茨城県の城



        「御前山城」


    2024年3月に攻めました。
    水戸駅からバスで1時間、御前山のバス停下車です。藤原氏が築城したとか孝謙天皇が
    住んでいたとかいろいろな説があるそうです。ハイキングコースになっています。
    東登山口から登ります。20分くらいで、まず出てくるのは物見郭です。そして、主郭内
    は未整備でしたが東側に堀と土橋、主郭内の段差の所にもうっすらとした堀と土橋があり
    ます。


御前山城
    主郭の西側には虎口があり、両側には高い土塁があります。虎口の前の道は折れ曲がり     土橋に続きます。土橋の両脇は堀切(写真)になっていました。その堀切の中に1ヵ所     堀障子(障壁)がありました。     また、主郭の南西尾根を少し行くと小さい堀切がありました。戻って来て、西へ150     メートルくらい行くと、土塁の間に虎口、そして土橋と堀切があります。さらに、その     先にも堀切があり、鐘撞堂跡との分岐点にも堀切がありました。     最後に、あずまやのある鐘撞堂跡に寄って散策を終えました。
「野口城」     2024年3月に攻めました。     水戸駅からバスで1時間、那珂川大橋のバス停下車です。川野辺氏の城でしたが、佐竹氏     が入って野口氏を称したそうです。     野口城跡の矢印看板の所を入ります。左手に説明板と標柱(文字は消えかかっている)が     ありました。主郭と2郭間を進んで行くと、主郭北の土塁にたどり着けます。この土塁上     を東に行くと主郭東側の土塁に繋がります。
野口城
    主郭北の土塁を越えると2重堀切があります。特に、北側の堀(写真)が大きく高さ10     メートル近いです。そして、さらに北に向かうと、北郭北側の2重堀切にも行けます。     2本のうち北側の堀切は浅かったです。     帰りに、2郭の西側の切岸、横堀、土塁をみて散策を終えました。
「館岸城」     2024年3月に攻めました。     岩間駅から約3キロで歩いて行きました。難台山城の向城として幕府軍が築城したという     伝承もあり、もっと後に築城されたという説もあるようです。     まず、出てきたのが堀切で、その後、主郭・2郭・水場がぐるりと土塁で囲まれている所     に着きました。     まずは、主郭に向かいます。説明板がありました。2郭北側には高さ5メートルもある     大きな土塁があり、それを超えると2重堀切です。この堀切に、くっきりと2本の堀障子     (写真)があります。わかりにくいですが、写真の手前と奥に1本ずつです。
館岸城
    さらに、北側の3郭の上には波石があります。波の模様がある石です。3郭北の堀切は     うっすらでわかりにくいのですが、ここにも2本の堀障子があります。     そして、しばらく登ると館岸山山頂に着くのですが、その先にも堀切があります。     戻ってきて、ぐるりと囲む土塁の東側を通り水場に来ました。虎口は明確でしたが、水場     は水が無いのでこの辺かな?という感じでした。
「府中城」     2024年3月に攻めました。     石岡駅から徒歩です。元々常陸国府だった所に大掾氏が築城し、のちに佐竹氏の城になり     ました。石岡小学校が本丸です。     小学校の手前に陣屋門があるのですが、残念なことに市民会館解体工事のため、フェンス     に囲まれていました。     小学校に入ると、南北に20メートルくらい土塁(写真)があります。高さも3メートル     以上ありました。
府中城
    土塁説明板もあり、常陸国府跡の石碑、古墳から出た石棺、風間阿弥陀(小栗城の守り     本尊)がありました。     土塁のそばにあるふるさと歴史館では、12分間の石岡市史跡の映像をみてから、府中城     の出土品などの展示を見ました。     最後に、小学校南西の3の丸に堀が残っているとのことで行ってみました。藪漕ぎを覚悟     していたのですが、凄く整備されていて見学しやすかったです。     近くに、国分寺跡、国分尼寺跡もあるそうなので、ご一緒にどうぞ。
「下妻城」     2024年2月に攻めました。     別名・多賀谷城です。多賀谷氏の城です。下妻駅からすぐです。     現在、本丸は多賀谷城跡公園になっています。本丸跡の標柱、多賀谷氏遺跡碑、説明板     2つがありましたが、残念ながら遺構はないです。
下妻城
    遺構は、駅を挟んだ所にある城山稲荷神社にあります。予想外に大きい土塁(写真)で     ビックリしました。(長さ30メートル、高さ3メートル、幅4メートル)
「前小屋城」     2024年1月に攻めました。     常陸大宮駅から約3キロです。徒歩で行きましたが、近くまでバスもありそうです。小場     氏の重臣・前小屋氏の城です。     北から順に、主郭、2郭、3郭、4郭と並び、また、西郭もあります。まず、東側だけ     残る3と4郭間の堀を見てから、主郭にある種生院(写真)に向かいます。ここの観音様     は、三蔵法師が遺され、弘法大師も祈祷したそうです。
前小屋城
    境内には、前小屋城の説明板があります。そして、主郭の周りを堀が囲んでいます。堀は     内側と外側の両方に土塁があり、深さも6メートルくらいあります。東側、北側の堀底は     けっこうな藪でした。西側には土塁に虎口があり西郭に行けるようになっています。     また、主郭周りの堀は2郭の西側の堀に繋がっていて、2と3郭間の堀も部分的に残って     います。2郭の西側の堀の途中に土橋がありますが、斜めに架かっています。     次に、西郭へ行きました。ここも堀と土塁で囲まれていました。最後に、西郭の西にある     「五器井戸」に行きました。巨人の足跡が井戸になったという伝説があるそうです。
「宇留野城」     2024年1月に攻めました。     常陸大宮駅から約2キロで徒歩で行きました。宇留野氏の城です。     私は、前小屋城の後に行ったため、南側から見ていきました。鳥居の所の階段を約100     段登ると主郭(御城)に着きます。ここには日向神社があり、また、宇留野城の説明板も     あります。
宇留野城
    中城(2郭)との間には堀があり、内側と外側に比高2重土塁がありました。そして、     中城と外郭(3郭)との間にも2重土塁と堀(写真)です。そのそばには、古い説明板も     ありました。     さらには、外郭の北側にも2重土塁と堀があるのですが、ここの土塁は内側からの高さ3     メートルもあり、城の中で一番大きかったです。最後に、外郭西側にある水場(井戸)を     みて散策を終えました。
「部垂城」     2024年1月に攻めました。     「へたれ」と読みます。常陸大宮駅から1キロ弱で徒歩です。大塚豊前守、小貫氏、部垂     氏を名乗った佐竹義元などが城主でした。
部垂城
    まずは、松吟寺にある櫓台と土塁を見に行きました。山門手前の右手に櫓台がありました。     その上には、お宮が建っています。東に向けて土塁が延びていましたが、さらに、南北     方向にも土塁状のものがありましたがこれも土塁なのでしょうか?     次に、大宮小学校の門のそばにある佐竹義元の墓碑(写真)、部垂城の説明板、 部垂城跡     石碑を見学しました。義元は、兄弟間での争い・部垂の乱で、最後は自刃したそうです。
「逆井城」     逆井氏が築城し、その後、後北条氏の城となりましたが、1590年に廃城となりました。     逆井城跡公園として整備されています。最寄り駅が無いのですが、宇都宮線古河駅から     大網行きバスで終点下車。そこから60分歩きます。古河駅からレンタサイクルでも行け     るそうです。     1回目は、2013年11月に訪れました。     戦国時代風の二重櫓があり、中に入れます。また、井楼櫓が2ヵ所に建っており、こちら     はぐらぐらして危険なので現在は登れません。関宿城から移築された薬医門、堀ノ内大台     城の主殿、古河城書院の礎石もあります。蕎麦屋さんがあり、美味しいと評判らしいです     けれど、当日は休みでした。残念!orz
逆井城
    2回目は、2023年12月に城葱さんと攻めました。     まず、道路から井楼櫓、平櫓、2重櫓の並びを見ます。手前の堀は中央部分が凸になって     いて船着き場かもしれません。そして、橋を渡って2重櫓(写真)へ。以前は、2階の     欄干に出られた気がしますが、出られなくなっていました。そして、前回、立ち入り禁止     だった井楼櫓に登れるようになっていたので登りました。さらに、土塁に沿って歩きまし     た。     主郭の周りの堀底を歩き、馬出と鐘堀池跡を見ます。主郭東側の橋を渡り、復元の門を     抜け主郭に入ります。主郭には祠があり、囲んでいる土塁も高いです。     主郭東側の郭には城趾の石碑が立ち、前回あったこちらの井楼櫓は撤去になっていました。     今回も前回と同じで、地元のご老人がゲートボールを楽しんでいました。そして、この郭     のさらに東側に堀があり、堀の内側と外側は「比高二重土塁」になっているそうです。     最後に、関宿城の城門(移築)、大台城の主殿(復元)、古河城の礎石を見て散策を終え     ました。礎石には、説明板が欲しいですね。
