エチゴビールと長野新幹線

11月2日(日)

自宅7:25→武蔵中原7:37→川崎7:51→東京8:25→(あさひ3号)→10:02新潟10:25→11:20巻→(タクシー)→エチゴビール14:20→巻14:54→15:31新潟15:59→16:22新発田→(タクシー)→マロン邸→新発田19:16→新潟

 川崎駅で東海道線の普通列車が停車していた。間に合わないかと思ったが運転時間調整のためか長時間停車していたので予定より1本前の列車に乗れおまけに座ることができた。新装なった東京駅20,21番線ホームに初めて上る。エスカレータを上りきったところに0kmPOSTがあり驚いた。

 「あさひ3号」は20番線発、隣のホームにはE2「あさま」が発車を待っていた。発車してみると自由席は立ち客がいるほどの混雑である。座席は16番ABCで壁際である。でも壁には掃除機用と思しきアウトレットがある。よく見るとプラグの形状がT字型であったが、れっきとした100V20Aの定格であった。アダプタがあれば使えるのではないか。車内は団体旅行と思しきオバサンの団体で賑わっている。指定席に若干の空席があったが、途中唯一の停車駅である大宮で満席になった。新幹線はやはり早い、大宮を過ぎるととにかく早い。熊谷・高崎間の約40kmを約10分で通過した、これで約240km/hである。「あさひ3号」はこの後中山トンネルの下り坂を利用して275km/hを出すハズであるから、これは500系の「のぞみ」に次ぐ速さのハズである。

 定刻10時2分に新潟駅着。1分後にでる越後線の普通列車に間に合わない。この後巻まで行く越後線は1時間無い。新幹線で燕三条まで1駅戻り、弥彦線を通って巻に行こうかとも考えたが、マロン先輩が一緒にエチゴビールの行ってくれることになったこともあり、高速経由のバスで巻まで行くこととする。幸い巻行きのバスは10時25分にあり所用時間も55分とのことなので、鉄道を利用するよりも早く着きそうである。巻行きの高速バスは我々4人を乗せ定刻に発車した。途中旧県庁前駅のあった市役所前や信濃川の側に移転した県庁のバスターミナルに立ちよりながら新潟中央ICより北陸道に乗る。ちなみに途中からバスに乗ってくる客はおらず貸し切りのまま巻駅前まで運行された。バスは巻の営業所まで行くようである。

 巻駅前からはタクシーでエチゴビールに向かう。弥彦町で菊祭りをやっている様で国道406号線は車が多いとのこと。競輪が開催された時も混むらしい。巻町といえば日本初の原発をめぐる住民投票が行われた云々をタクシーの運転手が饒舌に語っていた。またエチゴビールが日本で初めての地ビールであることも彼にとっては誇りのようである。

 エチゴビールは想像していたよりも山の中にあった。新潟平野イコール水田というイメージが強いので平らなところにあるかと想像していたがじょんのび館も角田山の登山口を過ぎたところにあり山の中である。エチゴビールは車で来るしか方法が無い。そのせいか混んではいるが客の回転は早い。長尻をしているのは我々くらいである。ヴァイツェンは缶で飲むより美味かった。

 帰りはタクシーを呼び巻駅に戻る。驚くことに駅前ではPHSが使えたので寄せ書きメールを発信する。でも駅前にグレ電もあった。越後線は新潟色の115系の2連でクモハ114などというはじめて見る形式が混ざっている。車内はそこそこ混んでいる。内野か柏崎よりは列車本数が少ないので仕方がないのかな。内野を過ぎると砂丘の麓に沿って走る。宅地かが進んでまるで八木山のようである。新潟駅には到着証明書を発行する機械があるが何に使うのかな。白新線は新潟色のE217系の2連の村上行。こちらも混んでいる。豊栄を過ぎても空かない。結局新発田まで立ち通し。

 マロン邸まではタクシー。マロン邸の近くを白新線が通っている。マロン邸で御馳走になり、奥さんに駅まで送ってもらう。帰りは115系であった。途中交換待ちの間扉が開いたまままでとても寒い。ちなみに半自動扱いになるのは11月15日以降のこと。

 新潟東急イン泊。近くの蕎麦屋は態度が悪く立腹する。ホテルは駅前なのでPHSが使える。でも朝になるとバスターミナルの誘導笛がうるさかった。

 

11月3日(月)

新潟8:43→(みのり2号)→11:42長野12:03→(あさま510号)→13:40東京→秋葉原<万世>→川崎→武蔵中原→自宅

朝食を食べられそうな店が少ないこともありホームで駅弁を3種類購入した。「みのり」は483系の国鉄色6連であった。急行「赤倉」の格上げであるがゴマメ特急であることに間違いはなく車内販売が乗っていない。新潟から信越本線に乗るのが久しぶりであり進行方向を勘違いする。新幹線と信越線は反対方向に向かって走る。出発時の6号車自由席の乗車率は約20%くらいであった。席の位置が悪いので駅弁を食べた後に席替えをする。こんなことができのも自由席の特権である。加茂の手前で陣が峰駅の跡が見える。また東三条の0番線から出ている弥彦線は列車本数が少ない割に高架化されていて驚いた。

長岡から柏崎を昼間通るのは久しぶりである。ひょっとして高校の時の臨海学校以来ではないか。柏崎から柿崎にかけて海が見える。直江津で「みのり1号」と交換する。妙高高原は紅葉があざやか。「信越リレー号」は旧あさまの189系であった。沿線に撮り鉄が多い。特に黒姫・古間間のお立ち台には10人くらいいた。長野工場にE351系2両がいる。先の大月の横転事故の片割れか。長野駅は観光客で混雑している。恐れをなして直近のあさまの自由席に乗り込み3人とも座ることができた。あさまは発車してからが早い。上田から立ち客が出始め佐久平からの客は座れない。日差しが強くブラインドをおろしてしまうため外の景色が見えない。大宮まで通過。高崎の合流は高崎駅の構内まで引きずられる。東京到着後、秋葉原まで戻り万世で昼食後帰宅する。それにしても長野は近くなったものである。





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