それから月日が立ち、気がつけば2月4日。
いつの間にか誕生日を迎えていた。
あれから雲雀とは何の連絡も取っていない。
もういい加減、吹っ切らなくてはならないのに、未だ、雲雀の存在は胸の中で燻っていた。
雲雀に会いたい。
だが、会ってどうするというのだ?
便利な道具でいいから、相手をしてくれともいうのか?
それこそまさかだ。
「ディーノ様、また雲の守護者様の事をお考えですね」
悶々としていると、リコの冷たい声が響いた。
「べ、べつにオレは」
「顔を見たら判ります。そんなに気になるなら、一度、きちんとお話なさればいいのに」
リコの言葉がぐさりと心臓を抉る。
そんな事、できてたらとっくの昔にやっている。
切り捨てる事も、縋る事もできないからこんなにも悩んでいるのだ。
しかし、なぜリコはこんな事を言うんだろう。
「お前、恭弥の事、嫌いじゃなかったか?」
「別に、私はディーノ様の仕事に支障が出るのが困るだけであって、あの方を特別に嫌っているという訳ではありません」
「どっちにしろ、恭弥が来なくなって、スケジュール調整にも困らねーし、良かったじゃねーか」
「私は、仕事に支障が出て困ると申し上げましたが?」
「どういう意味だ?」
ディーノの問いかけに、リコは無表情のままに言った。
「あの日以来、ディーノ様の仕事の能率が通常よりが15%程落ちています」
「は、んな訳ねーだろ?」
あの日から、頭の中から雲雀を排除する為に、がむしゃらに働いた。
滞っていた案件だって片付けたし、12月に比べて利益だって上がっている。
それこそ、あと残っている問題は『例の農場』ぐらいだ。
「そう思っているのはディーノ様だけです。現に、今も雲の守護者様の事で頭をいっぱいにして、パーティーの準備に支障を来たしているではないですか」
リコはそう言いながらディーノの正面に移動し、ネクタイを整え始めた。
「しかも、仕事のし過ぎで体重を落とされるし……」
「普段から、仕事をまじめにやれって言うのはお前だろ?」
「仕事を逃げ道に使わないで下さい」
「ぐっ……」
「体型が変わったら、折角のオーダーメイドが台無しって判ってますか?」
正論すぎて反論できない。
それからリコはぐちぐちと長い説教を始めた。
歯に着せぬ言い方でずけずけとものを言うところが気に入って側においているのだが、こういう時はちょっと辛い。
雲雀との関係を知らぬ筈がないのだから、もうちょっとそっとしといてくれればいいのに。
そんな事を思っていたら、
「聞いてますか?」
「き、聞いてるぜ、勿論!」
とっさに愛想笑いを貼り付ける。勿論、話なんて聞いている訳がない。
リコはディーノを胡乱な目で見てから、大仰に溜息を吐き、
「ですから、ディーノ様が憂いをなくして仕事に専念して頂けるよう、今回は特別に手配してもらいました」
「へっ?」
いきなり、訳の判らない事を言い出した。
集中? 手配? どういう意味だ?
「私としては、正直、このまま別れて頂きたいところですが、それで腑抜けになられても困りますし」
まさか……
そうこうしている内に、覚えのある気配が近づいてきた。
今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。
それを堪えたのは、目の前の小柄な部下が如何にも逃がさないという目で睨み付けてきたからだ。
そして、ついにその気配は部屋の中に入ってきた。
「この場合、僕は君に足止めしてもらった事を感謝しないといけないのかな?」
気配の主――雲雀恭弥は部屋に入って一番最初にリコに声をかけた。
「結構です。あなたの為にした事ではありませんから」
続いて、リコの冷たい声が響く。
この時、ディーノの心を支配していた感情は安堵だった。
良かった、いきなり声をかけられたってどうしたらいいかなんて判らない。
「いつも、そうやって協力的だといいんだけどね」
「ディーノ様とキャバッローネに利益になる話であればいつでも」
盛大な嫌味の篭った雲雀の言葉を、リコはあっさりとかわした。
それに対して、雲雀は何とも思ってないらしい。
「じゃあ、この人借りるから」
「制限時間は30分です。それまでにディーノ様を説得できなかったら別れて頂きますから、そのおつもりで」
「30分? 馬鹿にしないでよ。10分もあれば十分だよ」
この言い草には、流石のディーノもかちんときた。
「ざけんな! 人を都合の良い道具扱いして、散々振り回しといて簡単に許されると思ってんのかよ!」
「へえ」
雲雀は呟くと、唇に愉悦を浮かべた。その麗しさときたらどうだ。
背筋がぞくりと震える。
見惚れたくないのに、目が離せない。
ああ、駄目だ。
やっぱりコイツの事が好きだ。
それだけの事が、物凄く悔しい。
何で自分ばかりがこんなに夢中にならないといけないんだ。
しかし、そんなネガティブな考えは、次の雲雀の一言で霧散した。
「嬉しいね、僕でもあなたを振り回す事ができてたんだ」
まるで、いつもは雲雀の方が振り回されているかの言い草だ。
「嘘だ……」
ディーノは無意識のうちに呟いていた。
「いつだって、お前はオレの都合なんかお構いなしに突然あらわれて……」
「会いたいと思った時に会いに行って何が悪いの」
「オレの事、好き勝手に扱って」
「あなたのあんな露な姿を見たら理性なんて簡単に消し飛ぶよ」
「な……! オレが悪いみたいな言い方すんな!」
「僕をこんなに夢中にさせるんだから、当たり前だよ」
「嘘だ! じゃあ、何であの時、あんな顔したんだよ!」
「ありえない誤解をされてたら誰だって驚くよ」
雲雀は全ての問いかけに、よどみなく答えていく。
その答えは、都合の良い解釈しかできないものばかりで。
雲雀の言葉を信じたい。
だけど、全てを鵜呑みにして再び傷つくのも嫌だった。
こんなにも矮小な自分が嫌で、それを雲雀に知られるのも嫌で、体はそれに反応して距離を置こうと後ずさる。
しかし、それは雲雀に腕を掴まれる事で阻止された。
「あなたの事だから、簡単に誤解を解くなんてしないと思っていたけど、実際に目の前でされるとムカつくものだね」
そしてA4サイズの茶色の分厚い封筒を渡された。
「な、んだよ、これ?」
「見れば判るものに説明するなんて、無駄な労力をかける気はないよ」
相変わらずの埒の明かない、しかも嫌味たらしい言葉の羅列にカチンと着たが、それ以上に好奇心が刺激された。
言われるままに、封筒を開けると中からは書類の束が出てきた。
中身を確認していくうちに、ディーノの鳶色の瞳が驚きに見開かれる。
「これ……」
それは、例の農場の権利書だった。
「お前、何でこれを……?」
「欲しいって言ってたから」
「んな事……」
「言ってたよね?」
確かに、ずっとこれを望んでいた。
しかし、それはあくまでもリコに言った事で、雲雀に言った事ではない。
まさか、あの会話に耳を傾けていたなんて。
信じられない気持ちで書類を見つめていると、
「理由があなたらしくて、ムカついたけど、でもまあ誕生日だし」

