神奈川の城



        「茅ヶ崎城」

        茅ヶ崎市でなく横浜市都筑区にあり、横浜市営地下鉄のセンター南駅から徒歩15分です。
        詳しい歴史はわかっていないようですが、扇谷上杉氏、北条氏あたりの城だったと推測
        されます。
        1回目は、2014年9月に訪城しました。
        茅ヶ崎城址公園になっており、中郭、北郭、西郭、東郭の4つで構成されます。見所は、
        中郭と東郭の間の土橋、北郭の井戸跡、中郭の高い土塁などです。
        説明板が多く、とても分かりやすいお城でした。私が行った時には、説明をじっくりと
        読んでいるお城好きと思われる人4人くらいが訪れていました。(全員が単独行動)

茅ヶ崎城
2回目は、2023年1月に城ラマ・二宮さんのガイドツアーがあったので参加しました。 まず、北郭の北の土橋を、道路側から見てみます。コンクリートで台形が出来ている所 です。そして北郭です。井戸がありました。そこから西郭に向かう時に、中郭西郭間の 堀底(写真)を通りました。 西郭では、南側の太い土塁に登りました。土塁の途中、堀状の部分があるのが何なのか 気になります。次は東郭です。1回目に来た時に見所だった「東郭と中郭間の土橋」は 薮でみられなくなっていて、「なんで整備しないのか」と思ったら、調査で後世に盛った 可能性が高いことが判明したそうです。マジですか・・・。 そして主郭にあたる中郭です。土塁に囲まれ、南側の土塁が特に太いです。そして、散策 路の南にも土塁があり、2重土塁になっていることも知りました。また、兵糧庫跡も表示 してあります。 最後に、公園の外をぐるっと回って東北郭の高低差や根小屋跡を見て、散策を終えました。
「大塚遺跡」 2023年1月に攻めました。 弥生時代の環濠集落跡です。地下鉄センター北駅から徒歩です。吉野ヶ里のように、濠が 内側、その外に土塁と柵(写真)が復元されています。また、木橋の再現もあり、竪穴式 住居、高床倉庫も復元されていました。残念なことには、遺跡の西半分は道路敷設の為に 失われていました。
大塚遺跡
すぐ隣に、墓の跡である歳勝土遺跡もあります。また、遺跡から見つかった土器や石器が 展示される横浜市歴史博物館とセットで行くのがオススメです。
「磯部城(相模原市)」 2022年10月に攻めました。 小沢城の支城です。相模線の下溝駅か相武台下駅から徒歩です。私は下溝駅から、まずは 唯一の遺構「上磯部の土塁」(写真)を目指しました。土塁の前に説明板があります。 土塁は、東西方向、幅11m、長さ60m、高さ2mであり、東端は南に折れているそう です。
磯部城
私有地なので入れませんが、説明板のそばから覗き込むと土塁は見られました。 城の中央部は、ここから600mほど南になります。現在は、能徳禅寺、下磯部御嶽神社 になっている辺りだそうなので散策してみました。御嶽神社には「この辺りに磯部城が あった」との説明がありました。
「榎下城」 2022年10月に攻めました。 上杉憲清が築城しました。横浜線の中山駅から徒歩です。現在は、舊城寺となっています。 まず、門を入った所に土塁があり、その前に説明板がありました。門を入って右側の土塁 は、少し先で折れが見られました。
榎下城
2郭には本堂があり、その裏側の1段高い所が主郭になります。主郭虎口の所を左に入る と「山田右京之進城跡碑」があります。主郭を見学したあと、寺の西側にある堀のなごり かも知れない道をみて、散策を終えました。
「鎌倉城」 2022年7月に攻めました。 鎌倉城というのは、史料『玉葉』にみられる言葉で「源頼朝の本拠地」を示すだけで軍事 施設ではないという説もあります。そうかもしれませんが、鎌倉は山に囲まれた地形の為、 入るには7つの切通のどれかを通るしかありません。今回は、その1つ、朝夷奈切通を 歩いてみました。 東急バスの十二所神社バス停で降り少し行くと、梶原景時が上総介広常を殺した太刀を 洗ったという湧水があります。そこからが切通への登りです。三郎の滝があります。頂上 付近の大切通では岩盤に仏像が彫ってありました。また、もう少し行った小切通(写真) が一番格好いい所でした。
鎌倉城