「古河城」     古河公方の足利氏が築城し、北条氏を経て、江戸時代には、多くの大名が城主となった     そうです。古河駅から徒歩です。古河城の本丸は、現在、川の中あたりだそうですが、     遺構や建物は街中に残っています。     1回目は、2016年6月に行きました。     まずは、大手門跡、そして、獅子が崎土塁と堀跡。土塁の前には、家老屋敷の長屋門が     あります。次に、坂長本店になっている文庫蔵と乾蔵を見学。さらに、福法寺山門に     なっている二の丸の乾門も。     そして、古河歴史博物館の前にある諏訪曲輪の土塁と堀跡を見学。石碑は2ヶ所にあり     ます。博物館には、古河城のジオラマがあり、三重天守があったことがわかります。     そして、渡良瀬川の河川敷、サイクリングロードのところにポツンとある本丸跡の標柱を     見学。散策を終えました。
古河城
    2回目は、2023年12月に城葱さんと攻めました。     まず「坂長」というお店になっている旧古河城文庫蔵、そして乾蔵を見ます。そのそばに     ある坂長文庫蔵の中の「古河城の映像」(13分間)が、古写真満載で、とても良かった     ので是非見てください。     そして、福法寺山門になっている「乾門」をみてから、博物館がある諏訪曲輪へ。高い     土塁が残っていました。     博物館そばには、諏訪曲輪石碑が2つあります。そして、博物館には、古河城ジオラマ、     また、鷹見さんがコレクションした全国の城絵図(例えば桑名城、駿府城などで重要文化     財)もあります。     次に、獅子ヶ崎土塁を見に行きした。堀跡、そして長屋門もあります。さらには、川の     土手の上に、本丸跡の石碑(写真)と説明板がありました。(標柱は撤去)     帰ってきてから気づいたのですが、頼政神社にある観音寺曲輪土塁を見忘れました。
「古河公方館」     古河公方が鎌倉から移ってきてから2年間だけ居たようで、その後は古河城に入ったよう     です。古河駅から徒歩30分、古河城本丸跡から20分です。現在は、古河総合公園の     一部になっています。     1回目は、2016年6月に行きました。     水堀に囲まれたところに石碑と案内板があり、その後ろが一の曲輪です。土橋と空堀、     土塁がみられます。     二の曲輪は民家園になっています。公園の北の方にあるハス池は、6月から8月にハスの     花が咲きますので、この時期に訪れてはどうでしょう。とても綺麗でしたよー。
古河公方館
    2回目は、2023年12月に城葱さんと攻めました。     2郭にある古民家は、冬場、15:45と早く閉まってしまうので、時間がなく、あまり     見られませんでした。主郭寄りには、城趾の石碑が2つと説明板(写真)があります。     その後ろにあたる所が主郭です。     主郭は、馬蹄型に水堀で囲まれていました。唯一陸続きの所は堀切と土塁で遮断していて     土橋で入れるようになっています。主郭を囲むような土塁は、堀切の所以外に見あたり     ませんでした。
「下館城」     2023年11月に攻めました。     真岡鉄道の下館二高前駅、あるいは3つの路線が乗り入れる下館駅から徒歩です。水谷氏     の城です。
下館城
    八幡神社が建つ所が本丸跡で、そこには、城跡石碑(写真)、説明板がありました。神社     に参拝します。神社説明板にも城のことが記載されています。また、少し離れた所に、     本丸北側の堀切跡が残っていますので、お見逃しなく!
「小幡城」     小幡氏の城でした。常磐線の水戸駅か石岡駅からバスですが、本数は少ないです。バス停     新小幡から徒歩15分です。40分ほど歩きますが、奥ノ谷というバス停のほうがバスは     来ます。     1回目は、2015年2月に訪城しました。     新小幡からの途中、高速道路を渡る出前に大手門跡がありますので、お見逃しなく。     約10mと深く迷路のような堀底道を進みます。途中、階段を上がると、櫓跡があります。     そして、土塁の間に少し凹んだ「変形武者走り」という珍しい空間があります。     また、主郭は、土塁で囲まれて井戸跡もあります。今回、頑張って藪を抜けて、外郭に     抜ける土橋の方まで足を延ばしてみました。地図を準備していかないと迷子になりそうな     凄い中世城郭でした。
小幡城
    2回目は、2023年10月に、まこちゃん、あいこさんと攻めました。     入り口の説明板を見てからスタートします。空堀の堀底を進むのですが、空堀(写真)は     大きく、深さが10メートル近い所もありました。ただ、前回は入ることが出来た空堀の     いくつかが、立ち入り禁止のようになっていて残念でした。     主郭虎口の前に、4郭5郭間の綺麗な土橋がありました。主郭は広く土塁で囲まれ井戸が     あります。主郭を出て南東にある祠をみてから、また堀底道へ。2の郭に登ってみたら     土塁がありました。     それから階段を登り5の郭へ。櫓台があり、また「変形武者走り」という窪みは、敵から     見られないように移動するためにあるそうです。     そして、5郭と7郭間の2重堀を渡る2つの土橋を見に行きます。なかなかたどり着けな     かったのですが、先程の綺麗な土橋を西に進むことで見つかりました。最後に、空堀を     藪こぎし6郭西にある土橋を見つけ散策を終えました。
「水戸城」     馬場氏、江戸氏、佐竹氏を経て、江戸時代は徳川の城でした。水戸駅から徒歩で行けます。     1回目は、2011年2月に訪城しました。     遺構としては、高校の敷地内に薬医門(写真)が残っていました。また、大手門付近の     土塁や三の丸の大きな空堀も残っています。梅の季節だったので、日本三名園のひとつで     ある偕楽園、藩校である弘道館も一緒に行きました。お土産は、水戸の梅・のし梅の詰め     合わせにしました。     2回目は、2019年7月に、ちょこっとだけ寄りました。     復元工事中の大手門は、もう少しで完成のようでした。そこから、本丸までの道も土塀や     説明板が出来ていて、綺麗になっていました。御三階櫓の説明板、復元された杉山門を     みてから、第一高校内にある薬医門を見学。そして、高校に入るための橋の下は、水郡線     の線路が通る空堀跡になっています。最後に、駅に戻る時に、もう一つの復元・柵町坂下     門をみることが出来ました。
水戸城
    3回目は、2020年12月に行きました。     駅前で出来たばかりの2の丸角櫓を見てから、復元された大手門に向かいます。大手門の     左右には練塀も復元され、一部ガラス越しなのが現存の練塀です。門の内側にある土塁に     よる桝形も必見です。     それから、2の丸展示館をはじめて見ることが出来ました。中には、出土瓦、ジオラマ     などの展示があり、パンフレットももらえました。     そして、弘道館の北側を歩いていたら、たまたま復元の北柵御門というのを見つけました。     この門は、お城でなく弘道館の門らしいのですが、土塁による桝形も復元されていました。     最後に3の丸土塁と空堀をみにいくと、本当にでっかいです。
水戸城
    4回目は、2023年10月に、まこちゃん、あいこさんと攻めました。     駅前で2の丸角櫓の写真を撮ってから大手門(写真)を見学。そして、2の丸角櫓の中に     入るため長い通路を歩きます。櫓の前には礎石が展示され、また、櫓の中には、最近、     寺で発見された大手門の門扉がありました。     杉山門を見てから本丸へ。水郡線が通るどでかい堀切を渡り、現存の薬医門を見ます。     本丸の北西隅、南西隅にも角櫓があったそうなので、跡があるか見てみたのですが、良く     わからなかったです。     棚町坂下門をチラ見してから、2の丸展示館へ。そして、3の丸にある藩校の弘道館を     見学しました。     続いて、3の丸空堀を見学し、もう少し時間があったので、梅香トンネルになっている     4の空堀(堀切)、千波公園西の谷として整備されている5の空堀(堀切)にも行って     みました。千波公園西の谷に、水戸城5つの堀について記載がある説明板があったのは     嬉しかったです。是非!
