群馬県の城



        「鎌原城」

        2023年6月に攻めました。
        万座鹿沢口駅からバスで鎌原観音堂前下車です。鎌原氏が200年間居城としていました。
        まず、「霊城」と刻まれた石碑、鎌原氏の墓地があります。そして、そばに「3の丸追手
        口」という石碑もあります。3の丸の堀切はほぼ消滅していますが、東の端、西の端に
        痕跡が残ります。
        駐車場に説明板がありました。さらに進んで行くと2の丸堀切があります。東側は良く
        残っていました。そして、獣防止の電気柵があるのですが、青い取手を持って外すことで
        中に入れます。

鎌原城
本丸(写真)には、標柱が2つ、説明板が2つありました。本丸の堀切はどこなのか良く わかりませんでした。最後に、先端部分の笹曲輪に向かいます。本丸と笹曲輪間に堀切が あり、笹曲輪は見晴らしがいいので「物見」だったのだと思います。 帰りに、近くに鎌原観音堂と嬬恋郷土資料館があるので寄りました。江戸時代に浅間山が 噴火し土石流が鎌原村に流れ6メートルの深さに村が埋まったのですが、高台の観音堂に 逃げた人だけが助かったそうです。赤い橋の下に埋没石段があります。また、資料館には 鎌原城パンフレット、鎌原城出土品(弾丸など)がありました。
「宇田西城」 2023年1月に攻めました。 上州一ノ宮駅からレンタサイクルで行こうとしましたが、休止中であり歩きました。 甘楽氏、小幡氏などが城主だったそうで、宇田城の麓にある居館です。
宇田西城
現在、神守寺となっています。遺構はありませんが、寺の東側(写真)が切岸になって いるのが唯一の城の名残のようです。 上州一ノ宮駅そばには、上州一ノ宮の貫前神社があるので、ご一緒にどうぞ。
「宇田城」 2023年1月に攻めました。 上州一ノ宮駅から歩きました。甘楽氏、小幡氏が城主でした。 登っていくと、何段かの段郭があります。そして、3郭と2郭間の堀切(写真)があり ました。さらに、2郭と主郭間も堀切になっていましたが、薮が凄く写真が撮れません。
宇田城
主郭をみてから、主郭北の堀切まで進みます。この堀切からは下の方にあるゴルフ場が 良く見えました。さらに進むと北城に着きます。そして、その先は右に折れ、少し行くと 堀切があるのですが、ここも激ヤブでした。さらに、ここからずっと降りていくと下山 出来ました。
「丹生城」 2023年1月に攻めました。「にゅう」と読みます。 上州一ノ宮駅から歩いていき、帰りは神農原駅まで歩きました。新田氏、小幡氏などが 城主でした。城に着く前に、金乗寺の前に「城の絵図」がありますので、お見逃しなく。 橋のたもとから、城に入っていくと、まず土橋付き堀切が出迎えてくれました。そして、 2郭3郭間の2重堀切があります。さらに、主郭2郭間も2重堀切で、写真はそのうちの 主郭寄りの堀切です。井戸もあります。
丹生城
井戸のそばに、城の説明板があります。そして、主郭に登りますが、登るルートがなく、 先人の踏み跡を頼りに直登に近い感じで登りました。次に、帯郭にある三日月石と説明板 に向かいますが、これが薮の中にあるため、非常にわかりにくいです。なので、主郭に 登り、そこから下る道があるので、下ったあたりの薮を探してみてください。 それから、城の説明板のあたりに戻ってきて、濠内道(軍用路)を通って南に降りていき ます。途中、カーブする竪堀、そしてすぐ隣に堀切がありました。さらに、綺麗にS字 カーブする堀切&竪堀が2セットありました。そして、最後にもう一つ大きい堀切があり、 城域はこのあたりまでのようです。そのまま下って行くと丹生公民館の所に出ました。
「磯部城」 2021年10月に行きました。磯部駅から徒歩です。城山公園になっていて、案内板は 充実しています。佐々木盛綱の城ですが、その後、戦国時代に改修を受けているそうです。 登城口には説明板があります。登っていくと、まず3の丸手前の空堀が左右にありました。 左の空堀の堀底を進んで行くと石積がありますのでお見逃しなく。 3の丸を見学した後に、「双馬出し」という所も見学したのですが、何が「双」なのかは 不明でした。それから腰曲輪を見て2の丸へ登ります。
磯部城
2の丸には虚空蔵菩薩という神社が建っていて、東側には櫓台があります。本丸に行く前 に櫓台の東側の空堀を散策しました。 本丸と2の丸の間の堀切はとても浅かったです。そして、本丸は笹藪なので、せっかくの 高土居(土塁)も笹で覆われ全く見えません。残念です。本丸には田村神社があり、搦手 虎口から降りました。 最後に、「3の丸南側にも空堀があるのでは?」と思って散策してみると、凄い良い空堀 (写真)がありました。ここが一番の見所かも知れません。
「人見城」 2021年10月に行きました。磯部駅から徒歩ですが少し遠いです。人見恩和の館で あり、その後、戦国時代に改修を受けた可能性が高いそうです。 まずは、赤い橋のそばの説明板と、大宮神社の説明板2つをみてから、神社の向かって 左手から登城します。 最初にあるのは、うぐいす井戸(水の手)です。そして、外堀もあります。少し行くと 馬出です。ここは3方向を土塁で囲まれていました。 馬出と2郭間の堀切、そして竪堀を見てから、2郭北側の堀へ向かいます。さらには主郭 と2郭間の堀切、そして、主郭北側の堀(写真)も見学していきます。
人見城
「主郭は民家なのかな?」と思い、恐るおそる登ってみましたが、「本丸跡」「物見台」 という看板があり、その辺りまでは見学可能のようです。 そして、主郭と4郭間の堀切と竪堀、4郭の「土囲い」という所を見てから、4郭北側の 堀、4郭西の堀切と竪堀を見学し、散策を終えました。 帰り道は、搦め手という看板のあった道を下っていくと赤い橋に出ました。城の北側は 急峻な崖であり、崖の下を流れる川が水堀の役割をしていました。
「高崎城」 高崎駅から徒歩で行けます。元々は和田城という城があったそうですが、高崎城となった のは井伊直政が箕輪城から移って来てからです。 1回目は、2011年1月に訪城しました。 乾櫓(写真)と東門が移築復元されていました。また、3の丸の土塁と水堀も残っており、 市役所南側の土塁が特に高く必見でした。お土産には、名菓「旅がらす」を買いました。 2回目は、2015年8月に、お城好きの皆さんと足利城に行ったあと訪城しました。 (ばったびさん、ゆきめさん、やっちゃん)1回目とほぼ同じコースで見学しました。 (情報)車の場合、城址地下駐車場が便利です。
高崎城
3回目は、2021年10月に行きました。 3の丸南側の土塁と水堀、出枡形をみてから、乾櫓と東門を見に行きました。そこから 道路を挟んだ北側に「高崎城跡」の石碑がありました。 さらには「石垣水路と石樋」があるという情報をもとに、うろうろ探すと、図書館の前に ありました。本丸水堀と2の丸水堀の間を繋いでいた水路で、のちに石樋に変わったそう です。最後に、3の丸北側の土塁と水堀も見学して散策を終えました。
