岐阜県の城
「松尾山城」 2023年11月にトオルさんと攻めました。 関ヶ原駅からタクシー、レンタサイクル(駅前の交流館)で行けます。元々城があった そうですが、関ヶ原の戦いでは小早川秀秋が陣を置いた城です。 約40分かけてアップダウンのある道を登りました。まず、4郭を見ます。折れのある 土塁や竪堀などがありました。 そして、主郭に向かいます。主郭は土塁に囲まれ、小早川秀秋陣跡の石碑や旗が立って います。関ヶ原古戦場全体が眺められ、石田三成陣跡や決戦地がわかりました。南側には 枡形虎口(写真)がありました。枡形を出て、鞍部の所を左に降りると3郭に行けます。3郭も土塁に囲まれます。 鞍部の先にある2郭は馬出のような郭で、やはり土塁が囲います。2郭南には土橋の左右 に竪堀がありました。 そして、少し戻り、5郭の方に下りて行きました。5郭は空堀の堀底のような位置にあり ますが、喰違い土塁があります。 次に、6郭に登ると、土塁でコの字に囲まれた地面が凹んだ空間があります。これは何 なのでしょうか?6郭南には空堀があり、東側に竪堀が落ちた所に井戸があります。 7郭の南には、竪堀が左右交互に3本ありました。最後に、主郭北側にある竪堀を見学し 散策を終えました。 近くに、脇坂氏の陣跡もあるのでご一緒にどうぞ。
「玉城」 2023年11月にトオルさんと攻めました。 関ヶ原駅からタクシー、レンタサイクルで行けます。南北朝時代から城があったそうで、 関ヶ原の合戦と関連があったという説もあります。 登っていくと、まず主郭に到着します。そこには東屋があり、説明板もありました。玉城 は陸軍の基地だったことがあるそうで、主郭内には、いくつか砲台跡(蛸壺)の凹みが あります。主郭の南西側を降りると堀切(写真)があり、堀切には「土橋」「堀止めの土塁」があり ます。堀切からは竪堀が北西側と南東側に落ちています。 そして、主郭北側の少し下がったところにある帯郭を散策しました。少し間隔を置いて 竪堀がいくつかあり、竪堀群となっています。また、北東の辺りには竪土塁と竪堀が セットになっていて、さらに竪土塁がもう1つありました。 帰り道、徒歩で駅に戻る際に、石田三成陣跡など関ヶ原の合戦関連の史跡を見ながら戻り ました。
「大垣城」 宮川氏築城説、竹腰氏築城説があるようです。その後、城主はいろいろと変わって、 関ヶ原の直前は石田三成の本拠地となりました。江戸時代は、戸田氏が11代城主 だったそうです。大垣駅から徒歩で行けます。 1回目は、1999年に訪れました。天守の中は資料館になっていました。2回目は、2020年3月に訪れました。まず、東門から入ります。東門は、南の方 にあった内柳門の移築です。 天守は昭和43年に再建され、郷土館との共通券で200円で入れます。まず、続 日本100名城スタンプを押します。中の展示は、槍・鉄砲・弓の体験、杭瀬川の 戦いなど。4階の展望室からは丑寅櫓と戌亥櫓を見下ろせます。 それから、丑寅櫓、戌亥櫓、水の手門跡、初代城主・戸田氏鉄の騎馬像、西門(模擬) 東埋門跡、辰巳櫓跡、鉄門跡と順に見学しました。 次に郷土館に向かいます。そこには大垣城ジオラマや出土した金箔瓦などがありまし た。最後に、近くの東口大手門跡に寄りました。広峯神社になっていて、石碑と説明 板がありますが、境内東側の水路が堀跡で石垣も現存しています。
「美濃金山城」 2019年10月に行きました。斉藤氏が烏峰城として築城し、森氏の時に金山城と 改名されたそうです。名鉄の明智駅からYAOバス、又は可児駅からさつきバスで、 いずれも城戸坂下車です。(さつきバスは運行の無い曜日あり)バス停の真ん前の 寺(浄音寺)の山門が、金山城の移築門と伝わるそうです。 まずは、出丸からです。出丸下の石垣、素晴らしいです。そして、一旦、大堀切を 見に行きました。大堀切の所から、左近屋敷に登れそうなので、頑張って登りました。 左近屋敷の石垣(写真)、これもなかなか見事でした。 そして、改めて正規の登城口から登ります。2の丸下石垣、水の手虎口、3の丸下 石垣を見ました。西腰曲輪にも石垣があり、大手枡形は石段工事中でした。 2の丸物見櫓跡を見学し、南腰曲輪へ。そして、本丸に進む所にある「天守台隅石」 と表示のある石垣を見ました。本丸には、石碑や説明板があり、北側に少し降りると石垣がみられます。南側にも 石垣が。そして、天守跡の辺りは発掘中なのかブルーシートがかかっていました。 東枡形をみてから、東腰曲輪に降ります。そこには、集水枡(井戸の代わり)があり また、本丸東面の石垣も見られました。 それから、搦手門礎石を通り、東腰曲輪下の石垣を見に行きました。この石垣も高さ があり素敵なのでおすすめです。 山頂部の散策を終えたので、搦手の道から下りました。最後に、60メートルも続く 米蔵跡の石垣をみて、交流館でスタンプを押し、パンフレットを沢山もらいました。 そして、隣にある戦国山城ミュージアムへ。金山城出土の瓦、久々利城模型などが ありました。
