埼玉県の城


        「平柳蔵人館」

        2017年12月に行きました。
        岩槻城主・太田資正の家臣であり国府台合戦で討死した平柳蔵人の館で、川口市の
        南平公民館・元郷分館の位置にあったそうです。「南平」の地名も「平柳」の「平」
        から来ています。
        今回は自転車で行きましたが、埼玉高速鉄道の川口元郷駅から徒歩でも行けます。

平柳蔵人館
現在は遺構がなく、石碑(写真)と説明板があります。説明板によると三重堀があった そうです。
「本郷城」 2017年12月に行きました。 川口市東本郷の傑傳寺(けつでんじ)とその付近の住宅地にありました。自転車で 行きましたが、バスだと草加駅か鳩ヶ谷駅から出ています。 事前の情報では「立ち入り禁止の鬱蒼とした雑木林の中に土塁と堀がある」との事 でしたが、行ってみると木が全て伐採されていました。(写真の右奥の部分)
本郷城
そのため、凹凸がわかるようになり良かったのですが、今後、住宅地になってしまう 可能性もあり、遺構の破壊にならないか心配ですね。
「騎西城」 加須駅または鴻巣駅からバスで福祉センター下車です。 1回目は、2014年3月に訪城しました。白い模擬天守があります。自由に中には 入れません。(春の藤まつりと秋の文化祭の特別公開時のみ)模擬天守の位置は 昔は堀だった所のようで、本丸は現在田んぼです。
騎西城
また、バス停のそばに天神曲輪の土塁が残っています。(一部が現存で一部が復元です) 説明板によると、発掘調査により騎西城にも障子堀があったことがわかったそうです。 帰りに、加須駅入口で下車して、三小間というお店まで歩き、名物の塩あんびん餅 (塩味のあんこの餅)を買いました。 2回目は、2017年11月に行きました。秋の文化祭にあわせた特別公開期間で、 模擬天守の中に入れました。内部には出土品(お金、兜など)、鯱、絵図などの展示が ありました。一番上の3階では、外に出られ、お城の周りを眺められました。 帰りに、少し歩いて、@玉敷神社の神楽、A騎西二丁目バス停そばの説明板、をみて 帰りました。
「土屋陣屋(永田陣屋)」 2017年11月に行きました。大宮から、指扇行きのバスで、馬宮コミュニティ センター下車です。伊奈氏が造り、その後、家臣の永田氏に譲られたそうです。現在も 子孫の永田さんが住まわれています。
土屋陣屋(永田陣屋)
陣屋を囲む水堀(写真手前)が、三方向(南西、北西、北東)だけですが現存しています。 また、江戸時代後期に建てられたと推測される長屋門(写真奥)が残っています。 説明板は2箇所。長屋門の脇、そして、バス通りに面した所にもありました。
「花崎城」 2017年8月に行きました。 粟原城の支城で、上杉氏に攻められ落城しました。花崎駅から徒歩です。線路の南に ある花崎城山公園です。公園の東側に案内板(花崎遺跡)があります。縄文時代から 人が住んでいたので、いろいろな時代のものが出土しているそうです。
花崎城
公園の南には空堀(写真)があり、西側には曲輪の周りを水堀が囲んでいます。また、 北側にも水堀がありました。発掘では、障子堀が出ています。 さらに、線路の北側にある、馬出だったと言う花崎城址公園にも寄りました。こちら には特に遺構はありませんでした。
「足利政氏館」 2017年8月に行きました。 久喜駅から徒歩です。近くまでバスもあります。現在は甘棠院(かんとういん)という お寺です。政氏は、ここに1519年から住んでいたそうです。 第一の門の所に、石碑と案内板があります。第二の門の左右に空堀跡があり、特に左側 (写真)は、西に延び、折れてから北に延びています。途中までは、綺麗に整備されて いますが、その先は藪であり散策をあきらめました。
足利政氏館
第三の門の所にも案内板がありました。そして、お寺の北側にある「甘棠院史跡公園」へ。 公園へは、お寺の西側、東側、どちらからでも行けます。ここでは、北側の堀が発掘 されたそうですが、今は埋め戻されています。2枚の案内板があります。
「忍城」 1回目は、2003年9月に行きました。 本丸の跡には、御三階櫓(元、三の丸にあったが実質的な天守)が再建されて いました。内部には、展示があり、最上階からは行田市内が見渡せました。
忍城
帰りに近くの「かねつき堂」さんに立ち寄り、行田名物のフライとゼリーフライを 食しました。フライはお好み焼きみたいなもので、ゼリーフライはコロッケみたいな ものでした。どっちも美味しかったです。 2回目は2013年11月に訪城しました。 今回は、北鴻巣駅から、水攻めの遺構である石田堤史跡公園(鴻巣市)と行田市側の     石田堤跡を経由して、石田本陣があった丸墓山古墳を先に訪ねました。     古墳に登ると忍城がかすかに望めます。それから歩いて忍城に向かった所、水城公園 内にある「御三階櫓の碑」を偶然見つけました。     忍城に着いてからは、御三階櫓と行田市郷土博物館を見学した後、前回見逃した     移築城門、本丸土塁をみて、最後に諏訪神社の裏にある諏訪曲輪の水堀跡もみること     が出来ました。     途中、さきたま古墳公園内の「さきたま史跡の博物館」で国宝の「金錯銘鉄剣」を     見られるので、是非一緒に計画されるといいと思います。     (おまけ)     2017年8月には、北谷門が移築されているのを見に行きました。     忍城とはだいぶ離れていますが、加須駅から、加須車庫行きのバスで終点下車すぐ     または、徒歩30分の不動ヶ岡不動尊(總願寺)にある「黒門」です。1842年の     建造と伝わるそうです。ちなみに、不動ヶ丘不動尊は、関東三大不動尊に数えられる     こともあります。
