1 受験前夜
▼初の司法試験受験は高校2年生
 私、柴田孝之の司法試験受験歴は高校2年生のときにさかのぼります。高校生ですから、おとなしく受験勉強をしたり友達と楽しく遊んでいれば よかったのですが、人と違ったことをしてかっこつけたかったのでしょう。大学受験は通過点だ。自分はその先も視野に入っているんだぜぇ…とい う感じでしょうか。

 また、自分は、大学受験について東大かどうかは別にして法学部に行くことは決めていました(なんとなくつぶしが利くと聞いていたから)し、 法学部に行ったあとは国T司法試験を目指すことも考えていました。ただ、司法試験が難関試験であることは高校生であった私でも分かっていまし た。となると、大学3〜4年で合格ができないと就職か司法試験かということで、どうしようか困る結果になることは明らかでした。

 当時は、司法試験は1月に一次試験が実施され、これに通過すると、5月からの司法試験二次試験の受験ができました。ただ、大学で教養課程を 修了していると、一次試験は免除になったので、一次試験を受ける人はあまりおらず、大学3年で司法試験に初挑戦という受験生が多かったので す。

 しかし、一回でも沢山受験できる回数が多くすれば、危険性が小さくできる。できれば、大学1年生から司法試験の受験ができれば…と考えて、 司法試験一次試験を受験することにしたわけです。

 一次試験には本気で受かりにいったのですが、結果は不合格。

 まず合格だろうと勝手に信じていたので、友人2人を連れて和気藹々と見に行ったのですが、帰りは私も友人2人とも無言になってしまいまし た。今考えると論文式試験の対策を全くしていなかった(過去問の問題を読む程度)ので、これが敗因だったと思われます。ちなみに、合格発表 は、法務局の掲示板にA4の紙、12ポイントの文字で合格者の名前2名が書いてあるだけという、非常に寒いものでした。

 ただ、この経験で、自分にはとても司法試験など合格するわけがない。10年受験して受かるかどうか分からない。これはとても手を出せないな と思って、司法試験に対しては、かなり後ろ向き…というか、あきらめる気持ちになったことを覚えています。

▼東京リーガルマインド入門講座受講
 こうしてLECの入門講座に通い始めました。このときの講師が、現在、伊藤塾で塾長を務める伊藤真氏で、イケメンかつ滑舌がよいしゃべりで 驚いた記憶があります。

 というのは、私は、割がよいアルバイトというと塾講師か家庭教師…と聞いていたので、塾講師としてうまくやっていくべく、高校三年生のとき から教え方、話し方の研究をしていました。そういう目で名古屋の代々木ゼミナール、駿台、河合塾の講義を有名講師を選んで受講していました。 そのときは自分の勉強というだけでなく、人気講師の教え方や内容も研究していました…が、正直、この人はすごい!という人があまりいなかった からです。

 伊藤氏の講義は、顔と滑舌、雑談の内容がおもしろく、話し方がうまいと魅力がありました。勉強法についてのアドバイスもそれなりにためにな りました。

 が、今思うと司法試験との関係では易しいことしか教えてくれない。しかも、その簡単なことの実際のニュアンスがうまく伝わらない内容ではあ りました。そのため、後で試験問題を解く段階になったときに知らないことが次々出てきたり、問題の解き方が分からないというようにして、かな り苦労する羽目になりました。ただ、素人にはそこまで分かりませんから、なかなか司法試験の講師のレベルは高いなあと思っていました。

 ならば、私が、入門講座に皆出席し、最初から最後まで全部聴講して、予習も復習もばっちりだったのか…といえば、そんなことは全くありませ んでした。当時の司法試験一回合格者となると、こういうまじめな人ばかりだったとは思うのですが、少なくとも私は、@予習・復習は一切しな い。勉強は授業に出るのみ。Aコンパがある場合はそちらを優先…というか、飲み会の幹事をするときは、自分ルールでは講義をどうどうと休める と思い、あえて講義の実施日に飲み会をぶつける。Bチェックテストはすべて自主省略(要するに受けないで帰る)C授業中、たまに寝る…とい う、かなりやる気がない受講生でした。試験に合格すると本気では考えていなかったとか、まじめに勉強をするのがかっこわるいと思っていたの か、そういう理由で受講態度だったのだと記憶しています。



▼勉強開始のきっかけ
 司法試験第一次受験からは、大学受験までは1年ですから、そこから大学受験に集中し、無事に入試を終え、東京での大学生としての一人暮らし が始まりました。そこから一念発起し、司法試験の勉強をまじめに始め、友達も作らず、毎日10時間勉強しました…というのはすべてウソです。

 本当は、大学生になったら勉強をしなくてよい。何となく暮らしていれば卒業もできると根拠もなく信じていたため、どうやって大学生じゃなけ ればできない生活ができるかということばかり考えて実行していました。今から考えたら、田舎にいたため偏った情報ばかり頭に入れていて、かな りゆがんだ大学生像が頭にすり込まれていたように思います。

 大学生はサークルに入るものだ!入るのならテニスサークル!!ならいろいろ遊べるはずだ!!!とテニスなど全くしたくもないのにテニスサー クルに入り、でも本当はロックバンドをやりたかったのでバンドサークルに入り、企画サークルもおもしろいなあと、5つもサークルに顔を出して (そのうちなぜか4つが早稲田大学のサークル)、飲み会を1日にはしごなどもやる羽目になっていました。

 しかし、自分の大学からはキャンパスが遠く、またどうも他の学生のノリと合わない自分を感じて、夏にはサークルの数を減らしていき、最後の 1つも1年半でやめてしまいました。大学1年生の終わりには、どうも東京暮らしというのは、思ったよりも楽しいことばかりではないなあと思う ようになり、何となく毎日を暮らすようになっていたときのころです。

 大学の語学のクラスが同じだった、OやMが、東京リーガルマインドの司法試験の勉強をするために渋谷本校まで話を聞きに行くということを聞 きつけました。自分は、司法試験など合格するわけがない。関係がないと思っていましたが、なんとなく司法試験へのあこがれがあって、同級生が 2人も勉強をするということで何となく自分も勉強くらいはしてもよいか…と考え、一緒に説明を聞きに行くことにしました。

 正直、予備校がいくつもあることを知らず、友人が東京リーガルマインドに連れてきてくれたから、自分もというように、何となく流れで東京 リーガルマインドの入門講座に通うようになりました。こういう自分が、どうやって親に受講料を出してくれるように頼んだのか覚えていません し、今思うと、最初はそういう気持ちで勉強を始めたということ自体、親に申し訳なく思います。

 それでも司法へのあこがれがあったのは、自分の父親が、何かあるごとに「(学校の)先生か弁護士になりたかった」と言っていたことが頭にす り込まれていたからのような気がします。今から思うと、学校の先生と弁護士では、仕事の内容が全然違うのですが。でも、弁護士になれば、親か ら子供扱いされなくなるかなとかただぼんやりと考えて司法試験の受験勉強を始めたというわけです。

 まさにダメ受験生、クズ受験生だったわけですが、なぜか私は,今は入門講座だから,みんなそういう気持ちなのだと、勝手に思っていました。 このため、同じ語学のクラスの学生にLECの講義があるからコンパを休む…と言われたとき、正直意味が分かりませんでした。今考えると,僕の 方が意味が分からない態度をしていたわけですが。

 このように,勉強を開始した最初の1年目は,東京リーガルマインドに通って講義を聴くしか勉強をしていません。私は勉強を開始してから合格 まで3年かかりましたが,その理由はこのようにまともに勉強をしていなかったせいなのです。特に,入門講座を聞くことは,法学を学ぶためには もっとも初学者に向いたよい方法です。サボって聴講しなかった分野については,その分野だけ不得意になってしまう可能性もあります。私自身 も,民法の合宿で休んだ回で法人の説明がされ,その部分について意味が分からず苦手意識があったのに,本試験のしかも論文式試験で出題されて しまって焦った経験があります。

 そういうわけで,私のまねをせず,チェックテストを実施してもらえるというのなら,それを目標に授業の復習をきちんとするというように,合 格に必要な能力を身につけられるように有効に使わなければなりません。

 ただし,どうしようもない受講生だったとしても,私なりに頑張ったこともありました。それが,ただかったるいというだけで授業をサボるのは 辞めようということでした。正直,同じクラスの学生も通っていたので,サボるとすぐに分かってしまい恥ずかしいという気持ちもあって,講義は 休まないで通えたというところです。

 休んで,そのまま講義を聴かなければ受講料が無駄になりますし,正直,その程度のことはできて当たり前だ…と思えるのですが,実際は,1年 間の講義であるにも関わらず,かなりの初期の段階で挫折する受講生も少なくありません。

 よく聞くのが復習が追いつかなくなり,復習を優先させて授業に来なくなる…というパターンです。しかし,復習は入門講座が終わってから後で もできます。そのときそのときの局面における事の要否の判断ができることは,できる社会人になり試験に合格するための能力の一つです。何をす るのが,最後までプログラムをこなして目標を達成するのに必要なのかを冷静に判断をしてほしいところです。

