埼玉県の城


        「騎西城」

        加須駅または鴻巣駅からバスで「騎西城」下車です。北条方の城として上杉謙信に攻め
        られ、1590年以降は、松平氏、大久保氏の城でした。

        1回目は、2014年3月に訪城しました。白い模擬天守があります。自由に中には
        入れません。(春の藤まつりと秋の文化祭の特別公開時のみ)模擬天守の位置は
        昔は堀だった所のようで、本丸は現在田んぼです。
        また、バス停のそばに天神曲輪の土塁が残っています。(一部が現存で一部が復元です)
        説明板によると、発掘調査により騎西城にも障子堀があったことがわかったそうです。
        帰りに、加須駅入口で下車して、三小間というお店まで歩き、名物の塩あんびん餅
        (塩味のあんこの餅)を買いました。

騎西城
2回目は、2017年11月に行きました。秋の文化祭にあわせた特別公開期間で、 模擬天守の中に入れました。内部には出土品(お金、兜など)、鯱、絵図などの展示が ありました。一番上の3階では、外に出られ、お城の周りを眺められました。 帰りに、少し歩いて、@玉敷神社の神楽、A騎西二丁目バス停そばの説明板、をみて 帰りました。 3回目は2024年3月に攻めました。 まず、土塁を見学しました。説明板は2つありました。次に、障子堀が出土した所にある 説明板、的場標柱、大手門跡標柱を回りました。 それから、模擬天守の中に入り最上階から土塁などを眺め、最後に、キャッスルきさい での「十六間筋兜の展示会」をみて「戦国時代の騎西城」講演会を聴きました。 障子堀には逆四角錐に掘られたものがあったこと、堀幅48メートルは日本最大級である こと、障子堀は2重の部分もあること、十六間筋兜の形は上杉方の兜に似ていること等、 興味深い話でした。
「吹上館」 2023年5月に攻めました。 西高島平駅から徒歩で行きましたが、成増駅や西高島平駅からバスがあります。現在は、 東明禅寺になっています。(別名は吹上観音)
吹上館
総門、仁王門、本堂と見ていきました。本堂裏に高さ3から4メートルもある土塁(写真) がありました。本堂右手と左手と両方から見学すると良いです。土塁上には庚申塔が 150もあるそうですが、立ち入りは禁止です。
「仙波氏館」 川越駅や本川越駅から徒歩で行けます。長徳寺や天然寺の周辺です。 2023年5月に、サイガさんに解説していただきながら攻めました。 (参加:小栗ひさぎさん、ちょめさん、城葱さん、トオルさん、マロさん、なっちさん)
仙波氏館
長徳寺の門(写真)の所に、仙波氏館の標柱、説明板がありました。他にも、堀跡と考え られる道、そして、元々土塁があったため、2つの道路に挟まれて細長い区画が残って いる所もありました。
「仙波堀の内」 川越の喜多院と仙波東照宮の辺りは、仙波堀の内と呼ばれる城であった所で、その後、 川越城の出丸にもなりました。川越駅や本川越駅から徒歩で行けます。 1回目は、2016年9月にフォロワーさん(ふみさん、あいこさん、トオルさん)と 行きました。 喜多院は何度か訪れていましたが、江戸城移築部分(家光誕生の間、春日の局化粧の間) をみただけでした。喜多院の西側と南側に深い堀がありました。そして、仙波東照宮には ぐるっと一周、堀が残っていました。川越城散策の際には、ここの堀もお忘れなく。
仙波堀の内
2回目は、2023年5月、サイガさんに解説していただきながら攻めました。     (参加:小栗ひさぎさん、ちょめさん、城葱さん、トオルさん、マロさん、なっちさん) まず、仙波東照宮の建物をみてから、ぐるっと堀跡を回りました。さらに、仙波東照宮と 喜多院間の幅広の堀(写真)に降りました。喜多院では、天海を祀る慈眼堂(重要文化財) をみてから、最後に江戸城移築建築(家光誕生の間など)を見ました。西の丸御殿の一部 だったんですね。今回、「家光誕生の間に付属したトイレ」や「喜多院本堂(慈恵堂) 内部」も見学出来ることを知りました。あと、川越市立博物館にジオラマがありました。
「川越城」 川越駅、本川越駅、川越市駅から徒歩30分です。バスもあります。太田道真、道灌親子 が築城、扇谷上杉氏、後北条氏が城主になり、そのあとも明治維新まで存続しました。 1回目は、1997年ころに訪れました。本丸御殿の中を見学したのですけど、御殿の中 に何があったのかあまり覚えていませんでした・・(^^; 2回目は、2011年5月にスタンプラリーも兼ねて訪城しました。本丸御殿の修理が 終わったばかりで、屋根の漆喰がまだ白かったです。中には、広間や家老詰所などの部屋 があります。近くに富士見櫓跡が残っています。また、中之門の堀跡が復元整備されてい ます。小江戸・川越は、時の鐘、菓子屋横丁など見所も多く、帰りに芋ソフトクリーム、 芋ようかん、芋煎餅を買いました。
川越城
3回目は、2016年9月にフォロワーさん(ふみさん、あいこさん、トオルさん)と 行きました。本丸御殿の写真を撮り、目の前にある小峰商店で「川越名物・太麺焼きそば」 (大盛りで380円)を食べました。ワンカップの「川越城」というお酒も置いてありま した。また、富士見櫓跡は行ったことありましたが、その西側、北側に残る堀があるのを 教えていただき見学しました。 4回目は、2023年5月、サイガさんに解説していただきながら攻めました。 (参加:小栗ひさぎさん、ちょめさん、城葱さん、トオルさん、マロさん、なっちさん) なかなかマニアックな所に行けました。学校の中にある「南大手門石碑」を見てから、 南の丸馬出跡(住宅の塀が丸くカーブしている所)に行きました。そして、富士見櫓跡は、 以前より綺麗に整備されて礎石もあることを知りました。また、そこから北に延びる土塁 の上を歩きました。三芳野神社の南に大きな土塁が残っていました。本丸御殿の中には 入りませんでしたが、御殿の北側を見られるようになっていました。本丸北門跡をみて から、川越市立博物館に入りジオラマを見ました。最後に、中門堀跡、太田道灌像を回り 散策を終えました。
「下原城」 2023年4月に攻めました。 西武秩父駅から徒歩30分で、近くまでバスもあるようです。大久保主馬や橋久保大膳守 の居館と伝わりますが詳細は不明です。 川の合流点にある三角形の城で、北と東側は断崖絶壁です。残りの南西側を高さ2mの 土塁と堀で守っています。
下原城
一段高い主郭には虎口が1つで、その向かって左手に出枡形土塁があり横矢が掛かって います。また、2郭も虎口は1つで、写真のような堀があります。(右手が2郭土塁) この城の土塁には、補強のためなのか多くの石が混じっていました。
「浦山城」 2023年2月に攻めました。 皆野駅からバス(金沢線)の終点、浦山バス停で下車します。そこから、急坂を1キロ 登ります。かたくりの里の駐車場があったら、右手に登って尾根を右手に進みます。
浦山城
大きな岩があるともうすぐ着きます。まず2郭がありました。そして、主郭と2郭間に 堀切(写真)があります。主郭には石碑と祠がありました。そして、一番奥に主郭東側の 堀切があります。そこまでで散策を終えました。
「設楽氏館」 2023年2月に攻めました。 皆野駅からバス(金沢線)の設楽平というバス停で下車します。バス停の小屋の裏側から 登ります。途中、道が2つに別れる所があり、右に下がるのが「下の段」行き、左に登る のが「尾根の段」に続く道です。 まずは、尾根にある櫓台を見に行きました。そして、櫓台の南の辺りから1段降りると 上の段です。そこから下の段に降りると、上の段の石垣が見られますが、結構崩落して いる部分が多いです。
設楽氏館
次に下の段の石垣を見るため、もう一段降ります。下の段の石垣(写真)はとても良く 残っていました。特に、西側の隅の石垣、そして、東側の辺りも3段石垣になっていたり 虎口状になっていたりして楽しめました。 ここはあまり有名でない館ですけれど、石垣好きの方にはすごくオススメです。
「阿左美氏館」 2023年2月に攻めました。 皆野駅からバス(日野沢線)の日野というバス停で下車し、その前の坂を登った所です。 上の段と下の段があり、両方に民家が建っています。 上の段の高石垣の前に説明板(写真)がありました。高石垣の奥には、上の段に上がる スロープの石垣もあります。
阿左美氏館
それから、下の段の民家に沿って、左手の方に延びる石垣を見させて頂きました。複雑に 折れが入っていて、また、2段になっている所もあります。一番左手奥に下り坂があって その坂沿いやさらに下の方にまで何段か石垣があって、こんな辺りまで石垣が埋もれて いるのかとビックリしました。
「金窪城」 2023年1月に攻めました。 神保原駅から徒歩25分です。上里町コミュニティバスの北ルートでも近くまで行けます。 鎌倉時代の初期に加治氏により築かれ、その後、畑氏、斉藤氏が入りました。さらに、 神流川合戦では滝川一益に攻められました。
金窪城
石碑、2つの説明板の後ろに土塁が残っています(写真)。説明板によると4つの土塁が 残っているそうです。1つは、川沿いに「これかな?」というものを見つけましたが、 残り2つはわかりませんでした。
「金窪南城」 2023年1月に攻めました。 神保原駅から徒歩です。上里町コミュニティバスの北ルートでも近くまで行けます。大畠 氏が築き、その後、畑氏や斉藤氏が城主の金窪城の出城だった可能性があります。江戸 時代には陣屋になりました。
金窪南城
現在は陽雲寺です。土塁が北側と東側に残っています。東側は改変されていそうですが、 北側はきちんと残っていて、中でも北東の辺りは土塁の前に堀(写真)も残っていました。 また、寺には金窪城主・畑時能の墓、銅鐘があり、武田信玄ゆかりの品々もあるそうです。
「五十子陣」 2023年1月に攻めました。 「いかっこ」と読みます。私は、本庄駅のそばでレンタサイクルを借りて行きました。 (サイクルセンター矢代、2時間以内なら300円)上杉氏が古河公方に対し陣を置いた 所で、陣といっても堀や土塁で囲まれた本格的なものでした。
五十子陣
主郭の位置にある小公園(写真)の象さんの隣に説明板が設置されています。また、そこ への入口付近には「本庄かるた」の石碑があります。「桑茂る、五十子合戦、古戦場」と いうカルタです。 そして、遺構を探して散策すると、水循環センター南に、主郭南の堀跡を見つけました。 古地図での位置とも一致していました。
「安達盛長館」 2022年10月に攻めました。 盛長は、源頼朝に仕えた御家人の一人です。鴻巣駅又は北鴻巣駅からコミュニティバスで 放光寺裏下車です。
