千葉県の城


        「金谷城」

        2024年4月に攻めました。
        浜金谷駅から徒歩です。里見氏の城で、対岸の北条氏との戦いに利用したそうです。2の
        丸がリゾートホテル「TJKリゾート金谷城」になっています。
        見学会に参加しました。(同じ班に、足軽さん、おんさん)まずは、2の丸にある四脚門
        跡と説明板を見ました。そして、その先の二重堀切(写真)も凄く大きかったです。
        ここからは非公開エリアとなっている所です。登っていくと、途中、水タンクがある西郭
        があります。ここでは、かわらけが出土したので宴会が行われた建物があったそうで、
        井戸もあります。


金谷城
そして主郭へ到着です。ほぞのある礎石があって建物があった証拠なのだそうです。また、 主郭のはるか下方にある横堀の所に2段の石積が残っていました。 主郭の南側には物見台があります。そこには、明治時代の遺構の砲台跡があり、物見台南 にも岩盤堀切があります。 主郭の北の高まりの上に登ると、枡形、そして土塁があります。金谷港も良く見えます。 そして、鋸山方面の尾根を断ち切る岩盤堀切がはるか下の方に見られました。 最後に、3の丸、そして主郭へ登っていく城壁の上を歩いて散策を終えました。
「椎津城」 2024年4月におんさんと攻めました。姉ヶ崎駅から歩いていけます。武田氏、里見氏、 北条氏などの拠点となった城だそうです。 主郭の南東側から登ります。東側の腰郭は駐車して良いそうです。主郭虎口手前から主郭 南側の堀が見られます。
椎津城
主郭の南東の虎口に説明板(写真)があります。主郭内は、東側に土塁に囲まれた部分が あり、うっすらと虎口にもなっています。また、主郭西側にも土塁がありました。 主郭北側の虎口から出て降りていくと、L字の北郭、さらに西郭も見学出来ます。「椎津 城跡を守る会」の方々が綺麗に整備してくださっているので見やすくなっている城でした。
「鶴牧陣屋」 2024年4月におんさんと攻めました。姉ヶ崎駅から歩いていけます。姉ヶ崎小学校に なっています。水野氏が1827年に鶴牧藩の藩邸として築きました。
鶴牧陣屋
小学校の門のそばに「鶴牧藩庁跡」の標柱があります。また、門を入った左手には「鶴牧 城」の石碑(写真)があります。残念ながら、遺構は残っていないようです。
「津辺城」 2024年2月に攻めました。 井出氏の城です。成東駅から徒歩です。 まずは、4郭北西にある土塁と複雑な形の堀を見ます。そして、3郭から2郭に入る土橋 (写真)を渡ります。両側には堀がありました。この辺りまでは、そこそこ整備されて いました。
津辺城
そして、2郭を進み主郭の虎口へ。ここは、L字型の堀で外枡形のようになっていました。 結構な藪でしたが、堀底にも降りてみました。主郭内部は完全な藪なので進めずに撤退 しました。 そして、2郭北側の5郭に行ってみることにしました。なかなか降り口がなくて苦労しま したが、なんとか5郭西側の堀も見られました。最後に、4郭西の堀も見学し散策を終え ました。
「新村城」 2024年2月に攻めました。 しむらと読みます。匝瑳三谷氏の城です。飯倉駅から、およそ2キロなので徒歩で行きま した。近くにバス停もありそうです。 南側の登城口から登ります。まず堡塁の横を通り主郭の東側の虎口に着きます。主郭には 祠があり、また土塁も西側と北側に残ります。
新村城
次に、2郭(馬出)に進みます。主郭と2郭の間には土橋があります。堀切に降りて堀底 を東に進むと主郭東側の堀も見られました。 戻って、2郭と3郭間の堀切を通り3郭へ。3郭の八雲神社を参拝してから3郭4郭間の 堀切(写真)に進みます。 4郭にも登ってみましたが藪なので撤退。最後は北側の大手登城口から出てきました。
「千葉城」 猪鼻城(亥鼻城)とも呼ばれています。千葉氏が、大椎城から移ってきたそうです。 本千葉駅から徒歩15分で、または、千葉駅からバスもあります。 1回目は、2005年2月にいきました。4層5階の模擬天守が建っています。 中は、郷土博物館とプラネタリウムがあり、博物館には鎧などが展示してあります。 (入館料:60円)また、5階の展望室からは外に出られ、遠くに石油コンビナート や東京湾がみえました。 2回目は、2017年10月に行きました。前回は、ホントに模擬天守のみだった ので、今回は遺構も確認しました。 現在、神明社がある郭は物見だったと言われていて、「猪鼻城址」の碑がありました。 堀切を隔てた郭には、南東と南西に土塁が残っていました。ちゃんと気にしながら 散策すれば、遺構も見つけられますね。 そして、模擬天守の中は、千葉市立郷土博物館になっています。入場無料に変わりま した。千葉を中心とした合戦の歴史などが紹介され、なかなか充実していました。 (プラネタリウムは閉館) 最後、お茶の水という井戸跡(源頼朝や徳川家康が喉を潤したという伝承あり)を見学 し、散策を終えました。
千葉城
3回目は、2024年2月に、千葉神社と一緒に攻めました。 千葉神社から歩いたので、まずは「お茶の水」を見学。主郭の北側土塁の前には説明板が あり、土塁の上にも登れます。 そして、千葉氏の騎馬像をみてから模擬天守(写真)へ。模擬天守の中では「特別展  享徳の乱と千葉氏」をやっていて、千葉氏のお城について沢山の展示がありました。5階 の展望室から景色を眺めて散策を終えました。
「須賀山城」 2023年7月に攻めました。 東氏が築城し、その後、森山城の出城となりました。笹川駅から徒歩20分です。搦手 から登ってゆくと、まず、大六天郭に出ます。そこには祠、そして土塁がありました。 次に、馬出を見て、主郭に向かいます。主郭手前には空堀(写真)と土橋があり、主郭に 入って左手側には2メートル位の土塁がありました。説明板もあります。
須賀山城
次に、主郭手前の空堀の堀底を歩いて、主郭と西郭間の空堀を見学しました。そして、 西郭に登ってみますが、西郭の大部分は藪で、また、西郭西側の堀もどこだかわかりま せんでした。 大手を通り、最後に天之宮神社へ。ここにも標柱と説明板がありますが、行政区の関係で 香取市さんが建てたもので、実際には城の中心からは離れています。
「森山城」 2023年7月に攻めました。 東氏が築城し、その後、森山原氏の城となりました。須賀山城経由でも行けますが、笹川 駅からだと、南の登城口まで徒歩30分、西の登城口まで徒歩40分です。 私は須賀山城経由でしたので、まずは大手に着きました。空堀と土橋、土塁があります。 次に、三城という郭があり、仲城という郭との間にも、空堀、土橋、土塁がありました。
森山城
仲城と仲々城という郭の間の堀はわかりませんでしたが、仲々城から奥仲城(主郭)への 虎口には馬出があります。また、主郭への土橋の両脇は土塁で守られ、特に右手土塁から は土橋に横矢が掛かっています。 主郭には説明板(写真)があり、また、南側に土塁と堀切のセットがありました。下りて みますと、とても良い堀切でした。 最後に搦手口から下りてみました。虎口には折れがあり、下った所には星宮大神が鎮座し 登城口には2つの説明板がありました。
「滝田城」 2022年10月に攻めました。 里見氏が築城し、一色氏が城代で入りました。南総里見八犬伝に出てくる城でもあるそう です。館山駅から日東バス平群線で「高月口」又は「小倉商店前」下車です。このバスは そのうち廃線になりそうなので、早めに行かれた方が良さそうです。 行きは、高月口側の登城口から攻めました。馬場という所を見て、土塁や虎口を通り進み ます。竪堀という看板がありますが、どこなのか全くわかりませんでした。
滝田城