切通から降りてくると、朝比奈バス停のそばに上総守広常の墓(上総介塔)もありました。 そして、その後は、大蔵幕府石碑、源頼朝の墓、法華堂跡(北条義時の墓)、鶴岡八幡宮 と巡り、鎌倉殿の13人の大河ドラマ館と鎌倉国宝館もみました。 帰り道、江ノ電の和田塚駅からすぐの「和田塚」にも寄りました。和田合戦で亡くなった 和田一族の墓です。
「土肥城」 2022年5月に攻めました。 鎌倉時代、土肥実平の城でしたが、堀切などはその後の後北条氏などが改修したものと 思われます。以前は湯河原駅からバスで近くまで行けましたが、現在バスは運休中です。 そのため、私はバスで幕山公園まで行き、そこから「しとどの窟」経由で登り、帰りは 湯河原駅側に下りて来ました。ただ、幕山公園からの登りですが、倒木、藪漕ぎ、渡河、 分かれ道が非常にわかりにくいなどオススメ出来ません。 搦手側から登って行き、まずは頂上の主郭にある立派な石碑(写真)を見ることが出来 ました。南側の尾根も少しだけ散策しましたが、竪堀は見つけられませんでした。
土肥城
それから、東側に下りながら遺構を見ていきました。主郭直下に堀切があります。そこ から、何段か郭が続き、2重堀切があります。ただ、非常にわかりにくく最初は通りすぎ てしまいましたが戻って確認出来ました。 さらに、堀切があるらしいですが、これは発見出来ませんでした。そして、一番下の広い 郭の東端に土塁を伴う堀切があります。これも堀はうっすらでした。 一緒に訪れた「しとどの窟」は、石橋山合戦で敗れた源頼朝が5日間身を隠していた洞窟 ですが、細い滝が流れ落ちる厳かな雰囲気の所でした。是非、土肥城と一緒に訪れてみて 下さい。
「土肥氏館」 2022年5月に攻めました。 湯河原駅前です。遺構は無いようですが「館跡」の石碑(写真)があります。その後ろ には、土肥実平と奥さんの像もあり、説明板もありました。
土肥氏館
また、近くの城願寺に土肥氏の墓があるそうなので、是非一緒に訪れてはどうでしょうか。
「怒田城」 2022年1月に行きました。 久里浜駅、又は京急久里浜駅から徒歩です。三浦氏の城で、吉井貝塚としての方が知られ ているようです。7つくらい説明板がありますが、ほぼ貝塚の説明でした。 登っていくと2郭に着きます。2郭と主郭の間には、空堀と土橋が発掘調査で見つかった そうですが、今は埋め戻されており、見ることは出来ません。
怒田城
土橋跡(写真)を通り、2郭より3メートルくらい高い主郭に登ります。主郭には、土塁 などはないのですが、西側は絶壁であり、下には京急の線路が走っていました。
「寺尾城」 2022年1月に行きました。 横浜市にある寺尾城です。鶴見駅、又は菊名駅からバスで「殿山」下車です。信州の豪族 である諏訪氏が築いたそうです。 バス停からちょこっと坂を登ると説明板があります。さらに、住宅地の角に石碑と説明板 (写真)があります。殿山公園に向かう道の脇にも「寺尾城址の発掘」という説明板が あります。
寺尾城
殿山公園内の階段を下る時、右手(南側)に竪堀とわずかな土塁が見られます。公園内 にも「寺尾城の遺構」の説明板がありました。 最後に、モアクレスト菊名のプレイロットの所に、土塁が20メートル残っているのを 見に行き、散策を終えました。
「小田原城」 言わずと知れた北条の城で、1590年、秀吉に攻められました。小田原駅から徒歩 10分の近世城郭部分以外に、全長9キロにわたる総構えもあり、所々遺構が残って います。 1回目は1994年に訪れ、2回目はいつだったか忘れました。 3回目は2010年5月に訪れました。馬出門、銅門等が復元されていましたが 北条五代祭の武者たちの控えスペースになっていた為、立入禁止でがっかりでした。 天守の中には多くの展示があり、最上階からは真鶴半島も望めました。二の丸にある 歴史見聞館(現在はNINJA館)もみました。 4回目は、2015年11月に訪れました。 まずは、耐震工事中の天守をスルーし、内部を特別公開している銅門へ。内部は太い梁 が渡してあり、窓から桝形がみえました。次に、大手門跡へ。ここは、石垣を利用した 鐘つき堂になっています。 それから、線路の反対側、八幡山古郭東曲輪に。小田原城の古郭だった所で、きちんと 整備されており天守が見下ろせます。 そこから、最近公開された三の丸外郭新堀土塁に。ここは土塁が2つあるのですが 見学時間が決まっており、15時には門が閉まります。はやっ! 総構の最後は、小峯御鐘ノ台大堀切の東堀、中堀。特に東堀は深くて折れもあり、 思わず「凄い!」と呟いてしまいました。 お土産は、鈴廣の「あげかま」にしました。うまうまでした。