「蕨城」 地元のお城、蕨城です。南北朝時代に渋川氏が築城したものの、1500年代に 北条氏によって滅ぼされたお城で、その後、江戸時代には徳川家の鷹狩用の御殿 として再利用されました。今は、城址公園、和楽備神社、蕨市民会館となって います。 地元なので、何回も訪れています。 2002年には、1歳の娘をベビーカーで連れて徒歩で初詣も兼ねて行きました。 写真でご覧の通り、ほとんど何も残っていなくて、「蕨城址の碑」と芝生と樹木と 池(水堀の名残だそうです)という印象でした。
蕨城
2015年には自転車で行きました。まず、水堀跡の池。石碑によると「御殿堀」 と呼ばれたそうです。そして、城址公園の北の隅に「L字型の土塁」があるのを 発見。今まで気づかなかったというか、土の城を知らなかったので、完全に 見過ごしていました。現存か?と思いましたが、残念ながら復元ということで 盛られたようです。城跡には、「成年式の像」(蕨は成人式発祥の地)、「ニュー トンのリンゴの木」もあるのでお見逃しなく! さらに、ちょっと離れたところに「要害通り」という通りがあります。ここは 手づくり郷土賞で表彰を受けた「せせらぎ遊歩道」となっているのですが 今回「要害の松」を発見。帰ってから調べますと、蕨城の物見櫓や総門がこの辺り にあったと伝わるということでした。 そして、2016年9月には、5人のTwitterフォロワーさん(ふみさん、じゅんこ モンさん、山城さん、あいこさん、山城くん)を案内しました。 蕨城だけでなく、河鍋暁斎美術館→蕨宿(本陣跡、歴史民俗資料館)→三学院→ 蕨城→要害通り→宝樹院と巡りました。 宝樹院は、蕨城主・渋川氏の菩提寺でお墓があり、石碑、案内板もありました。 2017年7月にも、3人のTwitterフォロワーさん(ばったびさん、メンチさん、 橘さん)を案内しました。ルートは、前回とほぼ同じでした。 皆さまも、日本で一番面積が小さく、一番人口密度が高く、そして、あいうえお順で 一番最後になる蕨市と蕨城へ是非おいでくださいませ!
「高見城(四津山城)」 2017年7月に行きました。 東武線の小川町駅から、熊谷行きバスで10分の「上横田」バス停下車、徒歩30分 です。登っていくと、石段の向かって左に「犬走り」があり、先に見学しました。 さらに石段を登り、四津山神社がある本郭へ。(写真)そこには、説明板がありました。
高見城
そして、連郭式になっている高見城の4つの堀切を順に見ていきます。 本郭の神社と1段下の郭の間、本郭と二の郭の間、二の郭と三の郭の間、そして、 三の郭北側です。7月でも藪はなく、大変見やすかったです。また、二の郭北側の 土塁が、折れのある虎口になっているのも見所です。最後は、女坂と腰郭を通り下山 しました。
「雉岡城」 2017年7月に行きました。 八高線の児玉駅から徒歩です。別名:八幡山城であり、上杉氏、後北条氏、松平氏の 城だったそうです。主要部分は児玉中学と児玉高校で入れませんが、城跡の南東部分は 公園になっています。入り口に説明板がいくつかと石碑があります。 南の郭は堀と土塁で囲まれています。二の郭の馬出部分は、土橋、周りの堀とともに 残っており、土橋を渡り金比羅神社へ行けます。
雉岡城
馬出の南西、大手跡付近にも説明板があります。また、馬出北側の堀の底に、伝説の 「夜泣き石」があります。(写真) 圧倒される大きさなのは、本郭と東郭の間の堀跡、また、東郭と南郭の間の水堀跡。 さらに、遺構は公園の外にもありました。東郭の東側の水堀跡は住宅地の中に残り さらには児玉高校の北東には馬出を囲む堀跡がありました。探せばもっとありそうです が、この辺りで城跡散策終了。 最後は、徒歩3分の塙保己一記念館を見学。お城のパンフレットもありましたよー!
「山口城」 2017年6月に行きました。西武線の下山口駅から徒歩10分くらい。サンキという 洋服屋さんの敷地です。交差点の所に説明板と石碑があり、土塁が3つ残っています。 (写真は1号土塁)
山口城
中でも、3号土塁は、L字に折れています。また、線路を渡った駐車場からは、水堀跡 がみられます。 そして、少し離れた稲荷大明神。ここの社の裏側に行ってみると、藪藪ながら、右手に 堀跡、そして土塁がみられました。期待してなかったのでテンションアップでした。 また、下山口駅と城跡の間にある勝光寺山門は1600年代に建てられたものだそうで カッコよかったです。 山口城と一緒に是非!