少しルートから外れて藪を進むと2郭土塁を見つけました。ルートに戻って、主郭(写真) に到着します。礎石というのがあったのですが、何の礎石なのでしょう? 一段高いところに櫓台(八幡台)があります。そこには、祠、標柱、送電線の鉄塔があり ました。そして、北西側に堀切があるのですが行くのは非常に大変でした。 櫓台から、もう一つの登城口側に降りていきます。堀切と土橋があり、さらに降りると、 展望台跡(土台石垣)と南総里見八犬伝「伏姫と八房」の像がある郭に着きます。最後、 麓に降りた所に説明板がありました。
「飯野陣屋」 2022年10月に攻めました。 飯野藩の陣屋で保科氏により築かれました。本丸、2の丸、3の丸から成っていて、敦賀 陣屋、徳山陣屋とともに日本三大陣屋にも数えられています。青堀駅から徒歩です。 陣屋は長方形をしていて土塁と水堀がぐるっと残っているので、北西隅から反時計回りで 回りました。この辺りは古墳が多く(内裏塚古墳群)、陣屋の水堀の一部は、2つの古墳 の水堀をリサイクルしています。
飯野陣屋
南側の水堀沿いには説明板があり、そこは水堀に折れがありました。内部に入って、飯野 神社に向かいます。神社入口に説明板があり、また、そのそばに本丸空堀も見つけました が凄い藪でした。 神社参拝後、裏側にある2の丸堀と土塁を見ました。さらに、3の丸にある三条塚古墳に 向かいました。古墳の所には藩校があったそうで、少し古墳が削られています。 また、周囲を巡る水堀(写真)に戻ります。東側には、古い説明板と石碑があり、さらに コの字型に堀が出っ張って横矢を掛けている所がありました。北側の水堀をみて散策を 終えました。
「高藤山城」 2022年5月に、足軽衆さんと行きました。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で話題の上総介広常の城と推定されています。その後、 城主は代わり、戦国末期までは利用されたようです。別名は柳沢城です。私は車で行き ましたが、上総一ノ宮駅からレンタサイクルかタクシーのようです。 登城口には説明板があります。登っていくと、まず、2つの郭の間に堀と土塁がある所に 到着します。北側には説明板、南側には説明板と石碑(古跡の碑)があります。高いのは 北側ですが、土塁で囲まれた南側が主郭かも知れません。
高藤山城
北側の郭のさらに北には堀切がありました。また、南側の郭から南に進み右に折れます。 進んでいくと、三日月堀があります。そこを登ると、頂上に凹みがありました。ここを 西に行った尾根に堀切があり、さらに先にもう一つ縄張図に無い堀切がありました。 凹みに戻り、さらに南に行くと一段下がって郭があり、その西と南の尾根にも堀切があり ます。特に、南の堀切(写真)は大きいです。 見所が多く、結局、ほぼ2時間もお城にいました。最後に、近くの玉前神社(上総一ノ宮) に行き、上総介広常の願文を刻んだ顕彰碑も見られました。
「大柳館」 2022年5月に足軽衆さんと行きました。上総一ノ宮駅からレンタサイクルかタクシー だと思います。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で話題の上総介広常の城だと推定されて います。
大柳館
四つ角に城跡の標柱がありました。そこから入り三ノ宮神社に車を止めます。道を挟んだ 所が大柳館です。古墳が4つ程並んでいます。写真は一番入り口に近い古墳で、なぜか 上部に凹みがあります。奥に行くほど藪で進めなくなりました。
「富喜楽城」 2022年5月に、足軽衆さんと行きました。 上総一ノ宮駅からレンタサイクルかタクシーだと思います。民家などがあるため、直接の 登り口がなく、大柳館の藪に突入して南東の端まで来てから、道を下り、道を登ります。
富喜楽城
そうすると、富喜楽城の北東の端に着きます。前方後円墳の北側の藪を通り西に進むと、 唯一の遺構である空堀(写真)と土塁に着きます。堀は浅くなってしまっていましたが 土塁は大きかったです。
「鷲巣山城」 2022年5月に、足軽衆さんと行きました。 茂原公園の美術館の南にあります。公園は、茂原駅から徒歩30分。また、藻原寺バス停 からも行けます。 まずは、麓の横堀をみてから、その横堀が竪堀に変わっていくのが見られます。その竪堀 に変わるあたりの西側には堀切があります。
鷲巣山城
竪堀が登りきった尾根の所にも堀切(写真)があります。その東側にももう1つ堀切が あるようなのですが、立入禁止の立て札がありました。残念! 先ほどの堀切を西に向かうと、展望台のある郭に着き、ここまでで散策を終えました。
「犬成城」 2022年5月に、足軽衆さんと行きました。 車で行きましたが、バスが千葉駅、ちはら台駅、茂原駅などから出ているようです。 市津学園駐車場の北の端から北に80メートルくらいの畑の北側を右折して藪でも直進 です。(35.4892939,140.1901593) まずは2郭の西側に出て、堀を渡ると2郭です。西側に土塁があります
犬成城
そこから、2郭と主郭間にある堀を土橋で渡ると主郭です。主郭の西側と南側は4mも ある土塁(写真)で囲まれていて、空堀も大きいです。 残念なのは、とても凄い空堀があるのに堀底が整備されていないので、倒木などで写真 映えせず、非常にもったいないです。今後の整備を望みたいと思います。 最後に、近くの犬成向山城にも行こうと思いましたが、藪と倒木で堀までたどり着けず 撤退しました。誰か、堀までの道を通してください。
「御茶屋御殿」 家康の鷹狩場だったそうで、薬研堀と土塁で四角く囲われています。モノレールの千城台 駅からバスか徒歩です。 1回目は、2017年3月に行きました。 私は、移築門を見たいので、おまごバス(コミュニティバス)に乗り、バス停八幡神社で 下車。宝泉寺の御茶屋御殿表門を見学しました。象の彫刻があるらしいのですが、良く わからなかったです。 そこから、徒歩で御茶屋御殿へ。堀底からの土塁の高さは4メートルくらい(写真)。 土塁の上を歩いたり、堀底を歩いたりと楽しめました。内部には井戸があり、北と南には 虎口、土橋があります。 最後に、御茶屋御殿裏門が移築されている金光院に寄って、駅に戻りました。
御茶屋御殿
2回目は、2022年5月に、足軽衆さんと行きました。 説明板をみてから、表門付近の堀、内部、裏門付近の堀と見ていき、最後に土塁の上も 歩いて散策しました。
「大崎城(矢作城)」 2022年1月に行きました。 成田線の佐原駅からレンタサイクル(700円、観光協会)を借りて行きました。峠を 一つ越えるので、電動自転車の方が良かったかもです。国分氏が築城しました。また、 家康の家臣の鳥居氏が城主だったこともあります。 本命寺の駐車場に自転車を停めます。付近には、標柱と説明板(ボロボロで読めない)が ありました。 まずは2郭から攻めました。2郭西の堀、西の土塁を見ました。 そして、主郭と2郭間の2重堀切です。ここが一番の見所だと思います。特に、2郭側の 堀切は岩盤堀切(写真)で迫力がありました。2重堀切間の土塁の上は、さらに2郭側が 少し高くなっています。 そして、主郭に行こうと試みますが、堀底から高さ10メートルくらいあり、垂直なので 落ちたら怪我するぞ!と思いながら登りました。 主郭内は、南西と北東が高くなっているそうですが、北東に行くのは笹藪が凄くて断念 しました。
大崎城(矢作城)
次に、4郭を北から攻めました。3郭4郭間の堀は見られましたが、4郭自体はド藪の ため断念。しかたなく、南方の白幡神社の裏側からアクセスし、4郭南の堀と南の土塁を 見ることが出来ました。 最後に3郭です。登り口がわからず直登になりました。南側に土塁がありました。帰りに 登りのルートが見つかりましたが、途中倒木ありです。下りてみると、最初に見つけた 説明板の後ろが登り口でした。 結局、大崎城の散策は2時間半もかかりました。上級者向けだと思います。 (情報)佐原には伊能忠敬記念館&旧宅があるので、お時間があれば一緒にどうぞ。
「小見川陣屋」 2022年1月に行きました。 成田線の小見川駅から徒歩で、小見川中央小学校の敷地(写真)になっています。 1724年に小見川藩が出来て幕末まで続いたそうですが、諸施設は1688年に整備 されていたそうです。