小田原城
5回目は、2018年10月にフォロワーさん(ikebouzuさん、ちょめさん、 橘さん、メンチさん、トオルさん)と行きました。 まず、総構の見所の一つ、早川口遺構へ。観光回遊バスでは、文学館で下車し徒歩 です。土塁が残っており、上に登ってみました。説明板もありました。 次に、箱根口門跡へ。3の丸小学校の前に東櫓台の石垣が残っています。小学校の校舎 や門もお城風でした。 そして、小田原城址公園部分へ。銅門の中に入ると、小田原評定中の人形が5体。 常盤木門を抜け、いよいよ天守(写真)へ。2016年のリニューアル後、初めて 入ります。4階までは展示があり、最上階には摩利支天像がまつられていました。 展望としては、石垣山城、八幡山古郭。また、真下にある「豆汽車」の走る所は2重 空堀だったそうです。 天守を出た時、すでに夕暮れでしたが、小峯御鐘ノ台大堀切に行くことになりました。 真っ暗になりつつある中、東堀、中堀をみて、昨年から公開された西堀に向かいます。 西堀は幅が広く、段差もあり、ぬかるんでいそうな所もありました。何ヵ所か説明板 もあり楽しめました。 6回目は、2021年4月に、総構をレンタサイクルで回りました。小田原市民交流 センターUMECOで、電動アシストが1000円で借りられます。 まずは、70メートル残っている蓮上院土塁に行きました。爆弾着弾跡もあります。 次に、城下張出で、東側のL字に残る堀、そして、西側の平場に行きました。さらに、 山ノ神堀切をみてから、稲荷森へ向かいます。なかなか大きい堀でした。 そして、小峯御鐘ノ台の大堀切では、東堀、中堀、西堀をみました。東堀は何度も来て いますけど、すごいですね。 さらには、ちょっと足をのばして、大外郭土塁(看板あり)、香林寺山西(階段を下り た所がなんとなく堀)、水乃尾口櫓台跡(説明板あり)を見学しました。 そして、桜の咲く近世小田原城で、天守、銅門などに加えて、天守東の石垣が崩れた所 銅門礎石、御茶壺曲輪の番所跡・蔵跡、報徳二宮神社などをみて、散策を終えました。
「湯坂城」 2020年7月に行きました。 箱根湯本駅から徒歩です。鎌倉古道・湯坂道を守る城です。大森氏により築城され その後、北条氏の城にもなりました。 ところどころ石畳も残る道を20分登ると城跡に着きます。3郭左手(南側)の藪の 中に堀状の凹みがありました。3郭と2郭の間は、喰違い堀切です。左手はわかりま したが、右手は藪の中でした。
湯坂城
そして、2郭にはコの字型に土塁があります。1郭と2郭間の堀切に説明板(写真) がありました。1郭もコの字型に土塁があり、土塁の西側の部分は他より広くなって いて櫓台だったようです。櫓台の西側の堀切を見て、散策を終えました。湯坂城は ハイキングの人が沢山通っている城でした。
「高麗山城」 2020年7月に行きました。 平塚駅、大磯駅、二宮駅からバスで化粧坂(けわいざか)下車です。北条早雲の城で あったこともあり、また、上杉謙信が小田原征伐の際に本陣を置いたこともあるそう です。 高来神社の裏から登ります。男坂、女坂がありますが、どちらも結構大変な道でした。 大堂という所が主郭です。楕円形の郭で、高麗山の説明板と祠がありました。祠の 後ろの土塁は城の遺構ではないようです。
高麗山城
次に、西側を散策しました。堀切が2つあります。1つ目は深さ3メートルで橋が かかります。2つ目がさらに大きく、深さ6メートルで、木橋がかかります(写真)。 この堀切の先に八俵山の山頂があるのですが、そこの説明板に、城についても少し 記述がありました。 そこから引き返し、今度は東側を散策します。鞍部を経て2郭があり、その先に土橋 付きの堀切がありました。 高麗山城は、ハイキングコース「関東ふれあいの道」の一部でもあり、結構多くの人 が訪れていました。
「深見城」 2020年7月に行きました。 小田急線の鶴間駅から徒歩20分です。城主は山田氏という説があります。 入口の所に説明板があります。まず、城の西側の堀跡である天竺坂を見学しました。 天竺坂についての石碑もあります。
深見城
