刑法論証(行為無価値ベース) 〔刑法総論〕 ●構成要件該当性 ★行為 【論点】刑法上の行為観念 C  刑法上の行為をいかに考えるべきか。明文で明らかでなく、問題となる。  行為は犯罪概念の基本要素としての働きをする。これに加えて、刑法において行為観念を明らかにする目的は、人の単なる反射運動や、内心の意思・思想などを犯罪対象から除く役割を果たす点にある。行為観念を考えるにおいてはこのような点を考慮して考えなければならない。  ここに人の行為が自然現象と区別できるのは、人の意思によって何らかの選択がなされている点に求められる。また、自然的にみれば、単なる静止は内心の意思・思想と区別がつかないから、この点を区別できるように、行為観念を組み立てる必要がある。  したがって、行為とは意思による支配の可能な、何らかの社会的意味を持つ運動または静止のことをさすと解する。 【論点】忘却犯 C  母親が睡眠中に寝返りをうって乳児を圧死させる行為については過失致死罪(210条)の成立可能性がある。しかし、母親の寝返りは反射運動の一種に過ぎない。となると、本件事案には、いわゆる行為が認められるか。  (行為概念について述べて)  以上をもって本問を検討すると、確かに睡眠中の行為自体は意思に基づかないものである。しかし、行為といえるためには、意思支配の可能性があればよい。本問の場合は睡眠前に圧死しないようにすべきであったという点で、意思支配の可能性が認められる。  したがって、本問母親の行為は刑法上の行為にあたる。(この後で構成要件該当性などを順に検討する)。 【論点】実行行為の意義 A (行為が実行行為にあたるといえるためには、単に構成要件要素を形式的に満たしているというだけではたりず、構成要件に該当するといえるだけの実質を備えなければならない。ここに刑罰法規は一定の法益保護を目的に規定されたものであるので、実質とは保護法益を侵害する現実的な危険を有することに他ならない)  したがって、「実行行為とは法益侵害の現実的危険を有する行為を指すと考えるべきである。」(ここに言う危険とは、行為時に一般人が感ずるであろう現実の危険をさす。一般人に処罰範囲を明示するものだからである。) *現実に答案を書くときには、「」内だけを書けば十分 【論点】実行の着手 A  実行の着手とは、実行行為の一部を開始することである。この有無によって、未遂の成否が左右されるから、着手の有無をいかに判断するか問題となる。  思うに、未遂犯の処罰根拠は、結果発生の現実的危険を惹起した点にある。したがって、実行の着手も右危険が高まる行為の開始に求めるべきである。  以上から、実行の着手は、犯罪実現の現実的危険性を含んだ行為がなされた時点に求めるべきである。 【論点】不真正不作為犯による犯罪の成否 A 1 まず,作為で規定された犯罪について,不作為による実行行為性を認められるか。  思うに,実行行為は犯罪の結果発生の現実的危険を有する行為である。とすれば,このような,結果発生の危険を不作為によって実現することは可能である。  したがって,不作為による行為にも実行行為性を認めることはできる。 2 しかし,不真正不作為犯においては構成要件には作為義務の内容が明示されていない。にもかかわらず,これを限定しなければ処罰範囲が拡大し,刑法の自由保障機能を害する。  そこで,不真正不作為犯の成立を限定する必要がある。具体的には不作為に,作為によって当該構成要件を発生することとの同価値性が認められることが必要であると解する。  かような構成要件的同価値性は,@結果発生の現実的危険が生じていることA結果防止の可能性・容易性B行為者に作為義務があることから判断する。かかる作為義務の有無は,法令・契約・事務管理・先行行為等の事情を総合して判断すべきである。 ★結果 【論点】重い結果と過失 C  結果的加重犯の罪責を問うため,重い結果の発生について過失ないし予見可能性は必要か。  この点,責任主義の観点からすれば,過失が認められない限り,重い結果に責任は問えないかに見える。  しかし,基本行為は重い結果を発生させる高度の危険性を内包している。法はかかる行為から当然発生が予想される重い結果については,行為者に対し当然に結果発生を予見すべき義務を課しているとみうる。  したがって,基本行為と重い結果との間に相当因果関係があれば,重い結果について責任を問うてよいと考える。 【論点】結果的加重犯の共同正犯   共同正犯の規定が加重結果についてまで適用されるのかが問題となる。  思うに,結果的加重犯の処罰根拠は基本となる犯罪に重い結果発生の危険がある点にある。  とすれば,基本犯を共同して犯せば,これと相当因果関係上にある重い結果についてまで全部責任を問うてよいと解する。 【論点】結果的加重犯の教唆   基本犯の教唆の結果,正犯者が重い結果は引き起こした場合,教唆犯にはいかなる責任を問いうるか。  思うに,結果的加重犯の処罰根拠は基本となる犯罪に重い結果発生の危険がある点にある。とすれば,正犯に加担した者にも,正犯の行為と相当因果関係にある重い結果についてまで責任を問うてよいと解する。 ★未遂 【論点】中止犯の必要的減免の根拠 A  中止犯において,刑が必要的に減免される(43条但書)根拠をいかに解すべきか。  この点,犯罪を思いとどまった者に対し,政策的に褒賞を与えるものであるとみる見解がある。  しかし,刑の必要的減免を認めるに過ぎない以上,犯罪の完成を阻止する効果はそれほど期待できない。とすると,政策のみでは説明できない。  思うに,犯罪の完成を思いとどまった行為者に対しては,国民の規範意識から見て非難は弱まる。もっとも,犯罪防止の効果は皆無ではないし,結果発生した場合,刑法はいかに責任が減少しても犯罪が成立するものとしている。  したがって,責任減少に加え,政策的理由を合わせて考えるべきである。 【論点】自己の意思で止めたと言えるには? A  「自己の意思」(43条但書)で止めたといえるか否かの判断基準をいかに解すべきであるか問題となる。  思うに,人の意思決定は何らかの外部的事情に基づいてなされるのが通常であるから,これに触発されたからといって,すべて自発性を否定するのは妥当でない。  また,中止の意思に積極的な後悔を要求することも考えられる。しかし,中止犯は単に刑の必要的減免事由にすぎないから,そのような後悔の要求は厳格に過ぎる。  そこで,いかなる外部的事情があるかを判断した上で,かかる外部的事情に触発されたにせよ,自由な意思によって中止したといえるならば,中止犯の成立を認めてよいと解する。つまり,「自己の意思」による中止があったといえるには,たとえできるとしても欲しないことをもってたりると考える。 【論点】中止の意義 A 1 犯罪を「中止した」(43条但書)といえるには,いかなる程度の行為が必要か。  この点,着手未遂においては,未だ実行行為は終了していないから,単に実行行為を止めればたりる。  それに対して,実行未遂の場合,既に実行行為が完了しているから,実行行為を中止できない。したがって,結果発生防止の努力が必要であるというべきである。  そして,中止行為は褒賞を与えるに値するものである必要があるから,その努力は真摯なものである必要があると解する。 2 そもそも結果が発生しえなかった場合中止犯は成立するか。中止行為と結果不発生との間に因果関係が必要か,問題となる。  思うに「中止した」というためには,中止行為と結果不発生の間に因果関係は必要であると考えるべきである。  しかし,結果発生がありえる場合の方が,結果が発生し得なかった場合に比べ,より危険な行為がされているといえる。にもかかわらず,後者に中止犯の規定が適用されないのは,均衡を失する。  思うに……(中止犯の法的性質について論じて→政策説+責任減少説)。  とすれば,十分な中止行為があれば,責任減少は認められるし,報償も与えるべきである。  したがって,中止犯の規定の準用を認めるべきであると考える。 3 結果が発生した場合  中止犯は未遂の一場合であるから,結果が発生した以上,中止犯の規定の適用はない。  また,結果が発生した場合は,いかに責任が減少しても行為者は褒賞を与えるに値しない。よって,結果が発生した場合には中止犯の規定の準用もないと考える。 【論点】予備と中止犯   行為者が予備の段階で犯罪の遂行を中止した場合,これに中止犯の規定は適用できるか。  思うに,予備には中止が考えられない。しかも,予備罪は基本犯を減刑したものであるから,これ以上減刑することはできない。したがって,予備犯に中止未遂の規定は適用されないと考える。  しかし,実行してから止めれば免除の可能性があるが,強盗予備などにおいては予備罪に免除の規定がない。となると,刑の均衡を失するおそれがあるから,刑の均衡が失するおそれがある場合,免除に限って43条但書の準用を認めるべきである。 *判例は予備罪に中止犯の規定は全部適用しないとする。 【論点】共犯と中止犯 C  共犯者について,正犯による結果発生を防止した者は,中止未遂の規定によって処理される。  ただし,共犯の場合,正犯存在の関係から,単に自らの行為を止めるだけで中止犯が成立するわけではない。任意に中止を決意することが必要なことはもとより,真摯な努力により,他の共謀者の実行を阻止し,当初の共謀に基づく結果の発生を防止するかしなければならないと考える。 *共同正犯からの離脱も参照 【論点】不能犯と未遂犯の区別   不能犯が不処罰とされる根拠は,法益侵害の結果発生の危険性を欠いた点に求められる。したがって,不能犯と未遂犯の区別は結果発生の危険性の有無に求められる。  それでは,そのような危険性の有無はいかに判断すべきか。 (この点,危険性を行為時に存在した全事情,および行為後の事情まで含め事後的に純客観的に判断すべきとする説がある。  しかし,このように考えるならば,すべての未遂犯は不能犯ということになりかねない。)  思うに刑法は一般人への行為規範である。したがって,一般人から判断して結果発生の危険性がある場合は処罰すべきである。  また,基礎事情として特に行為者が知っていた事情を取り込まなければ,帰責の範囲において妥当な結論を導くことはできない。  以上から,行為時に一般人が認識し得た事情,及び行為者が特に認識していた事情を基礎にして,一般人を基準に具体的危険の有無を判断するのが妥当である。 ★因果関係 【論点】択一的競合 C ※例 XYが(意思の連絡なく)Aを殺そうと一本のウイスキーに致死量の毒を入れ,これを飲んだAが死亡した場合  XYの行為とAの死の結果との間に因果関係が認められるか。因果関係を認めるには,その前提として,行為と結果との間に条件関係がなければならない。ここに条件関係は,「当該行為なければ結果が発生しなかった」という関係のことを指す。  しかし,本件では,Xの行為がなくてもAは死亡したといえるし,Yの行為がなくてもAは死亡したともいえる。このように考えると,本問XYそれぞれの行為と死の結果との間には条件関係がないことになりそうである。  しかし,XYが致死量の半分の毒しか入れていない場合ならば,XYとも条件関係が認められることからして,上記結論は妥当でない。危険な行為をしながら未遂に止まるのも不合理だからである。  そこで,条件関係の公式を修正し,いくつかの行為のうち,すべての場合を除けば結果が発生しない場合,すべての条件につき条件関係を認めるとすべきである。  このように解すれば,XY双方の行為を除けば結果が発生しないから,条件関係は認められ,妥当な結論を導きうる。 【論点】仮定的因果関係 C  例 Aが車でXをひいたが,Aがひかなくても  後続のBが車でひいたであろうと思われるとき   本問の場合,条件関係公式からすると,Aの行為とXの死との間に条件関係がないということになりそうである。  しかし,条件関係は現実に発生した行為と具体的に発生した結果において判断されるべきであり,仮定的な他の事実をつけ加えて判断することは許されないと考える。  したがって,本問事例では。あくまでAがXをひかなければ結果は発生しなかったのであり,条件関係は認められる。   【論点】因果関係の判断方法 A 1 因果関係の存否について,いかにして判断するのが妥当か。明文なく問題となる。  (因果関係の判断方法について,条件関係があれば,即因果関係があるとする見解がある。  しかし,条件関係は無限に広がるおそれがあるから,犯罪の成立範囲を妥当な範囲に限定することができなくなるおそれがある。  このため,因果関係の進行中に他の行為,事実が介入する場合は,因果関係が中断するとする理論を導入することも考えられる。  しかし,条件関係が存在するのに因果関係の存在を否定するのは条件説自体の否定というべきである。)  思うに,構成要件は社会通念から処罰すべき行為を類型化したものである。とすれば,構成要件該当性の判断においては,行為者に責任を帰属させるのが社会通念上妥当な結果だけを選び出すべきである。これは因果関係の判断においても同様である。  したがって,社会通念上通常その行為からその結果が発生することが相当と認められる場合に因果関係の存在を認めるのが妥当である。 2 それでは,社会的相当性の判断のためには,いかなる事情を基礎として考えるべきか。  思うに,一般人からみて偶然的結果でないものを基礎事情から排除することはできない。また,構成要件は責任類型でもあるから行為者にとって偶然的事情でないものを帰責の範囲から除外する必要もない。  したがって,一般人が認識しえた事情と行為者が特に認識していた事情を因果関係の基礎事情と考えるのが妥当である。 (なお,かかる基礎事情をもって社会的相当性ありというためには,行為と結果との間に「ありうることだ」という関係があれば十分である。因果関係の問題は,因果の過程に極めて偶然的な事情が介在した場合に因果関係を否定する点にあるからである。) ★故意 【論点】故意責任の本質と故意の成立条件 AA  罪を犯す意思がなければ,原則として犯罪は成立しない(38条1項)。そこで,「罪を犯す意思」がの有無をいかに判断すべきか。  思うに,故意責任の本質は,犯罪事実を認識した場合,反対動機の形成が可能であるにもかかわらず,あえて行為に及んだ点に重い非難をすることができる点にある。したがって,少なくとも犯罪事実の認識が必要である。かつ,故意犯は格段に重い非難の対象となるから,犯罪事実の認識のみではかかる非難を基礎づけるに十分ではない。したがって,犯罪事実を認識しながらあえて犯罪事実が実現するに任せたという認容の態度が必要であると考える。  また,刑法上犯罪事実は構成要件の形で与えられる。したがって,構成要件に該当する事実の認容があれば,原則として故意責任が認められると考える。 *短文(実際は答案にはこれくらいしか書かない)  思うに故意責任の本質は犯罪事実の認識によって反対動機が形成できるのに,あえて犯罪に及んだ点に求められる。したがって,自己の犯罪事実を認識・認容した場合,故意責任を問うことができると解する。 【論点】具体的事実の錯誤 A 1 故意責任を問うためには,いかなる程度の事実の認識があればよいか。  思うに故意責任の本質は犯罪事実の認識によって反対動機が形成できるのに,あえて犯罪に及んだ点に求められる。したがって,自己の犯罪事実を認識・認容した場合,故意責任を問うことができると解する。  ここに犯罪事実は構成要件として刑法上類型化されているから,原則として構成要件に該当する事実さえ認識していれば,故意責任を問いうる。したがって,認識した内容と発生した事実がおよそ構成要件の範囲内で符合していれば故意が認められると考える。 