南極観測
南極観測船
宗谷 1956年から1962年まで就航、1937年に建造された船を改造したもの
ふじ 1965年から1983年まで就航
しらせ 1983年から2008年まで就航 → 引退後「SHIRASE」に
しらせ2世 2009年から
日本人で初めて南極を探検した白瀬矗(のぶ)
1912年(明治45年)1月16日に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」と命名
1月28日に帰路の食料を考え、極点到達を断念、南緯80度5分、西経165度37分の地点に日章旗を掲げ、同地を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名
1956年に永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(隊員53名)がその創始である。この予備隊は、のちに第1次南極地域観測隊と呼称が変更された。
1956年11月8日 日本は国際地球観測年に伴い南極観測を行うこととなり、宗谷はその耐氷構造と船運の強さを買われ、南極観測船に選定される。大幅な船体補強と耐氷能力の向上を主眼とした大改装を受け、初代南極観測船として南極に向け出港。
1957年1月29日 オングル島プリンスハラルド海岸に昭和基地を開設。
帰路に厚い氷に閉じ込められたが、当時最新鋭艦だったソ連の砕氷艦「オビ」の救援により辛くも脱出に成功。
1958年2月、第2次越冬隊は悪天候のため昭和基地への上陸を断念、滞在中であった第1次越冬隊も命からがら撤退した。このとき15頭の樺太犬が基地に取り残されたが、うち兄弟犬タロとジロの2頭が生き延び、翌1959年1月に第3次越冬隊と再会した。
リンク
南極観測のホームページ(国立極地研究所)