「中居城」     2022年9月に攻めました。     鹿島臨海鉄道の大洋駅から徒歩です。中居氏の城で、城の東側は消滅してしまっています。     説明板と標柱のある所から入ります。まず、大手竪堀、主郭東の空堀、主郭虎口の竪堀・     土橋と順番に見学しました。そして、主郭2郭間の浅い堀のような所に稲荷がありました。
中居城
    主郭の周りの土塁、2郭の周りの土塁を見学してから、2郭の南→西→北側の空堀の堀底     を歩きました。なかなか大きな堀でした。写真は西側です。     主郭の北側は3重の堀のようになっています。そして、主郭の北東の方向に空堀と土塁が     延びていきます。その先には、降りるのも大変な程どでかい念仏堀がありました。
「札城」     2022年9月に攻めました。     鹿島臨海鉄道の大洋駅から徒歩です。札氏の城です。     松尾神社の参道を登っていくと、鳥居のある主郭南西隅に出ます。主郭の内部は藪で入れ     ないようですが、周りの空堀を反時計回りに歩きました。     主郭北東隅の部分の空堀(写真)が最も良く残っています。この辺りは、さらに東側に     2つの空堀が並行していて、全部で3重堀のようになっています。
札城
    次に、松尾神社のある主郭北側の郭を見学しました。竪堀が2本あり、また、土塁も見ら     れます。2郭は藪のようで、3郭は墓地だそうなので、ともにパスして、最後に、2郭と     3郭間の堀切を見て散策を終えました。
「高部館」     2022年6月に攻めました。     佐竹氏(高部氏)が築城しました。2つの行き方があります。     @水郡線の常陸大宮駅から茨城交通のバスで高部下車。     A烏山駅から烏山市コミュニティバスで高部車庫下車。     駐車場に説明板があり、縄張図ももらえます。登っていくと、最初の堀切に着きます。     さらに、2番目の堀切は岩盤堀切で、竪堀が落ちます。そして、その先の南西に落ちる     大きな竪堀も見所です。
高部館
    南の郭、5の郭、4の郭と見ていき、本丸に着きました。説明板があります。東側には     武者走り、西を見下ろすと3郭です。北には土塁があり、2郭との間の堀がありました。     2郭でも土塁をみて、6郭の三日月砦に向かいました。     三日月砦の北と南にはそれぞれ空堀があり、北側は綺麗にカーブしています(写真)。     7郭もみてから、西側の遺構に向かいます。     竪堀、西の大堀、西下の堀、竪堀と順に見ていき、散策を終えました。高部館、なかなか     見所の多い城でオススメです。
「高部向館」     2022年6月に攻めました。     高部館の出城で佐竹氏の城です。アクセスは高部館と同様です。高部館そばの駐車場に     説明板があり、縄張図ももらえます。     鳥居の所から登ります。途中、倒木を跨ぐ所や、木が根こそぎ倒れ道が消失した所など     があってとても大変なのですが、なんとか最初の郭に着きました。そこには、北西に落     ちる竪堀がありました。もう1本の北に落ちる竪堀は良くわかりませんでした。
高部向館
    3段ほど切岸を登ると主郭です。主郭には祠がありました。主郭を南に進むとL字の土塁     があります。     その南には、深さ5メートルの大きな堀切(写真)がありました。さらに、南に続く尾根     に沿って堀切が3つ続きます。でも一番南の堀切は痕跡程度でした。     (おまけ)     高部館と高部向館の間の道には高部宿があります。間宮家住宅や岡山家喜雨亭などの     レトロな建物が残っていますので、ご一緒に是非。
「久下田城」     2021年12月に攻めました。     久下田駅から主郭まで徒歩20分です。水谷氏が下館城の支城として築きました。     まず、南側の入り口に石碑がありますので、お見逃しなく。そして、2郭の堀を右手に     みて、2郭に入ります。そのまま進むと、主郭に入る橋に出ます。左右に主郭の南側と     西側の堀がありました。     主郭に入ると、保存会の石碑、稲荷神社があり、北西にわずかに土塁があります。
久下田城
    主郭東側に降りてみると堀の代わりとなる川が流れていて、また、南側と北側の堀に降り     ることも出来ました。(写真は北側の堀です。)     2郭の西側に一段低い腰郭があり、そこに高い土塁があるのですが、藪で近づくのは困難     で遠目に見られただけでした。     最後に、2郭の南西に高い土塁を発見したので、土塁に登り、その裏側を覗いてみると     深さ6メートル、幅も広い堀がありました。
「羽黒山城」     2021年3月に攻めました。     「はぐろさん」と読みます。南北朝時代、春田顕国が城主だった中郡城のことではないかと     も言われ、また、笠間氏一族の城であったこともあるそうです。     水戸線の羽黒駅から徒歩20分で登山口。そこからロープを使って急坂を登ると4郭に着き     ます。4郭と3郭の間の堀切をみてから、土塁が囲む3郭、1段高い2郭と進みます。
羽黒山城
    主郭は、綺麗に土塁で囲まれていて、土塁の内側には石積が見られました。内部には、二所     神社(写真)があり、虎口は南と南西にありました。     ここからは藪こぎでした。5郭の先に2重堀切があるとのことでしたが1つしか見つけられ     ませんでした。さらに6郭の先の大堀切は「わぁ!」と声をあげてしまう大きさでした。
「棟峰城」     2021年3月に攻めました。     「ぐしみね」と読みます。水戸線の羽黒駅から徒歩20分で登山口。そこから羽黒山城経由     で行きました。途中、道に迷って藪こぎを余儀なくされましたが、ルートに復帰。     まず、2郭南の堀切に着きました。これは、少し浅くなってしまっています。そして、2郭     を通って2郭と主郭間の2重堀切へ向かいました。
棟峰城
    南側の堀切(写真)の手前が凸になっていて横矢を掛けているようです。(凸部分に石も     敷いてあります)北側の堀切も大きいです。     最後に主郭です。長細い郭ですが藪が多いです。北側に、なんとなく高い所があり、櫓台     かなと考えました。
「笠間城」     笠間氏、蒲生氏、松平氏、浅野氏、牧野氏などの城でした。水戸線の笠間駅から山麓まで     徒歩20分です。レンタサイクルもあります。     1回目は、2013年7月に訪城しました。     関東では珍しい石垣造りの山城で、本丸には八幡櫓跡が、さらに一段上の天守曲輪には     佐志能神社がありました。東日本大震災の為に石垣が崩れてしまっている所があり痛々し     かったです。     近くの真浄寺に八幡櫓が移築されています。(写真)また、2つの城門が民家の門として     ですが移築現存していますのであわせて見学に行くと良いでしょう。
笠間城
    2回目は、2021年3月に攻めました。     まず、佐白山麓公園で、笠間城主下屋敷跡の碑、笠間城説明板、時の鐘をみて、登山を開始。     本丸の宍ヶ崎櫓跡、八幡台櫓跡をみてから、堀切を経て天守曲輪に向かいます。現存石垣を     みつつ、天守跡に建つ佐志能神社へ。参拝後、裏側の「石倉」(採石場)に向かい、くさり     場を下りました。ここは、大河ドラマの撮影にも使われたそうです。     そのあと、大手門まで下っている途中、井戸を発見!これが映画リングで貞子が出てくる     井戸のモデルなのか?とおもいきや違う井戸だったようです。     そして、ちらっと2の丸をみてから、大手門の石碑と石垣を見て、千人溜まり(城の説明板     あり)、大黒石と見学しました。     下山してきて、日動美術館前の「大石邸跡(赤穂の前が笠間)」をみてから、井筒屋2階に     ある歴史展示に向かいます。笠間城の説明パネル、瓦、絵図、模型がありました。続日本     100名城スタンプも押せます。最後に、日本三大稲荷である「笠間稲荷神社」を訪ねて     散策を終えました。
「山方城」     2020年12月に行きました。     水郡線の山方宿駅から徒歩です。近くまでバスも2時間に1本くらいありそうです。山方氏     により築かれ、のちに佐竹氏の城になったようです。     まずは、詰の城である高館城を攻めます。連郭式の城で、密蔵院の左手から登ります。道が     ないので直登でした。郭、堀切を経て郭、そして凄い切岸があるのですが右手から登る事が     が出来ます。     次に、うっすらですが2重堀切があり、その背後に大土塁がありました。大土塁を越えた     東側に竪堀があり、この主郭と思われる郭は、北側にも土塁、堀切がありました。     さらに、北の郭にも虎口、土橋、堀切があり、そこからは道があり、高館城の北側に降りる     ことが出来ました。
山方城
