2002年9月5日 9月8〜9日は河口湖に行くでしょ、11日はライブでしょ・・・。9月前半はイベントラッシュ。あーでも、生理がきそう。ピル飲んでおこう。
うーん、ちょっと頭が痛いかも。くしゃみもよく出る。
滅多に薬は飲まないけど、イベントが控えていたため飲んでしまった。
これが良くなかったのだろうか・・・。
稀にお薬に反応して発病する場合があり、私もこのケースと考えられていました。
2002年9月10日頃〜 太ももの裏、腕にあざを発見する。しかも左右均等にできている。
あたしは子供の頃からよく転んだ。自分の足につまづいて転んだり、なんでそんなところをっていう場所をぶつけたりするもんだから親には心配されるどころかあきれられていた。
だから発見した時には「またぶつけたかー。よくまぁこんなところを・・・」なんて、思っていた。
会社の友達とは、「ドメスティック・バイオレンスじゃん!?服で見えない場所を(旦那に)蹴られてるんじゃない?(笑)」なんて笑い話をしてた。
でも、毎日のようにできるあざ。さすがにおかしいと思うようになる。
2002年9月20日 生理1日目。
「なんなの、この大出血は・・・」
お腹も腰も(いつも痛い)痛くない。ただただ、量がとてつもなく多い。しかもいつもより血がサラサラしてる感じ。出血してる感覚がなくて、トイレに行くと大変な事になっていた。(これが月経過多というものだろうか・・・)しばし、ボー然。いつも生理は楽なほう。明日になればなんてことないさ♪そんなに甘くはなかった・・・。
2002年9月21日 2日連チャン出血大サービス。さすがにちょっと貧血気味。だるい。
2002年9月22日 あー、やっと量が普通になってきた。でももうふらふら。今日(金曜日)頑張れば休みだ。貧血がひどくて仕事が手につかない。午前中は休み(サボリ)ながらなんとかしのぐ。
そしてお昼。もちろん食べる。どんな時でもハラは減る!!ご飯を食べてちょっと復活。そして待望の定時。もちろん速攻帰る。電車はいつものように混んでて、とても座れない。家まであともう少し、というところで気持ちが悪くなってくる。(あー、このままじゃ倒れるかも)
途中下車してジュースを買う。お腹が減ってたのね、きっと。再び電車に乗り込み、ようやく最寄の駅に着く。し・か・し、体がだるくて歩けない。
いつもなら10分くらいでつく距離なのに、倍はかかった。この時ほど家までの道のりが遠く感じたことはなかった。

家についたからといって安心はできなかった。極度の貧血、だるさ・・・。立っていられない。しばしうずくまっていると旦那が帰宅。良かった!!
思えば、よく倒れなかったと思う。生理が来たときにはもう発症していたんだろう。発症すると性器からの出血もあるらしい。あたしの場合、生理+性器の出血ですごい量になっていたと思われる。もし倒れて頭を打っていたら・・・。きっと最悪の事態になっていた。本当に運がよかった
2002年9月23日
診断&告知
そして入院
旦那と母に付き添ってもらって地元の病院へ。生理の異常だな、と思っていたので産婦人科へかかる。朝イチに行ったというのに、すでに大量の人・人・人。だいぶ待ってやっと採血と内診。そして待つこと1時間。結果はまだか〜。と思っていたところへ
「先生は緊急オペに入られましたので、患者さんはお昼を食べてお待ちください」
なんだと〜。もぅ帰る。結果はまた聞きにくればいいさ。怒るあたしを母は冷静になだめ、病院内のレストランへ。

やっと先生の診察。開口一番、「内科へまわって」。採血の結果、赤血球・白血球・血小板ともに数値がかなり低いとの事。
もう午後3時。本来なら外来の受付はとっくに終わっていたけど、大学病院から血液に詳しい先生がたまたま来ていたため診察を受けるように言われる。

まずひとりで内科の診察室に入る。あざの様子を診てもらい、血液検査の結果と合わせて診断される。現段階で考えられる病名は、急性白血病か再生不良性貧血であること。
そして、いずれにしても「命に関わる」病気であること・・・。

先生がその場で入院の手配をしてくださった。一度廊下に出て家族に伝える。
「ここじゃ、だめだって。大学病院に入院だって」
そんな事を言ったような気がする。3人で再度診察室へ入り、先生から改めて話を聞く。
救急車がくるまでの間、母は父の会社へ連絡を入れたり会計を済ませたり、必要な物を買ったり。職業柄(母は看護婦)、自然と体が動いていた部分も多少あるかもしれないが自分の子供の事で、なんてとても嫌だったに違いない。あたしは急に怖くなって泣いて、ただボーっと座っていることしかできなかった。
救急車が到着。

入院する大学病院までは1時間半くらいかかってしまうらしい。気持ち的には「電車でも行けるぞ!」という感じなのだけれど。途中、救急隊員の方が「今、○○のあたりですよ」などと声をかけてくれる。結局大学病院へは40分ほどで到着。かなり飛ばしてくれたらしい。