2 一つの客体に犯罪結果を発生させる意図で,二つの客体に犯罪結果を発生させた場合どのように処理すべきか。  思うに,故意は構成要件の範囲内で抽象化されているから,故意の個数は故意の認定においては問題とならない。かように解しても,両罪は観念的競合となるから,刑の不均衡は生じない。  したがって,この場合は二つの犯罪が成立すると考える。 【論点】因果関係の錯誤  例 甲がAの首を絞めたら,Aがぐったりした→死んだと思って海岸に捨てたら,砂をすって窒息死    本件甲は,一連の行為によりAを死に至らしめているから,殺人罪(199条)の成立が考えられる。殺人罪の客観面を検討するに,首を絞めてぐったりした人を海岸に捨てれば,砂を吸引して死亡することは社会通念上十分ありうることである。したがって,構成要件の客観面は満たされる。  しかし,本件においては,行為者が予測した因果の流れとは別の経路によって結果が発生している。かような錯誤が故意の成立にいかなる影響を与えるか。  思うに,因果関係は客観的構成要件に該当する事実であるから,因果関係の錯誤も事実の錯誤の問題として捉えるべきである。  ここに故意責任の本質は…(法定的符合説の論証)。したがって,事実と行為者の認識した事実が構成要件の範囲内で符合していれば故意責任を問いうると考える。  これを因果関係の問題にあてはめると,事前に予見した内容と実際に進行した結果との不一致が相当因果関係の範囲内にある限り故意を阻却しないと考えることになる。  本件の場合,甲の認識は首を絞めてAを殺すことであり,事前に予見した行為と結果との間には,相当因果関係が認められる。したがって,本件錯誤は故意を阻却しない。  以上よりAは殺人罪の罪責を負う。 【論点】規範的構成要件要素の錯誤   規範的構成要件要素とは,その存否について裁判官の規範的・評価的な価値判断を有する構成要件要素のことである。これも構成要件の要素である以上,行為者に故意責任を問いうるにはその認識が必要であると考える。  しかし,その内容についての正確な認識を素人に求めることは不可能である。したがって,専門家的な認識までは必要なく,その内容について素人的な認識があれば,違法性の意識を喚起しうるので,故意責任を問うに必要かつ十分であると考える。 【論点】作為義務の錯誤   例 父親が容易に助けられるのに子供を助けなかった。@他の子供が溺れていると思った場合,A自分は助ける義務がないと思った場合  本件父親は錯誤によって作為義務がないと考えている。この錯誤が犯罪成立に与える影響を判断するため,作為義務の体系上地位をどこにおくかが問題となる。  この点,保証人的地位を構成要件要素,保証人的義務を違法要素と二分して処理する見解がある。しかし,このような区分は必ずしも明確になしうるものではない。  思うに,作為義務ない者の不作為を一端構成要件に該当すると考えるのは妥当でない。そこで,作為義務は構成要件該当性における判断とみるべきである。  ただし,作為義務は規範的構成要件要素である。そのような構成要件要素については,素人的認識として作為義務があるとの認識があれば,故意は阻却しない。  具体的には,他の子供が溺れていると考えた場合は,作為義務の認識をしえないから,事実の錯誤として故意は阻却される。  それに対して,自分の子供が溺れているのに助けなくてよいと考えた場合,素人的認識として規範の問題は与えられていたといえる。  ここで,自分が助けなくてよいと考えたことは単なる違法性の錯誤があったのみである。この場合,故意は阻却しないと解する。 【論点】抽象的事実の錯誤 A  認識と客観的な事実との不一致が,異なる構成要件にまたがっている場合,故意は認められるか。  思うに,(法定的符合説の論証をして)構成要件該当事実の認識がなければ規範の問題は与えられないから,そのような認識がない場合に行為者を処罰することはできない。  したがって,構成要件の範囲内での符合がない以上,原則として故意は阻却されるということになる。  ただし,構成要件に実質的な重なり合いが認められる場合には,その限度で反対動機を形成することができる。したがって,そのような場合には,その限度で故意責任を問うことができると考える。  かかる実質的重なり合いの有無については,@両罪の行為態様,及びA被侵害法益の共通性をもって判断すべきである。 【論点】間接正犯と錯誤   甲が間接正犯の故意で,教唆犯を犯した場合いかに解すべきか。  思うに(法定的符合説から)認識と事実との間に重なり合いの認められる限度で罪責を負うとすべきである。  ここに,間接正犯と教唆犯とは他人を利用して法益侵害の結果を発生させる点に客観面における共通点が,間接正犯の故意は教唆犯の故意を含むというべきである。一方で,間接正犯は教唆犯よりも犯情の点で重い。  したがって,本問甲については軽い教唆犯の限度で処断するのが妥当である。 ★過失 【論点】過失犯の構造 C  かつては,過失を責任形式とし,本人に結果発生の予見可能性があったか否かによって当罰性を判断するとされていた。  しかし,法律上要求される義務を払っても結果が避けえない場合に処罰するのは不当である。  そこで,過失犯は法律上要求される注意義務違反という違法行為を行うものとして,違法性のレベルで取り上げるべきであると考えられる。  しかも,結果が不可抗力で発生する場合は構成要件該当性もないというべきである。したがって,過失はまず構成要件の問題として考えるのが妥当である。ここに,過失犯の構造は,過失行為と結果,因果関係との客観面と,予見可能性・結果回避可能性を前提とした,注意義務違反という主観面からなると考えるべきである。 ●違法性 【論点】違法性の本質・違法性阻却の原理 A  思うに,刑法は法益保護を目的とするから,法益侵害又はその危険という要素が違法性の基礎的部分を占めていることは明らかである。  しかし,一方で,多くの利害が複雑に絡み合っている現代社会においては,結果無価値以外の要素を観点に入れなければ,行為の違法性を適切に判断することはできない。(法益侵害の程度に差異がないはずの故意犯と過失犯では違法性にの程度差異を設けるべきであるし,これを刑法典も認めているのである。)  したがって,違法性判断においては結果無価値・行為無価値の双方の観点を考慮に入れて判断すべきである。すなわち,違法性とは社会倫理規範に違反する法益侵害または危険である。  となると違法性阻却の根拠は当該行為が社会的相当性の範囲内にあることに求められるというべきである。 【論点】主観的違法要素の当否 C  違法性の有無,程度を決定する上で,主観的な要素を考慮しうるか。  思うに,主観を判断しなければ,違法性の存否及び程度を判断できない場合は少なくない。故意の殺人行為と過失の致死行為とでは,この場合の違法性を同一に考えることは我々の法感情に明らかに反する。  したがって,主観的違法要素の観念を否定すべきでない。  なお,逆に内心の状態によって違法性が減少する場合が考えられる。正当防衛における防衛の意思の有無によって,行為の社会的相当性が変化する場合などである。  このような主観的要素を主観的正当化要素と呼ぶべきである。 【論点】可罰的違法性の理論 C  科刑においては,重大な権の制約が伴うから,犯罪構成要件は,一定程度の違法性を予定していると考えるべきである。  したがって,違法性が軽微である場合は違法性阻却され,犯罪は不成立となる。すなわち,違法性判断はまず法益侵害の量・質を問うべきであり,さらに行為の社会的相当性を判断するのが妥当である。 【論点】正当防衛〜急迫性の要件 1 攻撃をあらかじめ予期している場合も「急迫」性は失われないのか(36条1項)。  確かに通常急迫性ある侵害とは,予期しない侵害のことを指す。しかし,(強盗よけに護身用の木刀を準備していた者が現に強盗に襲われた場合,逃げるしかないというのは不当である。すなわち)法は予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないと考えるべきである。  したがって,予期によって急迫性が当然に失われるものではない。 2 それでは,行為者が進んでその機会を利用し積極的に相手に加害する意思で侵害に臨んだ場合,はどうか。  この点,急迫性が失われるとする判例がある。  しかし,急迫性は客観的な状況の問題であるから,急迫性の存在は防衛者の意思によって存否が左右されるものではない。  したがって,この場合にも急迫性を認めるができる。ただし,積極的加害意図がある場合は,防衛の意思が欠け,正当防衛は不成立となる。 【論点】自招危難と正当防衛  防衛行為に先行し,防衛者による挑発行為がある場合,正当防衛は成立するか。  思うに,挑発行為による攻撃への反撃を不処罰とするならば,逆に法秩序を乱すことになる可能性がある。  したがって,かかる行為は社会的相当性を欠くものとして,正当防衛の成立が否定されことがあると考える。 【論点】喧嘩闘争 C  喧嘩の場合,喧嘩両成敗の考え方から,旧判例は正当防衛の観念を入れる余地がないとしていた。しかし,一方の攻撃が新たな別個の侵害の開始と認められる場合ならば,正当防衛を認める余地があると考える。 【論点】不正の意義,対物防衛の可否 A  「不正」(36条1項)の意味が明らかでなく問題となる。  思うに,正当防衛の成立が緩やかに認められるのは,侵害者の行為が「不正」であるからである。このような法の自己保全の考え方からすれば,「不正」とは刑法上の違法性を指すと解するべきである。  したがって,動物や自然現象,行為とはいえない人の挙動による侵害に対しての正当防衛は当然には成立しない。これは緊急避難(37条1項)などによって処理されるべきである。  ただし,動物の所有者や,人の挙動について過失が認められれば,人の行為による侵害として正当防衛が認められる。  また,「不正」行為は違法行為であればたり,有責である必要はない。したがって,責任能力ない者による侵害行為に対しても,正当防衛を行うことはできることには注意すべきである。 【論点】防衛の意思の要否 A  正当防衛の要件として,防衛の意思は必要か。「防衛するため」の意味が問題となる。  思うに,違法性の本質は社会倫理規範に反する法益侵害またはその危険にあるというべきである。とすれば,社会的に相当といえる行為については,違法性が阻却されるというべきである。  ここで,防衛行為が社会的に相当な行為と言いうるには,防衛する意思を必要と考えるべきである(行為は主観と客観の統合体であるから,このように,内心が違法性に影響を及ぼすとする主観的正当化要素を認めることは何ら差し支えないというべきである。) 【論点】防衛の意思に防衛の意図は必要か(防衛の意思必要説から) A  防衛の意思の内容として,防衛の意図まで要求されるか。  思うに,緊急行為としての性質上,防衛行為は興奮・逆上して反射的になされることが多い。ここで,防衛の意図を要求すれば,これらを正当防衛と認めることができず,不当である。  したがって,防衛の意思ありと認めるには,防衛の認識でたり,防衛の意図までは必要ない。すなわち,防衛の意思とは,急迫不正の侵害を認識しつつそれを回避しようとする心理状態をさすというべきである。憤激または逆上して行われた防衛行為には防衛の意思が否定されないことになる。  また,攻撃の意思が防衛の意思と併存している場合も,緊急行為である正当防衛の性質から,正当防衛のためにした行為にあたるというべきである。しかし,積極的加害意図がある場合は,侵害を回避しようとする意思すら認められない。したがって,防衛の意思があるとは言えないことになる。 【論点】偶然防衛の当罰性 1 日頃から気に入らない男を殴る→たまたま被害者もまさに殴ろうとしたところだった (防衛の意思の要否を論証して)  したがって,正当防衛の成立には,防衛の意思が必要である。ここに本件事案の行為者はかかる意思を欠く。そもそも,このような場合に正当防衛の成立を認めること自体不当である。  したがって,偶然防衛行為は,正当防衛として違法性が阻却されないというべきである。 2 では,偶然防衛の場合,行為者はどのように処断されるべきか。  思うに,違法性阻却の対象は構成要件に該当する事実全体であるというべきである。したがって,結果と行為を切り離して判断するのは妥当でない。構成要件該当事実があり,違法性阻却事由がない以上,既遂犯として処断すべきであると考える。 【論点】防衛行為の結果が他人に生じた場合 例 殴られそうになったので,小石を投げたら近くを通った人に当たった場合  #法定的符合説と数故意説→それぞれ暴行・傷害罪が成立する可能性があるが?  本問のような事例において,行為者をどのように処断すべきか。  本事例を評価するならば,正である者に反撃することで現在の危難を回避したというべきである。また,防衛の意思には避難の意思も含まれる。  したがって,緊急避難(37条1項本文)にあたるというべきである。 (認識と客観的事実との間に錯誤が存在する場合→誤想防衛の一種として扱うこともできる) 【論点】過剰防衛における刑の減免の根拠  過剰防衛と認められた場合,防衛行為の相当性に欠けるから,違法性は阻却しない。しかし,情状により刑を減軽又は免除できる(36条2項)とされているが,この根拠をいかに解するべきか。  思うに,緊急状況においては行き過ぎがあっても強く非難できない。一方,不正行為から自分を守る行為であることには変わりないから,違法性も減少しているというべきである。  よって,違法性も責任も減少するというべきである。 【論点】緊急避難の正当化根拠  緊急避難にあたる行為がなされた場合,「罰しない」とされるが,この根拠をいかに解するべきか。明文上明らかでなく問題となる。  この点,責任阻却事由に過ぎないとする見解がある。  しかし,37条1項本文は,他人の行為についての緊急避難を認めているが,このような場合には,期待可能性がないとはいえない。  反対に,避難によって侵害される利益が保全される法益よりも大きくても責任が失われる場合はあるはずである。しかし,緊急避難の成立要件として,法益権衡の原則が採用されている。とすれば,緊急非難の成否は違法性のレベルで判断するのが妥当である。  そこで,緊急避難は重要な利益を保全するための社会的に相当な行為であるとして,違法性阻却事由の一つと考えるべきである。   【論点】「やむを得ずにした行為」防衛行為の相当性について  正当防衛,緊急避難の成立には,いずれも「やむを得ずにした行為」(36条1項,37条1項)という要件が必要である。しかし,この内容は必ずしも明らかでない。  正当防衛の場合,防衛者とその相手方とは「正対不正」の関係にある。したがって,必ずしも防衛行為が唯一の侵害を回避する方法であることは要求されないし,厳格な法益の権衡も要求されない。  したがって,反撃行為自体が防衛手段としての相当性を満たしていれば「やむを得ずにした行為」といってよい。反撃の結果発生した法益侵害が,被侵害利益よりもたまたま大きなものとなっても,正当防衛の成立は否定されない。  これに対して,緊急避難の場合は,避難者とその相手方とは「正対性」の関係にある。したがって,避難行為が危難を避けるために他に方法がないと厳格に解するべきである。 【論点】自招危難への防衛の可否  (正当防衛,または緊急避難の要件事実があることを認定した上で,)  しかし,本件行為者は自ら危難を招いたと言えるから,かかる場合に防衛・避難をすることまで正当化されるのか。  思うに,違法性の本質は……(社会的相当性の有無から正当化されるか否かが判断されることを論じる)。  