 しかし,1月,2月になり,民事訴訟法の授業が始まりました…が,当時の司法試験では,刑事訴訟法と民事訴訟法はどちらかの科目のみ選択し て受験すれば済みました。伊藤氏は民事訴訟法の選択をしていなかったため,授業は,なんと女性の新合格者の担当になりました。新合格者の授業 では,伊藤氏の講義と比べるべくもない内容で,当事者がなぜか熊さんで,板書に熊のイラストが出てくるに至っては「オレは幼稚園児じゃねぇ」 と本気で思いました。

 この講師は後で裁判官になったようで,優秀な人だったようです。しかも,その後に聞いたほかの講義からすればまともな内容だったような気も します。ただ,魅せることに全身全霊を傾けている,伊藤氏と比較される立場にあったため,この人の講義のまともさにはいっこうに気がつきませ んでした。

 ちょうどその時期は大学のテストもあって忙しかったため,これは「いい口実ができた」(?)ということで私は,その講義は後でビデオで聴講 することにしました。その後,ビデオを借りるところまではしましたが,結局,借りたビデオを見ないまま返却期限が来てしまったので,そのまま 民事訴訟法の講義は聴かずじまいでした。

 正直,当時の私は何も知らず,伊藤氏が司法試験とか講師という枠を取り去っても人にアピールする力をつけることを全力で実施している講師だ ということも全く気がつきませんでした。そうではなく,伊藤氏の話が上手なのは,東京リーガルマインドが,大学受験の予備校以上に講師の教育 に力を入れている結果で,他の講師も近いレベルにあると勘違いしていたのです。 このようにして,民事訴訟法の入門講座をすべて省略した結 果,私は最後まで民事訴訟法が苦手になってしまいました。

▼勉強2年目に入ったが… 大学3年生になって,こんどは論文基礎力完成講座という名前の講座の受講を開始しました。入門講座で合格に必要な 知識の9割が教えられる…という触れ込みであった一方,かなりのコマ数が実施される講義でした。テキストに知識のまとめと,問題・解答が載せ られていたので,狙いは論文式試験の答案を書く力を養成することにあったと思われます…が,講義がさっぱり分からず,商法はそれなりに受講を したものの,民事訴訟法の途中で挫折をして,それ以外の講義は受講した記憶がありません。後で聞くところによると,商法の講師は実は合格者で はなく,民事訴訟法の講師(男性)は新合格者だったようです。

 特に民事訴訟法の講義の講師は,ビデオを見ていると,カメラが回っていても関係なく,水を飲んだり,鼻をかんだり,電気を付けたり消したり するためにカメラの前からいなくなるというかなり自由な行動をとっているほか,講義の内容も,何かワンワードのつなぎ合わせで説明が続いてい くのですが,何を言いたいのかさっぱりわからないというかなりの代物でした。

 私は,当時は文京区本郷に住んでいたので,地理的に近い水道橋(地方の在住の人はよく分からない説明で申し訳ありません)で授業を受けてい たのですが,何でも,講義の内容があまりにひどかったので,別の校舎である高田馬場では,もう少しまともな授業を受けさせろ!と署名運動が巻 き起こったという話です。

 私も,ろくに研修も施していない講師に有料の授業を担当させるとは何事か。お金を返せとはいわないが,せめて安価でもう少しまともな講義を 受けさせろと,一言カードに名前も住所も書いて投書をしましたが,何の回答もありませんでした。 商法の講義は,なんとか通えるような内容 だったのですね…と皆さんは思うかも知れませんが,実は,同じ受講生の中にいた美人に会うのが最大の楽しみで受講していただけで,講義そのも のの魅力で何とか通えたわけではなかったように記憶しています。

 このように授業そのものもろくろく受講せず,もちろん予習も復習もせず,他の勉強も何もしない(何をすればよいのか全く検討がつかない) で,9月まで過ぎ去ってしまいました。

 東京リーガルマインドの講義もろくろく行っていないとなると,大学の授業でも行っていたのかというように皆さんは思うかもしれません。しか し,私が通っていた大学は,大学3年生になると授業の聴講に登録は必要がなく,2月の試験に向けて,秋ころ試験を受ける登録をするのみでし た。当然ながら出席をとられることはなく,出席してもしなくても特に不利益はないという状況だったため,授業という授業には全く行きませんで した。

 じゃあ何をしていたのかといえば,中高生を教えるアルバイトをしてその帰りに同僚とカラオケに行ったり飲みに行ったりするとか,自宅で教材 作成でなければ,テレビゲーム朝から晩までやっているという状態で,もうダメ人間まっしぐらという感じでした。

 そもそも勉強をする習慣自体がなくなっていて,机について勉強をすること自体が苦痛になっていたのです。

▼卒業後の進路に迷う こうして授業を聞くだけで何もしないまま,大学3年生の秋が来てしまい,そろそろ進路を考えなければならないと思うよ うになりました。進路を考えるには遅すぎだろ!と今の大学生の皆さんは思うかもしれませんが,当時は,景気が今ほど悪くはなく,就職も厳しく はなかったのです。

 かといって,私は,自分が集団行動ができない人間であったことを自覚していて,会社に入ったら,頭がはげるか胃潰瘍になるかしてつぶれてし まうだろうと思っていました。

 また,もともと私が本当にやりたい仕事は,大学受験予備校の講師でした。できれば大手予備校…河合塾とかで勉強だけを教えて,給料をもらえ れば…とは思っていましたし,また,実際に予備校の講師の講義をみても,勉強法の本を読んでも,どれも不十分…というか,もっと大学合格に役 立つ講義を自分ならできると思っていましたので,できれば教える仕事で良い仕事を追及したいと思っていました。

 それに近い仕事…というわけで,今でいう個人指導塾で,待機時間の時給980円,指導時間の時給2000円で働いていたのですが,それを週 に5回,1日7〜8時間勤務していてかなりの収入も得ていました。

 ただ,就職をせずにこういう生活を続けていくだけというだけでは,親に申し訳が立たない。心配をさせるだろうという気持ちはありました。そ こで,司法試験の受験一本で…ということになれば,親の気持ちも収まるだろうと考えました。というわけで,司法試験の受験生を続けるという道 を,自分がやりたい塾講師生活を続けるための隠れ蓑にするために選んだのです。

 これが本音ですから,親からいつまでも仕送りをもらうわけにはいきません。親と話し合って,大学卒業後2年は,大学院に行ったと思って,仕 送りをもらうが,それ以降はもらわないという約束をしました。

 こういうつもりで自分は司法試験の受験勉強を一応開始することにしたのです。

 以上の次第ですから,私は,このときも司法試験に合格はしないかもしれない。少なくとも合格を目指してがむしゃらに勉強をするなどというこ とは思ってもいませんでした。

 ただ,やるからには一応合格ができる可能性がありえる戦略を採ろうとは思いましたし,また,勉強をするうちに,合格も全くありえないことで はないと考えるようになっていました。

 そして,もしも司法試験に合格したら,「司法試験合格講師」という触れ込みで,やはり大学受験の講師をしようと思っていました(笑)。今で こそ,大学受験の講師に東大出身の講師は珍しくありません(今でしょの先生とか)し,弁護士のタレント化も進んでいます。が,当時は,大学受 験の講師は,有名講師で,東大法学部出身の講師は誰もおらず,まして司法試験合格者などありえない状況でした。

 だからこそ,珍しくて受けるだろう。そうしたら,有名予備校で教壇に立てるかもしれない。そこまで行けば,大学受験に役立つ,他の先生がで きない授業をして業界に一石を投じることができるかもしれないと考えていました。

 なぜ司法試験に合格をしても弁護士にならなかったんですか?という質問をよくお受けします。その理由は、もともと法曹の仕事自体をしたいと は思っていない。司法試験を受験した目的は、講師として成功するための手段に過ぎなかったからだというのがその答えになります。

▲勉強に少しだけ本腰を入れる
 合格は難しいとしても、もしかして合格したら大きいぞ…ということで、ダメもとだと思いながら、少し合格に向けた勉強をすることにした私 は、そこで、また東京リーガルマインドの短答式試験対策の講座を受講することにしました。

 この講座は、短答式試験の合格に必要な知識を講義と、1時間20問の問題演習を組み合わせたものでした。実は私が司法試験の問題の問題演習 をしたのがこの講座が初めてでした。が、そのおかげで試験に合格するのに必要な力というものがおぼろげながら分かるようになって、初めて有益 な講座を受けた♪という認識です。

 問題演習では、過去問とオリジナル問題が組み合わせて出題されるので、予習として出題範囲の過去問を解くことを決めました。初めて問題演習 を受けたときは、20点満点で9点しかとれず、過去問を解いていても難しくてとても時間がかかるので、「こんなものほんとうに解けるようにな るのか」とかなり驚いた記憶があります。このころの司法試験の短答式試験は、むしろ現在の司法試験の短答式試験と傾向が近く、この直後、平成 7年から問題が一気に難化するのに…です。

