思い入れ曲目紹介

今まで弾いてきた曲について、僕の独断と偏見&思い入れたっぷりで紹介しみてようと思います。

kenban●ブラームス:間奏曲 Op.118-2

kenban●ブラームス:間奏曲 Op.118-6

kenban●ラフマニノフ:ヴォカリーズ

kenban●リスト:3つの演奏会用練習曲より「ため息」

kenban●シューマン:子供の情景 Op.15

kenban●エルガー:愛の挨拶


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●ブラームス:間奏曲Op.118-2

kenban演奏はこちらです♪

ブラームスの晩年の間奏曲集に出会ったのは、大学生の頃でした。演奏はグレン・グールド。 間奏曲集という1枚のCDを購入したのがきっかけです。グールドは、みなさんもご存知のとおり、 かなり個性的なピアニストです。彼の演奏は、いろいろ言われていますが歌心が あって、僕はとっても好きなのです。かれのこのOp118-2は衝撃的でした。
ブラームスはかなり職人的な作曲をする人ではないでしょうか。なので、 ポリフォニックな処理で美しい旋律をいろんなところにちりばめています。 グールドはこのフレーズを一つ一つを心をこめて、明確に引きわけて行きます。 本当に説得力のある演奏でした。

このOp118-2は、ブラームスの曲の中ではメロディーが吹っ切れた感じがします。 ブラームスの曲は構成的なところに重点がおかれているものが多いのではないでしょうか。 でも時々、「えっ」と思うような美しいメロディーがでてくる曲があります。
この曲はそんな曲の中の1つだと思います。

曲はあきらかにブラームスの個性がでています。たとえば下の譜面では 拍子が3拍子とかわりませんが、小節線とはずれています。こういった 拍子感を遊ぶのはブラームスでは多いですよね(@のところです)。

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またこの@の部分の次には、かぎりなく甘く、そしてせつないメロディーが奏でられます(Aのところです)。
弾いていると、ぞくぞくしてしまいます(笑)。
その後にくる左手の動きも右手と絶妙にからんで、まるでチェロがせつなげに歌っているようです(Bのところです)。 ブラームスはいくらメロディーがきれいなものが閃いても、決してそれでけでなく職人的な処理を施しています。 中間部のメロディが交錯するポリフォニックな美しさも聴きのがせないものがあります(Cのところです)。

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ブラームスは不思議なことに、若い時と晩年を除いてはあまりピアノソロのための曲を書いていません。 若いときのソナタは、まさにはちきれんばかりのエネルギーを感じさせます。それはそれで良いのですが、 僕的には、ブラームスが独り言をいっているような晩年の間奏曲集に魅力を感じます。
みなさんはどうですか??

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●ブラームス:間奏曲Op.118-6

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この曲はブラームスの中でも特に個性を感じさせる曲のような気がします。
僕の個人的な見解でお怒りになる方もいらっしゃるかもしれませんが、ブラームスの曲は 美しいメロディーラインというものが少ないような気がします。同じロマン派でも チャイコフスキーやメンデルスゾーン、シューベルト、そしてショパンのメロディーを 聴くとため息がでるくらい美しいと思ってしまいます。ところがブラームスのメロディーは 単旋律で聴いてもたいして美しいとは思わない場合が多いです。もちろんヴァイオリンソナタ1番や 間奏曲Op.118-2、シンフォニー4番の冒頭など、メロディーライン自体が美しい曲もありますが、 ブラームス全体の中ではすくないのではないでしょうか。

この曲の冒頭のテーマとなる旋律もなにかとつとつとして(下の最初の楽譜です) 、初めて聴いて聴き手をとらえるような美しいメロディーではありません。が、しかしです。
左手の分散和音が絡んでくると果然趣がかわります。人間の精神の奥深さに 沈殿していくような曖昧模糊の世界に誘われて恍惚としてきます。 そして単純におもったテーマがいろいろな形で顔を出しながら 和音の響きが微妙にかわる美しさはまさにブラームスの真骨頂です。 この曲は、ブラームスの晩年の寂しさと諦観がひしひしと 感じられて、あんまり感情移入すると涙がでそうにさえなります。
中間部の感情を爆発させる部分などブラームスらしいリズムをたてた 感じ(下の楽譜です)ですが、ピアノソナタ3番など若いときの爆発力はもはありません。 むしろ老いに対してさからいながらも、また深いところに沈んでいくといった ブラームス独特の静けさがあります。