    次に、麓の郭を散策していきました。外城と中ノ城の間の堀をみたあとに、中ノ城と御城     (みじょう)の間の堀を歩こうとしましたが竹藪がひどく断念。     御城には、2重の模擬天守(写真)が建ちます 。入場は100円です。中には、縄張図、     出土品などの資料があります。2階にも登れました。最後に、御城と中ノ城の南にある土塁     をみて散策を終えました。
「瓜連城」     2020年12月に行きました。     水郡線の瓜連駅から徒歩です。瓜連氏の居城でしたが、その後、楠木氏による南朝方の拠点     となった時期もあるそうです。     現在は、常福寺が建っています。まずは常福寺の楼門とそのそばにある瓜連城石碑、説明板     をみました。それから、寺の裏側に回ります。
瓜連城
    虎口から外に出ると、土塁と堀が巡っています。特に、西側の土塁、堀(写真)が圧巻で、     外側からは8メートル、内側からでも4メートルある巨大な土塁です。土塁の上、北西隅に     は源太郎稲荷が鎮座しています。     そして、南東にも土塁と堀があるので見に行きました。こちらの堀は、整備されていない     竹藪なのですが、櫓台が四角く突き出て横矢をかけており、堀が折れ曲がっていて見応え     がありました。
「馬坂城」     2020年11月に行きました。     常陸太田駅からレンタサイクルで行きました。自転車が3台しかないことから、朝一番で     借りた方が良いです。この城は天神林氏が築城し、佐竹氏「発祥の地」でもあるそうです。     途中、佐竹寺に寄りました。(本堂が重要文化財ですが撮影禁止でした)そして、先に、     主郭東の外堀を見ましたが、現在はソーラーパネルで覆われてしまっていて残念です。     主郭には、階段を登るとたどり着きます。最近出来たお手製の大手門があり、また、石碑と     説明板、そしてパンフレットが置いてあります。(写真)     とても綺麗に整備されている城で、案内標識の順に回ると、全部の見所がみられました。
馬坂城
    まず、主郭東の内堀をみて、主郭北東の堀切、北西の堀切をみました。北西の堀切には降り     たかったのですが、急斜面のため途中で断念しました。     そのあと、主郭西の堀、5段切岸、物見塚(元古墳の櫓台)をみました。物見塚の上には     祠がありました。     そして、少し浅くなってはいますが2重堀切を見てから、西郭に到着しました。さらには、     堀切を経て袖曲輪へ向かいました。水の手もあります。袖曲輪の北から西にかけての空堀は     綺麗にカーブしていて、竪堀に繋がっていました。     最後に、主郭の南、腰曲輪にある、もう1つの水の手をみて、散策を終えました。
「常陸太田城」     舌状台地上に形成された佐竹氏の城で関東七名城に数えられることもあります。(諸説あり)     常陸太田駅からは、およそ2キロあり、駅にレンタサイクルがあります。     1回目は2016年8月に弁天堂さんと車で行きました。     本郭のあった太田小学校に、別名の舞鶴城の石碑があります。(写真)小学校の西側には     土塁なのか切岸なのか高低差が残ります。本郭の東側も高低差があり、水戸八景・太田落雁     という景色の良いところもありました。
常陸太田城
    2回目は2020年11月にレンタサイクルで行きました。     まず、2郭跡である若宮八幡宮に行きました。ここの駐車場には「太田古城の碑」があり     ます。ちょうど七五三の時期で、とても賑わっていました。     そして、小学校の石碑をみてから、3郭あたりの発掘調査現場を見に行きました。大規模な     2号堀跡Bが3郭と4郭を分けていたことがわかったそうなのですが、現地説明会も終わり     ちょうどショベルカーによる遺構の埋め戻しの最中でした。でも、半分くらいの空堀が、     まだ埋め戻されておらず、遠くからですが見ることが出来ました。
「南酒出城」     2020年11月に行きました。南酒出駅から徒歩です。佐竹氏の城です。     蒼龍寺の前に説明板があります。そこから、まずは主郭に向かいます。土橋を渡り、主郭の     中に入ると、ぐるっと土塁で囲まれています。井戸跡をみてから、土塁の上を一周しました。     そして、空堀の堀底に降りてみます。空堀は西側(写真)と北側にあるのですが、大きくて     素敵です。特に、北側には横矢が掛かるような土塁の出っぱり部分がありました。
南酒出城
    そして、2郭へ向かいます。2郭も、北と西に土塁と空堀が残っています。西側には折れて     いる所があり、また、2郭の北西隅の所は、3重の堀になっているようです。     最後に、民家があり御城と呼ばれている2郭西の部分を通り抜けて、散策を終えました。
「二条山館」 2020年2月に行きました。羽鳥駅から板敷山行きのバスで、瓦谷下車です。路川氏の城 です。別名は宇治会館です。 源照寺の墓の裏側からアタックしました。祠がある所から細道を行くと、まず、ひとつ、 空堀があります。そして、さらに進むと、主郭北側の3重の堀にたどり着きました。写真は 3重堀のうち一番外側の堀で、とても綺麗です。 3重堀を西に進んでいくと、一番外側の堀が主郭西側の堀へと続いています。主郭の内部は 藪でした。主郭の南西の隅には、土橋、そして両側に土塁がある虎口もあります。
二条山館
土塁を渡って2郭に進みます。2郭西側の横堀は一旦短い竪堀になり、また横堀になって いました。2郭西側と南側には、凄く綺麗で大きな竪堀があり必見です。しかし、2郭東側 の竪堀は藪でわかりにくかったです。 主郭の南の空堀は、主郭の東側にも回っています。その堀底を散策し、最初の3重堀の地点 に戻り、散策を終えました。
「片野城」 2020年2月に行きました。石岡駅からのバスで、根小屋入口下車です。小田氏の一族・ 八代将監が築城し、その後、太田(三楽斎)資正が城主であった時もあります。 まず、2郭と3郭の間の堀切から攻めました。その2郭側に、石碑と説明板があります。 そして、3郭の七代天神社へ参拝します。3郭の虎口には土塁がありました。 角馬出になっている4郭は藪ですが、藪漕ぎすれば土塁があります。そして、堀底にも降り てみました。 5郭は寺になっていて、そこには太田資正の墓がありました。そして、5郭の南には横堀が あり、その横堀は何本かの竪堀と交差していました。
片野城
そこから、2郭に戻ります。2郭は畑で、南側に高さ2メートルの土塁があります。2郭と 主郭の間には土橋があり、その脇の空堀に降りてみてから、主郭に向かいました。 主郭は、南の虎口の左右、そして北側に高さ2〜3メートルの土塁がありました。ただ、 中央部分は藪と倒木のために進むのが大変でした。 それから、主郭の北にある大堀切(写真)に降りました。とても幅が広いので、凄い土木量 になると思います。そして、最後に、北の郭にある土塁、水堀、空堀、土橋、馬出郭をみて 散策を終えました。
「永山城(長山城)」 2019年10月に行きました。長山氏の城です。潮来駅から麻生庁舎行きバスで東永山 下車、そこから徒歩20分、かすみの郷公園の南です。潮来駅にレンタサイクルもある ようです。 西側に石碑と説明板があります。登城口がとてもわかりにくいのですが、石碑から、城の 南西沿いの農道を100メートル程行き、なんとなく踏み跡のある藪の中に突入すると、 主郭と2郭間の大堀切に出られます。大堀切は素晴らしく、この城一番の見所ですね。 (写真) まずは、2郭から散策します。全周が土塁に囲まれていて、南の虎口からはつづら折りの 道が下りていました。また、虎口は北と東にもありました。
永山城(長山城)
次に、主郭です。大堀切からの坂虎口を登ります。主郭も土塁で囲まれており、時計回り に散策しました。南東側になるのか、切岸が比較的降りやすくなっている所を降りてみる と横堀があり、横堀に沿って土塁もありました。ちゃんと確認出来ませんでしたが、その 先が枡形という空間だったようです。 主郭に戻って、南西側の大きな虎口、西側の虎口、北西側の虎口(大堀切を渡る橋が架か っていた可能性がある)と見て回り、散策を終えました。 永山城、主郭も2郭もすごい藪で、土塁の上以外は歩けませんでしたが、楽しめました。
「堀之内大台城」 2019年10月に行きました。佐竹氏の城ですが、7年しか使われませんでした。現在 遺構は無いですが、牛堀中学校を中心とした辺りです。地形的には、中学校の所は高台に なっていました。
堀之内大台城
中学校の校門向かって右手に、石碑(写真)があります。また、なぜだかわかりませんが この城の主殿は、逆井城跡公園内に復元されているので、主殿をみたことがある方は多い のではないでしょうか?私も以前見ましたが、「堀之内大台城ってどこの城だよ??」と 思った覚えがあります。