「三ツ木城」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。 桶川駅から川越駅行きバスで、川谷田支所下車。コミュニティバスもあります。 城跡は城山公園のそばにあります。
三ツ木城
案内板があり、その後ろに、三角形の縄張が広がります。二重の土塁と、その間の堀(写真) で囲まれていて、内側の土塁には櫓台のような所もあり、なかなか素敵な城でした。
「加納城」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。岐阜県の加納城とは違います。 桶川駅から、菖蒲車庫行きバスで、宮の脇バス停下車。コミュニティバスもあります。 まず、石碑、説明板があり、その隣には土塁、堀が残ります。土塁はL字に折れています。
加納城
土塁見学のあと、三角形の公園にある古い説明板、そして、道路に残る折りひずみも見に 行きました。 昭和30年頃の宅地化により、土塁、堀の大部分を失った城で残念なのですが、一部でも 残っていて良かったです。
「源経基館」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。箕田城とも呼ばれるそうです。 源経基は清和源氏の祖先のひとりで、10世紀ころに活躍したそうです。 鴻巣駅から徒歩。館の周りを四角く土塁と堀が巡ります。北東と南東の2ヵ所の角は、 土塁と堀に折れがみられます。
源経基館
案内板は北西にあり、北側の土塁の上に「六孫王経基城跡」石碑(写真)があります。 今回は行きませんでしたが、鴻巣名物、川幅うどんも一緒にどうぞ!
「別府城」 2017年5月に、橘さん、トオルさんと行きました。 籠原駅から2キロくらいあり、今回は徒歩で行きましたが、途中までバスもあります。 東別府館とも言われ、現在は「東別府神社」であり、周りを四角く土塁と堀がまわって います。(写真は、北側の堀と土塁です。)
別府城
神社南にある「神明社」参道が枡形状に折れており、そこに「東別府館」の石碑が あります。また、神社の西側には「別府城」の石碑、そして、橋から虎口にかけての 道には折れがみられました。 別府城周辺には、香林寺になっている「別府氏館」、そして、石碑だけしか残ってない 「西別府館」、2つの館跡がありましたので、それもあわせて見学しました。
「伊奈氏陣屋(伊奈氏屋敷)」 2017年5月に行きました。伊奈城とも言うそうです。 ニューシャトルの沼南駅で降り、散策後、丸山駅から乗りました。 まずは、表門跡から散策開始。案内板と道を挟み反対側には、水堀跡があります。 2郭跡には、石碑と案内板(写真)があり、後ろは土塁でした。1郭と2郭の間には 堀がありました。
伊奈氏陣屋
そこから、蔵屋敷跡の方に向かうと散策路の看板がありました。散策路は綺麗に 整備され、土塁の間を歩けました。さらには、「頭殿社への散策路」というのも整備され 陣屋跡を通る部分があり、果樹園になっている陣屋跡を眺められました。 最後に裏門跡へ。ここは、障子堀が検出されています。標柱、案内板がありました。 さらに、案内板の奥、数十メートルの所には、大きい堀と土塁が残っていました。 以前は「告! 住民無視の史跡指定は一切認めない 住民一同」という看板だらけで なかなか散策しにくかったという伊奈氏陣屋。現在は、そのような看板も撤去され 気軽に散策できるように変わってきたようです。
「虎ヶ岡城(円良田城)」 2017年4月にフォロワーさん(橘さん、およよさん)と行きました。円良田湖のそばに 車を置き、登山開始。途中、急な階段でヘロヘロになりながらも、主郭に到達しました。 写真のように、東屋、案内板があります。
虎ヶ岡城
そこから、まずは、西の方の郭を散策します。大きな堀切(竪堀付き)が2つあり、ずっと 先にも、うっすら堀切と竪堀がありました。 一旦主郭に戻り、今度は東の郭にも。こっちは堀切(竪堀付き)2つ。1つ目の堀切を 越えた郭の南側の面には、石積みがありました。(残念ながら、伐採した木で良くみえず) また、城域の一番東側には井戸があり、落ち葉をどけると水がしみ出しました。
「天神山城」 1回目は、2017年2月に行きました。 秩父鉄道の野上駅から徒歩40分でした。 白鳥神社に参拝し、その裏側の道を登ります。途中、石垣、土塁、腰郭がありました。 そして、本郭へ!ここには廃墟となった模擬天守(写真)があります。中に入ってみようと 思ったのですが、床板がボロボロで私の体重ではズブッといきそうなので、やめました。
天神山城
本郭と2郭の間の堀は深く、橋が架かっています。2郭には金属製の展望台のようなものが 放置してありました。そして、少し高くなっている3郭にも登ってみました。 その後、少し戻って、藪漕ぎしながら「2郭の西側にある遺構」を見学しました。なぜか 外側に土塁を伴う横堀を2か所、そして、竪堀を4か所確認できました。 最後は、3郭側から下山を試みましたが、途中から道が無くなり藪で大変でした。遠回り になっても、白鳥神社側から下山した方が良いと思います。 2回目は、2017年4月にフォロワーさん(橘さん、およよさん)と行きました。 先に、天神山城主の墓がある法善寺にいきました。ちょうど、しだれ桜が満開でした。 白鳥神社から登城。模擬天守をみてから、前回、気づけなかった2郭西側側面の石積を確認。 そして、3郭まで一通り見終わってから、前回行っていない「東出郭」へ行ってみます。 2郭の東側から、急な斜面をなんとか降りました。(一部ロープも使用) そして、東出郭は、いくつもの堀が縦横無尽に走っていて、凄いの一言!ある地点から こっちにも、こっちにも、そっちにも、あっちにも堀がみえる!頑張って急斜面を降りた 甲斐があるってものです。
