が冷たく見える。私はその場にいたたまれなかった。3人でレジと格闘していたのだが、最初にやった自分の分が終わったのを幸い、心の中で謝りながら、次の竹村さんがスキャンしている途中、その場をスーっと離れて他人を装い、終了の頃、またスーっとそばに寄っていったのを、たぶん2人は知らない。
 店を出たところで他のメンバーと合流した。「レジ大変だったでしょ」と聞くと、「ううん、一番はじはセルフじゃなかったよ」と、涼しい顔で言われ、がーん。


スーパーMorrisons

 そんなこんなで数藤さんの部屋に7時に集まり、おのおの食べ物、グラス、椅子を持ち寄って恒例のサンドイッチ・パーティは始まった。飲み物はビール、ノンアルコールのジンジャー・ビール、牛乳、ミルクコーヒーなど、てんでんばらばら。ハムやチキン、卵等のサンドイッチの他、一番の人気はパック詰めサラダだ。具材の種類は20種類もあり、好きなサイズのパックに、好きな具材をチョイスして詰め込む。ポテト・サラダにマカロニ・サラダ、クスクス、ベビーリーフ、コーンにキャロット、ビーツ、ビーンなど彩りもきれい。スモール・サイズにたっぷり詰め込んで£1.89とお得なお値段。ほとんどのメンバーがカゴに入れたのだった。
 また、「クリスティ・ファンならこのキドニーパイは一口でも食べておかなくちゃ!」と、回ってきたパイを皮切りに、小ぶりながら甘い青りんごや大粒イチゴも次々と手元に届いて嬉しい悲鳴があがる。どれもこれもおいしかったわぁ。ごちそうさまでした。8時半という早めの時間にお開きとなったのは、翌日からの本番に備えるため。
なにしろ明日からは飽食の時代が始まるのだ。朝食は「目いっぱい食べろ!」とのお達しが出ている。お察しの通り、昼食を軽くすませるか、または浮かせるために。有名ホテルのランチの予定もあるし、アフタヌーン・ティーはすでに予約済。エクセター、サルコム、ダートマスなどなど現地のレストランは念入りに調査済なのであるからして、ウエイトの心配よりも、高まる期待を抑えるのが精いっぱい。それより何より、神秘のバー島、ヒース咲くダートムア、ウィンタブルック・ハウス、テムズ川沿いの散策がもう目の前にぶら下がっているのだ。なんて幸せな一日の終わりであろう。


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