「島崎城」 2019年10月に行きました。島崎氏の城です。潮来駅から麻生庁舎行きバス(神宮 あやめ白帆ライン)で牛堀中央下車、そこから徒歩です。また、牛堀中央バス停までは、 東京駅から高速バスも出ているようです。潮来駅から徒歩でもなんとか行ける距離です。 まず、西2郭の西側の車道が分岐しているところに石碑があります。そこから主郭へは、 御礼神社の石段から登りました。鳥居の横に島崎城についての説明板があります。神社 参拝後、主郭の周りの土塁をみて、虎口から出ます。 次は馬出郭。土塁で囲まれています。また、水の手郭には大井戸がありますが、地形が 凹んでいるため、近づかないとわかりにくいです。 水の手郭と主郭の間の堀は岩盤部分があります。藪ではありますが、西2郭の上にも登れ ます。
島崎城
次に、馬出郭と東2郭間の堀をみてから東2郭へ。この郭の一番奥には八幡台という高い 土塁があり、祠もありました。 そこから2重空堀に向かいます。一旦、石碑近くまで行き、3郭へ向かう道で、物見台と いう看板がある所へ。その手前の右手土塁を越えると2重堀(内側)です。竹藪ですが、 凄く大きい!と感動しました。(写真) 2重堀(外側)も堪能して、3郭へ進みます。途中、道が倒木でふさがれていましたが、 迂回して鉄塔下に到着。そこから、3郭外側の堀に降りる階段があります。 3郭外側の堀(東側)には岩盤の所があり、また、畝のようなものが3本ほどありました。 一旦、3郭外堀の北側に出て、バス停まで歩いていると、3郭外堀(西側)に入れそうな 所を発見。西側も岩盤の所があり、凄いものを見せてもらいました。 島崎城、私の中で、素敵な空堀がいくつもあるオススメの城の一つになりました。
「月居城」     2019年7月に行きました。つきおれと読みます。袋田氏が築城、その後、佐竹氏の家臣     の城でした。     水郡線の袋田駅からバスに乗り、バス停・袋田又は滝本下車で旧道登山口、あるいは袋田滝     を観てから吊り橋を渡り、階段をひたすら上がっても行けます。     城北側の月居峠に「月居古城の歴史」そして諸生党と天狗党での「月居峠の戦い」の2つの     説明板があります。城にたどり着く手前の山道は、虎ロープや鎖場コースで、かなり危険     でしたが、なんとかクリアしました。     城には、まず、黒い石碑(写真)がある郭があり、その一段上にも郭がありました。
月居城
    石碑の郭の南側から下に降りられます。降りた所には、岩盤堀切とそこから落ちる岩盤竪堀     がありました。降りる途中にもなんとなく竪堀っぼいのがあるのですが、これは自然地形     かも知れません。     旧道登山口から来た方は、帰りに、袋田滝方面に進み、寺跡、月居観音、生瀬の滝経由で     日本3名瀑のひとつである袋田の滝(料金300円)を観光するのがオススメコースです。
「塙城」     2019年6月に行きました。土岐氏の家臣、館野氏の城と言われています。     土浦駅からJRバス(君島回り・江戸崎行き)で塙下車です。私は、帰りの時間帯にバスが     なく、あみプレミアムアウトレットまで55分歩きました。(アウトレットからは、荒川沖     駅、牛久駅までバスあり)     塙城は、北の城と本城に分かれています。まずは、北の城を散策しました。北の城出入口の     看板から入り、順路の標識に沿って進むと着くことが出来ます。「藪こぎなのかな」と     思っていましたが、とても綺麗に整備されていました。北の城は、2重堀と2重土塁なの     ですが、まずは外側の堀底を北東に歩きます。土塁を越えて、内側の堀底をさらに東に進む     と、一番東の端に、うっすら土橋がありました。     そこから、また、内側の堀底を戻ります。何度も折れがあり、内側の土塁上から横矢を掛け     られるようになっていました。一番南西の端は、竪堀になっていて、そこからは、また、     外側の堀底を通ってスタート地点に戻れました。
塙城
    次に、本城(南城)に向かいます。北西側から登りました。いくつかの郭を経て、堀を越え     ます。切通を通ると主郭です。主郭の中でも一段高い所が櫓台です。(写真)     それから、2郭との間を仕切っている土塁をみました。2郭には神社があり、さらに南には     土塁と虎口があります。土塁上を歩き、2郭南東の切岸、土橋、空堀もみました。     最後に、2郭南西の出角形土塁、そしてその下の横堀をみました。ここも折れがあり、なか     なか見事な遺構でした。     塙城には、「ひらがな1文字」の看板が所々にあるのですが、繋げるとある言葉になるよう     です。
「小田城」     小田氏の城です。南北朝時代には、北畠親房が入ったこともあり、戦国時代には上杉・佐竹     氏に攻められました。     つくばエクスプレスのつくば駅から、つくバスで、小田東部、又は小田中部下車です。     あるいは、土浦駅から、筑波山口、又は下妻駅行きで、小田下車です。     小田城の本丸は正方形であり、周りを土塁が囲み、さらに堀が囲んでいます。堀は、障子堀     であったそうです。     1回目は、2015年4月に、つくば駅の観光案内所でレンタサイクルを借りて行きました。     この時は、公園にするため、工事中でして、中央部分が立ち入り禁止でした。中を覗いて     みると、そこには建物跡や低い土塁がありました。本丸以外にも南西の馬出と東曲輪が復元     されていて、馬出の土塁の上を歩けました。また、移築城門が近くの寺にあるので一緒に     訪れると良いでしょう。(龍勝寺の大門)
小田城
    2回目は、完成後の2019年6月に行きました。     まず、北虎口から本丸に入ります。北西隅には、土塁が何層にもなっていたという断面展示     がありました。そして、建物跡の平面展示、西池跡をみて、南西の虎口に向かいます。ここ     には、石積のレプリカがありました。     次に、南西の馬出を見学。土塁、木橋2つ、土橋があります。本丸に戻って、南東隅の涼台     (櫓台)に向かいます。そこには小田城址の石碑もありました。     そのあと、東池、四阿(あずまや)、井戸跡、暗渠跡、大溝と土塁を順に見学します。     東虎口では、土橋下に石積も復元されていました。写真が、東曲輪の石碑、そして後ろが     その土橋です。東曲輪の土塁に登ってから本丸に戻り、正面にある大きな説明板をみます。     最後に、北東隅の一段高くなった土塁の上から写真を撮り、散策を終えました。     近くの「小田城跡歴史ひろば」には、映像やジオラマ、パネルや出土品などがありました。     是非、あわせて訪れましょう。
「関城」 2019年3月に行きました。南北朝時代、南朝側の拠点でした。常総線の騰波ノ江 (とばのえ)駅から徒歩です。 まずは、八幡神社へ。神社の北側に土塁があり、うっすらと堀もありました。そして、坑道 跡へ。北朝側の高師冬(こうのもろふゆ)が、関城攻めのため、坑道を掘ったのですが、 崩落してしまい失敗に終わったそうです。 次に、神社の西側の南北方向に延びる高土塁を見学。その南にも断片的な土塁が点在します。 そして、それらの西側に、折れのある土塁と堀(写真)が綺麗に残っていました。
関城
この折れのある土塁から道沿いに北方向に行くと説明板があり、道沿いに南方向に行くと 城主・関宗祐の墓があります。墓のそばには、城址の石碑と説明板もありました。 そして、最後、さきほどの折れのある土塁よりも、さらに1本西側の道沿いにある堀と土塁 を見に行きました。ここは、低い土塁と高い土塁の間に空間があり、この空間は空堀なの かも知れません。
「大宝城」 2019年3月に行きました。常総線の大宝駅から徒歩です。南北朝時代には、南朝側の 拠点でした。 まずは、大宝八幡宮へ参拝します。関東最古の八幡宮らしいです!鳥居のそばに、大宝城跡 の説明板がありました。参拝を終え、拝殿の右側を入っていきます。すると、城主の下妻 政泰の石碑2つと「大宝城跡」看板があります。
大宝城
さらに、下っていくと「大宝城址土塁」という石碑があり、そこに2重土塁(写真)があり ます。さらには、その南に、笹藪でわかりにくいのですが、虎口があって、そこだけ土塁が 途切れています。 最後に、八幡宮から南に300メートル歩いた所に鳥居があるのですが、その左右にある 大きな土塁(高さ3メートル、長さ150メートル)を見学しました。土塁の一番東端には 祠がありました。