「嶺城」 2021年7月に攻めました。 北条(きたじょう)安芸守高広の家臣・田中大弐の城だそうです。前橋駅から永井バスの 嶺公園線に乗って嶺公民館前下車でもいけますが、バスの本数が少ないために、私は、 前橋駅前からシェアサイクル「コグベ」で行きました。 民家の前に小さな説明板がある所を少し行くと、駐車場と登城口がありました。そこにも 説明板があります。 北3郭と4郭の間の堀から見学します。北4郭の北側にも少しだけ堀が残っていました。 北2郭と3郭間の堀は藪でした。北2郭西側の堀を通り、さらに、本丸西側の堀を進み ます。途中の北2郭と本丸間の堀も藪で断念しました。
嶺城
本丸は南西にある虎口から入ります。西、南、東側は土塁で囲まれており、本丸跡の看板 (写真)が立っています。 それから、竹林の南2郭の散策です。本丸との間に堀があり、東側は一段低くて土塁も ありました。最後に、南3郭の辺りですが、堀というよりもL字型の坂になっている虎口 があるように思いました。
「女渕城」 2021年7月に攻めました。 上毛電鉄の新屋駅から歩きます。築城の頃の歴史はわかっていないですが、その後、上杉 氏、北条氏、沼田氏などの城となりました。大きな沼の中に、本丸、2の丸、北郭、西郭 などが浮かんでいた感じで、護岸はコンクリートで固められているものの、今も多くの 水堀が残り、釣りを楽しんでいる方々がたくさんいます。 まず、2の丸の駐車場の所に説明板と地図がありました。それから、南の御霊神社に向か います。神社のあたりは3の丸だったようで、東と西に土塁が残ります。さらに南には 龍光寺曲輪があったそうで、現在も龍光寺が残っています。
女渕城
戻ってきて、2の丸から本丸への橋を渡ると、本丸は正方形であり、石碑と説明板(写真) がありました。周囲はぐるっと水堀に囲まれています。 次に北郭です。内部は民家ですが、東側と北側の堀底を散策することが出来ました。 最後に西郭です。ここも、北と西の堀の堀底を散策出来ますし、さらに南西や南の堀も 水堀として残っていました。南端の個人宅の門の前に「史跡女渕城跡」の石碑があります ので、お見逃しなく。
「宮崎城」 2021年6月に攻めました。 上信電鉄の神農原駅から徒歩です。小幡氏の居館でしたが、その後、奥平氏の城にもなり ました。主郭部分は西中学校になっています。
宮崎城
中学校の東側に説明板があります。そして、少し北にある櫓台跡には木が生えています。 主郭の西側、神成城への登山道の脇には2重堀切があり、ここが一番の見所でしょう。 (写真はそのうちの一つ)
「神成城」 2021年6月に攻めました。 上信電鉄の神農原駅から徒歩です。小幡氏の城で、宮崎城の詰の城でもあります。神成山 ハイキングコースになっています。 宮崎城跡の所が登山口です。見晴台を過ぎてから大きな堀切があり、さらに登山道右手に 3つほど小さい堀切がありました。 先に、北東の尾根を散策しました。折れをともなう堀切(竹藪です)、さらにはもう一つ の堀切がありました。戻って主郭に向かいます。
神成城
主郭の南側には、コの字型に土塁があり、その上に説明板(写真)、ベンチがあります。 次に、北西の尾根を散策しました。こちらには、堀切が2つありました。 それから、主郭南にある神成山山頂の物見台に行きました。山頂には祠があります。 最後に、もう一つの物見台に向かいました。こちらは、主郭土塁の東側から道があります。 途中に堀切があり、物見台からの見晴らしも良かったです。
「麻場城」 2021年6月に攻めました。 上信電鉄の上州福島駅から無料のレンタサイクルで行きました。小幡氏の一族・白倉氏の 城です。 駐車場は東側と南側にありますが、私は東側からアタックしました。説明板を読んでから 登っていくと、堀切、帯郭がありました。帯郭には、物見台が復元されています。 そこから主郭へは橋を渡ります。主郭は正方形で、周りを深い堀で囲まれています。 そして、主郭の内部は芝生が綺麗に整備されていました。
麻場城
次に、土橋を渡って2郭へ行きました。ここには、復元土塁、説明板、トイレ、遊具が ありました。復元土塁は何故主郭側にあるのか疑問です。また、2郭の西側の堀だけは 残っていました。そのあと、主郭周りの堀をいろいろな方向から写真に撮り、ちょこっと 堀底にも降りて楽しみました。(写真は、東側の堀を南から撮影) 時間が余ったので、2キロほど離れた「こんにゃくパーク」に行ってみました。無料の こんにゃくバイキングが楽しめます。
「一郷山城」 2021年5月に行きました。 上杉氏により平井城の西の守りとして築かれた城で、武田信玄に攻められました。 上信電鉄・吉井駅からのコミュニティバス(日曜祝日は運休)で、牛伏ドリームセンター 下車。そこから、登山しました。 城跡には遺構はほとんど無いのですが、牛伏山展望台になっていて、模擬天守(写真)が あります。模擬天守も好きな私が、ずっと前から行きかった城です。
一郷山城
東側の4段の段曲輪が唯一の遺構です。石積や竪堀のような所もありました。また、天守 東側の馬出があった辺りは、展望スペースになっています。 模擬天守は、平成2年に造られたそうで、内部の展示は地元企業の紹介などです。3階 まで登ると、外に出られて、無料の双眼鏡も2台あります。 行きは車道で登りましたが、帰りは遊歩道を通って下山しました。
「内匠城」 2021年5月に行きました。 小幡氏の家臣・倉股氏により築かれ、国峰城の支城でしたが、上杉氏が国峰城を攻略する 拠点にもなったそうです。上信電鉄・東富岡駅から、無料レンタサイクルで行きましたが 途中の急坂がきつかったです。 まずは、3郭から見ていきました。西側に大きな土塁があります。2郭を通り、土橋を 抜けると主郭です。
内匠城
主郭は西側と南側が高くなっていて、さらにもう一段高い櫓台に、内匠稲荷神社(写真) がありました。そして、南東には堀切がありました。 主郭の堀は、北側と西側にありますが、いずれも深いです。西側は横矢も掛かっています。 次に、3郭4郭間の堀、そして、2郭4郭間の堀を見学しました。こちらも横矢が掛かっ ていて、幅も広く、高さも土塁とあわせ9メートルくらいあります。2郭に登り土塁を みてみると、内側からでも高さ3メートルもありました。 最後に4郭外側の堀を見学します。こちらも大きい堀で、進んでいった先にある4郭南西 隅の櫓台はとても広くてびっくりしました。
「五覧田城」 2020年11月に、Twitterフォロワーさん(トオルさん、まこちゃん)と行きました。 わたらせ渓谷鐵道の花輪駅から徒歩です。上杉謙信が攻めたこともあり、一時は由良氏の 城でした。のちに北条氏に攻められ、阿久沢氏の城となったそうです。 高橋登山口から登りましたが、途中、道がなくなっていて引き返した所が何ヵ所か、また、 倒木を跨いだりくぐったりした所が10ヶ所以上と大変でした。 駐車場にある大理石の説明板を見てから、さらに登ると、最初の堀切と竪堀があります。 そして、展望台となっていて、あずまや、説明板、祠がある4郭に着きました。ここから の景色は絶景でした。 さらに進むと堀切があり、うっすら土塁のある3郭、2郭がありました。主郭は、結構な 藪になっていました。
五覧田城
