不安な出発(1・2日目)  海保なをみ

 旅もミステリーもHIBK(Had I But Known[もし私が知ってさえいたら])がつきものだった。さあ、十人で元気に成田を出発の段階で、すでに昔の怪しげなミステリーばりの HIBK! の叫びが。完全に数藤氏の計画立案の旅だったので、形の上では旅行社主催の団体旅行になるとは「気づかなかった!」 一人は団体受付カウンターに行き着かず、二人は団体としての出発儀式(旅行社の人の挨拶や各種書類渡しなど)を無視して搭乗券を手にしたらさっさと出国、搭乗ゲートに行ってしまった。間抜けな前者(はは、私です)は同行者に電話して集合場所を教えてもらい危うく間に合う。唯一携帯を持たない後者の一人(特に名を秘すS藤氏)とはぐれた八人は、…and then there were none. などと不吉な唄が頭をよぎるなか、不安な面持ちで出国したのであった。
 笑い話 HIBK! もありまっせ。外国のホテルの部屋ではバスルームのドアは閉めるな、という海旅行の常識(?)を知ってさえいたならば!
 パディントン駅近くのホテル(図1)につつがなく到着、部屋の鍵をもらって荷ほどきもすませ、バスルームを使用してさて夕食の買い出しに集合しようとしたら、バスルームの鍵がどうしても開かない。十年ほども前か、老母をロンドンに連れてきた時には、まあ器用にどこででもトイレのフラッシュではなく非常通報装置のほうを動かしてくれて、大英博物館だの美術館だの列車だので謝り続けたトラウマのある私なのに、必要な時には非常ボタンなんてありゃしない。しかも一人部屋。頼りの携帯もバスルームには持って入らないよ。自力非常通知音を発し続けることで助け出されたが、ホテルの人のせりふが、「バスルームのドアは閉めるな」。


図1 Quality Crown Hyde Park Hotel

 ミステリアス、もしくは千載一遇の HIBK! も。 「ポアロのマンション」の次にLawn Road Flats (現在の名称はIsokon Building だそうで、最寄り駅は Northern Line の Belsize Park) を訪ねるべく、Barbican から King's Cross 駅に出て Northern Line に乗りかえようとするのだが、どうしても目的のホームにたどり着けず。なんと、百年以上稼働してきたというこの線なのによりにもよって我々が乗ろうというその日に、メンテナンス関係の工事で、我々が乗りたい区間は閉鎖されていたのだ。事前に知っていれば! 無駄足といえば、「マウストラップ」のチケットをはじめは日曜日に買いに行ってしまい、翌日出直すはめにもなった。さすがにクリスティの芝居を演じ続ける劇場、安息日には上演がないのみならず、チケットボックスも閉まっているのである。 HIBK……
 痛恨の HIBK! は、これはごく個人的なものではあるが、クリスティの『自伝』をしっかり読み直してからゆかりの地を歩けば、その時のクリスティをもっと身近に実感できただろうに!
 『自伝』によればクリスティは古い家に structural alternations, decorating and furnishingを施すのが趣味で、第二次大戦直前頃には八軒ほど家を所有していた。後には売ってしまうが、I am always interested to walk past one of 'my' houses, to see how they are being kept up, and to guess the sort of person who is living now. と、ちゃんと「クリスティの」家を楽しむ方法を示唆してくれている。愛読者を自認するからには、そこに住んでいた頃のクリスティを思い浮かべつつ、あからさまにじろじろ見ずにしっかり見ながらさりげなく walk past したいものだ。
 せっかくクリスティのロンドンを訪ねるならば、まだ馬が飼われていた頃のままの mews house をどのように改築したか、どうしてまだ知り合って間もない Max Mallowan にここで朝食をふるまうことになったのかなどについてのクリスティ自身の言葉を思い浮かべながらCresswell Placeを歩きたかった。あるいは、Sheffield Terraceを通りながら、知性のみならず鼻も優秀なクリスティがこの二階の寝室で誰も気づかなかったガス漏れを嗅ぎつけた話、ついでに彼女の鼻と noble な顔のエピソード、通りの向かいに落ちたドイツの爆弾が爆発して地下や屋根がやられた話などを反芻したかった。


22 Cresswell Placeの家

そのブルー・プラーク

58 Sheffield Terraceの家

そのブルー・プラーク

 今回は行かなかったが、いつか歩いてみたいロンドン。クリスティの『自伝』を読むと、こどもが生まれてからクリスティ夫妻が借りたAddison Mansions は、今のAddison Gardens あたりにあったらしい。そこから、ロザリンドの乳母車を押してはるばる Kensington Gardens まで往復していた若き日のクリスティの苦労をしのんで、Round Pond あたりからそこまで歩いてみたい。ちなみに今の地図では Holland Park のほうがもっと近くにあるが、当時はまだ個人所有地で公園にはなっていなかったそうだ。
 さらに、『自伝』(Part V, Two)に、戦時中薬局で働いていたクリスティがその日調合していた軟膏の始末に不安をおぼえ、夜中の三時に病院まで歩いて行って確認したという記述がある。仮に病院をUniversity College Hospital、住まいをLawn Road Flats とする。病院は(当時から移転していなければ)地下鉄 Euston Sq. 駅のそば。 クリスティは、最寄りの地下鉄駅Belsize Park(ちなみに面白い建物だった)から Camden Town まで地下鉄の道沿いに都心に向かい、Camden High St. から Hampstead Rd. へ、さらに Gower St. に出たのではあるまいか。ただ、どうもこれはトーキーでの思い出話の可能性が大きいような気もする。ままよ、間違い歩きもまた楽し、いつか歩いてみたいではないか。トーキーでも。
 最後に天候のことを一言。いままでの経験では、夏でもむしろ寒い、シャワーというやつが頻繁、だったのだが、2013年8月30日から7日間は雨の一滴も降らず(これは幸いだが)暑さに苦しむことになった。 HIBK!  そして! 一日ロンドンを動き回って帰ると鼻の穴が真っ黒に。 東京の排ガス規制はたいしたものだった。


48 Swan Courtのマンション                   Swan Courtの銘板     


47-48 Campden Streetの家


Charter House TVでお馴染みのポアロの住むマンション

元に戻る