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●ラフマニノフ:ヴォカリーズ

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ラフマニノフはいわずとしれたロシアの大作曲家&大ピアニストです。 彼が活躍したのは20世紀がおもですが、その作風は後期ロマン派のものですね。 後期ロマン派の玄妙な和声とロシア的雰囲気がラフマニノフの魅力でしょうか。
それにしても、チャイコフスキーやプロコフィエフ、ムソルグスキーなど ロシアの作曲家は、どうしてこんなにメロディーメーカーなのでしょうか(^^)。 ブラムースなんかは美しいメロディーをつくるのに、四苦八苦しているのに、 チャイコフスキーやラフマニノフはちょいちょいとつくってしまっているような 気がします。まぁそれぞれの良さがあるのですが・・。

さてさて、ヴォカリーズとは本来、母音のみを使用して歌う曲を指しています。 この曲も「14の歌曲集 作品34」の中の1曲です。ですが、この曲がとびきり有名なので、 僕もこの歌曲集の他の曲はしりません。ヴァカリーズという曲については、他にもフランスの作曲家のイベールが 書いたものとかがあったと思いますが、ヴォカリーズといえばラフマニノフといっても良いくらい この曲が有名ですよね。

先程も書きましたように原曲は声のための曲ですが、そのメロディーの美しさにいろんな楽器で 演奏されています。僕もこの曲を演奏したくてしたくてヴァイオリン弾きに頼んで演奏しました。 ラフマニノフはメロディメーカーですが、ただメロディーが美しいだけではありません。 彼の作品はかなりポリフォニックな処理がされていることが多いです。 このヴォカリーズもピアノパートにメロディが見え隠れして、和音とともに なんともいえない色を添えていきます。

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きわめつけに美しいのは、コーダに入った後。ピアノに最初の旋律がでてきて、ヴァイオリンはそれに からみながら、一緒に溶けていくところです。弾いていてもゾクゾクします(笑)。

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ヴァイオリンの方からみてみると、意外とまとめにくい曲かもしれません。 基本的に2部形式ですが、後半の部分はなんやらかんやらと曲が続いて、 どこまで行くの?っていう感じになっているのです。 たんたんと進む中にいろんな表情を込めていくのは、意外と難しいものです。 僕はラフマニノフの派手やピアノ曲はあまり好きではありませんが、 こういった枯れた曲は、本当に美しいと思います。

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●リスト:3つの演奏会用練習曲より「ため息」

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リストはピアノの歴史の中で絶対に忘れることができない演奏家&作曲の1人でしょう。 ピアノが発展していく過程でリストが貢献した功績は多大なものがあります。
もしもリストがいなかったら、ピアノという楽器も別の楽器として現代にいたったかもしれません。 そんなこんなで、リストは偉大な人なのですが、彼が作曲した曲は自分が弾くことを想定していることが 多いので、ひじょ〜に難しいです。

僕が今まで弾いたことがあるリストの曲といえば、「2つの演奏会用練習曲より”森のささやき”」、 「伝説”海を渡る聖フランシスコ”」、「愛の夢 第3番」、そして今回の「ため息」です。 どれもこれも難しい曲でした・・・。
本当は「スペイン狂詩曲」や「ハンガリー狂詩曲」、そしてあの長大な「ソナタ」も弾いてみたいのですが、 さらに高嶺の花です(泣)。

さてさて、「ため息」が入っている「3つの演奏会用練習曲」ですが、彼の「超絶技巧練習曲集」 などに比べるとテクニック的な部分よりもロマン的な情緒が前面に出された曲のような気がします(なので好きなのですが(^^))。 曲はリスト得意の変奏曲風に展開していきます。リストの曲は演奏会で自分のテクニックを華麗に演出する必要性から 単純なメロデイーを華麗なテクニックで変奏するという曲が多いですよね。 前述した「スペイン狂詩曲」や有名な「リゴレットパラフレーズ」なんかもその方法ですね。
「ため息」も最初に本当に美しいメロディーがでてきます。この単純なメロデイーを華麗な分散和音が彩って、曲をすすめていきます。 「練習曲」という意味からみると、この美しいメロディーは両手で弾くのですが、これを1つの手で弾いているかのごとくレガートで 弾くこと、さらにそれを分散和音を弾きながらできることが求められます。

daimei

細かい分散和音を弾きながら、息の長いフレーズを歌うことはピアノではわりと多いですが、意外と難しいです。ピアノは発音すると すぐに音が減衰していくので、長い音符を1つの線にするのは集中力を要するのです。細かい分散和音に気をとられていると ぶちぎれの歌になってしまいます。
他にも手を大きく広げた状態での分散和音の練習や、高速でポジションを移動するための訓練が含まれています。