次に、北の尾根を散策します。まず、この城一番の見所、一部が岩盤の大堀切(写真)が ありました。ここは降りていく道もなく大変なのですが、とても綺麗な堀切です。 その先には小さな堀切があり、さらにずっと先まで行くと2段になった郭がありました。 今度は西の尾根の散策です。「堀切があり、郭がある」というのを3回繰り返しますが、 中にはうっすらとなってしまっている堀切もありました。先端の郭の先端部分には、低く なってはいますが土塁がありました。 帰りは、関守登山口に降りました。こちらも、一部倒木と藪がありました。 注意:2020年11月現在、車道は工事の為に通行止めです。車の方は、通行止めが 解除になったか確認してからお出かけください。
「深沢城」(桐生市) 2020年11月に、Twitterフォロワーさん(トオルさん、まこちゃん)と行きました。 わたらせ渓谷鐵道の本宿駅から徒歩です。舗装された道ではありますが、ずっと坂道を 登ります。(比高:150メートルくらい) 別名を神梅城といい、阿久沢氏によって築かれ、上杉謙信により攻められたそうで、一時 は由良氏の城でありましたが、のちに北条氏の城となったそうです。 正圓寺の南側に、本丸と2の丸がありました。民家の所の土塁を見てから、説明板のある 所に行きました。説明板は少しボロボロです。 正方形の本丸の周りには、北側、東側、南側に堀が残っています。本丸の北東隅に石碑が あります。写真は、本丸東側の堀です。
深沢城
次に、「登城」と呼ばれる所を散策し、堀切をを1ヶ所見つけました。 さらには、正圓寺の北側と東側にある外堀と土塁を見に行きました。ここの土塁は、武者 走りがある所が珍しいです。武者走りは、土塁の内側、トップから2メートルくらい低い 所につけてあります。 最後に、正圓寺墓地にある、城主である阿久沢氏累代の墓を見学して、散策を終えました。
「山名氏館」 2020年8月に行きました。上信電鉄の山名駅から徒歩10分の光台寺の辺りが推定地 です。山名氏が12世紀ころから8代にわたり住んでいたそうです。
山名氏館
光台寺山門の隣に説明板(写真)があり、応仁の乱の山名宗全までの系図が載っています。 駅のそばの山名八幡宮(安産子育て)も是非訪れてみてください。
「山名城」 2020年8月に行きました。上信電鉄の山名駅から徒歩20分で登り口です。上野3碑 巡り無料バスで行くことも出来ます。駐車場もあります。山名氏発祥の城という伝承が あり、戦国時代には木部氏の城でした。 登り口から登るとまずは「山上碑」があります。ボランティアさんがいて、説明してくれ ました。隣には「山上古墳」もあります。そこからさらに登っていき、山名城への道が 分岐しています。まず、主郭と5郭(西側の郭)間の堀切に出ます。
山名城
そこから登って行くと主郭で「山名城址」石碑、いくつかのテーブルがあります。古い 説明板は文字が読めません。 次に、主郭と2郭(東側)間の空堀(写真)に行きました。そして、2郭を越え、2郭と 3郭間の空堀、さらには3郭4郭間の空堀までみて引き返しました。 次に、西側の郭です。大きな5郭6郭間の堀切、小さい6郭7郭間の堀切をみて散策を 終えました。 夏だったのもあり、空堀や堀切を見に行くのに藪やクモの巣との戦いで大変な城でした。
「根小屋城」(高崎市) 2020年8月に行きました。上信電鉄の山名駅から、山上碑・山名城経由で行けます。 また、高崎商科大学前駅からも道がありますが、夏なので、クモの巣との戦いでした。 武田信玄が築いたそうで、佐久の望月氏や伴野氏を置いた城だそうです。城の近くの尾根 には、今でも武田信玄の財宝が眠っているかも・・ということでした。 搦手のあずまやをすぎると、堀切が1つあります。主郭回りを時計回りで見学することに します。まず、西側の横堀を進みます。堀底の畝は1つ確認しました。
根小屋城
主郭北には郭があり、そこへは2郭(主郭東の細い郭)から土橋が渡っています。その そばには井戸がありました。また、井戸のそばからは竪堀が落ちていました。 2郭を歩きながら、主郭東の横堀を見ていきます。そして、2郭南の水堀跡の所から主郭 に登れます。途中、腰郭があり、その上が枡形虎口になっています。 主郭には祠、歌碑があります(写真)。また、主郭の北側に坂虎口がありました。主郭 から降り、最後に大手(完全に藪ですが)をみて散策を終えました。
「小泉城」 2019年11月に行きました。富田氏の城です。小泉町駅から徒歩10分で、公園に なっています。 まずは、本丸へ向かいます。土塁と水堀に囲まれていて、説明板は東側の虎口にありまし た。土塁の南西と北東の隅には櫓が建っていたそうです。南西側の土塁と水堀には折れが あり、その辺りの土塁内側に「城跡の石碑」がありました。(写真は本丸北側の堀)
小泉城
次に、西曲輪と北曲輪に向かいました。こちらも、土塁と水堀が残っていて、こちらにも 折れがあります。そして、土塁は結構な高さがある所もあります。土塁の内側には堀之内 古墳(移築したそうです)、そして百庚申がありました。 公園内には遊具や小動物園(ニワトリ等)があり、沢山の親子連れが訪れている城跡でし た。
「長井坂城」 2019年8月に行きました。北条と真田の攻防戦が繰り広げられた城です。 岩本駅から麓まで徒歩60分、最後に登りが20分です。または、永井線「永井下」バス 停下車で麓です。ただし、バスの本数は少ないです。 まず、3の丸標柱があり、進むと説明板と「長井坂城跡」石碑(写真)がありました。 そこが2の丸で、畑になっていますが土塁で囲まれています。次に、本丸の北にある馬出 という郭に。そして、本丸と馬出の間の堀、本丸と2の丸の間の堀を見ていきます。
長井坂城
本丸に登ると、土塁で囲まれていました。本丸の南側は、両脇に土塁がある虎口。そして L字の土塁があり、張り出し横櫓台となっています。 本丸の南には堀があり、その南の3の丸(西)にも土塁がありました。追手跡をみてから 3の丸南の堀へ。ここが幅10メートルくらいあり、大きいです。そして、土塁も高さ 10メートル程あり、ダイナミックな感じでした。 最後に、藪ではありますが、2の丸と3の丸の間の堀と土塁を散策して、スタート地点に 戻りました。 長井坂城は、旧沼田街道が城の中を通っている城であり、また、関越道を見下ろす立地の 城でした。
「中山城」 2019年8月に行きました。北条氏により築城されたと伝わります。 沼田駅から中山本宿のバス停下車、徒歩15分です。また、中之条駅からもバスがある ようです。 まずは、城の南東の車道沿いにある、石碑と説明板を見学。説明に「中山城は長井坂城と 縄張が似ています」と書いてあり「確かに」と納得しました。 そして、捨曲輪、そして畑になっている3の丸をちら見。次に、2の丸の北西の空堀の 堀底に侵入しました。藪を掻き分け進むと、本丸の堀底に到達します。これが大きいです。 本丸の北、西、南の3方に堀がありました。
中山城