そして、主郭の南側の空堀に入ります。土塁に沿って空堀が続いており、虎口が2つ あります。西虎口(写真)そして東虎口です。特に東虎口の東側の土塁の上からは 横矢がかかっています。 また、この主郭の堀にほぼ平行する形で、南側にもう1つの空堀がありました。浅く なってしまっていて、とてもわかりにくいのですが、たどっていくと折れを伴って いるのが確認出来ました。
「小松城」 2020年7月に行きました。 永井太膳太夫が城主だったそうで、片倉城の支城です。橋本駅から若葉台住宅行きの バスで若葉台中央下車。また、バスの本数があるのは、城山総合事務所入口という バス停です。宝泉寺の裏山が城址で、寺の入口に石碑があります。
小松城
寺の左手から階段を上がっていくと主郭にたどり着きます。主郭には祠があり、その 北側に大きな土塁(櫓台)があります。(写真) まずは主郭の東側を散策しました。堀切が3つあります。3つ目は、うっすらでした。 そして、今度は主郭西側です。説明板がある所に、堀切と北側に落ちる竪堀がありま した。さらに、西側に堀切が2つありました。
「小沢城」 2019年3月に行きました。 稲毛三郎重成の築城と伝わり、北条氏康が初陣を飾った時に出陣した城でもあります。 京王稲田堤駅、又はJR稲田堤駅から南の登城口まで歩くか、あるいは、京王読売 ランド駅から西側の登城口まで歩いていけます。 南の登城口から登ると、まず土塁がみえます。そして、大きな竪堀がありました。 そこから西に進むと、小沢城の石碑(写真)、富士塚、説明板2つがあり、この辺り は馬場との説明がありました。
小沢城
戻って、物見台にあがります。東側に降りると、堀切(土橋)と枯れた井戸跡があり ました。さらに東に進むと、浅間山。ここには、標柱と祠があります。 浅間山を南に降りると、土塁(物見)があり、その郭(ここも馬場みたいです)に 縄張図付き説明板があります。 次に、浅間山の東方向にしばらく歩くと東側の堀切(竪堀)があります。しかし、 薮でわかりにくいです。 最後に、馬場の南東にある「櫓台かも知れないという土壇」、そして、馬場と土壇間 の堀切のような地形をみて、散策を終えました。 この城、里山の会の方々が、毎月、整備してくれているようで、ありがたいです。
「枡形城」 2019年3月に行きました。 稲毛三郎重成の城で、立河原の戦いでは北条早雲らが入城した城としても知られる そうです。小田急線・向ヶ丘遊園駅から徒歩で、生田緑地の一部です。 途中、長者穴横穴墓群をみてから、飯室山出城へ。ここには、展望台があってスカイ ツリーも見えました。そこから尾根を進むと、主郭である枡形山広場に着きます。 この主郭の形が四角形をしていることから「枡形城」というそうです。 冠木門をくぐると、そこにはエレベーター付き展望台(無料)がありました。 展望台で景色を楽しんでから、階段で降りることにします。階段の壁には、お城の 説明が何枚かありました。
枡形城
さらには、城跡の石碑、復元塀、写真のような冠木門(枡形門)を見学。 最後に、4つの堀切があったという南西尾根を降りてみました。しかし、遺構は 残念ながらほとんどわかりません。それでも、枡形門に一番近い堀切は、なんとなく 北側に竪堀が落ちているようには見えました。 生田緑地には、日本民家園、宙と緑の科学館、藤子F不二雄ミュージアムなどが あり、一日楽しめると思います。
「神奈川台場」 2019年3月に行きました。 京急の神奈川駅から徒歩です。幕末の1860年、勝海舟により設計され伊予松山藩 が築造したそうです。所々に石垣が残っています。 まず、西取渡り道跡にある台場公園に向かいました。ここの石垣は埋戻されていて 見えないのですが、カラーの説明板が2ヵ所にあります。 次に、台場の南西側の石垣が残っている所に行きました。住宅の隙間に石垣があり、 その前に「神奈川台場跡」という石碑があります。
神奈川台場
そして、台場の北東側の石垣が残っている、マンション・ヒストリアレジデンス海舟 の敷地にある石垣展示(写真)を見学しました。 最後は、マンションの隣、星野町公園に残る石垣、石碑、説明板を見学。さらには、 貨物駅・東高島駅敷地内にも石垣が残っているというので、「見えないかなぁ・・」 と公園の北西端から柵越しに覗いてみるとバッチリ確認出来ました。
