栃木県の城



        「烏山城」

        那須一族の沢村氏により築城され1590年まで那須氏の城でした。その後、江戸時代
        には城主が入れ替わり、明治を迎え廃城となりました。烏山線の烏山駅から徒歩25分
        ですが、近くまでバスもあるようです。(2024年現在、烏山線ではSuicaは使え
        ません)
        1回目は、2016年3月に行きました。
        まず、山の麓の石垣の残る三の丸を見学です。そして、七曲りを登っていくと太鼓丸
        (薮です)、車橋跡(堀切)があり、その先に一番の見所、吹貫門跡の石垣、そして本丸
        正門跡の石垣があります。崩れているところも含めなかなかの風情です。
        そして、本丸、古本丸、中城、北城とみていきます。それぞれの郭の間にも堀があり、
        また、本丸と古本丸の西側の堀は巨大です。大野曲輪をみてから中城と大野曲輪の間の
        堀底道を西城のほうへすすみました。折れのある堀です。この辺が西城だという辺りで、
        道もわかりにくくなり、迷子になりそうになりながら、なんとか正門跡石垣の前に出られ
        ました。
        その後、塩倉跡、厩跡、桜門跡をみて、十二曲りから下山しました。
        なお、駅から城に行く途中にある資料館は休館中でしたが、大手門の礎石は屋外にある
        のでみられます。(2024年現在、資料館とともに礎石は無くなっていました)


烏山城
2回目は、2024年3月に、あいこさん、まこちゃんと攻めました。 まずは、麓の三の丸石垣を見学します。そして、七曲りを登り、太鼓郭の南の堀切をみて 太鼓郭経由で車橋の堀切へ。吹貫門の石垣(写真)、そして、正門(内枡形)の石垣を 見ます。 本丸と、その北にある古本丸は、横堀で囲まれています。本丸古本丸間の堀の所から堀底 に降り、本丸西、古本丸西、古本丸北の堀を順番に見て行きました。 さらには、中城、北城、その間にある堀も見てから、北城の北側の堀には西側の堀から ぐるっと回り込んで見に行きました。そして、その北側にある2重の堀切も見られました。 その後、大野曲輪に入り、西側と東側の堀をみてから、西城に向かう堀底を歩きます。 西城では、北側の堀、そして、西側に4重になっている堀を見学します。横矢が掛って いる堀もありました。 最後に、桜門跡、厩跡、十二曲りと見て下山しました。
「森田城」 2024年3月に、あいこさん、まこちゃんと攻めました。 那須氏が築いた城で森田氏を名乗ったそうです。小塙駅から2キロ程度です。私たちは 烏山駅からタクシーを使いました。(3000円) 芳朝寺の裏から登ります。まず、大田原氏累代の墓があります。そこから、竪堀の中に 階段がついていて登っていきます。登った所は主郭南の2重堀の南側(写真)です。 北に入っていく道を進むと、主郭南の2重堀の北側もちらっと見られます。
森田城
主郭西の堀を進んで主郭に登ると、そこには説明板と東屋がありました。そこから、主郭 西の堀に戻り、時計回りに主郭の1段下をぐるっと回りました。ここからは藪漕ぎとなり ました。 主郭北の堀をみて、その北側にある2段の帯郭に降ります。うっすら土塁がありました。 さらに進むと、主郭東側に竪堀があり、さらに主郭南側まで行くと虎口がありました。 下山後に、寺のトイレの前に森田城説明板を発見し散策を終えました。
「小塙陣屋」 2024年3月に、あいこさん、まこちゃんと攻めました。 大田原氏が陣屋を構えた所で、別名:森田陣屋です。小塙駅からすぐです。 まずは、東側にある水堀跡(水路)を見学します。そして、説明板の所に着きました。 説明板の裏側には土塁(写真)があります。
小塙陣屋
また、説明板の西側の土塁の上を歩いて奥の方に行ってみました。すると、左手に水堀跡 と思われる小川があり、そのむこう側にも土塁がありました。西側から、土塁、小川、 土塁という堅固な並びになっているようです。
「犬飼城」 2024年1月に攻めました。 鶴田駅から徒歩30分です。また、上欠下というバス停からだと、もう少し歩かないで 行けます。小山氏が築城し犬飼氏も城主となりました。 城跡への矢印にしたがって路地に入っていくと、外堀の土橋の前に説明板がありました。 そこからも見学ルートの矢印があります。 主郭南の堀を見てから主郭に登ります。主郭には井戸があり、土塁も低いですが回って いました。また、北西に横矢張出が見られます。
犬飼城
主郭北東の土橋(あるいは障壁かも知れない)を渡り2郭へ進みます。2郭には虎口が あり、また井戸もありました。 次に、主郭2郭間の堀底を主郭の北側から西側にかけて歩いてみました。主郭南西の土橋 を見てから、2郭の西側部分を散策し最後に2郭西側の堀底(写真)を歩きます。 2郭西側の堀は途中で食い違っていますが、その北側部分は藪なので散策を断念。また、 2郭西側の堀は、西に向けた開口部があるのですが、そこから竪堀となって外堀まで落ち ているようでした。最後に、2郭南の堀を見て散策を終えました。
「武茂城」 2024年1月に攻めました。 西那須野駅または氏家駅からバスで南町または室町下車です。武茂氏の城です。 まず、麓の説明板と城石碑、さらに武茂氏の像も見ます。そして、静神社の階段を上がっ ていきます。神社に参拝してから神社脇の縄張図付き説明板も見ました。 神社の向かって右手から登ります。3郭は左手が高くなっています。2郭3郭間の堀切 には綺麗な土橋が架かります。 散策道は2郭の土塁の上を通っていて、最終的に主郭の北東隅にある天守櫓跡の土壇まで 繋がります。
武茂城
主郭の北側には横堀があり、さらに主郭北西にある4郭との間には堀切があります。4郭 北側の堀切と竪堀、さらには4郭西の横堀と見ていきます。このあたりが見所ですね。 4郭南の堀切(写真)も大きく、竪堀となって落ちています。主郭西側の横堀を見てから 引き返しました。 今度は、主郭北側から主郭東側、2郭東側にかけて続いていく横堀の底を歩いていきます。 縄張図で武者走りとなっているので通路なのかも知れません。 最後に、神社北西の太い竪堀を見て散策を終えました。あとから、この竪堀の北側が物見 台跡だったのを知り、見学し忘れ残念でした。 帰りに、馬頭郷土資料館に寄ったら武茂城の縄張図がありました。また、そこに乾徳寺の 山門は武茂城大手門だったと伝わっていると書かれていたので写真を撮りに行きました。
「龍階城」 2023年12月に長門さんと攻めました。 車で行ったので、公共交通機関での行き方は調べていません。城の歴史は不明のようです。 登り口はお地蔵さんのある道を入ります。左に折れ、尾根を登っていくと祠がある平地が 2段あります。そこからさらに尾根を登るとだんだん急になりますが頑張って登ります。 上がった所が、主郭西の2重堀切の所でした。ここが一番の見どころですね。さらに、 西側にはもう1つ堀切があります。
龍階城
そして、主郭の南の一段下に土塁があり、主郭への道は土橋のように狭くなっています。 続いて主郭の北側を散策しました。4つの堀切があるのですが、1つ目の堀底には大岩が あります。1つ目と2つ目の堀切の間にある郭の西側には横堀があります。写真は、2つ 目の堀切です。 最後に、主郭の東側の尾根を降りながら散策しました。主郭の東、すぐの所に堀切があり また、だらだら下がった途中にも堀切がありました。 私たちは、下山時に、この尾根の先を沢まで降りていったのですが、途中から結構大変な 目にあったので、オススメは戻って2重堀切の所から降りた方が良いと思います。
「加園城」 2023年12月に長門さんと攻めました。 新鹿沼駅からバスで加園宿下車です。渡辺右衛門尉が城主だったそうです。 2016年に駐車場が出来ました。登ると、東郭のあたりに竪堀と横堀がL字になって いる所があります。 さらに登ると主郭東の堀に出ます。南に向かい土塁上を歩き、2郭へ進みます。2郭には 神社があり、また、西側の堀に綺麗な土橋が掛かっていました。
加園城
