曲名 作詞 作曲
1 仰げば尊し 不詳 不詳
2 赤い靴 野口 雨情 本居 長世
3 赤とんぼ 三木 露風 山田 耕筰
4 朝はどこから 森 まさる 橋本 国彦
5 あの町この町 野口 雨情 中山 晋平
6 あめふり 北原 白秋 中山 晋平
7 雨降りお月さん 野口 雨情 中山 晋平
8 あめふりくまのこ 鶴見 正夫 湯山 昭
9 いい日旅立ち 谷村 新司 谷村 新司
10 いつでも夢を 佐伯 孝夫 吉田 正
11 犬のおまわりさん 佐藤 義美 大中 恩
12 上を向いて歩こう 永 六輔 中村 八大
13 林 柳波 井上武士
14 うれしいひなまつり サトウ ハチロー 河村 光陽
15 江戸子守唄 日本古謡 日本古謡
16 おうま 林 柳波 松島 彜
17 大きな栗の木の下で 不詳 イギリス民謡
18 大きな古時計 保富 庚午訳詞 WORK HENRY CLAY
19 おかあさん 田中 ナナ 中田 喜直
20 お正月 東 くめ 滝 廉太郎
21 おはなしゆびさん 香山 美子 湯山 昭
22 朧月夜 高野 辰之 岡野 貞一
23 思い出のアルバム 増子 とし 本多 鉄麿
24 おもちゃのチャチャチャ 野坂 昭如・吉岡治補作詞 越部 信義
25 かあさんの歌 窪田 聡 窪田 聡
26 西條八十訳詞 草川 信
27 肩たたき 西條 八十 中山 晋平
28 かもめの水兵さん 武内 俊子 河村 光陽
29 からたちの花 北原 白秋 山田 耕筰
30 川の流れのように 秋元 康 見岳 章
31 汽車 不詳 大和田 愛羅
32 汽車ポッポ 富原 薫 草川 信
33 今日の日はさようなら 金子 詔一 金子 詔一
34 靴が鳴る 清水 かつら 弘田 龍太郎
35 こいのぼり 近藤 宮子 不詳
36 高校三年生 丘 灯至夫 遠藤 実
37 荒城の月 土井 晩翠 滝 廉太郎
38 秋桜 さだ まさし さだ まさし
39 この道 北原 白秋 山田 耕筰
40 こんにちは赤ちゃん 永 六輔 中村 八大
41 さくら貝の歌 土屋 花情 八洲 秀章
42 さくらさくら 日本古謡 日本古謡
43 サッちゃん 阪田 寛夫 大中 恩
44 里の秋 斎藤 信夫 海沼 実
45 幸せなら手をたたこう 木村 利人訳詞 アメリカ民謡
46 叱られて 清水 かつら 弘田 龍太郎
47 四季の歌 荒木 とよひさ 荒木 とよひさ
48 時代 中島 みゆき 中島 みゆき
49 しゃぼん玉 野口 雨情 中山 晋平
50 ずいずいずっころばし わらべうた わらべうた
51 スキー 時雨 音羽 平井 康三郎
52 背くらべ 海野 厚 中山 晋平
53 世界に一つだけの花 槇原 敬之 槇原 敬之
54 ぞうさん まど みちお 團 伊玖磨
55 早春賦 吉丸 一昌 中田 章
56 たきび 巽 聖歌 渡辺 茂
57 ちいさい秋みつけた サトウ ハチロー 中田 喜直
58 茶摘み 不詳 不詳
59 チューリップ 近藤 宮子 井上 武士
60 月の沙漠 加藤 まさを 佐々木 すぐる
61 翼をください 山上 路夫 村井 邦彦
62 手のひらを太陽に やなせ たかし いずみ たく
63 通りゃんせ わらべうた わらべうた
64 どこかで春が 百田 宗治 草川 信
65 ドレミの歌 ペギー 葉山訳詞 RODGERS RICHARD
66 どんぐりころころ 青木 存義 梁田 貞
67 とんぼのめがね 額賀 誠志 平井 康三郎
68 ないしょ話 結城 よしを 山口 保治
69 涙そうそう 森山 良子 BEGIN
70 夏の思い出 江間 章子 中田 喜直
71 夏は来ぬ 佐々木 信綱 小山 作之助
72 七つの子 野口 雨情 本居 長世
73 喜納 昌吉 喜納 昌吉
74 武島 羽衣 滝 廉太郎
75 花の街 江間 章子 團 伊玖磨
76 埴生の宿 里見 義訳詞 BISHOP HENRY ROWLEY
77 浜千鳥 鹿島 鳴秋 弘田 龍太郎
78 浜辺の歌 林 古渓 成田 為三
79 春が来た 高野 辰之 岡野 貞一
80 春の小川 高野 辰之 岡野 貞一
81 ふじの山 巌谷 小波 不詳
82 冬景色 不詳 不詳
83 冬の星座 堀内 敬三訳詞 HAYS WILLIAM SHAKESPEARRE
84 故郷 高野 辰之 岡野 貞一
85 蛍の光 稲垣 千穎 スコットランド民謡
86 牧場の朝 不詳 船橋 榮吉
87 見上げてごらん夜の星を 永 六輔 いずみ たく
88 みかんの花咲く丘 加藤 省吾 海沼 実
89 虫のこえ 不詳 不詳
90 むすんでひらいて 不詳 ROUSSEU JEAN JAQUES
91 村祭 不詳 不詳
92 めだかの学校 茶木 滋 中田 喜直
93 もみじ 高野 辰之 岡野 貞一
94 椰子の実 島崎 藤村 大中 寅二
95 夕日 葛原 しげる 室崎 琴月
96 夕やけこやけ 中村 雨紅 草川 信
97 不詳 不詳
98 揺籃のうた 北原 白秋 草川 信
99 旅愁 犬童 球渓訳詞 ORDWAY JP
100 リンゴの唄 サトウ ハチロー 万城目 正
101 われは海の子 宮原 晃一郎 不詳