小見川陣屋
一辺が100メートルの方形で、堀と土塁に囲まれていたということです。小学校西側の 門の脇に「小学校の歴史」という説明板がありますが、その中に小見川陣屋についての 説明があります。
「小見川城」 2022年1月に行きました。 小見川駅から徒歩です。香取市コミュニティバスは、平日の朝夕しか運行がないです。 粟飯原氏が築城し、また、松平氏の居城でもあったそうです。 小見川城山(じょうやま)公園となっていて、たくさんの家族連れが遊びに来ていました。 南側の木製の階段200段を登ると3郭です。古墳があり、その上に天満宮が祀られて いました。 そこから赤橋を渡ると2郭です。橋の下の道が堀切です。2郭には忠魂塔があり、一部 土塁が回っていました。
小見川城
そして、主郭と2郭間の堀切、土橋(写真)があります。一番の見所だと思います。説明 板もありました。堀切の北西の部分がなぜか2つ目の土橋のようになっていますが、理由 はわかりません。 主郭ですが、大部分は浄水場になっていまい遺構はありません、しかし、南西側の一部 だけ開発を免れており、けっこう高い土塁が残っていました。 そして、主郭の南東を見下ろしていましたら、10メートル位下がった所に、堀のような 腰郭のような地形を見つけました。
「志摩城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 かつては周りが海に囲まれ「島」だったので「志摩」になったそうです。私は車で行き ましたが、多古町へは、東京駅や成田空港からバスがあるようです。また、道の駅には レンタサイクルもあるようです。
志摩城
階段の下に説明板があります。階段を登っていくと神社(八幡大神、写真)があり、その 神社の右手に標柱がありました。また、駐車場の東側の地形は3段の郭のようであり、 城っぽさを残していました。
「並木城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 かつては周りが海に囲まれていて波が来るので「波来」→「並木」になったそうです。 セブンイレブンの裏から登れ、北側の堀の一番西に出ます。堀を見ながら土橋まで来ると 堀が食い違っています。北東の堀(写真)は2重堀になっています。その北側に説明板が あるので、先に見てから散策するとおすすめコースがわかります。
並木城
主郭は畑になっていて土塁で囲まれていました。北東の隅は物見台です。西側にも土塁と 堀があり、土塁の上を歩きました。南西の隅に2つ並んだ枡形虎口があります。これは 主郭用と2郭用なのかも知れません。
「分城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 「わけ」と読みます。あじさい公園の奥駐車場から歩いてすぐです。 登っていくと、主郭の周りを一周堀が巡っているので、右回りで見ていきます。まず、 西側から北側にかけての堀(堀切)を見ました。そして東側の堀も見ていきます。こちら には虎口があります。
分城
主郭内には妙見社(写真)が建っています。その後ろの土塁は高さがあり、物見台にも なっています。最後に南側の堀を通って散策を終えました。
「物見台城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 諏訪神社から南に進むと、物見台の前に標柱と説明板(写真)があります。物見台の土塁 は北西に向かって延びていて、それに沿って腰郭もありました。
物見台城
また、諏訪神社の西側、鴻巣館と民家の間の道を行くと、土塁と土塁の間に虎口が開いた 遺構があります。さらには諏訪神社駐車場の奥には土塁と堀が残っていました。
「土やぐら城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 物見台城の東にあります。案内板に従って進んで行くと、堀跡の向こう側に説明板と標柱 (写真)が見えてきます。
土やぐら城
説明板を読んでから、その後ろにある巨大な「土やぐら」に登ります。高さは5メートル くらいありました。向かって右手から登れるように、木を切るなど整備してくださってい ました。登った所は、結構広かったです。
「中城」(多古町) 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。千葉氏の城です。 入っていくと、西側の腰郭があり、主郭への虎口があります。虎口の左右は土塁(写真) で標柱もあります。虎口の正面にも土塁があり枡形を形成しています。
中城
腰郭を右手に行くと、南側の腰郭があります。広くて切岸も凄いです。主郭の、ここから 登った所にも、枡形状の土塁があるのですが、急斜面を登ることになるので、こちらが 虎口なのかどうかは疑問でした。最後に行った北側の腰郭も広かったです。
「土橋城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 「つちはし」と読みます。バス停がありましたが本数は少ないです。千葉氏同士の争い 「土橋合戦」が繰り広げられたそうです。
土橋城
階段を登っていくと、天御中主命神社があります。その左手に標柱(写真)があり、また その後ろには土塁があります。ただ、土塁の幅が広くて、本当に土塁であるのかは少し 疑問でした。
「次浦城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 多古町の北部にある次浦氏の城です。主郭を四角く土塁と堀が囲んでいます。土塁は南東 から南にかけて特に高くなっていました。
次浦城
東側の虎口から中に入ります。標柱(写真)があり、また、妙見様が祀られていました。 堀は、北側と西側に残っていて、南側も道になっていますが残っています。北東の隅の 土塁が横矢がかりになっていて、さらに、西側の土塁も凸になっていて、横矢がかかった 所がありました。
「次浦八郎常盛館」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 次浦氏の館です。まずは、水堀跡(写真)を見ました。それから、2段になっている郭を 見にいきます。
次浦八郎常盛館城
下の段は広くて、ここが館の中心のようです。上の段は狭いのですが、何に使っていたの でしょう。
「多古藩陣屋」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 陣屋には、松平氏などが入っていたそうで、途中廃藩もありましたが明治維新まで存続 したそうです。石垣と堀で囲まれていたそうで、今は多古第一小学校のグランドになって います。
多古藩陣屋
東側の天神社の所に説明板と石垣(写真)が残っています。また、グランドは上下2段に なっていますが陣屋の名残だと思われます。(こちらの石垣は後世のものです)
「多古城」 2022年1月に、武蔵足軽衆さんと行きました。 千葉宗家最後の城だそうです。空堀への入口がわかりにくいのですが、大宮大神の向かい 側の道に入って、案内の通りに進むと着きます。
多古城
空堀はL字の部分が残っていて、深さ5メートル、幅20メートルと大きいです。説明板 (写真)もあり、堀底にも降りられます。
「稲村城」 2021年9月に行きました。 内房線の九重駅から徒歩です。里見氏の城で、三代の義道から四代の義豊の時の居城です。 駅からの途中、田んぼの中に説明板がありました。また、民家の脇には「城井戸」があり 見学しました。東の水往来を通り、切通しの脇から尾根に入りました。
稲村城
正木様や横穴墓を経て、主郭南の堀切(写真)に着きました。主郭には虎口から入ります。 説明板があり、また、海の見える景色が素敵です。3メートルくらいの土塁が東側にあり、 上を歩いてみました。 もう1つの虎口から出て、主郭東側の堀切を見ました。そのまま、東の尾根をしばらく 行くと、土橋付きの堀切がありました。この堀切の内側に何ヵ所か石積が見られました。
