■「■ローマ字相談室」の掲示板のアーカイブ分です。1か月ごとにまとめてあります。■ローマ字以外の話題については「◆春猫掲示板保管庫」へ。
第1.2版 (2001年2月12日発行)
編集者: 初井薫(はつい・かおり)© Copyright Halcat Continuum 2000, 2001. All Rights Reserved.
(整理番号: 35)
唐音は唐音以外の何者でもないわけで・・・。漢音は漢音です・・・。
それまでの音韻が変化したとかではなく、そこが日本語のスタート地点なのではないでしょうか?実際その時代の記録は、『漢書』などの中国の歴史書によってなされているわけで、当時の日本の書物はいまのところ発見されてないはずなのでやはり唐代(遣唐使あたり)から日本語ができ始めたと考えるのが賢明ではないかと思われます。もちろんそれまで話されていた言葉はあったでしょうが・・・。今のところ当時の文献などが日中両国を通して発見されていないので、その時代の日本語を特定することはできかねると思います。従ってその当時の発音などがどう変わったかとたずねられても・・・・。です・・・・。
また、発音、などでの区別についてですが、中国の漢文の韻律をごらんになれば明確に記されていて、たとえば10を「じゅう」と発音するのは韻律で普通のルールにのっとると、当時では「じふ」(ふは小文字でとらえてください。)というような発音がさなされていたことに由来し、前にも書きましたように「南朝四百八十字」は「なんちょうしひゃくはっしんじ」と10の音が韻律によって変化しています。これも唐代の音によるもので、当時の中国ではやはり、sin(シン)と発音されていたようです。(この場合に限って)
というように発音で調べようと思うと韻律を調べなければならないように思います。それには膨大な時間と資料を必要としますので、そこのところはご容赦願えませんでしょうか・・・・。修論の関係もありますので・・・。
っとこんな感じでいかがでしょうか、これ以上不明な点がおありでしたら、ご自身で調べられるのもまた益かとも思われるのですが・・・・。人にばかり頼るのではなく・・・。
(整理番号: 40)
影のローマ字否定論者さん、さわりのご紹介ありがとうございました!
ふーむ、唐の時代の発音というと、いわゆる「漢音」ですか?
日本語における字音の発音というのは、中国からつたわった時代によって、
つぎのような種類があるんですよね? ふるい順に:
呉音: 南北朝時代。日本は大和朝廷の時代。
「男女」は「ナンニョ」、「東京」は「トウキョウ」
漢音: 隋・唐の時代。日本は大和朝廷、奈良、平安の時代。
「男女」は「ダンジョ」、「東京」は「トウケイ」
唐音: 宗・元の時代。日本は鎌倉、室町の時代。
「東京」は「トンキン」
・現在の日本語の字音の発音は、おもに漢音によっている。
・呉音には声調がなかった。
・唐音は現代中国語にちかい。
ということでよろしいでしょうか?
つまり、影のローマ字否定論者さんがおっしゃる「日本語の発音は唐代の中国に由来することが多い」というのは、漢音のことですね?
漢音にも声調はなかったのでしょうか? 声調ができたのは唐音のあたりから?
「促音や撥音などで発音の区別もしていた」というのは、いまの朝鮮語にちかいようにもおもいますが、そうなんでしょうか…?
で、わたしがしりたいのは、これらの中国語の発音が、日本の音韻(音素)にも影響をあたえたかどうかということです。
たとえば、それまで日本語にはなかった音韻ができたとか、それまでの音韻が変化したとか…。
「■ローマ字相談室」担当 海津知緒
(整理番号: 41)
こんにちは。お返事ありがとうございます。ご質問の件ですが、一つ例を挙げてみるなら、唐代、中国では国と言う漢字を(もちろん旧字体ですが、)Kock(発音記号が打てないのでだいたい似ているアルファベットも用いさせていただきました。(片仮名で表せば“コック”と言った感じです・・・。
つまり現代日本語の“こく”という発音に限りなく近いわけです。また、このころは4声ではなく、促音や撥音などで発音の区別もしていました。
南朝四百八十寺をなんちょうしひゃくはっしんじと発音することからもそのことが言えます。
つまり、漢詩のルールに当てはめているんです。漢詩のルールまで書いてると一日あっても書ききれそうにないのであしからず・・。というわけでお分かりいただけたでしょうか????
(整理番号: 42)
影のローマ字否定論者さん、こんばんは!
たしかに、日本語はふところがひろいというか、ケツの穴がでかいというか(^^;、そんな気がします。(英語にもそういうところがあるとおもいますが…。)
ところで、前回の影のローマ字否定論者さんのかきこみのなかで、気をひかれたところがあります。
>そもそも日本語の発音は唐代の中国に由来することが多いです。
という部分、「語彙」ではなく「発音」なんですね? つまり「音韻」ということですね?
「漢語を輸入するときに、中国語には四声というものもあって、ことなる発音をされていた語の発音を、(四声もないし、中国語よりも少ない)日本語の音韻のうちのどれかにあてはめてしまったので、同音異義語がたくさんできてしまった」という、どちらかというと逆のはなしはきいたことがあるのですが、日本語の音韻が中国語の音韻の影響をうけていたというのは、きいたことがありませんでした。とても興味があります。
こんなせまいところにはかききれないでしょうし、お時間もないでしょうけど、ちょっとさわりだけでもきかせていただけるとうれしいです! (^^)
「■ローマ字相談室」担当 海津知緒
(整理番号: 43)
海津さまへ。
ご理解いただけてうれしいです。
確かにおっしゃる通り何事に関しても過ぎたるは及ばざるが如しというところなのでしょう。しかし、私は日本語の外来語を多くとり入れたり、それに順応する言葉をつくりだす、そのような寛容性?みたいなところはとても気に入ってます。ですから、外来語を多く使えば西洋かぶれ、漢字を多く使えば中国かぶれと称するのではなくそれを見るたびに私たちは、日本語自身の寛容性を認めて行けばいいのではないでしょうか?