「加納城」 2019年10月に行きました。徳川が天下普請で築城したそうです。岐阜駅から 徒歩、又はバスもお城の入口に停まります。 私は駅から徒歩。最初に、駅2階の観光案内所でパンフレットをもらい、中山道加納 宿本陣跡、大手門跡の石碑を見ながら進みます。 加納小学校の校庭に面した所に、2の丸石垣があります。ここには、岐阜城天守を 移築した御三階櫓があったそうです。 そして、本丸に向かいます。本丸は四角い縄張に、東側に外枡形が飛び出した形です。 まずは、内部を散策します。土塁になっていて、「登らないで下さい」という所が 多い中、外枡形の所、北東の隅の2ヶ所は登れました。また、南の虎口に説明板が あります。なお、内部は時間になると門が閉まるので、日が短い季節だと17時まで に見終わる必要があります。次に、外側を一周します。北側の石垣(写真)が一番すごいです。説明板も2枚あり ました。西側、南側、東側の石垣は、一部崩れてしまったのか高さが低い所が多い です。でも、隅の石垣は、かっこ良く残っています。 帰り道、本丸の一本西側の通りに、家臣屋敷跡がある事を知り、行ってみました。 一部の民家の石垣が現存であり、本丸石垣と同じチャートだそうです。
「苗木城」 2017年8月に攻めました。普通は中津川駅から付知・加子母行きバスで苗木 下車なのですが、前日入りしていて、朝早起き出来たので徒歩で行くことに しました。 大手の四十八曲がりという道から登るのですが、ゲリラ豪雨に見舞われ大変! 滝のように雨が流れて落ちてきました。なんとか登ると、竹門経由で駈門の所に 出ました。雨もやんできました。 風吹門をみて、大矢倉に登り、それから、大門、御朱印蔵、坂下門、菱櫓門など を見学。井戸と本丸口門、武器蔵と徐々に登っていき、木で組んである天守展望台へ。 巨石には、ちゃんと木組を乗せられるように溝が彫ってあります。 そして、馬洗い岩と笠置矢倉跡をみてから、的場、仕切門、八大龍王、清水門 不明門、二の丸的場と見学。二の丸の辺りには、堀がありました。最後に北門に 行くと、ここにも水堀がありました。 また、苗木遠山史料館には、移築現存の風吹門、苗木城復元模型等がありました。
「岩村城」 2010年5月に訪城しました。明知鉄道の岩村駅から本丸まで徒歩50分です。 途中、復元された太鼓櫓と岩村歴史資料館がありました。岩村城は標高717mにあり、日本三大山城のひとつです。急な坂道を登って いくと、畳橋跡、菱櫓跡などがあり、六段の石垣が見事でした。 行きに、恵那駅近くで名物かんから餅を買いました。柔らかく美味しかったです。
「墨俣城」 2010年2月に訪れました。岐阜駅、または大垣駅からバスです。豊臣秀吉が 一夜で建てたことから「墨俣一夜城」と呼ばれ、また、秀吉の出世城とも言われ ます。城跡だった所に、平成3年「ふるさと創生1億円」により天守(鯱は純金製)が 建てられましたが、従来の墨俣城は小さな木造の砦だったようなので、この 立派過ぎる天守は史実に基づいてはいないようです。 城の中は歴史資料館になっており、また、展望室からは、隣を流れる長良川、 岐阜城のある金華山、雪化粧の伊吹山が望めました。
「高山城」 2008年8月に訪れました。高山駅から徒歩30分、約700mの山の上に あります。復元した石垣以外にも、苔で覆われた古い石垣が残っていました。高山は、古い町並みなどの見所もあるので、お城と一緒に訪れてはいかがで しょうか。
「高山陣屋」 2008年8月に訪れました。高山駅から徒歩です。陣屋とは、江戸時代に 郡代・代官が治政を行った場所です。 幕末には全国に60数ヵ所あったと言われる郡代・代官所の中で全国で唯一 建物が現存するのがこの高山陣屋です。役所、役宅、御蔵などを見学でき、御白洲には拷問用具が展示してありました。
「郡上八幡城」 2008年5月に行きました。ローカルな長良川鉄道に乗って郡上八幡駅で 降り、徒歩40分です。 近くまではバスでも行けます。山の上にあるので急な坂を登るのが大変でした。昭和8年に木造で再建された城で、天守閣の中には展示がありました。また、 木造なのに土足で入ってよいのが珍しかったです。 郡上八幡は名水でも有名で、城下町のいたるところに水を飲める所があり ました。(宗祇水など)
「岐阜城」 1999年に訪れました。 金華山という山の上にある城でした。ロープウェーで登りました。天守からは、眼下に鵜飼で有名な長良川が見えたりして抜群の景色のはずですが 当日は霧に覆われていたため、なーんにも見えませんでした。がっかり・・