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●シューマン:子供の情景 Op.15

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シューマンの小品にはもっともシューマンらしさがでている ような気がします。そして数ある小品の中でもこの「子供の情景」は どの音をとっても壊れてしまうくらい繊細にそして精緻につくられているの はないでしょうか。
「子供の情景」は「子供」と題名についているので 子供のための曲なのかと誤解されるときがありますが、子供の練習用に書いた曲では ありません。シューマンは1848年の手紙でこのように述べています。
「『子供の情景』は『子供のアルバム』と違って、大人の心の反映を描いた 大人のための曲です」

全部で13曲あるので全て演奏するのは結構骨が折れます。 僕も抜粋で演奏することがありましたが、2年くらい前に やっと全部通して演奏する機会に恵まれました。
1つ1つ演奏していって最後の「詩人は語る」までくると 本当に詩人(シューマン)が語りかけてきているようで なにか胸がいっぱいになった記憶があります。
さてさて、あまり思い入れがありすぎる始まりになってしまいました(笑)。

1「見知らぬ国から」

この曲は3声からなる本当に単純な形式になっています(色分けしてみました)。
それにしても、左手のバスの動きなんかはそれだけでシューマンらしい 美しい動きをしています。
さらにこの曲は基本的な表現という意味からも非常に良い勉強材料が あります。前半はフレーズ的にみると3つの大きなかたまりに分かれます(番号をふってみました)。 1つめと2つめは同じ、そして3つめに大きな山がつくられます。 こういったつくりはヨーロッパ音楽には多いですね。
このかたちをきっちり表現できると平坦ではなくなり、まさに物語の始まりを象徴するように 曲になっていくような気がします。

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2「めずらしいお話」

この曲はマズルカ風の曲です。マズルカはショパンの曲で有名なポーランドの 舞曲ですね。舞曲形式ではありますが、中間部には完全にシューマンの 歌が流れてきます。美しい一瞬です(Aのところです)。
この曲は3拍目から始まります(@のところです)。そして自分の中できちんと整理されていないと 3拍目が重くなって完全に1拍目のようになってしまいます。マズルカは2拍めか3拍目にアクセントが つくことが多いようですが、ここが大きな音になってしまうと拍子がわからなくなってしまうようです、逆に 1拍目を大きな音でという意味ではありませんが、音楽の中での重みを 意識できると結構流れがよくなるような気がしました。 拍子の不思議ですね。

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3「鬼ごっこ」

「子供の情景」の中で最もテクニカルな曲ですね。僕もUPしてある 演奏会で失敗しました・・・(汗)。
なんといってもスタッカートで弾いていくのが難しい! ただこういった時は左手をきちんとさらえていると 焦らずにいけるような気がします。
以前ホロヴィッツの演奏をCDで聴きましたが、 アクセントのところだけアタックをつけて弾いて、 あとのスタッカートは軽く弾いていくという超絶技巧で弾いていました(赤くつけたところをアタックで弾いていました)。
やっぱり巨匠は違いますね(^^)

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4「おねだり」

なんとも夢見心地の曲です。夢見心地で最後もニ長調のドミナント和音、つまり完全には終始しないで 終わります。僕はなんだか子供が実際に親に「おねだり」しているというよりも、「おねだり」したいもの を頭の中で想像して夢を膨らませているような情景を思い浮かべてしまいます。

さてさて、この曲は音型的にシューマンがよく使うものがあります。この曲も3声でかかれていますが、 真ん中の声部を右手と左手で順番に演奏します。でも右手だけで演奏した方が合理的、ていうか楽ですよね。
しか〜し!これを右手だけで演奏したときと両手でかわるがわる演奏したときにニュアンスが違ってくるのです。 まさにシューマンマジック。僕はショパンやブラームスなどは楽譜の書き方で手を変えるということは あまりせず、弾き易いように指を決めてしまいますが、シューマンに限っては楽譜に書いてあるように手を つかいます。それによってかなり響きが変わってくるんです。なんて繊細な作曲家なのでしょう!