「岡本城」 2021年9月に行きました。 内房線の富浦駅から徒歩です。里見氏の城で、七代義弘が改修し、八代の義頼の居城と なりました。 登城口から登ると主郭にたどり着きました。主郭は時期的に草ぼうぼうでしたが、説明板 (写真)がありました。 一段高い所に岡本城跡の石碑があり、城のことが細かく書いてありました。その先の細い 道を行くと物見台があり、そこからの海の見える眺めが良かったです。その先の小郭を みてから引き返しました。
岡本城
次に、階段を降り、主郭南の堀切を探したのですが、どれだか良くわかりませんでした。 あきらめて、東の尾根に登っていく道を進みます。途中、堀切があり、さらには虎口が ありました。虎口の所は石積のようでした。 虎口を過ぎ、少し行くと枡ヶ池がありました。この池は岩盤を掘って作ったらしいです。 最後に、主郭に戻る時に、東尾根の比較的主郭寄りのあたりを散策していて堀切を2つ 見つけましたが、どこの堀切なのか特定出来ませんでした。 今回は行っていないですが、富浦駅のそばには道の駅・枇杷倶楽部という所があり、枇杷 ソフトが食べられます。(家族旅行で行きました)
「造海城」 「つくろうみ」と読みます。真里谷武田氏、そして里見氏の家臣・正木氏の城です。里見 水軍の拠点でもありました。竹岡駅から徒歩25分です。別名は百首城。 1回目は、2016年3月にTwitterのフォロワーさん(じゅんこモンさん、トオルさん、 バンバンさん)と車で行きました。大手口の燈籠坂大師から登りはじめ、まずは4郭から 北に延びる長細い郭を見学。眼下に井戸がみえました。次に、横堀といわれるところを 通ろうとしましたが水びたしで無理だったので、1段下の郭経由で水堀とその周辺の石垣 切通しといわれる虎口を見学。 そこで、一旦戻って、次に4郭、3郭、2郭を順に見学。4郭は藪こぎですが、「くの字 状の土塁」を確認しました。3郭は広く、2郭の東側には岩盤堀切。先人たちによる ロープがありましたので降りられました。ここまでで引き返し、今度は西側の郭を攻め ます。こちらも石積が随所にあり、虎口も両側が岩盤で素晴らしい。 一番下の砲台跡がある郭は降りるのが大変でしたが、砲台跡の凸が5つ並ぶのを確認でき ました。(写真)
造海城
2回目は、2019年5月に行きました。燈籠坂大師から登りはじめます。まずは、西側 の竹岡砲台へ行きます。砲台は5基ありました。 次に、北の細尾根の上を行き、先端で下に降りると、切通がありました。切通の南には、 井戸がありました。井戸には、危ないので囲いがあります。 そして、スタート地点に戻り、北東方向、岩盤の間の横堀を行きます。その先には、四角 い水堀がありましたが、水が枯れていました。さらに先には、階段のある切通があります。 階段を下りた郭には階段状の遺構があり、また、一段下の郭から見上げると、高さ2m くらいの石積がありました。石積は、水堀のある郭の一段下の郭から見上げると、水堀の 郭の側面にも沢山ありました。 最後に、スタート地点から東に複数の郭が連なる道を行きます。4郭は藪の中にL字型 土塁があり、3郭、2郭と進みます。2郭東の岩盤堀切には、北側から迂回する道で 何とかたどり着けます。さらに、1郭の東にも堀切と竪堀がありました。 ここからは、東側の麓まで下りていきます。途中急斜面ですが、ロープがあります。 麓には、神社(十二天神社)と竹岡第2砲台がありました。こちらも5基です。 切通や石積などが苔むしていて、ミステリアスな造海城でした。
「富津台場」 2019年5月に行きました。海防のために1822年に出来たそうです。青堀駅、大貫 駅などからバスが出ています。終点の富津公園下車です。富津公園は、プール、キャンプ 場、潮干狩りなど、家族連れで賑わう公園ですが、その一角にひっそりとあるのが「富津 台場」です。 台場は半円形で、周りを水堀で囲まれており、北側の虎口の両側は石垣になっています。 土塁がぐるっと回っており、土塁の内側に石垣で作られた窪みが5か所あります。これが、 砲台跡のようです。
富津台場
また、東側に弾薬庫の遺構が残っています。さらに、最近作られたものだと思いますが 南西に、観光用の白い展望台があり、その頂上からは台場全体が見渡せます。
「小篠塚城」 2019年3月に行きました。京成佐倉駅、またはJR佐倉駅からバスで、小篠塚、 あるいは一つ手前の神門下車です。神門の方がバスの本数が多く、そこから徒歩20分 です。(他にも物井駅からのコミュニティバスもあります) 築城などは不明ですが、古河公方足利成氏が古河を追われ、本佐倉城の千葉輔胤を頼った 際、この城に滞在したと言われています。 4郭にある正慧寺への登り坂(搦手坂虎口・鎧坂)の下に城跡の石碑があります。(石碑 から50メートルの所に標柱もあったのですが見逃しました)そして、寺の前には説明板 がありました。
小篠塚城
主郭は四角く土塁で囲まれていて、虎口は東西にあります。北側と東側には、堀跡が 残っています。特に東の虎口の辺りは、土塁と堀に折れがみられ、横矢が掛かります。 主郭内の南西には咲耶姫神社があります。袖摺坂への虎口を出て、主郭北側の堀底を 歩くと、土塁の高さが結構ありました(写真)。そして、牛小屋がある北側への開口部に 「大手門」の石碑があるので、この辺りが大手門なのでしょう。 続いて、土塁で囲まれた2郭、3郭を見学しました。3郭の土塁には、「出丸 見台」と いう石碑があり、物見台だったのかも知れません。
「坂田城」 2019年3月に行きました。横芝駅から徒歩25分です。三谷氏の城で、その後、 井田氏の城になりました。まずは、無城といわれる主郭を見学しました。藪をかき分けて 南の搦手口、腰郭を確認出来ました。また、少しだけ北側の土塁の上も歩きました。 次に、見台といわれる物見台でもあり馬出の郭へ。ここは藪なので、土塁の上を歩いた くらいです。 そして、無城と登城(2郭)との間の堀底へ。折れもあり、なかなかの見応えでした。 (写真)
坂田城
登城には、説明板、姫塚があります。また、梅まつりは終わっていましたが、白梅が 綺麗に咲いていました。 続いて、外城(3郭)と登城の間の土塁と堀、ここも素晴らしいです。西側も東側も 土塁が凸に突き出ていて横矢がかりになっています。土塁の上も歩いたし、堀底も堪能 しました。 そして、外城の中央の説明板をチェック後、大手口へ。2重の堀があるのですが、まず、 西側は堀の間の土塁上を散策しました。そして、最後に、東側の、登城路と推定されて いるコの字型に回り込む通路(堀底道)を見学し、散策を終えました。
「成東城」 2019年3月に行きました。成東駅から徒歩15分の成東城跡公園です。印東氏の城で 千葉氏の城でもあったそうです。別名、鳴戸城だそうです。 北東にある愛宕曲輪(主郭)と南西にある堀ノ内曲輪(2郭)からなり、主郭の北には もうひとつ腰曲輪がありました。 まずは、主郭(写真)へ。主郭と2郭の間は、2重の堀で区切られていて、土橋を渡ると 主郭です。主郭内には、大きな土塁、愛宕神社、説明板2つがあります。また、薮を漕ぎ 主郭の南西から北西にかけての空堀の堀底を散策しました。
成東城
次に、2郭へ向かいました。こちらには説明板、あずまやがあり、見晴らしも良いです。 また、西側が土壇になっていて、櫓台かも知れないそうです。櫓台から急階段を降りると 2郭の西側の堀底に到着します。藪の所と散策路になっている所があるのですが、北西 から南西にかけて堀が回っているのはよくわかりました。
「和良比堀込城」 2018年9月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、小栗さん、ぷく ちゃん)と行きました。 四街道市です。「わらびほりごめ」と読みます。車で行きましたが、四街道駅からでも 徒歩10分です。
和良比堀込城