安達盛長館
放光寺という寺の付近に館があったと言われていますが、きちんとは特定されていない ようです。放光寺には、安達藤九郎盛長座像が安置されています(非公開)。また、安達 盛長の墓もあります(写真)。
「足立遠元館」 2022年10月に攻めました。 遠元は、源頼朝に仕えた御家人の一人です。埼玉県には、遠元の館跡と伝えられている所 が数ヶ所ありますが、その1つが桶川駅から徒歩で行ける所にあります。
足立遠元館
総合福祉センターの建物の片隅に石碑がひっそりとありました(写真)。説明板によると 昔は堀跡が残っていたそうです。 駅と館跡との間には、中山道桶川宿があります。本陣は非公開でしたが、矢部家住宅 (外観)は見られます。
「忍城」 成田氏の城で、映画「のぼうの城」で有名になりました。石田三成が水攻めしましたが 持ちこたえ、「浮き城」とも呼ばれます。その後、阿部氏、松平氏などが入りました。 秩父鉄道の行田市から徒歩でも行けますが、電車の本数が少なく、おすすめはJR吹上駅 からの朝日バスです。2つの経路があり、バス停・忍城(前谷経由)、又は行田本町 (佐間経由)で下車です。他に、JR行田駅からのバスもあります。 1回目は、2003年9月に家族で行きました。 本丸の跡には、御三階櫓(元、三の丸にあったが実質的な天守)が再建されていました。 内部には展示があり、最上階からは行田市内が見渡せました。帰りに近くの「かねつき堂」 さんに立ち寄り、行田名物のフライとゼリーフライを食しました。フライはお好み焼き みたいなもので、ゼリーフライはコロッケみたいなものでした。どっちも美味しかった です。(あとから知りましたが、かねつき堂さんが混んでいる時、待合スペースになって いる所は、なんと忍城から移築した鐘楼です。) 2回目は2013年11月に訪城しました。 今回は、北鴻巣駅から水攻めの遺構を先に訪ねました。まず、石田堤史跡公園(鴻巣市) そして、行田市側の石田堤跡(案内板あり)を経由して、石田本陣があった丸墓山古墳を 散策。古墳に登ると忍城がかすかに望めます。 ほかにも、さきたま古墳公園内の「さきたま史跡の博物館」で国宝の「金錯銘鉄剣」を みたり、いくつかの古墳に登ったりと、城とは関係ないですが楽しめます。 そこからは、バスの本数が少ないので、歩いて忍城に向かいます。途中、水城公園内に ある「御三階櫓の碑」を偶然見つけました。 忍城に着いてからは、御三階櫓と行田市郷土博物館を見学した後、前回見逃した移築 城門、本丸土塁をみて、最後に諏訪神社の裏にある諏訪曲輪の水堀跡もみることが出来 ました。
忍城
3回目は、2020年1月に行きました。続100名城スタンプ、そして、市内にある 忍城関連の石碑巡りを目的にしてみました。ぶらっと・ぎょうだなどで、無料レンタ サイクルが借りられます。 まずは、「長野口御門」(石碑と説明板あり)、「大手御門」と「枡形城門」石碑と巡り ます。そして、佐間口の高源寺には、のぼうの城にも出てくる正木丹波守の墓、丹波守の 説明板がありました。また、天神社の所にも、佐間口説明板、正木丹波守の説明板があり ます。 続いて、水城公園の北の「三重櫓」石碑、市役所西の「多聞櫓跡」石碑、中学校校門の 「太鼓門」石碑を巡りました。 そして、本丸に到着し、模擬の御三階櫓を撮影しました。水堀、鐘楼、本丸土塁、櫓の 石垣展示(2ヶ所)、伝進修館(藩校)表門を見学し、諏訪曲輪の水堀跡と「諏訪曲輪 御門」石碑もみてから、博物館へ入ります。スタンプは、入ってすぐ右側、料金を払わな くても押せる所にありました。 博物館と御三階櫓の中を見学後、皿尾城へ向かいます。その道筋でも、栗原医院の敷地内 杉の木の下にある「二重櫓」の石碑、「皿尾口御門」石碑を見学できました。 4回目は、2022年10月に博物館での「天正十八年」展と斎藤先生の講演会「戦国 忍城誕生の背景」のために行きました。御三階櫓をみてから、昔水城公園内で営業して いて今は移転した駒形屋さんでフライとゼリーフライを食べました。 (おまけ) 2017年8月には、北谷門が移築されているのを見に行きました。 忍城とはだいぶ離れていますが、加須駅から、加須車庫行きのバスで終点下車すぐ、 または、徒歩30分の不動ヶ岡不動尊(總願寺)にある「黒門」です。1842年の建造 と伝わるそうです。ちなみに、不動ヶ丘不動尊は、関東三大不動尊に数えられることも あります。
「菅谷館」 武蔵嵐山駅から徒歩15分の、鎌倉時代の御家人・畠山重忠の館です。しかし、実際の 遺構は戦国時代に改修されたものです。 1回目は、2012年5月に訪れました。 本郭、二の郭、三の郭、西の郭、南郭の五つに分かれており、特に本郭回りの土塁は高く 出桝形土塁もありました。また、三の郭にある「嵐山史跡の博物館」では、平成20年に 国指定史跡に指定された「比企城館跡群」の展示などがありました。
菅谷館
2回目は、2018年6月にTwitterフォロワーさん(あいこさん、かくかくさん、 エイミー。さん)と攻めました。 まずは、博物館入口の2重土塁をみてから三の郭に。蔀(しとみ)土塁、橋を渡って 西の郭へ進みます。戻ってきて、畠山重忠像、出桝形土塁(写真)を見学。二の郭を 進みます。二の郭西側の土塁に登れることがわかり、向こう側を覗いてみると、菅谷館で 一番ではないかと思われる凄い深さの堀がありました。ここはオススメです。 南郭を経由して、土塁で囲まれた本郭に入り、生門を見学。最後に、博物館の裏手にある 模型、井戸跡、建物跡を見ました。博物館では、スタンプを押した後、展示をみました。 入館100円はお安いです。 3回目は、2022年10月に、嵐山史跡の博物館での「武蔵武士と源氏」という展示を 見るために行きました。館は、出桝形土塁付近と畠山重忠像をみたくらいでサクッと散策 しました。
「畠山重忠館」 2022年10月に攻めました。 秩父鉄道の永田駅から徒歩です。現在は史跡公園になっています。大河ドラマ「鎌倉殿の 13人」の影響もあり、たくさんの人が訪れていました。 まず、一ノ谷の戦いでの愛馬を担いだ重忠像(写真)があります。その足下に重忠ゆかり の石もありました。続けて、奥の方に向かうと、重忠の墓(五輪塔)、わかりにくいです が父の畠山重能の墓があります。
畠山重忠館
また、「土塁についての説明板」がある後ろ側に、南北方向に土塁跡が1本あるのですが、 これが本当にうっすらでわかりにくいものでした。さらに、これもわかりにくい場所に あるので皆さん見逃しているのですが、「重忠産湯の井戸」を見学しました。 後から知ったのですが、発掘調査では、現在道路になっている所で薬研堀も検出されて いるそうです。 公園の近くには菩提寺の満福寺があります。ここでは、本堂、千手観音がある観音堂、 重忠廟(石碑)を見学しました。
「源範頼館」 2022年9月に攻めました。 源頼朝の弟である源範頼の館で、現在は息障院というお寺です。鴻巣駅と東松山駅間を 走るバスの「いちごの里よしみ」下車。徒歩30分です。
源範頼館
門の横に、源範頼館跡という石碑と説明板があります。また、館の周りを囲う堀が残って おり、整備された南側の空堀、未整備の西側空堀と見ていきました。北側の堀は水堀と して残っていました。
「石戸城」 2022年8月に行きました。 北本駅からバスで、自然観察公園前です。扇谷上杉氏の家臣・藤田氏が最初に居城した そうで、そのあと、上杉謙信に攻められたりもしたようです。
石戸城
まず、石戸城を攻めた北条氏により作られた「一夜堤」(城に渡るための土橋、写真)を 見ます。説明板もあります。 主郭と2郭間の堀は、切通として残っています。街角に立つ「城の説明板」をみたあとに 主郭へ向かいます。主郭は民家なので入れませんが、遠くから見ておきました。
「石戸館」 2022年8月に行きました。 北本駅か桶川駅からバスで石戸宿3丁目下車です。石戸氏の城とも源範頼の居館とも 伝わります。 石戸神社になっています。神社説明板にも、土塁と堀について記述がありました。
石戸館
土壇(土塁)があり、その上に2つの祠があります。その裏側に深さ2m、長さ20m くらいの堀(写真)がありますが藪がひどいです。
「斎藤別当実盛館」 2022年8月に行きました。 斎藤別当実盛は平安時代に活躍した武将で、最後は、子供の頃命を助けた木曽義仲に 討たれてしまったそうです。実盛館の推定地は2ヶ所あります。
斎藤別当実盛館
一つは、熊谷駅から太田駅行きなどのバスで、妻沼聖天前下車。大我井神社(写真)と 小学校になっている辺りだそうです。遺構はないです。一緒に、妻沼聖天山を見学します。 貴惣門、斎藤別当実盛像、歓喜院聖天堂と楽しめました。聖天堂、修復から10年経って いますけれど、それでも充分きらびやかでした。 もう一つの推定地は、同じバス路線の井殿橋バス停下車です。こちらには、石碑と説明板 がありました。遺構はないです。
「岡部陣屋」 2021年6月に行きました。 岡部駅から徒歩、あるいは、コミュニティバス(岡部・深谷間)で岡部公会堂入口下車です。 安部氏が1590年から幕末まで治めていたそうで、大手門もあり、空堀や土塁で囲まれて いたそうです。 しかし、現在は遺構が残っていません。跡地には、「高島秋帆幽囚の地」の石碑と説明板 (写真)があります。高島秋帆は日本の西洋式兵学の先駆者ですが、7年間、岡部陣屋に 投獄されていたそうです。
岡部陣屋
この陣屋の移築門は2ヶ所あったのですが、そのうちの長屋門(全昌寺)は2018年に 取り壊されてしまいました。残念です。 もう一つの移築門である地方通用門は、深谷駅から徒歩で行ける民家の門として現存して います。デニーズの北側です。
「深谷城」 1456年に築城。深谷上杉氏の城であり、その後、松平氏、酒井氏も城主になりました。 深谷駅から徒歩、またはバスで行けます。本丸は図書館の辺りであり、深谷城址公園は 東曲輪のあたりになるのでしょうか? 1回目は、2016年11月に行きました。 まず、町中に残っている2つの土塁を訪ねました。高台院の裏に残る土塁。そして、管領 稲荷の鎮座する土塁です。管領稲荷の土塁は、民家敷地で入れないのですが、土塁断面が 見られます。 次に、城址公園に向かい、石垣と塀を見学。(写真)かっこいいのですが、残念ながら模擬 ではあります。あと、公園の南東に「深谷城跡の説明板」がありますよ。 最後に、公園の隣にある「富士浅間神社」の周りをぐるりと巡る水路と池を見学しました。 堀跡だそうで、ここにも「指定文化財・外濠跡の碑」と説明板があります。
深谷城
