我が家のLANの歴史 (since 1994)
1.はじめに
家庭にパソコンが普及していますが、一方でソフトウエアはますます重装備になり、ハードウエアはCPUを筆頭に周辺装置を含めその性能向上には目覚しいものがあります。また日本人は新しいもの性能の良いものに飛び付く傾向が強い様で、これらの理由により気がつくと家の中にパソコンが何台もある、という家庭も多いことかと思います。
我が家もその例にもれず、1993年末にゲーム用として初めてAppleの"Macintosh Quadra610"が導入されたのを皮切りに、今や合計9台ものパソコンがはびこっています。最初各々のパソコンはスタンドアロンで動いていたのですが、1995年3月にPC/AT互換機であるCompaqの"Prolinea MT 4/66 CDS"が導入され、同年5月にその上にFreeBSDというPC-Unixを導入して以来、我が家内のネットワーク化いわゆる家庭内乱^H^H内LANの1歩が始まったのでした。
2.黎明期(1995年)
当初ProlineaにはWindows3.1がプレインストールされていたのですが、これに540MBのディスクを増設し、そこにFreeBSD 2.0.5-RELEASEをインストールし、2つのオペレーティングシステムを切り替えて使っていました。この頃のネットワークはMacintoshにトランシーバを付け、またProlineaにはPLANETのE2000互換のNICを入れ2台の間を10BaseTのクロスケーブルでつなぎ、telnetとかftpとかをしている位でした。
そのうちにWindowsよりもFreeBSDの方が遥かに優れているということが解り必然的にFreeBSDで動くアプリケーションが増えてきました。さらにその年(1995年)の11月にWindows95なるものが出現してきました。周囲の雰囲気に乗せられ無謀にもProlinea(486DX2-66MHz RAM:12MB)をWindow95にアップグレードしてしまいました。いやーその動作のかったるいこと。思わずメモリを20MBに増設したのですがとても歯が立たちませんでした、止むなく1996年5月の連休にP5-150MHzのPC/AT互換1号機を自作しました。これでめでたくProlineaはFreeBSD専用機となり24時間稼動させることができるようになりました。
3.成長期(1996年)
1996年の正月、ダイエーのセールでPerforma630が安売りしていたので思わず衝動買いしてしまい、これがカミさん専用機になりました。そこでかねてから計画していたことを実行に移すことにしました。それはインターネットとのuucp接続です。幸い以前から加入しているプロバイダのリムネットはuucpのサービスを行っているので手続きは簡単でした。これでFreeBSDのサーバを24時間稼動しuucp経由ですがInternetに接続し、メールとニュースの送受信ができるようになりました。また家族用のメールアドレスが持てる様になりました。
この時点で5ポートのHUBを導入しProlineaがメールとニュースのサーバ、自作機とPerformaがそれぞれのクライアントとなるクライアント/サーバシステムが家庭内に構築されました。サーバにhttpdを入れ、家庭内イントラネットが構築されました。
このときのProlineaはCPUが486DX2-66MHzメモリが20MB磁気ディスクが880MB(340MB+540MB)という仕様でした。しかし徐々に扱うデータが増え手狭になったので、CPUをAMD 5x86-133MHz P75に替えメモリを24MBに増設、さらに磁気ディスクも1.2GBに交換しました。(ProlineaはE-IDEはサポートしていませんが、FreeBSDはBoot領域だけBIOSが認識できれば動作することが可能です)ここであまったCPUを基にして同年9月にカミさんが自作PC/AT互換2号機(名称:Ale)を作成しクライアントがまた増加しました。さらに同年11月にはLibretto20をもばいる用に購入と、物欲は果てる所を知りません。これらに対応するために4ポートHUBを導入し、部屋と部屋の間を10BaseTケーブルで結びHUBのカスケード接続を行うことになりました。
4.発展期(1997年)
1997年5月には懸案であったサーバの更新を行いました。内容は今までサーバとして使用してきたProlinea(改)の周辺機器を活かしCPUを代えるというもので、CPUとマザーボードとケースを新規で購入し周辺機器を移植しました。これでCPUはAMD 5x86-133MHzからCyrix P166+GPに、メモリは24MBから32MBに、さらに磁気ディスクはE-IDE1.2GBからSCSIの1.2GBへとグレードアップされました。そして捻出されたAMD 5x86-133MHzは自作PC/AT互換2号機に移り、160MHzにクロックアップして使用されることとなり、元々これに使用していた486DX2-66MHzは元の鞘(Prolinea)に収まることとなりました。めでたしめでたし。
1997年6月にはαDATA32対応のPHSを導入し、Libretto20とあわせて“もばいる”ができる様になりました。さらにそれまで出来なかった電話番号の同番移行がやっと出来る様になったのでさっそくISDNを申し込みを行い1997年7月11日から我が家もISDNに移行しました。
5.成熟期(1998年〜2000年)
ISDN移行に際しダイヤルアップルータ(MN128-SOHO)を導入しました。これにより次のような事ができる様になりました。
(1)NATを介したインターネットへの接続
これは家庭内LANに接続された全てのパソコンからインターネットにアクセスすることができるもので、httpをはじめftpなど様々なTCP/IPを利用するアプリケーションが動作可能です。
(2)PIAFSによる家庭内LANの外部からの利用
MN128-SOHOはリモートアクセスサーバの機能があります。おまけにPIAFSの着信機能をサポートしているので“もばいる”先のLibretto+PHSからPIAFSを使い家庭内LANに接続することができます。これで外に居るのを意識することなく家庭内LANを使用することができます。