「権現山城」 2019年3月に行きました。 扇谷上杉氏側の上田蔵人が謀反を起こして、北条早雲に味方して、立て籠った城だ そうです。その戦いでは上杉方が勝利しました。京急の神奈川駅のそばにあります。 小高い山であり、現在は幸ヶ谷公園となっています。
権現山城
残念ながら、台場や鉄道用地の埋立てのために山が削られ、遺構は何も残っていない そうです。 公園内には説明板が2つあります。権現山についてと権現山合戦についてです。 線路を挟んで、青木城もあります。
「岡崎城」(平塚市/伊勢原市) 2019年2月に訪城しました。 岡崎城は、岡崎氏により築城された城で、三浦道寸の城であったこともあり、北条 早雲に攻められたそうです。 城域は平塚市と伊勢原市にまたがっており、小田急線の伊勢原駅から高村団地行き バスで岡崎城址入口下車です。まずは、無量寺へ。郭の一つであり、城の説明板と 石碑が2つありました。そして、お堂の裏にある土塁があり、その上には赤いお稲荷 さんが祀られています。
岡崎城
寺の南西には、南北に3つの郭が連なります。未整備ですが、ここがみどころです。 北の郭は畑でした。そして、1つ目の堀切はちょっと藪です。真ん中の郭を通って 次の堀切(写真)へ進みます。ここも、なかなかの藪でした。 南の郭に上がってみると完全に藪で先に進めません。しかし、西の腰郭を通ることが 出来、藪で無い南の郭の南半分を見学出来ました。最後に、南の郭の南西にある 竪土塁をみて散策を終えました。 帰りに、近くにある城主・岡崎四郎義実の墓にも寄りました。
「丸山城」 2019年2月に訪城しました。 扇谷上杉氏が築いたと推測され、また、太田道灌最後の地である糟屋館もここだった 可能性があるそうです。 私は伊勢原駅から歩きましたが、城の前にバス停(伊勢原駅と愛甲石田駅を結ぶバス の粟窪入口)もあります。 まず、伊勢原市役所前の太田道灌の像を見学してから城へ。城跡は、丸山城址公園に なっていて、子供たちの遊び場でした。曲輪は、上段、下段の2段になっていて 上段には、北側と西側に土塁(写真)が残り、西側土塁には折れがあります。そして 南に説明板もあります。
丸山城
下段には、発掘調査で横堀がぐるっと回っていたことがわかっており、それについて の説明板が2ヵ所にあります。東と西の堀は深さ5メートル、北の堀は深さ2〜3 メートルだったそうで、段差や障子もあったそうです。また、北東にある公園駐車場 の所にも説明板があります。 帰りに、近くの太田道灌の墓に寄りました。また、その途中にあった高部屋神社の 拝殿(国有形文化財)も良かったです。
「松田城」 2019年2月に訪城しました。 北条氏の家老、松田氏の城です。私は、新松田駅から40分歩きましたが、JRの 松田駅からの方が近いです。また、バスの場合は、新松田駅又は松田駅からアサヒ ビール経由大雄山行きの富士通バスで庶子バス停下車です。 バス停から急坂を上がり、東名高速の上にかかる橋を渡り、また階段と急坂を上がる と、説明板のある駐車場に着きます。
松田城
そこからは一本道で、前曲輪、本曲輪、後曲輪と段々に登って行きます。前曲輪は 藪でした。そして、前曲輪と本曲輪の間の堀切(写真)と土橋が、この城で、唯一 確認出来る遺構です。この堀切には「松田城址」という標柱が立っています。  本曲輪から後曲輪にかけても堀切を探しましたが、それらしいものは無く、この辺り で城域が終わりだなという所で引き返すことにしました。
「石垣山一夜城」 豊臣秀吉が北条氏小田原攻めで80日という短期間で築城したお城です。 観光回遊バスのうめまる号で、小田原駅から行けます。(500円でもらえるバッチ を見せるとシーズン乗り放題)それ以外に、東海道線の早川駅から徒歩40分、 箱根登山鉄道の入生田駅から徒歩でも行けます。 1回目は、2012年8月に訪城しました。早川駅から炎天下、ずっと登りが続き 大変でした。石垣は、特に南曲輪(写真)、西曲輪に立派なものがありました。 井戸曲輪は二の丸から25メートルも降りた所にあり、今でもわずかに水が湧き出て います。物見台からは小田原城と真っ青な海が見えました。条件が良ければ、双眼鏡 でスカイツリーが見えるそうです。
石垣山一夜城
