呉音・漢音・宋音(唐音)

 

呉音

漢音

宋音(唐音)

 (北京標準語)

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 呉音

漢音

 宋音(唐音)

  (北京標準語)

 

仏教関連が多い

 漢詩

 

 

 

 

(以下、引用)

呉音・漢音・宋音(唐音)

特別寄稿:旅の僧(たまにはマジメなことも書く)

 

 まずは広辞苑をひいて言葉の意味を確かめましょう。

 

呉音:日本漢字音の一。古く中国の南方系の音の伝来したもの。「行」をギャウとする類。仏教用語などとして後世まで用いられるが、平安時代には、後に伝わった漢音を正音としたのに対して和音(わおん)ともいった。

 

漢音:日本漢字音の一。唐代、長安(今の西安)地方で用いた標準的な発音を写したもの。遣唐使・留学生・音博士などによって奈良時代・平安初期に輸入された。「行」をカウ、「日」をジツとする類。官府・学者は漢音を、仏教は呉音を用いることが多かった。

 

宋音:日本漢字音の一。従来、唐音として一括されていた音の一部分。わが国の入宋僧または渡来した宋僧の伝えたという音。実質上は唐末から元初のころまでの音で、鎌倉時代までに渡航した禅僧・商人から民間に流布した音と同一のものとされる。「行」をアン、「杜」をヅと発音する類。

 

唐音:日本漢字音の一。宋・元・明・清の中国音を伝えたものの総称。禅僧や商人などの往来に伴って主に中国江南地方の発音が伝えられた。「行灯」をアンドン、「普請」をフシンという類。とういん。

 

以上「広辞苑」より。

 

 上の説明で大体のことはわかったと思いますが、若干の説明を加えましょう。

 

 日本における漢字の読み方は、大きく分けて音読み・訓読みがあることは小学生でも知っています。音読みは中国式の発音がしだいに日本風に訛ったものです。訓読みは漢字の意味にあった日本語を当てたもので、必要に応じて「送り仮名」をつけますね。そして、音読みには、呉音・漢音・宋音(唐音)の3つの読み方(音)があります。ちょっと漢和辞典を引いてみれば分かりますが、読みの下に「呉」とか「漢」とかの記号で示してあります。多くはその2種類ですが、時々「唐」の記号を見ることもあります。

 

 この音読みの種類こそが、中国文明が日本へ伝わった時代や内容をそれこそ「地層のように」反映しています。というのは、漢字というのは本来中国においては1文字につき1つの音しか存在しません。日本のように何種類も読み方が存在することはありません。

 

 しかし、ここからが重要ですが、中国は大変広い国です。また古く長い歴史があり、王朝の交代のたびに前王朝の文化は破壊され尽くし、異民族の侵入や漢民族自体の移動をともなう等、日本では想像もつかないような激しく壮大な動きがあります。したがって、ある時代ある地域を局地的に見れば、漢字の読みは常に1つだけど、巨視的に見れば、地域により時代により異なる多くの読みが存在します。日本の漢字の読み方には、それらの違いが正倉院御物のように1箇所に集まっているわけです。ちなみに、広辞苑の解説でも分かるように、呉音・漢音・宋音(唐音)の順に伝来しています。

 

 まず呉音について。日本に最も古く伝わった漢字の読み方は呉音です。呉音は仏教経典とともに伝わりました。飛鳥時代から白鳳時代にかけて、数多くの仏典(ただし漢訳だが)が伝来しましたが、日本人はそれらを原語の中国語で発音していたわけです。今でもお経といえば、読み下し文より音読みの棒読みが主流ですね。

 

 中国で仏教経典が翻訳されたのは、いわゆる後漢末三国時代から宋の時代にかけての約千年間ですが、一番盛んだったのは4世紀から9世紀にかけての約500年間です。その前半はいわゆる南北朝時代で、中国は異民族が次々に侵入しては征服王朝をたてた北朝と、異民族に押しやられ江南に移住した漢民族の南朝とに分かれていました。北朝は都を主に洛陽におき、南朝は建業(今の南京のあたり)におきました。

 

 このどちらの王朝もそれぞれ異なる理由から仏教を熱心に受容しました。北朝は漢民族の中華文明への対抗心から仏教を自らのアイデンティティにしようとし、南朝では老荘思想(道家)と仏教との類似性から老荘を手がかりに仏教を理解しようとする動き(格義仏教)が盛んになりました。ちなみに格義仏教は、道安の出現により本来の仏教の研究にシフトしていくのですが、それはともかく、どちらの王朝においても経典の翻訳が盛んに行われました。

 