そこから北西に進んで竪堀下に出ます。ここには石列があり、また、西郭へ続くクランク した土橋もありました。西郭には、土塁、2重の横堀と竪堀があります。 次に、竪堀を登って主郭西の堀底へ向かいます。そこから、北側の堀底(写真)へ進み、 北側の土塁がコの字になってる郭、そしてその北側にある堀切を見ます。さらに北には うっすら堀切がありました。 そこから、ぐるっと堀底を時計回りで進んで主郭の南側虎口へ。少し凹んでいるのは、2 郭との間に木橋が掛かっていたからなのでしょうか。主郭北側には5メートルくらいある 巨大な土塁があり、井戸もありました。 最後、帰り道に、東郭の一段下にある2重の横堀と土橋を見て散策を終えました。
「大塚城」 2023年12月に長門さんと攻めました。 大塚氏が築いたそうです。バスの口粟野線で終点まで行き、約4キロ歩くしかないです。 獣害防止柵が出来たので、小川沿いの入口から入る、または水道施設の階段で登るの2 ルートがあります。 ジグザグに登っていくと、まず石積がありましたが城の遺構かどうかはわかりません。 4郭があり竪堀が落ちていました。さらに、3郭には大きな土塁があります。3郭と 主郭間は堀切があり、両側に竪堀が落ちています。
大塚城
主郭に登ります。主郭の腰曲輪に水道施設があります。主郭と2郭間にも堀切(写真)が ありました。2郭の主郭側は土塁のように少し高くなっていました。また、2郭には 凹んだ所があります。 そして、2郭の先には、どでかい堀切があります。深さは10メートル位です。降りる のが大変でしたが、あとからわかったのが、左手のだいぶ手前から下りていける道があり ました。 そして、堀切の先の郭が2段になっていますが、その先にも、やはり大きな堀切があり、 そこは深すぎて降りられませんでした。 最後、水道施設まで戻ってきて施設の階段から下山しました。大塚城は有名ではないです が、凄い遺構のある城でした。
「桜町陣屋」 2023年11月に攻めました。 1699年に築城され、1823年から26年間は、二宮尊徳が居たそうです。寺内駅 から約3キロ、徒歩で行きました。月、火、木曜だけ、バスがあるようです。 まず、二宮神社を参拝。堀跡を渡り、陣屋内に入ります。陣屋は、一周堀と土塁で囲まれ ています。特に、南側には土塁による枡形があり、そこに説明板もあります。 1823年に建てられた主屋(写真)が、解体修理工事などはしていますが、現存して います。部屋の中には上がれませんが、外から各部屋の見学は出来ます。
桜町陣屋
近くには、井戸や足洗池があり、また、八幡宮跡、文庫跡、水路跡、報徳田と建物跡など いくつかの平面表示もあります。 そして、二宮尊徳資料館に向かいます。無料であり7分間の映像も見られました。とても おすすめです。 最後に、二宮尊徳墓に行きました。娘さんの墓の隣に、遺髪が納められているそうで、 二宮金次郎像もありました。
「真岡城」 2023年11月に攻めました。 真岡駅から徒歩です。1郭から3郭は真岡小学校になっていて郭間の堀は消滅しています。 芳賀氏により築城され、芳賀城とも呼ばれます。 まず、小学校の門の前にある説明板を見ました。門から西に向かうと3郭南の土塁が見ら れます。 それから、時計回りで見学しました。西側には、10メートル程、横矢張出しになって いる所があります。
真岡城
西側から北側にかけ民家があり、なかなか堀が見られないのですが、北東の駐車場の所に 「ピンクリボン」が挿してあり、そこから登ると、北側、西側の堀底(写真)に出られ 見学出来ました。 また、東側は公園になっていますが、学校に登る階段のそばに、2つの土塁の間が開き 虎口になっている所が見られます。
「真岡陣屋」 2023年11月に攻めました。 真岡駅から徒歩です。真岡城の4郭は城山公園になっていますが、江戸時代の1797年 から1868年まで真岡陣屋がありました。
真岡陣屋
北西隅に、石碑と説明板(写真)が並んでいます。西側に高まりがあり、神社が建ってい ますが、遺構であるのかはわかりません。 北側の真岡城3郭側から見ても、南側から見ても、切岸が高いです。
「桑久保城(桑窪城)」 2023年9月に攻めました。 烏山線の仁井田駅から6キロ歩きます。私は、当日、電車が遅れたため、急遽、氏家駅 からのレンタサイクルで行きました(13キロ)。桑窪秀春により築かれた、あるいは 谷口(矢口)筑前守により築かれたとの2つの説があるそうです。 まず、主郭の南側の馬出の上に、石碑と説明板がありました。そして、主郭南の土橋を 渡ります。主郭は四角形で、空堀と土塁で囲まれています。土橋の上には、櫓台(写真 左手)から横矢が掛けられています。
桑久保城
まずは、主郭の土塁の上を歩いて一周しました。北側にも虎口があり、その脇にも櫓台が あります。そこには、現在は祠がありました。 次に、堀底を一周歩きました。主郭の北側には、もう1つ郭があり、その北には、堀切が あって、両側に竪堀となり落ちていました。 桑久保城のある高根沢町にはバスがなく、公共交通機関ではとても行きにくい城なのです が、オススメ出来るとても良い城でした。
「勝山城」 氏家氏が築城し、芳賀氏の城でもありました。氏家駅から2キロくらいなので歩いて行け ます。 1回目は、2016年7月にフォロワーさん(清さん、じゅんこモンさん、トオルさん) と行きました。 本丸は大きな堀と土塁で囲まれています。東側の大手は、橋脚跡4つが見つかり、そこに 橋を復元しています。(写真)すぐそばには、櫓台の跡が出っ張っていて横矢を掛けて います。 鬼怒川に面した西側は、入隅になっていて搦手の虎口があります。二の丸南郭と二の丸 東郭の間には土塁があり、また、二の丸東郭にあるミュージアムでカラーのパンフレット が頂けます。あと、お城とは関係ないのですが、移築された長屋門があります。
勝山城
2回目は、2023年9月に攻めました。 まず、主郭の南側にレンタサイクルを停め、2の丸東郭の南側の土塁と堀を見ました。 2の丸東郭と南郭間には土塁が残ります。 それから、主郭へ向かいました。主郭は堀と土塁で四角形に囲まれています。大手の橋を 渡ります。向かって右手の櫓台から、橋に横矢が掛かっていました。主郭の土塁上を ぐるっと歩いてから、堀底も一周してみました。主郭南西に搦手虎口があり、その近くに 説明板がありました。 続いて、2の丸北郭も見ました。その北側にも空堀が残っています。最後に、その空堀の 北側にある「長屋門」と「板倉」(いずれも城には関係無し)を見て、散策を終えました。
「神鳥谷曲輪」 2023年9月に攻めました。 「ひととのや」と読むようです。小山駅から徒歩です。13世紀後半から14世紀終の 小山氏居館跡です。 線路の東側に土塁(写真)が80メートルくらい残ります。昔は「曲輪跡」という石碑が あったのですが撤去されています。
神鳥谷曲輪
土塁は、西側の月極駐車場に回り込むと良く見られます。一部の土塁が駐車場拡張の為か 破壊されているので、無くなる前に見に行かれることをオススメします。 次に、線路の西側に向かいます。ここには、神鳥谷曲輪の説明板があります。こちら側 には遺構は無いようです。
「沢村城」 2023年4月に攻めました。 沢村氏の城です。野崎駅から4キロ(徒歩50分)で、バスは無いようです。 湯泉神社から入りました。神社の石垣にある黒い説明板に城のことが書いてあるので、 お見逃しなく。 まずは、主郭西側の2重堀外側があります。そこから、左手の方から、馬出のような郭を 回り込む感じで、主郭西側2重堀内側の土橋前に出ます。 土橋を渡り、坂虎口を登ると主郭です。主郭には、東側に土塁が連なり一番高い部分は 櫓台になっています。
沢村城
次に、土橋まで戻り、堀を南側に進みました。主郭と2郭の間の堀、そして、2郭西の堀、 2郭と3郭の間の堀と見ていきました。2郭も3郭も、何故か主郭寄りの北側に土塁が あり、「普通、土塁は南側に作るよな」と疑問に感じました。3郭南にも結構大きな堀が ありました。 主郭前まで戻ってきて、今度は北2郭の西側の堀を行きます。そこから、北2郭と北3郭 間の堀(写真)や北3郭西の堀を見て、最後に沢観音寺の墓地の所に出て来ましたので 散策を終えました。
「山田城」(矢板市) 2023年4月に攻めました。 山田氏の城です。野崎駅から4キロで、バスは無いようです。住宅の間の細い路地から入 れます。(36.8409538, 139.9318133) お墓があったら、右手の土塁を越えます。そこには、主郭南のどでかい空堀があります。 西に進むと右に折れ、主郭西の空堀(写真)となります。この辺りは、堀の深さが4〜6 メートルもあり凄い土木量です。 この空堀の外側には、大堀切があります。大堀切に行くのも、4メートル登り6メートル 降りるので、ヘトヘトになります。