2回目は、2021年6月に行きました。 「青天を衝け」の大河ドラマ館に行った時、深谷城址公園がすぐ隣だったので寄りました。 富士浅間神社の堀跡と説明板、城址公園の説明板と石垣を見学しました。また、今回、城址 公園の南150メートルくらいの所に「大手口公園」を発見しました。
「泉福寺館」 2021年2月に行きました。 熊谷駅と小川町駅を結ぶ国際十王バスに乗り吉田入口で下車して徒歩20分でした。泉福寺 の裏側の竹林の中に、竪堀とそれにつながる堀があったそうなのですが、2019年位に ソーラー発電所が出来てしまいました。
泉福寺館
竪堀については、下の方が埋められてしまったのですが、上の方だけ、竪堀の痕跡(写真) がありました。また、堀についても、藪ではありましたが残っていました。
「三門館」 2021年2月に行きました。 熊谷駅と小川町駅を結ぶ国際十王バスで吉田入口下車、徒歩25分です。泉福寺館からは 200メートルくらいしか離れていません。 まず、赤い鳥居の八宮神社に行き、そこから尾根を南西に進みました。
三門館
途中、北東に向かって竪堀が落ちている所を見ました。さらに、南西に向かって、尾根上に 堀と土塁が延びています(写真)。途中、埋まってしまっている所もあるのですが、一番 南西の辺りで、凄く藪ながら堀が復活しています。この尾根上の堀は、遺構ではなく、八宮 神社の参道という説もあるそうです。
「領ヶ谷城」 2021年2月に行きました。 さいたま市南区太田窪にあり、別名は太田窪天神山です。私は、歩いて行きましたが、最寄 駅は南浦和で2キロくらいです。近くまでバス路線も何系統か通っています。 この城は、平安時代末期、源頼朝に仕えた武将・佐々木氏により築かれ、その後、千葉氏も 城主だったようです。 現在は、鰻などの川魚の料亭「幸楽園」が建っていて、南側からみると、たしかに高台に あります(写真)。
領ヶ谷城
昭和の半ばまで土塁が残っていたそうですが、現在遺構はないようです。それでも、幸楽園 の案内板に「旧領ヶ谷城址」と書いてあり、また、幸楽園の建物に入った所に「口上」と いう説明板があり、城の事が書かれています。 折角なので、うな重を食べてみると、ふわふわで口の中でとろけました。(松重は2840 円、特上は3850円)ちなみに、鰻は浦和の名物ですので、付近には有名な鰻屋さんも あります。
「安戸城」 2021年1月に行きました。 小川町駅から、和紙の里・白石車庫行きバスで、寺岡下車です。大河原氏、上田氏の家臣で ある山田氏などが城主であったと伝わっています。城山保育園の看板の所から、およそ10 分登ると到着です。
安戸城
腰曲輪から、主郭にある安戸城跡の標柱がみえます。主郭には説明板と石碑(城山大神)も あります(写真)。主郭の南東に堀切(一部岩盤)がありました。また、主郭西側の腰曲輪 から2郭に入る所には竪堀がありました。
「高谷砦」 2021年1月に行きました。 「こうや」と読みます。小川町駅から熊谷行きのバスで前高谷下車ですが、バスの本数が 少なく歩きました。金子氏が居たことがあるそうで、のちに、太田道灌が陣を置いたそう です。登り口は2つありますが、犬に吠えられない西側の登り口にしました。
高谷砦
登りきった辺りで右にUターンして、少し行くと2郭と3郭間の堀切(写真)に出ます。 この堀切には土橋がかかり、土橋の北側は横堀になっています。 そして、2郭の土塁をみてから、主郭と2郭間の堀切を見学しました。主郭は2郭より一段 高くなっていますが、藪なので写真は撮れません。主郭の周りは、絶壁である北側以外の 3方向、ぐるっと堀で囲まれていました。
「妻沢リュウガイ城(原市場リュウガイ城)」 2020年6月に行きました。 飯能駅からバスで25分の原市場中学校下車。徒歩1キロで登城口です。途中まで尾根 ルートと沢ルートがありますが、どちらも道がなく急斜面で上級者向けです。どちらかと 言えば尾根ルートがオススメかなと思います。 休憩もいれて50分かかって城跡に着きました。まず、急斜面に小さな郭があり、さらに 登ると4郭です。3郭へは虎口のように曲がっています。
妻沢リュウガイ城(原市場リュウガイ城)
3郭には土塁、3郭と主郭の間には堀切がありました。主郭には「リュウガイ城跡」の 看板と祠(写真)、土塁があります。 そして、2郭と主郭の間にも堀切があり、2郭の土塁がありました。最後に、2郭下の 急斜面にある2つの小郭をみて、主郭の腰郭を通り散策を終えました。
「吾野龍崖山城」 2020年6月に行きました。 吾野駅から徒歩です。中屋敷跡である小学校跡地のプレハブ脇から、斜め右に直登していく と、中腹の岡部屋敷に向かう道が見つかります。道に沿って反時計回りに登ると、岡部屋敷 で広い平場に祠があります。 岡部屋敷の右手から、さらに登ります。道はありますが、ずっと急斜面が続くので、つらい です。休憩を入れて40分、主郭の所に出ました。
吾野龍崖山城
主郭には石があります。そして、西側に降りていくと、自然石で出来た切岸、竪堀があり ました。さらに、自然石で出来た段差があり、その先に土橋と堀切がありました。ここが 見所でしょう。(写真) そして、この堀切に沿って巨大な自然石があり、思わず写真を撮りたくなります。
「赤山城(赤山陣屋)」 赤山陣屋ともいい、伊奈氏の城です。埼玉高速鉄道の新井宿駅から1キロ歩くか、鳩ヶ谷 車庫行きバスで曲輪下車。他にも、西川口駅からの鳩ヶ谷車庫駅行きバスでも近くまで 行けます。私は、うちから近いので自転車で行きました。 1回目は、2013年2月に行きました。 本丸跡に碑が立っています。また、本丸、二の丸の周りの空堀が綺麗に整備され残って おり、東堀、南堀、南西堀、西堀、北堀の順でぐるっと散策しました。説明板も随所に あり、見学しやすいお城です。
赤山城(赤山陣屋)
2回目は、2020年6月に行きました。 まず、イイナパーク川口にある歴史自然資料館に寄りました。ここには、赤山城の映像 (復元CG)、展示、ジオラマ、絵図などがありました。また、屋外に伊奈忠治の像も あります。 そして、城に向かいます。まずは、本丸南にある石碑と2つの説明板を見学します。 それから、赤山山王日枝神社(ここにも城の説明板あり)、東堀をみて、南堀、南西堀と 見ていきます。 次に、西堀、2の丸の土壇、竹林の中にある祠を見学してから、北西堀へ。ここは、以前 は藪だった気がします。 ちょこっとだけ出丸もみてから、北堀(写真)へ。整備されている所から、さらに先に 進んでいくと東堀に繋がっていました。 最後に、東堀の土塁にも行きました。高さは2メートル位あるようで、この辺りが未整備 ではあるものの、一番の遺構だと思います。
「奈良梨陣屋」 2020年5月に行きました。小川町駅からバスで、奈良梨下車です。 諏訪氏が1590〜1592年まで、わずか2年間だが住んでいました。城跡には八和田 神社が建っています。
奈良梨陣屋
神社の北西から北東にかけて、コの字型に土塁が残っていました。そして、北東角に説明 板があります(写真)。さらに、神社の東側には土塁に沿って堀があり、水がたまって いました。 神社にある大スギは、諏訪氏が所領を決めるため、長野県諏訪から投げたスギが、この 奈良梨の地に刺さったという伝説があるそうです。
「古尾谷氏館(善仲寺館)」 2020年5月に行きました。南古谷駅からは、およそ2キロ歩くか、川越市バスで古谷 市民センター下車です。(本数は少ないです)他にも、川越駅から西武バスに乗って 古谷上で下車しても行けます。(こちらの方が本数はあります) 古尾谷氏は、鎌倉時代、源氏に属した武士だそうです。館跡には、現在、善仲寺が建って います。
古尾谷氏館(善仲寺館)
本堂の裏側に、土塁や堀がありました。空堀は、上から見るとHの形に掘られていました。 (写真はHの横棒部分の堀)それ以外に一部水堀になっている所もありました。 また、堀之内集会所の裏(西側)にも空堀があり、さらに墓地の南側にも空堀が残ってい ます。それから、外堀を一周散策しました。西側、北側、そして、東側の実相院の辺り まで水路として堀跡が残っていました。
「毛呂竜ヶ谷城(毛呂要害城)」 2020年3月に行きました。 毛呂氏の城で、毛呂要害城とも呼ばれます。八高線の毛呂駅から徒歩です。ゴルフ場の中 にあります。 雷電神社の標識がある所を入り、急坂を登り、ゴルフ場への扉を自分で開閉します。 入って左手の山を登っていくと3郭へ出ます。そして、神楽殿跡などのある2郭へ。
毛呂竜ヶ谷城
さらに階段を登り主郭に出ました。そこには、雷電神社と稲荷神社がありました。神社の 裏側には土塁があります。そして、神社の東側には城の説明板があり、また、東の腰郭も ちらっと見学しました。それから、2郭の北西側に落ちている竪堀、そして、2郭と4郭 の間にある横堀(写真)を見ます。最後に、2郭の南に落ちている竪堀2本を見に行き ましたが、なんとなくわかる程度でした。
「小倉城」(埼玉県) 「おぐら」と読みます。城主は、遠山氏とする説、上田氏とする説があります。 武蔵嵐山駅から徒歩60分で麓に着きますが、アップダウンコースで辛いです。また、 武蔵嵐山駅、又は明覚駅からの「ときがわ町バス」で、原というバス停から徒歩30分 ですが、本数は少ないです。 1回目は、2013年5月に訪城しました。 大福寺の右手から登りました。この城の石垣は、平べったい石(緑泥片岩というらしい) を積み上げた珍しいもので、3郭の下には、ぐるりと一周石垣が残っていました。(写真) また、2郭と4郭の間には大きな堀切と竪堀がありました。
小倉城
2回目は、2020年3月に行きました。 今回は、大福寺より南に100メートルくらいの登城路から登りました。途中、水の手が ありました。そして、いくつか郭を経て、2郭と4郭間の大堀切の所に出ました。折れを 伴う堀切とそこから落ちる竪堀です。 2郭に入ると、土塁に囲まれており、西側に櫓台があります。そして、主郭と2郭間の 堀切を経て、主郭に入りました。主郭は虎口が3つあり、土塁で囲まれます。北東側が 1段高く、その境目に石碑が2つと説明板がありました。 次に、3郭へ行きます。主郭との間の岩盤堀切は、とてもカッコいいです。そして、一番 の見所である3郭周りの石積を見ます。平らな石が積んであり、高いとこでは3メートル くらいあります。西側から南側、東側と回って、写真を撮りまくります。 次に、主郭腰郭の石積、主郭北虎口の石積、岩盤を削った枡形虎口を見て、最後に、枡形 虎口の先にある2重堀切をみました。そして、帰り道は大福寺に降りてきました。
「諏訪城」 2020年2月に訪城しました。 荒川と横瀬川の合流地点にある要害の城で、長篠城に似ています。北条氏邦家臣の諏訪氏 の城です。秩父鉄道の和銅黒谷駅から徒歩30分くらいで主郭です。 まずは、東郭に行きます。太陽光発電のパネルの裏側で、非常に分かりにくい所でしたが 折れを伴う土塁、堀が残っていました。
