京都府の城
「伏見城」 2025年5月に攻めました。 伏見城には、秀吉が築城した指月伏見城、秀吉期も家康期もある木幡山伏見城があります。 遺構の範囲が広いですが、桃山御陵前駅、伏見桃山駅、丹波橋駅からが近いです。 まず、伏見桃山駅のそば、源空寺山門となっている伏見城移築門を見学。(あとから知り ましたが、一回火災で燃えてしまい再建だそうです) 続けて、御香宮神社表門となっている伏見城大手門を見学しました。さらに、ライオンズ マンションの前にある指月伏見城石垣を見学し、桃山御陵に向かいます。途中、道端に 伏見城2の丸石垣がありました。明治天皇桃山御陵を見学します。この立入禁止区域に 木幡山伏見城の遺構があるようです。それから、伏見城御舟入を見学し、その後、桃山東小学校の中にある石垣を、門の外から ですが見学しました。 次に、北堀公園に行き、公園内にある弾正郭土塁の上を歩いてみました。北堀の跡も見て から、最後に模擬天守(写真)に向かいました。 赤い模擬天守は大天守と小天守から成り、中には入れないものの、なかなかカッコよく、 来て良かった!という感じです。 最後に、模擬大手門とその隣の伏見桃山城石碑を見て、3時間の散策を終えました。
「淀城」 2025年5月に攻めました。 徳川の城で、稲葉氏などが入りました。淀駅から徒歩です。 東側に天守台(写真)があり、いろんな方向から石垣の写真を撮りました。天守台のそば まで階段で上がれ、穴蔵になっている内部には入れないのですが、覗くことは出来ます。説明板は3つありました。また、淀城址石碑があり、櫓台跡と思われる石垣もありました。 最後に、外側から石垣と水堀の写真を撮りに行きました。北西の隅から、そして、南側に ある駐車場から、良い写真が撮れました。 今回は行きませんでしたが、淀君が居た「淀古城」も近くにあります。
「勝竜寺城」 2025年5月に攻めました。 細川氏の城です。また、山崎の合戦後、一時的に明智光秀がいたそうです。長岡京駅から 歩けます。 駅から勝竜寺城公園までの中間点、神足神社の所に、堀と土塁跡があり、土橋もあります。 本丸の勝竜寺城公園では、まず、北東の櫓と水堀が見えてきます。南側の堀(写真)も 綺麗です。枡形から入ります。資料館では、展示や映像を見られます。忠興と玉(ガラシャ)の像、 北東の櫓台、北門の枡形と現存石垣、西側の土塁と天守台を順番に見ていきました。 さらに、西側に沼田丸があり、説明や井戸があります。
「周山城」 2025年5月に攻めました。 明智光秀が築城しましたが、本能寺の変もあり2年程度で廃城になってしまったそうです。 京都駅から周山行きのバスで、終点の1つ手前、京北合同庁舎前下車し、道の駅でトイレ を借りてから登り始めます。 麓に説明板がありました。登っていくと、尾根に出た所に6郭があり土塁があります。 続いて5郭には堀切があります。巻き道を通り4郭虎口に着くと石積がありました。再度 巻き道を通り辿り着いた3郭虎口は枡形になっています。 3郭から主郭に向けての道は、左右に石塁があります。主郭に到着しました。虎口は北と 東にあり、周りは石塁で囲まれます。看板と説明板があり、内部は天守跡なのでしょうか L字の石塁などがありました。 次に、主郭南側の2郭に降ります。その下に登り石塁が落ちていました。その後、西の郭を降りていきます。上から2段目の郭の南側にすごく綺麗に石積が残って いました。さらに、その先を進むと2郭西側の石積まで見られます。西郭の上から3段目 の郭の南側にも石積が見られます。 一旦、郭の上に戻ると井戸の表示がありました。北側斜面を進んでいくと石組井戸があり ました。 西郭の下から2段目の郭の北側には、高さもある素晴らしい石積(写真)があります。 そして、西郭の一番下の郭の北側にも石積があり、このあたりで私は石積だらけでお腹が いっぱいになってしまいました。 次に、西の城へ向かいました。途中、大きな堀切が2つありました。西の城は、南郭、 真ん中の郭、北郭からなり、北郭が主郭だと思います。真ん中の郭には仕切り土塁があり、 北郭では土塁に挟まれた虎口が見られました。 周山城は、西の城も加えると非常に広大で、散策に2時間45分かかりました。 これでもかというくらい沢山の石積を見られ、道や案内が比較的整備されていますので、 皆さんにおすすめ出来る城でした。
「福知山城」 福知山駅から徒歩20分です。バスもありますが本数は少ないです。明智光秀が築城し、 その後、いろいろ城主は変わりましたが、江戸時代後半は朽木氏が何代も続いています。 1回目は1992年に訪れました。 復興天守があるものの、新しくちょっと趣きに欠けていました。 2回目は2015年5月に訪れました。 天守は大天守と小天守からなり、個性的な形をしています。 今回は着いた時間が遅かったため、天守の中に入れませんでした。天守そばには50mの 深井戸(本丸の井戸では日本一)、また現存移築の銅門番所がありました。転用石が多い そうで、たくさん展示してありました。3回目は、2024年5月に攻めました。まず、坂道を登っていくと天守の西側に出ます。 こちらが正面だそうです。銅門番所は現存ですが、皆さんスルーです。また、転用石の 展示もあります。 東側に進んでいくと、どでかい井戸、豊磐の井(とよいわのい)があります。また、門も あります。 天守に入ります。中には、シアター、出土品展示、ジオラマなどがあり、光秀関連の展示 が多かったです。最上階からは鬼ヶ城が見えます。 帰りに、近くの「明智藪」に寄ってから駅に戻りました。説明板が2つあります。
「園部城」 2024年5月に攻めました。 小出氏によって築かれ、鳥羽伏見の戦いのために拡張された城です。園部駅から徒歩25 分ですが、園部駅や亀岡駅からバスも出ているようです。園部高校の所に門があります。巽櫓(写真)と番所はこ高校敷地内なのですが、門に向か って左側に50mくらい行った所の道から入っていくと覗くことは出来ます。また、石碑 と説明板がありますが、説明板は草木に埋もれて下半分が読めないです。 高校の隣りにある国際交流会館が立派な模擬天守になっています。なかなかカッコいい です。そして、少し離れた裁判所の所にも石垣が現存しています。
「二条城」 1回目は1995年に訪れました。なかなか良い城でした。 さすが、国宝です。二の丸御殿では、ひとつひとつの部屋が説明されていました。また、 庭も、とても綺麗でした。 2回目は2007年11月に訪れました。 内部には入らなかったのですが、東南隅櫓と東大手門をみられました。3回目は2010年5月に訪城しました。 国宝二の丸御殿では、襖絵だけで無く、天井の模様も色々な種類があり、隠れた見所 でした。 本丸に天守台があって登ることが出来ました。西側休憩所のそばに、旧二条城の石垣が ひっそりと移築されていました。