山田城(矢板市)
戻ってきまして、主郭と2郭の間の堀へ向かいます。そこから、主郭に登るのに北東に ある虎口の方から行きましたが、結構な藪漕ぎでした。 主郭内は、井戸かもしれない穴、西から南にかけての高さ2メートルの土塁があり、北西 隅の出っ張りは、主郭2郭間の堀に横矢を掛けていました。 次に、2郭も散策します。2郭北側の土塁には虎口があり、その先には土橋付堀切から 大きな竪堀が落ちていました。 山田城は、それ程有名ではないですが、デカい堀を見たい人には超オススメの、期待を 上回るお城でした。
「諏訪山城」 2023年1月に攻めました。 平野氏によって築かれたそうです。楡木駅から徒歩で5キロです。(但し、途中に山越え あり)又は、樅山駅からバスで久野丁字路下車、徒歩3キロです。 無量寿院の脇の階段を登ります。竪堀があり、さらに、北西に伸びる長い堀を登っていき ます。登った所から少し北に行くと、堀切と竪堀があり、また、東側に北に伸びる横堀が あります。虎口もありました。
諏訪山城
次に、7郭の所から北西に道を下り登ると「3つの畝状障壁がある岩盤堀切」(写真)が ありました。ここは見逃しがちですが、私の中では一番の見所でした。 それから、ジグザグに連続虎口を登っていき、3郭の巨大な竪堀を見ます。2郭と主郭の 間の堀切、主郭の北側の尾根にある堀切を見て散策を終えました。
「諏訪山北城」 2023年1月に攻めました。 「栃木県の中世城郭」管理人さんが2015年に発見した城です。諏訪山城から行きます。 (諏訪山城への行き方は諏訪山城をご参照下さい)ただ、尾根が繋がっていなくて非常に わかりにくいです。具体的には、諏訪山城方面への尾根を行くと、東側と北側に尾根が 急斜面で降りています。しかし、そのどちらも北城に繋がった尾根ではなく、北東にある 鞍部に回り込んで降りる必要があります。そこから北の尾根に登って行ければ、あとは 道なりです。
諏訪山北城
尾根の途中に小堀切があります。北城に到着して、まずは右の2重堀切を見ます。そして 今度は左側に降りていき、2重堀切とそこから伸びる2つの折れがある横堀(写真)を 見ました。 そこから枡形虎口を経て進んで行くと、2郭手前にも、やはり2つの折れがある横堀が あります。また、高くなっている物見台の所にも堀切があります。 2郭からは北西にいくつかの郭が連なり下がっていきます。水の手がある6郭のあたりの 南側の尾根の所に、尾根に沿って2重の竪堀があるのは必見です。 2郭に戻って主郭に登っていきます。主郭手前に、うっすらですが土橋と竪堀があります。 主郭を散策後、主郭から北西の尾根を進んだ先にある堀切を見て散策を終えました。
「鹿沼城」 2022年9月に攻めました。 鹿沼氏、壬生氏の城で、御殿山公園になっています。新鹿沼駅から歩きましたが、バスも 近くまであります。 主郭は野球グラウンドで、周りを土塁が囲みます。その南東に説明板と城跡碑(令和3年 完成)があります。主郭の西側には大夫殿曲輪という郭があり、忠霊塔が立ち、土塁で 囲まれています。
鹿沼城
そして、主郭の西側に2重に堀があります。内側の堀は藪で覆われ、また、降りられそう にないので堀底は断念しました。一方、外側の堀は弓道場の所から堀底に入れました。 (写真) 最後に、障子堀の現地説明会に参加しました。水堀で幅9m、深さ2mだそうですが、 当時はもっと深かったそうです。
「千手山城」 2022年9月に攻めました。 現在は千手山公園です。壬生氏の城だと思われます。鹿沼城の説明会では、鹿沼城の一城 別郭の一つだという説明でした。新鹿沼駅から歩きましたが、1キロくらいの所までバス もあります。 まず、千手観音堂を訪れました。お堂も、仁王門の仁王像も江戸時代からあるようです。
千手山城
そして、可愛い観覧車のある遊園地を通り、主郭方面へ進みます。雷電神社鳥居の所を 入ると、3段の郭があります。一番上が主郭で、遊具がありました。 主郭の西側に、南に落ちていく2本の竪堀があります。それが途中から3本に分かれます。 写真は、3本のうち、一番東側の竪堀です。 さらに、主郭の北側にも空堀があり、途中から東に向けて竪堀として落ちています。
「粕尾城」 2022年7月に攻めました。 小山義政公最後の城です。鹿沼市コミュニティバスの口粟野線で口粟野車庫から徒歩で 8キロです。 まず、森公民館の小屋にある説明書きと縄張図を撮影。登っていくと大手口があります。 大手口には、舘の泉という水が涌き出ている所がありました。 右周りで見学していきます。空堀跡は最初藪でしたが、藪の無い所もありました(写真)。 少し行くと、空堀に折れがある所があり、そこに櫓跡がありました。もう少し進むと堀切 が2つあり、その先が本丸でした。
粕尾城
本丸の標柱は壊れてしまっていたので、立て掛けて写真を撮りました。物見跡には祠が ありました。2の丸土塁をみてから、城の北東側の空堀をみて、散策を終えました。 この城は、夏場はヒル注意です! (おまけ) 城攻めの前に、小山芳姫御堂に寄りました。小山芳姫は、夫のいる粕尾城に向かう途中、 乾飯の袋を宝の袋と間違われ、案内役に殺されてしまったそうです。
「粟野城」 2022年7月に攻めました。 平野氏が築城したなど諸説あるそうで、また、佐野氏と皆川氏により激しい攻防戦が繰り 広げられた城だそうです。鹿沼市コミュニティバスの口粟野線で上仲町下車です。現在は 城山公園です。 まず、駐車場の所にある竪堀、土塁を見て、それから、忠霊碑の所の堀切、石垣(写真) 井戸を見ました。
粟野城
そこから、ずんずん山を登ります。本丸に到着し、さらに上にもう1段登ると、尾根の所 に、のろし台、石垣、城山石碑、防空監視哨(物見櫓跡)がありました。 下山を開始します。まず、土橋付き堀切があり、続いて、2重の塔、女二城、5重の塔、 斎藤氏の墓と順に見ながら下りて行きました。最後に、城山スカイローラーというロング な滑り台に向かいます。滑り出す所が模擬天守になっていて、滑ってみると思いの外に スピードが出てお尻がアチッとなりました。
「御前城」 2022年7月に攻めました。 氏家駅から徒歩です。氏家氏の城で、現在は氏家小学校になっています。小学校の中には 東側の門から入りました。北東隅に向かいます。
御前城
結構高い土塁がL字型に残っており、その前に説明板がありました(写真)。あとから 気づいたのですが、土塁東側の水路は水堀跡ではないでしょうか。
「喜連川陣屋」 2022年7月に攻めました。 氏家駅からレンタサイクルで行きました。(さくらテラス情報館、3時間500円)他に 無料の観光用バス、路線バスもあります。 江戸時代を通して喜連川氏が治めました。現在はさくら市喜連川庁舎です。
喜連川陣屋
模擬の大手門(写真)が建っています。金色の鯱が眩しいです。裏側に説明板が貼って あります。3キロ離れた民家に、裏門が現存移築されていたのですが、火災で消失して しまったようです。
「倉ヶ崎城」 2022年7月に攻めました。 氏家駅からレンタサイクルで行きました。他に、無料の観光用バス、路線バスもあります。 塩谷氏の城で、別名は大蔵ヶ崎城、喜連川城です。現在はお丸山公園です。 登って行くと、本丸に着きました。大きな本丸の堀切(写真)を赤い橋の上から見下ろし ます。そして、2の丸です。南側の方に登っていったのですが、行き止まりで、橋が撤去 されたようです。景色は良かったです。
倉ヶ崎城
2の丸の堀切を見てから、3の丸に入ります。3の丸には堀切沿いに土塁も残り、3の丸 と外郭間の堀切には折れがありました。その堀切に架かる赤い「大蔵ヶ崎橋」の脇に 説明板があり、お城の事が書いてありました。 外郭にはスカイタワーがありますが、東日本大震災で被災し、採算も悪いことから営業 中止したそうです。残念。戻る時には、本丸堀切を橋の下から見ながら帰りました。
「上三川城」 2022年7月に攻めました。 「かみのかわ」と読みます。石橋駅から、真岡車庫行きのバスで、上三川車庫前下車です。 横田氏により築城され、今泉氏も入ったそうです。現在は本丸が城址公園として整備され ています。 本丸は東西80メートル、南北100メートルくらいの方形で、周りを土塁と水堀で囲ま れています。虎口は、南、東、西の3ヶ所です。土塁は、外側から約5メートル、内側 からでも3メートルと高さがあります。
