■海津知緒の文章にはなぜひらがながおおいか、についての説明です。■カナ漢字のつかいわけの規則■なぜこんなことをするのか■その他
わたくし(海津知緒)がかく文章に漢字がすくなくてひらがながおおい理由についてかきます。
まず、わたくしがどういう基準で漢字とカナをつかいわけているかを説明します。「カナ」とは、ひらがなとカタカナのりょうほうをさします。
おおざっぱにひとことでいうと、おくりがなをともなう字訓はつかわず、カナでかくということです。《字訓》とは、《漢字の訓よみ》および《訓よみの漢字》のどちらか、またはりょうほうのことです。
しかし、それ以外の規則もあります。まとめるとつぎのとおりです。
この表記方式を、カイヅ式かな漢字表記法第1.1版(KKN 1.1)とよびます。
ひとことでいうと、つづりとよみの関係に一貫性をもたせるためです。それによって、以下のような効果があります。
べつのいいかたをすれば、
です。文字素列と音素列の対応を、一対一にちかづけるということです。ただ、このかきかたでも、字音語の同音異義語の問題はのこります。これには、なるべくつかわないということで対応しています。
日本語では、文章を朗読して、十人のひとにかきとらせたばあい、十人ともがおなじつづりになることは、まずのぞめません。これは、先進諸国(いわゆる文明諸国)でつかわれている言語のなかでは異例なことです。英語でも何でも、みなさんがご存知の外国語ではどうなるか、想像してみてください。
芸術の表現手段としての文字つづりなら、いろいろなバリエーションがあってもよいでしょうが、文明の運転のための要素技術としての表記システムとしては、これは健全な状態とはいえません。
もちろん、俳句や文芸、字芸など、芸術の表現手段としての文字つづりには、何ら意見するつもりはありません。あて字でも何でも個人のすきなようにかけばよいとおもいます。
つづりが一定しない主な理由は、字訓のおくりがなと、おなじ語を漢字でかくか、カナでかくかのバラツキです。これは、字訓や、名詞以外の字音におおくみられます。
したがって、これらに一定の規則をもうければよいのですが、現実として運用にたえるのは、上記のような、わたくしが実践している規則になるとおもいます。これ以上こまかくこだわりだすと、規則や例外がおおくなりすぎて、おぼえてまもってゆくのは困難だとおもいます。
「おくりがな」については、昭和四十八年六月十八日内閣告示『送り仮名の付け方』というものがあります。これは、字訓をふくむ、語のどの部分を漢字でかいて、どの部分をカナでかくか、ということについての規則をまとめたもので、七種類の「通則」からなります。
しかし、この七種類の「通則」には、それぞれ「本則」のほかに「例外」や「許容」があります。「例外」というのは、「基本的には本則にしたがうが、つぎの語はつぎのようにかく」といったもので、これらはまる暗記するしかありません。
さらに「通則7」については、これ全体が通則6の例外といえるもので、たくさんの例がありますが、「(注意)」の(2)に、通則7を適用する語は、例として挙げたものだけで尽くしてはいない。したがって、慣用が固定していると認められる限り、類推して同類の語にも及ぼすものである。
とあります。
この内閣告示の『送り仮名の付け方』は、規則というよりは、ただ現状を整理して追認しただけのものだとおもいます。
漢字でかくか、カナでかくかということについては、漢字をつかうことの制限ということでは、平成二十二年十一月三十日内閣告示第二号『常用漢字表』がありますが、カナでかくことの制限はありません。しかし、字音語の名詞をカナでかくことはほとんどありません。
おくりがなをともなわない語で、漢字でかくか、カナでかくかのバラツキがでるもので、もっともおおいのは字訓、とくに熟字訓だとおもいます。
例: きのう/昨日、あした/あす/明日、おととい/一昨日、なごり/名残、ひとり/一人、へや/部屋、もみじ/紅葉、など。
これらは、基本的にカナでかくことにしていますが、「木(き)」、「手(て)」、「目(め)」など、カナにしたときに一文字になってしまう語は、よみやすさを考慮して、漢字でかくことにしています。おそらくこれらは、よみかたにまよったり、よみまちがえたりすることはないとおもいます。それでも、文脈によってどちらかまぎらわしいとおもわれるときは、「木(き)」のようにそのよみかたをカッコでかこんでうしろにつけます。
字音で、漢字かカナかのバラツキがある語は、副詞や接続詞におおくみられます。これらも基本的にはカナでかくことにしています。
例: ぜひ/是非、だいぶ/だいぶん/大分、ちょうど/丁度、ちょっと/一寸、もちろん/勿論、だいたい/大体、たぶん/多分、など。
しかし、以下の語は、漢字でかいています。(もしくは、なるべくつかわないようにしています。)このあたりは、わたくしのアタマのなかでもちゃんと規則化されていません。しかし、すくなくともよみかたにまよったり、よみまちがえたりはしないとおもいます。
例: 案外、案の定、概して、皆目、元来、現に、厳に、今後、終始、従来、真に、是が非でも、真に、断じて、単に、同時に、無論、優に、など。
上記のような規則で文章をつづると、コンピューターやワープロのカナ漢字変換のテマがかなりはぶけます。たとえば、「かくことにしてください」と入力するとしましょう。これを漢字をつかってかくとして、変換キーをおすと、
書くことにしてください
欠くことにしてください
描くことにしてください
掻くことにしてください
画くことにしてください
斯くことにしてください
舁くことにしてください
書く事にしてください
欠く事にしてください
描く事にしてください
掻く事にしてください
画く事にしてください
斯く事にしてください
舁く事にしてください
書く事にして下さい
欠く事にして下さい
描く事にして下さい
掻く事にして下さい
画く事にして下さい
斯く事にして下さい
舁く事にして下さい
…
のように、たくさんのつづりがでてきます。「かく」を「かきこむ」とすると、「書き込む」「かき込む」「書きこむ」「書込む」などさらにたいへんなことになります。このなかから、自分のこのみのつづりをえらぶのはめんどうです。
もちろん、ローマ字でかけばカナ漢字変換のテマそのものがなくなりますから、ブラインドタッチ(画面をみないでタイピングするやりかた)で速記や同時通訳のタイピングもできるのですが、カナ漢字変換をするとしても、わたくしのようなつづりかたなら、かなりテマはへらせるのではないでしょうか。
以下のような漢字は、よみかたにまよってしまいます。
- 仮名
- かな/かめい
- 〜した後
- あと/のち
- 今日は
- きょう/こんにち
これらは、みんなカナでかくことにしています。
漢字というのは、もともとは日本語のための文字ではなくて、中国語をかきあらわすための文字です。中国語では、漢字一文字がひとつの「語」をあらわします。たとえば、<見
>という文字は、これ一文字で英語の<see
>にあたる単語です。
この<見
>という文字を「みる」という日本語にあてはめて<見る
>とつづるのは、<seeる
>とかくのとおなじです。<studyする
>とかいて/スタディースル/とよむことはあっても、<seeる
>とかいて/ミル/とよむことはないですよね。
英語では、語のつづりの構成要素であるローマ字(アルファベット)をヨコ一列の一次元にならべて「語」をかきあらわしますが、中国語では、漢字(すなわち語)の構成要素である「部首」をタテやヨコやウチ・ソトなどの二次元にならべて「語(すなわち漢字)」をかきあらわします。
以下は、わたくしがこのようなことをはじめるきっかけとなった本です。興味があるかたはおよみください。
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