「久米城」 2018年11月に訪城しました。久米氏、山入氏、佐竹氏の城でした。 常陸太田駅からレンタサイクルを利用しました。(駅の観光物産協会で1日500円、電動 自転車、3台しかないので要予約)駅から自転車で50分でした。 駐車場には説明板、そして持帰り用の縄張図コピーがありました。(2枚しかなかったけど) 鹿島神社の鳥居をくぐって、急坂を登ります。東の城2郭と3郭間の堀切を通り、3郭を ちらっと見学後、V字谷へ。ここには、2つの垂直の崖、そして2重堀切がありました。 垂直の崖は、たぶん人工的に切岸を作ったというものです。 次に、西の城へ向かいます。1郭にはテレビ中継所があります。堀切を挟んで2郭。さらに 堀切を挟んで3郭です。3郭の北側には土塁があり、その上が散策路になっていました。 3郭の西にも堀切があり、ルートをはずれましたが行きました。 1郭まで戻ってきて、物見台へ行きます。ここからは山入城がみえました。さらに、結構 危険な道なのですが、北の出城に向かいます。途中には堀切が2つあり、さらに、出城の 北東にも堀切がありました。
久米城
西の城1郭まで戻って、土橋を通って東の城(本城)へ向かいます。まずは最大の堀切に! そして、本城の東の堀切経由で本城に登りました。本城には、「本城跡」の標柱(写真)が ありました。それから虎口を通って、東の城2郭まで降りて行きます。2郭には、鹿島神社 があり、参拝しました。 ここから、南の出城に向かいます。2つの堀切を抜け、三角形の郭に着きました。この郭の 東にも南にも2重堀切がありました。さらに南に進むと、南の出城手前の堀切があり、 そして、南の出城に到着しました。出城の東側には堀切。西に下りると土橋と綺麗にカーブ している横堀がありました。この横堀が素敵でした! 堀底道を進んでいくと、また2重堀切がありました。ここの堀切が私の中では久米城で 一番良かったです。さらに南に進んでいくと、土橋付き堀切があり、祠のある山の神郭へ 到着します。これにて、2時間の散策を終了。 久米城は順路案内がたくさんあったのがとても良かったのと、合計22もの堀切でお腹が 一杯になった城でした。
「山入城」 2018年11月に訪城しました。山入氏と佐竹氏の戦いが繰り広げられた城だそうです。 常陸太田駅からレンタサイクルを利用しました。城から駅までの下り坂で1時間くらい でしたので、登りはもう少しかかりますね。車だと、山頂近くまで登れてしまう城ですね。 なんで城だけのために、舗装した車道があるんだろ? さて、まず「鳥瞰図の案内板」があります。それを左に回り込むと土橋と竪堀が現れます。 ここが美しいので、城一番の見所かも知れません! そして、土橋を越えて右の道へ進みます。途中の各郭は藪なので見学出来ませんでしたが 主郭(写真)に到着出来ました。
山入城
主郭には説明板があり、また、北側に櫓台、そしてその上には祠がありました。祠の裏側 には、北の尾根の堀切がありました。その先には小さな堀切。さらに行けば、もう一つの 堀切もありました。 最初の土橋まで戻ってきまして、今度は左の道へ進みます。そこには、2つの南西尾根の 堀切がありました。散策時間としては50分くらいかかった山入城でした。
「小栗城」 2018年7月にTwitterフォロワーさん(小栗さん、じゅんこモンさん、ぷくちゃん)と 行きました。小栗判官でも有名な小栗氏の城です。 まずは、内外大神宮を見学。内宮本殿、外宮本殿、御遷殿が残ります。それから、小栗城に 登城します。石碑と説明板の所を通り、境堀を北上します。そこから右に曲がり、いくつか の郭を登っていきました。途中で鉄塔のある郭もあり、最後に本丸に到着しました。
小栗城
本丸(写真)には、東側に土塁が残り、また、櫓台のような土壇もありました。戻る際に 水源地(井戸)を見学。上下二段になっていたそうです。 そして、この小栗城の2キロくらい南には、御城(みじょう)といわれる城があったそうで 現在は水田などになって遺構は無いようですが、地元の方は小栗城と呼ぶそうです。そして この御城は、頼朝が立ち寄った八田館でもあったという調査結果が最近出たそうです。
「真壁城」     2015年4月に行きました。     最初の計画では、バスで筑波山口へ行き、そこからレンタサイクルで片道10kmでしたが     小田城にも行きたくなり、結局つくば駅から長距離(往復50〜60km)のサイクリング。     皆様にはオススメしません。     本丸には体育館が建っていて、石碑とパンフレット置場がありました。それから、三の郭の     櫓台、復元土塁、また鹿島神社奥の現存土塁、堀など広大な範囲をぐるっと回りました。    
真壁城
    写真のように復元土塁の上に植栽があるのは珍しいと思いましたが、史実に基づいている     のでしょうか。最後に、真壁伝承館(歴史資料館)で展示をみて帰りました。     お土産は、つくば駅で買った福来まんじゅうでした。     (おまけ)     2018年7月に雨引観音(雨引山楽法寺)に行きました。ここには、真壁城の大手門が     黒門(薬医門)として移築されていました。是非、訪れてみてください。
「土浦城」 常磐線の土浦駅から徒歩15分です。駅からバスも出ています。 1回目は、2013年7月に訪城しました。 二の丸、本丸は亀城公園になっています。太鼓櫓門、霞門、旧前川口門が現存しています。 また、東櫓と西櫓が復元されていて、東櫓は中に入れます。(写真は太鼓櫓門です) 近くに土浦市立博物館があり、城の絵図、ジオラマなどの展示があります。公園から少し 離れた所に藩校郁文館の正門があり、また、浄真寺の裏手に土塁が残っています。
土浦城
2回目は、2018年7月に訪城しました。今回は、東櫓でもらう続100名城スタンプが メインでした。まず、北側の水堀、霞門、東櫓を見学。櫓の中には、鯱や太鼓などの展示が あり、2階にも登れます。 本丸の土塁、狭間のある復元土塀、太鼓櫓門をみて、2の丸へ。西櫓や水堀をみて、一旦 博物館に入ります。中には、絵図、ジオラマ、小田氏の展示などがありました。 博物館を出た後は、シイの木、移築の旧前川口門をみました。前回気にしていなかった 2の丸の回りの土塁も良く残っていました。 帰る前に、前回と同じく、浄真寺の裏にある土塁、藩校の門をみてから駅に戻りました。 土浦は城下町(まちかど蔵、矢口家住宅、天ぷらほたて、大手門跡等)も良く残っている そうなので、そちらも是非!
「神宮寺城」     2018年4月に行きました。南北朝の戦いで、南朝方の北畠親房がいたこともある     城です。バスは、江戸崎と聖苑香澄を結ぶブルーバス、あるいは江戸崎と佐原を結ぶ     桜東バス(阿波経由)。いずれも神宮寺下車。(本数は少ないです)     入り口に説明板があります。入っていくと主郭への北側虎口(写真)です。主郭は     土塁と堀で囲まれ、南側にも虎口と土橋がありました。
神宮寺城
    土塁の北東隅には、「北畠親房が義を唱えた処」という石碑があります。主郭南側の     土塁や堀にはクランクがあるのですが、竹藪をこぐのが大変でした。     そして、主郭のまわりには、東と南の郭が残ります。東郭と南郭の間の堀、南郭の     東側の堀(少し浅い)を見学。東郭の東側の土塁をみて、散策を終えました。
「阿波崎城」     2018年4月に行きました。南北朝の戦いで、南朝方の北畠親房が、落城した     神宮寺城から移った城です。     江戸崎と佐原を結ぶ桜東バスで、中神下車。(本数は少ないです)そこから、徒歩で     30分。この城の主郭はゴルフ場になり跡形もないのですが、外丸が公園として整備     されています。その入り口に説明板があります。
阿波崎城
    はいっていくと、いかにも城っぽい凹凸のある地形が広がります。一番高い所には     城跡の碑(写真)が2つあり、近くにもう一つ説明板がありました。     その西側に神社があり、東側には堀と土塁のような地形。さらに、神社の南側に竪堀     のような地形もみられます。
「江戸崎城」     1回目は、2018年3月に訪城しました。土浦駅からバスで行きました。     (竜ヶ崎駅、佐原駅、ひたち野牛久駅などからもバスあり)江戸崎バス停から南に     進み、まずは本丸へ。城山稲荷になっていて、赤いお宮、そして、北側にわずか     ではありますが土塁がありました。
江戸崎城
    2の丸は鹿島神社になっています。神社の北側には、高さ3〜4メートルの土塁     (写真)が残っていました。これが一番の見所かなぁ。     3の丸は瑞祥院になっています。お寺の裏山が羅漢山。その上に五百羅漢があり     ますが、細い土橋状の通路、そして竪堀が残っていました。     2回目は2018年4月、バスの連絡待ちの時間を利用して行きました。前回     見損ねた本丸の南にある曲輪、そこにある説明板、かつての空堀跡(今は2mの     段差のみ)を見られました。
「木原城」     2018年3月に訪城しました。土浦駅から、江戸崎行きバス(西口1番)で行き     ました。木原バス停で下車。3郭は小学校です。2郭との間には土橋があり     両側に空堀、説明板、模擬の門もありました。     2郭と詰の城(主郭)の間にも土橋。その両側の空堀は大きく、深さが7メートル     はあるかも?