 それでも砂をかむような思いで過去問を解くことに集中していたら(講義の復習はやはりしません。小学校から授業の復習をしたことがないの で…),徐々に得点が上がっていき,2か月程度で15〜16点が取れるようになりました。柴田さん,すごいですね…と思う人がおられるかもし れませんが,なんてことはありません。単に出題される問題の半分以上が過去問だからというに過ぎません。

 ただ,択一の講座の担当講師(やはり伊藤真氏)が,「だいたい16点ぐらいとれていれば本試験合格」という目安を示していたので,すっかり 私は油断してしまいました。

 「なあ〜んだ。短答式試験って簡単じゃない。心配して損をした」などと思っていました。そして,2月の中旬に,私は友人と一緒に法務省に行 き,司法試験二次試験の願書を提出しました。自分で法務省まで出向いたのは,不備願書で受理がされず,申し込んだつもりが申し込んでいないと いうことになることを防ぐためです。弁護士になってからも,提訴にあたり印紙代がいくらか,原本か写しでよいか…などなど,分からないことが ある場合は直に裁判所に出しに行った方が,迅速に不備への対応ができます。 ただ,司法試験の願書くらいなら,それほど難しいことはないの で,郵送でも十分だと思います。私も2年目は郵送にしました。

 ちなみに,旧司法試験の世界では,自分が受験したい会場にあたるように,願書を出す時期をかなり考えている人もいました。たとえば,当時の 早稲田大学の本部で受験をしたいという場合は,願書受付の初日に法務省に行き、並んで願書を出すなどです。僕の場合は,初年度は早稲田大学の 理工学部,次年度は中央大学の理工学部で受験になりました。

▼敵前逃亡をする
 そうこうするうちに,択一基礎力完成講座が終了した平成6年4月13日,予備校に行く必要がなくなったので,ここから自分がやりたい勉強を 好きにできる環境になりました。予備校に行くのは勉強にはなりますが,勉強が進んで自分の力がついてくればくるほど,講義よりも自分で勉強を した方が効率がよくなってきます。ですから,私としてはやっと解放されたという気持ちでした。

 そこで開始したのは,当時販売されていた,LECの過去の短答式試験の問題を集めた問題集です。それほどの問題の収録数はなかったのです が,短答式試験まで後1月なので手頃な分量だと考えました。

 そして,私は,模擬試験の受験こそ合格の必須アイテムだということは確信していたので,東京リーガルマインド,Wセミナー,辰已法律研究所 (伊藤塾は当時まだありませんでした。伊藤塾が事業を本格的に開始したのが,私が平成7年に論文式試験を受験した後でしたから)の模擬試験を すべて受験しました。各2回分です。

 正直,自信をもって受験をしたのですが…結果はすべて惨敗でした。Wセミナーの第2回の答練では,刑法が20点満点で6点,合計点が31点 でした。ここで,私は司法試験が甘いものじゃないということを,また思い知らされました。ハードルの高さを感じ,油断したところでまたハード ルの高さを知らされるという繰り返しだったわけです。

 正直,択一基礎力完成講座の中の演習で,16点程度は普通に得点できていて,憲法など17〜19点は得点ができていたので,この模擬試験の 結果はショックでした。とはいえ,もし択一基礎完の問題でこのぐらいの得点ができていなければ,模擬試験の点数はもっと低かったでしょう。本 試験合格をしたければ,過去問をほぼ完璧に解けるようにしておくのが十分条件ではないが,必要条件であるということがいえるのでしょう。

 実は,平成6年当時,平成8年から合格枠制という制度の導入が決まっていました。この制度は,論文式試験の合格者については,上位8割程度 の合格者を除く,残りの2割の合格者は,受験年度が初受験から3年以内の受験生の中から(しかし,司法試験の世界では,3という数字が好きで すよね)決めるという制度でした。受験開始の年度が近い合格者のみ優先して試験に合格できるということです。 このため,短答式試験にさえ突 破すれば,受験開始から3年以内の受験生は1500〜2000番程度でも合格の可能性が出てくる制度だと言われていました。

 平成6年は,この合格枠の制度の適用がないのに,平成8年度には,既に受験開始3年目として扱われてしまうという,かなり微妙な年だったの です。正直,合格するわけもない成績で司法試験を受験しても,受験開始のカウントだけされて,無駄になっていまいます。私は,合格するつもり で勉強をしてきたのではありましたが,その年の司法試験を受験するか非常に悩みました。

 そこで,他の受験生はどうしているのかを確認するために合格体験記を読んでみると…少なくとも短答式試験の合格時に,合格推定点に達してい なかった受験生は見当たらなかったのです……。さらに,平成5年度の短答式試験の問題をまだ解いていなかったので,時間を計って解いてみた ら,結果は42点…一般に合格点は8割弱で,47点〜48点と言われていましたから,もう一歩で合格は難しいという得点です。

 これは,もう今年の受験は無駄うち以外の何者でもない…と考えました。そして,受験前10日を切ったその時点で,実家の母親からかかってき た電話で,私はこう言いました。
「う〜ん,オレ今年受験しても短答式試験も通らなそうなのよ。合格枠制もあるし…」
「そう,それなら受けやんでもええよ。受かるわけないんでしょ?」
「うん」
「じゃあ問題ないじゃない」 この会話で,私は,その年の試験に合格ができないことを自ら決定しました。その年は受験せず、敵前逃亡を決め込 むことにしたのです。人に自分のことを指図されるのが嫌な性格である自分にとって,ふさわしい選択だぜ…と,かなりすっきりしました…が,こ こでも司法試験合格のハードルの高さを思い知らされる結果になったのでした。

 受験当日は,受験料を支払い申込みをしないとできないことを…ということで,受験会場までは行きました。試験に役立たせよう…という気持ち はなく,純粋に試験場の雰囲気を体験してみたいと思ったからです。

 自分の試験会場である早稲田大学の理工学部まで行き,教室に行ったら後ろから「おお,柴田じゃないか」と。振り向いたら,願書を一緒に出し に行った語学のクラスの友人Oでした。受験前の一定の時間になると試験開始まで退室が禁止されます。その時間まで,「自分は受験しない」「受 けるの?」「過去問全部は解き終わっていない」など,Oとひとしきり世間話をした後,私は会場を離れました。

 その帰りに,高田馬場駅前に本校があったWセミナーに立ち寄り,パンフレットをもらって帰りました。これは友人のTが答練を受講していると 聞いたので,自分も受講を検討するためでした。いま思うと,私は教材選択から予備校選びまで人任せでした。主体性をもって勉強をした時間があ まりに少ないなあと自分でもあきれます。


▼そして,再起動!?

 平成6年の4月には,短答式試験ぐらいは合格するつもりだったのに結局,受験にすら至らない…前に司法試験はハードルが高い試験だと思い知 らされたのに,油断してやるべきことをせず,結局,また同じことの繰り返し。こういう自分を省みて,私はこのとき自分のことがどうしようもな いバカだと思いました。甘い気持ちは捨て,もうほんとのほんとに本気にならないと私法試験の合格はしないということがよく分かりました。

 短答式試験すら,これです。ましてや,論文式試験の合格などいつのことやら。短答式試験に何度合格しても(短答式試験に10回以上連続で合 格している!という人もいる)、論文式試験に合格しない人もいるのですから。

 しかも,ちょうど,そのころ学部試験の結果も通知されました。結果は,民法2部が不可,刑法2部,民法3部は良(5段階評価の3番目。 ABCDEでいえば,C)という成績でした。

 司法試験は、東大生でもなかなか合格しません。このため私は,司法試験に合格するような優秀な人は,学部試験など全優だと思っていたので, 自分が司法試験に受かるなどいつのことやら…もうだめなんだろうなとまで思いました。その上,私は,大学のゼミに入っていませんでした。合格 体験記を読むと,短期合格をするような優秀な人は,司法試験のサークルに入ったり,ゼミに参加したりということがほとんどでした。そういう勉 強好きな人でなければ,短期合格はしないのだろうと考えました。

 となると,自分にとって無理がない計画として,5年で合格することを目標にすることにしました。そして,もし運良く5年よりも早く合格がで きれば,残りの時間は司法修習に行かないで自分のやりたいこと(=塾講師)をしよう。5年よりもたくさんの時間がかかってしまったら,合格す るまで受験をし,合格したらそのまま修習に行こう。そのまま一生合格しなかったら,アルバイトで生計を立てて、一生を終わろうと決めました。

 その上で,6月から猛勉強しよう…と思い,そのテーマとして選んだのが,論文式試験の答練です。答練を受けるとなると,そこでおかしな点数 を取りたくないから,少しは勉強をするだろうということです。