「金尾山城(寄居要害城)」 2017年4月にフォロワーさん(橘さん、およよさん)と行きました。 つつじ山の公園になっています。残念ながら、まだつつじは咲いていませんでした。 登っていくと、愛宕神社と案内板があります。ここが主郭で、さらに櫓台として1段高い ところがあり、そこには展望台(写真)があります。展望台からは、遠く鉢形城もみえます。 (金尾山城は鉢形城の支城だそうです。)
金尾山城
そこから、遺構を探しに行きました。南側には、何段かの郭がありますが、2郭と3郭の 間に土橋と竪堀(残念ながら伐採木材捨て場)があり、さらには3郭と4郭の間の段差に 石積みがありました。 次に、北側の遺構です。北側の尾根を行くと、凹みがわずかになってはいますが堀切と竪堀 を見ることが出来ました。
「大堀山城」 2017年3月に行きました。大堀山館とも言います。 Twitterフォロワーさん(ふみさん、ままおさん、あいこさん、じゅんこモンさん、山城君) と一緒に車で行き、東側の霊園の駐車場に停めました。 北側に説明板があります。それを読んでから3の郭へ踏み入ります。2の郭の堀はぐるっと 一周回っていて、北東の隅は2回の折れがついています。北側に土橋もありました。しかし、 北西の隅は、埋め立てられてしまっていました。 本郭北側の堀も少し浅くなってしまっていますが、残っています。本郭の北東部分に神明社 がありました。本郭中央部分は盛り土がされてしまっており、改変されていました。
大堀山城
本郭南側の部分の堀(写真)が一番深く、土塁もありますが、堀底を歩いていくと西側は完全に 藪になっており進むのをあきらめました。 ここは、陸軍の坂戸飛行場だったことがあるそうで、3の郭の堀に続く馬蹄状の土塁は 掩体壕跡、また、北側の道を挟んだ所にある丸馬出、三日月堀状にみえるものは高射台跡だ そうです。
「河越館」 東武線の霞が関駅から徒歩15分です。1回目は、2015年9月に訪城しました。 現在は史跡公園として整備されています。ここは、12世紀ころの河越氏の館であり、また 戦国時代には山内上杉氏の上戸陣の跡でもあるそうです。 河越氏館の遺構としては、塚状遺構、井戸、建物跡、堀跡が復元されており、一方で上戸陣の 跡としては、堀跡が「コンクリートによる平面表示」で示されています。 また、公園外の西側に土塁が良く残っていますが、これも上戸陣以降の時代のものと推定 されています。(写真の碑の後ろの土塁)
河越館
さらに、隣の上戸小学校の資料展示室で発掘調査で出土した器などの展示があります。 (日曜日の10時から15時、河越館時代のものも上戸陣の時代のものも両方あり) ここでは、おばさまに丁寧な説明をして頂け、歴史に疎い私も大変勉強になりました。 さらに、隣の常楽寺に、後北条氏の重臣、大道寺政繁のお墓があると教えていただいたので お参りしてから帰りました。 2回目は、2017年3月にTwitterフォロワーさん(ふみさん、ままおさん、あいこさん、 じゅんこモンさん、山城君)と一緒に訪城しました。常楽寺の門の2階が鐘楼になっている のに気づいたくらいです。
「千馬山城(龍ヶ谷城)」 2017年2月に行きました。秩父鉄道の親鼻駅から徒歩40分で、途中に「道の駅みなの」 があります。バスも本数は少ないがあるようです。登り口がわかりにくいので、あらかじめ 調べましょう。「30cm×20cmくらいの小さな道標」に従い、赤い屋根の神社の所 から入ります。 尾根を登っていくと石垣や門跡があります。そのまま登っていくと、案内板と祠がある主郭 (写真)に出ました。北西尾根の堀切は上から確認しました。
千馬山城(龍ヶ谷城)
2郭の堀は折れを伴っています。そこから、滑り落ちそうになりながら、東郭の「南西の 竪堀」を降りました。そこにも石垣をみつけ喜んだのですが、その先、横移動をしようと しても、朽ちて倒れた竹藪が酷くてなかなか進めません。 なんとか東郭「北東の竪堀」に辿り着き、そこを登って、少し北東に行くと、石垣で囲まれた 小郭(櫓台?)のようなところに出ました。さらに、道なき道を進むと、2重竪堀の下の方に 出てしまいました。 この素晴らしい2重竪堀を登り、主郭のほうに戻ると、2郭北東の堀切(岩盤)があります。 帰り道では、往路で行き忘れた物見郭へ寄りました。土橋があり、見晴らしも抜群でした。
「柏原城」 2017年1月に行きました。狭山市駅からニュータウン行きバス、柏原東下車すぐです。 城山砦跡とも言われています。 本郭の周りは土塁に囲まれ、その外に大きな空堀(写真)が巡っています。
柏原城
さらに、空堀の外に土塁状の高まりがあります。土塁の上、そして、堀底を散策し、2の郭 へ向かいました。2の郭には城山稲荷神社があり、2の郭と3の郭の間もわずかに堀が確認 できます。住宅街の中、遺構が良く残っている城でした!