大賞

平松れい子さん・東京都目黒区・40代・女性
曲名:『浜辺の歌』
 家族4人で暮らしていた狭いアパートの6畳間に、ある日突然ピアノがやってきたのは昭和46年のことでした。その頃から両親にピアノを習わせてもらい、高校受験のときにやめるまで、楽譜を見ればなんとか弾けるようにまでなっていました。
 でも私が家を出てからは、実家のピアノは物置になっています。ときどき実家に帰ると、ピアノの蓋を開けるようにしています。そんなとき、父は必ず「これをやってくれ」と日本の歌の名作が載った楽譜集を私に渡します。いつだったかリクエストに応え、ピアノで『浜辺の歌』を弾いていると、父が目頭を押さえていました。「どうしたの?」と弾きながら私が聞くと「おれはこの曲を聞くとダメなんだ」と涙声で答えました。
 何がダメなのかそれ以上は聞けませんでしたが、いつもより長く、私は『浜辺の歌』を弾きました。以後、私の中でも『浜辺の歌』の旋律は私を”ダメ”にしてしまいます。両親が、貧乏暮らしの家に不釣り合いだったピアノを、大枚はたいてまで買ったのは、娘の私がショパンやモーツァルトの曲を弾く為ではなく、『浜辺の歌』のような日本の歌を弾いて聞かせることだったのだなぁと実感しています。

特別賞

山本弘子さん・北海道帯広市・60代・女性
曲名:『あめふり』
 小学1年生の時のことでした。教室が暗くなったと思う間もなく、大粒の雨が降り出しました。傘を持ってきていない私は「困ったな」と思いました。下校時間になりました。玄関にいた大勢の子供たちは次から次からお迎えの人たちと帰って行きました。私は靴とほこりのにおいがする玄関で、冷たそうな雨を泣きたい気持で見ておりました。どのぐらい待ったのでしょうか。校門の所をかけて来る母の姿を見つけた時、我慢していた涙がこぼれてしまいました。「遅くなってごめんね」とあやまる母にピッタリくっついて、「あめあめふれふれ・・・ピッチピッチチャプチャプランランラン」母と繰り返し歌いながらアイアイ傘で帰った時のうれしい気持ちが、この歌と共に私の宝物になっております。