主郭と2郭からなるのですが、大部分は消滅してしまって、わずかに2郭南の土塁が L字型に残っていました。さらに外側の土塁2つも残っています。 土塁の前には説明板があり、土塁の上に登ってみることが出来ました。写真は、L字型 土塁の上から、並行している外側の土塁(右上)を写しています。
「福星寺館」 2018年9月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、小栗さん、ぷく ちゃん)と行きました。 四街道市です。「ふくしょうじ」と読みます。車で行きましたが、四街道駅と千城台駅 を結ぶバスでも行けます。福星寺入口下車すぐ。 福星寺の周りを高い土塁と深い堀が囲む方形の館です。曲輪の内部にはシダレザクラが 2本あります。
福星寺館
時計回りで一周してみました。土塁の上の祠を参拝してから、堀に降りてみました。 堀から土塁の高さは10メートル。堀の幅も広く、凄い遺構でした。 竹藪をかき分けながら堀底を進むと、所々に土塁が凸になり、横矢を掛けている所が ありました(写真)。南の虎口には幅の広い土橋がかかっており、南西の土塁の上には 月山神社の石碑がありました。
「中山城」 2018年9月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、小栗さん、ぷく ちゃん)と行きました。 四街道市です。車で行きましたが、四街道駅と千城台駅を結ぶバスの福星寺入口で下車 すると、そこから約300メートルです。 66号線の「福星寺館」「木出城」の案内矢印がある辺りで、北側の脇道に入ります。 まず、2郭の土塁があり、さらに進むと、五角形の主郭を囲む土塁と堀があります。
中山城
土塁を右に進むと、主郭への虎口(写真)があります。ただ、主郭の中は藪なので 入れません。虎口に向かって右の土塁の上は少し歩けましたので、歩いてみました。 もう少し整備してもらえれば、福星寺館と同じくらい見やすい城になると思います。
「木出城」 2018年9月に、ツイッターフォロワーさん(じゅんこモンさん、小栗さん、ぷく ちゃん)と行きました。 四街道市です。車で行きましたが、四街道駅と千城台駅を結ぶバスの福星寺入口で下車 すると、そこから約1キロです。 まずは説明板をみました。民家があるので入りにくいのですが、たまたま人がいたので お願いしたら、快くOKをいただけました。 主郭の周りを堀と土塁が四角く囲んでいる城です。まず、北西と南西の堀(写真)を 見学してから、虎口があったので主郭の内部に入りました。
木出城
南西の土塁上には祠がありました。時計回りでぐるっと一周します。北東側の堀に 降りてみて、南東側まで堀底を散策。土塁の高さは8メートルはありました。 さらに、土塁の3ヵ所に、横矢をかけられる出っ張った部分があり、堅固な城の印象 でした。
「本佐倉城」 千葉氏の城です。京成線の大佐倉駅から徒歩10分です。 1回目は、2014年1月に訪れました。 一つの山が、城山、奥ノ山、セッテイ等の郭に分かれていて、城山には、主殿、会所など の建物や櫓があったそうです。 写真は、東山馬場にある「千葉氏の家紋の盾」が並んでいるところ。残念なことに、盾の いくつかが倒れてしまっていますが・・。(注:2回目に行ったら綺麗になっていました) 酒々井町のサイトにある散策マップを利用し、番号順に散策したのですが、一番良かった のは、高低差が16mもある見事なセッテイ空堀でした。
本佐倉城
2回目は2018年8月に行きました。今回は、続100名城スタンプ、向根小屋、荒上 (外郭)目的でした。 まずは、京成酒々井駅から歩き、中央公民館へ。スタンプに加え、パンフレット6つを ゲットし、展示もみられました。 次に、向根小屋へ。南側から入ると土橋、馬出、土橋、メインの郭と続きます。一つ目の 土橋は、右の櫓台から横矢が掛かり、二つ目の土橋は左側の櫓台から横矢が掛かって います。2つの櫓台も藪こぎしながら散策しました。そして、メインの郭には神明社が 建っていました。 そして、荒上にある堀と土塁をみに行きました。藪こぎ、そして蜘蛛の巣と格闘しながら 堀の中を西から東に移動して、出枡形、虎口、櫓台を見学しました。 最後に、内郭を散策。妙見神社、倉跡、奥の山、そして本丸にあたる城山を見学。 主殿跡などがあります。それから、W郭にある盾が並ぶ所、物見を見学。東光寺ビョウ 経由で、倉跡とセッテイ間の空堀を見学。さらには、セッテイ西側の空堀と土塁も見学。 この2つの堀はデカイですね!
「相模台城」 2018年2月に訪城しました。 松戸駅から徒歩です。現在は、聖徳大学、松戸中央公園、相模台公園などになっていて 遺構は残っていないそうです。 イトーヨーカ堂のエスカレーターを利用し高台へ。まず、聖徳大学の中にある経世塚と 相模台戦跡碑(写真)を見学。女子大なので守衛さんに断ってから入る必要があります。
相模台城
次に、松戸中央公園にて、陸軍工兵学校正門跡、「相模台の変遷」という説明板を見学。 そこから、堀跡と言われている「松戸中央公園と相模台公園の間の道」を下り、麓から もう一度階段を登り、相模台公園を見学。ジャングルジムなど遊具の脇に、土塁にも みえる段差がありました。
「松戸城」 2018年2月に訪城しました。松戸駅から徒歩です。戸定が丘歴史公園と千葉大学 園芸学部のある高台です。 まずは、公園の中にある戸定邸と戸定歴史館へ。戸定邸は、徳川慶喜の弟・昭武の 別邸で内部を見学できます。(歴史館とあわせて240円)また、梅園には梅が咲いて いました。茅葺門もあります。「戸定」の由来は「外城」という説もあるそうです。
松戸城
次に、千葉大学に行きましたが、あいにく入試の日で立入り禁止。でも、駐車場の脇に ある土塁(写真)、そして、西側にある櫓台跡の2か所は、大学の外からも見学出来 ました。本当は、空堀跡も見たかったので残念です。
「戸張城」 2018年2月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、ぷくちゃん、ばったびさん) と訪城しました。柏市にあり、敷地は文京区立柏学園なのですが、平成25年から閉鎖 されています。なので、柵に囲まれていて、近くから遺構を確認出来ませんでした。 主郭と2郭の間の堀は、柵の外から見えない位置であり、想像するしかなく残念でした。
戸張城
2郭の西側の土塁と堀(写真)は、この城で唯一の見どころ!柵越しにみることが出来 土塁の間に虎口もありました。最後に、主郭南側にある帯曲輪を、下から見上げる形 でしたが確認出来ました。 戸張城の遺構を近くからみられる日がいつか来ることを望みましょう。
「箕輪城」 2018年2月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、ぷくちゃん、ばったびさん) と訪城しました。 箕輪城といえば群馬の箕輪城が有名ですが、柏市にもあります。 手賀沼病院の敷地で、最近の病院の新棟拡張により、遺構が徐々に破壊されていって しまっている城です。 まずは、2郭の南側の堀(写真)と土塁を見学。ここは、比較的良く残っていました。
箕輪城
しかし、2郭のひとつ西側の郭は駐車場になってしまっており、郭の南側にわずかに 堀かな?という地形を残すのみでした。 そして、主郭の東側も藪こぎしながら遺構を探しましたが見つからず、結局、明確な 遺構は2郭南側の土塁・堀のみであり、少し残念な感じでした。
「手賀城」 2018年2月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、ぷくちゃん、ばったびさん) と訪城しました。 柏市の手賀沼のそばにあります。興福院に車を止められます。ここが2郭です。寺の門の 脇に城跡の標柱(沼南の歴史を歩く その1)があります。 そして、その北側、伏見稲荷への参道の脇には城跡の石碑があります。この辺りが主郭 です。伏見稲荷の東側に主郭の土塁があるという事でしたが、少し高まりがある程度で 微妙でした。
手賀城