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5「幸せいっぱい」

この曲は右手と左手のおっかけっこがとっても楽しいですよね。 3曲目よりも、こっちの曲の方が「鬼ごっこ」って感じがしてしまいます(^^)。 途中で左手が半音階的にうごいたりして、特に左手の動きがかっこよくて大好きな曲です。 僕がこの曲を練習するときは、右手2割、左手8割くらいに練習時間が配分されていたような 気がします(笑)。

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6「重大な出来事」

実は「子供の情景」の中で何故か、この曲はあまり好みではないのです・・(好きな方ごめんなさい!)。
演奏するときは3拍子を意識して拍子感をなくさないようにしていますが、トロイメライとの コントラストも重要な気がします。シューマンもトロイメライへの布石としてとらえていたのでは、なんて 勝手な想像をしました。
と、いうことでいざトロイメライへ!

7「トロイメライ」

この曲はシューマンの中というか全てのピアノ曲の中でも名曲中の名曲ではないでしょうか。 メロディーの着想もすごいし、ポリフォニックな処理もピアノの魅力をあますところなく 表現しています。この曲を弾いていると、シューマンの世界にどっぷりつかってしまいます。 僕なりのこの曲の魅力をご紹介してみたいと思います。

まず最初に「おねだり」のところでも書きましたが、シューマン独特の記譜が最初にあります(@のところ)。 この和音を指の都合でとるならば、上からド、ラを右手で、次にファとドを左手とるのが良いでしょう。 しかしこの記譜どおり弾いてみると響きが変わってくるのです!
それはおそらくラの音を左手の親指がくることによって和音の第3音がほんのすこしきいて、響きの充実した和音になるからのような気がします。 ただここで気をつけなければいけないのは、右手のメロディのファの音よりも決して前にでてしまわないことです。 前にでてしまうと2拍目が強調されて変な感じになります。なのでメロディはしっかり出して、そのほんの少し影で 和音がポーンと響くと本当にきれいな響きになります(^^)。

次にシューマンらしいレスタチーヴォ風のメロディーの動き(Aのところ)。スラーをかなり意識して弾くと 拍子感がうすれますが、拍子感とそれを無視するぎりぎりのところをシューマンはねらっているような気がします。
そしてポリフォニックな処理がいろんなところにあります(Bだけではないですが魅力的なので・・・)。 どんどん下声部にメロディー受け渡しがされていきます。これらを弾きわけることは至難の技ですが、これがができると、ピアノを弾いてて 本当によかったと一人でにんまりしてしまいますね。ただこういった場面でもソプラノパートは 常に意識していたほうが美しいようです。

そして最後にフェルマータの和音(Cです)!。なんて意外性のある和音でしょう。この部分はPPで弾くパターンと 少し強めに強調する演奏がありますが、僕はPPで美しく響かせるのが好きです。PPで弾こうと思ってすかってしまうことも ありますが(笑)。
この和音を弾くときは本当に幸せを感じてしまいます。
と、いうわけで、少し長くなってしまいました(笑)。でも本当にいい曲ですよね!(^^)

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8「炉端にて」

「こどもの情景」のような連作ものを弾く時は、曲と曲の「間」も重要だと思います。 音が鳴っていない「間」も音楽なんだな〜とよく思います。そういった意味で 「トロイメライ」からこの「炉端にて」は「間」のとりかたが難しいですね。
「炉端にて」の最初は「トロイメライ」と同じ音型です(青いところ)。 これは僕てきにはシューマンはあんまり「間」をあけすぎるなということを 暗に示しているような気がします。
あまり空けすぎると「あっまだトロイメライが!」という驚きがなくなってしまうからです。 そう考えると「トロイメライ」の最後の方もあまりゆっくりして完結してしまうと 具合が悪いような気になってきます。なので「トロイメライ」の最後のヘ長調の和音を 鳴らして、その響きの中から「炉端にて」が出てくる感じになるといいのかな〜って いつも弾きながら思いました。

それにしてもこの曲は弾きにくいですよね。両手がかぶるところがとっても多いです(赤いところなどなど)。 ただおそらくこの弾きにくさによって、リズムのゆれを出そうと意図しているような 気がするので、簡単には弾きやすいように変えるわけにはいかないんですよね〜。