諏訪城
次に、秩父鉄道が城を分断しているので、踏切を経由して、ぐるっと回り西郭に行きます。 西郭の堀と土塁(写真)も折れを伴っていて、中央には虎口がありました。 最後に、主郭にある諏訪神社へ向かいました。ここには城の説明板があります。主郭の 土塁と堀は、藪のため何となくしかわかりませんでした。神社の裏手にある、川の合流点 が眺められる所にも是非行ってみて下さい。
「仲山城」 2020年2月に訪城しました。 南北朝時代に築かれた城で、新田義貞に仕えた阿仁和氏が築城しました。秩父鉄道の樋口 駅から徒歩15分で登城口です。麓の諏訪神社を参拝した後、登っていきます。 切通の右手から急坂を登って、さらに尾根づたいに行くと、2郭の堀切があります。 そして、先に進んでいくと主郭(写真)に到着します。ここには、あずまや、説明板が あり、北側には土塁があります。その土塁の上には、3つの板碑がありました。
仲山城
そこから尾根づたいに少し降りると、3郭と4郭の間の堀切があります。この山が岩山 なので、堀切の所に少し岩盤も出ていました。この辺りで散策を終了し下山します。 帰り道、城のそばにある「日本一の青石塔婆」に寄りました。この塔婆は、討死した仲山 城主・阿仁和直家を弔うために奥様が建てたそうで、高さ5メートルで日本一です。
「皿尾城」 2020年1月に訪城しました。 成田氏が築いたとも、成田氏を攻める上杉氏が築いたとも言われています。 私は、忍城とともにレンタサイクルで行きましたが、最寄り駅は持田駅です。 主郭には、現在、久伊豆大雷神社と農業センターがあります。神社を参拝すると、置いて ある神社のパンフレットに城跡のことが書いてありました。また、賽銭箱の前に縄張図の 展示がありました。
皿尾城
農業センター南の道沿いには「皿尾城跡」の石碑があります。また、神社の背後に、低く なってしまってはいますがL字の土塁(写真)がありました。 主郭の周りは堀で囲まれていたそうで、現在は、堀の痕跡として用水路が残っています。
「吉田竜ヶ谷城」 2019年9月に行きました。歴史は不明ですが、北条氏の手紙に「吉田の盾」として 登場しています。西武秩父駅又は秩父駅から、吉田元気村行きバスで、馬頭尊前下車です。 別荘地を登っていき、四角いタンクの裏の道を進み、尾根を登ります。クモの巣と戦い ながら岩を登り最初の堀切に着きました。ここが岩盤堀切で、すごかったです。(写真) そして、最初の郭(主郭)の切岸に石積が見られます。
吉田竜ヶ谷城
続いて、城で一番大きな堀切です。両側に土塁があり、南西側に方形の土壇がありました。 その脇にも、うっすら堀があり、横矢を掛けているのかも知れません。 続いて、次の堀切です。ここも、土塁が折れていて、横矢を掛けています。最後に、一番 西の堀切です。ここにも土塁があり、堀底は途中で段差がありました。(北側が低い) 吉田竜ヶ谷城、とても良い城でしたが、道がないので初心者は大変かもしれません。車の 方は、西側の道路からアクセス出来るので、尾根登りは不要のようです。
「越畑城」 2019年9月に行きました。「おっぱた」と読みます。児玉党の庄秀俊(荘秀俊)が 築いたと伝わります。杉山城の説明板に登場するにもかかわらず、関越道の工事により ほとんど消滅している城です。 小川町駅から、小川パークヒル行きバスで終点まで。そこから30分歩きました。道中、 歩道がなくて少し危険です。 関越道北側のとても分かりにくい所に「越畑城跡」の石碑(写真)があります。裏面の 文字も是非読んでください。
越畑城
関越道を渡る歩道橋を通り、途中で左に行くと愛宕神社のある2郭に着きます。 そこから、つなぎの郭を経て、主郭の方に向かいます。主郭の一部だけは残っていそう なので、藪に突入しました! クモの巣と戦いながら進んでいくと、三角点標石があるピークに着きました。その標石 のそばに、土塁と思われるものがありました。しかし、遺構なのか、関越道工事の跡 なのかは良くわかりませんでした。
「猪俣城」 2019年7月に行きました。武蔵七党・猪俣氏の城です。北条氏の城でもあったよう です。波久礼駅から徒歩70分くらいでした。円良田湖物産センターの辺りから山に入り 右折、左折を何度かすると到着します。 行きは、2郭南西の郭経由で登っていきましたが、ちゃんと道があるのは2郭南東から でした。(帰り道に判明しました) まずは「2郭南西の郭」と「2郭」との間の堀切を見学しました。ここが一番大きい堀切 だと思います。竪堀になって落ちていました。 2郭に上がって、藪の中を進むと、2郭と主郭との間の堀切に出ます。ここには、東側に 土橋がありました。
猪俣城
主郭の北側には、枡形のような凹んだ空間がありました。3郭に降りていき、その腰郭も 散策します。竪堀があるようでしたが、見つけられませんでした。 それから、3郭の北西の2重堀切をみました。写真は、そのうちの内側ですが、外側の方 は、木が生えているため、写真がちょっと撮りにくかったです。 そして、3郭北東の堀切と土塁をみて、散策を終えました。なぜか土塁が堀より外側に あります。 猪俣城、道も案内もない上に藪ばかりで、上級者向けだと思いますので、初心者はやめて おきましょう。
「大蔵館」 2019年7月に行きました。12世紀ごろ、木曽義仲の父・源義賢が住んでいました。 東武東上線の武蔵嵐山駅から徒歩30分です。バスも本数は少ないようですがありました。 220×170mの方形の館であり、堀と土塁が所々残っています。 まず、南東の隅にある土塁(写真)と堀を見学しました。ここには、説明板もあります。
大蔵館
次に、南西の隅にある大蔵神社を見学しました。神社の入口の向かって右側に、大蔵館跡 の石碑があり、また、神社の中に入ると説明板が2つありました。参拝後、L字型の土塁 に登って、さらには、その西側にある空堀の堀底にも降りてみました。 最後に、「北西の隅の土塁」そして、「北東の隅に近い所にある土塁」の2つも見学し ました。 館のそばに、城主・源義賢の墓、そして、源氏三代供養塔(義賢・義仲・義高)がある ので、一緒に訪れましょう。
「大和田陣屋」 2019年7月に行きました。太田氏の家臣・伊達氏の陣屋でした。大和田駅から徒歩で 行けます。ネットの情報によると、「大和田公園通りに説明板があり、その北側に土塁が 残っている。」とのことでしたが、写真のように土塁は完全になくなり、個人宅の芝生に なっていました。(2015年に消滅した模様)
大和田陣屋
さらには、その土塁の北東100メートル位にもL字に土塁が残っていたようでしたが、 宅地になるようで、2019年に一部が消滅。わずかに、東側だけ残っているように見え ました。
「大成館」 2019年7月に行きました。室町時代、金子駿河守の居館だったそうです。大宮駅から 徒歩15分で、現在は大成山普門院になっています。 現在は遺構はありませんが、近くに中学校が出来る前は堀跡が残っていたそうです。
大成館
入口左手には、大成館跡の石碑(写真)があります。また、寺には、本堂や夢違い観音が ありました。寺の門の左手の説明板に「金子駿河守が大成館を普門院にした」との記述が みられました。
「真鳥山城」 2019年7月に行きました。真鳥城、真鳥日向守城とも言うそうで、畠山重忠の家臣・ 真鳥日向守の城です。南与野駅から近く、歩いていけます。
真鳥山城
現在は、日向不動堂となっており、六地蔵の隣に「真鳥日向守城址」の石碑(写真)が あるのみです。石碑の下部にお城の説明が書いてあります。 追伸:近くの西堀氷川神社にも、真鳥城跡の説明板があるそうです。
「道場城」 2019年7月に行きました。畠山重忠の城と言われています。浦和駅から、桜区役所 行きのバスで、栄和というバス停で降りるとすぐです。 城があったのは道場1丁目8番地から9番地付近だそうですが、遺構は残っていません。 (40年前までは空堀が残っていたそうです)
道場城
道を挟んだ所に、金剛寺と道場天満宮(写真)があり、鳥居のそばの説明板には、畠山 重忠がこの辺りを領していたことが書いてありました。
「人見館」 2019年5月に行きました。人見氏の館です。深谷駅南口から、コミュニティバスの南 シャトル便、バス停の「人見第三」下車で徒歩です。 東館、西館からなりますが、東館は藪の中に堀を一つ見つけられたくらいでした。
人見館
それに対して、西館は遺構がよく残っていました。説明板(写真)が北東にあります。 そのそばに、北側の堀と土塁がありました。また、西側には2重の堀があり、その内側に 土塁もありました。堀と土塁は南端で折れていて、わずかですが南側にも堀と土塁が 残っていました。
「庁鼻和城」 2019年5月に行きました。「こばなわ」と読みます。13世紀に、関東管領上杉憲顕 は正方形の館を築かせ、六男の憲英をつかわせ、そこから3代が住んでいだそうです。 深谷駅から、コミュニティバスの東循環便、または国際十王交通バスで行けます。私は、 徒歩で行きました。
庁鼻和城
現在は国済寺になっています。まず、黒門、そして三門があり、いずれも深谷市の文化財 になっています。三門のそばに、城の説明板があります。 本堂の裏には、上杉憲英の墓があります。その隣には、唯一の遺構である土塁(写真)が 残っていました。
「東方城」 2019年5月に行きました。上杉氏、北条氏を経て、1590年からは徳川支配下の 松平氏の城でした。 深谷駅からは、コミュニティバスの東循環便、または国際十王交通バスで行けます。私は 徒歩で行きました。(熊谷駅、籠原駅から国際十王交通バスでも行けます。) 見所は、大きく4ヵ所に分かれています。 まず、熊野大神社のところの土塁を見に行きました。しかし、残念ながら、土塁はだいぶ 低くなってしまっていました。
東方城
次に、御所屋敷です。ここが一番の見所です。「東方城跡」の標柱の所から、土塁に 上がります。土塁は、北西側を3回ほど折れを伴って続いています。そして、一部は2重 土塁になっているようで、写真の所が2重土塁の間の堀の部分です。さらに、南東側の 道沿いにも土塁が見られます。 3つ目は城主別邸です。北に土塁、また、西に土塁と空堀が残っていましたが、藪でした。 最後に、お姫屋敷です。ここは、西側に空堀と土塁が残っているのですが、フェンス越し にしかみることが出来ません。 追伸:お姫屋敷の南側の道路に新しい説明板(地図付)が出来ていたようです。ただ、 お姫屋敷の堀から行くと、説明板の裏側しか見えないので見逃しました。お見逃しなく!