 また,私は論文式試験の答案を,この時点で一度も書いたことがありませんでした。論文式試験の書き方が分からない上に,短答式試験すら合格 がおぼつかないのに論文式試験の勉強など100年早いと思っていたからです。 ただ,ここで私は,そういう甘えたことを考えていると,ほんと に100年経っても司法試験最終合格はできないと考えました。

 早く合格するには,ある程度難しいところがどういうものか,ゴールが何かを知っておくことは重要だろうとか,論文という高いハードルを目指 して勉強をすれば,短答式試験というハードルが高く感じなくなり,短答式試験合格にも役立つだろうとも思いました。何にしろ,最終合格をする には論文式試験も合格しなければなりません。同じクラスの同級生Tも論文式試験の答練を受けているという情報もありました。

 逆に短答式試験の勉強には飽きてきていたところがあり,1年も短答式試験の勉強だけをするといっても,勉強をする内容が思いつきませんし, 短答式試験の勉強しかしていなければ,憲法・民法・刑法の勉強しかできず,いつまで経っても商法,民事訴訟法,法律選択科目の知識が身につき ません。

 実は,中高生を教えるバイト先にいた,短答式試験に毎年合格している先輩受験生から,短答式試験対策は年明けでよいのではというアドバイス もありましたし,在学中に短答試験に合格した人の体験によると,秋頃から過去問の検討を始めたとのことでした。

 以上の様々な事情から,私は,論文式試験の,それも答練の受講を始めることにしたのです。幸い,答練は,半年分の受講料を支払っても,入門 講座や論文の講座よりも安価でしたので,自分が働いて貯めたバイト代でまかなうことができました。

▼何があっても答練を「受ける」だけはした
 具体的には,Tが受講していた,Wセミナーの「論文講座」という名称の答練を申し込んだのです。他の予備校の答練の受講(辰已「日曜答練」 など)も誘われたのですが,6月から9月にかけて実施される答練のうち,週に2回実施されるのは,当時は論文講座しかありませんでした。数が 多くないと,確実にサボると分かっていたので,自分を少しでも勉強をする方向に追い込むために,論文講座を受講することにしたわけです。

 ついでに自分の生活が夜型なのも,本試験が朝から実施されるのに合わないので,論文講座の受講も朝からのクラスにしました。

 この選択は,今でも正しかったと思っています。

 というのは,私は…暑さものど元を過ぎれば忘れるのたとえどおり,結局私は最小限度の勉強しかしなかったからです。論文講座前には,論証集 を読む、問題集を読む…と決めていたのですが,勉強をやる気が出ず,結局無勉で受験したり,しかもそういうときに限って寝坊をしたりしたから です。だいたい勉強時間は,答練を受けている時間を省くと,1回の答練の予習に0〜6時間程度,復習に1時間程度で,週に多くても14時間程 度でした。

 これで,もしも週に1回しか実施されない答練を受講していたら,勉強量が更に減ってしまうわけですから,とても次の年の最終合格はなかった でしょう。 無勉で答練…といいましたが,そういう私もぎりぎり踏みとどまったのが,答練そのものをサボってしまうことはしなかったというこ とです。答練そのものをサボったら、ほんとうに何もしていないことになりますから,それで合格などありえるわけがありません。

 合格する力をつけるよりも,単に答練に通う方が易しいわけですから,それぐらいできずに合格する力をつけられるわけがない。当時も,そのく らいのことは思ったので,無勉でも遅刻をしても受講はしていました。もちろんさっぱり分からないのですが,それでも無理矢理思いつくことを答 案に書くようにしました。もちろん,得点は全く伸びません。

 それでも,無理矢理受講をして2つの良いことはありました。一つは,その問題が分からず,悩んで答案を書いた後だと復習がとてもはかどりま す。分からないことが悔しい気持ちはあるので,解答例が載せられたレジュメをみて何を書けばよかったかをむさぼるように読み込み,そのために 力がつくのです。

 もう一つは……分からない問題だらけであったため,本試験で見たことがない問題が出題されても,そのような経験自体が普通だったため,特に 動揺することなく平静心で受験ができたことです(笑)。平成7年は,短答も論文も,かなり成績がよい受験生すら,受験後,「もうダメだ」「ダ メだこりゃ」との感想を抱いた人が多く,イレギュラーな出題が多かった年です。

 そのような状況で,問題が比較的難しいのか簡単なのかも分からない状況だった自分は(あえていうと,どんな問題も全部難しいのですが),か なり精神面で有利だったかもしれません。何しろ,記憶に頼って論述をするという習慣がないので,本試験でも分からないものには,自分の知って いる断片的な知識を使いながら,これを独自の考え方で組み合わせて答案を書きました。本試験問題は,もともとそういうふうに書くしかなかった ものですから,答練で良い点を取っていても,「その場で考えて問題を解く」ことに慣れていない受験生よりも,自分は有利な立場にあったように 思います。

 ただ,こういう方式がなんとかなるのも,憲法・民法・刑法は短答式試験の貯金があるからという面がありました。無勉で受験…でも,一行も書 くことが思いつかないということはなかったわけです。

 しかし,商法以下…とくに民事訴訟法は入門講座すら受講していないので,ほんとうに答案に書くべきことが一行も思いつかないことがありまし た。こういう場合は…やむを得ないので,カンニングして受験しました。具体的には,かつてWセミナーには本屋さんに負けない…それ以上の書籍 が販売されていました。受験中に会場を抜け出して,本屋さんで分からないことを調べ,受験会場に戻って答案にその知識を生かすよ うにしていました。

 さもなければ,何もしないで座っているほかなく,苦肉の策ではありました。

 また,遅刻したときでも,何とか「以上」まで答案を書いて提出することは心がけました。遅刻したとき,受講票を提示することで,事務局で問 題と答えをもらうことができます。これを歩いたり,エレベーターに載ったり,トイレに行ったしたときに問題を読み,会場で席に座ったら,直ち に答案構成を始めるという方式で時間を短縮するようにしていました。

 受験した年の1月には風邪を引いて鼻水が止まりませんでしたが,会場にトイレットペーパーを持ち込んで、流れる鼻水を拭きながら受験し,3 月には,神経性胃炎で胃カメラを飲み,おかゆとか流動食しか食べられなくなった状態でも受験をしました。

 もちろん,このようなコンディションで受講した答案の成績はよくなく,初めて答案を書いた憲法でも,不合格を決定づける答案(当時は,25 点が上位10〜20パーセントで合格点,22点以下が下位10パーセントの成績)を書いたことはなかったのですが,1月に実施された民法の不 法行為の答案では,22点以下の答案を連発しました(2回中2通)。

▼大学卒業に向けて
 受験した年である平成7年は,私の大学卒業の年でした。正確には,2月に実施される学部試験の結果により,3月卒業があるかどうかが決まり ます。ですから,試験であえて必要単位が揃わなければ留年となるし,必要な単位が揃ってしまえば卒業になります。 この時点で,私は一切就職 活動はしていませんし,する気もありません。この状況で,卒業して受験を続けるか,卒業せずに留年して受験を続けるかという,ちょっとした選 択をしなければなりませんでした。

 私は,実家の経済事情で授業料は免除でした。平成6年までは留年しても授業料は免除されていましたが,平成7年以降は,その制度が廃止され ました。卒業しないと,大学の授業料が余分にかかることになります。卒業すれば授業料はかかりません。 また,そのときはあまり思いませんで したが,自由に勉強ができる時間が増えます。

 私はほとんど授業には行っていませんでしたが,学部試験の際にはどうしても勉強をしなければならず,司法試験試験の勉強に追い込みをかける 必要がある2月に時間を取られるのはありの負担です。平成7年も大学の学部試験の勉強には,必要最小限度の時間しか割きませんでしたが,それ でも司法試験の勉強をする時間がかなり削られました。

 留年の年に,残っている単位はあまりない状態にしておけば学部試験に割く勉強時間そのものは少なくて済みますが,科目登録がいつなのか,受 験する科目のノートの確保など,いろいろ情報収集のアンテナを張っておかなければならないのが煩わしいものです。

 一方,卒業してしまえば,@定期券購入に学割が使えない,A無職になってしまう→身分証明書もなく職務質問をされたときに困ってしまう(当 時は,住民基本台帳カードはありませんでした)。B新卒ではなくなり,就職でかなり不利になるなどのデメリットがあります。ただ,私個人とし ては,@は痛いと思いましたが,授業料がゼロになるのだから,仕方がありません。Aも痛いですが我慢できる範囲です。

 Bについてはもともと就職するつもりはありませんでしたから,私にはデメリットになりません。私の親戚には,大学を多浪するとか,定職につ いていないいとこがたくさんいました。多少の心配はありましたが,定職についていなくても何とかなるもんだという例を見ているせいで,そこま での不安はありませんでした。 そもそも,司法試験に合格のに自分は5年はかけるつもりでした。こういう計画を前提にすれば,少々留年したと ころで,あまり関係がありません。

