本論に入る前に、受かるタイプの受験生・受からないタイプの受験生について述べたいと思います。このことは私が無料公開講座で,法曹志望者の人と話をするとよく聞かれることなので,気になる人が多いのだろうと思います。受かる秘訣がそこに隠れているから,自分も受かるタイプになるように気をつけたいという趣旨なのでしょう。

 しかも,このことを知っておくと、あとで勉強法の話に入ったときに「ああ、あの時言っていたことはこれか」と思っていただけて,説明が分かりやすくなるでしょう。「ドキッ」とする人もいるかもしれませんが、怒らないで読んでください。

これが受からない受験生だ!
 受からない人といえば、私は友人から聞いた「バクハツ君」と呼ばれている彼を思い出します。 それは友人がWセミナーの論文の答練に行っていたときのことでした。彼は友人の隣に座ったのですが、答練が始まってもなぜかすぐに書き始めない(普通は答案構成をするところです)。それどころか、実施されている間中、鼻をかんだり、爪を噛んだりしてうるさかったそうです。

 後日、彼は返却された答案を見て、こめかみの辺りをぴくっとさせたかと思うと机をバシッと叩いて「わかってないんだよ!」。 彼が実際に受かるか受からないかは神のみぞ知ることです。しかし彼が変な人だからということではなく、受からないタイプの人の特徴を備えているという点については間違いがありません。

受からないタイプ〜自己反省をしない人
 自己反省とは、自分が何かをやって結果が出せなかった時に、なぜ結果が出せなかったのかを冷静に考えて原因を突き止め、二度と同じ失敗はしないようにしようと反省することです。

 「自己反省をするのは当たり前」と思う人も多いと思いますが、ところが実際はなかなかそうはできないものです。司法試験の受験を決意する人はやはり、それなりに勉強が得意な人が多いわけです。にもかかわらず、答練を受けてもなかなか点が上がらない。自分ではバッチリ書けているつもりなのに点が上がらない。

 その時に「採点者なんて合格者かもしれないけど、合格してから勉強していないんだから、そんなにたいしたことあるわけない。自分とそう変わらない」なんて思ってしまいますと、最悪です。

 司法試験の論文は、普通の論文とは違います。しかし、その違いを誰もはっきりとは教えてくれないので、なかなかわからないのです。

 実は、司法試験の答案で評価されるのは、法学のみではありません。この部分は合格者でないとわからないことですし、勉強したことを忘れる忘れないといったこととは関係ありません。

 ところが、受験生としては、なぜ模擬試験の点が上がらないのかわからないものです。司法試験の論文で求められているものを受験予備校の講師は教えようとするのですが、その言葉が曖昧なので、十分に伝わらなくて誤解が深まったりもします。

 たとえば、よく講師は「自分の頭で考えて書け」と言います。そこで自分の頭で考えて文章を書いてみると「何が言いたいのかよくわかりません」と書かれた答案が返却される。逆にたまたま知っている問題が出て覚えている答えをそのまま書くと「よく考えられた答案です」とコメントされて二五点がついて返ってくることもあるのです。

 私が受験生の時は、「採点者がアホだから、解答通りの採点しかできないんだ」と考えてしまったわけですが、今から思うと、司法試験で求められているものが何なのかという点について私は誤解していたのです。

 だから、自分の答案が悪い点がついて返ってきたら、どんなに自分がいいと思っていても、それは「司法試験の答案」としてよくないものなのです。つまり自己反省をしない人は、自分の答案と司法試験で合格する答案(以下、こんな答案のことを合格答案と呼びます)とのギャップを埋める機会を自ら放棄している。だから受からないわけです。

 自己反省をするにはどうすればよいでしょうか。それは,「自分が間違っているかもしれない」という不安をいつも心に持っておくことです。他人からどうつっこまれても大丈夫なように…といつも警戒する癖をつけるのです。

答練をサボる人
 後で述べますが、答練は私の勉強法の中核を成すものです。勉強しない人が受からないのは当然ですが、いくら本人が勉強している気になっていても、答練を受けなければ受かる確率は大きく後退するでしょう。

 自分の答案と司法試験で求められているそれとのギャップを埋める機会をまったく放棄してしまうのですから、答練をサボる人が受かりにくいのも当然でしょう。

 要するに努力をしない人は受からないということです。しかし,何でも努力をしようとしても,それは無理です。普段はがんばらなくても,ポイントをはずさず,ここぞということだけはがんばれればよいのです。 
他人に気を遣わない人
 他人に気を使えることは、「合格答案」を書くためにはぜひとも必要な資質です。