「花園城」 藤田氏の城であり、また、北条氏邦の城として鉢形城の支城でした。寄居駅から徒歩です。 1回目は、2015年10月に、フォロワーさん(トオルさん、じゅんこモンさん、 橘さん)と訪城しました。 諏訪神社の裏から登山開始。登山道は途中からなくなるので、道無き道、さらには竪堀の 中を上がります。3郭、2郭、本郭の順に散策しましたが、それぞれの間の堀は深く、 また、郭内には所々に櫓跡のような高まりや石積がみられました。 本郭と2郭の間の土橋も見所です。本郭には碑があり、その側でお昼ご飯。本郭西側の堀 もみてから、帰り道は、2郭と3郭の間の堀から続く竪堀の中へ。この竪堀は、途中から 2本に分かれています。 最後に、横堀(?)の突き当たりに石積が綺麗に残っている所を確認。また道無き道で 山を下りました。お城のそばの正龍寺に、北条氏邦と藤田康邦の墓があるので、一緒に 訪れてはいかがでしょうか。
花園城
2回目は、2019年4月に、フォロワーさん(トオルさん、まこちゃん)と行きました。 諏訪神社から登りはじめて、西から2番目の竪堀にぶつかった所で、二又に分かれている 東側の竪堀を登っていきます。途中、竪堀東側に、桝形の石積など何ヵ所かの石積を確認 出来ました。竪堀は折れを伴って、2郭と3郭の間の空堀に繋がります。 まずは、3郭の土塁、虎口を見学してから、3郭と4郭間の竪堀へ向かいました。この 竪堀も折れを伴って落ちています。 4郭の虎口をみてから、一番東側の竪堀に着きました。この竪堀には、畝のようなものが 4ヵ所以上ありました。 最初の竪堀まで戻って2郭へ進みます。2郭は東の土塁、北西の土塁ともに石積がみられ ました。そして、2郭と主郭の間の堀へ。ここには、土橋が綺麗に残ります 主郭は2段になっていて、東側に土塁、そして、西側に城跡の石碑がありました。さらに、 主郭南側の側面に、鉢巻石垣のような形で石積がありました。 主郭の西側の堀に降りて、さらに西からの登城路あたりを散策。しかし、石積が1ヵ所 あった以外、遺構はよくわかりませんでした。 その後、主郭の南側の堀と、さらに南に平行する土塁をみてから、一番西側の竪堀の方へ 降りていきました。この竪堀も二又に分かれますが、その東側に何段かの石積があります。 最後に、一番西の竪堀と西から2番目の竪堀の間に斜めに走る小竪堀の石積をみて、散策 を終えました。今回は、2時間半かけて城の隅々までみられ満足でした。 また、今回も、正龍寺の藤田氏、北条氏の墓に寄り、さらには、藤田善導寺の本堂にある 「百人一首の天井画」も見学しました。
「鉢形城」 鉢形城は、1476年荒川の断崖絶壁の上に築城された中世城郭であり、長尾氏、上杉氏、 そして北条氏邦の城でした。とても綺麗に整備されていて、寄居駅から徒歩で行けます。 1回目は、2010年10月に訪城しました。 四脚門(写真)、四阿(休憩所)等が復原されており、また、土塁、堀が良く残っていました。     堀の中には畝がありました。さらには、広く無いですが歴史館もありました。(200円)     2回目は、ツイッターフォロワーさん(橘さん、トオルさん、じゅんこモンさん)と一緒     に、2015年10月に訪城しました。     三の曲輪や秩父曲輪付近を中心に散策し、石積土塁、井戸、馬出にかかる木橋などがあり     ました。城山稲荷神社付近は元々虎口だったところのようで、現存とおもわれる土塁が     残っていて、すばらしかったです。さらに、大手の空堀、水堀をみてから本曲輪経由で     笹曲輪へ。ここに、現存と思われる石垣があって、びっくりしました。
鉢形城
    3回目は、2019年4月に、フォロワーさん(トオルさん、まこちゃん)と行きました。     笹曲輪の石垣をみてから、氏邦桜を見に行きましたが、残念ながらすでに葉桜でした。     でも、その南の大土塁にはカタクリの紫の花が美しく咲いていました。     伝逸見曲輪の石積を見学してから、諏訪神社のある馬出を見学。土塁と堀がなかなか見事     です。秩父曲輪の復元門、復元石垣、2つの井戸などを見学してから、もうひとつの馬出     へ。馬出内の土塁の内側にも石積が復元してありました。     そして、伝大光寺曲輪、外曲輪の土塁と堀、最後に外曲輪北の馬出の周りの堀をみて、     散策を終えました。
「根岸城」 2018年11月に、フォロワーさん(儀一さん、まこちゃん)と行きました。 車で行きましたが、駅からだと秩父鉄道の影森駅からです。昭和電工の守衛さんにお断り をして構内へ入ります。階段を延々と上がっていくと、秩父第26番霊場奥の院・岩井堂 があります。それを抜けて修験堂先の緑色の階段を降りていきます。そして、道なりに 進んでいくと城域になります。最初に現れる南側の郭への虎口はロープで登ります。 そして、主郭(写真)には、あずまやと「長者屋敷 琴平神社林木園」という石碑があり ました。
根岸城
主郭から岩盤堀切を越えると2郭があります。そこから、下の方に降りていくと北の尾根。 ここには堀切があり、その先に郭がありました。 そして、南東の尾根にある堀切を見るために、主郭東側の斜面を進みました。ここで、 スキルの無い私は、滑りそうになりました。なんとかたどり着いた南東尾根には、堀切が 2つあり、たどり着くのに大変だった苦労が報われました。 (南東尾根には、主郭の南東から下りた方が無難です。)
「古御嶽城」 2018年11月に、フォロワーさん(儀一さん、まこちゃん)と行きました。 車で行きましたが、駅からだと西武秩父線の横瀬駅からです。秩父石灰工業のそば、秩父 石灰線4号鉄塔まで行く巡視路から登ります。そのまま尾根を登り、別の尾根と合流 しました。そこからが大変!ガレ場、そして、岩場に張り付いて登ります。手がかりに した岩がスポッと抜けたりして怖い怖い・・・。(ブログ等で何人かが登城を諦めて 引き返しました、と書いてあっただけのことはあります。行かれる方は、怪我しないよう 充分にお気をつけ下さい) なんとかたどり着けたのが2郭です。八坂神社とかいろいろな神社の石碑があります。
古御嶽城
そして、2郭から岩盤堀切を越えると、主郭(写真)です。標柱があり、そして、同じく いろんな神社の石碑がありました。その先には、左手に2つの竪堀があり、また、堀切も 2つありました。帰り道、2郭の下に広い段郭が何段かあることも確認しました。
「横瀬根古谷城」 2018年11月に、フォロワーさん(儀一さん、まこちゃん)と行きました。 机ノ城とも言うそうです。車で行きましたが、駅からだと横瀬駅からです。入口は2つ。 今回は西口から登城を開始。(どちらの入口もわかりにくいので事前に調べましょう) 最初に、西郭の虎口の土塁が現れます。西郭には説明板もあります。隣の御殿跡に進み ます。御殿跡の西側にある竹藪の中には横堀が2つあります。これが素晴らしい!この城 一番の見所かもしれません。(写真は、そのうちのひとつです) 御殿跡から本郭までは登りです。浅い堀切が2つみられます。本郭には説明板があり 武甲山のみえる景色も良かったです。
横瀬根古谷城
本郭から東側に下っていくと2の郭があります。そこには両側に竪堀がある土橋があり ました。さらに下っていくと、腰郭、そして、完全に藪になってしまっていますが東郭が ありました。そして、北口から出て散策を終えました。11月には、近くの西善寺(秩父 第8番霊場)のコミネモミジの紅葉もおすすめです。
「宮崎城」 2018年11月に、フォロワーさん(儀一さん、まこちゃん)と行きました。 荒川とそこに流れ込む支流に囲まれた単郭の城です。車で行きましたが、駅からだと 秩父鉄道の大野原駅から近いようです。 西、南、東側は天然の要害である川で守られており、唯一陸続きである北側には、両側に 土塁がある虎口があります。
宮崎城
そして、虎口の手前には土橋と空堀(写真)があり、空堀はそのまま竪堀となって落ちて います。こじんまりとはしていますが、街中の割には、遺構が綺麗に残っていました。 徒歩5分で、アニメ「あの花」(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。)の聖地で ある旧秩父橋もありますので、ご一緒にいかがでしょうか。
「金鑚御嶽城」 2018年7月に訪れました。本庄駅、又は丹荘駅から神泉総合支所行きバスで新宿下車。 徒歩20分で金鑚(かなさな)神社に向かいます。国重文の多宝塔をみてから参拝し 神社の裏から登山を開始。途中、「高崎城の落城時に、その炎の光が映じて赤く輝いた」 という伝説を持つ「鏡岩」をみながら東郭に到着しました。まずは、右手の岩山と弁慶の 隠れ穴を見学。(あとから聞いたら隠れ穴は2つあったようです) 主郭に向かうと堀切があり、ロープで登る所もありました。主郭(写真)には、本郭標柱 と山頂343メートルの案内板がありました。
金鑚御嶽城
そこから、まずは、西の尾根をアタックしようとしましたが、間違って南の尾根に出て しまい、引き返しました。西の尾根では、堀切を2つ確認しました。 主郭に戻って、藪こぎしながら二の郭に向かいました。途中、堀切がありました。 二の郭から北東尾根方向に1段下りた東側側面に、今回一番見たかった石積を発見出来 ました。見るのが難しいかと思いきや、ちゃんと道がありました。 そこから北東尾根を行きます。岩盤堀切、土橋のある堀切をみて戻りました。二の郭から 主郭に戻るとき、道がわからなくなり直登することに。つらかった・・・。 最後に、池などが残る法楽寺跡をみて、神社に戻ることが出来ました。
「本庄城」 2018年7月に訪れました。本庄駅から徒歩、またはバス(伊勢崎駅行き)です。 城跡は、市役所と城山稲荷神社の辺りです。神社の鳥居の所に、城跡の石碑(写真)と 説明板がありました。また、神社の由来説明板にもお城の事が書いてあり、社殿の前の けやきの大木は、築城の時に献木されたものとのことでした。
本庄城
次に、神社と市役所の間の民家敷地に向かいます。自転車置き場からフェンス越しに 覗くと、土塁の跡が残っているのです。最後に、一番東の郭であった八坂神社にも 寄りました。
「戸塚城」 2018年6月に訪れました。 埼玉高速鉄道の戸塚安行駅から徒歩です。小宮山氏の城だったそうです。 以前、大規模な発掘調査が実施されており、幅10メートル、深さ4メートルの堀が たくさん見つかりましたが、現在は住宅地になっています。 「この辺りが城の南側の堀かなぁ」という所を見学すると、城の中心側が数メートル高く なっており、城の面影がありました。
戸塚城
そして、戸塚立山公園にも行きました。ここは、城の西の端なのですが、戸塚城、及び 戸塚立山遺跡の説明板(写真)がありました。公園を散策すると、高低差、模擬石垣や池 があり、なかなか趣がある公園でした。
「杉山城」 武蔵嵐山駅から徒歩40分です。あるいは、小川町駅から小川パークヒル行きバスで終点 まで行き、徒歩20分でも行けそうです。「築城の教科書」とも言われています。 1回目は、2012年5月に訪れました。 外郭のところの連続する折れ、北三の郭と北二の郭の間のコの字型の虎口など見所の多い 戦国期の山城でした。南西には井戸跡が残り、そのそばには縦堀も何本かありました。 図入りの説明板が所々にあった為、当時の縄張を想像しやすかったです。 2回目は、2018年6月にTwitterフォロワーさん(あいこさん、かくかくさん、 エイミー。さん)と攻めました。 まず、山の上にある嵐山町役場に寄って、スタンプを押してから行きました。大手口には 説明板とパンフレットがありました。外郭からは折れのある堀と土塁がみられます。
杉山城
南二の郭、喰い違い虎口、南三の郭、土橋、馬出と回り、細い通路へ。石で蓋されて いる井戸を見学後、井戸郭から本郭に向け木橋が掛かっていた所を見ました。 本郭の西側の竪堀をみながら、北二の郭へ。西側の斜面にもよくみると土塁があります。 コの字型虎口を通り、北三の郭、搦手口へ。引き返して、本郭に進みます。 そこには、石碑、説明板(写真)がありました。最後に、東二の郭、土橋、東三の郭の 土塁をみて、1時間にわたる散策を終えました。
「菖蒲城」 2018年6月に攻めました。金田氏が築城したそうで、現在は菖蒲城趾あやめ園に なっています。桶川駅から菖蒲車庫行きで新堀バス停、あるいは、少し歩きますが、 久喜駅から菖蒲仲橋バス停です。花菖蒲のシーズンだけ、桶川からのルートに、臨時 バス停あやめ園が出来ます。
菖蒲城
紫や白の花菖蒲が咲く中、中央部分に菖蒲城趾の石碑がありました。さらには、旗本 内藤家栢間陣屋裏門も移築されています。せっかくなので、花菖蒲のシーズン6月に 行かれるのがよいと思います。 ちなみに、菖蒲城の由来は、城の竣工が5月5日の菖蒲の節句であった為だそうです。
「粟原城」 2018年6月に攻めました。鷲宮駅から徒歩です。らき☆すたで有名な鷲宮神社と そこから線路を渡った辺りが城域であり、神社の神主さんが城主だったようです。 まずは、鷲宮神社をお参りしました。光天之池(みひかりのいけ)、神楽殿などが あります。
粟原城
そして、伊勢崎線の線路を渡って進んでいくと、大手があったといわれる交差点に 着きます。そこから、路地を北に向かい進んでいくと、うっすら小高くなった所に祠が あります。ここが、本丸跡といわれている所です。(写真) 最後に、堀跡と伝わる路地にも行きました。路地は、まっすぐ進み、右に曲がっていて 堀はL字型だったようです。
「羽生城」 2018年6月に攻めました。羽生駅から徒歩で25分です。広田氏と木戸氏の兄弟が 築城し、上杉方の城だったそうです。 城の中心部は残っていませんが、天神郭であった古城天満宮の所に、羽生城趾の石碑と 案内板が2つありました。(写真)
羽生城
案内板の縄張図をみると、羽生城は水堀で何重にも囲まれた城だったようです。 天満宮を参拝してから、300mほど西側にある高山稲荷神社(羽生陣屋跡)にも 行きました。
「高坂館」 2018年1月に行きました。 戦国時代は、北条氏が松山城攻めのための陣を置き、江戸時代は加賀爪氏の陣屋でした。 東武東上線の高坂駅からおよそ500メートルで、現在は高済寺というお寺です。
高坂館
寺の西側に、長さ50メートルくらいの高い土塁があり、その西には堀跡がありました。 (写真)土塁の上を歩いていくと、北の端が櫓台のように広くなっていて、そこには 加賀爪氏の墓がありました。
「足利基氏館」 2018年1月に行きました。 基氏は、足利尊氏の四男で初代鎌倉公方だそうです。高坂駅から徒歩で行きましたが バスもあります(鳩山ニュータウン線の月ヶ丘下車)。 東側に堀跡(写真)と説明板があります。その奥が物見台になっているという事ですが あまり高まりはありませんでした。 また、館跡の南を通る道路を西に少し歩いたところに、西側の堀と土塁が残っています。
足利基氏館
そして、ここで散策を終えようとしましたが、どうしても北側の遺構が気になって 藪に進入!! 北側のゴルフ場との間にも土塁と堀がずっと続いていて、凄かったです! さらには、この館、東西2つの曲輪からなっているようで、その間の堀もなかなかです。 館跡のすぐ西には、弁天沼の中に弁天堂があるので、一緒に訪れると良いでしょう。
「山田城」 2018年1月に行きました。 森林公園の中にある城です。森林公園駅からは、直通バスか路線バスで行けます。 入園料は410円ですが、年に数回、入園無料の日もあります。 南口を入ってすぐのこんもりした丘が山田城です。単郭であり、土塁と堀が一周回って いるので、まずは堀底をぐるりと歩きました(写真)。
山田城
そして、内部にもいくつかの土塁と、それに伴う2つの堀がありました。また、説明板 も中央辺りにありました。 森林公園は、私が子供のころは親に連れられて、結婚前にはデートで、子供が小さい 時にも遊びに連れてきているようなポピュラーな公園なのですが、まさか、こんな所に 城跡があったとはねぇ!!