本丸の南には、2の丸(南)があり、その西の端には土橋が残っていました。土橋の先の 小郭は馬出になるのでしょうか。 そして、本丸に入ります。本丸は、北、西、南に土塁があり、虎口は北と南です。西側に 「中山城本丸址の看板」と祠(写真)がありました。 本丸土塁の上を歩いてから、最後に、北西にある帯曲輪と北曲輪を見学に行きます。 帯曲輪と北曲輪の間の堀は藪でわかりにくかったですが、北曲輪の北側の堀は道になって いました。 散策を終え、バス停へ戻る途中に、三国街道の中山新田宿本陣跡があり、寄ってみました。
「小川城」 2019年8月に行きました。 沼田氏が築城して、小川氏を名乗りました。その後、真田の城でもありました。 後閑駅からバスで上毛高原駅へ。そこからは徒歩で行けます。まずは、主郭と2郭の間の 大きな空堀の底へ。夏なのに整備されていました。折れもあります。 そして主郭へ。東側に黒い石碑(写真)があり、また、北と南には土塁がありました。 南の土塁の上には標柱と祠があり、一方、北側土塁の内側には、一部ですが石積があり ました。大きな説明板もあります。
小川城
それから、一段下のささ郭に降りました。この北側にも、わずかに石積がありました。 最後に、城の入口に戻り、道路を挟んだ所にある「二の丸趾」「二の丸壕趾」の立て札を みて、散策を終えました。この小川城、北、東、南の三方は断崖絶壁で、すごい立地の 城でした。 情報@:小川城パンフレットは名胡桃城の案内所にありました。 情報A:小川城資料館が、近くの嶽林寺にあるそうです。
「名胡桃城」 後閑駅から徒歩、又は後閑駅か沼田駅からバスです。徒歩の場合、後閑駅前の橋を渡り 月夜野総合グラウンド(野球場)とサッカー場の間の細道を通るルートです。 一方、バスの場合、上新町バス停で降り、月夜野大橋を徒歩で渡ります。バスの本数が 少ないのと、冬は風がビュービュー吹きます。 名胡桃城は、真田氏ゆかりの城で、秀吉の小田原攻めのきっかけを作った城としても 有名ですね。大河ドラマ「真田丸」にあわせ2015年末まで整備工事をしていました。 そして、続100名城にも選ばれています。 1回目は、2016年1月に訪れました。まずは、案内所でパンフレットをもらって、 紹介のDVDをみました。その後、駐車場になっている般若郭、馬出、三日月堀が平面 表示されている三の郭、土塁にも登れる二の郭、石碑のある本郭(写真)と見学。 そして、それぞれの郭の間には、虎口、木橋が復元されています。その先の堀切を越えた ところが、ささ郭。ここまでは整備されています。さらに奥の物見郭に行く道は整備 されていないので崖を降りるような感じ。なんとか物見郭にも辿り着けました。 整備され誰でも見学しやすいのはいいのですが、整備され過ぎて昔の面影がないと言う 方もいる賛否両論のお城です。
名胡桃城
2回目は、2017年11月にTwitterフォロワーさん(山城君、あいこさん、エイミー。 さん)と行きました。見学は通常のルートでしたが、詳しいフォロワーさんの説明で、 「二の郭の東に腰郭があること」、 「本郭と二の郭の間の木橋の下に腰郭があること」 「ささ郭の先に竪堀があること」などいろいろ教えて頂きました。 3回目は、2019年8月にスタンプが主目的で行きました。案内所で7分間の映像を みてからスタンプを押します。スタンプした人限定で六文銭シールが貰え、また、真田 3城(名胡桃、沼田、岩櫃)のスタンプを達成した人はクリアフォルダがもらえました。 それから、いつものルートで、三の郭、二の郭、主郭、ささ郭と見学。物見郭は立入禁止 になっていました。 水の手郭を散策したかったのですが、道路から堀を見ただけで、藪すぎて断念。般若郭と 二の郭の間の空堀(殿坂)は、堀底を見学しました。
「倉賀野城」 2019年8月に行きました。 鎌倉時代から戦国時代まで、ずっと倉賀野氏の城でした。倉賀野駅から徒歩でいけますが コミュニティバス(高崎駅、倉賀野駅)もあるそうです。 本当は何重にも水堀で囲まれた大きな城だったそうですが、ほぼ住宅地になってしまい、 遺構はなかったです。
倉賀野城
本丸付近は細長い公園(雁児童公園)になっていて、そこに石碑(写真)、説明板2枚が ありました。また、近くの井戸天満宮の井戸は、3の丸の古井戸だったそうです。しかし、 井戸は建物に囲われていて見ることが出来ません。 駅から城へ行く途中に、中山道の倉賀野宿があり、脇本陣跡、高札場跡がありました。
「沼田城」 沼田氏が築城し、真田氏、北条氏の城でもあったそうです。続100名城で、沼田公園 として整備されています。沼田駅から徒歩ですが、河岸段丘の上にあるので、急な坂を 登らないといけません。バスもありますが、本数は少ないです。 1回目は、2016年1月に訪れました。 まず三の丸の土塁をみてから、観光案内所でパンフレットをゲット。発掘された鯱瓦など の展示があります。次に、本丸水堀跡の発掘現場に。発掘された石垣があり裏込め石も みられます。 そして、本丸には、真田信之と小松姫の石像、五重の天守があったと伝わる天守跡、復元 された鐘楼(写真)、御殿桜、西櫓台の石垣があります。 捨郭にいき平八石をみてから、最後に旧生方家住宅と旧土岐邸洋館を見学。(200円) 旧土岐邸洋館には、木造の天守模型がありました。
沼田城
2回目は、2019年8月に、吹割の滝と一緒に行きました。 まずは、真田信之の妻・小松姫の墓がある正覚寺へ。それから、テラス沼田にある歴史 資料館へ。ここには、本丸付近で出た鯱瓦や金箔瓦、そして、三の丸にあった城鐘 (県重要文化財)の展示がありました。沼田市の中世城郭の説明もあります。 そして、沼田公園。観光案内所で続100名城スタンプを押します。ジオラマや天守模型 がありました。天守台そば、鳥居の向かって右にある「大手門沓石」は、今回初めて見る ことが出来ました。他に、鐘楼、西櫓の石垣、石像については、さらっとみて散策を終え ました。
「岩櫃城」 吾妻太郎助亮により築城されたと伝わり、斉藤氏を経て、真田氏の城となりました。 電車の場合は、群馬原町駅から徒歩で40分、又はタクシーです。 1回目は、2016年5月に、ツイッターフォロワーさん9人(清之介さん、山城君、 トオルさん、あいこさん、じゅんこモンさん、山城さん、ティーエーさん、ふみさん、 ままおさん)と訪れました。 案内所のある登城口から散策を開始。北の竪堀、水曲輪のほうから回ります。一の木戸の そばに何本か竪堀、横堀があります。ここから、本郭に登ります。本郭には、北と南の 2つの枡形虎口が残り、櫓台跡には碑(写真)がありました。 詰の城を天狗岩まで散策してから、本郭の南東の大きな竪堀、横堀を見学。さらには、 二の郭からクランクしながら落ちるこれも大きな竪堀をみます。岩櫃城は、竪堀、横堀 ともダイナミックです。 そこから竪堀が道になっている所を降りて行き、殿屋敷、中城も見学。登城口に戻り ました。 休憩後、ちょこっと歩いていくと、木橋がかかっていたとされる橋台遺構と出浦屋敷跡が あります。最後に、天狗の丸の岩櫃神社裏の大きな堀に感動!おもわず堀底に降りました。 大河ドラマ「真田丸」で有名になった岩櫃城は、巨大で縦横無尽な竪堀、横堀でお腹が いっぱいになるお城でした。
岩櫃城