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9「木馬の騎士」

この曲もとっても楽しい曲ですよね〜。 なんといってもリズムが楽しいです。すごく短い曲ですが遊び心満載といった感じです。
この曲も3声部からなっています。右手はひたすら伴奏型、左手にメロディーとオスティナートを鳴らします。 面白いのはそれぞれの声部で拍子をずらしたようなアンクセント効果をだしていることです。まず 右手のパターンは3拍目にアクセントがついています。左手のメロディーは普通の3拍子。しかし低音に あるGの音は2拍目に鳴らされているので、2拍目が強調されます。
なにも意識しないで弾いていると、テンポがはやいだけにわけわからない暴走をしてしまいます。 僕が弾いたときはメロディーがとる1拍目をかなり強く意識しました。1拍目がわからないと 2拍目、3拍目にきている遊びの要素も逆に効果が薄れるような気がしたからです。

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10「むきになって」

この曲から最後の曲までの流れはシューマンの深い精神性に入っていくようで、聴いていても一種恍惚とした 気持ちにさせてくれます。
この曲の邦題は「きまじめ」という訳し方もあるようです。 「きまじめ」と「むきになって」では随分イメージが違いますね(笑)。

それはともかく、この曲はなんとなく不安な気持ちが曲調にあります。子供が小さな心を痛めているような 感じでしょうか・・・。それはメロディーが一貫してシンコペーションになっていることと、 不意に現れるフェルマータから感じられるのでしょう。また前曲がハ長調という簡潔明瞭な調性に対して、 シャープが5つである嬰ト短調という調性も大きく関わっているかもしれませんね。
それにしてもこの調性は弾きにくい!(笑)。

11「おどかし」

結構不思議な感じがする曲です。あらわれてくるエピソードがくるくるかわるからかもしれません。 一応ロンド形式とういうことになるのでしょうか。
@のエピソードが何度かあらわれる中にA、Bのエピソードが挿入されていきます。 僕の勝手なイメージでは、@のエピソードはむずがっている 子供をあやしているお母さん、A、Bはあやされてもまたむずむずする子供かなって思っています。

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12「子供は眠る」

なんとも子守歌のような曲です。ホ短調の最初の部分は少しむずかりが残る子供が、ホ長調へ転調後、安らかな 眠りに落ちていくという感じでしょうか。
そして最後はゆっくりゆっくりお母さんはあとずさって寝室をでていきます。
シューマンの夢見心地の雰囲気がとってもよくでた美しい曲です。僕はホ短調に戻ってきて最後の7小節が 大好きです。

13「詩人は語る」

「子供は眠る」で一連の物語は終わっているのではないでしょうか。この曲はこの連作を物語っている 「詩人=シューマン」が演奏者と聴衆にエピローグとして語りかけているような気がします。
コラールのような美しい和音進行が続いたあと、レスタツィーヴォのような自由なメロディーが続きます。 そして最後は消えていくように、まるで何かを惜しむように彼方へ消えていくように終わります。

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●エルガー:愛の挨拶

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「愛の挨拶」はいろんな楽器で演奏されている名曲ですね。エルガーはこの曲を妻に捧げたそうです。 なんて粋なんでしょう。イギリス人に「粋」というのもへんですけどね(笑)。

エルガーはヴァイオリンの腕前も相当だったらしく、他にもヴァイオリンソナタや 小品を幾つか残しています。どれもヴァイオリンの歌が満載で ヴァイオリンへの造詣の深さがうかがわれます。
さてこの「愛の挨拶」ですが、誤解をまねくかもしれませんが、 弾くたびに完璧な曲だな〜といつも感心します。まずなんといっても メロディーが美しい!最初のワンフレーズでこの曲の魅力にとりつかれてしまいます。 そしてピアノの充実していながらさまざまな陰影があらわれる和音。 ややもすれば音が厚いので、大きな音をだしてしまうとやぼったい演奏に なりますが、うまくコントロールできるとピアノを弾いててよかったと 思わせてくれます。そしてアンサンブル的にもきちんとそれぞれの楽器を いかした役割分担がなされているのです。
曲のながれからいっても、最後の方に山場があって、短い曲ですが いいたいことが完結します。聴き手も3分ほどの曲とは思えない 充実感を感じるのではないでしょうか。

エルガーは他にも「朝の歌」「夜の歌」「きまぐれ女」など 魅力的なヴァイオリン小品を書いています。 最近弾く機会がありました。また「音楽会」コーナーで 紹介させていただきますので、ぜひ聴いてみてくださいね。

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