「山崎城」 2018年1月に行きました。 森林公園の中にある城です。南北方向に通っている「古鎌倉街道」の東側に城域があり 沼がある凹んだ地形を、北・西・南とコの字型に堀と土塁が囲んでいます。 これらのうち、西と南の堀は、竹が多いためか、冬でも藪こぎ状態でした。 それに対し、北側の堀は、花木園として整備されている所なので、とても綺麗!
山崎城
その北側の堀底を東に歩いていくと郭に到着します。この郭は、堀が一周ぐるりと囲み 西側には土塁があります。その土塁は、横矢がかかるように一部が出っ張り凸となって います。(わかりにくいですが写真のようにです。) その郭の東側にも、もう一つ郭がありそうなのですが、柵で立ち入り禁止です。覗いて みると、りっぱな堀があるようでしたので、いつか開放してほしいぞーw
「平柳蔵人館」 2017年12月に行きました。 岩槻城主・太田資正の家臣であり国府台合戦で討死した平柳蔵人の館で、川口市の 南平公民館・元郷分館の位置にあったそうです。「南平」の地名も「平柳」の「平」 から来ています。 今回は自転車で行きましたが、埼玉高速鉄道の川口元郷駅から徒歩でも行けます。
平柳蔵人館
現在は遺構がなく、石碑(写真)と説明板があります。説明板によると三重堀があった そうです。
「本郷城」 2017年12月に行きました。 川口市東本郷の傑傳寺(けつでんじ)とその付近の住宅地にありました。自転車で 行きましたが、バスだと草加駅か鳩ヶ谷駅から出ています。 事前の情報では「立ち入り禁止の鬱蒼とした雑木林の中に土塁と堀がある」との事 でしたが、行ってみると木が全て伐採されていました。(写真の右奥の部分)
本郷城
そのため、凹凸がわかるようになり良かったのですが、今後、住宅地になってしまう 可能性もあり、遺構の破壊にならないか心配ですね。
「土屋陣屋(永田陣屋)」 2017年11月に行きました。大宮から、指扇行きのバスで、馬宮コミュニティ センター下車です。伊奈氏が造り、その後、家臣の永田氏に譲られたそうです。現在も 子孫の永田さんが住まわれています。
土屋陣屋(永田陣屋)
陣屋を囲む水堀(写真手前)が、三方向(南西、北西、北東)だけですが現存しています。 また、江戸時代後期に建てられたと推測される長屋門(写真奥)が残っています。 説明板は2箇所。長屋門の脇、そして、バス通りに面した所にもありました。
「花崎城」 2017年8月に行きました。 粟原城の支城で、上杉氏に攻められ落城しました。花崎駅から徒歩です。線路の南に ある花崎城山公園です。公園の東側に案内板(花崎遺跡)があります。縄文時代から 人が住んでいたので、いろいろな時代のものが出土しているそうです。
花崎城
公園の南には空堀(写真)があり、西側には曲輪の周りを水堀が囲んでいます。また、 北側にも水堀がありました。発掘では、障子堀が出ています。 さらに、線路の北側にある、馬出だったと言う花崎城址公園にも寄りました。こちら には特に遺構はありませんでした。
「足利政氏館」 2017年8月に行きました。 久喜駅から徒歩です。近くまでバスもあります。現在は甘棠院(かんとういん)という お寺です。政氏は、ここに1519年から住んでいたそうです。 第一の門の所に、石碑と案内板があります。第二の門の左右に空堀跡があり、特に左側 (写真)は、西に延び、折れてから北に延びています。途中までは、綺麗に整備されて いますが、その先は藪であり散策をあきらめました。
足利政氏館
第三の門の所にも案内板がありました。そして、お寺の北側にある「甘棠院史跡公園」へ。 公園へは、お寺の西側、東側、どちらからでも行けます。ここでは、北側の堀が発掘 されたそうですが、今は埋め戻されています。2枚の案内板があります。
「蕨城」 地元のお城、蕨城です。南北朝時代に渋川氏が築城したものの、1500年代に 北条氏によって滅ぼされたお城で、その後、江戸時代には徳川家の鷹狩用の御殿 として再利用されました。今は、城址公園、和楽備神社、蕨市民会館となって います。 地元なので、何回も訪れています。 2002年には、1歳の娘をベビーカーで連れて徒歩で初詣も兼ねて行きました。 写真でご覧の通り、ほとんど何も残っていなくて、「蕨城址の碑」と芝生と樹木と 池(水堀の名残だそうです)という印象でした。
蕨城
2015年には自転車で行きました。まず、水堀跡の池。石碑によると「御殿堀」 と呼ばれたそうです。そして、城址公園の北の隅に「L字型の土塁」があるのを 発見。今まで気づかなかったというか、土の城を知らなかったので、完全に 見過ごしていました。現存か?と思いましたが、残念ながら復元ということで 盛られたようです。城跡には、「成年式の像」(蕨は成人式発祥の地)、「ニュー トンのリンゴの木」もあるのでお見逃しなく! さらに、ちょっと離れたところに「要害通り」という通りがあります。ここは 手づくり郷土賞で表彰を受けた「せせらぎ遊歩道」となっているのですが 今回「要害の松」を発見。帰ってから調べますと、蕨城の物見櫓や総門がこの辺り にあったと伝わるということでした。 そして、2016年9月には、5人のTwitterフォロワーさん(ふみさん、じゅんこ モンさん、山城さん、あいこさん、山城くん)を案内しました。 蕨城だけでなく、河鍋暁斎美術館→蕨宿(本陣跡、歴史民俗資料館)→三学院→ 蕨城→要害通り→宝樹院と巡りました。 宝樹院は、蕨城主・渋川氏の菩提寺でお墓があり、石碑、案内板もありました。 2017年7月にも、3人のTwitterフォロワーさん(ばったびさん、メンチさん、 橘さん)を案内しました。ルートは、前回とほぼ同じでした。 皆さまも、日本で一番面積が小さく、一番人口密度が高く、そして、あいうえお順で 一番最後になる蕨市と蕨城へ是非おいでくださいませ!
「高見城(四津山城)」 2017年7月に行きました。 東武線の小川町駅から、熊谷行きバスで10分の「上横田」バス停下車、徒歩30分 です。登っていくと、石段の向かって左に「犬走り」があり、先に見学しました。 さらに石段を登り、四津山神社がある本郭へ。(写真)そこには、説明板がありました。
高見城
そして、連郭式になっている高見城の4つの堀切を順に見ていきます。 本郭の神社と1段下の郭の間、本郭と二の郭の間、二の郭と三の郭の間、そして、 三の郭北側です。7月でも藪はなく、大変見やすかったです。また、二の郭北側の 土塁が、折れのある虎口になっているのも見所です。最後は、女坂と腰郭を通り下山 しました。
「雉岡城」 2017年7月に行きました。 八高線の児玉駅から徒歩です。別名:八幡山城であり、上杉氏、後北条氏、松平氏の 城だったそうです。主要部分は児玉中学と児玉高校で入れませんが、城跡の南東部分は 公園になっています。入り口に説明板がいくつかと石碑があります。 南の郭は堀と土塁で囲まれています。二の郭の馬出部分は、土橋、周りの堀とともに 残っており、土橋を渡り金比羅神社へ行けます。
雉岡城
馬出の南西、大手跡付近にも説明板があります。また、馬出北側の堀の底に、伝説の 「夜泣き石」があります。(写真) 圧倒される大きさなのは、本郭と東郭の間の堀跡、また、東郭と南郭の間の水堀跡。 さらに、遺構は公園の外にもありました。東郭の東側の水堀跡は住宅地の中に残り さらには児玉高校の北東には馬出を囲む堀跡がありました。探せばもっとありそうです が、この辺りで城跡散策終了。 最後は、徒歩3分の塙保己一記念館を見学。お城のパンフレットもありましたよー!
「山口城」 2017年6月に行きました。西武線の下山口駅から徒歩10分くらい。サンキという 洋服屋さんの敷地です。交差点の所に説明板と石碑があり、土塁が3つ残っています。 (写真は1号土塁)
山口城
中でも、3号土塁は、L字に折れています。また、線路を渡った駐車場からは、水堀跡 がみられます。 そして、少し離れた稲荷大明神。ここの社の裏側に行ってみると、藪藪ながら、右手に 堀跡、そして土塁がみられました。期待してなかったのでテンションアップでした。 また、下山口駅と城跡の間にある勝光寺山門は1600年代に建てられたものだそうで カッコよかったです。 山口城と一緒に是非!
「三ツ木城」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。 桶川駅から川越駅行きバスで、川谷田支所下車。コミュニティバスもあります。 城跡は城山公園のそばにあります。
三ツ木城
案内板があり、その後ろに、三角形の縄張が広がります。二重の土塁と、その間の堀(写真) で囲まれていて、内側の土塁には櫓台のような所もあり、なかなか素敵な城でした。
「加納城」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。岐阜県の加納城とは違います。 桶川駅から、菖蒲車庫行きバスで、宮の脇バス停下車。コミュニティバスもあります。 まず、石碑、説明板があり、その隣には土塁、堀が残ります。土塁はL字に折れています。
加納城
土塁見学のあと、三角形の公園にある古い説明板、そして、道路に残る折りひずみも見に 行きました。 昭和30年頃の宅地化により、土塁、堀の大部分を失った城で残念なのですが、一部でも 残っていて良かったです。
「源経基館」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。箕田城とも呼ばれるそうです。 源経基は清和源氏の祖先のひとりで、10世紀ころに活躍したそうです。 鴻巣駅から徒歩。館の周りを四角く土塁と堀が巡ります。北東と南東の2ヵ所の角は、 土塁と堀に折れがみられます。
源経基館
案内板は北西にあり、北側の土塁の上に「六孫王経基城跡」石碑(写真)があります。 今回は行きませんでしたが、鴻巣名物、川幅うどんも一緒にどうぞ!