「青山城」 2017年1月に行きました。小川町駅からバスもありますが、本数が少なく、登山口まで 25分歩きました。 仙元山への登山口から登ります。6分登り左へ、さらに9分登り右へ。5分登ると、3の郭 南の堀切(一部が岩盤)のところに出ます。 まずは、3の郭を経由して、本郭と3の郭の間の堀切へ。深くて素敵な堀切でした。 本郭には説明板(写真)があり、上下2段に分かれています。
青山城
本郭北側には小郭があり、その周りには三日月堀のような堀が!そして、本郭は土塁で 囲まれていますが、一部、土塁の上部に石が埋め込まれている所がありました。土留めなの でしょうか? 本郭と2の郭の間の堀は一部が岩盤でした。竪堀も2本落ちています。2の郭には、L字型 の岩盤土塁がありました。 最後に、本郭と2の郭の一段下に細長く続く帯郭を通って戻り、散策を終えました。 なかなか見所のある山城でした。
「大築城」 2016年12月にフォロワーさん(ままおさん、ふみさん、トオルさん、あいこさん) と行きました。上田朝直の城です。あじさい公園から住吉神社のところを入っていき、 車を止めます。結構な山登りでした。途中、道が左右に分かれるところでは、左の 「モロドノ郭」を目指します。 モロドノ郭には、いくつかの土塁、先端部分に古墳だったといわれる櫓台がありました。 そこからは、さらに道を登ります。竪堀を下から見上げ、ぐるっと迂回します。 最初に出てくる堀切!これが大きくて、この城1番の見どころでした。(写真)
大築城
少し行くと、もう1つの堀切。そして、虎口を入り、西のほうへいけば、また内枡形虎口 (土塁)があり、この土塁の上からの景色が最高! さらに西に進み本郭へ。ここには案内板があり、また、本郭西側には内枡形虎口と2段の 段郭があります。頑張って2段下の郭まで降りてみました。 そして、来た道を戻り大築城を後にしました。ゆっくり見学したのもありますが、登って から降りてくるまで3時間弱もかかった城でした。
「武州松山城」 東松山駅から徒歩、又はバスで行けます。 1回目は、2012年1月に訪城しました。本丸、二の丸、春日丸、三の丸と順番に 散策しましたが、それぞれの曲輪の間の空堀が広く深く感動しました。 写真は、本丸にある石碑です。(2016年現在、石碑の場所が移動し、傾いて います)
武州松山城
三の丸から本丸に戻り、兵糧倉跡を経て、岩室観音堂へのぬかるんだ竪堀をおそる おそる 降りました。滑らなくって良かったです。 岩室観音堂を見学後に、隣にある「吉見百穴」も訪れました。吉見百穴は、岩山に 穴がボコボコ開いている古墳時代後期のお墓の跡です。お土産には、せんべい 「ねぎみそこわれ」を買いました。 2回目は、2016年12月にフォロワーさん(ままおさん、ふみさん、トオルさん あいこさん)と行きました。岩室観音堂のところの竪堀を上がって本曲輪に行きました。 本曲輪には、土塁の上の傾いた石碑、案内板などがあります。(石碑は、建て直して 欲しいですね!)そこから、まずは、2の曲輪方面へ。堀底を通って、本曲輪と 太鼓曲輪の間の堀底にも行ってみました。2の曲輪に戻って、3の曲輪(春日丸曲輪 ともいう)へすすみます。この曲輪の南側は細い道(土橋)になっていて馬出に続いて いました。そして、4の曲輪(3の曲輪ともいう)へすすむと土塁がありました。 一旦本曲輪まで引き返し、兵糧倉のある側に降りました。そこから、惣曲輪など見学し 城の外へ下りました。帰る直前に、4の曲輪の外側に、もうひとつ「広沢曲輪」なるもの があることが判明したため、この曲輪と堀もみてから城をあとにしました。
「深谷城」 2016年11月に行きました。深谷駅から徒歩でいける深谷上杉氏の城です。本丸は 図書館の辺りであり、深谷城址公園は東曲輪のあたりになるのでしょうか? まず、町中に残っている2つの土塁を訪ねました。高台院の裏に残る土塁。そして、 管領稲荷の鎮座する土塁です。管領稲荷の土塁は、民家敷地で入れないのですが、 土塁断面が見られます。
深谷城
次に、城址公園に向かい、石垣と塀を見学。(写真) かっこいいのですが、残念ながら 模擬ではあります。あと、公園の南東に「深谷城跡の説明板」がありますよ。 最後に、公園の隣にある「富士浅間神社」の周りをぐるりと巡る水路と池を見学 しました。堀跡だそうで、ここにも「指定文化財・外濠跡の碑」と説明板があります。
「小鹿野両谷城」 2016年11月に7人で行きました。(弁天堂さん、ままおさん、ふみさん トオルさん、山城さん、山城君)車を停めるスペースは2台ほどあります。 最初だけは直登ですが、そのあとは尾根に沿った道をすすみます。 最初の堀切(写真)を渡ると2郭にあたる郭があり、その先に、もう一つの堀切 そして主郭がありました。
小鹿野両谷城
2007年に発見されたばかりの「村人が避難するための村の城」ということで あまり期待していなかったのもありましたが、特に最初の堀切が意外に大きくて びっくりしました。
