山梨県の城



        「勝山城(都留市)」

        2023年7月に攻めました。
        小山田氏が築城、鳥居氏、浅野氏、秋元氏などが入っています。谷村町駅から徒歩です。
        登城口に説明板がありました。説明板に外堀のことが書いてあるので、ちらっと見に行き
        ました。登って行くと左手に内堀がありましたが、あとで散策するのでスルーしました。
        川棚見張台を経て、3の丸、そして2の丸を通ります。2の丸から本丸へ行く道には右手
        に石積がありました。
        本丸は西側に土壇があり、そこに東照宮が祀ってあります。また、説明板もありました。

勝山城(都留市)
本丸から、まず北東の尾根を下りて焔硝蔵跡に行きました。石碑があります。そして、 戻ってから今度は北西に下りていくと、素晴らしい石積(写真)があります。ここが一番 の見所でしょう。 さらに、お茶壺蔵跡を通ってから「竪堀」という石碑がある土橋つき堀切を渡ります。 渡った所が大沢見張台です。 最後に、内堀を通ってスタート地点そばまで戻りました。内堀の途中に段差があるのです が、2mくらいの段差と予想していたら10mくらいもありました。 (おまけ)ミュージアム都留には、ジオラマがあります。
「谷村城」 2023年7月に攻めました。 小山田氏の居館であり、その後、羽柴氏、浅野氏、鳥居氏なども入りました。谷村町駅 から徒歩です。
谷村城
主郭は谷村第一小学校のところで石碑(写真)がありました。また、隣の都留市役所の 建物の前に説明板がありました。勝山城が詰めの城であり、当時は橋で繋がっていたそう です。
「谷村陣屋」 2023年7月に攻めました。 1704年以降、明治維新まで代官所が置かれていたそうです。谷村町駅から徒歩です。
谷村陣屋
現在は裁判所が建っているところで、裁判所前に、陣屋の石碑(写真)がありました。
「牧野砦」 2023年7月に攻めました。 小山田氏の砦であり牧野城とも言います。四方津駅から徒歩30分で登り口です。バス停 はありますが、バスの本数がないです。尾根に沿って6つの堀切がある城です。 登城口からは鉄塔の巡回路に沿って進みます。鉄塔に着いて、すぐに小さいですが堀切が あります。さらに、郭の先に東から2番目の堀切があります。そして、もう少し先には、 東から3番目の堀切。
牧野砦
さらに登ると比較的広い郭があり、その先には東から4番目の堀切があります。堀切を越 えて進むと、最も標高の高い「主郭に相当する郭」があり東側が高く2段になっています。 その次は、岩盤堀切になっている東から5番目の堀切(写真)です。そして、最も西側 には比較的小さな堀切があり、そこで引き返しました。 牧野砦は、なかなかの急斜面を登り下りしないといけないので、ヘトヘトになる城でした。
「甲府城」 築城は、徳川氏、あるいは浅野氏など豊臣時代と推定されています。江戸時代に入る と徳川氏、柳沢氏等が城主となり、幕府直轄地の時代もあります。甲府駅を挟んで 南側がメインですが、北側にも山手御門があります。 1回目は、2010年11月に訪城しました。稲荷櫓(写真)が復元され、中に入れ ます。立派な天守台も残っています。天守台の周りの紅葉が綺麗でした。 また、線路を挟んで山手門と山手渡櫓門が復元されています。ちょうど「えびす講 まつり」の日で、B級グルメの甲府鳥モツ煮を食べられました。 2回目は、2015年6月に訪城しました。 要害山・熊城の後、2013年に完成した鉄門の見学が目的でした。鉄門は、櫓部分 の内部にも入れました。また、城の隣にある防災新館という建物の地下1階に「甲府 城石垣展示室」なるものができたので、そこにも行ってみました。 帰りには、駅で「くろ玉」というお土産を買って帰りました。えんどう豆あんが 黒砂糖羊羹で包まれ美味しい!