「別府城」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。 籠原駅から2キロくらいあり、今回は徒歩で行きましたが、途中までバスもあります。 東別府館とも言われ、現在は「東別府神社」であり、周りを四角く土塁と堀がまわって います。(写真は、北側の堀と土塁です。)
別府城
神社南にある「神明社」参道が枡形状に折れており、そこに「東別府館」の石碑が あります。また、神社の西側には「別府城」の石碑、そして、橋から虎口にかけての 道には折れがみられました。 別府城周辺には、香林寺になっている「別府氏館」、そして、石碑だけしか残ってない 「西別府館」、2つの館跡がありましたので、それもあわせて見学しました。
「伊奈氏陣屋(伊奈氏屋敷)」 2017年5月に行きました。伊奈城とも言うそうです。 ニューシャトルの沼南駅で降り、散策後、丸山駅から乗りました。 まずは、表門跡から散策開始。案内板と道を挟み反対側には、水堀跡があります。 2郭跡には、石碑と案内板(写真)があり、後ろは土塁でした。1郭と2郭の間には 堀がありました。
伊奈氏陣屋
そこから、蔵屋敷跡の方に向かうと散策路の看板がありました。散策路は綺麗に 整備され、土塁の間を歩けました。さらには、「頭殿社への散策路」というのも整備され 陣屋跡を通る部分があり、果樹園になっている陣屋跡を眺められました。 最後に裏門跡へ。ここは、障子堀が検出されています。標柱、案内板がありました。 さらに、案内板の奥、数十メートルの所には、大きい堀と土塁が残っていました。 以前は「告! 住民無視の史跡指定は一切認めない 住民一同」という看板だらけで なかなか散策しにくかったという伊奈氏陣屋。現在は、そのような看板も撤去され 気軽に散策できるように変わってきたようです。
「虎ヶ岡城(円良田城)」 2017年4月にフォロワーさん(橘さん、およよさん)と行きました。円良田湖のそばに 車を置き、登山開始。途中、急な階段でヘロヘロになりながらも、主郭に到達しました。 写真のように、東屋、案内板があります。
虎ヶ岡城
そこから、まずは、西の方の郭を散策します。大きな堀切(竪堀付き)が2つあり、ずっと 先にも、うっすら堀切と竪堀がありました。 一旦主郭に戻り、今度は東の郭にも。こっちは堀切(竪堀付き)2つ。1つ目の堀切を 越えた郭の南側の面には、石積みがありました。(残念ながら、伐採した木で良くみえず) また、城域の一番東側には井戸があり、落ち葉をどけると水がしみ出しました。
「天神山城」 1回目は、2017年2月に行きました。 秩父鉄道の野上駅から徒歩40分でした。 白鳥神社に参拝し、その裏側の道を登ります。途中、石垣、土塁、腰郭がありました。 そして、本郭へ!ここには廃墟となった模擬天守(写真)があります。中に入ってみようと 思ったのですが、床板がボロボロで私の体重ではズブッといきそうなので、やめました。
天神山城
本郭と2郭の間の堀は深く、橋が架かっています。2郭には金属製の展望台のようなものが 放置してありました。そして、少し高くなっている3郭にも登ってみました。 その後、少し戻って、藪漕ぎしながら「2郭の西側にある遺構」を見学しました。なぜか 外側に土塁を伴う横堀を2か所、そして、竪堀を4か所確認できました。 最後は、3郭側から下山を試みましたが、途中から道が無くなり藪で大変でした。遠回り になっても、白鳥神社側から下山した方が良いと思います。 2回目は、2017年4月にフォロワーさん(橘さん、およよさん)と行きました。 先に、天神山城主の墓がある法善寺にいきました。ちょうど、しだれ桜が満開でした。 白鳥神社から登城。模擬天守をみてから、前回、気づけなかった2郭西側側面の石積を確認。 そして、3郭まで一通り見終わってから、前回行っていない「東出郭」へ行ってみます。 2郭の東側から、急な斜面をなんとか降りました。(一部ロープも使用) そして、東出郭は、いくつもの堀が縦横無尽に走っていて、凄いの一言!ある地点から こっちにも、こっちにも、そっちにも、あっちにも堀がみえる!頑張って急斜面を降りた 甲斐があるってものです。
「金尾山城(寄居要害城)」 2017年4月にフォロワーさん(橘さん、およよさん)と行きました。 つつじ山の公園になっています。残念ながら、まだつつじは咲いていませんでした。 登っていくと、愛宕神社と案内板があります。ここが主郭で、さらに櫓台として1段高い ところがあり、そこには展望台(写真)があります。展望台からは、遠く鉢形城もみえます。 (金尾山城は鉢形城の支城だそうです。)
金尾山城
そこから、遺構を探しに行きました。南側には、何段かの郭がありますが、2郭と3郭の 間に土橋と竪堀(残念ながら伐採木材捨て場)があり、さらには3郭と4郭の間の段差に 石積みがありました。 次に、北側の遺構です。北側の尾根を行くと、凹みがわずかになってはいますが堀切と竪堀 を見ることが出来ました。
「大堀山城」 2017年3月に行きました。大堀山館とも言います。 Twitterフォロワーさん(ふみさん、ままおさん、あいこさん、じゅんこモンさん、山城君) と一緒に車で行き、東側の霊園の駐車場に停めました。 北側に説明板があります。それを読んでから3の郭へ踏み入ります。2の郭の堀はぐるっと 一周回っていて、北東の隅は2回の折れがついています。北側に土橋もありました。しかし、 北西の隅は、埋め立てられてしまっていました。 本郭北側の堀も少し浅くなってしまっていますが、残っています。本郭の北東部分に神明社 がありました。本郭中央部分は盛り土がされてしまっており、改変されていました。
大堀山城
本郭南側の部分の堀(写真)が一番深く、土塁もありますが、堀底を歩いていくと西側は完全に 藪になっており進むのをあきらめました。 ここは、陸軍の坂戸飛行場だったことがあるそうで、3の郭の堀に続く馬蹄状の土塁は 掩体壕跡、また、北側の道を挟んだ所にある丸馬出、三日月堀状にみえるものは高射台跡だ そうです。
「河越館」 東武線の霞が関駅から徒歩15分です。1回目は、2015年9月に訪城しました。 現在は史跡公園として整備されています。ここは、12世紀ころの河越氏の館であり、また 戦国時代には山内上杉氏の上戸陣の跡でもあるそうです。 河越氏館の遺構としては、塚状遺構、井戸、建物跡、堀跡が復元されており、一方で上戸陣の 跡としては、堀跡が「コンクリートによる平面表示」で示されています。 また、公園外の西側に土塁が良く残っていますが、これも上戸陣以降の時代のものと推定 されています。(写真の碑の後ろの土塁)
河越館
さらに、隣の上戸小学校の資料展示室で発掘調査で出土した器などの展示があります。 (日曜日の10時から15時、河越館時代のものも上戸陣の時代のものも両方あり) ここでは、おばさまに丁寧な説明をして頂け、歴史に疎い私も大変勉強になりました。 さらに、隣の常楽寺に、後北条氏の重臣、大道寺政繁のお墓があると教えていただいたので お参りしてから帰りました。 2回目は、2017年3月にTwitterフォロワーさん(ふみさん、ままおさん、あいこさん、 じゅんこモンさん、山城君)と一緒に訪城しました。常楽寺の門の2階が鐘楼になっている のに気づいたくらいです。
「千馬山城(龍ヶ谷城)」 2017年2月に行きました。秩父鉄道の親鼻駅から徒歩40分で、途中に「道の駅みなの」 があります。バスも本数は少ないがあるようです。登り口がわかりにくいので、あらかじめ 調べましょう。「30cm×20cmくらいの小さな道標」に従い、赤い屋根の神社の所 から入ります。 尾根を登っていくと石垣や門跡があります。そのまま登っていくと、案内板と祠がある主郭 (写真)に出ました。北西尾根の堀切は上から確認しました。
千馬山城(龍ヶ谷城)
2郭の堀は折れを伴っています。そこから、滑り落ちそうになりながら、東郭の「南西の 竪堀」を降りました。そこにも石垣をみつけ喜んだのですが、その先、横移動をしようと しても、朽ちて倒れた竹藪が酷くてなかなか進めません。 なんとか東郭「北東の竪堀」に辿り着き、そこを登って、少し北東に行くと、石垣で囲まれた 小郭(櫓台?)のようなところに出ました。さらに、道なき道を進むと、2重竪堀の下の方に 出てしまいました。 この素晴らしい2重竪堀を登り、主郭のほうに戻ると、2郭北東の堀切(岩盤)があります。 帰り道では、往路で行き忘れた物見郭へ寄りました。土橋があり、見晴らしも抜群でした。
「柏原城」 2017年1月に行きました。狭山市駅からニュータウン行きバス、柏原東下車すぐです。 城山砦跡とも言われています。 本郭の周りは土塁に囲まれ、その外に大きな空堀(写真)が巡っています。
柏原城
さらに、空堀の外に土塁状の高まりがあります。土塁の上、そして、堀底を散策し、2の郭 へ向かいました。2の郭には城山稲荷神社があり、2の郭と3の郭の間もわずかに堀が確認 できます。住宅街の中、遺構が良く残っている城でした!