(3)アナログ回線経由でも自宅にダイヤルアップが可能。
もちろんPAIFSだけでなくアナログ回線経由でも接続が可能です。ISDN導入に際しダイヤルインサービスを1回線分契約しました。これによりダイヤルインに電話をかけるとサーバのpppdが着信する仕組みにしてあります。これにより一旦サーバにアクセスしてから家庭内LANを利用することができます。
6,常時接続(2001年〜)
2001年2月からフレッツISDNになりました。(申し込んでから6ヶ月以上かかりました)従来のISDNサービスはそのまま利用できます。
7.ブロードバンド化
ISDNを捨てxDSLに乗り換えました。フレッツADSLです。電話局から比較的近い(1.2km位)ので某速度測定サイトによると下りで1.2Mbps程度のスピードらしいです。ISDNを捨てたのでPIAFS接続等は適わなくなりましたが、IP接続すればいいでしょう。
おしまい。
<<参考>>
1993年11月 Macintosh Quadra610導入
a.Macintosh Quadra610(名称:apple)
(MPU:68040-25MHz RAM:24MB HDD:1GB CD-ROM
OS:MacOS-7.5.5J) 我が家に最初に導入されたマシン。
メモリは24MBに増設、ディスクは1GBのものに換装。68kのQuadraで今となってはパワー不足を感じないこともないですが、やはりMacOSは使いやすくていいですね。
→ 現在はMacOS8.6Jとなりいまだ現役で活躍中です。
b.Macintosh PowerBook145B(名称:PB145B)
(MPU:68030-25MHz RAM:8MB HDD:340MB OS:MacOS-7.5.5J)
メモリは8MBに増設、ディスクは340MBのものに換装(標準はRAM:4MB,HDD:80MB)。半年前までは“もばいる”機として活躍したのですが、さすがに最近は出番が無いです。
→ 一時期MkLinuxを入れていましたが、すこぶる重いので現在は休眠中。
c.Compaq Contura Aero 4/25(名称:Aero)
(MPU:486DX-25MHz RAM:8MB HDD:540MB OS:Windows95)
英国旅行が予算より安くあがった記念に旅行に出かける前に購入した妻専用マシン。
当然英国に持っていきました。最近ディスクを増設しWindows95にアップグレード
して生き残っています。
→ FreeBSDのノートサーバにしたのですが、液晶のバックライトが壊れてしまました。
d.Compaq Prolinea MT 4/66(名称:Highland)
(MPU:486DX2-66MHz RAM:8MB HDD:340MB OS:FreeBSD2.2.1)
最初のPC/AT互換機。様々な構成変更を経て今はFreeBSDのテストマシンとなっている。
→ 部品を残し、ケースは廃棄処分。ただしHighlandの名は、K6-2/450MHzのマシンに受け継がれている。
e.Macintosh Performa630(名称:Beer)
(MPU:68LC040-33MHz RAM:20MB HDD:250GB CD-ROM
OS:MacOS-7.5.5J)
1996年の正月に「ダイエー」が安売りをしていたものを最終日にゲット。
TVチューナーとかビデオキャプチャとかすごい機能がついている妻専用機。
→ まだまだ現役です。でも最近はカミさんもWindowsを使ってます。
f.PC/AT互換機1号(名称:Speyside)
(MPU:P54C-166MHz RAM:32MB HDD:1.2GB*2 CD-ROM
OS:Windows95+WindowsNT4.0) 最初の自作PC/AT互換機。P54C-150MHzをクロックアップして使用しています。
→ この構成はRAMを96MBに増設、OSをWindowsMEとして娘の専用機となりました。無線LANでつながっています。
なおSpeysideはCPU:PentiumIII-800MHz RAM:256MB
HDD:15GBとなっています。
g.PC/AT互換機2号(名称:Jura)
(MPU:AMD 5x86-160MHz RAM:16MB HDD:540MB
CD-ROM OS:Windows95) 妻作成の自作PC/AT互換機。AMD
5x86-133MHzをクロックアップ使用している。
頭初はYesbisu(Prolinea)で余剰になった486DX2-66MHzで稼動していたが、
Yebisuを更新して余剰となったAMD 5x86-133MHzに換装した。結局余ったDX2は
Highland(旧Yebisu)に行き元の鞘に収まった。
→ 今はK6/233MHzになっています。
h.Libretto20
(MPU:DX2-75MHz RAM:16MB HDD:270MB OS:Windows95)
今の“もばいる”用のパソコン。ほとんど手が入っていません。
→ ディスクが1GBになりました。
i.PC/AT互換機3号(名称:Yebisu)
(MPU:Cyrix PR166+GP RAM:32MB HDD:1.2GB
CD-ROM OS:FreeBSD2.2.1)
我が家のメール、ニュースそれにファイルとプリンタのサーバである。
主なアプリケーションはinn-1.5.1,samba,CAP60であり24時間稼動している。
リムネットとV.110のuucpで接続されておりニュースとメールの送受信をしている。
1年以上5x86で稼動していたマシンをやっとアップグレードするとができた。
ISDN導入によりpppdによるアナログ回線でのppp接続が可能
→ CPU:K6-2/300MHz RAM:128MB HDD:4.3GB
でwithout intel マシン。OSはFreeBSD4.2。uucpはt-protocolです。
j.MN128-SOHO
ISDNダイヤルアップルータ。リモートサーバ
k.64de INT
安売りしていたので購入したTA、MN128-SOHOはDSU付きなのでISDNのバス配線により接続。ファームウエアをバージョンアップすると128kbpsのMPも利用できるというスグレもの。現在Speyside専用のTAと化している。