甲府城
3回目は、2018年2月に行きました。娘の吹奏楽(アンサンブルコンテスト)の 西関東大会が甲府であったので、ついでに城攻めを! 甲府駅そばのホテルに泊まったので、山手御門と稲荷櫓のライトアップが見られ満足。 翌朝の散策では、これまで見ていなかったレアな所を中心に! 鍛冶曲輪の井戸、石切場、水溜跡。稲荷曲輪の煙硝蔵跡、二重の石垣、稲荷曲輪門 野面積み高石垣。そして、定番の鉄門、稲荷櫓、天守台、山手御門にももちろん行き ました。山手渡櫓門の中でみた映像はとても勉強になり、また、山手門の脇に土塁と 堀が復元されていることを知りました。お土産は、桔梗屋信玄生プリン! 4回目は、2022年4月に行きました。バスの待ち時間20分間だけのプチ城攻め でした。山手御門を見学してから、線路越しに稲荷櫓の写真を撮りました。
「武田氏館(躑躅ヶ崎館)」 武田氏の館です。甲府城が出来るまでの徳川氏も利用しています。甲府駅北口から バスで行けます。レンタサイクルもありますが、坂なので、電動自転車が良いです。 今は信玄公を祀る武田神社になっていて、西曲輪や大手もあります。 1回目は、2010年11月に訪城しました。 社務所で「100名城スタンプ」を押せます。宝物殿で「風林火山」の孫子の旗が みられます。西の曲輪の紅葉が凄かったです。東側の大手の辺りの石塁や土塁が 復元されています。帰り、レンタサイクルだったので、近くの武田信玄公の墓にも 寄りました。
武田氏館(躑躅ヶ崎館)
2回目は、2015年6月に行きました。 今回は、要害山・熊城の後、バスの時間までの15分ほどで、さくっと見学しました。 大手周辺ゾーンは、以前に比べ整備が進み、厩跡、惣堀、土橋などが出来ていました。 また、西曲輪の虎口も、石積が復元されていました。 3回目は、2022年4月に、要害山城に行く前にさくっと回りました。 最初、西曲輪の南北2つの虎口をみました。(写真は南の虎口)天守台の石垣が、 立入禁止区域の隙間からチラッと見えました。神社で参拝してから、大手門と大手に ある石塁をみて散策を終えました。 そのあと、信玄ミュージアムにも行きました。無料部分では、武田氏館の各虎口や 要害山城の説明があり、有料部分では10分間の映像、馬の骨(複製)展示などが ありました。最後に、ミュージアムで西曲輪に井戸があることを知り、再度見に行き ました。
「要害山城」 武田氏の詰の城です。甲府駅からバスで武田神社へ向かい、そこから45分ほど上り 坂を歩くと登山口に着きます。積翠寺行きのバスもありますが、1日3本です。 1回目は、2015年6月に行きました。 主郭まではいくつもの門跡があり、また、不動曲輪(不動明王が祀られている)や 諏訪水(井戸)なども見学出来ました。主郭には「武田信玄公誕生之地の石碑」 (写真)があり、土塁で囲まれています。搦手側には、石垣が残っているところが いくつかあり、また、竪堀の補強にも石垣が使われているそうです。
要害山城
2回目は、2022年4月に行きました。 前回よりも、城の遺構の見方がわかってきたのもあり、楽しめました。竪堀や竪土塁 を見てから、2の門、不動曲輪の像、3の門、4の門、6の門の枡形、8の門と見て 主郭に到着しました。主郭の土塁は、高い所で3メートルくらいもありました。また、 要害山の標柱と信玄公誕生の地の石碑もあります。 搦め手側には、まず、大きな堀切の側面に石積があります。その先にも4つほど竪堀 が続き、土壇の側面にも石積がありました。 下山後、甲府駅前にあり続100名城スタンプの置いてある藤村記念館に行きました。 そこでは、要害山城の資料ももらえましたし、武田氏館のジオラマもありました。
「新府城」 武田勝頼が1581年に築城するも、翌年、武田氏が滅亡します。その後、天正壬午 の乱では、徳川氏が陣を置きました。新府駅から徒歩で行かれます。 1回目は、2015年7月に訪城しました。 まずは、大手丸馬出、三日月堀を見学。最初、三日月堀へどう行けばいいかわからず ウロウロしたのですが、馬出の右手から降りられました。 土塁に囲まれた本丸(写真)には、蔀(しとみ)の構えがあり、また、藤武神社が ありました。そこから、井戸跡経由で、搦手虎口へ。搦手虎口も良く残っています。     最後に、新府城の特徴である西出構えと東出構えを見学しました。出構えとは、堀に     突き出た陣地のことで、そこから鉄砲で狙ったりしたと言われていますが、諸説あり     ます。お土産は、定番の信玄餅にしました。