木原城
    詰の城は木原城址城山公園。土塁が一周回り、特に東側の土塁の上には真っ赤な     お宮があります。そして、矢倉風展望台(写真)からは、霞ヶ浦が一望出来ました。     そのあと、2郭北の水堀跡をみて、永厳寺に向かいます。お寺の裏の出丸経由で     アタックして2重堀に。最初、沼のようになっている南の方に行ってしまったため     「堀も土塁もこの程度かぁ」とちょっとガッカリしていたら、北の方は、深さ     5メートルの堀と、その間に高い土塁があり、凄いものを見せてもらいました。
「橋本城」     2018年2月に訪城しました。桜川市にあります。フォロワーさん(小栗さん、     じゅんこモンさん、ぷくちゃん)と車で行きました。     南朝方の拠点であった関東六城「中郡の城」の比定地の一つだそうです。爪黒神社     に車を置き、鳥居に向かって右手の道から登りはじめます。     途中、真っ直ぐ南に行く道と斜面をジグザグに登る道に分かれ、斜面を登る道を     選択。その結果、道がなくなり、最後は直登になりました。     帰りに、わかったのですが、真っ直ぐ南に進むのが正解で、緩やかなまま、城の     一番南の竪堀までたどり着けます。
橋本城
    直登の結果、主郭に到着しました。ここには真ん中に土檀(櫓台)があります。     そして、まずは北の方面に。結構急な切岸を降ります。そこには、土塁と堀切が     ありました。縄張図によると、もっと北にも郭が続いているようでしたが、日没     まで時間もなく断念。     再度、主郭に戻り、南の虎口を通り2郭へ。ここはぐるっと土塁で囲まれています。     そして、さらに南には幅の広い大堀切(写真)がありました。     なんとかここの堀切も越えて、一番南の土橋と竪堀がある所から下山しました。
「豊田城」     2017年9月に行きました。関東鉄道の石下駅から徒歩です。大きな模擬天守     (写真)があります。中は、常総市地域交流センターになっていて、一番上の     展望室からは外に出られます。     また、展示室には、豊田氏、小田氏関連の展示(小田城の絵図など)もありました。
豊田城
    模擬天守の周りには模擬櫓が、私が確認しただけで4つありました。そして、本来     の城跡もちゃんとあります。小貝川のほとりに2ヶ所、石碑や案内板が建っています。     (ひとつは土手の上、もうひとつは土手の下です)     また、お土産に、石下名物のだんごを春子屋さんで買いました。甘くて美味しい!
「石下城」     2017年9月に行きました。関東鉄道の石下駅から徒歩です。石下氏は、豊田氏     から分かれた家系だそうです。現在は八幡神社になっています。     
石下城
    神社正面に「たくさん説明が書いてある大きな石碑」(写真)があり、さらに、     向かって左手にも「石下城跡」と書かれた石碑がもうひとつありました。     遺構はL字型の土塁が残っています。神社の建物の西側と北側にあり、上にも登れ     ました。
「守谷城」     1回目は、2016年8月に弁天堂さんと行きました。     最初に、守谷小そばの近世守谷城の石碑、案内板、「平将門城跡の碑」を見学。     中世守谷城である守谷城址公園に着きました。御馬家台と本丸の間の堀は     大きいです。(写真)
守谷城
    本丸に登って、案内板、土橋で繋がった細い馬出、2つの土塁の間を下る船着場     への道を見学しました。     妙見曲輪も見学後、駐車場のところで最後に「土塁モニュメント」をみました。     調査不足で、枡形跡のある御馬家台への登り方がわからなかったのが残念でした。     帰ってきてから確認すると、御馬家台と本丸の間の堀から登る道があるようです。     2回目は、2017年9月に行きました。     前回見逃した以下の3ヶ所の遺構を見られたので大満足でした。     @小学校そばの説明板後ろの土塁。前回は車窓からだったので、説明板だけで     土塁を完全見逃し・・・。今回はしっかり登ってきました。     A御馬家台の桝形虎口。前回、御馬家台の登り口がわからず断念。今回は、     すんなり見つけ、桝形虎口の土塁を確認出来ました。     B本丸の桝形。(橋台とも言われています。)こちらも普通に本丸への道を登ると     見つからないのですが、脇の藪に突入すると、方形に土塁で囲まれた空間を確認     出来ました。
「鹿島城」     2017年9月に、じゅんこモンさん、橘さん、トオルさんと行きました。     本丸は公園になっています。まずは、城の東側の駐車場に車を停め、その付近の     説明板をみます。そして、東側の空堀を見学。深くて大きいです。     それから、反時計回りで、ぐるっと周り、城の西側の石碑と説明板2つをみました。     そこから、城の南側の堀をみたくて、うろうろしますが、なかなか入口がみつかり     ません。
鹿島城
    結局、また、城の東側の堀に戻って、今度は、堀底を時計回りにフェンス沿いに     進みます。すると、フェンス沿いに大きな土塁と空堀(写真)が!     そして、その先には水堀が引き込まれた「舟溜まり」とも思える所があります。     最後に、また公園内部に戻って、周りを囲む土塁の上を歩き、散策を終えました。     近くにある「塚原卜伝の像」、「鎌足神社」、鹿島氏の墓もある「根本寺」、     巨大な「鹿島神宮一之鳥居」にも行きました。
「林外城」     2017年9月に、じゅんこモンさん、橘さん、トオルさんと行きました。     「はやしとじょう」と読みます。近くの寺に車を置きました。途中、林中城も     ありましたが、こちらは立入禁止で断念。     林外城への道を進むと、まず、鳥居が現れます。そこには案内板がありました。     鳥居をくぐって進むと、1郭と2郭の間の堀に出ます。1郭北東の祠をみてから     2郭から見学開始。2郭東の虎口を出た所の井戸跡は、なんとなく凹みがある     程度しかわかりません。再度、2郭経由で、1、2郭と3郭を隔てる空堀(写真)     へ行きます。この堀が大きくて一番の見所です。
林外城
    それから、1郭の南西の土塁に登って祠を探しました。しかし、残念ながらすでに     崩壊していました。土塁の上を歩き、1郭を堪能し、それから3郭へ向かいました。     3郭の内部には、低い折れのある土塁で、区画が作られている所があります。     そして、3郭と外郭の間の堀へ。この堀と土塁は、折れを伴っています。また、     3郭東側の堀も同じく折れを伴い、ワクワクする感じ (^O^)/     最後に、3郭北の坂虎口を見学し、散策を終えました。
「塚原城」     2017年9月に、じゅんこモンさん、橘さん、トオルさんと行きました。     塚原館とも言います。剣豪の塚原卜伝も城主だったそうです。城に行く前に、     近くにある「卜伝の墓」を参拝しました。     そして、城なのですが、案内板は見つけたのですが、そこからの情報が少なく     なかなか辿り着けません。
塚原城
    やっと堀(写真)と土塁を見つけたのですが、どこの堀なのかが、いまいち     わからないまま、泣く泣く退散。     帰ってきてから再確認した結果、連郭式に並んでいる1、2、3郭まではたどり     着けていなくて、4郭の周りの堀だったことが判明しました。     城の中心部に行けていなかったので、消化不良で、悔しくて、いつの日か、     リベンジしたい気もしています。
「龍会城」     2017年9月に、じゅんこモンさん、橘さん、トオルさんと行きました。     「りゅうげじょう」と読みます。単郭で、土塁がぐるっと1周まわっている城     です。直径はだいたい200メートル。
龍会城
    そこを東西に道路が貫いているのですが、その東側の部分の道路脇にある土塁     (写真)に登ってみました。なかなかの高さでした。     昔は、標柱があったとのネットの情報がありましたが、現在は朽ちてどこかに     行ってしまったようです。
「栗橋城」     2017年8月に行きました。     古河公方の家臣の城だったのが、北条氏照の城になったそうです。東武線の     南栗橋駅から徒歩で30分です。コミュニティバスのごかりん号に乗ると、歩く     のが約半分になります。(本数は少ない)     まずは、松本家の入口に建つ案内板を見に行きます。最近、新しくなったようです。     そして、城攻めは、法宣寺の墓地の所からです。七曲りと呼ばれる堀が残って     います。墓地からの虎口に対し、南東側に、折れをともない、空堀から水堀に     変わる堀が!そして、虎口の北西側にも、これまた折れをともない、空堀(写真)     から水堀に変わる堀がありました。
栗橋城
    それから、その内側の曲輪を散策後、松本家のある曲輪への虎口(土橋)と、その     西側にあるコの字型になっている水堀を藪の中で確認。散策を終えました。     多少藪ではありましたが、遺構がよく残っており、十分に楽しめる城ですよ。
「高井城」     2017年6月に行きました。     関東鉄道の「ゆめみ野駅」から徒歩15分くらいの高井城址公園です。     まずは近くの妙見八幡宮を参拝。主郭は土塁で囲まれ、空堀も南側と東側に     みられます。土塁の南東の隅には櫓台跡が、また、主郭の南の虎口には     説明板がありました。(写真は、南の堀底から説明板をみたところ)
高井城