特別賞

高畑大さん・埼玉県上尾市・40代・男性
曲名:『いい日旅立ち』
 この歌は、国鉄のキャンペーンソングでした。
 25年前の2月の中旬、この音楽をカセットに入れて、上野発の夜行急行を使って、真冬の北海道を5日かけて1人で旅してきました。(ちょうど、通っていた高校が入試休業期間中だったので)大学受験を1年後に控えた自分にとって、これからあまり遊べない(旅行もできない)という、何となく暗い時期を目の前にして漠然と最後の楽しみを今しておかなければ、というのが旅立ちのきっかけでした。
遠くかすかに望める流氷を車窓から眺めながら口ずさんだサビの部分「あ〜日本のどこかに私を待ってる人がいる」という詞。今振り返ってみると、待っていてくれた人たち。それは「当時、まだ見ぬ恋人」であった現在の妻、翌年実現した第一志望合格の報を待っていてくれた両親のことだったのですね。
 この曲を聴くと、日頃の周囲への感謝の気持ちと、感傷的な北海道旅行の両方が思い出され、心が何とも言えず温かくなります。

特別賞

松縄志づ子さん・埼玉県川口市・50代・女性
曲名:『いつでも夢を』
 『いつでも夢を』この歌は、昭和38年、私が中学生の頃の歌です。我が家の事情、複雑な家庭に育ち、また障害をもって生まれた私の唯一の心の支えがこの歌でした。悲しい時も、嬉しい時もこの歌はいつも私と一緒でした。時には死を考えた事もありましたが、この歌のお陰様で今も元気に生きております。私の子供たちの子守唄もこの歌でした。生きる事の大変さ、悔しさ、むなしさ、すべてをこの歌で人生を乗り切りました。「はかない涙を、嬉しい涙に」のところが一番好きです。心に勇気をくれる歌『いつでも夢を』よろしくお願いいたします。

特別賞

伊木しずこさん・東京都練馬区・40代・女性
曲名:『上を向いて歩こう』
 私の母が大好きな曲、『上を向いて歩こう』は母がいつも口ずさんでいたので、今でも身近に感じることが出来る曲です。
 この曲は私の生まれる3〜4年前に作られた名曲です。私は今までに3回、母に大きな心配をかけてきました。最初は小学校低学年の時の交通事故で私が車にはねられたとき、2度目は私が離婚したとき、3度目は1年前にアメリカ人と再婚して渡米が決まったとき…。母に心配をかけた時が一番、私も辛く悲しい時だったと思います。そしてこの辛かったときや悲しかったとき、なぜかこの曲が頭の中に鳴り響き私の心を掃除してくれるような感じがしました。本当に不思議な曲でした。たぶん母も同じだったと思います。ご存知のとおり、この「上を向いて歩こう」はアメリカでも大ヒットし“SUKIYAKI”というタイトルで名曲として残っています。主人の母(アメリカ人)も私の母と同世代ですが、この曲が大好きだと言っていました。語り継げる曲は世界にも通用するのだと思います。

特別賞

岩井春菜さん・京都府京都市・10代・女性
曲名:『おかあさん』
 この歌は、小さい頃からずっと、私から母へのコミュニケーションをとる一つの方法なんです。例えば、母が家事をして忙しそうだけど、私はなんとなく淋しくって、母にかまってほしい時、「おか〜あさん」と歌いながら呼ぶと、母はいつも「なぁ〜に?」と歌って返してくれました。他にも、ケンカをして、なかなか普通にしゃべれなかった時も、私が歌うといつでも歌って返事をしてくれました。要するにこの曲は、私から母への『かまってほしいコール』なのです。だから私は、この曲が大好きだし、是非ともこれからの子供たちにも、そうやってお母さんとコミュニケーションをとってほしいと思ったので、この曲を選びました。

特別賞

河上美沙枝さん・栃木県宇都宮市・20代・女性
曲名:『朧月夜』
 子供が産まれてから、ずっと子守歌にしています。子供が産まれたとき、子守歌を歌ってやりたくて、どの歌を歌おうかと考えました。私が歌えるものというのはもちろん、悲しい内容やメロディーの歌は避けたいと思いました。『朧月夜』は歌詞に描かれる里山の春の情景も、使われている言葉もとても美しく、歌うたびに心にしみるような感じがします。またメロディーも優しくゆったりとして、子守歌にはぴったり。歌いながら添い寝して、私の方が寝てしまうこともしばしばです。5歳の娘は、私の歌うのを聞いてすっかり覚えてしまいました(意味はわかっていないのでしょうが)。
 私のまねをして、1歳半になる下の娘に歌ってやっています。下の娘も、まだ言葉を話せないながらも覚えているようです。私がだっこして『朧月夜』を歌ってやると、「(菜の花畑)に(入り日薄)れ〜」といった具合に節の最後の部分だけ一緒に歌うことがあります。合唱になってしまって、寝るどころではなくなってしまうのですが。子どもたちの心の中に、この美しい言葉とメロディーと情景が残ってくれればいいと思っています。