「日尾城」 2016年11月に7人で行きました。(弁天堂さん、ままおさん、ふみさん トオルさん、山城さん、山城君)観音院の駐車場に車を停めました。 牛首峠までの険しい道を行き、まずは峠を右に。炭焼きがま跡を経て、段々に なっている郭を上がります。2郭をみてから、クサリ場を登る南郭へ、さらに 3郭を確認、主郭を目指します。
日尾城
主郭には土塁があり、その上には「日尾城」の石碑と馬上城山八幡があります。 (写真)そこから北西側に崖を下って堀切をみにいきました。 最後に、牛首峠を挟んで反対側にある出郭と岩盤堀切を堪能し下山しました。
「熊倉城」 2016年11月に7人で行きました。(弁天堂さん、ままおさん、ふみさん トオルさん、山城さん、山城君)近くの駐車場まで車で行けます。 2つの堀切を抜けて、大手門跡へ。写真は、大手門前の堀切です。
熊倉城
まずは、説明板のある2郭(南郭)を見学したあと、主郭と2郭の間の堀へ。 ここには土橋があります。次に主郭へ。こちらは、3方向が土塁で囲まれて いました。さらに、3郭と主郭との間の堀も見学。3郭の先にも、カーブした 小さい空堀がありました。
「中城」 小川町駅から徒歩です。 2016年10月に行きました。城跡でもあるが、仙覚律師遺跡でもあります。 回りを2重の土塁で囲まれていて、土塁には折れがみられます。中央部分は テニスコート。南西にある櫓台の上は御堂があります(写真)。
中城
北側にある陣屋沼緑地が水堀の役目をしていたようで、虎口に続く土橋が残って います。帰り、小川町駅前のおからドーナツ(三代目清水屋)を食べたら サクッもちもちで、美味しかったですよー。
「柏の城」 2016年10月に行きました。志木市にあります。柳瀬川駅から徒歩です。 志木第三小学校が本丸で、標柱と説明板があります。西の丸は長勝院で ここにも説明板があり、また、樹齢400年以上の旗桜(珍しい種類だそう)が 残っています。
柏の城
学校の校門から南に行くと大堀跡です。ほんとは幅12m、深さも4mだった そうですが、今ではマンションの前にわずかに窪みが残っているだけです。 さらに、学校の北東に城山貝塚というのがあり、ここが二の丸櫓台ではなかったか と言われています。
「寿能城」 東武野田線の大宮公園駅から徒歩10分です。 2016年9月に行きました。駅から公園に向かう途中の交番脇に「寿能城址」 という石碑があります。城の本丸跡が寿能公園になっていて、そこに、城主・ 潮田出羽守資忠の墓碑が建てられています(写真)。そばに案内板もあります。 墓碑の辺りが物見やぐらの跡だったとも言われているそうです。
寿能城
さらには、寿能公園から東に行ったところに潮田橋があり、橋を渡った「大宮 第二公園」が出丸であったと言われています。潮田橋のそばの案内板にお城の 記述があるのと、大宮第二公園内にある土塁跡と思われる所を確認出来ました。 近くには「埼玉県立歴史と民族の博物館」があるので、一緒に訪れると良いの ではないでしょうか?
「仙波堀の内」 2016年9月にフォロワーさん(ふみさん、あいこさん、トオルさん)と行き ました。川越の喜多院と仙波東照宮の辺りは、仙波堀の内と呼ばれる城であった 所で、その後、川越城の出丸にもなりました。 喜多院は、何度か訪れていましたが、江戸城移築部分(家光誕生の間、春日の局 化粧の間)をみただけでした。
仙波堀の内
喜多院の西側、南側に深い堀がありました(写真)。そして、仙波東照宮には ぐるっと一周、堀が残っていました。川越城散策の際には、ここの堀もお忘れなく。
「美尾屋十郎広徳館」 2016年9月にフォロワーさん(ふみさん、あいこさん、トオルさん)と行き ました。川島町にある、鎌倉武士、美尾屋氏の館跡で、今は広徳寺です。 五角形の敷地は堀に囲まれていたようで、今は一部が空堀、一部は水路として 残っています。
美尾屋十郎広徳館
さらに、広徳寺本殿と大御堂(重要文化財)の間に水堀跡(写真)が残っており 途中で折れを伴っています。 すぐそばに、太田道灌陣屋跡と伝わる養竹院があり、そちらも堀で囲まれている ようでした。
「川越城」 本川越駅、川越市駅から徒歩30分です。バスもあります。 1回目は、1997年ころに訪れました。本丸御殿の中を見学したのですけど 御殿の中に何があったのかあまり覚えていませんでした・・(^^; 2回目は、2011年5月にスタンプラリーも兼ねて訪城しました。 本丸御殿の修理が終わったばかりで、屋根の漆喰がまだ白かったです。中には、 広間や家老詰所などの部屋があります。
川越城
近くに富士見櫓跡が残っています。また、中之門の堀跡が復元整備されています。 小江戸・川越は、時の鐘、菓子屋横丁など見所も多く、帰りに芋ソフトクリーム 芋ようかん、芋煎餅を買いました。 3回目は、2016年9月にフォロワーさん(ふみさん、あいこさん、トオルさん) と行きました。本丸御殿の写真を撮り、目の前にある小峰商店で「川越名物・太麺 焼きそば」(大盛りで380円)を食べました。ワンカップの「川越城」というお酒も 置いてありました。 また、富士見櫓跡は行ったことありましたが、その西側、北側に残る堀があるのを 教えていただき、見学しました。