新府城
2回目は、2022年4月に行きました。 先に、続100名城スタンプのある韮崎市立民俗資料館に行きましたら、新府城の 資料ももらえましたし、新府城のジオラマが2つもありました。 そして、新府城です。前回ヤブだった所が、ことごとく綺麗になっていて、やはり 続100名城に選ばれると違うなー!と思いました。 大手枡形と丸馬出、三日月堀を見てから、2の丸南虎口、本丸では標柱、説明板、 神社、勝頼公霊社を見ました。それから、井戸、木橋の跡、搦め手の乾門枡形をみて 北側の城外に出ました。最後に、北側から、水堀、西出構、東出構とみて散策を終え ました。(駐車場も、自販機やトイレもあり、利用しやすくなっていました。)
「谷戸城」 2018年9月に行きました。逸見氏築城の城です。。 長坂駅から北杜市市民バス。大泉長坂線か北部巡回線でJA大泉支店下車。(両替機が ないバスもあり百円玉準備のこと。そして、降りる時は運転手さんに「降りまーす!」 と言うこと) 大手にある横堀と土塁をみてから登っていくと、二の郭と三の郭を取り巻く土塁と堀が あります。(写真)この城の面白いところは、土塁の内側に堀があるところ。虎口は、 食い違いになっています。堀の中をぐるりと一周しました。
谷戸城
そして、一の郭は土塁で囲まれています。虎口は北西と東の2ヵ所にありました。 それから、周囲の遺構も散策します。搦め手虎口には竪堀があり、また、五の郭、 南竪堀、北竪堀&空堀を見学。四の郭は低い土塁で囲まれていて、六の郭には土塁が 残ります。 最後に、北杜市考古資料館へ。土器がメインかと思いきや、城の展示も多く、谷戸城の ジオラマや出土品もありました。
「本栖城」 2018年5月にツイッターのフォロワーさん(山城入道さん、小太三郎さん、あいこ さん、トオルさん、山城くん)と行きました。 本栖湖と精進湖の間、樹海の中にある城です。上九一色中学校(廃校)の門の前に駐車 して行きましたが、河口湖駅から本栖湖周遊バスのバス停「石塁入口」で下車しても 行けるようです。 城の麓から登山を開始し、しばらくすると4重の堀切が待ちかまえます。竪堀も何本か ありました。そして、4つ目の堀切の所には石垣があり、2段ほど郭を上がるとまた 石垣が。そして説明板のある主郭に到着します。 主郭の南側にも竪堀が落ちています。主郭をさらに西へ進むと「のろし台」に着きます。 その奥には大堀切があり、さらに西に行くと2つほど堀切がありました。この辺りは ロープを使い岩盤を登るルートで大変でした。 そして、主郭の北側の郭にも広い範囲に石垣がありました。そのもう一段下の郭にも 石垣があるそうですが滑りやすいということで私は行かないで待っていました。
本栖城
山城を降りてから、城の周囲にある「謎の石塁(防塁)」(写真)を見学に行きました。 ここには、甲府と駿河を結ぶ「旧中道往還」が通っていて、城の北側には「信玄築石」 という石塁があります。城の南側にも5か所の石塁があり、どれも苔むしていますが いつまでも見ていたいような神秘的な光景でした。
「真篠城」 2018年5月にツイッターのフォロワーさん(山城入道さん、小太三郎さん、あいこ さん、トオルさん)と行きました。車で行きまして、駐車のスペースはありました。 電車ですと、身延線の井出駅から結構歩くと思います。 大手口となっている登城口から登り始めると、しばらくして坂状の土橋を通ります。 そして、右手に回り込むと主郭北側の虎口に着きます。主郭は土塁で囲まれていて 祠が2か所。枡形のような空間もありました。
真篠城
そこから先ずは南側を散策します。2段ほど郭を下りるのですが、すごい切岸になって います。2段下りたところに石垣があります。さらに堀切(鞍部)を経て、畝状阻塞が ある郭に着きます。 ここには7本の畝状阻塞(畝状竪堀)がはっきり残り、それぞれ南側に竪堀として 落ちていました。ここがこの城の一番の見所ですね。(写真では、畝を赤い線で示して みました。) 次に、主郭北西側を散策します。何段か下りた所に、坂状の土橋があり、その先は 小さい郭(馬出)になっていました。また、主郭南西側の尾根を下りていった所にも いくつかの竪堀と大きな堀切がありました。 今回は時間がなく行けませんでしたが、少し離れた仲間地区に外郭遺構(畝状阻塞)が あるそうです。
