腹ごしらえして、いざ劇場へ(4日目後半)  清水貞子

 旅行前の8月21日数藤さんからメールが届いた。「エドマンド・コーク(著作権代理人)とクリスティが、「カプリス」というクリスティお気に入りのレストランで『無実はさいなむ』の打合せをしたという記述がありました。Capriceが気になったので、Googleで検索したら、まだ現存しているようです。今回の旅行で誰か勇気を出して行くようでしたら、ぜひ報告をしてください!!」と。
 ホームページを見るとプレシアター・メニューという二皿のコースがあり、これなら開演に間に合いそうだし、£19.75で手頃だ。食いしん坊で「勇気ある」女性五人が手を挙げた。念のため前夜の夕食後にみんなで店を見に行った。リッツの裏にあるお店の前には赤々とトーチが燃え(錯覚だった。ただの電気)、洗練された身なりの男女がいた。交渉名人と如才のないマネージャーとの間でやり取りが始まる。「ドレスコードは?」 「全くありません」 「カバーチャージやサービス料を含めてすべてでおいくら?」 「25ポンド」 「7時半のねずみ取りに間に合う?」 「受け合います」ということで5時半に予約を入れたのだ。
 お墓参りの後ホテルで休養し、少しばかりおしゃれをして出かけた。ラテン系らしい愛想のいいマネージャーが席に案内してくれる。部屋の真ん中の丸い卓だった。「あの、窓際はダイアナ妃の席。ランチに来られました。窓の外にパパラッチがいっぱいでした。ダイアナ妃の席には花もろうそくも要らない。彼女が花で灯でした。」などと、エルトン・ジョンの歌を丸写しのマネージャー。
 「こちらの席はカミラさん。カミラさんはディナーに来られました。」とその席を指す。時間節約のために五人全員で同じものを頼むという了解のもと、メインには豚のおなかにスモークしたマッシュポテトと赤かぶのローストの付け合せ、デザートに大量のBlackberry Eaton Mess coupeというしろもの。クリームやブラックベリーが大きな器に入っていた。飲み物は炭酸入りの水を注文した。ライムの香りがついていておいしかった。パンもおいしかった。考えてみれば、お昼はろくに食べていなかったのだ。


         ル・カプリスの店内                       クリスティが通っていた頃のル・カプリス 

 「ここには、昔アガサ・クリスティが来ていたのです。ご存知?」「もちろん。作家でしょう?」と若いウエイトレス。「そのころのこと知っている人いない?」と聞くと宣伝誌を持ってきてくれた。社史の部分をざっと読みした。イタリア人の移民のマリオ・ガラッチが戦後の1947年食糧難の時代に開いた店で当時はカプリス(気まぐれ)という名だった。顧客にはジャーナリスト、劇場関係者が多く、卓越した人あしらいのうまさで一世を風靡したものらしい。パラシュートをピンクに染めて作った壁の覆いや、黄金の手で支えられた扇風機など、奇抜なインテリアで、室内装飾に趣味を持つクリスティは気に入っただろう。劇場街のウエストエンドも近く、リッツ裏で地の利もいい。パトロンにも恵まれ一時は繁盛したが、1975年創業者が亡くなると同時に人手に渡った。新ル・カプリスは1981年にアメリカ資本が入ってカジュアルなフランス風料理とアメリカの合理的な料金とサービスをコンセプトにしている。劇場関係者やセレブたちが顧客らしい。私たちがデザートを食べ終わる頃には客が増え、隣の席ではセンスのいい服装の子供連れの家族が食事をしていた。一人当たり食事代£30とチップ£5を支払って店を出た。
 次は今回の旅に絶対に欠かせない「マウストラップ」(今年で上演61年目)の観劇だ。「タクシーに乗りましょう!」「大丈夫、まだ、電車で間に合うわ!」私たちは大急ぎでセント・マーチン劇場に駆けつけた。目も耳も悪い私は舞台のすぐ前の席を希望していたのだが、全員アッパーサークル・トップ(3階席)の前列 (£25.6)。ところがこれが案外いい席で、ほぼ満席だった。劇場が小さくしかも客席が急な階段状であるため、下の客席は目に入らない。役者の声は良く通り、日本の歌舞伎座とは大違い。幕が開くと同時に1950年代のモンクスウェル・ゲストハウスにいる気にさせてくれた。


60周年目の「マウス・トラップ」を上演するセント・マーチンズ劇場

当日の上演数のカウンター

 おやっと思う。窓は3列、3段、9枚のステンドグラスだ。掃き出し窓ではなく、窓と床の間には家具もあるようだ。原作の舞台配置図にはフランス窓1)らしきものがあったはず。私にはまるで手品のように、役者がステンドグラスを通り抜けているように見えた。もしかしたら、上げ下げ窓? 雪が積もっていたらフランス窓が開くはずないもの。暖炉の上にある有名な初演から置いてある時計は案外小さい。せりふが聞き取れない。左右上の観客が爆笑したり、くすくす笑ったりしているのに、ぽかんと見ているつらさ。3階席の1,2列にずらりと並びひきつった笑いを浮かべている日本人をからかうためにあんなに笑ってるのだと穿った意見がでたほど、周りは皆よく笑っていた。以前戯曲を読んだとき、配給通帳2) (ration books)という言葉に戦勝国でもそうだったのかという感慨があり、印象に残っていたのだが、あのセリフはどこに行った?
 二幕目以降では、プリンセスラインの50年代風の服や、相変わらず定番の野暮ったいテーラーカラーのツイードのスーツをながめ、手の込んだ編込みセーターをみて、そういえば、近頃あんなセーターは見ないなと思ったりしながらぼんやり舞台を見ていた。舞台俳優の演技はしっかりしているので、言葉は聞き取れなくても雰囲気や緊張感や筋は分かる。盛大な拍手を受けて劇は終わり、売店でパンフレットを買った。
 みんなでクリスティの像を見に劇場近くのレスタースクエアまで歩いた。数藤さんの手紙に答えて著者が選んだベスト10の本の題名を刻んだ台座と本人の像だ。すでに10時近くなっていたので暗くてはっきり見えなかった。昨年像ができたときのユーチューブや、会員の方から送られたはっきりした写真を見ていたので妙な既視感があった。


セント・マーチンズ劇場近くにあるクリスティの彫像

1)グーグルで、フランス窓を検索した。(1)床まである観音開きの掃き出し窓、(2)外壁に取り付けられて窓枠付きの外開き窓 とあった。劇をよく観察していた会員によると、真ん中の窓が一枚、外開きになっていて、その窓から出入りしていたとのこと。(1)だけをフランス窓と思っていたのです。要するに知らなかっただけで、あの窓もフランス窓だったのです。
2)帰国してから、"Building A better 'Mousetrap'"という「マウス・トラップ」のプロジューサー、ピーター・ソーンダースのインタビュー記事を読んだ。その中で「マウス・トラップは時代に距離を置いている。だからIDカードや配給手帳は過去のものなので削除した」という言葉がありました。


元に戻る