それから、住宅地の中に残っている土塁が4か所ほどあるという事で散策してみました。 その中でも良かったのが、石碑から西に50メートルくらいの所にある南北に走る土塁 (写真)、そして、その土塁の裏側には結構大きな堀が残っていました。
「佐貫城」 2017年10月に行きました。 佐貫町からバスで「牛房谷」下車 (200円)。バス停前に、大手門・櫓台の石垣が! (写真)これは、近世の遺構ですので、綺麗に積まれていました。説明板もあります。
佐貫城
見学後、三の丸を登っていき、一旦ルートをはずれて、二の丸と三の丸の間にある岩盤 空堀をみにいきました。それから、元の道まで戻って二の丸へ。本丸との間は土橋が 掛かっていました。堀は空堀だそうなのですが、雨の後なので水堀になってしまって いました。 本丸には土塁があり、物見台も2つありました。まず、西の物見へ。遠く山の中に 観音様がみえます。(あとから調べると、東京湾観音でした。)そして、東の物見も 見晴らしが良かったです。 それから、本丸を東に下って行きます。本丸の北東に空堀があり、その堀底道を搦手の 方に進みました。搦手虎口まで辿り着くと、そこには真里谷武田氏時代からの古い石垣 がみられました。丸い石で積んでありました。
「万木城(万喜城)」 2017年4月に行きました。 いすみ鉄道の国吉駅から城の麓まで25分でした。まず、上行寺の仁王門を見学。 北側から城山に登ります。二の郭(本丸)に模擬展望台(写真)があります。金色の鯱 でした。双眼鏡は無料です。
万木城
周りには、現在遊具のある馬出だったとされる郭、祠のある郭、井戸があります。 そして、一の郭である倉の台に登ります。降りてきて、搦手の小鳥の森遊歩道から 下ります。途中、右手に岩盤の大堀切がありました。さらに、あずま屋の奥の道なき 道を進むと、左手に堀切が!素敵でした。で、あずま屋まで戻り下山。最後に、 土岐氏の墓所、海雄寺の寝釈迦仏をみて、駅に戻りました。
「大多喜城」 いすみ鉄道の大多喜駅から徒歩20分の所にあります。本多忠勝も城主でした。 1回目は、2006年8月に行きました。 お城の中は、2階から4階まで千葉県立中央博物館の大多喜城分館(写真)になって いて、刀剣、鎧などが展示してありました。(入館料:200円)
大多喜城
帰りに、大多喜名物の「十万石最中」を買おうと思ったら、まだ、お昼の12時半 なのに既に売切れでした。人気がありすぎです。 2回目は、2017年4月に行きました。 駅からの途中、前回見忘れた、大多喜高校の中にある薬医門、大井戸を見学。 そこから本丸に登ります。真っ白な模擬天守。瓦は、本多氏と松平氏の2つの家紋 でした。4階には展望室があり、ジオラマも。本丸の土塁をみて、帰り道には鐘楼、 そして大手門跡(標柱しかない・・・)をみてから駅まで戻りました。 お土産は、前回買えなかった最中十万石を買えました。大量のあんこが入っており、 包み紙も城の絵図なので保存しました。 p.s.あとから知ったのですが、駐車場の奥からの道を10分くらい歩くと堀切が   残っているそうです。(比企下総さん情報)
「生実城(北小弓城)」 2017年3月に行きました。京成の学園前駅から徒歩です。 歩いていくと、まず、 大手門跡があります。お地蔵さまと石碑があり、後ろには土塁も残っています。 さらに行くと生実神社があり、その西側には大きな堀が!(写真)当時は薬研堀 だったそうですが、埋まって底が平らになってしまったらしいです。
生実城(北小弓城)
神社には、説明板、絵図が載っている石碑などがありました。さらに北西に行くと、 本丸跡があり、小さな公園になっています。ここにも説明板がありました。
「小弓城」 2017年3月に行きました。最寄り駅は京成の学園前駅ですが、私は生実城から 歩きました。 まず、埋蔵文化財調査センターの裏側の堀をみようとしましたが、柵で囲まれていて 遠くから凹みを確認するにとどまりました。 本丸跡は墓地になっており、石碑と説明板があります(写真)。
小弓城
そして、墓地の南西に土塁があるとのことで探し、高さ数十センチのこれかな?と いうものを見つけました。 最後に、八剱(やつるぎ)神社の西側の堀跡を見学。現在は道になっていますが 面影が残ります。
「本納城」 2016年9月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん、バンバンさん トオルさん)と行きました。 蓮福寺というお寺の裏にあります。蓮福寺には水堀跡があります。そして「抜穴」 の遺構もありました。本丸への登城路は、通常、女坂なのですが、これが、先日の 台風での倒木により通れず。直登となる男坂からなんとか登りました。切通しの ような登城道は「袋狭間」と呼ばれるそうです。
本納城
本丸には石碑(写真)がありました。本丸の一段下、北東側に伸びる郭の先端は 「狼煙台」だったようです。北西側に伸びる郭は藪で見学を断念しました。東の ほうにある右衛門郭も今回は行きませんでした。
「土気城」 2016年9月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん、バンバンさん トオルさん)と行きました。 726年、土気城の前身である貴船城(土気古城)が築城されたそうです。 善勝寺に車を止め、馬出曲輪から三郭へ向かいます。馬出曲輪と三郭の間には、堀と 土塁の上に貴船大明神があります。三郭には案内板があり、さらに二郭との間に堀が あります。二重堀だそうですが、藪で明確にはわかりませんでした。 二郭は、現在 老人ホーム「ひまわりの郷」になっています。高い土塁があり、なぜかその前に モアイ像が7体並んでいます。
土気城
「ひまわりの郷」の裏側(善勝寺曲輪)を見学し、いよいよ実城(本郭)へ。 石碑(写真)があり、また、二郭との間には、高い土塁と三日月型の堀があります。 最後に「クラン坂」と呼ばれる坂を見学。「やぐら」と呼ばれる穴(中世の横穴墓) があいています。
「善勝寺城」 2016年9月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん、バンバンさん トオルさん)と行きました。 土気城の出城ということです。善勝寺というお寺の山門をくぐり、石段を登ると 本堂があり、その隣にある墓地との間に土塁状の地形(写真)がありました。
善勝寺城
善勝寺城の中心部は、この寺から南に200〜300m行ったところで、墓地の 向こう側の農地(?)の奥の森の中だそうなので、写真の土塁状の地形が遺構で あるのかは定かではありませんが、外郭の遺構であると信じましょう。
「大椎城」 2016年9月に、フォロワーさん(じゅんこモンさん、橘さん、バンバンさん トオルさん)と行きました。 千葉市のチバリーヒルズと呼ばれた高級住宅街「ワンハンドレッドヒルズ 」の 南側の山にあります。西から東に、T、U、V、Wの4郭からなる連郭式の城で、 それぞれの間に堀があります。 登城口はお城の北西にあり、そこに案内板もあります。比較的整備された散策路を 進みましたが、途中から道なき道を直登し、T郭とU郭の間の堀に出ました。 そこに、石碑(写真)があります。T郭は広く、その西側には低い土塁の痕跡が ありました。
大椎城
T郭の見学を終え、U郭の南側を通る散策路をすすみます。途中、U郭に登って みましたが完全な藪でした。 U郭とV郭の間の堀は、クランクがあり見事です。そして、最後、V郭の南側の 道を通り、V郭とW郭の間の堀へ。こちらは竹藪でしたが、こちらもクランクが あることを確認出来ました。 大椎城、期待以上に遺構が残っており、オススメ出来る城でした。
「松ヶ崎城」 2016年4月にTwitterフォロワーさん(じゅんこモンさん、ふみさん、トオル さん、あいこさん)と車で行きました。 本曲輪を囲むように土塁と堀(写真)があり、西側虎口は喰い違いになっています。
松ヶ崎城
さらに、南側の曲輪にも土塁がありました。物見台は元・古墳だったそうで、その そばに門跡がありました。また、南側の曲輪のさらに南には腰曲輪があり、そこを 歩いていくと井戸跡がありました。