「岩槻城」 岩槻城は、岩槻駅から行けますが、本丸など主な部分は残っていません。新曲輪と 鍛冶曲輪のところは整備され岩槻城址公園となっています。 1回目は、2005年11月に行きました。 駅から約20分歩くと岩槻城址公園がありました。黒門(写真)、裏門の二つが 保存されているのですが、移築されていて元の場所はわからないそうです。
岩槻城
空堀の中が「ふるさと散策路」になっているので歩けました。また、駅からの途中に 「時の鐘」もありましたので、そちらにも立ち寄ってみました。 2回目は、2016年7月に、ツイッターフォロワーさん5人(トオルさん、あいこ さん、バンバンさん、ままおさん&ふみさん)と行きました。 まずは、郷土資料館。ジオラマとか古地図があります。近くの芳林寺の太田道灌騎馬 像、太田氏資墓所を見学。 岩槻城址公園に車で移動。レストラン大手門にて、B級グルメでケンミンショーでも 紹介された「豆腐ラーメン」(600円)を食べました。ちょっとラー油入りの和風 のあんかけ風で美味しかったです!! そして、城址公園の散策。黒門、裏門、土管により畝を再現している堀底道、鍛冶 曲輪の馬出(藪なので外から)、白鶴城の石碑と回ってから、池のピンク色の睡蓮を 愛でました。そして、市民会館いわつきの裏側の土塁(2重になっている)、最後に 新曲輪の馬出の藪に入りました。 それから、本丸公民館に車を止め、本丸跡石碑と案内板、二の丸石碑、三の丸石碑、 大手口石碑、時の鐘、藩校・遷喬館と巡りました。 そして散策の最後は、8キロにも及ぶ大構(総構)があった岩槻城で、大構の土塁が 残っている愛宕神社に行き、散策を終えました。 1回目には気づかなかったが、実は見どころが多すぎる岩槻城でした。
「戸田城」 2016年5月に訪城しました。戸田公園駅が近いですが、私は自宅から自転車で 行きました。「光明寺」というお寺(写真)と「元蕨第三公園」が城跡だそうです。
戸田城
昔は17号線沿いに土塁があったらしいのですが、今は遺構が何も残っていません。 案内板もないので、ここが城跡だとわからないですね。本当は、この場所に蕨城が あったという説もあるらしいです。 ここから17号線を少し北上すると「中山道の蕨宿本陣(無料の歴史民族資料館)」 「三学院」というお寺、蕨城址公園がありますので一緒に訪れると良いでしょう。
「花園城」 2015年10月に、城好きの皆さん(橘さん、トオルさん、じゅんこモンさん) と訪城しました。寄居駅から徒歩です。諏訪神社の裏から登山開始。登山道は 途中からなくなるので、道無き道、さらには竪堀の中を上がります。3郭、2郭 本郭の順に散策しましたが、それぞれの間の堀は深く、また、郭内には所々に 櫓跡のような高まりや石積がみられました。本郭と2郭の間の土橋も見所です。 本郭には碑があり、その側でお昼ご飯。
花園城
本郭西側の堀もみてから、帰り道は、2郭と3郭の間の堀から続く竪堀の中へ。 この竪堀は、途中から2本に分かれます。 最後に、横堀(?)の突き当たりに石積が綺麗に残っている所を確認。また 道無き道で山を下りました。 お城のそばの正龍寺に、鉢形城主・北条氏と花園城主・藤田氏の墓があるので 一緒に訪れてはいかがでしょうか。
「花園御岳城」 2015年10月に訪城しました。(橘さん、トオルさん、じゅんこモンさん) 秩父鉄道の波久礼駅が近いですが、今回は花園城から歩きました。 登り口は少林寺で、五百羅漢の道を登ります。上の広場に出る直前に、左に小さい お地蔵様がいるところを左折するのですが、これがわかりにくい。事前調査不足で 結構迷いました。 そこからは、ずっとまっすぐ登っていくと、土塁が残る2の郭に出ます。さらに 進むと鳥居と石段があり、ここが本郭への登り口でした。本郭には板碑がたくさん あり、荘厳な雰囲気でした。
花園御岳城
遺構を求めて、鳥居に向かって左手の空堀に降り進んでいくと「竪堀」「横堀」 「竪堀」と交互に続くところを発見!特に、横堀と竪堀の間にあったL字状の土塁 (土橋)が素敵で気に入りました。
「鉢形城」 鉢形城は1476年荒川の断崖絶壁の上に築城された北条氏の中世城郭であり     とても綺麗に整備されています。寄居駅から徒歩で行けます。 1回目は、2010年10月に訪城しました。 四脚門(写真)、四阿(休憩所)等が復原されており、また、土塁、堀が良く残って     いました。堀の中にある畝は復元なのでしょうか?さらには、広くは無いですが     歴史館もありました。(200円)
鉢形城
