補佐役のリコが、重苦しい口調で言った。
「やはり、この物件を手に入れるのは難しいようです」
「何が足りない、金か?」
ディーノにしては珍しく厳しい口調だったが、それだけに彼にとって重要なものである事が伺い知れる。
その物件は、とあるファミリーが所持している農園だった。
その農園では大麻の栽培が行われている。それ自体は何しろ裏社会、良くある話だ。
問題は、その農園を管理しているのがディーノが昔、世話になった人物であるという事と、それを借金のカタに強要されているという事だ。
これはやはり助けなければならないだろう。
否、なんとしても助けたい。
だが、強奪まがいに奪い取るには相手が悪かった。
アメリカ全土に手広く『商売』をしているファミリーが絡んでいるからだ。
ボンゴレ同盟が薬を扱っている組織を全面的に否定しているのは確かだが、だからといってそれだけで潰すという訳にはいかない。
それに、今回はキャバッローネが攻撃を受けたのではなく、ディーノの個人的な事情によるものだ。
これで相手を潰して農園を強奪しては、批難の矛先はキャバッローネに向くのは確実で、キャバッローネを虎視眈々と狙っている組織に格好の大義名分を与えてしまう事になる。
それを阻止する為に、『合法的』にその農園を手に入れる必要があった。
「金額に関しては十分な額を提供したつもりですが…」
そう言ってリコが提示した額は、相場の5倍近い、破格の額だった。
「ケチなお前が随分と思い切ったな」
「……ディーノ様には早く憂いを無くして頂いて、業務に専念して頂かなくては困りますから」
思わずついた言葉に、リコがぷいと横を向く。その顔は勿論、真っ赤だ。
リコはいつも文句を言いながらも、ディーノの望みを全力で叶えようとしてくれる。
素直じゃないせいか、あくまでも仕方なくというスタイルを貫いてはいるものの、この青年が粉骨砕身で動いてくれているのは明らかだ。。
かわいいやつめ。
その姿に、くさくさとした気分が少しだけ浮上する。
「悪かった、リコ。お前の気遣い、すっげー嬉しいぜ」
立ち上がり、リコの頭をわしゃわしゃとかき回してやれば、
「こ、子供みたいに扱うのは止めてください!」
リコが頬を膨らませながら両手で頭を庇い、後ろへと下がった。
どうやら気分を害してしまったようだ。
嫌がるのが判っているのだが、その可愛い反応を見たくてついしてしまう。
「と、兎に角、この分では買取は不可能なようです」
「だろうな」
この金額で頷かないという事は、正攻法は通じない。
尤も、相手は直接的な確執がないというだけで、仲良くなんて絶対になれない手だ。上手く話が運べば、寧ろそれは罠と考えるのが妥当だろう。
どっちにしろ、まともな『商談』はできないから、別の搦め手を考える必要がある。
いっそ、あちらが欲しがるものを用意して賭けでも持ち出してみるか。
しかし、いくら恩義があるとはいえ、一介の農家の為にファミリーを危険に及ぼす事はできないし……
「一度、あの農園に隙がないか、探って見ます」
「ああ、頼む。オレの方でも手を考えてみる」
悩んでいても仕方ない。
現状ではどうしようもないので、一旦、話を打ち切ったところで、

「話は終わった?」

突然、部屋の扉付近から声が響いた。
驚いたリコが肩をびくりと震わせてから、声の主に気がついて忌々しそうに顔を歪める。
それに対し、ディーノは驚いた様子も見せず、半ば呆れた口調で声の主を窘めた。
「恭弥…いつも気配消して近づくなっていつも言っているだろう?」
「あなたが気がついているのなら、問題ないよ」
しかし、言われた本人は何処吹く風だ。
まったくもって雲雀らしい。
「雲の守護者様。わざわざ足をお運び頂いたところ恐縮ですが、ただいま取り込み中なので、お引取り下さい」
驚かされた腹いせか、リコは慇懃無礼にどっかにいけと言い切った。
今日も彼の雲雀嫌いは絶好調だ。
「僕は跳ね馬に会いに来たんだ。君には関係ない」
「いいえ。ディーノ様のスケジュールを管理している以上、ディーノ様の予定を狂わせる存在を見過ごす訳には参りません」
「立て込んでいる仕事がないのは確認済みだよ」
雲雀は事前にディーノのスケジュールを確認してきたようだ。
おそらくは草壁を通してロマーリオにでも確認したのだろう。
あの二人は立場が似ている事もあり、とても仲が良い。
しかし、リコも負けてはいなかった。
「残念ながら、今から、誕生日パーティー用のスーツの仕立てが入っています」
「そんなの、いつでもできるよね?」
「いいえ。屋敷に仕立て屋を呼んでありますので、いつでもという訳には参りません」
二人の間に、見えない火花が飛び散る。
相変わらずの仲の悪さに、ディーノは溜息を吐く。
だからと言って、このまま放置していても話は悪い方向に転がるだけだ。
「リコ、悪いがスケジュールを調整してくれ」
「ディーノ様…」
リコが不満げな視線をディーノに送った。
しかし、こればかりは呑んでもらうしかない。
雲雀恭弥と仕立て屋。被害の差は歴然だ。
「仕立て屋の爺さんにはオレから謝っとくから……な?」
頭を下げると、リコは不満げに雲雀の方を一瞥してから、
「約束ですからね」
と、一言だけ言い残して部屋を出て行った。