「根戸城」 2016年4月にTwitterフォロワーさん(じゅんこモンさん、ふみさん、トオル さん、あいこさん)と車で行きました。 まずは2郭の堀、そして土塁を確認しました。2郭から1郭へは土橋があります。 そこから、堀底道に降りて時計回りに回ります。北西、そして北東の隅に 「落とし穴遺構」という凹んだ地形があり(写真は北東の隅)1郭の東側には 眺めの良い櫓台があります。
根戸城
1郭には南側の虎口からはいり、1郭を囲む土塁の上をぐるっと歩きました。 1郭の南西には横矢をかけられるように土塁が少し出っ張っていますのでお見逃し なく。そして、説明板は城跡の東側の道路にあり、少し離れています。
「増尾城」 増尾城址公園になっている中世城郭です。野田線の増尾駅から徒歩20分です。 主郭と副郭からなり、副郭の南西には櫓台があります。 1回目は、2015年1月に訪れました。高い土塁で囲まれており、土塁の上を 歩けます。写真は、副郭にある説明板です。こじんまりしていますが、虎口など 遺構が良く残っておりなかなかの城でした。
増尾城
2回目は、2016年4月にTwitterフォロワーさん(じゅんこモンさん、ふみさん トオルさん、あいこさん)と車で行きました。 今回は、前回みつけられなかった地形をみつけられました。縄張図で、北側の 土塁の外に3箇所、西側の土塁の外に2箇所描かれている「四角い高まり」です。 みつけられたのはいいのですが、これが何のための場所なのかよくわかりません。
「前ヶ崎城」 2016年4月にTwitterフォロワーさん(じゅんこモンさん、ふみさん、トオル さん、あいこさん)と車で行きました。 まずは、公園になっている1郭への階段を登ります。1郭は東側と南側が土塁で 囲まれており(写真)、なかでも南西の櫓台跡はよく残っていました。
前ヶ崎城
南側に降りていくと1郭と2郭の間の堀がありますが、現在は建物が建っており よくみえませんでした。そして、折角なので、住宅地になっている2郭と3郭も 散策しました。ほとんど遺構はないのですが、地形としては2郭と3郭の間の堀 (現在は道路)、そして3郭南の堀の面影が残っていました。
「花輪城」 2016年4月にTwitterフォロワーさん(じゅんこモンさん、ふみさん、トオル さん、あいこさん)と車で行きました。 公園になっています。良く残っているのは土橋と空堀の跡(写真)であり、その そばに説明板があります。また、琵琶首観音堂の跡(礎石)も、すぐそばに ありました。
花輪城
帰りに近くの「浅間神社の富士塚」と「新選組の流山陣跡」にも寄りました。
「峰上城」 2016年3月にTwitterのフォロワーさん(じゅんこモンさん、トオル さん、バンバンさん)と車で行きました。 車は峰上支所の駐車場に止めました。登山口がわかりにくいので事前に調べると いいでしょう。登山口に行く途中に「唯一の案内板」がありました。 登っていくと、いくつかの堀切があり、民家があるところを通ります。 さらに何段か登っていくと本城(1郭)の一番南に環神社があります。その 南が、一番の見どころの「七つ堀切」なのですが、神社からは絶壁過ぎて 降りるところをみつけられず、一旦引き返しました。そして、本城の東側から 滑り落ちながら必死に降り、回り込む形で「七つ堀切」へ向かいます。 途中、七つ堀切の北東に、石積や垂直な岩盤を発見!!くの字型に折れていて 巨大でした。(ウモさんのサイトによると搦手の坂入虎口となっています)
峰上城
そして「七つ堀切」に到着し、1つ、2つと数えながら進みます。そして、 6つ目を終えたところで「あれ?7つ目がない!」。戻ってみると、東側から 回り込んだため、1つ目の堀切を見忘れていたのでした。(^^;  (写真は2つ目の堀切です) 最後に殿井戸を見学。尾崎曲輪もみたかったのです が、夕方になってしまったので散策を終了しました。
「秋元城」 2016年1月に訪れました。小糸城とも呼ばれています。 今回は、城好きさん4人(じゅんこモンさん、トオルさん、橘さん、WOLFさん) と車で行きましたが、君津駅からバスがあるようです。車の場合、道路の向かい 側に駐車場があり、たまたま通りがかった駐車場の隣の家のおじさまから 「秋元城跡」のパンフレットを頂けました。ラッキー! 根古屋から登っていくと、いくつかの虎口を通り、まずは広い空間である千畳 に着きました。そこから、西向三段と呼ばれるところにいきました。そこには 御殿があったと推定されています。
秋元城
そこから、土橋を渡り堀切を2つ見学。そのあと、横堀をみに行きました。この 横堀は、降りるのにロープを使わないといけません。横堀には、高さ1m以上も ある畝〔障壁〕(写真)が残っており、よじ登るのも大変なほどで感動もので した。帰り道に、八幡社のある郭と稲荷社のある郭をみてから下山しました。
「千本城」 2016年1月に訪れました。 今回は、城好きさん4人(じゅんこモンさん、トオルさん、橘さん、WOLFさん) と車で行きましたが、上総松丘駅から徒歩です。 登り口から少し行くと左右に分かれ、男坂と女坂になっていますが、女坂は荒れ 放題のようで、まずは男坂から登ります。登ったところが主郭にある北野神社で 参拝をしました。そこからが道なき道。神社の裏から「用替」と呼ばれる地区に 入ったものの、わかりやすい縄張りが準備できなかったこともあり、現在地が 分からず迷子になりそうになりました。
千本城
そこからなんとか抜け出ることができて、くの字型の土塁のある郭に辿り着き さらに鉄塔を目指すことで、城の中でも最大規模の高さ3mくらいの大土塁に 着きました。土塁の上を歩いた後、日没も近づいたので、そこで引き返し 神社経由で一旦男坂を下りました。 そして、荒れ放題になっている女坂を上っていくと目の前に、城最大規模の 大堀切がどーんと!!(写真)ここは、土壌が岩盤のように固いからなのか、 本当に崖が切り立っている深さ10m以上の迫力ある素晴らしい堀切でした。
「久留里城」 戦国時代は真里谷武田氏、里見氏、その後は、大須賀氏、土屋氏、黒田氏の 居城でした。 1回目は2005年2月に訪れました。 久留里駅から徒歩で30分。途中から高低差100mの急坂となっているため へとへとになりました。再建された天守は2層3階であり、山の上なので 眺めは抜群でした。
久留里城
その隣りには、天守台跡があり、また、本丸まで登る間に、いくつかの曲輪、 堀切、井戸が残っており、見応えがありました。2の丸には城址資料館があり 入館無料でした。 注:久留里線は本数が少ない為、事前に時刻を調べておきましょう。 電車の代わりに、高速バスを使う方法もあるようです。 (東京駅、千葉駅などから) 2回目は2016年1月にフォロワーさん(じゅんこモンさん、トオルさん、 橘さん、WOLFさん)と訪れました。 日没ギリギリに寄りましたので、後半真っ暗な中での見学でした。堀切、長屋塀 男井戸・女井戸などを見学しながら本丸へ。到着した頃には、ほぼ真っ暗。 その中で、フラッシュによってなんとか模擬天守と天守台跡を撮影出来ました。 帰り道、真っ暗な中で、ぼっとしてたら、側溝にはまり、手を擦りむき、 また、肩をひねってしまいました。やはり日没後の登城は危険を伴います・・・。
「真里谷城」 2015年11月に訪城しました。 城好きさん3人(じゅんこモンさん、トオルさん、橘さん)と車で行きましたが、 電車だとなかなか近くの駅がないですね。 上総武田氏が築城し、真里谷氏の城です。現在は、少年自然の家(キャンプ場) になってます。 まず、3の郭を散策。その後、2の郭の堀や土塁、虎口と思われるところを散策。 次に、城山神社のある郭へ行き、社殿の後ろにある大きな土塁に登りました。 (写真)
真里谷城
さらには、本郭(千畳敷)へ。虎口は蔀土塁のようになっていました。また、 本郭の周りは高い土塁で囲まれ、土塁に登ると幅も広く圧巻でした。 お昼は、ごんちゃんというお店でラーメンライス(600円)を頂きました。