特別賞

片山高子さん・長崎県五島市・50代・女性
曲名:『川の流れのように』
 この歌は、人生の浮き沈みを感じさせますが、私は、大好きだった今は亡き祖母を思い出します。明治生まれで、96歳まで人生を楽しんだ努力の人でした。辛いことが、沢山あったのに自分の生き方を後悔する事も無く毅然として生きた人でした。男勝りで、気の強かった祖母は、病弱な母に代わり、私達姉妹を厳しく育ててくれました。「私は、憎まれもんでいい。おまえ達が、将来、人から笑われない様に躾ないかん・・・」と。小さな頃は、とても怖い祖母でしたが、私がお嫁に行くときに「高子、辛かったらすぐに帰っておいで。そん時は、おばあちゃんと暮らそう。」と、手を握ってくれました。
 私が、福岡から五島列島に嫁いでから、もう28年になりました。祖母が生き方を教えてくれたから私は、私の人生を私の子ども達に教える事ができます。人生の厳しさ、苦しさ、悲しさ、楽しさ、そして嬉しさを伝えるために『川の流れのように』を選びました。

特別賞

大塚恵美さん・神奈川県横浜市・30代・女性
曲名:『荒城の月』
 この曲は、私が子供の頃、風邪をひいて病院へ行く時に母に歌ってもらった曲です。その時分には家には車がまだなく、バスで病院に連れて行ってもらっていたのですが、せがむ私にバスに乗るまで何度も繰り返し歌ってくれました。具合が悪かったけれども、いつもは忙しい母と一緒に出掛けられる嬉しさ、普段は厳しい母が優しい声で歌ってくれる嬉しさ、何度もせがむ私の甘えている気持ちに応えてくれている嬉しさでいっぱいでした。この年齢になるまで、ふとした時に思い出しては心が温かくなり自然に涙が出てきます。

特別賞

遠藤澄江さん・東京都豊島区・50代・女性
曲名:『里の秋』
 私が子どもの頃、我が家は母子家庭でしたので、母はいつも朝早くから夜遅くまで、くるくる働いていました。
 たまの休みや、台所に二人で立つときなど、母は時々『里の秋』を口ずさみました。「し〜ずか〜なぁ、し〜ずかなぁ」音痴の母の歌は時々何の曲かわからなくなるほどはずれますが、「あ〜かあさんとただふたぁり」のところだけは、いつもしっかり歌います。それは、母の自分に対する応援歌だったのではないでしょうか。さて今の子どもは唱歌を知りませんが、いつの間にか私と娘は台所で「さぁとのあ〜きぃ」と声を揃えて歌っています。

特別賞

山内由美さん・兵庫県明石市・40代・女性
曲名:『翼をください』
 中学時代、いろんなことに悩んでいた私に、母が「今は、しんどいけど、この時期に生きる力を育てているんだよ。自分の道は自分で切り開いていくんだよ。おかあさんはずっと応援しているよ」と言われ、その言葉を励みに嫌なことを乗り越えました。その母が好きだった曲です。
 その母も、私が高校3年の時に卵巣がんにかかり、亡くなりました。私は看護師を志し、現在も看護師として仕事と家庭を両立し頑張っています。子どもが来年中学ですが、悩んでいる時にこの言葉を伝えたいなと思っています。

特別賞

窪 知枝子さん・東京都八王子市・50代・女性
曲名:『涙そうそう』
 夫が5年前脳梗塞で倒れ、1週間の命、助かっても植物状態との診断でした。そういう状況のなかで、命を取り留め、植物状態も免れましたが、失語症(筆談も不可)右麻痺などの後遺症が残っています。約1年の入院、リハビリをし、本人は喋れないものの、こちらの質問にはYESかNOで意思表示が出来るようになりました。そんな中『涙そうそう』に出逢い、みるみる理解力が上がり、少しだけですが言葉のキャッチボールも出来るようになってきました。一日中CDを聞いたり、娘と一緒に歌ったり、今では『涙そうそう』を歌えるようになりました。歌の素晴らしさに今更ながら感動し、この曲を通して歌声を吹き返してくれた事に感謝しています。これからも日々歌と共に生きていきたいと思います。そして、この歌を歌い続けていきます。

