呪われたスタイルズ荘(3日目)  数藤康雄

 1926年12月3日の夜9時過ぎ、クリスティはSunngingdaleの自宅Styles荘を愛車で出発した。翌朝彼女の車はサリー州ギルフォードの町に近いNewlands Cornerで発見されたものの、クリスティはその車の中では見つからず、行方不明となった。
 3日目の最大の目的は、そのStyles荘を外から見ることである。クリスティに関係している土地・建物のほとんどを紹介している平井杏子著の『アガサ・クリスティを訪ねる旅』(大修館刊)にも載っていない珍しい建物だ。クリスティがこの物件を購入したのは1925年。地元ではすでに「縁起の悪い」家と囁かれていたし、実際クリスティはこの「呪われた」建物から失踪したので、これまではクリスティ・ファンもあまり本気になってStyles荘を探さなかったのであろう。その存在が忘れられつつあったが、クリスティをしのぶ重要な建築物であることは間違いない。ということで、敢えて「呪われた」Styles荘を日程表に組み入れたのであった。
 Styles荘のあるSunningdaleは、夫のアーチーがゴルフをしたいために移ったロンドン郊外の高級住宅地。確かに幹線道路の両側には街路樹がたくさん繁っていて、緑豊かで住み心地は満点のような土地であったが、観光客が休日に訪れるには実に不便なところで、Waterlooからの列車は1時間に1本程度しかない。9時39分発の列車に乗り込むため、早めの9時前にホテルを出発し、Sunningdaleには10時39分に到着した。


Sunningdale駅の構内               Sunningdale駅の構外

 Google Mapで調べた限りではStyles荘は駅から徒歩10分程度のところにある。道路沿いの木に"Styles"という比較的新しい小さな銘板がついているので家はすぐにわかった。全員が道路側から写真を撮っていたが、道路沿いには密集した生垣が塀の代わりにStyles荘を取り囲んでいるので、家の全貌を見ることはできなかった(私有地の中まで入れば可能だが、そこまでは遠慮した!)。


スタイルズ荘を示す銘板

スタイルズ荘の表側

 当日は薄曇りながら、この旅行では一番肌寒いのではないかという天候だったうえ、Sunningdale駅にはトイレはあるものの(さらに駅員がいたものの)、使用禁止ということで使えなかった。当初の計画ではさらに、Styles荘を購入する前に4か月程住んだというScotswood(Devenish Avenue,Sunningdale)を見る予定であったが、遠方にあることもあり早々に断念。駅前にある大きなスーパーWaitroseでトイレが借りられるかもしれないと全員が駅前に戻ってしまった。私も一緒に戻ったものの、昔の山行で鍛えていたからか(?)、長時間トイレに行かなくても平気な体質。私だけスーパーには入らず、時間潰しに付近を適当に歩いていたら、スタイルズ荘の裏側が見られる私道に入ってしまった。これ幸いと、全体像は無理だったものの、一応逆方向からの写真も撮ることができた。


スタイルズ荘の裏側

 後日、トーキーの博物館で見たStyles荘の古い写真(クリスティが失踪した当時の白黒写真か)では、Styles荘の特徴である、白い出窓のような部分は建物の右側にあった。私たちが道路側から撮った写真には、それが左側にある。『葬儀を終えて』のトリックに似ていなくもない左右の取り違えから、一時は偽物ではないかという議論になったが、どうやら図3で確認をすると、裏側からのStyles荘では特徴的な部分は右側にあることがわかった。1920年代当時の広い裏庭には芝生があり、さらにその先には池のようなものがあったため、裏側からは簡単にStyles荘の全体像を撮影できたのだろう。現在では側面に塀が建てられ、裏側からも全貌は見られなかったが、図3は証拠写真にはなるようだ。なおスーパーに入ったトイレ組は、一般用の無料トイレはなかったものの、トイレの有無について尋ねた従業員が数ヶ月ほど大阪に交換留学生として滞在したことのある英国人女性という幸運もあり、特別に従業員用のトイレを貸してもらえたそうだ。
 Sunningdaleからの帰りは11時55分発の列車で、London Waterlooには12時57分に到着。休むことなく地下鉄Northern lineでTottenham Court Roadへ向かった。この近くにある大英博物館のメソポタミア文明の展示を見るためである。
 地下鉄駅から地上に出て、人波に従えば自然と大英博物館に着くだろうと安易に考えていたのが間違いの元。迷子になってしまい、大英博物館には正門ではなく裏門から入ることになった。とはいえ、多少遅くなった昼食は博物館の中庭にあるCourt Caf?でとることができ、昼食後はクリスティの夫マローワンやそれより約一世紀前のレイヤードが発掘したニムルドの展示品を中心に見て回る。
 その展示品の中で最も見て欲しかったものは、マローワンの調査隊が発掘した「牝の獅子に襲われた黒人」と題された飾り板である。以前日本で催された大英博物館展でも展示されたこともあるフェニキア美術の最高傑作の一つで、「大英博物館の至宝」にも選ばれている。展示されているのか不明だったが、比較的簡単に見つけられた。しかし「牝の獅子に襲われた黒人」は全体的に白さが目立ち、紅い宝石や金粉が目立たない。以前の日本での展示や本に載っている飾り板とは華やかさが足りない印象だった。一時は複製品ではないかという疑問を持ってしまったが、帰国後ガラス越しに撮った写真を確認したら、紅い宝石や金粉はきちんと撮影されていた。おそらく展示品はLED照明で照らされていたので、わが眼の方が間違えたのだろう。その後メソポタミア文明の発掘品ではもっとも有名な「ウルのスタンダード」なども好きなだけ見学でき(その後は自由行動となり)、午後4時半に再集合してホテルに帰る。


大英博物館の至宝の一つ               象牙の装飾品(マローワン隊の発掘品)

 夕食は前日予約したPub Sherlock Holmes(10 Northumberland St)で19時より始まった。このレストランには二十年ほど前に一回行ったことがあるのだが、ホームズに関係した料理名が珍しいのと、その料理が不味いという印象しか残っていなかった。ミステリー・ファンなら一度は経験すべきと言って強引に計画に入れたのだが、今回行ってみると内装は一新されているし、「シャーロック・ホームズ・ビール」を除いては、メニューにはホームズ関係の名前はなく、伝統的な英国料理ばかり。そのうえ出てきた料理は結構美味しい。まさに「事件だよ、ワトソン君」というわけで、大いに満足しながら21時半頃ホテルに戻った。


夜のシャーロック・ホームズ酒場                        看板の一部  


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