上三川城
南の虎口には模擬ではありますが巨大な石で積まれた石垣があります。(写真が石垣と 水堀)また、西と東の虎口には門があります。土塁の上には散策路があり歩くことが出来 ました。南西隅の土塁上に大きな空間があるので、櫓があったと推測されます。本丸内に 銀明水という井戸跡もありました。 最後に、水堀に沿って遊歩道をぐるっと歩きました。水堀に折れのある所が、北、東、南 にありました。この水堀には「片目のどじょう」伝説があるそうです。興味がある方は 調べてみてください。
「長福城」 2022年7月に攻めました。 小山駅から徒歩です。小山氏の城で祇園城と鷲城の中間にありました。やはた公園に、 「史跡・長福城跡」の石碑があります。そして、その北側の藪の中に土塁と堀があるとの 事で散策に向かいます。
長福城
堀は良くわからなかったのですが、土塁(写真)は良くわかり2回折れが入っていました。 (南→北、東→西、南→北)現在、発掘調査中なのか、土塁と堀を横断してトレンチが 入っていました。土塁と堀の東側、グラウンドに近い所にもう1つ土塁のような高まりが あります。それも土塁ならば、2重土塁なのかな?と思いました。
「小山御殿」 2022年7月に攻めました。 小山駅から徒歩です。小山評定があった所で、江戸時代には堀と2重の土塁で囲まれて いたことが発掘調査でわかりました。
小山御殿
現在、小山市役所北側の小山御殿広場に、小山御殿の説明板が立ち、内側の土塁跡が平面 に描かれています。また、遺構かどうかはわかりませんが、外側の土塁があった場所は 切岸になっています(写真)。さらに、市役所の南側には、「史跡・小山評定跡」の石碑 があります。
「村上城」 2021年12月に行きました。 村上氏の城で50年間居城したそうです。市塙駅から徒歩40分でした。途中、村上城跡 の大きな看板が山の中腹に見られます。 観音堂の下に城跡の石碑があります。観音堂には千手観音(御前立)があり、人が近づく と電灯が付き見やすくて良かったです。 観音堂の左手の大手口から主郭に向かいます。説明板があり、少し行くと主郭南の堀が ありました。階段を上がると枡形です。土塁と神社がありました。
村上城
さらに主郭に上がります。主郭は三角形で、北側に祠(城山権現)があり(写真)、高さ 2メートルの土塁で囲まれていました。 土塁の上を散策してから、主郭回りの堀を歩きました。南西の辺りは折れを伴った堀です。 北側、東側の堀を歩いてから、2郭の堀に向かいました。 2郭の堀を北に向かいましたが藪により50メートルで撤退せざるをえなくて、さらに 3郭の堀も同じく藪と倒木により70メートルで撤退となりました。 村上城、期待以上に大きな堀でワクワク出来た城でした。
「中村城」 2021年12月に行きました。 寺内駅から徒歩35分でした。中村氏の城です。南北約200メートル、東西150メー トルの方形で、現在は、遍照寺になっています。 まず、遍照寺入り口にある中村城跡石碑と説明板(写真)をみてから、南側の堀を見学 しました。
中村城
そして、遍照寺を参拝したあと、東側の堀をみて、北側の2重堀と2重土塁を見に行きま した。ここが見所で、土塁は外側が高さ2メートル、内側が4メートルと内側が高いです。 最後に、西側の堀をみて散策を終えました。
「猪倉城」 2021年8月に行きました。 日光線の下野大沢駅から徒歩で行きました。(約3キロ)鹿沼氏の城です。 泉福寺から登ります。まず、たどり着いたのがL字の土塁がある桝形です。そして、主郭 の腰郭には「猪倉城ここにありき」の石碑がありました。主郭は、土塁で囲まれた三角形 の郭で、説明板(写真)、祠がありました。鳥居は壊れてしまっていました。
猪倉城
次に向かったのは、南西の出郭です。出郭と主郭の間には、綺麗な堀切がありました。 出郭には「ヒ」のいう字のように3方向に分かれる土塁があります。北西には、うっすら ですが2つの堀切、南には2つの竪堀を確認出来ました。 そして、主郭の東の尾根を散策しました。途中、とても綺麗な堀切があります。先端には カーブした横堀と、それに続く竪堀がありました。 その次に向かったのが、北の出郭でした。途中、堀切が2つありました。最後に2郭を 見て、散策を終えました。猪倉城、なかなか楽しめる城でした。
「板橋城」 2021年8月に行きました。 日光線の下野大沢駅から徒歩で行けます。(約1キロ)遊城坊綱清が築城し、その後、 東京から来た板橋氏の城になったそうです。 登城口には説明板があります。そこから階段を登り鉄塔に出ます。右折して進み、さらに 登ると、羽黒山神社と愛宕神社の祠がある所に着きます。 ここから、さらに登ると細長い2郭に到着です。2郭と主郭の間には堀切がありました。 主郭には、あずまや(写真)、説明板があって景色も良いです。
板橋城
主郭の下に2つ「石積」があるとの事で探すことにしました。1つは、3郭に降りていく 道の途中、急斜面をこわごわ進むとありました。もう1つも、3郭から林道に入り、下 から直登しました。この2つの石積は訪れていない人が多そうなので、案内板があると 良いのに!と思います。最後に、3郭先端にある2つの竪堀をみて散策を終えました。 また、登城口から道を挟んだ所に「板橋将監の供養塔」があります。私は、なんか墓が あるなと思ったのですが、ちゃんと見ませんでした。
「児山城」 2021年7月に攻めました。 宇都宮線の石橋駅から徒歩です。児山氏が築城した城で、輪郭式になっています。 先に、近くの華蔵寺に寄り、城跡碑と児山城主供養塔をみました。城に着くと、整備して くれているおじ様方がテントにいて、発掘調査資料を頂けました。嬉しいです。
児山城
主郭の周りは、四角く土塁と堀で囲まれており、南西に土橋(虎口)があります。(写真 は、堀の南東隅を撮影)土塁の高さは内側から3メートルです。ちょうど山ユリが咲く 季節に行ったので、1本だけですが主郭内部に咲いていました。 次に、堀の周りを一周します。雨が多いので、半分水堀でした。土塁の上を歩いて楽しん でから、最後に2郭の堀に行きました。東側と南側に残っています。
「箕輪城」 2021年7月に攻めました。 宇都宮線の自治医大駅から徒歩です。小山氏が築いたとも壬生氏が築いたとも言われて いるそうです。 磐裂根裂神社と説明板がある主郭は方形で、その周りを北、西、南とコの字に土塁と堀が 囲んでいます。東側は、川が自然の要害となっていました。
箕輪城
土塁は、高さが内側から2メートル、外側から5メートル以上と大きいです。堀も、特に 北側(写真)が良く残っていました。 続いて、主郭の南に広がる2郭の南側の堀に行ってみました。私有地なので立入禁止なの ですが、両端から写真を撮ることは出来ました。
「宇都野城(鳩ヶ森城)」 2020年9月に訪城しました。西那須野駅からレンタサイクルを利用しました。 (観光自転車を駐輪場で借りられます、無料)また、近くに「ゆーバス」とか「ゆータク」 という停留所があるので、それらでも行けるかもしれません。別名を鳩ヶ森城といい、 山本氏の城で連郭式です。 まずは、登城口から登っていくと、土塁に囲まれた2郭に着きます。時期が悪いのかも しれないですが、土塁は植物で覆われていました。その北側には、土塁で方形に囲われた 枡形とも武器庫とも言われる所があるのですが、ここも土塁が植物に覆われ良くわかりま せんでした。
宇都野城(鳩ヶ森城)
そして、2郭と主郭の間の堀切(写真)を見てから、主郭に入りました。主郭も土塁に 囲われているのですが、やはり植物に覆われてしまって写真映えしません。北東隅に2つ の神社が建っていました。 次に、主郭と3郭の間の堀切に進みます。3郭東側には枡形状の地形がありました。 3郭から4郭の間にも堀切があります。そして、4郭と5郭の間の堀切をみて、一番奥の 5郭北側の堀切までたどり着きました。この5郭北側の堀切は、深さ10数m、幅20m もある凄いもので、降りていけませんでした。 戻る時に、4郭東側の腰郭にある祠を見て散策を終えました。