特別賞

塩野寿人さん・兵庫県神戸市・40代・男性
曲名:『故郷』
 阪神淡路大震災で被災したときに、避難所を数箇所、声を出して歌って元気を出してもらおうという活動をしました。ある避難所でおじさんが、すごい形相で演奏中に襲って来たと思ったら、私達のすぐ前で座り込み、この曲を聴いて泣き出しましました。昔、お母さんと一緒に歌ったことのある曲だったそうです。そのときのおじさんの温和になった顔は今でも忘れられません。そして一緒に涙しながら、何度も歌いました。音楽の秘めた力を知った、忘れられない曲になりました。「山は蒼きふるさと・・・」この歌詞を聴くたびに今でも熱いものがこみ上げてきます。

特別賞

吉永恭二さん・東京都日野市・50代・男性
曲名:『見上げてごらん夜の星を』
 この歌は私の心に勇気を与えてくれる歌であり、また本当の幸せが何かを教えてくれた歌でもあります。若い頃から「幸せってなんだろう?」と、自分に問いかけてきて、見つけられないままに結婚し、家族ができて平凡なサラリーマン生活。でもそんな平凡な暮らしの中にこそ本当の幸せがあることに気づかせてくれたのがこの歌でした。この詩にこめられた思いを大人も子供も感じて欲しいですね。そうすうればいやな事件も少しは減るのではないでしょうか。「ささやかな幸せ」こそ本当の幸せなんですけどね・・・・。

特別賞

服部綾子さん・滋賀県大津市・70代・女性
曲名:『みかんの花咲く丘』
 戦後間もない、まだ世の中が混乱している昭和21年、私はまだ小学校の四年生でした。幸せな家族だった私達でしたが、前年20年4月に弟、5月に父を亡くし、母と弟と私と3人になってしまいました。毎日淋しい悲しい日が続きました。そんな時ラジオで「みかんの花咲く丘」が流れて来ました。澄みきったきれいな川田正子さんの声にただうっとりと聞きほれておりました。
 この歌が流れる毎にラジオの前に座って、私と母は一行づつ交替で歌詞を写し取りました。やっと歌詞を3番まで写し取った時、何だかうれしくて母と手を取り合って喜んだ日がついこの間の様に思われます。その最愛の母も昨年9月95才で旅立って行きました。とても美しい顔をして・・・・・・今も母との懐かしい思い出の歌になって残っています。
 私も3年前から「童謡コーラス」に入会して週2回お友達と一緒に楽しい時間を過ごしています。

特別賞

木村ナナコさん・青森県平川市・30代・女性
曲名:『揺籃のうた』
 昨年妊娠だと分かってからとても体調が良く、つわりも全くありませんでした。調子が良かったため、普段通りかそれ以上の生活をしていたら2月に自宅安静、3月にはとうとう入院となってしまいました。入院して24時間点滴になり退屈な日々がこれから2ヶ月も続くのかと思い、かなり落ち込んでいたのですが、ふとお腹をさすりながら「この子に子守唄を歌ってあげよう」と思いました。もちろん消灯後の病室なので心の中で。『揺籠のうた』の1番を歌っているうちに、なぜか涙がでてきました。ジーンと鼻が熱くなって「ああ、私はなんて自分勝手だったんだろう・・・すっかりこの子の事を忘れて自分一人の体のつもりで、何をしていたんだろう」と次から次へと涙が出てきてとっても後悔しました。そして今は何も出来ないけど、歌だったら歌ってあげられると思い、それから寝る前には必ずお腹をポンポンやりながら『揺籃のうた』を歌いました。
 その後無事に今年6月、女の子を出産。今4ヶ月の娘は夜泣きをしません。あの時助けてくださった病院の先生方、スタッフの方々、そして支えてくれた家族、元気に生まれてきてくれた娘に感謝しつつ、これからも『揺籃のうた』を歌っていこうと思ってます。
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