以上から,違法性の判断は,行為の社会的相当性の有無から判断すべきである。  自ら危難を招いた場合,それにより反撃に相当性が失われれば,正当防衛・緊急避難は正当化されない。ここで相当性の判断は,侵害の意外性,侵害の程度,危難を自招した経緯・態様などを総合判断して決することになる。 【論点】被害者の同意の処罰阻却根拠  個人の処分が可能な法益について,被害者に同意がある場合,犯罪の成立が否定される。特に暴行罪(207条),傷害罪(204条)について,被害者の承諾が犯罪成立を阻却する根拠をいかに解するべきか。  思うに,条文には,同意のないことは要求されていないから,同意により構成要件該当性がなくなると考えるのは無理である。しかし,同意がある場合は暴行・傷害行為も社会的相当行為と認められる場合がある。  したがって,暴行・傷害行為に対する被害者の同意は違法性阻却事由にあたると解するのが妥当である。 【論点】被害者の同意の成立要件  (処罰阻却根拠を述べて)  そして,このように違法性が阻却されるには次のような要件を満たすことが必要であると解する。  まず,@同意の内容が被害者にとって処分可能な法益に関することでなくてはならず,かつ,A自ら有効な同意をなすことが必要である。また,同意はB行為時に存在していなければならない。同意は当該犯罪行為を対象とするものであるからである。  さらに,同意ある侵害行為が社会的相当性あるというために,C同意の表示と行為者による同意の認識まで必要であるというべきである。最後にD承諾に基づいて行われる行為態様自体社会生活上是認できる相当なものでなければならない。 【論点】いかなる傷害においても同意は有効か  この点,およそ同意ある以上,すべて処罰されないとする立場がある。  しかし,死の結果を発生させる高度の危険性がある行為については,被害者の承諾があっても社会的相当性は認められない。  したがって,重大な傷害に対する承諾は無効とするのが妥当である。 【論点】錯誤に基づく同意  錯誤に基づいて同意をなした場合,その同意の効力をいかに解すべきか。  この点,法益侵害について意味を認識して同意している以上,同意自体には何ら錯誤がないとして,その有効性に影響は及ぼさないとする見解がある。  しかし,意味を認識していれば,いかなる同意も有効であると考えるのは極端である。  思うに,同意があるかにように見えても,真意に沿わない重大な瑕疵ある意思については有効とみるべきでない。したがって,このような承諾は無効であるというのが妥当である。 【論点】推定的同意  火災の際に不在者の家屋に侵入して,中から家財道具等を搬出してやる行為について,仮に同意があれば,犯罪は成立しない。しかし,本件では不在者は同意を与えていないので,その当罰性は認められるか。  本事例の場合,事態を正しく認識していれば不在者は同意したであろうといえる。  このような同意を推定して行う行為は社会的相当性があり,違法性を阻却するというべきである。かかる承諾の推定の判断は,被害者の立場に立って,客観的・合理的に行われなければならない。かつ,これにより違法性を阻却するのは承諾を得ることが困難な場合に限る。  以上からすると本問の行為は上記基準に照らし,社会的相当性あるといえる。したがって,行為の違法性は阻却され,犯罪は不成立となる。 【論点】自救行為(超法規的違法性阻却事由) C  自救行為とは,正当防衛を認めるだけの侵害の急迫性・現在性は存在しないが,国家機関の救済を待っていては権利の回復が困難になる場合,侵害者に対し自ら実力により救済を図る行為をいう。  そのような概念を認められるか明文なく問題となる。  思うに,国家機関が法秩序の回復をするいとまがなく,権利保護の緊急性・必要性が高度に認められる場合がある。このような場合に,そのまま放置すれば法が不法を擁護する結果となりかねない。  したがって,これを許容する余地はあるいうべきである。  ただし,自力救済の禁止の趣旨を没却するおそれがあるから安易に広く認めることはできない。すなわち,次のような厳格な基準のもとで認められるというべきである。  まず,@回復すべき権利が正当であり,A回復手段が相当性であることが必要である。また,B国家の救済を待つことができないような回復の必要性・緊急性が認められることも必要である。さらに,主観的正当化要素として,C自救の意思も要求すべきである。 ●責任 【論点】原因において自由な行為 A 例 酒を飲めば我を忘れて暴れる(一種の病気)→事情を熟知しながらも,酒を飲み,人を傷害をした。(特に,酒を飲む時から,傷害を行うことを意図しているとき問題になる)  責任能力は原則として実行行為時に存在しなければならない。とすると,犯行が責任無能力状態に行われている場合,責任が阻却される(39条1項)ということになりそうである。  しかし,かかる結論は素朴な法感情に反する。行為者の責任能力ある状態における行為によって責任無能力等の状態が招かれ,犯罪結果が生じた場合完全な責任を問うべきである。  かかる場合の可罰性を肯定するための構成をいかに考えるべきか。  この点,自己の責任無能力状態を道具として利用する点に可罰性を認める見解がある。この立場は,原因設定行為を実行行為と解するので,行為と責任の同時存在の原則は堅持される。  しかし,原因設定行為に,実行行為といえるだけの危険性を認めることは常識に反する。また,この理論によれば責任の判断において始めて実行行為が何かが決定することになるから,理論の筋道として疑問がある。  思うに,責任非難は違法な行為をなす最終的な意思決定に向けられるものである。ここで結果行為自体が原因行為時になされた意思決定の実現過程に過ぎない評価できる場合がある。この場合は,実行行為のときに責任能力があった場合と同視してよい。  したがって,以上のような関係が認められる中で,責任能力が意思決定時に存在すれば,全体として責任を問うてよいと考える。  なお,。未遂犯が成立するのは,あくまで現実に危険性が高まったときである。しかし,決意があるのみでは処罰に値する危険性は発生していない。  したがって,たとえば,最初の事案で酒を飲んだら寝てしまった場合,未遂罪は成立しないというべきである。 【論点】法律の錯誤と故意 A (制限故意説)  故意責任を問うにあたって,行為の違法性を意識したことを要するのか。  この点,判例は違法性の意識を不要とする。しかし,不可抗力によって違法性の意識を欠いた場合ですら,処罰するというのは,あまりに必罰主義的である。  一方,違法性の意識ない場合は処罰できないとする説もあるが,確信犯・行政犯の処罰において不都合を生じ,妥当でない。  思うに,犯罪事実の認識・認容があれば原則として非難可能性として十分である。とはいえ,違法性の意識を喚起する可能性が全くないのに処罰することはできない。とすると,違法性の意識は故意の成立には不要であるが,違法性の意識の可能性は故意の成立に必要と解する。  したがって,違法性の意識の可能性すらない場合は,故意を阻却し,過失犯の成否が問題になるにすぎないというべきである。 (責任説)  故意責任を問うにあたって,行為の違法性を意識したことを要するのか。  この点,判例は違法性の意識を不要とする。しかし,不可抗力によって違法性の意識を欠いた場合ですら,処罰するというのは,あまりに必罰主義的である。  一方,違法性の意識ない場合は処罰できないとする説もあるが,確信犯・行政犯の処罰において不都合を生じ,妥当でない。  そこで,違法性の意識は故意の成立には不要であるが,別個の責任要素というべきである。このように考えれば右の各説の重大な欠点を克服することができる。  具体的には,行為者に違法性の意識の可能性がなかった場合には,責任を阻却する。結果,犯罪は不成立となる。 【論点】違法性阻却事由の錯誤 1(1)行為者が,違法性阻却事由がないのにあると考えている場合,「罪を犯す意思」(38条1項)があるといえるか。  思うに故意責任の本質は犯罪事実の認識によって反対動機が形成されるのに,あえて犯行に及んだ点に求められる。したがって,自己の犯罪事実を認識・認容した場合,故意責任を問うことができると解する。  ここに,違法性阻却事由がないのにあると認識した場合,違法性を喚起することはできない。したがって,違法性阻却事由に錯誤あるとき,犯罪事実を認識しているとはいえず,故意は阻却する。 (2)一方で,違法性阻却事由に関する評価を誤った場合は,これは法律の錯誤があるに過ぎない。したがって,違法性の意識の可能性がある限り,故意は阻却しない(制限故意説)。 2(1)具体的事例を検討する。例えば,客観的には過剰防衛の結果が発生している場合を検討する。犯罪者の認識においては,防衛行為の相当性の要件を満たし,正当防衛が成立している。  したがって,行為者は犯罪事実を認識していないので,故意犯は成立しない。過失犯の成否を検討するのみである。 (2)一方,盗まれた物を取り返すのは正当防衛であると考えて他人から財物を窃取した場合,正当防衛の成立要件についての評価を誤ったに過ぎない。したがって,違法性の意識の可能性がある限り,故意は阻却せず,犯罪が成立する。 【論点】誤想防衛  誤想防衛とは,正当防衛の要件のうち,急迫不正の侵害の有無についてのみ誤想がある場合をさす。この場合,行為者の認識においては正当防衛が完成している。したがって,かかる場合,違法性の意識を喚起することはできないので,故意は阻却する。 【論点】誤想過剰防衛 1 急迫不正の侵害の有無について誤想がある上に,認識上の侵害に対する防衛行為として不相当な行為が行われた場合を,誤想過剰防衛と呼ぶ。  これについて,過剰性に認識がない場合は,認識上は完全な正当防衛である。したがって,故意は阻却する。 2 問題は,過剰性について認識がある場合である。過剰防衛との認識あれば,違法性の意識を喚起することはできる。したがって,故意犯が成立する。  ただし,急迫不正の侵害を認識している以上,いきすぎがあっても非難できない面がある。過剰防衛による刑の任意的減免の根拠は,不正の侵害に対する反撃は違法性が減少しているのと同時に,たとえ過剰なものであっても行為者を非難し得ないとの責任減少に求めることができる。  本件の場合も責任減少が認められる以上,過剰防衛の規定を準用するべきである(36条2項)。とはいえ,免除の規定を準用することは許されない。過剰性に認識がない場合も,過失犯が成立し,罪に問われる可能性がある。となると,故意が成立するのに刑が全部免除されるというのは結論として不均衡だからである。   ●共犯 【論点】共同正犯の処罰根拠 A  共同正犯では,犯罪の一部を実行したに過ぎない者も,皆正犯として扱われることになる(60条)。  思うに,共同正犯とは,行為者相互間に意思の連絡があって,互いに他の一方の行為を利用して犯罪事実を発現するものである。  一部実行全部責任の原則の根拠は,このような場合に物理的・心理的にも犯罪の実行が容易になり,法益侵害の可能性が倍加する点に求めるべきである。  したがって,共同正犯成立の要件は,意思の連絡と犯罪行為の共同に求めるべきである。 【論点】共謀共同正犯 A  共同正犯も正犯であるが,危険性のある行為を行わなければ正犯とは言えない。その意味で,正犯たりうるには,犯罪構成要件該当行為を行わねばならないかに見える。  しかし,現実には,犯罪計画立案の中心人物が実行行為には参加しないことは多い。一方で教唆とは言えない共謀が多くみられる。  そこで,謀議に加わったに過ぎない者を共同正犯(60条)として処罰するのは許されるのか。  思うに,一部実行全部責任の根拠は,共同実行の意思の下に相互に他人の行為を利用し補充しあって犯罪を実現する点に求められる。  この点を満たしているならば,実行行為に向けて行為を共同するに過ぎない者も正犯とみるべきである。すなわち,共同正犯として処罰するには,実行行為を共同しなくともよく,謀議に加わった者も正犯として処罰できると考える。  具体的な共謀共同正犯の成立要件としては,@正犯としての共同意思の存在A実行と評価できるだけの共謀の事実B共謀者のいずれかによる実行行為の存在が必要であると解する。 【論点】承継的共同正犯 A  先行行為者が,既に実行行為の一部を終了した後に,後行者がこれに関与する形態の共犯において,後行者を共同正犯(60条)として処罰できるか。  確かに,後行者の行為と無関係な先行者の行為・結果に利用補充関係は認められない。しかし,後行者が,先行者の行為及び結果を積極的に自己の犯罪遂行の手段として利用することはありうる。また,先行者も後行者の加入によって自己の犯罪の実現が容易になることが考えられる。  かように先行者と後行者が相互に利用補充しあって一定の犯罪を実現することは可能である。したがって,先行者と後行者に上記関係があれば,共同正犯の成立を認めるべきである。 【論点】過失の共同正犯  過失犯は無意識を本質とするから,共同実行の事実および意思が認められないという見解がある。  しかし,過失犯にも客観的注意義務違反としての実行行為が認められるから,この実行行為を共同して行うことは十分観念できる。かつ,共同正犯の本質が相互利用補充関係にある。とすれば,共同の注意義務に対する違反があり,この点を認めることができれば,厳密な共同意思がなくても可罰性を認めてかまわない。  したがって,過失の共同正犯(60条)は認められるというべきである。 【論点】予備の共同正犯 1 意思の連絡の下に予備行為を共同することを共同正犯として処罰できるか。  思うに,予備行為にも実行行為を観念できる。  したがって,そのような行為を共同して実行したばあいには共同正犯としての処罰を認めるべきである。 2 しかし,他人の犯罪行為を幇助する意思で予備行為をした者を予備罪の正犯としてよいのか。  確かに,予備は犯罪実行の前段階であるから,予備行為をする者は実行行為をする目的を有する必要があろう。  しかし,かかる実行の目的あることは身分と考えることができる。とすると,自ら犯罪を犯す意思ある者と共同して予備行為をすれば,他人予備をする目的ある者にも完全な罪責を問うてよい(65条1項)。*厳密には65条1項の共犯に共同正犯が含まれるかを論じる必要あり。  したがって,自ら犯罪を実行する意思がない者も予備の共同正犯として処断されると解する。 【論点】片面的共同正犯・共犯  共同実行の意思が一方にしか存在しないとき,共同正犯(60条)として処断できるか。  思うに共同正犯として一部実行全部責任を負う根拠は,意を通じて犯罪を共同実行することにより,物理的・心理的に犯罪結果の実現が容易になるからである。  したがって,共同正犯として処罰するためには,共同実行の事実と共同実行の意思が必要であるというべきである。  ところが,片面的共同正犯においては,共同実行の意思が欠ける。したがって,これを共同正犯として処罰することはできないと考える。  一方,片面的教唆・幇助の可罰性は認められるか。  狭義の共犯の処罰根拠は正犯を通じて法益侵害ないしその危険を惹起した点にある。  この点を満たす限り,正犯と共犯との意思の連絡は必要なくとも可罰性を肯定できると考える。 【論点】間接正犯の成立範囲 C  間接正犯は共犯の要素従属性の問題において極端従属性説を採った場合に生じる処罰の間隙を埋めるための概念であった。  しかし,間接正犯はあくまで正犯であるし,正犯成立の判断は共犯成立の判断に先行すべきである。  したがって,間接正犯の成否は直接正犯と同視しうるかという観点から論じるべきである。 *実際はほとんど論じることはない論証,参考まで 【論点】間接正犯処罰の根拠 A  実行行為は行為者自らの手で行われるのが通常である。しかし,これも道具などの助けを借りている場合が少なくない。  だとすると,他人を自己の意のままに使い,その動作や行為を自己の犯罪に利用する場合には,自らその実行行為をしたと同一に考えることができる。このような利用者は間接正犯として処罰できると解する。 【論点】間接正犯における着手時期 A  間接正犯における実行の着手時期をどこに求めるかが問題となる。  思うに,実行の着手があるといえるには,具体的な犯罪結果発生の危険性が現実化した時点に求められる。かかる危険性の発生は,個々の具体的な事案によって変わりうるものである。とすると,間接正犯においても,行為の態様のいかんによって実行の着手時期は変わりうると解するのが妥当である。 【論点】間接正犯と教唆犯との区別 A  正犯とは自ら犯罪を実行した者であるのに対し,教唆犯は他人を唆して他人の犯罪に加担したに過ぎない者である。したがって,両者の区別は,自己の犯罪を行ったと認められるか否かによって区別することになる。  具体的に,自己の犯罪を行ったといえる要件としては自ら事の成り行きを操作したという事実が必要である。次に,行為者自身自己の犯罪を行う意思が必要と解する。 【論点】異なる故意犯の利用  例 あのマネキンをたたいてごらん→マネキンは実は人だった   マネキンを破壊しようとした者は器物損壊罪(261条)の故意を有しているに過ぎない。かかる事情は利用者が被利用者の行為を利用しようという行為支配性を肯定するに十分な事実である。  したがって,利用者には傷害罪(204条)の間接正犯が成立する。 【論点】目的なき故意ある道具  目的犯(通貨偽造など)  印刷業者に「教材用」と嘘をついて偽造通貨を作らせる  目的がない者は,犯罪事実を認識していないから,反対動機の形成可能性はない。とすると,目的がない者は被利用者たりえ,利用者の行為支配性は認められる。  したがって,この場合も間接正犯が成立する。 【論点】身分なき故意ある道具  公務員が自分の妻に賄賂を受け取りに行かせる場合  身分ない者も十分に自分の行為の意味は分かる以上,利用者による行為支配性はないとも思える。  しかし,身分ない者は犯罪の中心として行動する意識がないから,そのような場合,反対動機の形成可能性が著しく低いといえる。とすると,行為支配性は認められるといえる。  したがって,そのような関係が認められる限りで,間接正犯が成立する。この場合,道具となった者は幇助犯(62条)として処罰されることになる。 *妻と公務員は共同正犯になる可能性もある 【論点】故意ある幇助的道具  上司の命令で偽造文書と知りながらワープロを用いて文書を作成  本問では,被利用者と目されるものは故意を有した上で,自ら実行行為を行っている。しかし,単なる機械的行為を行っているに過ぎない場合は,利用者にとって一方的に利用されている道具に過ぎない。とすると,行為支配性は肯定される。  したがって,利用者が間接正犯として処断されることはありうることになる。被利用者は幇助犯(62条)とされることになる。 *これも共同正犯になる可能性あり。 【論点】適法行為の利用  Aを騙して空手有段者のXに攻撃を加えさせる→Xの反撃でAが重傷  この場合,被害者に教唆をしたものは間接正犯として処断されるか。  Xの行為は適法行為であるから,Xには自己の行為が犯罪を構成するという認識がない。となると,それを利用する者には行為支配性が認められると解する。  したがって,適法行為を利用する者にも間接正犯が成立する。 *正当防衛の場合には例外を認める説  そのような行為を利用した間接正犯を認めることもできるかに見える。  しかし,本事例において,法益侵害がねらい通りに発生するか否かについて,あまりに偶然性の介在する部分が大きいというべきである。  したがって,このような場合はXの道具性は肯定できず,間接正犯は成立しないと解する。 【論点】狭義の共犯の処罰根拠 A  共犯の処罰根拠をいかに考えるべきかにつき,刑法の機能は法益保護にある。したがって,正犯を通じて法益侵害・危険を惹起したところに処罰根拠を求めるべきである。 【論点】共犯の従属性 1 共犯の本質〜実行従属性の問題  共犯は正犯者を媒介として,犯罪の実現に加担するのみであるので,共犯行為のみでは,結果発生に至る現実的危険性に乏しい。正犯によって法益侵害の危険が発生して初めて処罰すべきである。すなわち,正犯が実行行為に着手して初めて共犯も処罰できることになる。 2 要素従属性  共犯処罰のためには,正犯はいかなる程度まで犯罪の構成要素を具備する必要があるか。「犯罪」(61条),「正犯」(62条)の意味が問題となる。  思うに,共犯は正犯を通じて法益侵害を行う点に処罰根拠がある。とすると,共犯の可罰性を認めるには,正犯者が違法な行為をなしたことを要し,それでたりるというべきである。  すなわち,正犯行為が違法性まで備えれば共犯も処罰できると解する。 【論点】再間接教唆・幇助は処罰されるのか C  間接教唆犯をさらに教唆する行為は可罰的か。  思うに,共犯の処罰根拠は間接的な法益の侵害にあるということができる。とすれば,犯罪行為を唆すことが教唆だと考えることができる。  したがって,間接教唆の教唆も教唆というべきである。  また,間接幇助については,正犯を幇助していると考えることができる。したがって,間接幇助も可罰的であるというべきである。 【論点】教唆の未遂  教唆したが,正犯が実行に着手しなかった場合,教唆者処罰できるか。  思うに,教唆犯の処罰根拠は正犯を介して間接的に法益侵害の結果を発生させた点に求めるべきである。  ここに,正犯が実行に着手しなければ,そのような法益侵害の結果を発生させているとは言えない。 したがって,処罰できないというべきである。 【論点】結果が発生しないのを知りつつ犯罪を教唆した場合(未遂の教唆)  未遂処罰には処罰に必要な危険性の発生が必要である。一方で,共犯の処罰根拠は正犯を解して危険を発生させる点にある。  ここで,正犯が実行行為を行えば,結果発生の危険は発生するから,かかる行為をあえて行うように教唆する行為の可罰性は肯定しうる。  したがって,教唆犯の故意としては,被教唆者が実行行為を行う認識でたり,結果の発生を認識することまでは必要ないと解する。 【論点】過失犯の共犯 C  過失犯の教唆は可罰的か。思うに,過失犯は無意識をその要素とするので,その犯意を生じさせることは不可能である。したがって,過失犯の教唆の可罰性は否定される。  一方,過失犯の幇助の可罰性はどうか。ここでは処罰するだけの法益侵害の発生の危険性が認められない。また,幇助犯に注意義務違反がある場合に過失犯として処罰すればたりる。したがって,過失犯の幇助行為について可罰性は否定される。 【論点】共犯と身分 A 1 65条1項と2項の関係  65条1項は身分のない者も共犯とする一方で,2項では,非身分者には通常の刑を科すとしている。このように1項は連帯的,2項は個別的に処断すると定めているが,各項の関係をどのように解すべきか。  この点,1項は共犯成立の規定,2項は不真正身分犯の科刑の規定とする説がある。しかし,犯罪の成立と科刑を分離することは妥当でない。  思うに,1項は「身分によって構成すべき犯罪」2項は「身分によって特に刑に軽重がある場合」としている。このような文言に着目し,1項は真正身分犯の規定であり,2項は不真正身分犯の規定であるというべきである。 2 さらに,65条1項の共犯には,共同正犯を含むか。  思うに,非身分者も身分者を通じて法益侵害は可能である。したがって,65条1項の共犯には共同正犯が含まれると解する。 【論点】共犯と錯誤 A 1 具体的事実に錯誤がある場合  共謀の内容と,結果として実行された犯罪の内容に食い違いがある場合,どのように処理すべきか。  (法定的符合説を論証)  以上から,具体的事実に錯誤がある場合は,全員に故意犯が成立する。 2 抽象的事実の錯誤がある場合  まず,重い罪を共謀し,軽い罪を犯した場合,両犯罪が重なり合う限度で,発生した軽い罪について全員が責任を負う。  一方,重い罪を共謀したが,軽い罪しか成立しなかった場合,法定的符合説により重い罪による処断はできない。ただし,重い罪と軽い罪の間に重なり合いが認められる限度で処理されることになる。  ここで重い罪の故意を有する者と,軽い罪の故意を有する者がいる場合,どのように処理すべきか。  この点,罪名の従属性を強調し,重い罪の共同正犯が成立し,軽い罪の故意しかない者は軽い罪の限度で処断刑が決まる(38条2項)とする立場がある。しかし,犯罪の成立と科刑を分離する解釈は妥当ではない。  思うに,共同正犯では共同の正犯行為を通じて法益侵害もしくはその危険を発生させるものである。とすれば,共同して特定の構成要件を実現したという事実を要するいうべきである。  そうすると,共犯間の故意が異なる場合,共犯が成立しないかにも見える。しかし,構成要件的に重なりある範囲については犯罪の共同が認められる。  したがって,右の限度で共犯の成立が認められるというべきである。 3 狭義の共犯と錯誤  まず,AがX家に窃盗に入ることを命じたらY家に窃盗に入ってきた場合,Aの罪責をいかに解するべきか。   (法定的符合説の論証をして)  本問のように具体的事実に錯誤があるに過ぎない場合,構成要件の範囲内で行為者の認識と,事実は重なり合いを認められる。  したがって,故意は阻却されず,Aは窃盗罪の教唆(61条,253条1項)として処断されることになる。  一方,Aが窃盗を命じたら,強盗を行ってきた場合のように抽象的事実に錯誤がある場合,どのように処理すべきか。  法定的符合説からは,犯罪に重なり合いが認められる限度で教唆者も罪責を負うと解する。  本件窃盗罪,強盗罪それぞれの保護法益は他人の財産である。また,行為態様としても奪取罪として,共通性が見られる。  したがって,軽い限度で窃盗罪の教唆とすべきである。 【論点】共犯の離脱と中止 A  例 2人で家に強盗に入る計画  一人が,押し込む前に怖じけずいてやめる  一人が,押し込んでからやめる → その一人の罪責は? 一,1 本問で犯罪行為を断念した者の罪責を判断するには,まずこの者が共犯関係から離脱しているか否かを判断する必要がある。  ここに,離脱とは,共犯関係にある者の一部が犯罪の完成に至るまでの間に犯意を放棄し,自己の行為を中止してその後の犯罪行為に関与しないことをいう。その効果として,離脱後に発生した結果に責任を負わないことになる。 2 上記のように処理されるのは,行為と因果性がない結果への責任を問うわけにはいかないからである。  とすれば,離脱の効果を認めるには,離脱者が自己の行為と他の行為者によるその後の行為との因果性を除去する必要がある。  具体的には,着手前の離脱の場合は,他の共謀者に対して共謀関係からの離脱の意思表示をし,他の共同行為者の了承があればたりる。それだけで共同実行の意思が解消されるのが通常だからである。  それに対して,着手後の離脱については,他の共謀者の実行行為を阻止して,当初の共謀に基づく実行行為が阻止される必要がある。他方,結果が発生した場合でも,積極的な行為によって自己の行為と結果との因果性を遮断すれば離脱は認められると解する。  本問で言うならば,怖じけずいただけでは,着手前であっても,離脱があるとは言えない。したがって,後の他の行為者の責任について全部責任を負う。  一方,押し込んでから行為を止めた者は,ただ自己の行為を止めたのみならず,他の行為者を積極的に止めさせなければならないことになる。 2 それでは,着手後の離脱が認められる場合,結果が発生しても中止を認めるべきか。  思うに,着手後の離脱が認められる場合,未遂犯して処断される。とすると中止犯の成立を認めても,,43条但書の文言に反しない。しかも行為と結果との因果性を除去している場合には,報償を与えるに値する。  したがって,離脱が認められる者には,中止犯として,43条但書が適用ないし準用されるというべきである。 *実行行為終了後の中止行為があった場合  → 離脱はあり得ないが,中止犯の規定は適用される。 〔刑法各論〕 ●生命・身体に対する罪 【論点】人の始期(一部露出説) C  生命・身体に対する罪の客体を明らかにするため,人の始期をいかに考えるべきかが問題となる。  思うに,一部露出すれば独立の侵害の客体になり,要保護性が生じる。  したがって,身体が母胎から一部でも露出したとき胎児は人となると解する。 【論点】同意(承諾・嘱託)により法定刑が軽減される根拠  同意殺人罪では,被殺者が自らの死について承諾をなしている。自由な意思決定により,かように生命が放棄なされた結果,法益侵害の程度が普通殺人罪より小さくなる。法定刑軽減の根拠はここに求められる。 【論点】自殺関与罪の処罰根拠,実行の着手時期 1 自殺関与罪の実行の着手時期をいかに解するべきか。  この点,自殺関与罪が共犯の特別類型であると考えるならば,自殺者の自殺行為の開始に実行の着手時期を求めるべきことになる。  しかし,自殺は自己決定権の現れとして,犯罪というべきではない(注 自殺者に期待可能性がない点を根拠にしてもよい)。とすると,自殺関与罪は共犯の特別の類型ではないことになる。 2 しかし,生命は本人だけが左右しうるものであり,他人への自殺への関与は生命への干渉として可罰性があるといえる。  かように自殺関与罪は独立の犯罪類型として処罰の対象となると解する。すなわち,自殺関与罪は,教唆・幇助行為を独立の犯罪行為として処罰したものといえる。とすると,関与行為こそが実行行為ということになる。  したがって,教唆・幇助行為の開始に実行の着手があると解するのが妥当である。 *参考 自殺の可罰性の否定 → 責任がないことを根拠とする場合  自殺は,既遂に達すれば処罰の対象が存在しなくなる。また,未遂の場合に自殺未遂者を処罰するのは国民の処罰感情に反する。そこで,自殺は犯罪とされないと解すべきである。 【論点】承諾殺人罪の承諾をめぐる問題 1 錯誤による承諾の効果 例 俺も後を追って死ぬから,と嘘をつく  → 本人は死ぬことについては同意しているが?  本問のように,同意が錯誤によるものであるとき,殺害行為を承諾殺人,殺人罪のいずれによって評価すべきか。  思うに,追死が自殺の決意にとって本質的であるならば,自殺についての意思決定の自由が失われる。このような状況でなされた承諾は,錯誤による承諾として,無効とすべきである。  承諾が無効な以上,本件殺害行為は殺人罪の構成要件によって評価されることになる。 (一方で,錯誤が意思決定に重大な影響を与えているとまでは言えない場合,承諾は真意によるものとして,有効であるということになる。この場合,殺害行為は承諾殺人罪によって評価される。) 2 行為者は承諾の存在を認識する必要があるか  被害者に真意による承諾があるが,承諾の表示または行為者の認識がない場合いかに処断すべきか。  思うに,被害者が内心において承諾をしていた場合,結果として承諾殺人罪の結果が発生している。一方で,行為者の認識は殺人罪であるから,重い罪の故意で軽い罪を犯した場合ということができる。  かように抽象的事実に錯誤ある場合,原則として故意は阻却される。しかし,両構成要件に実質的な重なり合いが認められれば,その限りで違法性の意識を喚起できるから,故意責任を問うことができる。  承諾殺人罪は,殺人罪の減軽類型とみうるので,両構成要件に重なり合いは認められる。したがって,行為者は承諾殺人罪の限度で罪責を負う。  