確かに意識的に使うのであれば“〜かぶれ”と称されても仕方のないところはあるでしょうが・・・・。でも私はそれよりも、そのことを日本語の寛容性つまり良さ、というかプラスの面としてとらえて行きたいと思っています。そうすれば日本語自身が国際語として発展して行く機会なども出てくるのではないかと思っています。私は、そんな日が来るのを待ち望みつつ今後も日本語や中国語などの言語を見守っていきたいと思っています。
(整理番号: 44)
影のローマ字否定論者さん、こんばんは! 貴重なご意見、ありがとうございました。
おっしゃっている「中国かぶれ」というのは、わたくしがかいた「平成日本語ローマ字論」のなかの、以下の部分ですね?
よく、日本語をローマ字でかいたり、カタカナ表記の外来語を多用することを、「西洋かぶれ」といって批判する意見があります。国粋的なたちばからの意見がおおいようです。「日本語はカナ漢字、それもできるだけ漢字をつかってかいてこそ日本語である」というわけです。
しかし、カナはともかく、漢字をつかって日本語をかくことは、「中国かぶれ」にほかなりません。「西洋かぶれ」を批判して「中国かぶれ」を批判しないのは、国粋的意見としては不公平です。
わたくしの表現がまずかったようです。上記の引用部分の2段落めを以下のようにかきかえたいとおもいます。
しかし、日本語をローマ字でかくこと、つまり西洋の文字をつかうことや、カタカナ表記の外来語を多用ること、つまり西洋の語彙をつかうことを「西洋かぶれ」というなら、漢字をつかって日本語をかくことは「中国かぶれ」にほかなりません。なぜなら、漢字はもともと日本語のためにつくられた文字ではなく、中国で中国語をかきあらわすためにつくられた文字だからです。「西洋かぶれ」を批判して「中国かぶれ」を批判しないのは、国粋的意見としては不公平です。いかがですか?
わたくしは、いまの日本の言語表記の状況を「中国かぶれ」というつもりはありません。ただ、「ローマ字をつかったり、外国語の発音をそのままあらわしたカタカナ語を多用することを『西洋かぶれ』というなら、漢字をつかうのは『中国かぶれ』だ」、といっているだけです。
言語と文字は密接な関係があり、文字がかわれば言語(の語彙や音韻体系)もかわります。
唐の時代というと、日本は大和朝廷、奈良、平安の時代ですが、それ以前にも日本の歴史はあり、日本語はあったはずです。伝統的な日本語、いわゆる「和語」あるいは「やまとことば」というのがそれであるはずです。中国との交流がはじまり、漢字が日本にもたらされると同時に漢語ももたらされ、語彙の面でも発音の面でも日本語に影響をあたえ、その結果できあがったのが現代日本語であるというのはわかります。
しかし、本来の日本語からすれば、漢語も外来語の一種です。
ですから、外国の文字であるローマ字をつかって日本語をかいたり、外国語の発音をそのままカタカナでかきうつしてもちいたりすることが、伝統的な日本語を破壊するなどの意味で「西洋かぶれ」というなら、漢字をつかうことも「中国かぶれ」であるはずです。
日本人なら、伝統的な、日本古来の、日本固有の、ことばと文字をつかうべきだというなら、漢字や漢語もつかわず、語彙としては「やまとことば」だけをつかい、文字としては「ひらがな」と「カタカナ」だけをつかうべきでしょう。
もちろん、わたくし自信はそんな非現実的なことをしろというつもりはありません。わたくしはそういう国粋主義者ではありません。
(整理番号: 45)
突然で恐縮ですが、中国かぶれという言い方聞き捨てならない表現のような気がします。
そもそも日本語の発音は唐代の中国に由来することが多いです。
つまり、かぶれも何もその発音を頂いて今の日本語があるわけですから、これをかぶれと称されるのでしたら、私は次のことを提案したいと思います。どうぞ明日からと言わず、今日からと言わず、平仮名(漢字に由来しています。)と漢字とそれから日本語の発音を使わずに日本で生活してみてください。
それがもしおできになるのでしたら、私のことを中国かぶれと、どうぞ称してください。私は日本の中国に対する恩恵は計り知れないという考えをもっています。
今まで大学で中国語を専門に学んでまいりました。たしかに現代中国語と現代日本語に共通する漢字はおおくあります。しかしそれらは、今にはじまったのではなく先ほども書きましたように唐代の中国に由来するのです。そこのところをもう一度よく調べてください。私自信もそのあたりの時代を取り上げて、現代日本語と現代中国語とのあいだになぜこんなに共通点が多いのかをその語源をたどることによって、明らかにしてみたいと言う思いで、いま修士論文を書こうとしています。中国からの恩恵だけは忘れてはいけないのだと思っています。
突然こんなこと書いてしまってすみません。でもどうしても考え直していただきたいのであえて、お送りします。
≡‥≡halcat