 そこで,私は,受験したすべての科目につき単位を取得してはじめて,卒業に必要な単位が満たされるぎりぎりの数の試験だけを受けることにし ました。万が一不可がついたら,留年ですが,それはそれでメリットはあると。ただし,私の通っていた大学は,試験の受験の前に卒業見込みを申 し出る書類を提出することになっており,これを提出したものはよほどのことがない限り,どの科目でも不可はつかないと聞いていました。

 私が通っていた大学の法学部はかなり留年率が高く,平成7年も,当時の入学者670人に対し,310人程度の留年者が出ました。大学も,学 生があまりに留年をして管理の費用がかかって仕方がないので卒業させたがっているという噂もありました。

 以上の事情から,ほぼ確実に自分は卒業はするんだろうなと思っていました。


▼短答式試験答練も並行して受講開始。
 話を少し戻して,平成7年1月ころには,短答式試験の勉強も真剣に考えなければならない時期に来ました。前年のような失敗はもう許されませ ん。まだ親から生活費の援助は受けていましたから,敵前逃亡が許されないのは当然,最低でも短答式試験に合格をしないと,「ほんとうに勉強し ているの?」と疑われても仕方がないといえるでしょう。短答式試験に合格さえすれば,論文式試験は何度受験しても受からない人がたくさんいた 状況からみて,しばらく東京でぶらぶらしていても何も言われないような時間が稼げます。

 そこで,短答式試験絶対合格を目指して,短答式試験対策の答練の受験も開始しました。これは,@自分の能力と合格に必要な能力との差を確認 すると同時に,A本試験になるべく近い状況をたくさん経験することで合格に必要な能力を満弁なくつけること,そして,B毎回本試験のつもりで 受験をするので,答練を目指して必死に予習をする状況に自分を追い込むことで怠けずたくさん勉強をすることを狙ったものでした。

 論文式試験の答練は3月まで実施されていましたから,この時期は,週2回の論文式試験の答練,週1回の短答式試験の答練,2月の学部試験の 勉強,週1回の法政大学の友人との法律ゼミ(私が問題を出題して,解説をするという高飛車なもの),週5日のアルバイト(やめろよ……)とス ケジュールが過密に過ぎ,大変でした。

 参考までにこのころの勉強時間(ゼミを実施していたり,答練を受けている時間を除く,純粋に机に座って勉強をする時間)は,5〜6時間程度 でした。アルバイトを短答式試験受験の1週間前まで続けていましたので,勉強時間そのものは,短答式試験の受験1週間前までは変わらないこと になります。

 正直,ほかの受験生は,それこそ毎日10時間は勉強をしているだろう。開いた時間しか使わないで勉強をしているのは自分くらいだろうとは 思っていましたが,まあ,ゆっくりやるさ…とのんびり構えていました。

 短答式試験の成績は,芳しくはありませんでした。1月に受験した実力診断模試はかなりの得点をとり,順位も悪くありませんでした。しかし, 中途で問題の難易度が急に上がってからは,どんなに頑張っても42点〜43点と合格推定点(問題の難易度により45〜47点と変動)まであと 少しという得点でした。しかし,この後残り数点がなかなか得点ができません。正直,勉強時間が少ないので,何度受験してもこの差が埋まらない ことは仕方がないとは思っていました。が,オレはいつ最終合格をするのだろう…と思ったとき,不安がなかったといえばウソになります。

 4月に入ると,論文式試験の答練が終了し,短答式試験の勉強に集中することになります。

 1月〜3月は短答式試験の勉強として,短答模試のある日とその前日に問題を解いていましたが,だいたいだ1日40問から始まり,徐々にこな せる問題の量が増えて80問くらいになっていました(勉強時間5〜6時間のほか,アルバイトの合間や電車の中で10〜20問は解いてこの 数)。

 4月には,短答式試験の対策に集中できるようになり,毎日短答式試験の問題を解くようになりました。目標は1日100問,できるときは 120問,本試験直前で1日勉強ができるときは150問以上の問題を解いていました。

 ものすごい数だ!とみなさん思われるかもしれませんが,予備試験本番でも5時間半で100問近くの問題を解くことになります。勉強が進んで くると,100問近くを解くのに本来の制限時間の3分の2ぐらいで済むようになりますし(刑事系・公法系ならそれぞれ40分で解き終わる), 答え合わせにあまり時間がかからなくなります。このころの旧司法試験の問題は,平成7年以降とは異なり,現在の予備試験の問題に近い素直な出 題でした。よって,1日100問という数字は,勉強時間が6時間+αでも十分に達成ができたのです。


 そして,1年振りの短答式試験の模擬試験です。私は択一の答練ではWセミナーを選んでいました。当時のWセミナーの択一の答練には,受験会 場として明治大学が選べました。大学が会場になる本試験に近いということで,これ自体が勉強になったと感じたので,模擬試験も,受験会場が大 学であるWセミナーと辰已法律研究所主催の短答式模試を受験しました(それぞれ2回ずつ実施)。

 結果は……辰已第1回45点(合格推定点47点)辰已第2回47点(合格推定点47点)Wセミナー第1回45点(合格推定点45点)Wセミ ナー第1回47点(合格推定点47点)。

 結果として,ぎりぎりではありますが,4回の受験中,3回合格推定点に達しました。本試験レベルの問題が出題されるようになって,答練・模 擬試験で合格推定点に達したのは,今回が初めてでした。

 正直,最終合格をする受験生は,楽々と50点オーバーの得点をする人ばかりなので,別に驚くような得点ではありません…が,私は前年から比 べ大躍進をしたこと,さらに,短答式試験合格で十分と思っていたため,非常に気をよくしました。「なあんだ。勉強時間がここまで少ないのに, オレってやるじゃん。まぁ今年は択一だけは受かるな」。解かないでいた平成6年度の過去問も時間を計って解いてみたら,52点に達し,ますま す合格を確信する気持ちが強くなりました(しかし,実は,平成6年度の短答式試験は司法試験史上屈指の易しさで,合格点が50点との噂もある ことは,その当時は知りませんでした…)。


▼いよいよ,短答式試験本番
  最後にラストスパートで,平成6年以外の過去問を解き直し,短答式試験の本試験の日を迎えました。その年の私の受験会場は,後楽園にある 中央大学理工学部の校舎でした。私は,当時,東大正門付近のマンションに住んでいたので,会場は自転車で行けるほどの近さで,おぼろげながら 場所は知っていましたが,念のため下見も済ませておきました。

 当日の私の所持品ですが,財布(お金とキャッシュカード等入り),受験票,筆記用具(鉛筆,鉛筆削り,消しゴム),移動時間で少しでも勉強 をしたい人はその素材です。

 このうち,一番重要なのは財布です。受験票すら,会場で仮発行が受けられる可能性があるし,当日のことですから,勉強道具はなくても大した ダメージではありません。筆記用具はコンビニで買えばよい…ということで,忘れてしまうと会場付近での調達が難しいのが,お金だからです。

 筆記用具として,マーカーを持っていくこともできます。実は,僕が受験生のころは試験でのマーカー使用は禁止されていたのですが,私が合格 して数年後にマーカーの使用が認められるようになったという経緯もあります。ちなみに,司法修習での起案も,かつては記録(問題の題材として 証拠や主張書面など裁判手続文書をまとめたもの)にマーカーを引くことは許されていませんでしたが,今は可能になっていることと事情が似てい ます。ちなみに,修習中に見ることができる,実際に裁判に使う記録には,マーカーは絶対にひいてはいけません。特に刑事事件の証拠は代替が効 かないものが多く,書き込みは絶対禁止です。

 また,筆記用具として鉛筆が指定されています。私は,シャープペンシルで受験をしました。受験票ではシャープペンシルで受験をしてもよいと は書いていなかったので,シャープペンシルを用いると不正行為と思われるのではないかと,どきどきしました。

 私がシャープペンシルを用いたのは,問題を検討するにあたり,かなり問題文に書き込みをするので,鉛筆だと問題用紙が真っ黒になるし,鉛筆 を削る時間も節約したいとも思ったからです。

 ただ,私もマークシートをマークするには,太く濃くマークをするのが容易なので,鉛筆を使っていました。現在,法務省のホームページを見る と,シャープペンシルは使用禁止となっています。これは,私の想像どおりだったのですが,シャープペンシルによるマークでは,機械がマーク シートをきちんと読み取ることができない可能性があるからだと明記してあります。となると問題の検討にシャープペンシルを用いるのは差し支え ないことになります。

 当時の短答式試験は,3科目3時間半の試験時間で,午後1時30分に試験が開始されていました。私は,当日は7時に起きて,勉強をしまし た。ただ,勉強をしすぎると頭も体も疲れます。ただ,全く勉強をしないと,試験問題を解き始めの最初に頭が十分に働かない可能性もあります。 いわばウォーミングアップとして,軽く勉強をするようにしたわけです。ポイント・試験開始前には,頭が疲れない程度に,法律の知識を使って頭 を働かせておく。