 すなわち、司法試験の論文でまず求められているものは「読みやすいこと」なのです。しかし、他人に気を使わない人は、人に読んでもらうことなど考えない。そこで、情報さえ完璧に書いておけばよいと思って、何が書いてあるかわからないような字で、何が言いたいのかわからない文章を、書いてしまうのです。

 「自己反省をしない人」と,他人に気を遣わない人とをあわせて考えると,結局のところ「いろいろな視点から配慮をすることができる人」が合格しやすいといえるかもしれません。法律家というのは,人のもめ事を解決する仕事です。そのときには,依頼人など自分の側の人だけでなく,相手方の気持ちに立っても物事を考えないと,丸く収まるものも収まらなくなるでしょう。これは試験に合格する素質というだけでなく,法曹になるための素質だといってもよいでしょう。

頭を使ってばかりいる人と頭をまったく使わない人
 司法試験は理解だけでも暗記だけでもだめです。それは誰でもわかっていると思いますが、実際に学生の答案を採点すると、それがまったく実行できてない答案が多いことに驚きます。

 ●頭を使わない人の例
 @その問題においてはそう重要でない論点の論証が異常に詳しい
 Aその問題に関係がありそうだが実は関係のないことが書いてある

 @は覚えたままを書くからそうなってしまう。Aは「せっかく覚えたのだから書きたい!」と思ってしまうからです。

 ●頭を使い過ぎる人の例
 @定義や論証を自分で考えてしまう
 A自説で論文を書いてしまう

 …などという人です。

 要するに,暗記で済ませるべきところと,頭を使わなければならないところをきちんと使い分けなければならないということです。


文章が文学がかっている人
 司法試験の論文に求められている「読みやすさ」と文学的表現は相反します。文学的表現はわかりやすさを犠牲にすることによって、より多くのことを表現するものが多いからです。

 ここを勘違いすると、答案で体言止めや省略(単に話し言葉と書き言葉の区別がつかずに書かなければならない主語や述語を省略してしまう人もいますが)を平気で用いてしまうわけです。それはまさに百害あって一利がないので気をつけましょう。

自己制御がきかない人
 @勉強していない
 Aバイトが大好き
 B法律学が大好き

 @ABはどれも受からないタイプですが、これはそれでもまだ「まし」な順で書いてみました。つまり,@はまだ救いようがあり,Bは救いようがありません。「えっ、逆じゃないの?」なんて言われるかもしれませんが、これで正しいのです。

 まずBの人が受からないのはなぜか。 司法試験は実務家登用試験ですから、特に論文で必要とされている知識は、学説で言うと判例・通説であって、それ以外は受かるためにはほとんど役に立ちません。

 ところが、法律学が大好きな人になればなるほど判例・通説の欠陥が気になって、マニアックな説に深入りしてしまうわけです。しかも、それでほかの受験生とは違うよい答案が書けると思ってしまうからよけいに始末が悪いのです。

 恐いのは、Bの人は自分は勉強していると思っていますから、改める可能性が極端に低いことです。

 それに対し@の人は後ろめたさを感じていると思いますから、改められる可能性が大きいといえます。またAの人は、自分が生活するためには仕方がないという言い訳を作ってしまえる点で、@に比べて改める可能性が小さいわけです。

深刻すぎる人
 深刻すぎる人が受かりにくいのは、本番の試験で実力が発揮できなくなる恐れがあるからです。 合格者の体験記を読むと「本試験会場の異様な雰囲気にのまれないように」というフレーズがよくあります。しかし、私は一回目受験でやる気がなかったからか、そうは感じませんでした。

 試験会場の雰囲気を異様だと感じるのは、自分の精神状態が追い詰められているからではないでしょうか。深刻になるのは受験一カ月前までです。受験間際は深刻になるのは止めましょう。

 受験一カ月前までは得てして勉強しない人が多いのですが、深刻になれば少しは勉強をするでしょう。それに対して試験に臨んでもその調子でいるとよくないのは右に書いた通りです。ところが世の中の受験生はその逆である場合が多いといえます。なかなかうまくいかないものです。

 普段の模擬試験で,十分合格する能力があれば,普段と同じにすれば(普段との違いとは,ば少々慎重になるぐらい)合格するはずなのです。この「普段と同じことをする」というのが合格のコツなのですが,それができない人は合格しにくいのです。

 反対,初学者が番狂わせで合格する理由は,合格はまず無理だろうと思っているから,そのせいで十分能力が発揮できることがあるからです。深刻すぎて,墓穴を掘る人は,合格の椅子を提供して,番狂わせが起きる手助けをしているともいえるでしょう。