結局,行為者は承諾の存在を認識する必要はないことになる。 3 行為者が承諾の存在を誤信した場合  行為者が承諾の存在を誤信し,人を殺害した場合,軽い罪を犯す意思で重い罪を犯しているといえる。  とすると,これも抽象的事実の錯誤の問題となる。  したがって,行為者は軽い認識の限度で処断され,承諾殺人罪の罪責を負う。 【論点】傷害罪の成立に必要な故意  傷害の結果は生じたが,暴行をする故意しかない場合,行為者をどのように処断すべきか。  傷害罪の成立には,あくまでその故意が必要であり,故意ない限り傷害罪を成立させることはできないとも考え得る。この立場からは,暴行罪(208条)と過失傷害罪(209条)との観念的競合(54条)によって処断することになろう。  しかし,傷害の故意と暴行の故意を明確に区別するのは不可能に近い。にもかかわらず,かように解すると,処断刑があまりに軽すぎ,妥当な結論を導けない。  思うに,「傷害するに至らなかったとき」(208条)という文言は,傷害罪が結果的加重犯であることを予定しているといえる。  以上から,傷害罪は暴行の結果的加重犯と故意犯の複合形態といえる。本件行為者は傷害罪として処断されることになる。 *ただし,無形的方法による傷害罪の成立には,傷害結果について故意が必要である点には注意すべきである。 【論点】胎児傷害をいかに処断すべきか C  例 胎児に危害を加える → その結果生まれた後の人に傷害の結果が発生した場合 1 問題点  本問の場合,分娩時期が早まっていないから,堕胎罪は成立しない。そこで,傷害罪の成立を認められないか。胎児は人ではないので問題となる。 2 まず,胎児は母体の一部であると考えれば,胎児への攻撃は,母体という人に対する傷害といえる。その上で,生まれた子という人に傷害結果が発生するのであるから,傷害罪の成立を認めることができそうである。  しかし,胎児に対する傷害を母体への攻撃と解すると,自己堕胎は自己傷害ということになる。となると,自己堕胎が可罰的であることの説明がつかない。  しかし,傷害結果が生じた胎児が生まれた場合,母親への攻撃によって,母親の健康な子供を産むという機能が害されるとみることができる。すなわち,母親に対して結果が発生する傷害罪とみるのが妥当である。 【論点】同時傷害の特例の趣旨 C  同時犯においては,行為者相互間に意思の連絡がない。したがって,単独犯としてそれぞれの行為者について犯罪の成否が検討されるのが原則である。  207条は傷害行為が行われた場合に限り,意思の連絡なくても共犯規定により処罰される場合を認めるものである。  一つの客体に複数の暴行が競合した場合,発生した傷害の原因行為の特定が難しい。因果関係の推定は,それでも行為者に処罰を免れさせるべきではない,という政策的理由によって認められるものである。 【論点】遺棄の意義 C  「遺棄」(217条,218条)の意義が明らかでなく,問題となる。  思うに,217条は保護責任ない者を処罰する規定であるから,そのような者に不作為を処罰するための作為義務はない。  したがって,217条の遺棄は移置のみをさし,218条の遺棄は移置・置き去りを意味すると解するべきである。 ●自由に対する罪 【論点】逮捕・監禁罪(220条)の客体  本罪の保護法益は身体活動の自由である。したがって,本罪の客体は身体活動の自由を有する自然人であり,嬰児などは除外される。  それでは,実行行為の時点で具体的な行動の意思・能力がない者は,本罪の客体となるか。  思うに,被害者がたまたま行動の意思を起こすか否かで,犯罪の成否が左右されることになるのは妥当ではない。身体活動の自由とは,行動したいときに行動できる自由というべきである。  したがって,客体の有する自由の程度は潜在的・可能的自由でたり,本罪の客体たるために具体的な行動の意思・能力は必要ないというべきである。  さらに,監禁・逮捕の事実を被害者は認識している必要があるかについても,不要であるということになる。 【論点】強姦致死傷で故意ある場合の取扱 C  強姦犯人が死傷に故意ある場合,いかなる構成要件により評価すべきか。  まず,強姦致傷罪(181条)は結果的加重犯であるから,故意ある場合とない場合が同一の条文で規定されるのは不自然であるともいえる。  そこで,故意ある場合は,強姦罪と殺人罪もしくは傷害罪との観念的競合が成立するとの見解がある。  しかし,傷害結果が発生した場合,強姦罪と傷害罪の観念的競合に止まるとすれば,無期による処罰の可能性がなくなり,刑の均衡を失する。  思うに,傷害の結果は姦淫行為の際に伴うことが多い。とすれば,傷害の故意ある場合が強姦致傷罪の構成要件において予定されていると考えるのが素直である。  以上から,傷害の故意ある場合は強姦致傷罪が成立すると解するのが妥当である。 【論点】住居侵入罪の処罰根拠  「正当な理由がないのに…侵入」(130条)とは,いかなる態様による立ち入りを指すのか。  この点,平穏を害する態様による住居への立ち入りを指すとする見解がある。  しかし,平穏は社会の平穏と結びつきやすく,本罪の保護法益が社会的法益であるとみる考え方の残滓がみられる。しかも,個人の意思から法益を分離するのは妥当でない。  思うに本罪の保護法益は住居に誰を立ち入らせ,誰の滞留を許すかを決める自由であるというべきである。したがって,住居等の一定の場所を管理支配する権利を害する立ち入りが本罪で処罰されるというべきである。 ●名誉・信用に関する罪 【論点】事実の公共性 C  巨大な宗教団体の会長の私行について,事実の公共性は認め得るか。  この点,(旧出版法などでは,私行は事実証明の対象から除外されていた。しかし,)当該私人の社会的活動の性質,社会に及ぼす影響力を考えるならば,私行であってもその社会活動に対する批判,評価の一資料となるというべきである。当該私人の社会活動が公人といえるものであるならば,それに対する批判,評価の一資料となるからである。  したがって,当該事実に事実の公共性を認められる場合はありうる。 【論点】230条の2の法的性格  230条の2は名誉毀損罪にあたる行為を処罰しないとするが,同条の法的性質をいかに考えるべきか。  この点,真実性の挙証責任を被告人に負わせているから,単なる処罰阻却事由と考える説がある。  しかし,表現の自由に基づく真実の公表は,積極的に正当な行為と評価されるべきである。  思うに,事実の公共性・目的の公益性が認められる場合の真実の公表は違法とは言えないというべきである。  したがって,230条の2は違法性阻却事由を定めたものというべきである。 【論点】真実性の証明に関する錯誤  真実性の証明に失敗したとき,名誉毀損行為をなした者は処罰されるしかないのか。  (230条の2の法的性質を論じて)このように,230条の2は違法性阻却事由と解すべきである。  とすると,230条の要件事実がないのにあると考えた場合,認識としては完全な正当行為であるから,故意責任を問うわけにはいかない。  したがって,かかる場合故意を阻却し,名誉毀損罪が成立しないと解する。  ここで,いかなる場合に故意を阻却するといえるか。軽率にも真実であると誤信した者を保護するのは,名誉権を不当に害する結果となる。  名誉の保護と表現の自由との調和と均衡の観点から,確実な資料・根拠に照らし,誤信に相当の理由がある場合に故意が阻却されると解する。すなわち,証明可能な程度に真実であると誤信した者が故意責任を阻却されると解する。 (35条説)   真実性の証明に失敗した場合でもなお,表現の自由の正当な行使として,違法性が阻却される場合は認められるというべきである。  すなわち,確実な資料・根拠に基づいた事実の摘示は,表現の自由の正当な行使として,230条の2を準用すべきであるというべきである。 【論点】名誉毀損と侮辱罪の区別  名誉毀損罪と侮辱罪はいずれも人の名誉に対する犯罪として共通する性格を有する。そこで,両罪の成立についていかに区別すべきか。  この点,保護法益で区別する説がある。しかし,この見解では侮辱罪を名誉感情を保護法益とするが,侮辱罪で公然性が要求されていることが説明できない。また,幼児や感情のない法人も侮辱罪の主体というべきであるから,保護法益は両罪とも外部的名誉というべきである。  そこで,「事実を摘示しなくても」(231条)とあることから,事実の摘示の有無で区別するのが妥当である。すなわち,事実を摘示する場合が名誉毀損罪であり,事実を摘示しない場合が侮辱罪ということになる。 【論点】「公務」は「業務」に含まれるか  「威力」(234条)には暴行にいたらない実力も含む。また,偽計による公務執行妨害罪は成立しない。  とすると,威力や偽計から公務を保護するため,公務も「業務」(234条)に含める必要があるというべきである。  その法律構成が問題となるが,権力的公務については威力・偽計は実力で排除できるが,非権力的作用はそのような実力はない。しかも,非権力的公務は私人の業務と区別する必要がなく,「業務」にあたるとしても無理はない。  したがって,非権力的公務のみが「業務」に含まれるとするのが妥当である。 ●財産に対する罪 【論点】財物の意義 1 財物は有体物に限るか。  民法85条は,物を有体物と定義する。そこで,財物とは有体物であるということがいえるが,財物とはこれに限られるのか。  まず,電気などのエネルギーを盗用するものを取り締まる必要があるから,管理可能な物は財物とすることが考えられる。  しかし,財物が物という概念から乖離しすぎるのは妥当でない。したがって,財物とは,物理的に管理可能な物をさすというべきである。 2 禁制品も財物か  覚せい物など私人による所有・占有が禁止されている物は,財産罪の客体になるか。  思うに,禁制品もその没収には一定の手続が必要である。すなわち,法律上の没収手続によらなければ没収されないという意味で事実の占有が可能である。  したがって,法律的手続によらない奪取行為に対しては刑法上保護の必要があるから,その範囲においては財物性を認めるべきである。 【論点】財産犯の保護法益論  財産罪の保護法益をどのように考えるべきか。  思うに,財産罪は究極的には所有権を保護するものである。  しかし,現代の複雑な所有・占有関係の下では, 本権を保護するために,権原の有無にかかわらず,平穏な占有は保護する必要がある。財物の占有侵害において,権原によるかどうかを確認することは到底望みえないからである。  したがって財産罪は平穏な占有を保護法益とすると解するのが妥当である。 【論点】領得罪成立における不法領得の意思 A 1 不法領得の意思判断の要否  領得罪の成立に,不法領得の意思の有無を判断する必要があるか。  他人の財物を自己または他人の占有に移転する意思があれば領得罪が成立するとすれば,拾った物を警察に届けるのも占有離脱物横領罪(254条)になるおそれがある。  とすると,領得罪の構成要件に該当するというにはどうしても不法領得の意思という内心(主観)的超過傾向を判断せざるを得ない。 2 不法領得の意思の内容  では,かかる不法領得の意思の内容について,いかに解するべきか。  まず,不可罰的な使用窃盗と窃盗罪との区別のため,所有者として振る舞う意思が必要であるというべきである。さらに,窃盗罪と毀棄罪とを区別するため,物を経済的用法にしたがって利用する意思も必要と解する。 【論点】窃盗罪〜上下・主従間の占有  同一の財物について上下主従の関係に立つ者が,財物に対して事実上共同支配の状態にある場合,雇人にも占有を認められるか。  思うに,使用人の占有は通常は上位者の占有を機械的に補助するものに過ぎない。  したがって,占有は一般に上位者にのみあるというべきである。すなわち,使用人が店の物を盗んだら窃盗罪が成立する。  もっとも下位者とはいえ,上位者との間に高度の信頼関係があり,支配している財物についてのある程度の処分権が委ねられている場合がある。このような場合,下位者には占有が認められる。ここで下位者がその財物をほしいままに処分する行為は横領罪または業務上横領罪(252条1項2項)を構成することになる。   【論点】封緘物の占有  封緘物とは,財物を封印・施錠した物であるが,その中身の占有は委託者・受託者のいずれにあるか。  封緘あるとき,中身は披見できないから,内容についての事実上の支配は委託者にあるとせざるを得ない。  したがって,包装物全体の占有は受託者に帰属しているが,中身は委託者に帰属しているとすべきである。  本見解によると,全体を自己の物にすれば軽い横領で,中身を抜き取れば重い窃盗という結論になり,奇妙であるかに見える。  しかし,在中物を領得する意思があるのが普通であるので,いずれ窃盗罪が成立するから奇妙な結論にならない。  また,封緘物の委託を受ける者が業務上の占有者であれば,窃盗罪と業務上横領罪の法定刑は同じであり,問題は生じないというべきである。 【論点】死者の占有 A 1 殺害者が殺害後奪取の意思を生じた場合  死者には占有の事実も意思も認められないから,死者の占有は認められない。  ただし,被害者が生前に有した占有は,殺人犯人に対する関係では,殺人との時間的・場所的近接性がある限り,なお刑法的保護に値する。  とすると,殺害から被害者の死を利用した財物奪取までの一連の行為を全体的に観察すると,財物奪取は生前の占有を侵害する行為と評価できる。  したがって,奪取行為は窃盗罪(235条)として処断されるべきである。 2 一方,第三者が死体から財物を奪取する行為については,占有離脱物横領とせざるを得ない。  あくまで,死者に占有はないからである。 【論点】窃盗罪の着手時期  窃盗罪の実行の着手時期は,一般的には占有侵害の具体的危険が高まったときに求めることができる。  具体的には物色行為があれば,原則として窃盗罪の着手が認められると解する。 【論点】窃盗罪の既遂時期  窃盗罪の既遂時期は,被害者が占有を喪失し,行為者または第三者が占有を取得したときということができる。  ただし,行為者が占有を取得した時期については,物の性質・被害者の管理の態様など諸般の事情を考慮して個々的に判断することになる。 【論点】親族相盗例〜親族関係の錯誤  親族関係がないにもかかわらず,あると誤信した窃盗犯人をどのように扱うべきか。  思うに,親族間の特例による窃盗犯の処罰阻却(244条)は「法律は家庭に入らず」との観点から政策的に認められたものである。  すなわち,244条は一身的処罰阻却事由というべきである。とすると,親族関係の存否は一身的処罰阻却事由であり,故意の対象ではない。  したがって,本件錯誤は故意に影響しない。行為者は窃盗罪の罪責を負う。 【論点】親族関係は犯人と誰との間に必要か  244条適用のためには,所有者・占有者・窃盗犯の三者うち誰との間に必要か。  思うに,244条で処罰が阻却される理由は,家庭内の問題は法が介入せず自主的に解決させることが妥当であるとの政策的考慮にある。  しかし,他人を巻き込めば家庭内の事件とは言えない。  したがって,244条適用のためには,関係者すべての間に親族関係が必要であると解する。      【論点】強盗罪における暴行・脅迫の意義 A 1 強盗罪の成立には財物奪取の手段としての「暴行」「脅迫」(236条)の程度が,反抗抑圧にたるものである必要がある。  しかし,そのような程度にあるか否かの判断基準をいかに解すべきか。  思うに,客観的には強盗の手段とよべない暴行・脅迫しか加えられていない場合には,強盗罪の成立を認めるべきでない。これは構成要件該当性の問題であるから,一般人を基準とするのが妥当である。  