1995年11月 紀伊半島

1995年の勤労感謝の日は偶然にもアメリカの感謝祭と同じ日となった。例年の通りこの時期はどこかに出かけ無いと気が済まない我が家であった。

11月23日(木)

□自宅→東名川崎IC→<東名高速>→富士川SA(休憩)→浜名湖SA(休憩)→名古屋IC→<東名阪>→亀山IC→<R25>→関IC→<伊勢道>→安濃SA→伊勢IC→内宮(参拝)→伊勢市(伊勢シティホテルアネックス泊)

とにかく初日のホテルは事前に予約をしてしまったので、伊勢市をめざして東名高速を走り始めた。今回は雪をかぶった富士山がきれいに見えた。浜名湖SAで昼食、禁煙スペースが広くてよかった。良く考えたらここのSAは上下線共用であった。名古屋ICから東名阪に接続するヘアピンカーブを初めて通った。東名阪は3年前の四国以来であり、伊勢道に乗るには一旦R25の一般道を通る必要がある。安濃SAの紅葉がきれいだった。伊勢神宮内宮を参拝した。当日は新嘗祭があったらしく、参拝も制限されていた様であった。参道の赤福本店で赤福を3個270円で買って食べた。うまかった。ホテルの部屋から近鉄の伊勢市・宇治山田間の高架線が良く見えて感激した。伊勢の街をうろついて十年前に行った炉端焼き屋や泊まったホテルを発見したが、炉端焼き屋は休みであった。結局ホテルの近くの炉端焼き屋「みよし」で一献した。

 

11月24日(金)

□伊勢市→外宮(参拝)→伊勢西IC→<伊勢道>→紀和多気IC→<R42>→御浜町(道の駅)→新宮駅(ホテル予約)→那智の滝→<徒歩>→那智熊野大社→太地くじらの博物館→新宮(ユーアイホテル泊)

 朝一番伊勢神宮の外宮を参拝した。何と信心深いこと。伊勢道を紀和多気ICまで戻りR42をひたすら南下した。峠では瀞峡のバス(熊野交通)に頭押さえをされ距離が延びなかった。御浜町の道の駅の前の浜辺で戯れた。浜辺は砂ではなく礫であった。石は那智黒に近かった?。新宮の駅前まで行き当日のホテルを予約した。新宮駅は国道から行きにくかった。那智の滝は大きかった。それでもって熊野大社への参道の石段は辛かった。以前オートバイで入り口をかすめたくじら博物館でイルカとアシカのショウを見て感激した。知子はステージに上りいるかと握手をした。夕食はホテルのそばの中華料理屋「四五六」で食べた。

 

11月25日(土)

□新宮→R168→本宮→十津川→大塔(道の駅)→西吉野→五條→斑鳩→大和高田(食事)→奈良(ホテル予約)→奈良公園→東大寺→宿泊地(ホテル美松泊)

 前夜カップラーメンを買ったのは良かったが、朝ホテルで食べようと思った時に、はしが無いことに気が付いた。キャンプだったらあったのに。知子がコンビニまで買いに行ってくれた。R168はとんでもない国道であった。今日も宿が決まっていなかったので早く奈良平野に出たかったが、道路がそれを許さなかった。吉野の柿は名産品であった。大和高田のサガミというファミレスでうどんの昼食をとる。この店には公衆電話が無かった。結局JR奈良駅のTipで当日の宿を何とか確保した。でも1泊朝食付きで1人1万円は高い。ホテルの部屋は修学旅行の時に泊まるような和室でまるで引率の先生の部屋の様であった。奈良公園の県営駐車場に車を置き公園と東大寺に20年ぶりに行って懐かしかった。近辺は修学旅行と鹿の糞が多かった。

 

11月26日(日)

□奈良→R169→天理→R25→亀山IC→<東名阪>→御在所SA(休憩)→名古屋IC→浜名湖SA(休憩)→川崎IC→自宅

ホテルを朝8時に出てひたすら帰ってきた。途中名古屋の手前と沼津の先の2カ所で舗装工事をやっており、渋滞していた。でも6時着。




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