岩手県の城
「鍋倉城」 2023年10月に攻めました。 釜石線の遠野駅から徒歩です。阿曽沼氏らはにより築城され、南部氏の城でもあったそう です。 まず、南部神社をお参りし、武者溜まり(駐車場)土塁を見ました。次に、3の丸に行き 櫓風展望台に登りました。 そして、本丸へ向かいます。本丸(写真)には、土塁、大手門跡、説明板、東側の本丸館 玄関跡(石敷き)、そして玄関に登る道の所の石積(埋め戻されているが1つだけ露出)、 搦手門跡などがあります。また、南側に枡形虎口状の所もあります。次に、搦手から降りて、水溜堀、空堀、本丸2の丸間堀切と見ていきます。2の丸は鍋倉 家墓所ですが、2の丸御門跡には礎石が残っています。 小新田屋敷跡の標柱をみて、馬場を通り、一番南の行燈堀を見ました。それから、搦手門 跡(旧大手門)を見ながら戻りました。 余った時間で、遠野市立博物館を見学しました。座敷わらしなど遠野物語のことも知れま したし、また、期間限定だそうですが鍋倉城絵図を見られました。
「志波城」 2023年10月に攻めました。 蝦夷と戦うため、坂上田村麻呂により築かれました。盛岡駅からバスで飯岡十文字、又は 志波城古代公園前(1日1本)です。私は、帰りは榊というバス停まで歩きました。 最初に案内所に入って展示と映像(約15分間)を見て勉強しました。そして、外大溝を 渡って、復元の外郭南門(写真)へ。両側の築地塀と櫓も復元されています。なかなか 素晴らしいです。そして、門を過ぎると竪穴式住居があり、少し行くと、これも復元の官衙(かんが)の 建物(行政実務を実施)がありました。 政庁は四角く堀で囲まれていて、南門、東門、西門と築地塀の一部が復元されていました。 政庁の内側には、正殿跡などが平面表示されています。 最後に、外郭南門から東側の端にある「築地塀外溝遺構」まで歩いて散策を終えました。
「九戸城」 2023年5月に攻めました。 二戸駅からバスで呑香稲荷神社下車です。九戸氏が築城し、豊臣秀吉に攻められ落城しま した。その後、南部氏も入っています。 幅60メートルもある堀跡の道を通り、二の丸大手に到着しました。本丸は、東と南側を 堀と土塁で囲まれ、堀の側面には大きな石による石垣も見られます(写真)。 本丸の虎口は東と南の2ヶ所であり、両方とも石垣による枡形になっています。本丸内は 北と西が一段高くなり、建物跡の礎石位置が表示されています。本丸のあと、外郭にあたる石沢館、若狭館、松の丸と見ていきました。いずれも、石碑が 立っています。 散策後、ガイドハウスに行くと映像を見ることが出来、スタンプ、パンフレットもありま した。さらに、二戸駅と城の中間にある「埋蔵文化財センター」に寄りますと、土塁の 断面展示、ジオラマ、出土物があり楽しめました。(スタンプ、パンフレット、御城印も あり)
「盛岡城」 南部氏のお城です。盛岡駅からはバスか徒歩20分です。観光地を巡る、でんでんむし というバスは100円でした。現在は、盛岡城跡公園です。 1回目は、1997年に訪れました。なかなかすてきな公園になっており、随所に石垣が 残されていました。本丸と二の丸の間には、朱塗りの橋が架かっていました。 盛岡なので、わんこ蕎麦を頂きました。(お店の名前は失念)2回目は、2019年4月に訪れました。 まず、腰曲輪経由で本丸に行きました。三重櫓があったという南東隅の石垣を見学。本丸 には、銅像の台座だけが残っています。銅像自体は戦時に供出されたそうです。 赤い橋を渡って2の丸へ。この橋は、元々は廊下橋だったそうです。2の丸には石川啄木の 歌碑がありました。そして、桝形を通り、3の丸へ。3の丸の人が行かないような隅っこに 井戸がありました。 また、桝形を通って、桜木神社へ。ここには、巨大な三角の烏帽子岩があります。 ここからは、外側の高石垣を、ぐるっと一周見ることにしました。素晴らしいのですが、 一部、孕んでいて修復が必要な所があり、立入り禁止でした。 南側には、唯一の現存建物である「彦御蔵」がありました。元々の場所は現在の場所の西側 100mにあり、そこから移築されています。 そして、ホタルの里のあたりには、矢穴のある残念石がありました。さらに、淡路丸の井戸 も、トイレそばにひっそりとありました。 そして、最後なのですが、もりおか歴史文化館へ。夜7時まで開いているのは良いですね。 100名城スタンプ。そして、展示では城のジオラマや瓦などがありました。(300円) また、ここの1階で、盛岡城跡公園ガイドマップをもらえるのですが、これが非常に詳しく 散策する前にもらっておくのが良いと思います。