ただし,判断にあたっては,暴行・脅迫自体の強度・態様に加え,被害者の性別・年齢,犯行の時刻・場所などの要素を考慮に入れ,具体的に判断されねばならない。  たとえば,深夜後ろから脅迫的言辞とともにモデルガンを突きつける行為についてはどうか。  後ろからだとおもちゃとは分からないし,仮に分かっていても,深夜,脅迫的言辞をもってなされれば当該行為も反抗抑圧にたるものということができる。したがって,「暴行」にあたるといってよい。 2 客観的に反抗抑圧にたるだけの暴行が加えられたにもかかわらず,相手が反抗抑圧されずに財物を交付した場合,刑法上いかに評価すべきか。  この点,恐怖心が生じて財物が交付されたならば,強盗罪は既遂に達するとするのが判例である。  しかし,この場合は恐喝罪の結果が発生しているに過ぎない。とすると,強盗罪は,未遂に止まるというべきである。  一方,全く恐怖心は生じなかった場合は,問題なく未遂に止まる。 3 一方,客観的には強盗罪の暴行にあたらない程度の暴行行為がなされたが,特に相手が臆病で,反抗が抑圧された場合はどのように考えるか。  思うに,客観的に最狭義の暴行・脅迫が行われていない以上,恐喝罪が成立するに過ぎないといわざるをえない。  ただ,行為者が被害者が臆病であるということを知っている場合は強盗成立としてよいと解する。行為者の内心,結果とも強盗罪の可罰性を備えているといえるからである。 4 反抗抑圧後に財物奪取の意図を生じ,行為者が被害者から財物を奪取した場合,原則として窃盗罪が成立するに過ぎない。暴行・脅迫が財物奪取の手段とされていないからである。  もっとも,新たに暴行・脅迫があれば強盗罪としうる。  そして,この場合の暴行・脅迫は通常に比較して,軽度のものでよい。なぜなら,既に反抗抑圧されている者に対しては,軽度の暴行・脅迫で被害者は十分反抗抑圧されるからである。 【論点】処分行為の要否  強盗利得罪の成立において処分行為は必要か。  思うに,一項強盗において処分行為は不要であるから,強盗利得罪でも同様に解すべきである。  したがって,被害者の処分行為は強盗利得罪の成立に必要ない。  しかし,強盗が既遂に達するか否かの判断のため,利益が移転するか否かの判断は慎重にする必要がある。  例えば,単に債務者が債権者を反抗抑圧しただけでは,強盗利得罪は成立しない。既遂と言いうるには,債権の行使を当分の間不可能にし,支払の猶予を得たのと同視し得る程度にしなければならない。 【論点】不法原因給付と強盗 1 拳銃購入代金を強取した場合  この場合は,強盗罪が問題なく成立する。強取される方に任意の交付が存在しないから,そもそも,不法原因給付とは言えないからである。 2 代金の交付を受けた者が,暴行・脅迫によって返還を免れた場合  代金の交付を受けた者は民法上は返還する義務はない。しかし,刑法処罰に値するか否かは,民事法上とは別に,財産に対し刑事法上の保護が必要か否かによって判断すべきである。  すなわち,強く公序良俗に反する利益でない限り, 強盗罪が成立するというべきである。 【論点】強盗として扱う理由 A  窃盗犯人が反抗終了後,暴行・脅迫を加えることは,刑事学類型上の顕著に見られる。また,行為を全体的に観察した場合,強盗行為に準ずる性格がうかがわれる。  そこで,このような場合を独立罪として強盗として論ずることとされたものが事後強盗罪である(238条)。 【論点】事後強盗罪における暴行・脅迫の程度  事後強盗罪は強盗として評価されるものである(238条)。したがって,事後強盗罪における暴行・脅迫の程度は,相手方の反抗を抑圧する程度のものである必要がある。 【論点】暴行・脅迫と窃盗行為との関係  事後強盗罪の成立に,窃盗の暴行・脅迫と窃盗行為とにはいかなる関係が必要か。  思うに,事後強盗は強盗として扱われる(238条)。とすれば,強盗罪における暴行・脅迫が財物奪取の手段として行われる必要があることとの均衡を図らねばならない。  したがって,事後強盗罪における暴行・脅迫は,窃盗の機会に行われる必要がある。すなわち,原則として,時間的・場所的に窃盗行為に接着した範囲内で行われることが必要である。  もっとも,多少の時間的・場所的離隔があっても,窃盗の現場の継続的延長と見られる場所で暴行・脅迫が行われたならば,窃盗の機会性は認められると解する。 *窃盗の機会性の認定 → 時間と距離がポイント 【論点】暴行・脅迫にのみ加功した者の罪責 A 1 事後強盗行為において,窃盗でない他人が暴行・脅迫のみに加功した場合,刑法上いかに評価すべきかを検討する。  まず,この事案をいかなる問題と扱うべきか。この点,窃盗行為に実行の着手時期を認め,本罪を承継的共同正犯として扱うこともできそうである。しかし,窃盗行為に実行の着手を認めれば,窃盗をすれば,すべて事後強盗罪の未遂罪に問われることになりかねず,妥当でない。  思うに,本罪の性質は窃盗犯という身分ある者しか犯せない身分犯というべきである。  すなわち,実行行為は暴行・脅迫である。したがって,本件は共犯と身分の問題として扱うべきである。 2 となると,本罪は真正身分犯か不真正身分犯か。  窃盗の身分ない者が実行行為をすればと,暴行・脅迫罪となることから不真正身分犯ともいえそうである。  しかし,暴行・脅迫と準強盗では保護法益が全く異なるので,本罪を暴行・脅迫罪の加重類型とするのは無理がある。  したがって,真正身分犯というべきである。 *後の処理 → 65条1項2項の関係,65条1項に共同正犯が含まれるかを論証する 【論点】居直り強盗  窃盗の実行着手後における暴行・脅迫による財物を奪取をどのように評価すべきか。  思うに,暴行・脅迫が財物奪取の手段となっていることからして,この場合は通常の強盗罪が成立する。事前の窃盗行為は強盗行為に吸収されて評価されることになる。 【論点】事後強盗の予備 例 窃盗の意図でありながら,発見された場合に脅して逃げるための道具を用意する行為  この場合,脅すか否かは確定的でない。  しかし,見つかった場合に脅す意思は確定的であ り,いうならば脅すか否かが条件にかからしめられているに過ぎない。  事後強盗は強盗をもって論ずる(238条)ことからしても,事後強盗罪についても予備罪を成立しうるというべきである。 【論点】強盗が死傷の結果に故意ある場合の処理 A  死傷の結果に故意ある場合を本条に含めて処罰すべきか。  思うに,240条には結果的加重犯の条文にみられる「よって」の文言がない。  また,本条の趣旨は刑事学類型上,強盗が傷害・殺人の結果を発生することが顕著に見られるから,禁圧のため厳罰に処す点にある。とすれば,本条が故意ある場合を予想していないとは考えられない。  したがって,故意ある場合を本罪に含めるべきである。 【論点】強盗と致死傷を生じた暴行・脅迫との関係   強取の手段としての暴行・脅迫によって生じた致死傷に限るか。  本罪の趣旨は,刑事学類型上,強盗行為の際,致死傷の結果が顕著に見られるから,これに対して厳罰をもって禁圧する点にある。とすれば,本罪の成立を右のように限定するのは狭きに失する。  しかし,偶然発生した致死傷の結果まで強盗犯に帰責するのは妥当でない。  そこで,強盗の機会に致死傷の結果が発生した場合に本条の適用があるというのが妥当である。  すなわち,財物奪取・確保に向けられた一連の行為の中で致死傷の結果は発生する必要がある。 【論点】脅迫による致傷  脅迫によって被害者に致傷の結果が発生した場合,強盗致傷罪(240条)の適用はあるか。  脅迫行為を原因として,被害者が畏怖し,危険な行動に走ることは経験則上あり得る。  したがって,本罪の適用があると解する。 【論点】致傷の程度 A  強盗致死傷罪成立のための致傷の程度は傷害罪と同程度でよいのか。  思うに,被害者が反抗抑圧される程度の暴行が加えられた場合,傷害の結果が発生するのが通常である。  このような場合に,すべて240条が成立するとなると,本罪は7年以上の懲役であるから,酌量減刑しても執行猶予をつけることができず,刑が重きに失する。  思うに,軽い傷害の結果は強盗罪の中で評価されているとみうる。  したがって,強盗致傷罪の成立には,発生した傷害結果は,傷害罪におけるよりも重いものであることが必要である。具体的には,医師の治療を必要とする程度のものを必要とすべきである。 【論点】死者の占有と強盗殺人  (暴行の存在を認定して)  殺して物を奪う認識とは,殺人と占有離脱の故意に過ぎず,強取の意思にかけるのではないか。  しかし,被害者から殺人によって占有を離脱させて財物を奪う行為を全体的に見れば,生前の占有を侵害したと評価できる。  したがって,殺して物を奪うという認識は暴行を手段として生前の占有を侵害する故意といえるので,強盗殺人の故意を認めてよい。 【論点】詐欺罪の構造 A  詐欺罪の成立には,欺罔行為・錯誤・処分行為・利益の移転の各事由が客観的に因果の連鎖をなす必要がある。かつ,かかる事情が主観的には一つの故意に貫かれる必要がある。 【論点】欺く行為と財産的処分行為との関係  詐欺罪の欺罔行為は,錯誤による財物交付に向けられたものである必要がある。  例えば,試着のためと偽り,受け取った服を着て逃げるのは窃盗罪であって詐欺罪ではない(*高裁判例)。また,火事だと偽り,店員の注意をそらした隙に店頭の物を奪うのも窃盗罪であり,詐欺罪ではない。 【論点】不作為による欺罔行為  欺罔の手段に制限はない。たとえば,欺罔行為は不作為にでもなしうる。処分権者が錯誤に基づき財産を処分しようとしている際に,告知義務がありながら,義務を果たさなかった場合である。(例 釣り銭詐欺) 【論点】キセル乗車  いわゆるキセル乗車行為が詐欺利得罪(246条2項)を構成するか。  この点,キセル乗車の意図を気づけば入場させないのは明らかであるから,入札係に乗車券を提示した点に欺罔行為を認める見解がある。  この見解は,乗務員の役務の提供が利益の移転とする。しかし,このように考えると途中下車した場合まで詐欺罪が既遂となり,行き過ぎである。  思うに出札口で清算すべきなのに正規の運賃の支払が済んでいるかのように装う点に欺罔行為があるというべきである。  そして,改札係員は錯誤によって請求すべき運賃の支払いを請求できなくなるから,不作為による処分行為をなしているといえる。  したがって,被欺罔者,処分行為者とも出札員となる詐欺利得罪(246条2項)が成立する。  この点,出札係は請求すべき債務の存在すら知らないから,処分行為はないとも考えられる。  しかし…(「処分意思の要否」の論点を書く) 【論点】処分意思の要否 A  処分意思に基づく処分行為の存在は不可罰的な利益窃盗との区別から必要な概念である。しかし,そのような区別ができるならば,その限度で明確な債務免除の意思表示は不必要である。  したがって,欺罔しなかったなら,相手方が必要な作為をすると認められる事情がある場合には,不作為による処分行為を認めてもよいと解する。 【論点】無銭飲食 1 初めから無銭飲食の意図ある場合は,注文した時点で挙動による欺罔行為がある。  かかる疑問行為に基づいて,支払受けられると欺罔された店から飲食物の提供を受けたれば,一項詐欺が成立する(246条1項)。 2 途中で気づいて黙って逃げた場合  注文時点では詐欺罪の故意に欠ける。また,逃げる行為は欺罔行為ではない。  したがって,本事例は利益窃盗として,不可罰になると解する。 3 飲食後店主にその気がないのに「後で払います」と言った場合  後で払うというこの行為自体が欺罔行為である。  この行為に対して,相手が債務の猶予の意思表示をすれば,問題なく詐欺利得罪(246条2項)が既遂に達する。 4 忘れ物を取りに行ってくると言った場合  この場合,店主には支払猶予の意思はないから,犯人の申し出に応じることが処分行為といえるか。 思うに,詐欺罪の成立においては,瑕疵ある意思に基づいて財産上の利益が自己又は第三者の下に移転すればたりる。したがって,明確な債務免除の意思表示は不要であり,欺罔しなければ必要な作為をすると認められる事情があれば,処分行為の存在を認めてよい。  したがって,本問事案では詐欺利得罪が成立するというべきである。 【論点】欺罔して財物を放棄させた場合  財物が放棄されれば,行為者が当該物を自由に拾得できる。  つまり,被欺罔者の処分行為によって行為者が自由に処分できるから,欺罔行為者の事実上の支配下に財物が移転しているというべきである。  よって,詐欺罪(246条1項)が成立するというべきである。 【論点】訴訟詐欺  裁判所を騙して,勝訴判決をえる行為は,詐欺罪を構成するか。  訴訟では裁判所は当事者の主張に拘束されるから,虚偽だと分かっていても裁判しなければならない。この点をさして,詐欺罪は成立しないとする見解もある。  しかし,裁判所は自由心証によって事実の有無を判断するから,裁判官が事実誤認し,錯誤に陥ることはあり得るというべきである。  しかも,裁判所の判決の結果,強制執行によって財物を交付させることができる。したがって,裁判所が被欺罔者兼処分権者である詐欺罪(246条)が成立するというべきである。  すなわち,被欺罔者と被害者が異なるいわゆる三角詐欺の形態をとることになる。 【論点】クレジットカードによる詐欺  支払意思ないままカードを提示し,物品を購入する行為は刑法上いかに評価されるべきか。  まず,支払意思ないカードの提示は挙動による欺罔にあたるといえる。  また,加盟店は,行為者に支払い意思がないことを知ったならば,カードの提示に対して物品は引き渡さなかったと言える。したがって,商品を加盟店が犯人に引き渡した時点で,錯誤による処分行為はある。  次に,財産的損害をどのように考えるべきか。  思うに,詐欺罪はが個別財産に対する罪である。したがって,加盟店が商品を失った点に財産的損害を観念すべきであり,この時点で一項詐欺罪が成立するというのが妥当である。 【論点】不法契約・不法原因給付と詐欺罪 1 裏口入学のための事務処理を請け負った請負人が,代金を受け取ったまま逃げた場合,注文者は原則代金の返還請求できない。それでも,いわゆる一項詐欺罪(246条1項)は成立するか。  思うに,詐欺罪の成立において重要なのは欺罔されなければ処分行為をしなかったであろうという点である。とすると,代金を支払った時点で処分行為も損害も発生しており,これはその後の返還請求の可否には関係がない。  したがって,当然に詐欺罪が成立する。 2 裏口入学はうまくいったが,依頼人が欺罔行為によって代金を支払を免れた場合,二項詐欺(246条2項)は成立するか。  民法上裏口入学の依頼契約は無効であり,依頼人はもともと代金支払い債務は負っていない。となると,かかる債務を欺罔行為によって免れても利得を得たとはいえないかにみえる。  しかし,財産罪の処罰根拠は,他人の財産・利益を不法に得ることで財産秩序が乱れることを防ぐ点にある。そして,事実上債務を負う者が,欺罔行為によって債務を免れれば,財産秩序が乱れる点については同じということがいえる。  したがって,二項詐欺罪が成立すると解する。 【論点】盗取物を質に入れた場合  まず,盗取者の質入れ行為は不可罰的事後行為とされ,犯罪を構成しないのではないか。。  思うに,不可罰的事後行為が処罰されない根拠はとは当該構成要件がその後の違法な財産状態についてまで評価していると考えられる点にある。  とすれば,新たな法益が侵害されていると言える場合には,当該行為は別個に評価されるべきである。  この場合は,新たに質屋の財産が侵害される可能性がある。  また,詐欺罪は,全体財産に対する罪ではなく,個別財産に対する罪である。