2回目は、2019年5月に、訪城しました。駅から歩いていく途中に、番匠坂、東の 木戸があります。案内所で、続100名城スタンプを押し、パンフレットをもらいました。 今回は、時計回りで見学。中城から登山道になっている竪堀を登り、本丸から南に落ちる 竪堀も見学。2の丸と本丸間の横堀をみて、本丸に到着しました。 本丸には、櫓台の上に説明板と「本丸址」碑があります。それから、南の桝形虎口の 急斜面を降り、本丸南の横堀を散策しました。そして、北の桝形虎口、一の木戸、水曲輪 を経て、案内所まで戻りました。
「柳沢城」 2019年5月に行きました。岩櫃城主・斉藤氏の家臣である柳沢氏の城ではないかと 言われています。群馬原町駅から徒歩です。連郭式の城です。 一般的なルートは、金剛院不動堂から、岩山を鎖を使って登りますが、危険を伴いそう、 なので、Twitterフォロワーさんから教えていただいた西側からのルート(鉄塔の点検路) で登城しました 。最初に沢を渡るので靴が濡れる可能性があるのと、倒木をくぐったり、 跨いだりする所があり、それなりに大変でした。 まずは、外曲輪で、右手に横堀、さらに左手にも横堀があらわれます。次の3郭は、南側 が一段高くなっていました。堀切があり、2郭は土塁が北と東にL字型にありました。
柳沢城
さらに、綺麗な堀切を越えると1郭で、こちらも土塁がコの字型(北、東、南)になって いました。 そして、大きな堀切(写真)を越えると物見の腰郭です。ここから、物見(観音山、斥候 曲輪ともいう)に登りました。山頂には、祠がありました。さらに、西側に行くと、岩盤 堀切を発見!それを越えると、ここも西側の物見ではないかという所がありました。 下山後に、麓の金剛院不動堂と不動滝を見学してから、駅に戻りました。
「桐生城」 2019年4月にTwitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、エイミー。さん)と 行きました。柄杓山城とも言うそうです。桐生氏の城でしたが、由良氏の城になったそう です。車で連れていってもらいましたが、桐生駅からおりひめバスでも行けます。 麓にある日枝神社から登り始めました。(別に、林道を通って3郭へ登る道もあります。) 途中、坂中郭の堀切をみてから、主郭(写真)に到着。城跡の石碑があり、また、西に 横堀がありました。そして、主郭と2郭間の堀切、2郭を散策してから、2郭の西側に ある横堀も見学しました。一部は藪になっていました。
桐生城
そして、2郭と3郭間の堀切に到着です。堀切から落ちていく竪堀も巨大なものでした。 ここから北郭に向かいました。まず、綺麗な堀切を越えます。北郭の西側にはL字の土塁 があります。そして、北郭馬出との間の土橋付き堀切を越えると、北郭馬出にもL字に 土塁があります。少し藪漕ぎが必要なものの、この北郭辺りが城の中でも一番素敵な遺構 でした。 最後に3郭です。西側には堀切がありました。また、3郭南の尾根にある堀切に向かう道 は、3郭西堀切よりさらに西に50メートル行った所にありました。また、3郭南側に 続いている横堀も見学して散策を終えました。下山を含め、全部で2時間でした。
「梅原館」 2019年4月にTwitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、エイミー。さん)と 行きました。桐生六郎の屋敷だったそうです。車で連れていってもらいましたが、桐生駅 からおりひめバスでも行けます。
梅原館
薬師堂と説明板があり、その南西と北西にL字に土塁が残っています。写真では、説明板 の奥に土塁が見えます。土塁の上は歩くことが出来ました。
「高津戸城」 2019年4月にTwitterフォロワーさん(山城くん、あいこさん、エイミー。さん)と 行きました。山田氏が築城したと伝わりますが、その後、里見氏、由良氏の城でもあり ました。車で連れていってもらいましたが、公共交通機関ですと、わたらせ渓谷鉄道の 大間々駅からです。 3の丸が駐車場です。登っていくと、最初の鳥居の所に竪堀があります。そこから何段か 段曲輪があり、次の鳥居の所が堀切のようです。 本丸は、ぐるっと一周、腰曲輪に囲まれています。本丸の内部には要害神社(写真)が あり城についての説明板もありました。
高津戸城
さらに、北東の尾根に3つの堀切がありました。いずれも浅くなってしまっていて、良く わかりにくいのですが、2番目の堀切の東側はカーブして横堀となっているようでした。 最後、駐車場に戻ってきて、昔の縄張図で、堀があったところが駐車場の一部になって しまっているようで、がっかりしていたのですが、もしかして駐車場のトイレの裏側だけ は横堀が残っている可能性がないのかな?と思い、期待せずに見に行ってみると、なんと ちゃんと残っていました。
「江田館(江田城)」 南北朝時代の新田氏の家臣・江田行義の館であり、さらには戦国時代には江田城として 矢内氏の居城(金山城の出城)でした。新田荘遺跡、国指定史跡です。 1回目は、2018年2月に行きました。土日はバスもなく、東武伊勢崎線の世良田駅 から35分歩きました。100×80メートルの館で、土塁と堀が囲んでいます。 虎口(土橋)は南にあり、説明板と標柱がありました。東側と西側に、土塁、堀の折れ がある所が1ヵ所ずつあり、一番の見所です。(写真は西側の折れ) 土塁の上には、2ヵ所祠がありました(北側と北西隅)。また、北東には、堀を挟んで 隣にあったという「黒沢屋敷」の土塁があります。 情報:世良田駅そばに、無料のレンタサイクル(2ヶ所)があるそうです。
江田館(江田城)
2回目は、2019年4月にTwitterのフォロワーさん(山城くん、エイミー。さん あいこさん)と行きました。 東西の折れより北側の部分が元々の南北朝時代の江田館で方形だったけれども、戦国 時代の江田城になってから、折れも含め南側に拡張されたことをフォロワーさんから 聞きました。なるほど!! そして、今回は、江田館北東にある「毛呂屋敷」、「柿沼屋敷」を案内してもらい ました。毛呂屋敷は、西、北、東側の堀と土塁が残っていました。柿沼屋敷も北側の堀 と土塁、南にも堀が残っていました。是非、江田館とご一緒に!!
「小幡陣屋(小幡城)」 2019年1月に行きました。江戸時代、織田信長の次男・信雄などが藩主だった陣屋で、 中世には、小幡氏の筆頭家老・熊井戸氏の館でした。 上信電鉄の上州福島駅から無料レンタサイクルでした。(レンタサイクルは10台ほどあり 身分証明書を見せます) まず、歴史民族資料館のそばにある「大手門の礎石」を見学。そして、中小路の現存石垣や 喰い違い郭を見学しました。ここからは有料範囲となり、番所で300円を払います。 復元中門をくぐると枡形があり、その先にL字になっている土塁と空堀(写真)、復元の 捨九間長屋(中に映像やジオラマあり)があります。
小幡陣屋(小幡城)
平面表示の藩邸跡を見てから庭門を入ると、左手に熊井戸がありました。井戸の辺りが 熊井戸氏館だったそうです。そして、名勝・楽山園(大名庭園)の回遊式庭園をぐるっと 回ってから、2つの井戸(金明水、銀明水)を見て、北裏門から出て、散策を終えました。 近くのこんにゃくパークに、無料バイキングがあるそうなので、是非ご一緒に!