「真木城(野沢城)」 2020年9月に訪城しました。西那須野駅からレンタサイクルを利用しました。大館氏 の城で、今は箒根神社です。別名は野沢城です。 神社の階段の登り口に、説明板と石碑がありました。およそ20m階段を登ると主郭です。 神社に参拝してから奥に進むと、主郭西側の土塁、そして主郭と2郭間の堀(写真)が あります。ここが見所ですね。
真木城(野沢城)
そして、2郭は広いのですが、特に何もありません。この城の南側は野沢川が流れていて 天然の要害となっています。そして、北側も、自然地形の沢なのか堀なのかわからないの ですが大きく落ち込んでいて攻め込むのは容易でありません。
「宇都宮城」 JRまたは東武宇都宮駅から徒歩ですが、バスもあると思います。 12世紀から戦国までは宇都宮氏の城でした。その後、江戸時代は、奥平氏、戸田氏など が入り、「釣天井事件」で知られる本多正純も城主でした。 1回目は、2013年5月に訪城しました。 本丸土塁の一部と富士見櫓、清明台の2つの櫓が復元されています。櫓の1階部分には 入ることが出来、さらに毎月第3日曜日の11時から2時のみ2階にも上がれます。 また、展示施設に古地図や模型がありました。 近くにある「来らっせ」という所で、みんみん、めんめん、幸楽の宇都宮餃子を食べ比べ しました。私の好みはめんめん。そして、二荒山神社にも寄りました。あと、栃木名物の レモン牛乳も飲んでみました。
宇都宮城
2回目は、2020年9月に訪城しました。2回目なので、前回行っていない所に行きま した。 まず、3の丸現存土塁に行きました。ここは、大いちょうがあるために現存しています。 次に、松ヶ峰門跡そばの現存土塁に行きました。フェンスごしで、とても見えにくいの ですが、たしかに残っていました。 そして、次に行ったのが、2の丸の堀と土塁跡です。ここは発掘で堀・土塁が出ましたが、 今は埋め戻され、説明板だけがあります。 そして、本丸に到着。復元の清明台(写真)、富士見櫓を写真におさめてから、南の方に ある「2の丸と3の丸の間の土橋石垣の復元展示」に行きました。本物の石垣は、地下に 埋め戻されているそうです。 それから、復元土塁の中にある「ものしり館」でジオラマや発掘された瓦を見てから、 清明台と富士見櫓の中に入り、最後に清水門跡を見学しました。ものしり館や2つの櫓は、 夜7時まで開いているのが良心的ですね。 帰りに、宇都宮駅の駅ビルにある宇都宮餃子館にて、8種類食べ比べセット(850円) を食べました。 (おまけ) 川口市・錫杖寺の山門(御成門)は、明治41年に宇都宮城の資材を移し再建した門です。 2019年2月に訪れました。門扉や柱には、戊辰戦争での弾痕や刀傷が見られました。 また、この寺には、江戸城大奥の瀧山の墓もあります。
「芦野城(芦野氏陣屋)」 2020年8月に行きました。 芦野氏の城で、陣屋でもありました。黒田原駅からのバスで、バス停・芦野仲町下車です。 城への道で、武家屋敷門を見つけました。城に到着し、坂を上がると、広い二の丸があり ます。ここには御殿があったそうです。裏門跡、西側の土塁、表門跡、東側の土塁と見学 しました。 次に、二の丸からさらに一段高い所にある1から3郭を散策します。3郭には、樹齢五百 年の天然記念物こうやまきがあります。2郭3郭間の堀切は大きいです。
芦野城(芦野氏陣屋)
2郭に池跡があり、1郭2郭間の堀切(写真)をみてから1郭へ。さらには堀切を挟んで 北郭も見学しました。最後に、3郭4郭間の堀切を見忘れていたので見に行きました。 この堀切と4郭は藪でした。 芦野城、夏なのに、とても整備されている城跡で、好感を持ちました。 (おまけ) 城から南に500メートルくらいの民家に「芦野氏陣屋裏門」が移築されていますので、 それもお見逃しなく。
「伊王野城」 2020年8月に行きました。 伊王野氏の城です。別名は霞ヶ城です。黒田原駅からのバスで、バス停・伊王野小学校前 で下車すると、南の登城口に近いです。また、伊王野車庫前で下車すると、西の登城口に 近いです。さらに、黒磯駅からの那須町営バスも近くまで来ています。 南の登城口から登ると、途中に石碑2つと説明板があります。一方、西から登ると駐車場 があり、そこに説明板があります。
伊王野城
3の丸は、土塁で囲まれていて、あずまや、弘法大師像があります。2の丸は神社があり その西側に横堀がありました。また、一段高い所(櫓台)に祠があります。 2の丸と本丸間の堀切(写真)は大きいです。本丸には、土塁がありました。本丸から 北郭に行くのに堀切が深すぎて降りられず、一旦戻って、本丸の東側横堀経由でアタック しました。 本丸と北郭間の堀切をみて、さらに北郭も東側横堀から回り込み、北1郭北側のの堀切と 土塁、そして、北2郭北側の堀切と土塁を見学出来ました。北郭は、藪も凄いし途中の道 も危険で上級者コースです。
「伊王野氏居館」 2020年8月に行きました。 伊王野氏が、1487年に山城に入るまでの約300年間、さらには、江戸時代の6年間 住んでいたようです。黒田原駅からのバスで、バス停・伊王野小学校前下車です。
伊王野氏居館
方形の館だったようで、現在は伊王野小学校が建っていますが廃校になっています。 北西隅から北側に土塁(写真)が残っています。北西隅の土塁上に石碑があり、また、 校門の左脇に説明板があります。
「真名子城(赤壁城)」 2019年11月に行きました。宇都宮忠綱の子、岡本元綱により築かれたそうです。 東武金崎駅から、ふれあいバスで、根子屋集落センター前下車です。まずは、堀切を3つ 越えます。3番目はわかりにくかったです。ピークを越えて、次に、半円形の堀切を 見ます。これは綺麗でした。そして、主郭は何段かの帯曲輪を伴っていて、説明板と祠が ありました。
真名子城(赤壁城)
そこからは、道なき道を行きました。主郭から北にのびる尾根には堀切が3つありました。 尾根の右手はゴルフ場で、ゴルフをしている人が見えました。 そして、主郭の西にのびる尾根の2つの堀切も確認しましたが、藪で写真は上手く撮れ ません。主郭に戻って、南西の尾根を目指しました。 尾根の途中で谷に下りて石切場を発見出来ました。さらに尾根に戻って進むと、2重堀切 がありました。これが巨大で、城一番の見所だと思います。(写真)竪堀となって落ちて いきます。散策時間は1時間40分ほど、なかなか楽しめる城でした。
「下南摩城(滝尾山城)」 2019年11月に行きました。南摩十郎秀村により築かれたそうです。 樅山駅からコミュニティバスのJA南摩支店前で下車、すぐです。麓の城と山頂の城、 大きく分けて2つの部分から成る城です。 登城口は招魂社で、左側から上ります。途中、堀を見ながら登ると、北、東、南の3方を 土塁で囲まれた主郭(麓の城)にたどり着きました。主郭の北側には、この城での見所、 4重堀切があります。 1つ目が一番大きいです(写真)。2つ目は折れがあり技巧的な堀でした。3つ目は竪堀 となり、そのまま主郭西の横堀と繋がっています。そして、その横堀の西にも郭があり、 その郭の北にも折れを伴う空堀がありました。 尾根まで戻って、4つ目の堀切を越えると、しばらく登りが続きます。
下南摩城(滝尾山城)
喰違いの虎口を越えると主郭(山頂部)です。ここには説明板があります。主郭の北西、 一段降りた所が2郭です。ここには横堀があり、そこから、さらにもう一段降りた所にも 横堀があります。この横堀は竪堀となり落ちていきます。そして、わかりにくい所ですが 2郭下の斜面に石積がありました。 次に、主郭の東、3郭と4郭に向かいます。3郭北には土塁、3郭の北東下には鏡岩が ありました。そして、4郭の南の横堀もなかなか良かったです。 その後、登城口まで戻ってきて、1時間40分の散策を終えました。
「唐沢山城」 佐野氏の城です。現在は本丸が唐沢山神社になっています。遺構は山全体に広がります。 東武佐野線の田沼駅から徒歩45分です。また、山の麓近くまで、田沼駅や佐野市駅から バスがありますが、本数は少ないです。 1回目は、2012年11月に訪城しました。本丸下石垣(写真)や南城下石垣は見応え があり、また、四つ目堀などの深い空堀もありました。 直径8mの大きな井戸(大炊井)、そして天気が良ければスカイツリーまで見渡せる絶景 の天狗岩もありました。 そして、2016年2月の2回目の訪城では、9人という大人数。それも全員が再訪で した。(ままおさん、ふみさん、じゅんこモンさん、トオルさん、山城君、清之介さん、 山城さん、てぃーえーさん) 今回の収穫は、1回目に見逃した「南城のさらに南側の郭」をみられたのと、北城の 二重竪堀を確認できたことです。下山後に、しまだやで佐野ラーメンと大きな餃子を頂き そのあと、犬伏別れの地(新町薬師堂)にも行きました。