あたしが入院したのは無菌の個室。建物がまだ新しいのと、設備が整っているのでビジネスホテルみたい。あんまりあたしが落ち着いているので、先生がびっくりする。
女性の患者さんだと、病室に入るなり泣き出してしまう人もいるらしい。一度泣いているしね、気持ちは結構前向き。もう病気にはかかってしまっているんだもん。治すしかないじゃん!!
輸血 血小板の数値ががかなり低かったため、血小板輸血を受ける。もちろん輸血をするのは初めて。血小板がやまぶき色っぽいことを知る。
あたしはA型なので同じA型の血小板を入れてもらう。しかし、血液型が同じでも他人の物が入るわけだから副作用がある。主なものは、発疹・発熱など。
1本目は特に問題なく終了。そして2本目に突入。ちょっとかゆい?蚊にさされたときのようなぷっくりしたものが足に出る。すぐに看護婦さんを呼ぶ。とりあえずかかないようにして輸血を続ける。かゆいところが増えてきた。無理して入れるのも良くないので、2本目の3分の2が入ったあたりでやめる。
2002年9月24日
骨髄穿刺1回目
採血で数値が低い場合は、血液を作っている元、すなわち骨髄を調べる必要がある。胸骨または腸骨(腰のあたり)に針を刺し、骨髄液を取る。
「骨髄穿刺(マルク)は痛い」と聞いていたので看護婦さんに確かめてみる。まず麻酔をかけるので、その時にちょっと痛い。(麻酔は仕方ないな。麻酔しないと痛いもんね)さらに、骨髄を抜く時に変な痛みがあるとのこと。麻酔というのは、骨には効かないんだそうだ。(想像できない・・・。そうだものすごく痛いと思おう。そうすれば実際はあんまり痛く感じないかも!?)

そして、ついにその時はやってきた。
腸骨から取るのでうつ伏せで待つ。看護婦さんが物品をワゴンに乗せて登場。半ケツ状態にされる。先生登場。まずは消毒。「消毒するね」って声をかけてもらうけど、自分では見えない位置で行われているから消毒すら怖い。
続いて麻酔。「痛い〜」思わず声が出た。麻酔が効けば後は楽だ!そう言い聞かせて耐える。
麻酔が効いていることを確認していよいよ骨髄液を取るための針を刺す(ぶっといらしい)。ぐりぐりされている(骨だから力を加えないと刺さらない)感じはあるけど、痛みはない。

「じゃあ、引くよ(抜くよってこと)。1.2.3」
「うわあぁぁぁぁ・・・」

口では表現しずらい痛み。抜き取られているのはよくわかる。3回引いたところで
「もう70%終わったからね」って、まだ70%なの!?ようやく終了。すかさず先生に
「骨髄見せて〜」
骨髄液なんて見る機会ないもの。今見とかなきゃ!なぁんだ、赤いのね.見た目は血と一緒.。処置をしてもらい、仰向けで寝て止血。

こうして一大イベントは幕を閉じた・・・はずであったが
この2日後に再びマルクをやるはめになるとは 知る由もなかった・・・。
2002年9月26日
骨髄穿刺2回目
初めての骨髄穿刺の痛みも消えていないというのに2回目ってどういうこと〜!?
聞いてみれば、2ヶ所以上から骨髄液をとり診断すること・・・というふうに決まっているんだそうだ。ちぇっ、最初から2回取るって言って欲しかったよ。

今日は胸骨から。胸なんて痛そう!怖いよー。びびっている間にも準備は進む。消毒の冷たい感じもたまらなく嫌。今度は見えちゃうんだよね。怖がりだけど見たがり。やっぱり怖いから目は閉じていよう・・・と思ったのもつかの間。麻酔の針が刺された瞬間、痛さで目が開いてしまった。あー、もういいや、開けてよう。目の前にはぶっとい針。こんなに太いのかー。腰からの時は見えなかったけど。
またもぐりぐり感。
「1.2.3」
おっ?あんまり痛くないぞ。抜かれている感じは腰の時と同様あるんだけど、胸の方が痛くない。でも、もうやりたくないけどね。
2002年9月27日 白血球400、赤血球261万、血小板7.4万(輸血のため増加)
白血球がこんなに少ないのに、よく感染症を起こさなかったもんだ。
2002年9月30日 白血球800、赤血球272万、血小板5.7万
白血球・赤血球はちょびっと増える。本来は今日治療に入る予定だったが、自然と増えているため経過観察となる。
2002年10月2日 白血球1100、赤血球272万、血小板6.8万
また増えとる・・・。
2002年10月5日 白血球1700、赤血球299万、血小板11万
上の階にある売店に行けるようになった。どこまで上がってくれるのか。
2002年10月7日 白血球1700、赤血球296万、血小板13万
血小板はほぼ正常値まで回復。
2002年10月11日 白血球2000
外泊が許可される!
2002年10月16日 今日のマルクの結果で新しい細胞が作られていることが確認できれば念願の退院となる。
マルクも3回目となれば慣れたもの。これが最後と思えばなんてことないさ。

そして・・・。やった、退院決定!たった1ヶ月の入院だったけど、とても長く感じた。
退院は2日後。さて、気が早いけど片付けに入ろうかな。個室なのをいいことに私物を大量に持ちこみ、自分の部屋と化していた部屋を片付けるのは大変だった・・・。退院当日は旦那に車で迎えに来てもらう。しばらくはマスクが手放せない。でも病院にいるよりはずっといい。

イーグルとも1ヶ月ぶりの再会。良かった、覚えてくれてる(笑)もまだあんまり触ることはできないの。ごめんね。
2002年10月18日
退院
さようなら、無菌室。
大量の荷物とともに退院。車に乗ってすぐに酔う・・・。1ヶ月入院してただけなのに。
Diary 〜発病から退院まで〜