「国峰城」 2019年1月に行きました。国衆の小幡氏の城でした。 私はレンタサイクルで行きましたが、上州富岡駅からバスに乗って徒歩(約2キロ)でも 行けると思います。レンタサイクル(無料)も、上州富岡駅、東富岡駅、上州福島駅にある ようです。 まずは、行く途中で、外濠跡(幅8メートル)を見学しました。今は、蓮池になっています。 主郭から約2キロも離れた畑の中にあり、「どんだけ城域が広いんだ!」と思いました。 そして、徐々に道は登りになります。舗装がなくなった辺りで自転車を駐輪し、そこからは 徒歩で登ります。 御殿平という曲輪には石碑があります。そこからは、巨大な2本の竪堀の間をジグザグに 登ります。3郭から2郭に入る所には、土橋と鳥居がありました。主郭には、本丸の立札、 説明板、祠があります。北側の堀切をみてから、説明板の裏側方向に進みます。 大きな堀切、そしてあと2つの堀切を越え、西曲輪に着きました。この曲輪には北側に土塁 がありました。
国峰城
ここからが大変。岩盤堀切(写真)の岩盤を下りないといけません。私は、恐いので、南側 斜面から、そろそろ降りて回り込みました。そこにも小さな堀切がありました。 岩盤堀切の先の曲輪に登り、その先にある、もう一つの岩盤堀切もなんとか登り降りして 石碑のある御嶽曲輪(出丸)に到着!北側の堀切と南西の土橋(両側は竪堀)まで行って みました。 ここから戻るのが、また大変でした。2つの大きな岩盤堀切を回避するため、側面に回ると 竪堀で行き止まり。急斜面を登りヘロヘロになり、堀切と竪堀の恐ろしさを実感しました。 最後に、物見台のある尾根にも堀切が3つあるとの事で行こうかと思いましたが、足が つりそうになったこともあり、下から堀切の1つを見上げて散策を終えました。 帰りに、世界遺産で国宝でもある富岡製糸場にも寄りました。さらに、富岡名物のホルモン 揚げ(ちくわを揚げたもの)を岡重肉店さんで。是非、国峰城とご一緒にどうぞ。
「松井田城」 2019年1月に行きました。西松井田駅から徒歩の場合、バイパス登山道が近いです。 車の方は大手口登山道からです。北条氏支配の時、大道寺政繁が大改修した城だそうです。 登山道を登り切ると、まずは安中郭二の丸に着きます。そして、堀切を経て、大道寺政繁の 石碑のある安中郭本丸に進みます。さらに、枡形と堀切と櫓台を経て、本丸(本城)へ。 ここには、一段高い所に虚空蔵菩薩(写真)が祀ってあります。そして、西側に下りると 大堀切があります。もう一度登って馬出と二の丸へ。二の丸の北側には土塁がありました。
松井田城
そこからは、ロープを使い急斜面を降ります。そこには、連続空堀があります。6本位ある のですが、一部は藪の中にあり、整備されているのは3本くらいです。 大堀切まで戻って、北に進むと、扇子門(大手門)跡があります。それから、北の尾根に 向かいました。堀切3つを越えた辺りの右手が連続竪堀です。こちらも6本位あるのですが 綺麗に整備されているのは3本くらいでした。 そして、見残した遺構を見る為、安中郭二の丸方面に戻ります。水の手、竪堀2本(1本は よくわからず)、そしてS字空堀の堀底を歩きました。S字空堀は2回の折れがあります。 最後に、大手駐車場への尾根のいくつかの堀切をみて、駐車場で縄張図コピーをゲット、 大手登山口の説明板(縄張図)を見て散策を終えました。
「後閑城」 2019年1月に行きました。現在は後閑城趾公園になっていて、良く整備されています。 依田氏によって築城されたそうです。 安中駅からバスがあり、後閑小学校下車です。私は、年始でバスが運休だった事もあり 松井田城から1時間半かけて歩き、帰りも磯部駅まで1時間半かけて歩きました。また、 車で来られる方は、西3郭の駐車場まで車で登るのがよいでしょう。 まず、南郭と南堀切を見学しました。南郭のあずまやからは妙義山が綺麗に見えました。 そして、二の丸と東郭間の大堀切をみてから、二の丸に建つ物見櫓(復元)を見学。上に 登るのは禁止のようです。
後閑城
次に、東郭に進みます。ここから主郭を見上げると、かっこ良かったです。主郭(写真) には立体模型があり、また、一周ぐるっと庚申塔が立ってました。百庚申というそうです。 続いて、西の1郭をみてから、3重になっている北の堀切へ。第1の堀切、第2の堀切を みてから第3の堀切へ。第3の堀切から西側に落ちていく竪堀は未整備なのですが、藪に 入っていくとなかなか見ごたえがありました。そして、最後に北郭と西の2郭をみて、 散策を終えました。 後閑城には、本郭、二の丸、南郭、北郭に、それぞれ凝った形のあずまやがありました。 何故か、あずまやが充実している城でした。
「膳城」 2018年4月に行きました。膳氏が築城し、1580年には城主の河田備前守に対し 武田勝頼が素肌攻めを仕掛けた城。上毛電鉄の膳駅から徒歩です。 本丸には石碑と案内板(写真)がありました。そして、整備されている本丸の周りの堀 (内堀)を歩きました。
膳城
次に、二の丸と袋曲輪の間の堀底を散策。東側に土橋があります。二の丸の北側には土塁 がありました。そして、袋曲輪には、古い石塔が残ります。 そのあと、袋曲輪の北側と西側にある外堀の堀底(だいぶ竹藪)も散策しました。 最後に、外曲輪跡にある「膳城趾公園」の滑り台 ZEN城の写真を撮り、散策を終えました。
「山上城」 2018年4月に行きました。山上氏の城。江戸時代には牧野氏が入ったそうです。 上毛電鉄の膳駅から徒歩です。南北約600メートル、東西約200メートルの広さが あります。 公園に着く前に、南郭の櫓台を見学。元町公民館の隣にあり、登ると祠がありました。 公園には、模擬櫓のある3の丸東側から橋を渡って入ります。3の丸は芝生で、遊具が ある公園になっています。親子連れがたくさんいました。ムカデのオブジェ(城の説明と 縄張図付き)や井戸もありました。ここから北へ向かいます。
山上城
堀を越えて2の丸へ。そして、一段高い本丸には石碑(写真)がありました。さらに、 北には北郭、そして、笹郭もあります。それぞれの郭の間には堀がありました。 そして、この城の西側は、南北に堀が続きます。一部、北郭の西側の辺りは堀が2重に なっていて、その間の土塁の上を歩くとワクワクします。堀底を歩いて3の丸に戻り、 散策を終えました。
「大胡城」 2018年4月に行きました。大胡氏の城。上毛電鉄の大胡駅から徒歩です。 トンネルの前に「大胡城跡」の碑があり、トンネルをくぐると二の丸。説明板があります。 二の丸にある「石積で出来た桝形門」(写真)が素敵でした。喰い違いになっています。 また、水の手門跡は地形に凹みがありました。本丸周りの堀は深く、土橋を渡り本丸に 入ります。
大胡城
本丸は、北、西、南側に3メートルを越える土塁が残り、これも凄いです!そして、東側 が一段高くなっていて、段差が石積。西側に神社、東側に慰霊塔がありました。本丸の 標柱もあります。 最後に、近戸郭だった大胡神社へ。参拝後、北側に行ってみると土塁があり、さらには 西側の道路から空堀に下りる階段がありました。少し藪こぎでしたが、良かったです。 大胡城、自信を持ってオススメできる城です。
「太田金山城」 東武線の太田駅から徒歩40分、又はタクシーで約1700円です。新田金山城とも 言います。岩松氏、由良氏、北条氏の城です。 1回目は、2011年1月に訪城しました。 途中に金山城ガイダンス施設があり、無料で映像や復元模型が見られます。堀切、物見台 大手虎口、復元建物などがあり、周囲が石組みになっている月ノ池、日ノ池(写真)も 珍しかったです。本丸には新田義貞公を奉る新田神社があり、南曲輪の休憩所にて100 名城スタンプを押しました。
太田金山城
2回目は、2018年4月に行きました。 まず、ガイダンス施設の前で、桜の井戸と大手口石塁を発見。ガイダンス施設にて、映像 や模型をみてから登山を開始します。 まずは、西城から見学。見附出丸には説明板と堀切(土橋付き)があり、一段下の郭には 金山城石碑がありました。また、食違い御門には古い石垣が残っており感動的です。 ここからは本城の一般的なルートを行きます。西矢倉台の堀切2つ、物見台の堀切は岩盤 でした。馬場曲輪、大堀切(石積による畝あり)、月ノ池、大手虎口石垣、日ノ池、復元 建物群(かまど跡もあった)と回りました。実城(本丸)の新田神社参拝後、北城に 向かいます。 裏馬場にある石垣、本城と北城の間の堀切、のろし台である天神山、北城(坂中城)には 石碑と説明板があります。 最後に、北城の北にある堀切と長石をみて戻ります。なお、長石は「柱状節理の露頭」だ そうで城の遺構ではないようです。長石までのルートは、Uターンする必要があり、 事前に調べておいた方が良いと思います。 次に、本城の南、南木戸残存石垣を見学。大きな石で、高さもあり凄い!金山城での残存 石垣の中で一番のお気に入りになりそうです。また、東南曲輪にも説明板がありました。 一旦、山を下り御城橋を渡って、八王子山砦に向かいます。少し行くと、いきなり竪石塁 がありました。大八王子山には何も遺構がないようです。中八王子山には、土橋(石塁) で区切られた横堀3つと竪堀がありました。矢倉台の前だけは2重堀になっていて、 矢倉台には説明板があり、その手前の石積が虎口のようでした。小八王子山にはあずま屋 があっただけでしたが、あとから腰曲輪があったことを知りました。そして、下山し、 4時間にわたる散策を終えました。 今回は、少しマニアックな西城、北城、八王子山砦に行けて満足でした。駅への帰り道、 山田屋の焼まんじゅう(190円)を食べるとフワフワで美味しかったです。
「反町館」 2018年2月に行きました。江田館からは徒歩30分。最寄り駅は東武伊勢崎線の 木崎駅で、徒歩45分です。 新田義貞も住んでいたことがあり、太田金山城の出城となっていた時期もあるそうです。 新田荘遺跡で国指定史跡。現在は、反町(そりまち)薬師になっています。 凸のような縄張の館跡で、四方を囲う水堀が残っていました。
反町館
土塁(写真)は南側に残っていますが、私が西側の社務所の裏を散策したら、そちら にも土塁がありました。また、南側土塁の西には「新田義貞公古城跡」の石碑があり また、同じく南側土塁の北東部分に説明板と標柱があるので、お見逃しなく!