唐沢山城
3回目は、2019年11月に行きました。今回は、今まで行ってない遺構中心です。 まずは、土矢倉の石垣をみます。結構急斜面もあり、上級者コースでしたが、6ヶ所程 石垣を見ることが出来ました。 次に、天狗岩、枡形、大炊の井、高石垣と定番コース。社務所にて続100名城スタンプ を押してから、神社参拝しました。2の丸との間の鏡石をみてから、南郭下石垣をみて、 ここから南郭南東の道を降ります。堀切を越えて進んでいくと、折れを伴う堀切が出現。 でかいです。ここで、春風亭昇太師匠と千田先生がたまたま出会ったという遺構! そして、その先に、竪堀2つとL字空堀に囲まれた「コの字型の土橋」があります。ここ も技巧的で凄いです。 戻ってきまして、車井戸、そして2重竪堀をみました。2重竪堀にいた時、北郭南東に 畝状竪堀群があることを、持参した縄張図でみつけました。竪堀群には、2重竪堀途中 から道があり、見学することが出来ました。 次に、北郭北東の石垣に向かいました。鳩の峰から堀切を一つ越え、次の堀切の辺りです が、これがなかなか見つからず、諦めかけた時に見つかりました。見つからなかったのは、 一つ堀切を見逃して、違う堀切を探していたせいでした。 最後の遺構は権現堂方面の岩盤堀切です。途中、鏡岩を経由するルートで見学出来ました。 帰りに、登山道を下山していて、両側に、竪堀、そして巨大竪堀があることに気づき見学 しました。 今回は唐沢山城の中でも普通の人が行かない遺構を沢山見られて満足でした。
「岡本城」 2019年10月に行きました。岡本氏の城です。岡本駅から徒歩20分です。また、 1日3本くらいですが和久行きのバスでも行けます。さらには、岡本駅の自転車置場に レンタサイクルもありました。 5重あるいは3重のL字型の堀で囲まれていた梯郭式の城でしたが、今は主郭のみが 残っています。
岡本城
まず、主郭から少し離れた所にある茶色の説明板、そして、主郭のそばにある絵入りの 説明板をみました。主郭の西側の堀をみてから、南側の堀にある土橋を渡ります。 主郭の南側の土塁は高く、土塁上も歩いてみました。主郭の内部には浅い堀状のものが ありますが、何なのでしょうね。 主郭の北側から下を見下ろすと、崖の下に横堀がありました。そして、この城、一番の 見所は、主郭の南東にある折れのある堀と土塁です。(写真)深い堀底を歩くことが 出来ました。 それから、稲荷神社の参道となっている2郭と3郭の間の堀をみて、また、一番外側の堀 と推定される、小学校の北側の道も見学し、散策を終えました。
「御前原城」 2019年10月に行きました。塩谷氏の城です。矢板駅から徒歩30分。また、矢板 市営バス(安沢線、中央環状線)のバス停からも近いですが、本数は無く、日曜祝日は 運休のようです。 主郭の周りにいくつも郭がある城だったようですが、現在は主郭部分だけしか残っていま せん。主郭は正方形で、堀と土塁で囲まれています。 まずは、北の虎口にある石碑をみて、土橋を渡ると正面に説明板がありました。そのそば には地蔵尊がありますが、その辺りが庭園跡になり池跡があります。また、庭園跡の南側 には、低い仕切り土塁もありました。
御前原城
ここからは、南の虎口から土塁の上を反時計回りに一周します。南の堀は、数日前の台風 で水堀になっていました。東の堀から北の堀、西の虎口と回って、途中は堀底にも何度か 降りてみました。(写真は、南西の隅部) 最後に、正方形の主郭に対して南側にはみ出している「南の虎口部分」に行きました。 ここは、両袖に土塁があり、主郭側にも土塁、その土塁の前に折れを伴った堀があるよう にみえました。
「西方城」 2019年4月に行きました。宇都宮氏の一族、西方景泰が築城したという説もあるそう です。東武金崎駅から徒歩、又はバス(工業団地東交差点下車)です。 長徳寺の前に城の説明板があり、その先から登ります。ずんずん登っていくと、屈曲の ある竪堀に出ます。竪堀を登ると、馬出(北の堡塁)があり、堀底を通る敵を狙い打ち するそうです。 北の丸には、西側に土塁がありました。そこから4郭に進む辺りは虎口に折れがあります。 3郭へは堀切と土橋があり、3郭から2郭は城で一番大きな堀切と土橋があります。2郭 虎口の土塁は高く、2郭からの眺めも良いです。
西方城
主郭(写真)は全周土塁で囲まれ、櫓台の所に神社がありました。主郭の南側は、横矢 とかかれた所で、東側一段下の桝形を狙い打ちするそうです。その桝形と南の丸の間には 土塁、堀があり、土塁上には祠がありました。また、横矢の西側の曲輪にも、堀、土塁、 桝形虎口がありました。 南の丸には土塁があり、一段下には武者溜まりがありました。次に向かうは、水の手 (井戸跡)です。ここは四角く土塁で囲まれていましたが、この土塁だけに石積があり ました。やはり水の手は重要なのでしょう。 それから、東の丸手前の連続桝形、東の丸の東側の桝形状の所をみて、最後に水の手の 東側の崖を降りた所の堀と土塁をみて、2時間半の散策を終えました。
「二条城」(栃木県) 2019年4月に行きました。江戸時代に入り、藤田能登守信吉が築城したと言われて います。東武金崎駅から徒歩、又はバスです。 行き方がわかりにくいのですが、八坂神社から西に進み、東北自動車道をくぐる所は 猪用防護柵をまたぎます。開山不動尊にお参りしてから、その後ろの竪堀を登ります。 右手に回っていくと、主郭の切岸と主郭東側の大土塁の間の郭に出ました。
二条城
主郭は正方形で、一周、土塁が回っているのですが、中は藪なので、土塁の上だけ かろうじて歩けます。その土塁の内側、外側に、所々石積(写真)があり、テンション がアップしました。 最後に、主郭南西の2重堀切をみにいきました。写真も撮れない程の凄い藪でしたが、 なんとか目視で確認。さらに、外側の堀切の北側に落ちる竪堀が綺麗にみられました。 (ここだけは藪でなかったです)
「壬生城」 2019年4月に行きました。壬生氏の城で、壬生駅から徒歩です。 まず、東郭櫓台跡へ。住宅地の中なのに、四角く櫓台跡が残っていて説明板もあります。 2の丸と本丸は、壬生町城址公園です。模擬ですが、2の丸表門はかっこいいです! そして、入って左手には、2の丸なのに、なぜか「本丸跡」の説明板がありました。 その先の本丸水堀と土塁(写真)は綺麗に整備されています。ちょうど桜が綺麗でした。 土塁の上も歩けます。
壬生城
また、公園には、吾妻古墳の天井石と玄門石が展示してあります。さらに、公園の中 には歴史民族資料館もありました。ここでは、無料で壬生城のジオラマが見られます。 (撮影は禁止でした) 最後に、公園の北、住宅地の中にある3の丸土塁跡を見に行きました。鳥居と赤屋根の 祠が目印です。
「茂木城」 2019年3月に行きました。400年間、茂木氏の城でした。別名は桔梗城。真岡鉄道 の終点・茂木駅から徒歩の城山公園です。 登り坂を上がった所の駐車場に説明板があります。そして、本丸へ。本丸にはコの字型に 土塁が残っていて上を歩けます。石碑もありました。そして、本丸南西の堀切を上から 覗いたら、どうしても降りてみたくなりました。絶壁だったので、下の方の側面から なんとかよじ登ることにしました。素敵でした♪(写真)
茂木城
そして、溜池、水堀跡、悲しい伝説の残る鏡ヶ池を見学。本丸と二の丸間の堀をみてから 二の丸にもよじ登って見学します。二の丸と三の丸間の堀、そして、三の丸は、すごい薮 で断念しました。 続いて、千人溜りの石碑をみてから、三の丸西側の堀を入り口だけ散策。奥は藪でした。 大手口を見学後に、出丸に架かる青い橋の所へ。ここの堀はクランクになっており、橋に 対して横矢が掛かっています。出丸の一段下の腰曲輪には「姫の望楼(展望台)」が 建っています。望楼には上がることも出来、景色もいいです。 この城山公園は、桜や彼岸花が有名だそうなので、花の季節に是非!それと、真岡鉄道は 土日に1日1往復、SLが走っているようなので、それに乗るのもいいですね!