2回目は、2018年10月にフォロワーさん(ikebouzuさん、ちょめさん、 橘さん、メンチさん、トオルさん)と行きました。入生田駅から登山し、まずは、 早川石丁場へ。江戸城の為に石を切り出した跡なのですが、矢穴のある石がごろごろ と転がっててテンション上がります。 そして、石垣山城に到着。トイレ前でスタンプを押し、鎧塚ファームで美味しいパン の昼食を。マロンソフトも食べました。 いよいよ散策開始。南曲輪の石垣をみてから、西曲輪の腰曲輪を通ります。前回は こちらに来てなかったのですが、結構石垣がありました。 二の丸に出て、展望台から小田原城を確認。井戸曲輪へ向かいます。とても綺麗に 刈り込まれて見学しやすくなってましたが、一方で井戸の間近に降りられなくなって いました。 井戸曲輪の石垣の上をぐるっと一周してから本丸へ。本丸の天守跡には標柱があり また、瓦も置いてありました。西曲輪見学後、南曲輪付近にある「これより左、加藤 肥後守の石場」と銘文のある石を見つけて、散策を終えました。
「篠原城」 横浜線の菊名駅と新横浜駅の中間にあります。金子城とも言います。普段は城の主要 部分がフェンスで囲まれ立入禁止です。 2018年5月に「篠原城と緑を守る会」さんの主催で見学会がありましたので参加 しました。まこちゃん、こなみさん、sleepyくまちゃんさんも参加されてました。 まずは、本丸の東から北側に残る空堀と土塁(写真)を見学します。 土橋も残っていました。土橋のところから土塁の上に上がって、しばらくその上を 歩きました。そこから、また堀におりて、本丸の西側の行き止まりの所まで行くと 竪堀がみられます。残念ながら伐採した木が残っていて全容がわかりにくいのですが 結構な大きさがありました。
篠原城
そこから戻る時には、北側に下りる虎口(通路)も見学しました。その後、本丸の 南側の通路を通り、本丸を南西側から見られる所へ。本丸の中には入れず、また 未整備なので草がボウボウの状態でした。 最後に、説明の図が貼ってある所で解説を聞きました。本丸の東の曲輪を発掘調査し 横堀が2つ発掘されたそうですが、現在は残念ながら住宅地になってしまっています。 「篠原城と緑を守る会」さんの見学会は、これからも定期的に開かれるようなので サイトから申し込むと良いと思います。
「小机城」 日産スタジアムの最寄り駅でもある横浜線の小机駅から徒歩です。小机城址市民の森 になっており、本丸(西の曲輪)と二の丸(東の曲輪)、そして2つの曲輪を繋ぐ 細長い曲輪(つなぎの曲輪)があります。 1回目は、2014年2月に訪城しました。二の丸の周りの堀底を歩くと、竹林が 綺麗でした。二の丸の井楼跡には、一時、模擬の井楼が建っていたそうですが、今は ありません。本丸で野球少年が試合をしていたので、本丸はほとんど見学出来ません でした。最後に、城跡をぶち抜いている第三京浜の下をくぐり、富士仙元にも寄って 帰りました。
小机城
2回目は、2018年5月に「篠原城と緑を守る会」さん主催の見学会で行きました。 まこちゃん、sleepyくまちゃんさんも一緒でした。 今回は、本丸をじっくり見学出来ました。模擬の冠木門の脇に石碑があり、土塁で 囲われていました。つなぎの曲輪経由で、二の丸へ行き、竹林の空堀の堀底も散策。 時間も無かったので、さらっと終わった感じでした。 見学会解散後、単独行動で、ちょっと行ってみたかったいくつかの所へ向かいます。 本丸南側の堀底、二の丸の東側の防空壕と言われている穴、そして、ルート外ですが 二の丸北東の櫓台に登り、その裏側にある祠も見学しました。 最後に、続100名城スタンプを小机地区センターで押して帰りました。
「浦賀城」 2018年4月に行きました。北条氏の対里見の城。京急の浦賀駅から徒歩、又は途中 までバスです。城の西側200メートル位の所に、徳田屋跡、浦賀の渡しがありました。 (浦賀の渡しから船に乗ると西叶神社に行けます。) 城は、東叶神社の裏にありました。神社には「勝海舟が断食の時に使用した井戸」と いうのがありました。
浦賀城
お参り後、裏山への階段を登ります。途中で右に折れ、登り切った本郭には、勝海舟 断食の碑、慰霊塔、奥の院などがあり、また、展望台からは、里見の城のある房総半島 と海が見渡せます。ここから敵を監視していたのでしょう。展望台の所に説明板も ありました。また、本郭東側には腰郭がいくつかありました。 そこから、北側の急斜面を降りることにしました。神明社の奥に道はあります。 降りたところには、石積で出来た井戸がありました。さらに、東側に回り込み、北へと 進むと大きな堀切(写真)がありました。この城は、堀切と井戸が見所ですね。 また、私は行きませんでしたが、西叶神社側には、燈明堂という江戸初期の灯台が復元 されていますので、ご一緒に是非。