▼そして,試験開始…
 会場につくと,受験生がわらわらいます。ものすごい数です。会場の敷地に入る門で受験票を見せて敷地に入ると,受験番号○○番〜××番まで はどこそこの教室…というような指示があります。あぁ,模擬試験と雰囲気は変わらないなあと思いながら,教室に向かいましたが,まだ入室が許 可されていませんでした。やむを得ないので,建物の外の庭の適当な場所に腰を下ろして人間ウォッチングをしていました。誰かと会話をしている 人,何かを一生懸命見ている人と様々です。

 入室が許され,指定された席に着くと,「試験の注意事項の説明が開始されると,試験開始までトイレにも行けなくなるから,いまのうちに行っ ておきなさい」という指示が入ります。そのまま会場で待っていると,試験についての注意事項の説明が始まります。

 さらに,成績通知用の封筒が配られ,住所と氏名,受験番号を書き込みます。緊張のあまりか,封筒に書き損じをしている人がいましたが,申し 出れば職員の人が親切に対応してくれていました。みなさんも,実際の試験で,試験会場で困ったことがあったときは,試験監督や職員の人にダメ 元で何でも言ってみましょう。

 やがて,問題と答案用紙(マークシート用紙・現在の司法試験や予備試験では実物のPDFが法務省のホームページで公開されています)が配布 されます。問題は,袋とじになっています。当時は,問題の持ち帰りができませんでした。受験回数との関係で,受験したかどうかは,この問題の 袋とじが破れているかどうかで判断したという話があります。

 問題が袋とじになっていることなどは,予備校の答練でもシミュレートされています…が,私が受験したとき,模擬試験と本試験が違うな…と 思ったのが紙の質です。問題文が再生紙を使っているからか,何だか色が悪く,マークシートが薄くてぺらぺらでした。

 模擬試験でも本試験でも通じて,マークシートの使用上の注意で,折り曲げに注意ということが言われました。模擬試験では,マークシートの折 り曲げなど故意にしなければ起きないと思っていましたが,本試験のマークシートはあまりにぺらぺら過ぎて,気がついたら机の角で折れ曲がるほ どでした。私も,折れた跡がつきかなり焦りました。折り曲げがあると,機械がマークを読み取ることが難しくなるようです。こんなつまらないこ とで不合格になったらたまりません(マークの読み取りミスについては,採点運営者がかなり気をつけてくれているとは思うのですが)。


▼試験中の注意点
 説明の終了後,試験開始時刻までそのまま席で待ち,時間になったら試験開始の合図があります。試験実施中に私が気をつけたことは次のとおり です。

@解答計画を立てて,計画がきちんと守られているかを厳しく確認する
 私は,1問3分,5問15分,20問1時間といくつかのチェックポイントを設け,時間内に問題が解き終わるペースが守れているかを常に確認 していました。当時は,1科目あたり1時間10分でしたので,設けたチェックポイントは少し余裕があるものだと理解してください。

 予備試験の民事系ならば,1問1〜1分半,10分で6〜7問,20分で13〜14問を目標にして,時間が遅れ気味でも最終的に15問を25 分で解くという感じでしょうか。

 次の目標は,3問,できれば4問を5分で解くよう頑張り,さらに,50分までに30問を解き終わるように頑張るというものになります。時間 がかかりそうな問題はとりあえず正解と思われるものにマークをして先に進みましょう。

 このペースなら最後に15分は時間があまりますから,その分,難しい問題,分からない問題は飛ばすなり,最後に残った時間で処理をするので す。

 早いペースで,とりあえず解ける問題を解いてしまうようにして時間をあまらせるようにすれば,その時間で不安が残る問題をしっかり解けま す。不安が残る問題が解けないよりも,十分解ける問題を時間切れのせいで落としてしまう方が試験合格という意味ではダメージが大きいというこ とを肝に銘じたいところです。

 意地になって1問に時間をかけすぎてしまわないように,1問を解くにあたってかける時間の最大値も決めておきましょう。予備試験の民事系な らば,2分以上は絶対にかけないようにすることです。迷う問題,難しい問題には少々時間をかけても解決はしません。一番怖いのは,ある程度時 間をかけたことがもったいない…と思って,もう少しだけ,もう少しだけ…と思っているうちに,どんどん時間を消費してしまうことです。

 負けをなんとか取り返そう。ここで辞めたらなくしたお金は単なる無駄になってしまう…という投資にはまってしまう人の心理と似ていますが, 投資も試験も損きりが重要です。

 もしもペース配分にずれが生じた場合は,放置して手遅れになる前に,計画を立て直して時間切れになることを防ぎましょう。1問1分半のペー スをできる限り守る。難しい問題も2分ではなくて1分半で見限って,とりあえずマークをしてから次に進むようにすれば,ある程度の時間は取り 戻せるはずです。そうして,45問を1時間15分〜20分で解き終わるようにがんばります。

 10分あまれば,理論的には5問は見直せます。15分あまればもっとです。となると,1科目について,2問はマークせず飛ばしてもよいとい うことになるでしょう。

 話が複雑になってきましたが,要するにかなり時間を余らせるつもりで問題を解いていって,時間切れになることを防ごうということです。その ためには,もう最初の1問を解くときから,後で時間に余裕を持つべく全力で解いていくということです。 ちなみに,このような時間管理は,司 法試験の合格者でもできない人が多いようです。私は,時間管理を厳しくする癖を付けてきたため,講義なら時間切れにならず説明したいこと全部 の説明をするとか,二回試験で時間切れにならずきちんと問題を解くということができたということがあったので,よかったと思います。

A問題文や選択肢,与えられた記述に書き込みを施し,自分にとって読みやすいように改造する。
 正しいものを選ぶのか,誤っているものを選ぶのかという点を逆にするだけで,その問題の得点はなくなります。こういうミスをケアレスミスだ といって重視をしない人がいますが,十分に力があれば,読み間違えはないはずです。問題文の単純な読み間違えも,実は力が足りないせいで起き る本質的なミスです。しかし,ちょっとの注意で防げるミスでもありますから,まずは問題文の指示にチェックをするくせをつけるところから始め ましょう。

 このほか,短答式試験の問題の解き方で説明したように,肢にはどこで迷ったのか,どこを根拠に間違いだと判断したのかを書き込んでおきま す。刑事系の問題で出題される空欄埋めタイプの問題なら,すべての空欄に選んだ後を書き入れる…というのは時間がもったいないので,自分が肢 を切る根拠になった空欄など重要な部分だけにメモをしておきます。このように書き込みをして自分の思考過程を明確にすることが,考えを整理し て,順序立てて正解を考えるのに役立ちますし,後で時間が余ったときに,効率よく見直すのにも役立ちます。

B中途半端に見直さない
 問題を解いているうちに,よく分からないまま適当にマークをして,先に問題を解き進んだけれども,どうも飛ばした問題が気になる。気になっ て仕方がない。そうして,ほんのちょっとだけ…と,問題を最後まで解き終わらないで中途半端な段階で前に解いた問題の見直しをする…という行 動をしてしまう人がいます。しかし,こういう行動はそのまま時間不足による,後半の問題の検討不十分という事態につながります。

 男も女も受験生はあきらめが肝心。下手に気にすると,結局のところ見直した問題も,検討不足にになった後の問題もすべて間違える結果になり かねない…と思った方がよいでしょう。

 私は,以上のルールに従って,試験開始から2時間後には,憲法・民法を終わらせていました。模擬試験の時に比べると変な問題が多いとは感じ たのですが,問題が難しくてよく分からないという経験は珍しくなかったので気にしないことにして,先に進めました。


▼不合格確信…
 さすがに,1時間半あれば,最後まで問題なく解き終わるだろう…と思ってしまいました。そこで,厳しい時間管理を怠ってじっくり問題を解い てみると…最初の10問はさほどでもないのですが,どんどん後ろに行くほど難しい問題がならんでいます。

 ラスト15分で,最後の数問が個数問題であるとか,空欄が1問について20個あるような問題であるとか,作業量が半端ではない問題ばかりな のが分かって,久しぶりに試験中に頭の中が真っ白になって何も考えられなくなりました。高校の数学の期末テスト以来の経験です。結局,時間不 足になって,ラスト5分で3問を解きました。

 一応,全問にマークはしましたが,えいやっとマークをして、後から見直したい問題がたくさんありました。でも,もう残り時間はなく,そのま ま強制的に終了になりました。 私は,半ば,不合格を確信しました。

 帰りに,会場の外で,打ちのめされてぼーと立ち止まっていると,他の受験生の話が聞こえてきました。
「あのさ,なんか難しくなかった?」
「そうだよね…あ,そうそう。試験の始まる前に,オレの隣にいた受験生が話しかけてきてさあ。去年の択一は55点だったとかなんとか言ってい るんだよ」
「それで?」
「それがさぁ,そいつ試験が始まったら,頭をかかえてうんうんうなってたんだよね」 
………どんなに受験年数が延びても,こんな受験生にだけはならないようにしよう…と,思いました。