「宮野城」 2017年11月にTwitterフォロワーさん(山城君、あいこさん、エイミー。さん) と行きました。猿ヶ京城とも言います。赤谷湖の湖畔にあり、現在は「湖城閣」と いうホテルが建っています。
宮野城
主郭と2郭の間の堀と土塁が残っていました。これが、とても大きな堀(写真)で、 深さが5メートル以上。藪になっているのが残念ですが、折れも伴っています。 この堀の辺りに説明板があります。また、土塁の上には「天狗様」という祠があり ました。 赤谷湖には「相俣ダム」や「猿ヶ京温泉」もありますので、一緒に訪れてはいかが でしょうか?
「手子丸城」 2017年10月にTwitterフォロワーさん(清さん、トオルさん、じゅんこモンさん) と行きました。まずは、手子丸城の隣にある仙人窟へ。ここは、真田信幸が手子丸城 に対する陣城を築いた所でもあります。 そして、手子丸城へ。大戸城とも言うそうです。手子丸城は、大きく分けて、主郭、 2の城、3の城から成ります。車を止めて、木橋を渡り、登っていくと、雨が本降り になり、びしょ濡れの城攻めとなりました。大手口といわれる尾根の最初の堀切に たどり着き、そして、さらに2つの堀切がありました。そこから、右にカーブする道 を行き、広い腰曲輪を進み、主郭(写真)に着きました。主郭には、岩と石碑があり ました。
手子丸城
ここからは、南東にある2の城に進みます。途中、主郭と2の城の間の大きな堀切を 見学。さらに、2の城の周りの堀切、そして、2の城からの尾根を降り、そこにも 堀切を確認。戻って、鉄塔のある郭に。ここから、岩櫃城が見られるはずでしたが、 雨のため残念。 そして、3の城に向かいます。2の城と3の城の間の堀切には、凄く素敵な土橋が あります。3の城の周りの堀切をみて、3の城からの尾根を薮こぎしながら下ります。 そこに、薮々になってはいますが堀切をみつけました。 戻って、さらに、東へ向かいます。城の一番東の端が、2重堀切(2重竪堀)になって いて、ここも見所のひとつです。 あいにくの雨の中の城攻めでしたが、なかなかの遺構がみられ、満足出来る城でした。
「羽根尾城」 2017年10月にTwitterフォロワーさん(清さん、トオルさん、じゅんこモンさん) と行きました。 最初に、海野長門守の墓に行きました。ここには羽根尾城の説明板もあるので是非! そして、そこから登ってもいいのですが、車の場合は、東吾妻福祉病院の方から アクセス。 まず、北側の堀切がありました。そして、それを登ると主郭です。周りを土塁が囲み 鉄塔があります。石碑と説明板(写真)もありましたが、内部はすごい薮でした。
羽根尾城
そして、南に進むと主郭南側の堀切があります。こちらも大きく、竪堀に続いて います。その南側には、細長い郭があり、西側にはもう1本の竪堀も確認しました。 また、北側の堀切から病院のほうに戻ったところに井戸跡もありました。
「平井城」 2017年10月に、Twitterフォロワーさん(清之介さん、トオルさん、山城君 あいこさん、山城さん)と行きました。 関東管領・上杉氏の城でした。本丸部分は公園になっていますが、二の丸、三の丸、 笹曲輪は消滅しています。本丸では、西側の土塁が復元されています(写真)。 また、説明板が7枚あり、乳母様分霊堂などもあります。
平井城
本丸北東部分には空堀と木橋も復元されています。木橋は、橋脚台跡が発見された 所に復元されたようです。そのそばには、竪堀(なぜか石積で補強)も復元されて いました。
「平井金山城」 2017年10月に、Twitterフォロワーさん(清之介さん、トオルさん、山城君 あいこさん、山城さん)と行きました。 平井城の詰めの城です。金山城址公園です。車をとめて登山開始。20分ほどで、 物見台に着きます。石垣があります。そこから、堀切、2つの虎口を通り、清水 刻字岩、説明板と石碑のある曲輪経由で本丸に向かいます。本丸を見学した後、 南側の大石垣を見に行きました。そして、本丸より西側の曲輪をみてから、本丸の 北側に抜けると、そこには素敵な土橋が!
平井金山城
さらに、北に進むと井戸曲輪の前にも土橋!井戸曲輪の井戸をみてから引き返し、 櫃(かろうと)岩方面に進みます。いくつか土橋を越え、櫓門跡(写真)に! 櫓門跡の周囲には石垣が沢山みられます。さらに下っていくと、堀切を経て、 大きな櫃岩に着きました。ここで引き返し、駐車場まで戻りました。見学には 全部で2時間半程度かかりました。
「上州高山城」 2017年10月に、Twitterフォロワーさん(清之介さん、トオルさん、山城君 あいこさん、山城さん)と行きました。 高山城は、3つの城から成っています。麓の「百間築地」そして「要害山城」 「天屋城」です。百間築地に車をとめて、まずは模擬復元石垣、馬出、堀を見学。 そこから、いきなり道なき道です。要害山城の東側の空堀を見学し、さらに登り 平場へ。ここからの道が分からず、また道なき道を行きます。結構な急斜面を、 木の枝や幹を頼りに直登しました。途中、スマホが2メートルくらい急斜面を滑り 落ちるなど大変な思いをしましたが、なんとか竪土塁へ到着!隣には大きな竪堀が ありました。竪土塁の上を通って登っていくと、やっと天屋城のある尾根に着き ました。まずは、南西にある2重堀切を!そして尾根を北東に進むと、岩堀切 (写真)、そして3つの堀切が連続してありました。それを越えて主郭とその周り の帯郭へ。主郭の北西に、もう一つ堀切がありました。
上州高山城
帰りは、行きのルートを戻りましたが、直登していた辺りに道の痕跡が残っていた こともあり、行きに比べるとすんなり下りられました。最後に、要害山城の頂上の 祠、また、北側の空堀と土橋をみて、藪漕ぎをしながら駐車場に戻れました。 見学時間は全部で2時間半くらい、結構大変な城なので、一度行ったことがある方 に連れていってもらうことをオススメします。
「寺尾中城」 2017年10月に、Twitterフォロワーさん(清之介さん、トオルさん、山城君 あいこさん、山城さん)と行きました。 この辺りにある3つの寺尾城館群(上城、中城、茶臼山城)のひとつ。家族連れで 賑わう「観音山ファミリーパーク」の中にあります。5つの曲輪の連郭式です。 西側から攻めました。いきなり、説明板と2重堀切(写真)がありました。
寺尾中城
そこから、中央ルートを行きます。本城、2郭の下を通り、3郭の前の大岩をみて 4郭との間の堀切、そして長い土橋。4郭の南の腰曲輪には土塁があります! さらに、細い尾根道を通り5郭に。そこには、稲荷神社が祀ってあります。その先 には、土橋のある堀切と竪堀があり、ここで引き返すことにします。 帰りは南コースを通って、本城と2郭の間の堀切、そして景色の良い本城を見学し 城をあとにしました。
「寺尾茶臼山城」 2017年10月に、Twitterフォロワーさん(清之介さん、トオルさん、山城君 あいこさん、山城さん)と行きました。 お城専用の駐車場が2台分あります。そこから、約30メートル階段を上がると、 南郭に着きます。北に行くと大きな空堀が出現!これが、主郭南側の堀で、堀は 主郭の東側から北側にもぐるっと回っています。主郭の北東、坂虎口の下にある 案内板(写真)を見学。鎌倉時代から戦国時代まで城があったと書いてありました。
寺尾茶臼山城
2の郭をみてから、主郭の堀の北東角にある井戸跡をみて、いよいよ主郭の中へ。 西から南にかけてL字型に土塁があり、登ってみました。また、祠や東屋もあり ました。なかなかの規模の堀がみられ満足の城でした!!