すなわち,盗品であれば質屋は質受けをしなかったといえる関係があれば,財産上の損害は観念できる。  したがって,盗品をそれであると黙秘して質入れする行為は詐欺罪を構成するというべきである(246条2項) 【論点】権利行使と恐喝 A 1 他人が不法に占有する自己の所有物を取り戻す場合  本事例は,物の占有を恐喝によって自己の占有に移す行為が問題となるから,財産罪の保護法益の問題となる。 (*平穏な占有説をとる → 恐喝罪の構成要件に該当 → 違法性阻却事由の有無を検討) 2 債権の回収に際して脅迫的な言辞を用いた場合  この点,実質的な権利侵害はないが,脅した点には犯罪性があるとして,脅迫罪が成立するとする説がある。  しかし,債務を免れることと脅されて給付を履行することとの利益は等価ではない。正規の手続きでしか取戻を受けないという利益が害されているからである。恐喝罪は個別財産に対する罪というべきであるから,財産的損害は認められるというべきである。  以上から,権利を実行する手段として恐喝行為を行った場合も恐喝罪が成立する。  ただし,権利行使の手段として恐喝行為を用いた場合も,権利行使の範囲内にあると認められることがある。その場合は,正当行為として違法性が阻却される。 【論点】二重譲渡の処理 A 1 売主の責任(横領罪について) (1)売主が売約済みの不動産を第三者に譲渡して,対抗要件を備えさせた行為について,横領罪が成立する可能性があるので,以下検討する。  まず,売主に占有はあるか。  横領罪における占有は,濫用のおそれのある支配力である。したがって,事実上の占有のみならず法律上の占有も含むというべきである。  本問で,売主の下に登記があれば,横領罪成立に必要な占有があるというべきである。 (2)次に,本問二重売買の目的物は他人の物といえるか。  思うに,民法上は契約あれば所有権が移転するとされている。しかし,契約あれば他人物性をみとめるとすれば,処罰範囲が広がりすぎる。  したがって,刑法による要保護性を考慮し,別個に考えるべきである。  たとえば,代金の支払など。買主がある程度の支配を備えて初めて,目的物が他人の物にあたるとすべきである。 (3)さらに,売主は売買契約によって土地・登記名義を保管する義務がある。したがって,委託信任関係も認められる。  さらに,横領罪の成立には,一時使用の目的と区別するために不法領得の意思が必要である。  ここに不法領得の意思の内容は,横領罪が委託信任関係を破って行われる犯罪であることを考慮して決するべきである。具体的には,委託信任関係に背いて,権限なく所有者でなければでいないような処分をする意思を指す。  本問でいうと,登記移転は所有者でなければできないし,経済的用法にも合致している。  したがって,不法領得の意思は認められる。  最後に,登記時に右のような意思が確定的に発現しているから,この時点で横領罪は既遂に達しているというべきである。 (4)以上から,売主は横領罪の罪責を負う可能性がある。 2 売主の責任(詐欺罪)  新買主は,所有権を取得できるから,原則損害はなく,詐欺罪は不成立になる。  ただし,新買主が,第一譲受人の存在を知っていたら買わなかっただろうと考えられる特別の事情があるときは,例外的に詐欺罪が成立する。詐欺罪は個別財産に対する罪だからである。 3 買主の責任  事情に悪意の買主は,横領罪の共犯にならないのか。  思うに,刑法の謙抑性の観点から,民法上有効に財産を取得できる場合を処罰すべきでない。  したがって,事情について買主が単純悪意の場合は,共犯にならない。一方,買主が背信的悪意者である場合には犯罪成立の可能性があるというべきである。  *共犯と身分の話も書くこと(横領罪は真正身分犯) 【論点】不法原因給付と横領 A  拳銃の購入代金として預かっている金を横領した場合  本問のように不法現金給付物を横領した場合,横領罪は成立するか。  この点,民法上反射的に所有権が移転し,返還請求ができない。にもかかわらず,この場合,横領行為を処罰すれば,刑法をもって返還を強制することになり,法秩序の統一性を破るとする説がある。  しかし,刑法の他人性は不法な領得行為に対して刑法上保護すべき利益があるかいなかという観点から判断すべきである。このように刑法と民法とでは他人物性を別に考えるべきである。  そして,禁制品や窃盗犯の財物奪取が処罰される均衡上,不法原因給付物も横領罪の客体というべきである。 【論点】業務上横領と共犯  通常の人が,業務上他人の物を占有する者と共同で横領行為をなした場合,65条1項で処理するか,2項で処理すべきか。  思うに,通常の人からすると,業務上の占有者であることは真正身分である。したがって,65条1項で業務上横領罪が成立するというべきである。  しかし,単なる占有者が業務上物を占有する者と共犯行為を行った場合,65条2項で単純横領が成立することとの均衡を欠くおそれがある。  そこで,処断刑は横領罪を基準にすべきであると考える。 【論点】背任罪の罪質  まず,「事務」(247条)とは,信任関係に基づくものであれば,事実上の事務と法律上の事務とを問わない。ただし,犯罪の成立範囲を明確にする必要がある。 背任罪は本人に財産的損害を加える前提としての行為であることからみて,「事務」は財産上の事務に限られるべきである。  このような権限を濫用して行われる背信行為が本罪の実行行為である。 【論点】図利・加害目的の意義  図利目的とは自己又は第三者の利益を図ることである。したがって,本人の利益を図る目的でなした行為は処罰できない。  とすると,本人の利益を図る目的と,自己・第三者の利益を図る目的が混在している場合はどのように考えるべきか。  およそ,自己又は第三者の利益をはかる目的あれば処罰するというのでは,図利加害目的を要件として要求した意味がなくなる。  したがって,このような場合は,主たる目的が何であるかによって目的の有無を判断せざるを得ない。 【論点】二重抵当 1 背任罪の成否 (1)抵当権設定者は他人の事務処理者か。  思うに,抵当権設定者は抵当権者に抵当権を得させるという事務を処理する者である。  ここに,必要書類を全て手渡している場合も,抵当権設定者は未だ他人の事務を処理する者といえるか。  思うに,この者も抵当権者の抵当権取得を妨害しないという消極的義務を負っている。  したがって,完全に抵当権の設定が終了するまで,抵当権設定者は他人の事務処理者にあたる。  次に,抵当権設定者には自己なり,他の抵当権者の利益を図る意図ある以上,図利加害目的は認められる。 (2)さらに,抵当権設定者は抵当権を得させることを妨害しない義務に反する行為をしているから,任務違背行為がある。また,一番抵当と二番抵当では価値が違うから,財産上の損害も認められる。  以上より,抵当権設定者に背任罪は成立する。 2 詐欺罪の成否 *横領とパラレル  原則成立しないが特段の事情あれば成立する 3 共犯の成否 *これも横領罪と同じ ・背任罪の共犯 → 65条1項の問題として処理 ・ただし,刑法の謙抑性   → 背信的悪意でないかぎり共犯は成立しない 【論点】財産上の損害 A  不良貸付がされた場合,財産上の損害は認められるか。  背任罪の成立には,全体財産に損害を発生させることを要し,かつそれでたりる。  したがって,損害が発生したかにみえても,これに対応する反対給付があれば,損害はないみることになる。  とすると,本問事例では金銭の支出に対して,債権を取得しているから財産上の損害はないかに見える。  しかし,全体財産への損害は法律的損害ではなく,経済的損害において,実質的に判断すべきである。となると,実価が低い債権を取得したのみでは,十分な反対給付があったとはいえない。経済的損害は認められるというべきである。 【論点】横領と背任の区別 A  特に問題になる場合  他人の事務の処理者が自己の占有する他人の物を不法に処分 → どちらの罪が成立するのか  本問の事例においては,横領罪と背任罪,いずれが成立するか。その判断基準が問題となる。  思うに,物の処分が問題となる本問事例は,物のみを客体とする横領罪の成否を基準に両者を区別するべきである。  そして,横領罪の成否は不法領得の意思の有無から判断されるから,かかる意思の有無をもって横領罪か背任罪かを区別することになる。  たとえば,外形上権限内にあたる行為であっても委託の趣旨から絶対に許されない行為はほしいままの処分と言わざるを得ない。  したがって,このような場合は横領罪となる。 【論点】盗品等に関する罪の本質 A  (この点,本罪の罪質を本権者の追求権であるとする見解がある。しかし,当該見解は麻薬を盗んだ者から麻薬を買えば本罪は不成立となることになり,結論が不合理である。  一方,本罪を違法な財産状態を維持することを内容とする罪と見る見解もある。しかし,密漁行為によって得た獲物も本罪の客体となりかねず,処罰範囲が広がりすぎる。)  思うに,本罪の複雑な罪質からすれば,本犯罪の本質を一面的に捉えるのは妥当でない。本罪は刑法典上財産罪の一種とされていることから,本犯は財産罪に限定するべきである。ただし,不法原因給付物や禁制品に盗品等の性格を認められないというのは不都合である。  したがって,本罪は財産罪によって取得された財物に対する違法状態が維持されることから被害者を保護するために認められる独自の追求権を侵害する罪であると解する。あわせて,盗品等の罪には内容的に利益関与的・事後共犯的な性質も有するといえる。 【論点】盗品等に関する罪の客体  本罪の客体は財産に対する罪で取得された物である。ただし,その罪は構成要件に該当し,違法なものであればたりる。  本罪は本権者の追求権を侵害し,もって違法な状態を維持する罪である。  とすれば,違法な行為によって取得された物ならば,本罪の実行行為によって法益を侵害できるからである。 【論点】窃盗教唆犯は盗品等に関する罪の主体たりうるか  本犯者は本罪の主体とならない。それでは,狭義の共犯者は本罪の主体となるか。  思うに,窃盗罪の共犯は窃盗罪とは罪質がかなり違うから,共犯行為によって本罪の違法性が評価されているとは考えられない。  したがって,共犯者は本罪の主体たりうるというべきである。 【論点】親族関係は犯人と誰との間に必要か  本条は犯人庇護罪,事後従犯的性格を有する。とすると,盗品等に関する罪にあたる行為をしないことについて,親族には期待可能性がない。  この趣旨から,親族等の犯罪に関する特例が設けられたということができる。とすれば,親族関係は本犯者と贓物犯人との間にあればたりるというべきである。 【論点】身分関係についての錯誤  本犯者が自己の親族であるとの誤信があった場合,盗品等に関する罪の故意にいかなる影響があるか。  本特例の法的性質は,一身的処罰阻却事由である。とすると,親族関係の不存在は故意の内容ではないということになる。  したがって,親族関係の有無に錯誤があっても,故意は阻却しないと解する。 ●公衆の安全に対する罪 【論点】実行の着手時期  放火罪の実行の着手時期は,焼毀の結果への現実的な危険が発生する時点である。  このような危険性が認められれば,実行の着手あるから,媒介物を利用する場合も含まれるというべきである。  例えば,人の住んでいる家を放火する目的で物置に火を付け,物置が全焼した場合は,現住建造物放火罪の未遂罪(108条,112条)が成立する。 【論点】放火罪の既遂時期 A  放火罪は焼損時に既遂に達する。しかし,「焼損」の具体的内容が明らかでなく問題となる。  思うに,未遂のない失火罪では,既遂時期を早い時期に認めるべきである。これと他の放火罪の既遂時期は統一的に把握すべきである。また,放火罪は抽象的危険犯である。かかる抽象的な公共の危険は目的物が独立して燃焼を開始した時点で発生する。  したがって,「焼損」とは火が媒介物を離れ,独立に燃焼を継続する状態に達したことを指すと解する。 【論点】公共の危険の意義  公共の危険の発生とは,延焼による生命・身体・財産への危害の発生を一般不特定人の多数が感じるに相当の理由がある状態をいう。  かかる危険性発生の判断については,当該具体的状況における一般人の判断を基準として客観的に行わなければならない。 【論点】公共の危険の認識の要否 1 「公共の危険」(110条)の発生を行為者は認識する必要があるか。  この点,判例は本罪を結果的加重犯と捉え,重い結果についての認識を不要とする。しかし,基本犯たる器物損壊罪と放火罪とは保護法益が大きく異なるから,後者を前者の加重形態とするのは無理がある。  思うに,公共の危険は構成要件に該当する事実というべきである。  したがって,本罪の成立には,公共の危険の発生を行為者が認識する必要があるというべきである。そして,公共の危険の発生の認識とは,公共の危険の発生の予見はあるが,延焼の具体的認識を欠いている心理的状態をさす。延焼罪の故意との区別のためである。 *109条2項但書の公共の危険  判例は処罰条件に過ぎないとして,その認識を不要とする。  しかし,公共の危険が発生しない限り,自己物への焼損は不可罰である。とすると,公共の危険の発生を認識しない者を処罰するのは38条2項に反する。  したがって,109条2項の成立にも公共の危険の発生を認識する必要があると解する。 ●偽造の罪 【論点】偽造の意義 A  「偽造」の意義をいかに解すべきか。。  思うに,文書偽造罪の保護法益たる文書に対する公共の信用は,作成権者によって真実その文書が作成されたかに向けられる。  すなわち,内容的には真実であっても,作成者の意思に反して名義を冒用する行為は禁止する必要性があるということができる。  したがって,偽造とは名義人を偽ること,すなわち有形偽造を指すというべきである。すなわち,名義人と文章作成者が不一致をきたす文書が偽造文書ということになる。 【論点】作成者の意義  作成者の意義について,実際に文書を作成した者と捉える見解がある。しかし,社長が秘書にタイプさせる場合に秘書を文書の作成者とするのは妥当でない。  現実に文書を作るものと文書の名義人は異なることが通常である。とすると,文書を作成させた意思の主体を作成者と解するのが妥当である。 【論点】名義人の判断基準 A  名義人の判断基準について検討する。  思うに,文書偽造罪の保護法益は文書に対する一般人の信用である。とすれば,名義人が誰にあたるかについては,一般人がその文書を見て誰が名義人と考えるかによって判断するのが妥当である。 【論点】事実証明に関する文書とは  私文書偽造罪(159条)における「事実証明に関する文書」の意義をいかに解すべきか。  この点,判例は実生活に交渉を有する事実を証明するにたりる文書としている。  しかし,文書は何らか実生活に交渉を持つものであるから,判例のように解するならば,条文が文書の範囲を限定した意味がなくなる。  したがって,刑法処罰に値するだけの何らかの重要性を要求すべきである。具体的には,法律上何らかの意味を有する社会生活上の事実の証明に関する文書に限るべきである。  *実際は争いあるも,と断って,判例の見解を書いておけばたる。 【論点】架空人名義と偽造  名義人の存在しない文書は,本罪の客体となるか。  思うに,公共の文書に対する信頼を害される点は名義人の存在不存在とは関係がないというべきである。  したがって,架空人名義の文書も「文書」にあたると解する。 【論点】写真コピーと偽造 1 まず,「文書」とは原本に限るか。  本来,写しは,写しの作成者による原本内容の変更を伴う可能性があるから,原本たり得ない。  