The biography of Gou Yuehua

04-05/14

5."残業"から得たもの

 先輩の蔡学玲さんは私と陳偉の親しい友達だった。私達は彼女のことを"蔡おばさん"と呼んでいた。彼女は気の大きい人で、私達の間のトラブルや悪戯などは一切気にせず、本当のお姉さんの様に色々と気を配り、面倒を見てくれた。

 その頃、彼女も練習の合間に私達の"残業"に加わっていたが、殆どの場合、多球練習の相手を務めてくれた。このような残業は大変苦しいものだが、はっきりした目的があるので、みんな喜んで参加した。

 人間は物事を見る場合、とかく注目されている。或いは既に経験した面にこだわり、そのもう一面を無視しやすいものだが、これは間違いではないか。

 練習と試合の間は本来、一種の技術的、芸術的な固い結びつきがあり、それを科学的に反映するのに様々な方法を考えられる。自分にとって成功の秘訣であっても、他人には失敗の教訓として受けとめられる場合もあれば、逆に他人にとって有効な方法が自分にとって致命的な欠陥となる場合もある。要するに自分の道を探ることだ。これこそ一番当てになると思う。

 しかし啓蒙の段階においては、どうしても他人からの影響を受けてしまうのはやむを得ない。つまり各方面からの色々な影響を受けながら、自分の道をそのうちのどれに決めるかという選択に迫られる訳だが、どれも邪道だということもあるし、道が一本しか無く、選択の余地も無い場合もある。蔡さんは自分なりの練習方法で私達をコーチしてくれた。

 全般的な技術から入って、その後1つ1つばらして説明し、最後に複雑な組み立てに入るという細かい方法だった。

 私の下回転のショートやフォアに飛びつく時の"交叉歩"というフットワークは彼女の組み立てによって生まれたものだ。

 こうした残業は、ただ昼間の練習を繰り返すだけではなく、昼間の練習で気がつかなかった細かい点とか、もっと練習したい技術や、まだしっかりマスターしていない技術などをこのコーナーで強化するのが目的だった。

 技術や体が共に成長期にある私にとって、周囲の全てが必要な栄養となり、私はスポンジの様に大量に吸収し、上手な人の真似もした。例えば陳栄涛監督から「文革前、福建省で唯一の卓球のトッププレーヤー邸昌陽選手は、手が空いていれば、打つ動作をする。夏、散歩していても扇子をラケットにして打つ動作をする。」という話を聞くと、私も扇子を持ってその真似をしてみた。

 また梁少雄さんから「日本の長谷川信彦選手は、いつも小さな鉄アレイを持っている。外国へ行っても持ち歩く。この前、中國に来る時も飛行機の中で鉄アレイで固定動作をしていた。」と聞いたので、私も鉄アレイを手に入れた。よその選手にその訳を聞かれると、私は「長谷川選手の真似だ。」と真面目に答えた。

郭躍華自伝04***大好きだった卓球***

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