「真里谷要害城」 2015年11月に訪城しました。 今回は3人(じゅんこモンさん、トオルさん、橘さん)と車で行きましたが、 電車の場合、最寄りは馬来田駅です。秋葉神社の裏から登ります。 ここが4の郭。いきなり深い堀があります。なんとか降りますが、朽ちた竹藪 が行く手を遮ります。登ったところが3の郭。さらに進めば、また深い堀。 降りて登って2の郭。そして本郭と2の郭の間にも巨大な堀。(写真) 甲府の熊城も凄い堀でしたが、この城は何度も堀とバンブー地獄が続きます。
真里谷要害城
やっとのことで本郭に到着。本郭には一段低くなっているところ、そして虎口の ような竪堀のようなところがありました。 さらに北に向けて、いくつかの郭を抜け行軍。巨大な三重三日月堀に到着しました。 あまりに巨大な為、三日月堀の全容がわからないくらいで、圧倒される見事な遺構 でした。 さて、ここから戻らないといけないのですが、日没が近づき大急ぎです。 必死で堀を登り降りし、最後は暗い中、遭難しそうになりながら、スマホのGPS 機能を駆使して秋葉神社にたどり着けました。 マイナーなお城でありながら、巨大な遺構が残る真里谷要害城。見るのに3時間半 もかかるので、日没までに戻れる時間に登り始めましょう。
「国府台城」 2015年9月に訪城しました。「こうのだい」と読みます。 現在は里見公園になっており、京成の国府台駅から徒歩またはバスです。 今回は、川沿いを歩いていきました。公園に到着して、まず、羅漢の井戸を みました。続いて、時期は終わってしまいましたがローズガーデンのバラを みつつ、「夜泣き石」(心霊スポット?)と「里見軍将士亡霊の碑」を見学。 ちょっと場所がわかりにくかったです。 また、江戸川の向こうにスカイツリーがみえるので写真を撮りつつ、二重土塁 の方へ。途中の円形の大きな土塁が「物見の松」といって、櫓の跡だったよう です。
国府台城
それから、二重土塁とその間の空堀を散策しました。(写真) 土塁は、後世に 作られた石垣などで大きく改変されているため、どこまでが遺構なのかわかり にくいのですが・・・。 土塁の上に「明戸古墳石棺」というのがあります。城内の土塁を作る際に 古墳跡を盛り土代わりに利用した為に、この石棺は江戸時代からすでに出土 してしまっていたとの説明でした。 雨模様で早朝だったこともあり、公園には、私以外にバードウォッチングの おじ様方しかいませんでしたが、国府台合戦の舞台として歴史に残るお城を 楽しく散策できました。
「根木内城」 2015年9月に訪城しました。「ねぎうち」と読みます。千葉氏の重臣で ある高城氏のお城だそうです。常磐線の北小金駅から徒歩です。 元々は6つの郭と馬出からなる城でしたが、国道6号線や宅地化により 現在はお城の1/3しか残っていません。それでも、残った部分は根木内 歴史公園となっています。 公園の入り口(大手道)からいきなり空堀(深さ約4m)に掛かる土橋が 現れます。そして土橋を渡ると土塁(高さ約2m)があり、郭に入ります。 この郭の北側にも、堀底道と土塁(隣の北側の郭のもの)があるのですが、 この北側の郭の内部を眺められるように、土塁上の展望台への階段が設置 されているので、お見逃しなく!
根木内城
その後、堀底道を歩いていくと、堀底の両側に郭と土塁がある空間があり ワクワクしてきます。一旦、城の外の湿地帯に出ると、家族連れがザリガニ 釣りを楽しんでいました。 最後に、空堀の堀底から最初に渡った土橋の 写真を撮って、散策を終えました。 当時よりも面積は縮小されてしまいましたが、それでも良く堀と土橋、土塁 が残っている城でした。
「小金城」 2015年9月に訪城しました。別名を大谷口城とも言うそうです。 根木内城と同じく千葉氏の重臣・高城氏のお城です。流山電鉄の小金城跡駅 または常磐線の北小金駅から徒歩です。 元々は、10以上の郭からなる広大な城だったそうなのですが、その ほとんどは宅地になってしまっています。その中で、今も残っているのは 「達磨口跡」と「大谷口歴史公園」(金杉口跡)の2か所だけです。 まず「達磨口跡」を訪ねました。土塁が両側に残っており、ここが虎口だった のかなという感じでした。 次に「大谷口歴史公園」。こちらには、土塁、畝堀、障子堀の跡、冠木門 (模擬)がありました。畝堀(写真)は、発掘後、軽く埋め戻されたようで 2000年頃のネット上の写真を見るとまだ良く残っているのですが その後、風化したのか、現在ではわずかな凸凹があるのみで残念な状態でした。
小金城
もう一方の障子堀は、発掘調査で約2mもの高さの間仕切りが見つかったよう ですが、完全に埋め戻されてしまったようで、現在は全くわからない状況で 説明板の「発掘時写真」でのみ障子が確認できました。 それでも、当時の畝堀、障子堀を想像しながら楽しめるお城でした。
「臼井城」 2015年1月に訪れました。京成臼井駅から徒歩15分です。本丸と 二の丸からなり、間の堀を土橋で繋いでいます(写真手前が二の丸)。
臼井城
二の丸の周りの深い堀が凄かったです。土塁は、低くなってしまっては いますが、本丸にも二の丸にもあります。本丸からは印旛沼が望めました。 中世城郭ですが、本丸の北側に石垣が残っている所もありました。 近くに、臼井城を攻め討ち死にした太田図書の墓もあり、また、支城の ひとつ、臼井田宿内砦にも行ってみました。
「師戸城」 2015年1月に訪れました。京成臼井駅からバスです。 現在は、印旛沼公園になっています。臼井城の支城で、印旛沼を挟んで 臼井城と向かい合う位置にあります。
師戸城
縄張は、本丸、二の丸、三の丸、道場台からなり、それぞれの間の堀は 深く、土塁も登れない程の高さがあり圧倒されます(写真は本丸と三の丸 の間の堀)。展望台から印旛沼が眺められ、堀底道も楽しめます。
「館山城」(千葉県) 館山駅からバスで5分で、城山公園になっています。 1回目は、1992年に海水浴のついでに訪れました。小さい城だった という印象しかありませんでした。 2回目は、2014年5月に訪れました。天守までは急な坂道で、天守は 丸岡城をモデルにした模擬天守です。中は館山市立博物館分館になって おり、南総里見八犬伝の資料がたくさんありました。見晴らしも良く 館山湾が一望できます。
館山城
その後、博物館本館を見学、また、今回は行かなかったのですが、城山 公園内には、白い孔雀もいる孔雀園があるそうです。 最後に遺構として残っている「鹿島堀」を見に行きました。当初行く予定 なかったのですが、天守の入口に「館山城跡の痕跡を探す地図」なる印刷物 があり、地図を頼りに歩きました。 お土産は、お城の前から日東バスに乗り、道の駅・枇杷倶楽部に行くと 色々あります。(枇杷カレー、枇杷ゼリー、枇杷飲料など)
「関宿城」(千葉県) 2013年10月に訪城しました。川間駅か東武動物公園駅からバスです。 まず、川間駅からのバスで民家に移築されている埋門に行きました。 そこから、関宿城博物館までてくてくと歩きました。
関宿城
模擬天守ではありますが、平成7年に出来た白く美しい天守があります。 中の展示は、川に関するもの。関宿は、利根川と江戸川の分岐点です。 4階の展望室からは富士山とスカイツリーがみえました。 最後に、石碑のある本丸跡、堀跡、関所跡をまわってから帰りました。     (お土産は、お城の前の売店で売ってた関宿城まんじゅう!)
「佐倉城」(千葉県) 2011年6月に訪城しました。京成佐倉駅から徒歩15分です。 現在は佐倉城址公園になっており、天守跡、櫓跡、角馬出し空堀(復元) 出丸跡、土塁等があります。
佐倉城
出丸跡には、ひっそりと移築門が建っていました。 (あまりにも目立たなくて、誰もみにきていなかった・・・) 公園内に国立歴史民俗博物館があるのでそちらにも行ったのですが、 展示量が膨大なので、さっとみただけでも2時間かかりました。

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