「青山城」 2017年1月に行きました。小川町駅からバスもありますが、本数が少なく、登山口まで 25分歩きました。 仙元山への登山口から登ります。6分登り左へ、さらに9分登り右へ。5分登ると、3の郭 南の堀切(一部が岩盤)のところに出ます。 まずは、3の郭を経由して、本郭と3の郭の間の堀切へ。深くて素敵な堀切でした。 本郭には説明板(写真)があり、上下2段に分かれています。
青山城
本郭北側には小郭があり、その周りには三日月堀のような堀が!そして、本郭は土塁で 囲まれていますが、一部、土塁の上部に石が埋め込まれている所がありました。土留めなの でしょうか? 本郭と2の郭の間の堀は一部が岩盤でした。竪堀も2本落ちています。2の郭には、L字型 の岩盤土塁がありました。 最後に、本郭と2の郭の一段下に細長く続く帯郭を通って戻り、散策を終えました。 なかなか見所のある山城でした。
「大築城」 2016年12月にフォロワーさん(ままおさん、ふみさん、トオルさん、あいこさん) と行きました。上田朝直の城です。あじさい公園から住吉神社のところを入っていき、 車を止めます。結構な山登りでした。途中、道が左右に分かれるところでは、左の 「モロドノ郭」を目指します。 モロドノ郭には、いくつかの土塁、先端部分に古墳だったといわれる櫓台がありました。 そこからは、さらに道を登ります。竪堀を下から見上げ、ぐるっと迂回します。 最初に出てくる堀切!これが大きくて、この城1番の見どころでした。(写真)
大築城
少し行くと、もう1つの堀切。そして、虎口を入り、西のほうへいけば、また内枡形虎口 (土塁)があり、この土塁の上からの景色が最高! さらに西に進み本郭へ。ここには案内板があり、また、本郭西側には内枡形虎口と2段の 段郭があります。頑張って2段下の郭まで降りてみました。 そして、来た道を戻り大築城を後にしました。ゆっくり見学したのもありますが、登って から降りてくるまで3時間弱もかかった城でした。
「武州松山城」 東松山駅から徒歩、又はバスで行けます。 1回目は、2012年1月に訪城しました。本丸、二の丸、春日丸、三の丸と順番に 散策しましたが、それぞれの曲輪の間の空堀が広く深く感動しました。 写真は、本丸にある石碑です。(2016年現在、石碑の場所が移動し、傾いて います)
武州松山城
三の丸から本丸に戻り、兵糧倉跡を経て、岩室観音堂へのぬかるんだ竪堀をおそる おそる 降りました。滑らなくって良かったです。 岩室観音堂を見学後に、隣にある「吉見百穴」も訪れました。吉見百穴は、岩山に 穴がボコボコ開いている古墳時代後期のお墓の跡です。お土産には、せんべい 「ねぎみそこわれ」を買いました。 2回目は、2016年12月にフォロワーさん(ままおさん、ふみさん、トオルさん あいこさん)と行きました。岩室観音堂のところの竪堀を上がって本曲輪に行きました。 本曲輪には、土塁の上の傾いた石碑、案内板などがあります。(石碑は、建て直して 欲しいですね!)そこから、まずは、2の曲輪方面へ。堀底を通って、本曲輪と 太鼓曲輪の間の堀底にも行ってみました。2の曲輪に戻って、3の曲輪(春日丸曲輪 ともいう)へすすみます。この曲輪の南側は細い道(土橋)になっていて馬出に続いて いました。そして、4の曲輪(3の曲輪ともいう)へすすむと土塁がありました。 一旦本曲輪まで引き返し、兵糧倉のある側に降りました。そこから、惣曲輪など見学し 城の外へ下りました。帰る直前に、4の曲輪の外側に、もうひとつ「広沢曲輪」なるもの があることが判明したため、この曲輪と堀もみてから城をあとにしました。
「小鹿野両谷城」 2016年11月に7人で行きました。(弁天堂さん、ままおさん、ふみさん トオルさん、山城さん、山城君)車を停めるスペースは2台ほどあります。 最初だけは直登ですが、そのあとは尾根に沿った道をすすみます。 最初の堀切(写真)を渡ると2郭にあたる郭があり、その先に、もう一つの堀切 そして主郭がありました。
小鹿野両谷城
2007年に発見されたばかりの「村人が避難するための村の城」ということで あまり期待していなかったのもありましたが、特に最初の堀切が意外に大きくて びっくりしました。
「日尾城」 2016年11月に7人で行きました。(弁天堂さん、ままおさん、ふみさん トオルさん、山城さん、山城君)観音院の駐車場に車を停めました。 牛首峠までの険しい道を行き、まずは峠を右に。炭焼きがま跡を経て、段々に なっている郭を上がります。2郭をみてから、クサリ場を登る南郭へ、さらに 3郭を確認、主郭を目指します。
日尾城
主郭には土塁があり、その上には「日尾城」の石碑と馬上城山八幡があります。 (写真)そこから北西側に崖を下って堀切をみにいきました。 最後に、牛首峠を挟んで反対側にある出郭と岩盤堀切を堪能し下山しました。
「熊倉城」 2016年11月に7人で行きました。(弁天堂さん、ままおさん、ふみさん トオルさん、山城さん、山城君)近くの駐車場まで車で行けます。 2つの堀切を抜けて、大手門跡へ。写真は、大手門前の堀切です。
熊倉城
まずは、説明板のある2郭(南郭)を見学したあと、主郭と2郭の間の堀へ。 ここには土橋があります。次に主郭へ。こちらは、3方向が土塁で囲まれて いました。さらに、3郭と主郭との間の堀も見学。3郭の先にも、カーブした 小さい空堀がありました。
「中城」 小川町駅から徒歩です。 2016年10月に行きました。城跡でもあるが、仙覚律師遺跡でもあります。 回りを2重の土塁で囲まれていて、土塁には折れがみられます。中央部分は テニスコート。南西にある櫓台の上は御堂があります(写真)。
中城
北側にある陣屋沼緑地が水堀の役目をしていたようで、虎口に続く土橋が残って います。帰り、小川町駅前のおからドーナツ(三代目清水屋)を食べたら サクッもちもちで、美味しかったですよー。
「柏の城」 2016年10月に行きました。志木市にあります。柳瀬川駅から徒歩です。 志木第三小学校が本丸で、標柱と説明板があります。西の丸は長勝院で ここにも説明板があり、また、樹齢400年以上の旗桜(珍しい種類だそう)が 残っています。
柏の城
学校の校門から南に行くと大堀跡です。ほんとは幅12m、深さも4mだった そうですが、今ではマンションの前にわずかに窪みが残っているだけです。 さらに、学校の北東に城山貝塚というのがあり、ここが二の丸櫓台ではなかったか と言われています。
「寿能城」 東武野田線の大宮公園駅から徒歩10分です。 2016年9月に行きました。駅から公園に向かう途中の交番脇に「寿能城址」 という石碑があります。城の本丸跡が寿能公園になっていて、そこに、城主・ 潮田出羽守資忠の墓碑が建てられています(写真)。そばに案内板もあります。 墓碑の辺りが物見やぐらの跡だったとも言われているそうです。
寿能城
さらには、寿能公園から東に行ったところに潮田橋があり、橋を渡った「大宮 第二公園」が出丸であったと言われています。潮田橋のそばの案内板にお城の 記述があるのと、大宮第二公園内にある土塁跡と思われる所を確認出来ました。 近くには「埼玉県立歴史と民族の博物館」があるので、一緒に訪れると良いの ではないでしょうか?
「美尾屋十郎広徳館」 2016年9月にフォロワーさん(ふみさん、あいこさん、トオルさん)と行き ました。川島町にある、鎌倉武士、美尾屋氏の館跡で、今は広徳寺です。 五角形の敷地は堀に囲まれていたようで、今は一部が空堀、一部は水路として 残っています。
美尾屋十郎広徳館
さらに、広徳寺本殿と大御堂(重要文化財)の間に水堀跡(写真)が残っており 途中で折れを伴っています。 すぐそばに、太田道灌陣屋跡と伝わる養竹院があり、そちらも堀で囲まれている ようでした。
「岩槻城」 岩槻城は、岩槻駅から行けますが、本丸など主な部分は残っていません。新曲輪と 鍛冶曲輪のところは整備され岩槻城址公園となっています。 1回目は、2005年11月に行きました。 駅から約20分歩くと岩槻城址公園がありました。黒門(写真)、裏門の二つが 保存されているのですが、移築されていて元の場所はわからないそうです。
岩槻城
空堀の中が「ふるさと散策路」になっているので歩けました。また、駅からの途中に 「時の鐘」もありましたので、そちらにも立ち寄ってみました。 2回目は、2016年7月に、ツイッターフォロワーさん5人(トオルさん、あいこ さん、バンバンさん、ままおさん&ふみさん)と行きました。 まずは、郷土資料館。ジオラマとか古地図があります。近くの芳林寺の太田道灌騎馬 像、太田氏資墓所を見学。 岩槻城址公園に車で移動。レストラン大手門にて、B級グルメでケンミンショーでも 紹介された「豆腐ラーメン」(600円)を食べました。ちょっとラー油入りの和風 のあんかけ風で美味しかったです!! そして、城址公園の散策。黒門、裏門、土管により畝を再現している堀底道、鍛冶 曲輪の馬出(藪なので外から)、白鶴城の石碑と回ってから、池のピンク色の睡蓮を 愛でました。そして、市民会館いわつきの裏側の土塁(2重になっている)、最後に 新曲輪の馬出の藪に入りました。 それから、本丸公民館に車を止め、本丸跡石碑と案内板、二の丸石碑、三の丸石碑、 大手口石碑、時の鐘、藩校・遷喬館と巡りました。 そして散策の最後は、8キロにも及ぶ大構(総構)があった岩槻城で、大構の土塁が 残っている愛宕神社に行き、散策を終えました。 1回目には気づかなかったが、実は見どころが多すぎる岩槻城でした。
「戸田城」 2016年5月に訪城しました。戸田公園駅が近いですが、私は自宅から自転車で 行きました。「光明寺」というお寺(写真)と「元蕨第三公園」が城跡だそうです。
戸田城
昔は17号線沿いに土塁があったらしいのですが、今は遺構が何も残っていません。 案内板もないので、ここが城跡だとわからないですね。本当は、この場所に蕨城が あったという説もあるらしいです。 ここから17号線を少し北上すると「中山道の蕨宿本陣(無料の歴史民族資料館)」 「三学院」というお寺、蕨城址公園がありますので一緒に訪れると良いでしょう。
「花園御岳城」 2015年10月に訪城しました。(橘さん、トオルさん、じゅんこモンさん) 秩父鉄道の波久礼駅が近いですが、今回は花園城から歩きました。 登り口は少林寺で、五百羅漢の道を登ります。上の広場に出る直前に、左に小さい お地蔵様がいるところを左折するのですが、これがわかりにくい。事前調査不足で 結構迷いました。 そこからは、ずっとまっすぐ登っていくと、土塁が残る2の郭に出ます。さらに 進むと鳥居と石段があり、ここが本郭への登り口でした。本郭には板碑がたくさん あり、荘厳な雰囲気でした。
花園御岳城
遺構を求めて、鳥居に向かって左手の空堀に降り進んでいくと「竪堀」「横堀」 「竪堀」と交互に続くところを発見!特に、横堀と竪堀の間にあったL字状の土塁 (土橋)が素敵で気に入りました。
「腰越城」 2015年9月に訪城しました。東武線の小川町駅からバスで「総合福祉 センターパトリア小川」下車です。バスは多くのハイキングルートへ行ける ようで、連休であったこともあり30人くらい乗っていましたが、お城へ 行くのは自分一人でした。 登城口から直線的に登っていくと城域にはいり、いくつかの竪堀、土塁などを みながら進みます。この城の特徴は囮(おとり)小口。小口を登っていくと 行き止まりになっています。本当の小口は、堀切をぐるっと回って反対側に あります。西の郭をみたあと、三の郭、二の郭、小口前郭と登っていきます。 本郭の周りに、一部石積が残っているところがありました。
腰越城
そして、本郭に到着。写真のような碑や説明板があり、景色も東側、西側 ともに見晴らしが良かったです。 腰越城、アップダウンもあり、なかなかワクワクさせるおすすめの中世山城 でした。
「岡城」(朝霞市) 2014年11月に訪城しました。 岡城というと大分県の岡城が有名ですが埼玉県にもあります。東武東上線と JR武蔵野線が交差する朝霞台駅または北朝霞駅から徒歩20分です。 バスもありますが本数は少ないです。 城山公園になっており、一の郭、二の郭、三の郭から成ります。
岡城(朝霞)
一の郭には物見櫓跡があります。また、一と二の郭、二と三の郭の間には それぞれ空堀があり、横矢が掛かるように折れがありました。 (写真は一と二の郭の間の堀)堀底を歩くことも出来ました。
「青鳥城」 2014年11月に訪城しました。おおどりじょうと読みます。森林公園駅 から徒歩20分です。 まず、三の郭の堀跡であるオタメ池と虎御石をみて、本郭へ向かいました。 本郭へ入る道はわかりにくいので事前確認を。本郭はぐるっと高い土塁で 囲まれ、見ごたえがありました。(写真)
青鳥城
そのあと、二の郭の土塁と堀を確認しながら歩きました。儀一さんに教えて 頂いていた「青鳥城」の錆びた標柱も2つ見つけました。お城の周囲に ラブホテルが3軒もあるので、散策しにくいお城でした。(^^;
「滝の城」 2013年6月に訪城しました。武蔵野線の東所沢駅から20分です。 本郭は城山神社になっていて、四脚門跡があります。
滝の城
2の郭から3の郭にかけて大きな空堀がみられます。また、2の郭の 社務所の前に、地図を印刷したものが置いてありました。 最後に、外郭経由で滝の跡をみに行き、駅に戻りました。ついでに、 航空公園駅にある航空発祥記念館にも寄りました。
「難波田城」 2013年5月に訪城しました。志木駅からバスに乗り、さらに少し 歩きました。公園になっており、曲輪2から曲輪4にかけて水堀が復元 されています。しかし、本城の大部分は残念ながら住宅地になっています。
難波田城
資料館には古地図などの展示があり、古民家ゾーンもありました。

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