「鷹留城」 2016年11月に、ツイッター城好きさんたち7人(ふみさん、ままおさん、 あいこさん、へのへのさん、山城さん、山城君)で行きました。 長野氏の城です。まずは、搦手の堀と土橋を見学。次に、本丸に登り、説明板や 慰霊碑をみました(写真)。
鷹留城
モミジの紅葉も綺麗でした。そこから、深い堀切をみながら、2の郭、3の郭と 順に散策。2の郭、3の郭の西側に、3本の竪堀を確認しました。この辺りには 石積(土留め)もありました。 竪堀を降りたところが大手口で、そこから本丸の方に戻り、本丸の北側の祠がある 小郭や土塁を見学。さらには、その東側にも竪堀2本を確認しました。 なかなか見どころの多い城でした。
「上州松山城」 2016年11月に、ツイッター城好きさんたち7人(ふみさん、ままおさん、 あいこさん、へのへのさん、山城さん、山城君)で行きました。 長野氏の城です。南側から階段を上がっていくと、何段にも曲輪が連なって います。1郭には金毘羅神社が、その隣の2郭との間には堀がありました。 (写真)
上州松山城
さらには、1郭の北側に、東西に落ちる2本の竪堀を確認でき、また、2郭の 東側にも、堀切とそこから南北に落ちる竪堀がありました。 近くには、城主・長野氏の墓がある「長年寺」がありますので、一緒に訪れては いかがでしょうか?
「箕輪城」 長野氏の城です。 1回目は、2011年1月に訪城しました。高崎駅からバスで30分です。 100名城スタンプは1キロくらい離れた箕郷支所・夜間受付でもらえます。 素晴らしく大きな堀切(幅30m、深さ10m)が残っています。 石垣も、三の丸や鍛冶曲輪に状態良く残っていました。各所に説明板があり 楽しめました。 2回目は、2016年11月に、ツイッター城好きさんたち7人(ふみさん、 ままおさん、あいこさん、へのへのさん、山城さん、山城君)で行きました。 搦手口の駐車場に車を置き、まずは、復元したばかりの「郭馬出西虎口門」を 見学。写真のような、なかなかカッコイイ門でした!!
箕輪城
そこから、大堀切を降り、白河口埋門へ。前回は気づかなかったのですが、石垣 が残っています。鍛冶曲輪石垣、3の丸石垣、2の丸、蔵屋敷の見学後、本丸の 西側にある堀の堀底道を行きます。 北側の丸馬出、そして、稲荷曲輪にある櫓台を見学後、井戸のある御前曲輪、 城跡の碑のある本丸と見学し、散策を終えました。箕輪城の堀は、どの堀も、幅 が広く深く、「すごーい!」と唸らせられるものでした。 将来、本丸西虎口門の復元も予定されており、楽しみです! ※パンフレットは、箕郷支所でもらうか、運がいいとボランティアのおじさんが 配っています。
「白井城」 2016年11月に訪れました。     渋川駅からバス。終点の渋川医療センターで下車です。西側に鯉沢というバス停     もあります。     まずは、北郭、大手の見台の上に建つ城山不動尊へ。三の丸と二の丸の間の堀     二の丸の本丸の間の堀をみて、石垣の残る本丸枡形虎口に進みます。(写真)
白井城
本丸は、周りを土塁で囲まれ、土塁には登れます。それから、本丸南の櫓台、 その南の笹郭の櫓台の見学。もどって、水堀である三日月堀に降り、そこから、 城の東側に残る空堀の堀底を南に散策します。帯郭を北にもどり、神明宮まで 行きました。帰りのバスまで時間があったので、玄棟院という寺のそばにある 金比羅郭の物見台にも寄りました。 近くには、趣きのある倉や井戸等が残っている白井宿もありますので、一緒に どうでしょうか?
「古谷館(潜龍院跡)」 2016年5月に訪れました。(清之介さん、トオルさん、あいこさん、 じゅんこモンさん、山城さん、ティーエーさん、ふみさん、ままおさん、 山城君)最寄り駅は郷原駅です。 真田昌幸が武田勝頼を迎えるために御殿を建てた跡で、その後、潜龍院という お寺になっていたそうです。
古谷館(潜龍院跡)
写真のような石垣がありますが、古谷館当時のものかはわからないそうです。 また、土塁も残っていました。近くに、蜜岩神社もあります。
「郷原城」 2016年5月に訪れました。(清之介さん、トオルさん、あいこさん、 じゅんこモンさん、山城さん、ティーエーさん、ふみさん、ままおさん、 山城君) 最寄り駅は郷原駅です。潜龍院跡から山道を歩きます。写真のような 案内板があるところから、いきなり本郭がみえます。
郷原城
そこから、いくつかの郭を降りていくと竪堀が3か所、そして、わかりにくい ですが堀切が3か所ありました。 郷原城は、岩櫃城のお隣のこじんまりした城でした。
「稲荷城」 2016年5月に訪れました。(清之介さん、トオルさん、あいこさん、 じゅんこモンさん、山城さん、ティーエーさん、ふみさん、ままおさん、 山城君) 車で行きましたが、群馬原町駅から徒歩15分とのこと。 神社を通って城域へはいります。本丸は、写真のように、高い土塁でぐるっと 囲まれ、虎口は東西に1か所ずつ。
稲荷城
本丸土塁の外側には深い堀がありました。そして、本丸の西側にある二の丸 にも、数字の4の形に土塁が築かれており、そして堀も確認できました。
「市城砦南部郭」 2016年5月、岩櫃城の帰りに訪れました。(清之介さん、トオルさん、 あいこさん、じゅんこモンさん、山城さん、ティーエーさん、ふみさん、 ままおさん、山城君) 案内板がある階段を登った所が南部郭で、木組みの櫓(写真)、柵、六文銭の 楯が復元されています。ただ「危険ですので櫓に登らないでください」と 書いてあります。
市城砦南部郭
そのそばにあったのが、後から調べてわかったのですが狼煙台だそうです。 南側には段郭もあります。整備されていない北部郭もあるのですが、そちらは 行きませんでした。
「前橋城」 2015年6月に訪城しました。 前橋駅からバス、または徒歩です。群馬県警本部の東から北を通り西側 まで高い土塁がぐるっと巡っており、北東の隅の土塁上に「前橋城の碑」 があります。また、隣の前橋公園の中にもさらに高い土塁が残っており 空堀跡は遊園地(るなぱーく)になっています。
前橋城
少し歩いた日経新聞社裏に、ひっそりと車橋門跡の石垣があります。 (写真)区画整理で片側の石垣を8メートル移動したそうなので、現在は 幅が2mと狭いですが、元は10m以上ある大きな櫓門だったと思われます。 お土産には、名菓「旅がらす」のゴールドバージョン(チョコ&レモン クリーム)を買いました。
「館林城」 2014年3月に訪城しました。館林駅から徒歩15分です。三の丸に 土橋門が復元されており、井戸と蔀土塁もあります。少し離れた所に 千貫門跡の碑があります。(写真は土橋門)
館林城
本丸には、L字型に土塁が残っていて、さらに発掘調査で見つかった 溝状遺構が移築復元されていました。 帰りに、田山花袋旧居、旧館林藩士住宅(武鷹館)、長屋門なども 見学しました。(駅に「まちなか散策ガイド」という冊子があり ました。ネット上にもあります。こちら

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