「茂木陣屋」 2019年3月に行きました。1610年、細川氏により築かれ、その後、藩庁は谷田部 に移りましたが、幕末まで茂木陣屋も維持されたそうです。真岡鉄道の終点・茂木駅から 徒歩で行けます。
茂木陣屋
茂木町民センターの所に「茂木藩陣屋跡」の石碑(写真)がありますが、残念ながら遺構 はありません。また、近くの川に架かる橋は、御本陣橋という名前でした。 近くに、八雲神社がありますので、ご一緒にぞうぞ。
「黒羽城」 2018年12月に行きました。大関氏の城です。 西那須野駅から、五峰の湯行きバスで、大雄寺(だいおうじ)入口下車。那須塩原駅から もバスがあるようです。 まず、黒門跡、藩校・作新館跡、稲荷神社の土塁を見学してから、駐車場の所の土塁と 水堀も見学。(駐車場に説明板あり)二の丸北側の土塁を先に見学してから、本丸に 登って行きます。 この城は、2重桝形になっています。一つ目の桝形を越えると横堀があり、それを橋で 渡り、二つ目の桝形に入ります。それを越えると本丸です。本丸は、一周土塁で囲まれ その上を歩けます。また、能舞台のある建物が建っていて、西側には模擬ですが矢倉型の 展望台がありました。
黒羽城
本丸東側空堀の堀底(写真)を散策後、本丸南の橋を渡り、馬出状の曲輪に入ります。 そこから左に曲がると、水堀経由で、本丸と馬出間の堀底を散策出来ました。さらに、 馬出の北側に降りて、馬出と三の丸間の堀を見学。三の丸には「芭蕉の館」があります。 館では、300円で、芭蕉についてだけでなく、城の絵図や城主・大関氏の資料もみられ ました。 さらに、時間が余ったので、旧浄法寺邸と大雄寺の間の土塁を見学してから、大雄寺にて 茅葺きの総門、本堂など(重要文化財)、そして大関氏の墓をみて、散策を終えました。 ※6月には黒羽城址公園にて紫陽花まつりがあるそうなので、それにあわせて行くのも  いいですね。
「大田原城」 2018年12月に行きました。築城からずっと大田原氏の城だということです。 西那須野駅から、五峰の湯行きバスで、公園前下車です。バス停から向かうと、まずは 龍城公園の石碑、絵図がありました。真っ直ぐ進んでいくと、右手に三日月堀(標柱あり) 坂下門跡(土塁と説明あり)があります。そして、千石倉跡(説明あり)を経て、二の丸 (説明あり)に進みました。二の丸には、低いですが土塁があります。また、硝煙庫跡 (説明あり)もありました。稲荷曲輪をちょこっとみてから、二の丸と本丸の間の堀へ。 現在は橋が掛かっていますが、昔は土橋だったのか、木橋だったのか?
大田原城
石垣があったという台門跡(説明あり)を経て、本丸(説明あり)の中へ。一周、高さ 5メートルくらいの高い土塁が巡り、土塁の上の遊歩道(写真)を歩きました。本丸の 内部には、武庫跡、諸役所跡(いずれも説明あり)がありました。 さらに、本丸の北側土塁上から北曲輪(説明あり)に降ります。北曲輪は、児童公園に なっていますが、ここの北側にも土塁があります。さらに、本丸の西側に、うっすらです が堀跡を確認しました。 ※これまで(説明あり)と書いてきた所に、石に彫った説明があるのですが、高さが低い  ため見逃しやすく、注意していないと通りすぎます。
「川崎城」 2018年7月にTwitterフォロワーさん(小栗さん、じゅんこモンさん、ぷくちゃん)と 行きました。塩谷氏の城で、川崎城跡公園になっています。 まずは、南側から登城。南曲輪には、歌を詠んだ城主にちなむ歌碑があります。そこから 深い一の堀を渡ります。壮大でした! 本丸は、南西に土塁が残り、その上に「川崎城跡の石碑」がありました。東側は、一段下 に東出丸がありました。その下は、ものすごい切岸で、到底登ってこられません。
川崎城
再度、一の堀(写真)を渡って二の丸へ向かいます。二の丸は上下2段に分かれています。 さらには二の堀を渡り、三の丸へ。最後に、三の丸の北にある三の堀もみてから、登城口 まで戻りました。川崎城は、ダイナミックな一の堀、二の堀に守られた、なかなかの城 でした!
「赤見城」 2018年2月に行きました。佐野駅からバス(赤見線)で、町屋公民館入口下車 すぐです。主郭は赤見城保育園の敷地で、土塁が四角く囲んでいます。 南東に、石碑と標柱(写真)がありました。まずは、土塁の上をぐるりと一周。 北西には、崩壊した祠と、小さな祠がありました。
赤見城
西側と北側は、2重土塁と2重堀になっています。土塁の間の堀を歩きましたが 一部ぬかるんでいて、靴がズブッと沈みそうでした。 それから、外側の土塁の上も歩きました。土塁と堀の高低差は4メートルくらい あり、見事でした。 散策後、近くの「唐揚げチキン坊」で唐揚げを買いました。帰りのバスがないので 佐野駅までの5キロを歩くと、途中、足尾鉱毒事件で有名な田中正造の旧宅、墓が ありました。 赤見城、保育園を覗く変質者と間違われない為に、お休みの日曜日に行くことを オススメしますw。
「佐野城」 佐野駅の目の前です。三の丸、二の丸、本丸、北出丸から構成され、現在は城山 公園になっています。 1回目は、2014年3月に訪城しました。二の丸と本丸、本丸と北出丸の間 には深い堀切が残っていました。(写真は二の丸と本丸の間の堀切) また、本丸の発掘調査で石垣と石畳の通路が見つかり、現在は埋め戻されて いますが、その位置に沿って石が置かれていました。最後に、移築門のある 佐野厄除け大師にも寄りました。
佐野城
2回目は、2017年11月に行きました。佐野文化会館での山城サミットの ついででした。前回みられなかった城山記念館の展示を見られたのと、本丸の 東斜面を散策出来ました。また、本丸の西斜面に腰曲輪っぽいところを発見 しました。 3回目は、2018年2月に行きました。赤見城から佐野駅まで歩いた際に 城の西側の道を通りました。すると、説明板があり、犬走(いぬばしり)の 遺構が残っていました。説明板によると、前回発見した腰曲輪っぽい所が 「上の犬走」であり、堀から「下の犬走」に登った敵を上から攻撃するのだ そうです。納得です。 佐野は、ラーメン、イモフライ、桜あんぱんなども名物のようなので是非!