しかし,その写しに原本と同様の社会的機能と信用性がある場合,写しも本罪の客体としうるというべきである。  そして,写しとしての写真コピーは,原本と寸分違わない体裁・内容を備えるものとして信用性が高められ,各種証明用などに利用されている。  したがって,写真コピーは文書偽造罪の文書にあたるというべきである。 2 では,写真コピーの作成が「偽造」といえるかを検討する。  まず,名義人は誰かが問題となる。  思うに,文書偽造罪の保護法益は文書に対する一般人の信用である。とすれば,名義人が誰にあたるかの判断はかかる信用を害する結果を導くか否かによるべきである。  本問写真コピーには,原本に準じる社会的信用性があるから,一般人はコピーの名義人を原本の名義人と同様に考えると思われる。  したがって,写真コピーの名義人は原本の名義人である。  かかるコピーを作出したのは名義人ではないから,名義人と作成者との不一致は発生している。もっとも,本事例では非本質的部分に改ざんが加えられたにすぎない。しかし,原本と別個の文章を作り出されているから,やはり偽造というべきである。 3 最後にコピーに複写された印章・署名は,原本作成名義人の印章と見るべきである。写真コピーが原本と同一の意識内容を保有しているからである。 【論点】代理名義の冒用  (本人をX,代理人をAとする)  代理権限がないのに代理人として署名した者は,いかなる罪責を負うかの判断のため,当該文書の名義人を誰と解するかが問題となる。  思うに,名義人が誰であるかについては,一般人が文書に対する信用がどこにおかれるかによって判断すべきである。(理由は名義人の判断基準参照)  以上をもって本事例に当てはめると,代理の効果はXに帰属する。とすれば,文書を見たものはXが名義人と考えるといえる。  したがって,本文書の名義人はXというべきである。  とすると,作成者がAである以上,当該文書には名義人と作成者の不一致が見られる。  したがって,代理名義の冒用行為は文書偽造行為にあたる。 【論点】架空人名義の文書作成は偽造にあたるか  名義人の存在しない文書は,私文書偽造罪(159条)における偽造文書といえるか。  思うに,名義人が不存在であっても,文書に対する公共の信頼が害されることには変わりがない。  したがって,架空人名義の文書作成は,偽造にあたるというべきである。 【論点】資格・肩書の冒用  肩書を付した文書作成行為が当然に偽造行為となるわけではない。作成名義人と作成者の間に人格的同一性が認められることが通常だからである。  しかし,一般人の視点から,肩書を付すと別人格になるとことが明らかな場合は,その文書の名義人はその別人というべきである。この場合,作成者と名義人との不一致が認められ,偽造罪が成立することになる。右のような事情があるか否かは,肩書きの内容,文書の性質などの事情から総合的に決せられることになる。 *実際の答案では,名義人の判断基準についてしっかり書いた方がよいでしょう。 【論点】名義人の承諾がある場合  原則,名義人の名義使用の承諾ある場合は真正文書となる。  しかし,文書の性質上,その名義人自身による作成だけが予定されている文書については,別に考える必要がある。  このような文書では,名義人と作成者が同一でないと,名義人と作成者の齟齬が発生してしまう。作成者と名義人の同一性が著しく要求される場合だからである。  したがって,このような場合は,本人による名義使用の許諾は意味をなさず,偽造文書となるというべきである。 1 交通反則切符中の供述書  交通反則切符中の供述書に承諾を得て他人の名前を書き込む行為はどのように評価すべきか。  思うに,かかる供述書は公の手続に用いられるという特殊な性格をもっている。しかも反則制度では簡易迅速な手続が要求される。  したがって,原票・反則切符は名義人自身による作成だけが予定されている文書にあたる。 2 入学試験  替え玉受験行為は文書偽造罪にあたるか。  まず,解答用紙が事実証明に関する文書にあたるか。  思うに,解答用紙は採点されることで志願者の学力を示す資料となる。  したがって,志願者の学力の証明に関する文書として,解答用紙は事実証明に関する文書にあたるというべきである。  さらに,承諾あるのに偽造といえるかについて,答案は志願者の学力を図るものである。  すなわち,答案は性質上名義人自身による作成が予定されているというべきである。  したがって,名義使用の承諾あっても,替え玉受験行為は文書偽造罪を構成するというべきである。 【論点】虚偽公文書作成罪(156条)の間接正犯 1 まず,身分犯を身分者を利用し,間接正犯的態様によって犯すことは可能か。  これは非身分者も身分者を道具として法益侵害をすることはできる。  したがって本論点は肯定すべきである。 2 それでは,157条において,公正証書等原本不実記載罪が規定されていることとの関係をいかに解するべきか。  思うに,157条は限定された重要な公文書についての間接正犯的態様を特に軽く処罰している規定である。  したがって,法は,間接正犯形態を処罰しない趣旨と考えるのが自然である。  よって,157条にあたらない虚偽公文書作成の間接正犯は不可罰とすべきである。 【論点】偽造の運転免許証と行使  「行使」とは,文書を他人が認識しうる状態におくことをさす。  このように,他人の認識可能性でよいとしても,認識しうる状態にない場合は処罰できない。この場合は公衆の信用が害される危険性が低いからである。  したがって,携帯しているだけでは行使とは言えない。   ●国家的法益に対する罪 【論点】職務の執行の意義  本条は公務員を特別に保護する規定ではなく,公務の適正な執行を保護することをその趣旨とする。  とすれば,職務執行にあたる公務員とは,現実に執行中の者に限らない。加えて,職務開始直前の執務をなす者及び,*職務と密接な関連を有する待機状態にある者も含むというべきである。 *職務と密接な関連を有する待機状態にある者  → 小荷物係駅手 【論点】公務の適法性 A 1 まず,本罪の成立に公務の適法性が要件とされるか。  条文では公務の適法性は要求していない。 しかし,本条の趣旨は公務員の身分・地位を保護することにあるのではなく,公務の適正な執行を保護する点にある。  ここに,違法な公務を保護しても公務の適正な執行を保護するとは言えない。  したがって,職務は適法なものでなければならない。職務の適法性は記述されざる構成要件要素というべきである。 2 さらに適法な公務といえども,軽微な違法性を有するに過ぎない公務は,保護されるべきである。  そこで,保護される公務か否かの判断基準が必要である。具体的には,@一般的・抽象的職務権限に属することA具体的職務権限に属することB法律上の重要な条件・方式を履践していることが要求されるというべきである。 3 判断基準  さらに,適法性の判断方法が問題となる。  かかる要件は規範的構成要件要素であるから,その判断を一般人が正確になすことは困難である。また,国民の人権保障の観点から,判断を恣意に陥らせない必要もある。  したがって,裁判所が法令を解釈して客観的に判断すべきである。  また,適正な手続きを踏んで,行為時に適法であった行為は,公務の円滑な執行の観点からひとまず保護する必要性がある。  したがって,適法性は行為時の状況を基礎に判断すべきである。 【論点】適法性の錯誤と犯罪の成否  公務の適法性に錯誤があって,公務の執行を妨害した場合,かかる錯誤は故意にいかなる影響を与えるか。  思うに,公務の適法性は構成要件要素であるから,この場合は事実の錯誤として故意が阻却されるようにみえる。  しかし,行為者が軽率にも公務が適法でないと思いこんで暴行・脅迫を加えた場合まで公務が保護されないとするのは不当である。  思うに,その有無が裁判所によって判断される規範的構成要件要素については,もともと一般人に正確な認識を要求することはできない。  しかし,一般人としての社会常識に照らして通常知りうる範囲でその法的意味を認識していれば違法性が喚起できる。  したがって,その程度の認識があれば,故意責任を問うことが可能であるというべきである。 【論点】犯人蔵匿・隠避罪の客体は真犯人に限るか  本罪の客体は真犯人に限るか。  思うに,条文が犯罪を「犯した」としている。また,無実であるものを蔵匿することは違法性が低い。  したがって,本罪の客体は真犯人に限るというべきである。 *判例は犯罪の嫌疑を受けて捜査又は訴追されている者を指すと解している。 【論点】犯人蔵匿罪の故意  「罰金以上にあたる」(103条)ことは犯罪の成立にその認識は必要ない。しかし,罰金以上にあたる「罪を犯した者」(103条)であることへの認識は本罪の成立に必要である。  「罰金以上にあたる罪を犯した者」であることは本罪の構成要件要素であるが,前者についての認識を要求するのは素人的判断を越えるからである。     【論点】犯罪者が自らの蔵匿を他人を教唆したとき A  犯罪行為者による自らを蔵匿する旨の教唆行為は処罰できるか。本罪の主体に犯罪を犯した本人は含まれないから問題となる。  思うに,本犯者が犯人蔵匿罪の主体とならないのは,本犯者には適法行為の期待可能性がないからである。  そこで,他人を罪責におとしめることに,期待可能性がないとは言えないとする説がある。しかし,情状が重いとは言えるが,期待可能性があるとすることはできない。  思うに,他人を道具に使用したとしても,期待可能性が乏しいのは同じというべきである。  したがって,本犯者の教唆行為もまた処罰できないというべきである。 *判例は可罰説に立つ。 *証拠隠滅でも上と同じ論証を使える  条文が「他人の刑事事件に関する」となっていることだけ注意 → 明文で本犯者が主体とならないことを示している。論証に織り込む 「本罪では,条文で「他人の」刑事事件に関する証拠とされているように,本犯者は本罪の犯罪の主体とならない。」など 【論点】共犯者の刑事被告事件  共犯の場合,その事件に関する証拠は「他人の刑事事件に関する証拠」(104条)にあたるといえるか。  思うに,104条で「他人の」とされている理由は被疑者,被告人には証拠を隠滅しないことに期待可能性がないからである。  共犯事件に関する証拠にはもっぱら他人のための証拠も含まれており,これの隠滅に期待可能性がないとはいえない。とすると,期待可能性ある場合も含め,すべて自己の刑事事件の証拠とするのは本条の趣旨に反する。自己の被告事件と関係ない証拠は,右にいう他人の刑事事件の証拠とすべきである。  したがって,もっぱら共犯者のためにする意思で隠滅した証拠のみ「他人の刑事事件」に関する証拠にあたるとすべきである。   【論点】捜査段階における虚偽の証言  捜査段階における虚偽の証言は,形式的には証拠の偽造にあたる。  しかし,偽証罪は,宣誓をした者に限って処罰するとしている。  とすると,法は,宣誓をしないで虚偽の証言をした者は処罰しない趣旨であるというべきである。  したがって,捜査段階で虚偽の証言をなした者は104条の処罰対象にはならないというべきである。 【論点】親族が他人を教唆した場合   犯人自身が他人を教唆する場合と同じに考える     → ただし,親族については刑は任意的免除されるに過ぎない(105条) 【論点】親族関係の錯誤  105条の法的性質は,一身的処罰阻却事由である。  したがって,家族関係は故意の内容ではないから,親族関係の錯誤は故意は阻却しないというべきである。 *105条について,責任の減少を立法趣旨と考えれば,かかる錯誤ある場合について期待可能性がなくなる場合がありうると考えることができる。親族相贓例も同じ。 【論点】虚偽の陳述の意義  「虚偽の陳述」(169条)とはどのような内容を指すというべきか。  この点,自らが真実でないと思うことを陳述することを指すとする説がある。  しかし,何が真実かを判断するのは裁判所であり,証人は実験した事実を自己の記憶のままに述べなければならない。にもかかわらず,記憶に反することが陳述されると,それだけで審判作用が害される抽象的危険が発生する。  したがって,「虚偽の陳述」とは,記憶に反する陳述をさすと解する。 【論点】犯人が教唆した場合教唆犯が成立するか  刑事事件において,犯人自身が証人に偽証を行うように教唆した場合,教唆犯として処罰されるか。  思うに,本人が169条の主体にならないのは,本人は証人適格がないから主体になれないからにすぎない。  思うに,本人よりも他人の証言の方が裁判所にとって信頼度が高いから,他人に偽証させるほうが,より国家の審判作用を害する可能性が高い。  したがって,教唆犯は成立するというべきである。 *法益侵害の度合いが高いことを強調すると,犯人蔵匿・隠避,証拠隠滅の教唆も可罰性を肯定できる。 【論点】職務行為の意義 A 1 意義  まず,贈収賄罪の成立には,賄賂の収受その他の行為が「職務に関」(197条など)してなされねばならない。  ここに言う職務の意義が問題となる。  本罪の趣旨は職務の公正と社会一般の信頼を保護する点にある。とすれば,当該公務員又は仲裁人が法律上有する権限でなくても,本条の対象にする必要がある。  したがって,ここに言う職務とは,職務として行いうる抽象的な範囲にあればよく,かつ職務と密接に関連する行為も含むというべきである。 2 抽象的な職務権限を異にする場合  (相当又は不相当な行為を行った公務員が,一般的な職務権限が変更された後,転職前の職務について賄賂を収受した場合)  本問の場合,当該公務員は現在の抽象的職務権限に属する行為に解して賄賂を収受したとはいえない。この場合,当該公務員の利益収受を刑法上いかに評価すべきか。  この点,現在の一般的職務権限を異にするのであるから,賄賂の収受は職務に関して行われたとは言えないとし,事後収賄罪の問題にすべきとする見解がある。  しかし,公務員で「あった」ものという文言(197条の3第3項)からして,事後収賄罪の成否を考えるのは無理がある。収受の当時には公務員であるからである。  思うに,公務員の転職は日常茶飯事であり,特に当該職務を直前まで行っていた場合は,可罰性は高い。  そこで,「職務に関」してとは,現在公務員の抽象的職務権限に属する必要はなく,過去の職務権限内の行為に関するものであたると解する。本問の事例では,通常の収賄罪(この場合は加重収賄罪)が成立すると考えるのが妥当である。 【論点】賄賂の意義  贈収賄罪における「賄賂」とはいかなるものを指すか。  思うに,この問題は本罪の保護法益が職務の公正・社会への信頼が害されるか否かとの観点から判断するのが妥当である。  したがって,何らかの利益なら何でもよいというべきである。ただし,職務行為と対価性がなければならないのはいうまでもない。 【論点】収賄と恐喝  公務員が職務に関し他人を恐喝して金銭等を交付させた場合 1 公務員の罪責  当該公務員はいかなる刑で処断されるか。  この点,恐喝罪のみが成立して,収賄罪は成立しないとする説がある。しかし,両罪は保護法益を異にしており,恐喝罪の構成要件では国家法益の侵害について評価できないというべきである。  したがって,恐喝罪と収賄罪の双方が成立するとするのが妥当である。 2 被恐喝者の罪責  恐喝の被害者に贈賄罪が成立するか。  思うに,畏怖しているとはいえ,この場合には未だ財物交付について任意性は認められる。  したがって,被恐喝者に贈賄罪(198条)は成立するというべきである。 *なお,公務員が職務行為に仮託して,自己の職務と全く関係のない事項について人を恐喝し財物を交付させた場合は,単なる恐喝罪しか成立しない。