    2回目は、2015年10月に訪城しました。     今回は、お城好きさん(橘さん、トオルさん、じゅんこモンさん)と一緒に、     三の曲輪や秩父曲輪付近を中心に散策しました。石積土塁、井戸、馬出にかかる     木橋などがあります。城山稲荷神社付近は元々虎口だったところのようで、     現存とおもわれる土塁が残りすばらしかったです。さらに、大手の空堀、水堀を     みてから本曲輪経由で笹曲輪へ。ここに、現存と思われる石垣があって、びっくり     しました。
「腰越城」 2015年9月に訪城しました。東武線の小川町駅からバスで「総合福祉 センターパトリア小川」下車です。バスは多くのハイキングルートへ行ける ようで、連休であったこともあり30人くらい乗っていましたが、お城へ 行くのは自分一人でした。 登城口から直線的に登っていくと城域にはいり、いくつかの竪堀、土塁などを みながら進みます。この城の特徴は囮(おとり)小口。小口を登っていくと 行き止まりになっています。本当の小口は、堀切をぐるっと回って反対側に あります。西の郭をみたあと、三の郭、二の郭、小口前郭と登っていきます。 本郭の周りに、一部石積が残っているところがありました。
腰越城
そして、本郭に到着。写真のような碑や説明板があり、景色も東側、西側 ともに見晴らしが良かったです。 腰越城、アップダウンもあり、なかなかワクワクさせるおすすめの中世山城 でした。
「岡城」(朝霞市) 2014年11月に訪城しました。 岡城というと大分県の岡城が有名ですが埼玉県にもあります。東武東上線と JR武蔵野線が交差する朝霞台駅または北朝霞駅から徒歩20分です。 バスもありますが本数は少ないです。 城山公園になっており、一の郭、二の郭、三の郭から成ります。
岡城(朝霞)
一の郭には物見櫓跡があります。また、一と二の郭、二と三の郭の間には それぞれ空堀があり、横矢が掛かるように折れがありました。 (写真は一と二の郭の間の堀)堀底を歩くことも出来ました。
「青鳥城」 2014年11月に訪城しました。おおどりじょうと読みます。森林公園駅 から徒歩20分です。 まず、三の郭の堀跡であるオタメ池と虎御石をみて、本郭へ向かいました。 本郭へ入る道はわかりにくいので事前確認を。本郭はぐるっと高い土塁で 囲まれ、見ごたえがありました。(写真)
青鳥城
そのあと、二の郭の土塁と堀を確認しながら歩きました。儀一さんに教えて 頂いていた「青鳥城」の錆びた標柱も2つ見つけました。お城の周囲に ラブホテルが3軒もあるので、散策しにくいお城でした。(^^;
「滝の城」 2013年6月に訪城しました。武蔵野線の東所沢駅から20分です。 本郭は城山神社になっていて、四脚門跡があります。
滝の城
2の郭から3の郭にかけて大きな空堀がみられます。また、2の郭の 社務所の前に、地図を印刷したものが置いてありました。 最後に、外郭経由で滝の跡をみに行き、駅に戻りました。ついでに、 航空公園駅にある航空発祥記念館にも寄りました。
「小倉城」(埼玉県) 2013年5月に訪城しました。武蔵嵐山駅から徒歩50分で麓に着きます。 大福寺の右手から登りました。この城の石垣は、平べったい石(緑泥片岩と いうらしい)を積み上げた珍しいもので、3郭の下には、ぐるりと一周石垣が 残っていました。
小倉城
また、2郭と4郭の間には大きな堀切と竪堀がありました。
「難波田城」 2013年5月に訪城しました。志木駅からバスに乗り、さらに少し 歩きました。公園になっており、曲輪2から曲輪4にかけて水堀が復元 されています。しかし、本城の大部分は残念ながら住宅地になっています。
難波田城
資料館には古地図などの展示があり、古民家ゾーンもありました。
「赤山城」 2013年2月に訪城しました。うちから近いので私は自転車で 行きましたが、埼玉高速鉄道の新井宿駅から徒歩、又は、 武蔵野線の東川口駅からバスです。 赤山陣屋とも呼ばれ、伊奈氏のお城でした。
赤山城
本丸跡に碑が立っています。また、本丸、二の丸の周りの空堀が 綺麗に整備され残っており、東堀、南堀、南西堀、西堀、北堀の順で ぐるっと散策しました。 説明板も随所にあり、見学しやすいお城です。 写真は、ちょっとわかりにくい場所にある南西堀です。
「杉山城」 2012年5月に訪れました。武蔵嵐山駅から徒歩30分です。 「築城の教科書」とも言われる杉山城は、外郭のところの連続する折れ     北三の郭と北二の郭の間のコの字型の虎口など見所の多い戦国期の山城 でした。
杉山城
南西には井戸跡が残っており、そのそばには縦堀も何本かありました。 図入りの説明板が所々にあった為、当時の縄張を想像しやすかったです。
「菅谷館」 2012年5月に訪れました。武蔵嵐山駅から徒歩10分です。 鎌倉時代の御家人、畠山重忠が居住していました。四つの郭に分かれており 特に本郭回りの土塁は高く、出桝形土塁もあります。(写真)
菅谷館
また、三の郭にある「嵐山史跡の博物館」(入館料100円)では 平成20年に国指定史跡に指定された「比企城館跡群」の展示などが ありました。

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