「勝沼氏館」 2018年2月に訪城しました。中央本線の勝沼ぶどう郷駅から徒歩で25分です。 内郭は、北側と東側を大きな堀と土塁で囲まれていて、南東には橋脚の石積(写真の 奥の方)があります。北西の土橋を渡ると、また小さな堀があり木橋で渡ります。
勝沼氏館
内部には、番屋、会所、主屋、水屋、蔵、雪隠の跡などがあり、水路が巡ります。 また、土塁を利用した築地塀跡や櫓台もありました。南西には、金の付着した土器が 発掘されたという工房跡もあります。 ここで、さて、帰ろうと思ったら、内郭の東側に東郭の跡も復元されているのを発見! 工房跡がいくつか、水路式&水槽式浄化施設、土塁と堀があり、さらに、家臣屋敷は ちゃんと建物が復元されていました。東郭も見逃さないように、気を付けましょうね。
「湯村山城」 2018年2月に訪城しました。甲府駅から湯村温泉方面へのバスで饅頭森下車です。 そこから湯村山への車道を登っていき、車道が途切れたら山道、最後にまた車道に 出ました。 3の郭の北から城に入ります。昔、復元狼煙台があったそうですが、撤去されました。 (説明板のみ有)3の郭には、東側の下段と上段に石積があります。そして、3の郭 と1&2の郭との間には二重堀がありました。 2の郭と1の郭との間は土塁で仕切られていて、2の郭には東屋(写真)があります。 東屋の周囲には巨石がごろごろ。そして、1の郭には井戸跡と祠(土塁の南西隅)が ありました。
湯村山城
それから、西の腰郭、南の腰郭を散策しました。すると、無数の石積を発見出来て ワクワク! 最後に、散歩コースなのか、たくさんの方が登ってくる2の郭の南東の登山道から 下りてみる事にして、後ろを振り返ると綺麗な高い石積が2つ。こっちから下りて 良かった!
「白山城」 2017年5月に、Twitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、トオルさん) と行きました。車で行きましたが、途中、動物よけのゲートを通ります。白山神社 から城攻め開始。いきなり、虎口と竪堀が現れます。二の丸の横堀、土橋、竪堀を みてから本丸へ。土塁で囲まれ枡形虎口があります。説明板もありました。(写真)
白山城
そこから三の丸へ。うっとりするような土橋と堀を越えると、ここも枡形虎口が。 さらに、北側にも堀があります。最後に、見張台に行きます。堀切を2つ越え、 細い通路のような所を恐々通ってたどり着きました。 白山城、見所たくさんで、とってもオススメの城になりました。
「武田信義館」 2017年5月に、Twitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、トオルさん) と行きました。武田家の初代当主の館です。白山城のそばに、標柱、説明板が あります。
武田信義館
また、すぐそばにある「墓が並んでいる所」が、土塁の遺構であると言われてます。
「獅子吼城」 2017年5月に、Twitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、トオルさん) と行きました。樹齢800年の大けやきのある根小屋神社に車を停めます。 今回は、北側から登りました。石がゴロゴロしていて、だんだん石積みも現れます。 主郭には、土塁、案内板、祠、不動明王石像がありました。主郭は、狼煙台としても 使われていたようです。 そこから、南側に降りていきます。石積みによる郭が何段かありました。(写真)
獅子吼城
その下には横堀もありました。横堀のところからは、竪土塁が下っていて、また、 カギ型に折れている竪土塁(石積)もありました。 そこから、でっかい竪堀3本を見ながら再度登っていきました。横堀付近まで戻る ことで、遮蔽土塁と枡形虎口も見学し、最後は、堀切をみながら南西側から 下山しました。 土塁より石垣好きの私には、思う存分、石積みがみられ、大満足の城でした。