 家に着いた後,こんな結果だったことについて,誰かに言いたいけれども話を聞いてくれそうな人がいないので…結局,報告という形で親に電話 をしました。「ごめん。たぶんだめだよ…」。

 試験からしばらく時間が経ち(10〜2週間ほど),大学生協の書店に立ち寄ってみると,法学書院の短答式試験の再現と解答速報が発売されて いました。早速購入して,自分の記憶と照らし合わせて採点をしてみました。

 当時は,問題の持ち帰りができなかったので,どの答えにマークをしたのかよく覚えていませんでした。そこで,あやふやなものは全部×にする という方針で採点をしたら,憲法は9点…予想通りとはいえ,ショックで勉強をする気がしませんでした。

 正直,余裕をかましてバイトなどしていないで,もっと勉強をすればよかった…とは思いましたが,終わったことは仕方がありません。来年の勉 強に備えて授業料や生活費を稼ぐためにバイトをめいっぱい週6入れました(……)。

 ただ,ここで最終合格のためには,全く勉強しないのもよくないだろうと思い,LECの講座に比べるとかなり安価だと思い,購入しておきなが ら全く聞いていなかったWセミナーの通信教材を聞いてみました。

 担当講師は,今は亡き,森圭司講師…基本書を読み込んで合格しましょうという内容でした。勉強の話は,基本書中の問題を解くのに役立ちそう な部分を指摘するだけで,あとはすべて雑談のように思えました。かなり頭のいい人だろうとは思いましたが、反面自分にはとてもまねができない なあとも感じながらも,雑談はおもしろかったので,受講料は安価でしたし,払ったお金だけの価値はあったのかなと納得はしました。


▼なぜか短答式試験合格
 そして,短答式試験の合格発表当日…もちろん私は自分とは関係がない日だと思っていたので,合格発表を見に行くこともなく,アルバイト先で 生徒を指導していました。そうしたら,友人のOがやってきて,「柴田,お前受かってたぞ」

 私は,かなり驚きました…というかホント?という気持ちになりましたが,かなりほっとした気持ちになりました。正直大学の成績もよくなく, 模擬試験の成績ももう一歩で,全然勉強をしていないと思われても仕方がない(というか,実際ほかの合格者よりはしていないのですが)ところで したから,これで後ろめたい気持ちをすることなく,司法試験の受験生として生活ができるからです。少なくとも,あと3年は論文式試験に合格し なくても,大目にみてもらえるだろうと。

 これは後日談ですが,実は平成7年はまれに見る難易度で合格点が60点中40点と言われています。東大の成績優秀者で,模擬試験で59点を 取っていた人も,受験の直後に青くなっていたぐらいです。

 それでも合格できたのが,当時出版されていたWセミナーの短答対策の問題集ですが,これが,Wセミナーの模試以上にもっと難しい問題が掲載 されていました。今から思うと,難しすぎて、平成6年までの短答式試験当時の傾向に沿った対策ができないので,受験生は敬遠をしていたのでは ないかと思うのですが,私はそういう,傾向に沿った勉強をすることもなく,愚直に難しい問題を解けるような勉強をしていました。このことで, 事務処理能力がついたのでしょう。また,できない,分からないのが日常茶飯事なので,本試験の問題が難しいものでも,いつものことだ…とあま り精神的な動揺をせずに済んだことも勝因だったのだと思います。

 当時は,司法試験の結果についての成績は,ABCDEFGのランクでだいたいの成績が開示されるだけでした。しかも論文式試験の合格者には 成績が開示されなかったので,長らく自分の成績を知りませんでした…が,情報公開法や個人情報保護法が制定され,情報開示の手続が整備された 結果,私も自分の成績を照会し,回答を得ることができるようになりました。

 結果は,憲法15点(A),民法16点(A),刑法17点(A)で,総合順位が355位でした。模擬試験は母集団がせいぜい9000人程度 で,司法試験本番の平成7年の実績で24488人の受験生よりもずっと受験者が少ないのですが,私は,模擬試験では一度も500位以内の成績 を取ったことがありませんでした。本試験だけずば抜けて成績がよかったというのも不思議なものです。


4 最終合格に向けて…論文式試験合格・最終合格への軌跡
▼論文対策に予想答練を受け始める
 最近の司法試験の短答式試験は7割弱の受験生が合格する試験です。しかし,当時の旧司法試験の短答式試験は,平成7年度で,1割9分8厘… とほぼ2割という,予備試験と同様の試験でした。また,旧司法試験は,短答式試験10年連続合格…のような強者がいるので,そういう人を押し のけて合格をしなければならないところは,旧司法試験の厳しいところでした。

 私は,このような短答式試験に合格した以上,その年に上げた成果としては十分と思っていました。正直,受験後,不合格決定と思っていた短答 式試験に合格した…首の皮一枚でつながったと思っていたぐらいなので,論文式試験の合格などありえるわけがないと思っていました。草野球選手 なのに,まぐれで良いプレーができたおかげで,プロ野球の一軍でちょっとプレーさせててもらえる…そういう気持ちでした。

 つまり,論文式試験を受けられるだけで幸せと思いましたが,せっかく受験ができるのですから,ベストは尽くそうと思いました。短答式試験の 合格でとてもうれしい気持ちだったので,やる気だけはありました。

 当時は短答式試験の合格発表が5月末でしたから,すぐに論文対策講座としてどんなものがあるかを調べてみたところ,辰已法律研究所が実施す る答練がもっとも実施回数が多かった(商法・民訴・刑訴・法律選択の実施回数が,他の予備校のものより1回ずつ多い)ので,これを受講するこ とに決めました。平成6年ころまでは辰已法律研究所は大久保にあったのですが,私が行き慣れた高田馬場に移転してきたことも大きかったです。

 答練は日曜日を除く毎日実施されたので,予備校も発生する大量の答案を処理するのがかなり大変だったはずです。現にWセミナーがたまに答案 の返却が遅れることがありました(むしろそれが常態)。今思うと,論文本試験受験者対象の答練にエネルギーを割いていただけなのかもしれませ んが,辰已法律研究所の答練は答案がちゃんと返却期日に返ってくるのは驚くべきことで,かつ助かりました。

 すぐにお金を用意し,申し込みに行ったところ,その日に商法の第1回の答練が実施され,これを受験しないと会場受験できないことが判明…申 し込んだ後で勉強をするつもりだったので,その時点では予習を一秒もしていません。どうしようかと思いましたが,「勉強するぞ,勉強するぞ, 勉強するぞ,勉強するぞ,徹底的な勉強をするぞ,ハードな勉強をするぞ」とぶつぶつ言って自分に言い聞かせると,不思議とやる気がわき起こっ てきて,えいやっとその日に受験をすることにしました。

 焦って受験をしたので,これまで一度もやったことがない答案取り違えをやってしまいました…第2問の解答用紙に,第1問の答えを書いてしま うというものです。ただ,ここで取り違えをやったからこそ,本試験で答案取り違えをしないよう注意をするようになったし,取り違えをしないよ うな工夫を事前に考える機会があったので,そのことはよかったと思います。このように答練を受けると合格に役立つのは,本試験でするかもしれ ない失敗を事前にあぶり出しておいて,失敗しないように備えられるところです。

 その日から,朝は7時に起きて食事と歯磨き→答練を受講→終了後,そのままアルバイトに直行(!)→家に帰ってから復習+午後1時就寝…と いうスケジュールが始まったのです。

 この期に及んでアルバイトは週に6日行っているのですが,友達も信頼してくれる生徒もいて,しかも自分のやりたい仕事そのものでしたから辞 められませんでした。正直,その年合格しなければならないという追い込まれた気持ちもがなかったこともあります。

 結局、答練を受けている間は,予習らしい予習をせず,答練を受けることになりました。ただし,復習はしっかりやりました。具体的には,その 日に受験した問題の答えをA4,1枚,40×40文字の範囲に収まるような要約を作ることです。

 問題文と要約を入れ,論証は□で囲み,キーワードは太字にしました。もともとは,試験直前に自分が解いた問題の見直しをするのに役立つもの を作ろうと思って始めたのですが(1枚にまとめるのも,見直しを早く済ませるため),実際は,この要約を作るのに,意味を変えないで短く文章 を書く練習ができましたし,一度入力した文字に装飾を施すことで,細かいところまで文章をしっかりと目が行き届きました。

 ただ,この方式はワープロを使い慣れていないとかなりの手間がかかります。実際,私も,最初は要約を作っていたのですが,途中から時間がな くなってきて,問題文と解答例をただ入力し,太字・□で囲むなどの装飾を施すだけで済ませることもありました。ノート作りと同じで,時間がか かりすぎるのなら,無理をする必要はないでしょう。

 答練の成績は…さんざんでした。特に商法・訴訟法・法律選択は昨年12月以来全く根強をしていないのに,予習をしていないのだから当然なの ですが…法律選択科目(私は破産法…倒産法の一部)に至っては,12月の答練も実は全部受けていませんでしたから,なおさらです。