 そのあたりの話は長くなるので省略しますが、日本に伝わったお経の発音はこの南朝の音です。三国志にもありますが長江下流域一帯(いわゆる江南)を「呉」とよびます。南朝は六代の王朝が交代しましたので、「六朝(りくちょう)」ともいいます。南朝の建築や造仏などの様式を「六朝様式」といいます。南朝は、杜牧の詩に「南朝四百八十寺 多少樓台煙雨中」と謳われたように造寺造仏が盛んでした。日本の法隆寺が六朝様式で建てられているのはご存知でしょうか。これは飛鳥時代に、お経だけではなく仏教文化を主体とする南朝の文化全体が伝来し取り入れられたことを意味します。南朝の中国語も伝わったことでしょう。これが呉音の起源となります。

 

 ここからちょっと私が疑問に思っていることを述べさせていただきます。だれかご存知の人がいたらお教え下さい。法隆寺の仏像は有名な鞍作止利の作ですが、これらは北魏様式といわれています。北魏様式とは北朝の様式で、雲崗石窟はその代表です。すると法隆寺は六朝様式であるとともに北魏様式も兼ねていることになるのでしょうか。もう一つは、日本仏教は百済すなわち朝鮮半島を経由して伝来したことになっています。朝鮮半島は見て分かるとおり北朝と接しており南朝とは離れています。南朝の文化はどのような経路で日本に入ったのでしょうか。朝鮮半島では北魏ではなく六朝様式が支配的だったのでしょうか。これが私の疑問です。

 

 まもなく隋によって南北朝が統一され、さらに唐という強大な中央集権国家が出現します。聖徳太子の遣隋使に始まり、日本は遣唐使を送るなどして中国の国家制度(律令制度)や文化を積極的に取り入れました。さて、隋・唐の都は長安・洛陽です。この地方の漢字の発音を「漢音」といいます。長安・洛陽は江南から遠く離れた内陸の地であり、現在の北京語と上海語が異なるが如く、漢字の発音も大いに違いました。今までのように呉音で中国語を勉強しても遣唐使たちは言葉が通じないわけです。

 

 そこで、時の日本政府は、遣唐使たちには漢音の勉強をするとともに、政府関係の法令や書類の読みは漢音で統一すべしとのお達しを出し、ここに官府・学者は漢音を、仏教は呉音をという原則が生まれました。この2つの音が日本の漢字の読み方の基本になったのは以上の理由です。(例:「女」にょ=呉音、じょ=漢音;「人」にん=呉音、じん=漢音;「人間」にんげん=呉音、じんかん=かんおん)

 

 ところで、何事にも例外はあるもので、平安時代初めに弘法大師空海が伝えた「般若理趣経」だけは漢音で読むことになっています。これは「理趣経」の大胆な内容が誤解されることを恐れた空海が、あえて読み方を変えたと言われています。

 

 さて、平安時代に遣唐使が廃止されてからしばらくは、正式な中国との交流は無かったわけですが、平安末期に平清盛が日宋貿易を始めたことや、鎌倉時代に栄西や道元が入宋し臨済宗や曹洞宗といった禅宗が伝えられ、また宋からの名僧の来日も多くあったことなどから、宋(中国)との関係が再び強まりました。しかも、宋は北半分を異民族である金に征服され再びかつての南北朝時代のような状況が復活していました。

 

 したがって、貿易にしても禅宗にしても、かつての江南(=呉)の地域が中心だったのですが、六朝時代から700年近い歳月が過ぎ、漢字の発音もすっかり変化していました。この時代の江南の発音を取り入れたのが宋音です。

 

 行脚(あんぎゃ)、看経(かんきん)、経行(きんひん)、法堂(はっとう)、東司(とうす)などの禅宗用語のほか、炬燵(こたつ)、椅子(いす)なども宋音に入れていいと思います。もっとも漢和辞典には「唐音」と記されていることと思いますが。

 

 唐音とは宋から、明・清にかけて伝わった読み方全体を言いますので、炬燵や椅子はあるいは唐音の方かも知れません。いずれにせよ、禅宗で用いられている読み方で、普段聞き慣れない読みあがれば、それは宋音あるいは唐音と疑ってみればほぼ間違いないでしょう。ちなみに宋音は、曹洞宗を代表とする禅宗が、葬式を通して全国に広まる過程で、広く一般に広まったと考えられます。なお、室町時代以降の禅宗文化が、仏教全体に及ぼした影響は非常に興味ある分野ですので、改めて機会を設けて考察したいと思います。(あの日光東照宮は禅宗様式=唐様なんですよ!)

 

 このように漢字の音の種類は、それぞれが歴史的に形成されたものであり、日本と中国の文化交流を反映した、Feldsehenさんの言うように、まさに「地層」なわけです。普段何気なく使っている漢字ですが、時には「今の読みは何音だろう」と考えてみるのもまた一興かと思います。

 

http://www.geocities.jp/johannes_schiffberg/kanji.html