「若神子城」 2017年5月に、Twitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、トオルさん) と行きました。北条が徳川と戦った時に陣を置いた城です。 ふるさと公園になっています。新道が出来たようで公園への入り口が分かりにくく なりました。 駐車場の所に説明板があり、進んでいくと、薬研堀の畝堀(写真)があります。 でも、埋め戻したのか、浅くなってしまっていて残念です。
若神子城
さらに、模擬の狼煙台をみてから、少し下がった大手虎口の所にある大岩、 宿借石(やどかりいし)も見ました。新羅三郎義光が突き出た岩の下で雨宿り したという伝説があります。 そして最後に、主郭の所の薮に突入することにし、土塁と堀跡を確認すること が出来ました。 また、近くの若神子北城にも行き、土塁や虎口を確認出来ました。
「御坂城」 2017年4月に、フォロワーさん(山城入道さん、ZAWAさん)と攻めました。 旧御坂峠周辺にあり、標高が1500m台と日本で一番高所にある城だそうです。 車で麓の天下茶屋のところへ。そこから、登山開始!御坂山山頂経由のアップ ダウンで、ちょうど2時間かかって、城の北東の端にある2重の堀切へ到着。 北西側の角馬出ともいわれている所の堀をみてから、ずんずん下ります。 茶屋跡、御坂天神を越え、主郭にあたるところ。何重もの堀が囲っていて、虎口 もありました。そして、写真のような巨大な三日月堀!
御坂城
そこからは、堀底を通って、竪堀もみながら、今度はずんずん登っていきます。 一番南西側には、喰違い虎口の土塁、そして堀切&土橋があり、ここが城域の端 でした。そして、もとの道を北東の城域の端まで戻りました。城内の見学には 1時間40分かかりました。 そして下山。またまたアップダウンコース!結局、1時間20分かかり天下茶屋 に戻りました。 合計で5時間にわたった城攻めの後は、天下茶屋での「ほうとう」。量も多く 美味しい!太宰治記念館もありました。 お土産は、天下茶屋で焼いている山椒味「木の実厚焼きせんべい」500円を。 御坂城、標高が高いにもかかわらず、堀の土木量が半端ない!素敵な城でした。 心残りは、雲がかかっていない富士山の写真が撮れなかったこと。がっかりです。
「岩殿城」 2015年7月に訪城しました。 大月駅から徒歩です。岩殿山という大きな岩肌がみえる山にあります。 登って行く途中で「ふれあいの館」というお城風建物があり、2階には お城に関する展示が少しあります。 さらに登っていくと、揚城戸という岩の間を通る所があります。(写真)
岩殿城
その脇に番所跡もあります。西物見台、乃木大将碑を経て、石積の亀が池、 馬洗い池にも寄り、烽火台のある本丸へ。最後に、本丸を越えた所にある 二重の堀切をみて、戻りました。
「熊城」 2015年6月に行きました。 行き方は、甲府駅から武田神社へのバスに乗り、そこから徒歩45分で要害 山城登山口です。要害山城見学後、搦手からぐるっと回って行けるのですが ネットに載っている目印の「土管」は現在なくなったそうなので、迷わない ようにお気をつけください。 道なき道を行き、最初にあったのが深さ5m以上ある堀切。「これはどう やって越えるのか?」と思案するも、迂回路などは無く、降りて登るしか なさそう・・。 そして、なんとかよじ登ったその先には、さらにもう一つ同じくらいの 深い堀切が・・・。唖然!
熊城
2つ目の堀切もなんとか越え、城の中へ。いくつかの曲輪にわかれていて 石垣、石積みがみられます。(写真) そして、畝状竪堀群が有名なこの城、滑落の危険がある中、見学をやめようか 迷ったのですが、勇気をふりしぼり、怖々斜面を降りていき、5本ほどの ウネウネを確認できました。 そして、帰りのルート、戻って2つの大堀切→要害山城経由で帰るか、尾根を そのまま降りるか迷ったのですが、後者のルートを選択。途中、岩場や後世の 石積のあるところでは、何度も滑りそうになりながらなんとか無事生還でき ました。 まとめますと、熊城は、整備された城しか経験のなかった私にとっては、命の 危険を感じたワイルドな城でした。でも、これで、未整備の城でも散策出来る 自信と度胸がつきました。 帰りに、積翠寺の信玄公産湯の井戸にも寄りました。

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