「衣笠城」 2018年4月に行きました。11世紀に築城された三浦氏の城で、衣笠合戦の舞台。 衣笠駅から徒歩、またはバス(衣笠十字路〜衣笠城趾、10分おきにあります)です。 JR横須賀駅や京急・横須賀中央駅からもバスがあります。 凄く急な坂を登っていき、まずは旗立岩を見学。民家の奥なので、遠慮しながら写真 撮影しました。次に、不動の井戸です。中を覗くとお不動さまの彫刻があります。 そして、大善寺をお参りしてから、本堂左手の「城の説明板」をみました。
衣笠城
説明板のところから主郭へ登れます。主郭は東西に長く、少し行くと石碑と案内図が ありました。その後ろを登っていくと、物見岩(写真)と「衣笠城趾」の細長い石碑 があります。 その奥には柵がありますが、一旦石碑と案内図まで戻り、北側のハイキングコースを 進んでみると、物見岩の西には、堀状の地形を挟み、さらに大きい岩があり、岩の上 には祠がありました。一瞬、こっちが物見岩かと思いましたが、最初に見つけた方が 物見岩で良いようです。 最後に、搦手のほうに土塁が残っているという情報があり、「たぶんこれかな?」と いう写真を撮って、散策を終えました。
「玉縄城」 2017年2月に玉縄城探索会に参加し、ちょめさん、ばったびさん、トオルさん WOLFさん、橘さん、Hompoさん、まさじいさんとご一緒しました。さらに あとから、ましみゅ*さんとも同じ班だったことが判明しました。 玉縄城は、伊勢宗瑞(北条早雲)の築城です。散策会の前に、朝駆けで、長屋門 (江戸時代中期のものなので遺構ではない)、七曲り坂の冠木門と平場、太鼓櫓跡 大手門跡、住宅街の中にある「玉縄城址の碑」を散策! 散策会は10時から開始。私の2班は伊藤一美先生が解説。普段は入れない「清泉 女学院」の中へ潜入!! まずは、諏訪壇と蹴鞠場の間の堀。そして、蹴鞠場には土塁があります。そして、 蹴鞠場と月見堂の間の堀に降り、そこからさらに竪堀を降ります。 「こんなところ通っていいの?」というエキサイティングなコース! 諏訪壇の下の三角平から、これまた滑落しそうなコースを直登して、諏訪壇南の堀と 土橋状だが土橋ではなく土塁(畝)の所へ。この土塁で、空堀と竪堀を断ち切って 下の三角平から登って来る敵を攻撃するのだとか・・・。 そのあと、城で最も高い諏訪壇(諏訪神社があった)を見学。そして、校庭になって いる本丸も見学。テニスコート南に低くなってしまったが土塁があります。
玉縄城
清泉女学院の裏門である大手門跡から出て、ふたたび太鼓櫓跡へ。そして、一段下の 郭である焔硝蔵に!ここも、普段は鍵がしてあり入れません。 焔硝蔵のところにある写真の堀切(太鼓櫓の郭と隣の郭との間)が凄く綺麗でした。 そして、七曲り坂を下り、朝駆けで見逃した案内板(七曲殿、マンション建てた時の 発掘調査)をみにいきました。 約2時間の散策、ゴールの龍宝寺には、歴史資料館(城のジオラマあり)がありました。 引き続き、午後はセミナーがあり、@池があったという城主の館発掘結果、 A城域が 「おんべ山砦」から「長尾台砦」まで広域であった、というお話を聞きました。 最後、玉縄城の物見であったという大船観音にも行きました。
「早川城」 2016年11月に行きました。海老名駅から綾瀬市役所行きバス、城山公園 下車です。 案内板が沢山あり、わかりやすい城でした。特に見事だったのが一郭と二郭の 間の空堀。土橋がかかっており、両端は竪堀となって落ちていたようです。
早川城
また、一郭には、土塁、そして物見塚と言われる物見櫓跡(写真)がありました。 一段下には腰郭跡がありました。
「大庭城」 2016年11月に行きました。太田道灌築城といわれており、大庭城址公園に なっています。辻堂駅や湘南台駅から何路線かバスが出ています。バス停は、 大庭小学校、舟地蔵など。 四の郭から散策。四郭と三郭の間の空堀はフェンスで入れません。三の郭には 石碑、案内板があります。 一番の見所は、二郭と三郭の間の空堀&土塁!折れもあり深い(写真)。空堀の 一番東側のあたりは、土塁分も含め、深さ6メートルはあり見事!