「西明寺城」 2018年2月に訪城しました。益子町にあります。南朝方の拠点・関東六城の 一つ。フォロワーさん(小栗さん、じゅんこモンさん、ぷくちゃん)と車で行き ました。 まずは西明寺を見学。三重塔、楼門、本堂があり、閻魔堂には笑い閻魔がいます。 そして、車で城のそばの駐車場まで登ります。そこには説明板があり、階段を 登っていくと、いくつか郭があります。2郭には土塁がありました。 主郭には櫓台があり(写真)、また、北東側には土塁の間に虎口が開いています。
西明寺城
そこから3郭へ。ぐるっとUターンして堀切に下ります。ここから、北東の郭に 下りて行くと、8メートルの段差のある堀切に!さらに下りると、もう一つの うっすらした堀切。3郭に引き返し、キャンプ場になっている郭をみてから、 最後に駐車場脇の池(水の手)を見て散策終了。 益子には、地蔵院、綱神社、大倉神社、宇都宮氏累代の墓があり、そして苺狩り も出来ますので、是非ご一緒に。
「鷲城」 2017年9月に攻めました。小山氏の城です。 小山駅から、おーバスの間々田線で、外城工業団地下車。徒歩5分です。 まずは、鷲神社参道入口の説明板、石碑を見学。そこから、藪こぎにて櫓台跡へ 行きました。祠があります。 戻って、参道を進み、鷲神社を参拝。そして、南への道を進むと「虎口」「横矢」 「土塁」といった看板がいくつも。 少し土塁の上を歩いてみてから、堀底に下りていきます。
鷲城
堀底道(写真)は、中城と外城の間の堀で、外城側と中城側、両側に土塁があり ます。特に、中城側はすごい高低差ですので登れません! 最後に、道に迷ってたら、外城2号墳という古墳がありました。
「中久喜城」 2017年9月に攻めました。小山氏の城です。 3つの行き方があります。@小山駅から、おーバス城東中久喜線で犬塚交差点西、 そこから徒歩、A小山駅から、おーバス土塔平成通り線のスズヤス前、そこから 徒歩、B水戸線の小田林駅から徒歩。(Bは、おすすめしません) 水戸線により、北側と南側がぶったぎられています。まずは、北側にある案内板と 石碑に(写真)。その後ろは、L字型に堀と土塁が残っており土塁には登れます。 祠もありました。堀は大変な藪でした。
中久喜城
そこから、時計回りに、本丸を囲む土塁を散策しました。水戸線の踏切を渡ると、 土塁がコの字型に残る虎口かもしれない所があり、さらに土塁沿いに進み、右に 曲がると堀底道になります。堀底道の両側は土塁です。 さらに進むと、南の虎口という所に着きます。虎口から土塁の内部に入り、草ぼう ぼうの本丸写真を撮影。さらに、この虎口から北に伸びる土塁の上を歩きましたが 藪すぎて、途中で引き返すことにしました。
「栃木城」 2016年7月に行きました。 栃木駅から徒歩20分で、栃木城址公園になっています。
栃木城
折れのある水堀と土塁(写真)が残っています。土塁には登ることが出来 土塁の前に案内板がありました。
「多気山城」 2016年7月にフォロワーさん(清さん、じゅんこモンさん、トオルさん) と行きました。 まず、山麓をぐるっと巡っている長い土塁と堀を散策し、石積になっている ところも見学しました。次に、南側の郭の竪堀を見学。いったん戻り、そこ から主郭に向けて上がっていきましたが、夏のためかトゲのある植物を掻き 分けての藪漕ぎが大変でした。 なんとか辿り着いた主郭には、石碑(写真)、案内図、虎口、喰違い虎口が あり、景色は最高でした。
多気山城
さらに、坂虎口、くの字になっている櫓台跡、腰郭なども見学しました。 そして、下山しながら東側の郭群(土塁など)を見学し、最後に多気不動尊 を見学。山全体が城域なので、2時間で散策出来たのはほんの一部でしたが なかなか楽しめるお城でした。
「徳次郎城」 2016年7月にフォロワーさん(清さん、じゅんこモンさん、トオルさん) と行きました。 神社のあるところから入っていき、外堀、内堀を経て主郭に着きました。 この主郭の周りは土塁と堀があるのですが、特に北側には二重の堀があり ます。写真は、この二重堀のうち内側で、みえない向こう側にもうひとつの 堀があります。
徳次郎城
また、主郭の南西は入隅になっており、二郭への木橋があったそうです。 堀の幅も大きく、遺構が良く残っている城でした。
「皆川城」 2016年2月に城友さんの車で行きました。(ままおさん、ふみさん、 じゅんこモンさん、トオルさん、山城君、清之介さん、山城さん、 てぃーえーさん) 城址公園になっています。法螺貝城とも呼ばれるように、曲輪がぐるぐる 取り囲んでいる城です。2本の竪堀があり、長いほうの竪堀は途中が くねっと曲がっています。横堀も2本あり、そのひとつはまだ整備されて いなくて、そこが逆にいい感じでした。
皆川城
麓の居館跡の土塁と堀もなかなかでした。そして西虎口経由で、二の郭と 西の丸を見学。二の郭の一段下には井戸と池もありました。そして一の郭 へ。展望台や石碑があり見晴らしは抜群でした。皆川氏歴代の墓所のある 金剛寺にも行きました。
「太平山城」 2016年2月に車で行きました。(ままおさん、ふみさん、トオルさん、 じゅんこモンさん、山城君、清之介さん、山城さん、てぃーえーさん) 途中、見晴らしのよい謙信平に寄ってから、太平山神社でまずはお参り をしました。神社の右手からハイキングコースを登っていきます。途中、 奥宮があり、そこから先は岩がゴツゴツした道を行きます。頂上の 富士浅間神社(写真)が本丸であり、案内板があります。
太平山城
そして、お宮の裏側が一段高くなっていて、腰曲輪のようにみえる部分が 取り囲んでいました。帰り道、麓の大中寺に寄って、あかずの雪隠などの 七不思議を見学しました。
「足利城」 2015年8月に訪城しました。 東武線の足利市駅、あるいはJRの足利駅が近いですが、今回はお城 好きさん3人(ばったびさん、ゆきめさん、やっちゃん)と一緒に 織姫公園まで車で行きました。織姫公園を登山口とするハイキング コースで、両崖山の山頂が足利城の跡になります。 岩場を登っていく難コースで、何度かピークを越えると城域に入ります。
足利城
写真は、主郭に登っていく階段です。主郭は両崖山神社です。この城で もっとも大きな堀切は、主郭の北側にありました。深さ10mほどで 降りていく道に石垣が残ってはいますが、古くからの遺構であるか どうかは 疑問です。 主郭の西側にも城域があるようでしたが、今回は行かず下山しました。 山を下りてから銀釜というお店で頂いた「冷やし鯛釜飯」。この冷やし 茶漬けがダシが利いてて超美味しかったです!
「足利氏館」 東武線の足利市駅、あるいはJRの足利駅から徒歩です。 1回目は、2011年1月に訪城しました。 今は鑁阿(ばんな)寺というお寺になっていましたが、水堀と土塁に 館であった面影が残っています。(写真:水堀と土塁、そして遠くに 山門と太鼓橋)
足利氏館
鑁阿寺は800年の歴史があり、本堂、鐘楼が重要文化財になって います。すぐ隣に足利学校があるので、一緒に行くと楽しめます。 お土産は古代瓦せんべいにしました。 2回目は、2015年8月に、お城好きさん3人(ばったびさん、 ゆきめさん、やっちゃん)と一緒に訪城 しました。 本堂は、2013年に国宝に昇格していました。今回は、経堂の中で 足利歴代15将軍坐像の特別公開をしていました。(300円) また、経堂の中には八角形で回転式の経棚もあり、受付のお兄さんが 「回していいですよ〜」と言うのでみんなで回してしまいました。 今度のお土産は、古印最中にしました。
「飛山城」 2014年7月に訪城しました。宇都宮駅からバスで30分。 さらに徒歩30分です。飛山城史跡公園になっていて とびやま歴史体験館に展示もあります。堀が1号堀から6号堀 まであり、物見櫓跡もいくつか残っています。土塁登り体験が 出来る櫓台もあります。(写真は6号堀の土塁と木橋)
飛山城
また、中世竪穴建物、掘立柱建物、古代竪穴建物が復元されて います。公園の南半分は、あまり整備されてなかったですが 埋もれた櫓台を発見したり楽しめました。帰りに、宇都宮駅で 餃子パイをお土産に買いました。
「祇園城」 2013年5月に訪城しました。小山駅から徒歩です。城山公園に なっています。一番南の主郭(曲輪1)では、周りの土塁の上を歩く ことが出来ました。そして、主郭と曲輪2の間の堀は深く、赤い橋 が架かっています。
祇園城
また、曲輪2には、空堀で区切られた馬出の部分や大銀杏があり ました。さらには、もっと北側の曲輪も見学し散策を終えました。 近くに小山御殿跡、そして小山評定跡があるので、一緒に訪れては いかがでしょうか。

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