必然的に二人きりになったところで、ディーノは雲雀に向き直り
「それで、いったい何の用なんだ?」
「愚問だね」
そう言うと、雲雀はディーノを引き寄せ唇を重ねてきた。そのまま、荒々しい蹂躙がはじまる。
またか。
ディーノは心の中でこっそりと溜息を吐いた。
雲雀はいつも突然やってきては、まるで飢えた獣のようにディーノを貪る。
その事に対し、ディーノは困る事はあったが、不満を抱いた事はなかった。
その奔放さこそが、雲雀を愛した理由だったからだ。
だが、最近、そんな雲雀にディーノは疑問を抱くようになった。
好きな時にやってきて、欲望をぶつけるだけぶつけて、何も言わずに去っていくその行為に、果たして、本当に愛があるのか。
雲雀は自分の事をただの都合の良い相手だと思っているのではないか。
実際、ディーノは雲雀の口から思いを告げる言葉を聞いた事は一度としてなかった。
いや、一度だけある。
ずっと昔に、ただ一言。
――あなたがほしい――
あの時は、すべてを欲してくれたのだと舞い上がってしまったが、冷静に考えてみれば何とも微妙な言葉だ。
欲しいというが、何が欲しいのだ。
財力? 権力? 身体? それとも……心? 
そんな事を考えていると、上から声が降ってきた。
「集中しなよ」
いつの間にか、ディーノの身体はベッドの上に押し倒されていた。
いつもならば、背中に手を回して貪り食らうような愛撫に身を任せてるところだが、どうしてか、雲雀の本心が判らぬままに身体を重ねる事に嫌気が差した。
「悪いが無理だ」
ディーノは雲雀を押しのけた。
勿論、ここまで来て雲雀を拒むのは初めての事だ。
これは賭けだ。
もし、雲雀が自分を好きなら、大切にしてくれるなら、この場は引き下がってくれるだろう。
でも、そのまま続けようとするなら――
「何を言ってるの、あなたに拒む権利なんてないよ」
だが、言い渡されたのは、残酷な判決だった。
心のどこかで悟ってた筈なのに、脳天を貫くような衝撃が襲ってきた。
身体が勝手に固まって動けなくなる。
しかし、雲雀は尚も続きをしようと、服の中に手を差し入れてきた。
いつもならば甘く痺れる感触はこない。
その代わりに、気持ち悪い悪寒が身体を駆け巡り、肌には鳥肌が浮かんだ。
そのあまりの気持ち悪さに、思わず雲雀を突き飛ばす。
「ヤメロって言ってるだろ!」
「僕はしたいと思う時にしたい事をするだけだよ」
雲雀は尚もディーノに圧し掛かってきた。
その言動に、ディーノの何かがぷつりと切れた。
「っざけんな! オレはお前の都合のいい道具じゃねー!」
雲雀を押しのけ、腹に蹴りを入れてベッドから追い出す。
どしんと、鈍い音が部屋に響いた。
「何をするの?」
「それはオレの科白だ!」
「意味が判らない」
雲雀が如何にも面倒臭いと言わんばかりに溜息を吐く。
「お前、本当にオレの事、好きなのかよ!」
気がつけば、力の限り叫んでいた。
言ってからしまったと思ったが、もう遅い。
目の前には、驚きに目を見開いた雲雀がいた。
コイツのこんな顔……初めて見るかも。
そう思うと同時に、改めて確信してしまった。
ああ、やっぱりコイツはオレの事を便利な道具にしか思っていなかったんだ。
でなければ、こんなに驚きはしないだろう。
こんな、道具が感情を持っている事を始めて知ったといわんばかりの顔を。
「出てけ……」
「待ちなよ、あなた……」
「聞こえなかったのか、出てけ!」
声を荒げると、雲雀は小さな溜息を零してから踵を返した。
足音が遠ざかる。
やっぱり嫌だ! 戻ってきてくれ!
喉元までせり上がった声を必死で飲み込む。
胸が痛い。
不安はあったけれど、でもどこかで愛されていると信じていた。否、信じていたかった。
何て浅はかだったんだろう。
あまりにも自分が情けなさすぎて、涙も出なかった。


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