大庭城
その後、主郭と二郭の間の空堀、主郭の掘立柱建物跡、石碑を見学。南側に下り 舟地蔵を見学。北条方に城の攻め方を教えたため殺されてしまった老婆を供養して います。 戻って、主郭南の堀切、主郭西の腰郭 、西側の竪堀2本も見学。 最後、管理事務所でパネル展示とジオラマを。お城の説明の紙も置いてあります。 (ただ、管理人さんが巡回中は鍵がしまってます) 見所が多すぎる城でした。
「新井城」 2016年10月に行きました。 京急の三崎口駅から「油壷」行きバスの終点です。三浦氏の城で、北条早雲に 攻められ落城したそうです。 まずは、「内の引橋」というところの堀が残っています。三方を海で囲まれた 新井城、唯一陸続きの所の橋を引くとどこからも攻められなくなるのでしょう。 そして、主郭は現在東大地震研究所なので立ち入り禁止です。でも、敷地の外 の道に沿って土塁があり、さらに主郭北側の堀は、外からですが見ることが できます。 それから、岬を時計回りにぐるっと一周。岩場を歩くと絶壁で攻められそうに ありません。
新井城
最後に、三浦道寸の墓、そして、「新井城の碑」(写真)と三浦荒次郎義意の 墓を見学し、散策を終えました。 今回は行きませんでしたが、ここには、油壷マリンパークなる水族館が ありますので、あわせてどうぞ!
「三崎城」 2016年10月に行きました。 三浦氏の城で、北条早雲に攻められ、新井城とともに落城したそうです。 京急の三崎口駅からバス(城が島行き、三崎港行き、三崎東岡行き)に乗り バス停「三崎東岡」下車です。 市役所のある道を進むと、中学校の前、馬出だったと伝わる所に「石碑」と 「説明板」があります(写真)。
三崎城
本丸にあたるところは、体育館があったそうですが、今は更地でした。 そして、「慰霊堂参道」という標柱があるところの土塁を見学。さらに 進むと、慰霊堂が建っている物見台とも伝わる所の手前が堀となっており 土橋があります。 次に向かったのは、本瑞寺と光念寺の並ぶところ。2つの寺の間に土塁。 そして、光念寺の南と北、本瑞寺の北と東に土塁上の地形を確認しました。 本瑞寺の東側の道路が堀跡のようですが、高低差がすごかったです。 今回いかなかったのですが、漁港の辺りには「マグロ丼」の店が複数ある ようでしたので、そちらもあわせて是非!!
「河村城」 2014年9月に訪城しました。御殿場線の山北駅から徒歩20分です。 (御殿場線は本数が少ないので事前確認が必要です) 茶臼郭と小郭の間の畝堀が一番の見所です。(写真) 草で覆われてしまって 畝がわかりにくいですが・・・。
河村城
それから、お姫井戸をみて、本城郭へ向かいます。一旦、馬出郭、西郭、 北郭をみてから本城郭に戻り、次に蔵郭、近藤郭、大庭郭を見学しました。 蔵郭と近藤郭の間の空堀は一番大きいのですが、最近土橋をコンクリートで 固める工事が為されてしまい、とても残念な感じです。
「津久井城」 2014年2月に訪城しました。橋本駅からバスです。 まず、北根小屋のバス停からパークセンターまで行き、展示を見ました。 その後、20分くらい登山して、まずは家老屋敷跡の一段下の石垣を 見学。(写真)
津久井城
太鼓曲輪、本城曲輪をみて引き返し、飯縄曲輪の神社、宝ヶ池、落雷で 焼けてしまった大杉をみて、最後に鷹射場から景色を眺めて下山しました。 尾根に沿って曲輪が連なるなかなかの山城でした。

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