特別だよ?

耳元で囁かれた言葉に、身体が震える。
ああ、こんな事って――
雲雀は元来、したくない事や興味のない事、そして必要のない事に関しては指の一本すら動かさない男だ。
そして、あの農場は雲雀にとっては必要のないものだ。
それなのに、オレが欲しいって理由だけで手に入れてくれた。
如何に雲雀とて簡単に手に入るものではないのに。
きっと、雲雀の嫌いないらぬ面倒事も、群れとの接触も起きただろう。
雲雀は、やはり愛の言葉は言ってくれない。
だけど、それ以上のものが、今こうして、目に見える形で存在していた。
礼を言わなきゃならないのに、言葉が口から出てこない。
胸に溢れる熱が全ての動きを止めてしまう。
「恭弥……」
やっとの事で名を呼ぶと、愛しい相手はどこか自嘲気味に笑った。
「これで判った? 僕はいつだってあなたをひきつけておくのに必死なんだって事」
そうして強く抱きしめられた。
弾かれたように、背中に腕を回すと大切な書類がばさりと音を立てて床に落ちた。
しかし、雲雀の腕の中で幸せをかみ締めているディーノは、その事は勿論、リコが書類を拾い上げそっと部屋を出て行った事にすら気がつかず、ただ、そこにある幸せをかみ締めた。


back
ss TOP