    主郭の西側にある「枡形状遺構」といわれる所2か所を見学しました。     主郭の北側の2郭もみようとしましたが、藪で堀がわかりませんでした。     さらには西側にある水堀跡、公園説明板、歌碑をみたあとで、主郭南にある     井戸郭を見学。なんとなく凹んでいる所を発見。     その後、3郭の櫓台を探しましたが、これもわかりにくかったです。     最後に、集宅地の中に残る「外郭の土塁跡」をみて散策を終えました。
「貝原塚城」     2017年6月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん     トオルさん)と行きました。金剛院という寺院から北西に伸びている道を     すすみます。右側に空堀が現れたところが入口。朽ちた竹藪なので、竹を     くぐったり、跨いだりの大変な城攻め!(写真)
貝原塚城
    空堀の中を北東に進むと、右側に分岐する空堀があらわれます。さらに     北東に進むと「北西〜南東にかけて二重の空堀の間に土塁があるところ」に     出ます。思った以上に凄い遺構!!     そしてさらに進むと、今度は「空堀に囲まれた細長い郭があるところ」に     着きます。この辺りにて主要部分の散策を終えたので戻ることにしました。     藪で進めないので、見学に1時間半ほども要する凄い城でした。
「観音寺館」     2017年6月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん     トオルさん)と行きました。城跡の前に「観音寺」を散策しました。素敵な     仁王門、屋根に特徴がある本堂がありました。そこから、寺の東にある遺構へ     進みます。
観音寺館
    一番の見どころは、L字型に折れた土塁、そしてそれに沿った空堀跡(写真)     です。空堀はだいぶ浅くなってしまっていました。土塁の南東の隅には祠が     ありました。さらに西側にも、土塁と思われる部分がありました。
「久野城」     2017年6月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん     トオルさん)と行きました。     駐車スペースがなく、近くの延命寺に車を停めました。城跡に南東から入る道     を行くと、墓地のある主郭に着きます。墓のほとんどが城主の野口氏のご子孫     のものでした。主郭の北東には土塁があり、南西には空堀、そして、北西にも     土橋と空堀があります。北西の堀は、6月なので草が生え放題でわかりにくい     ものの、幅7m、深さ2mありました。土橋を越え3の郭に進みます。
久野城
    3の郭の北西側には2つの堀(写真)で囲まれた「馬出」があるとのこと     でした。この季節、ドクダミだらけでわかりにくかったのですが、「馬出」     部分の確認がなんとか出来て良かったです。(2郭には祠があるらしいのです     が未訪)     久野城の近くには、牛久大仏がありますので一緒に訪れてはどうでしょう?
「下小池城」     2017年6月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん     トオルさん)と行きました。小池城址公園となっています。駐車場そばに     説明板がありました。南に歩くと、2郭の空堀、土塁に着きます。虎口は     食い違っています。     さらに南に歩いていくと、主郭へ入ります。主郭は、ぐるっと土塁と空堀で     囲まれていて、土塁の上を歩き散策できます。西側には虎口、北側には     折れ(写真)がありました。
下小池城
    そして、主郭東側には相横矢!土塁が、内側に凹んでいて、両側から横矢     を掛けられるようになっています。中世城郭で、相横矢を見た記憶がない     ので、思わず「すごーい!」と感動物でした。
「福田城」     2017年6月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん     トオルさん)と行きました。     高照寺の所に、福田城跡であるとの説明板がありました。当初、説明板だけ     で遺構は無いかなぁ・・と思っていたのですが、「余湖さんの縄張図」を、     みてみると寺の北西に「コの字型」に堀と土塁が現存。
福田城
    さっそく行ってみることに。折れのある大きな堀が残っていて、おー!     すごい。特に、南西側の堀が素晴らしかったです。そして、北東側の土塁の     上には祠がありました。(写真)期待してなかったのに、大満足な城でした。
「額田城」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     額田地区交流センターに車を止めました。遊歩道が整備され、三郭     二郭、主郭と回れます。主郭の周りの堀は、普段も泥でドロドロだ     そうなのですが、雨だったのでさらにドロドロのようでした。(写真)
額田城
    主郭には土塁もあり、ぐるっと回りました。二郭で草刈りをしていた     ボランティアの方々に声をかけていただき、スイカを頂いてしまい     ました。
「石神城」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     石神城址公園になっているので整備されています。二の丸に案内板が     あり、土橋を渡った本丸は土塁に囲まれ、二重土塁になっている所     もあります。
石神城
    そして、本丸の東側に遠見城という一画があり、深い堀と土塁で     囲まれています。(写真は遠見城の堀です。)遠見城に行ける明確な     散策路はないのですが、本丸から堀を下って上りたどり着けました。     少し藪でしたが、土塁の上も歩けました。
「岡見城」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     まず、四角く土塁に囲まれた本殿に行きました。北側に堀跡があり、     北西部分に石碑(写真)があります。
岡見城
    本殿の東西には虎口のようなところがありましたが、中は藪で断念     しました。さらに、溜池を挟んだ西殿にもいってみたところ、西側の     土塁が大きくなかなかでした。
「小坂城」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     よく整備されており、駐車場、案内板(10か所程)があります。     三の曲輪、四の曲輪、二の曲輪、一の曲輪の順でみていきました。     堀がよく残っており、二重になっているところもあります。
小坂城
    一の曲輪(写真)は、残念ながら南側を道路工事で削られてしまって     いますが、土塁に囲まれていて、櫓台跡があります。
「牛久城」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     南側に駐車場があります。城に入っていくと、土塁で囲まれた腰郭     に出ました。まずは、本丸と二の丸の間の堀底にはいってみました。     凄く深い!!(写真は、本丸西側の堀)
牛久城
    そして、二の丸へ。二の丸の北東の隅にL字型の突き出た部分があり、     そこを歩いてみました。さらには、木戸口までいくと、牛久城案内板     がありました。戻って、本丸の入り口を探すと南西にありました。     本丸も見学して、一旦車に戻り、結構離れた大手門跡を目指します。     大手門跡には、石碑と説明板がありました。
「牛久陣屋」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     四角形の陣屋だったそうですが、今は陣屋の西側だけが「河童の碑」     がある公園として残っています。さらに、雲魚亭(小川芋銭記念館)     があり、土日は無料で入れるようでした。「河童の碑」案内石柱     (写真)の下が西側の土塁の遺構であるとネットで見た気がするの     ですが、さだかではありません。
牛久陣屋
    北東側に土塁と堀の遺構があるということですが、事前調査が不十分     でみられませんでした。残念です!
「東林寺城」     2016年8月に弁天堂さんと行きました。     連郭式の城です。最初に、一番南の1郭の堀と土塁を見学しました。     そして、「2郭と3郭の間の土塁、堀」をみにいこうと思いましたが     道がわからなくなってしまい東林寺の裏から再度登ることで確認でき     ました。虎口は食い違っていました。そして、「3郭と4郭の間の     土塁、堀」(写真)へ向かいました。
東林寺城
    写真ではわかりにくいですが、3郭と4郭の間の堀は深くて、土塁の     上には祠がありました。     「東林寺城跡五輪塔」(市文化財)が東林寺にあり、これもみどころ     です。
「結城城」     2016年6月に行きました。     結城合戦で有名な城です。結城駅から徒歩です。沢山の蔵づくりの建物や     お城風の白壁のある小学校を抜けて、たどり着いたのが城跡歴史公園に     なっている結城城の中心部(実城)。地形は高台になってて、案内板が     あり、北側のあじさい坂には綺麗に紫陽花が咲いてました。
結城城
    遺構としては、公園西側の「西館との間の堀跡」(写真)があり、ここには     案内板もあります。そして、公園から南に向かう道を進むと「中城との間の     堀跡と土橋」があります。ただし、こちらの堀跡はスゴい竹藪で写真が     上手く撮れませんでした。(>_<) 整備してほしいです!     

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