 ただし,全くだめな答案ばかりだったかといえばそうではありません。憲法,民法,刑法については,上位10パーセントの答案がかなり書けま したし,まれに上位5パーセント以上の答案も書けました。特別に論文の勉強も予習もしていないのですが,この理由は短答式試験の受験で,憲 法・民法・刑法の3科目の知識が極めて正確になったからだと思われます。ただ,当時は,それほど勉強をしていないのに良い成績が取れるのは, 何かの間違えだろう。添削者が手を抜いているのではないかとか、直前の時期にはよほどのひどい(私の商法や訴訟のような)答案だけ…と思い, このときはそれほど信用をしていませんでした。ただ、実際は最終合格をしたわけですから、採点は信用ができたのかもしれません。


▼公開模試の受講→合格を確信(ただし来年の以降の)
 そして,公開模試です。論文の公開模試は,全科目につき,本試験と全く同じスケジュールで実施されます。私は,Wセミナーの模擬試験を2回 受験しました。

 私は、前年度の12月に、破産法の答案を1日4通書いてみました。が、3通目あたりで、上腕の筋肉が軽くけいれんをしてきて驚きました。私 の場合は、体の鍛え方が足りなかったのかもしれません。たくさんの答案を書くと意外な弱点が見えてくるかもしれません。

 1日に6問分の答案を書くというハードなスケジュールを乗り切るには,やはり同じような経験はしておいた方がよいので,公開模試は必ず受け るべきでしょう。

 第1回の公開模試模擬試験が返却されました。苦手の民事訴訟法の成績は…2通とも不合格決定答案で、下位10番以内に入っています!「やば い…いくらなんでもやばすぎる!!!!!」 そこで、第2回の公開模試までの1週間は、さすがにアルバイトを休みました。その1週間は、民事 訴訟法・商法・破産法の勉強に充てることにしました(それぞれ、3日、2日、2日)。内容は、解説が詳しい問題集を素材にして、ひたすら答案 構成をするというものです。

 以上の勉強をして、第2回の模擬試験を受験しました…そうすると、なんと民事訴訟法の答案で初めて合格点がつきました(上位10〜15パー セント)。しかも2通とも。すべての答練を通じて、民事訴訟法の答案で合格点がついたのはこれだけです。

 この瞬間、(必ずできるかは分かりませんが)自分も「やればできる!」という気持がしました。もちろん、こんな付け焼き刃勉強ででその年に 合格できるとは全く思っていませんでした。が、司法試験というハードルも超えられないものではない。いつかは超えられるという実感が得られま した。勉強を本気で1週間しただけで、効果が現れたわけですから。


▼論文試験当日〜会場へ そして7月の第三週、論文試験の日がやってきました。このころの旧司法試験は、論文式試験の東京会場は早稲田大学本 部校舎でした。予備試験は、大学ですらなくなっています。

 私は、早稲田大学の本部校舎には、大学1年生のころ、早稲田大学のサークルに顔を出すのにしょっちゅう行っていたので、今回の下見を省略し ました。しかし、初めて試験会場に行くという場合は、試験日である土曜日か日曜日に合わせて下見をしておくとよいでしょう。現場で道に迷わな いため…だけでなく、交通手段・経路も経験をしておいた方がトラブル防止に役立つからです。

 持参するものとしては、お金、受験票、ペン、お弁当です。当時、早稲田界隈は休日のお店が軒並みお休みで、コンビニの数も今ほどではありま せんでした。ですから、当日にお弁当をどこかで調達しよう…と思っていると、思うようにいかない可能性がありました。下見の目的として、食料 調達の手段の確認(最寄りのコンビニの一の確認)についても含めておくとよいかもしれません。

 当日は9時集合でした。9時になるまで,受験会場になる部屋への入室はできません。となると,9時に現場につけば十分と思えますが,交通事 情が悪くて,思うような時間に現場に到着できないかもしれません。最近は,ネットで時刻表が簡単に調べられるので,現場にはぎりぎりに到着す る人がきわめて増えています。しかし,本試験のときだけは,念のため10〜20分は早く到着するようにした方がよいでしょう。

 早く着いた場合の時間の過ごし方ですが,会場近くにコーヒーショップなどがあればそこで過ごすのもよいし,私が受験したときは,会場の外で ベンチに座ったり,地べたに座ったりしている人がたくさんいました。さすがに短答式試験のときとは違って,勉強をしている人がほとんどでし た。

 実は,論文式試験は,平成6年度まで会場に冷房が入っていませんでした。会場により冷房が用意できる会場とできない会場があったので,不公 平になるといけないから…というのが理由のようでした。ならば,当時の会場である札幌や仙台での受験生は有利だよね…ということになります。 しかし,平成7年度からは,すべての会場で冷房を入れることができるようになったため,私は,初めての論文式試験から冷房の恩恵が受けられま した。

 ただ,この冷房がくせものです。私が受験をする会場では冷房が効きすぎて寒すぎるきらいでした。しかも,当時は,憲法・民法・商法と1科目 ずつ試験が行われ科目毎に教室から外に出されました。このため,予備校が会場近くに休憩室を用意していたぐらいです。

 受験勉強で体力が落ちているところで,気温差が激しいとどうなるか…というと,風邪を引きやすくなります。私も,最後の試験日に風邪を引い てしまいました。今は冷房の性能もよくなっていると思いますし,会場から外に出されることがなくなっているかもしれません。それほど注意をす る必要はないかも知れませんが,冷房が効きすぎている場合に備え,上着や膝掛けなどを一枚用意しておくとよいかもしれません。

▼論文試験当日〜試験開始
 会場に入ると,既に解答用紙と試験用の六法がおいてありました。着席して解答用紙のデザインをみると,当時のものは,辰已法律研究所のもの に似ていました。今は解答用紙のデザインが法務省のホームページで公開されていますが,昔は公開はされていなかったので,いったいどうやって デザインを調べているのか…写真でも撮る受験生がいたのだろうか…と理由は今でも分かりません。相変わらず、予備校答練の解答用紙よりも本試 験の解答用紙の方が薄くて頼りない感じでした。分量が多くなるので,重量を軽減するためのものかもしれません。

 試験管が,試験の実施方法・注意事項についての説明を聞いた後,解答用紙に氏名,受験番号,受験地などを書き込みます。後で書き忘れるとい けませんし,先に書いておいた方が時間の節約にもなります。漏らさずすべてを書き込む…のは当然ですが,答練でもこのくせをつけておくように しましょう。さもないと本試験で,答練の癖で必要事項の記載を忘れてしまうおそれがあるからです。

 現在,論文式試験問題も袋とじになっていると思います。ところが,当時は,試験開始までは問題が配られません。問題は袋とじになっておら ず,試験開始の鐘が鳴ると同時に席の後ろから素早く配られる方式でした。この方式は不正防止のためのものですが,席が後ろか前かで少し有利不 利が出てきてしまうという問題があるし,スマートでもないので現在は袋とじになっているのでしょう。昔は,試験問題は,試験開始と同時に黒板 に書かれたそうです。このため旧司法試験の昔の問題は,問題文が極めて短かったのです。

 当時の問題用紙はわら半紙でした。当時の学部試験のようでした。当時の学部試験だと,文字が手書きということも珍しくありませんでしたが, さすがに問題文はワープロ打ちでした。

4 最終合格に向けて…論文式試験合格・最終合格への軌跡

▼論文試験当日〜試験開始

 試験中に気をつけるべきことは,以下のとおりです。
  @答案作成の計画を決める 旧司法試験では,民事系,公法系,刑事系という分類はされておらず,しかも各科目2問が出題されていました。

   制限時間は2問で2時間でしたから,1問ごとにどの程度の時間をかけるかについていろいろな意見がありました。この点は,機械的に1問1時 間とした方がよいと思われます。問題が難しいか簡単かで時間配分を変えるべきという意見もあります。しかし,本試験の問題ですから,極端に易 しい問題は出題されません。また,実際に答案の作成には,文字を書くのに時間が多く割かれます。となると,易しい問題でもそれなりの時間はか かるわけです。

 これは予備試験でも同じで,基本は1問1時間10分と考えておいた方がよいでしょう。

 私の場合,問題文は5分(予備試験なら10〜15分かけてよいでしょう),答案構成をする時間は15〜20分(予備試験なら,20〜25分 かけてもよいでしょう)と決め,厳格に守っていました。時間をかけすぎると答案を書く時間が削られ、時間切れになるおそれがあるのでよくな い…ということは分かりやすいところです。しかし,私は,決めた時間を短くすることもしませんでした。見たことがある問題だ、簡単な問題だと 思った場合,それが落とし穴で,問題の要求を読み間違えたり,読み落としをしたりする可能性があるからです。時間を決めれば,短い問題文で あっても自然と慎重に読むようになります。

 この注意は,私が二回試験を受験したときにも役立ちました(集合修習の検察起案で問題の読み間違いをしました。この理由も,ぱっと問題文を 読んでしまし,慎重に読むことを怠ったからでした。)。