多数決に反対ができない人

 受験生をみていると,他人がしていないことができない人が多いように見えます。その結果,学者の書いた法学の研究書(以後基本書といいます)なら,いろいろな先生が様々な本を書かれているのに,どの受験生も同じ本を使っています。勉強の仕方も,自分の頭で考えるのではなく,他人がしていることの物まねしかできない受験生も多いのです。

 しかし,憲法を勉強をすると学ぶことですが,多数決は必ずしも正しいとは限りません。受験界でも,たとえば受験生の多くが使っている基本書は必ずしも,分かりやすいとか,よく書けているとか,いえるかといえば,疑問に感じざるを得ないものがたくさんあります。

 このように多数決に流されれば,他人と違った誤りはしませんが,他人と同じ誤りを犯してしまいます。

 しかし,それでは合格しません。司法試験で合格するのは,全受験生からみれば少数派なのです。そこにはいるためには,多数派と同じことをして,同じ能力をつけるだけではだめなのです。

 僕が受験生の頃,司法試験の世界では,問題演習を通じて勉強をするというやり方は,それほど一般的ではありませんでした。しかし,今では有効な方法として,多くの人がやっている方法になっています。結局,有効な勉強法をしている人が少ないところで,有効な方法をとった僕が,早く能力をつけて試験に合格したのです。

 繰り返しますが,司法試験に合格するのは少数派です。多数派と同じことをしているだけでは,合格しませんので,注意すべきです。問題を解く場合だけでなく,受験勉強自体でも,きちんと自分の頭で判断しないと,合格しないのが司法試験です。

受かるタイプ
自分のことを素人だと思っている人
 なぜこの手の人が受かるのかと言うと、
 @合格者の言うことをよく聞く
 つまり、自分の現状と受かるために必要なこととのズレを正す機会が多くなる。
 Aマニアックなことに走らない
 自分は初心者だから…と,基本をきちんと勉強をする。そうすると結局、受かるのに必要なことだけを勉強することになるので効率がよい。

 だから、司法試験に受かるのは初心者と上級者だとよく言われます。

 中級者は下手に知識があるから自己反省をしないし、マニアックな説に走りやすいのです。しかも、論文では知っていることを全部書くから、関係ないことを書いたりします。

 しかし上級者になると何を書けばいいのかがわかってくるから、余計なことは書かなくなり、やっぱり受かるわけです。つまり、上級者になると結局もとに戻るわけです。

客観的に自分が見られる人
 自分を客観的に見られれば、主語が足りないとか、こう書くとより読みやすくなるということがわかります。話し言葉と書き言葉の区別がついていない人は多いのですが、他人の文章であれば、話し言葉のままでは文章がおかしいということは容易に気づくと思います。

 客観的に自分を見るということは,「自己反省ができるかどうか」にもつながります。他人が見たら自分がどう見えるか。自分に甘く,他人に厳しくというのは人間の本性ですが,自分も他人と同様にみることができれば,自分にも厳しくなりやすくなるでしょう。

大事なところで妥協しない人
 たとえば,これは、読みやすい文章を書くという点で手を抜かないということに現れます。 「あ、書く順を逆にしちゃった」「書くことを一個書き落とした」「ま、いっか」

 馬鹿もんが!

 「ま、いっか」なんて最悪です。 ここで手を抜いてはいけません。また、こんなことにならないためにも答案構成はしっかりやらないといけないわけです。

 何でもかんでも一生懸命するなんてのは,無理です。できても寿命が縮まるかもしれません。限りあるエネルギーを効率よく利用できる人…これが合格をしやすい人だといえるでしょう。


切り替えの早い人
 何事にも切り替えが早いと,いろんないいことがあります。

 まず,何もしていない無駄な時間が少なくなるので,勉強時間を効率的に確保できます。 たとえば、私は生活のためにお昼の一二時から夜の一〇時までアルバイトをしていました。それでも勉強時間が取れたのは切り替えが早かったからです。

 具体的には、 
@起きてすぐに勉強を始められる 
A家に帰って来て五分後には机に座っている 
Bぼーっとしているとすぐに終わってしまうようなバイトの合間にも勉強できる

 といった利点があります。

 他にも切り替えが早ければ,自分に悪い癖がある場合は,早く直せます。いやなことがあっても,反省したら忘れて次の段階に進めます。人に与えられた時間は同じですが,こういうことの積み重ねで,どんどん差がついていくのです。

約束を守る人

 これは自分で決めた計画を守れるか否かということに関係します。つまり、人と約束したことすら守れない人が、自分で自分にした約束である計画を守れるわけがありません。

 ここで注意してほしいのは、計画を完全に実行しろと言っているわけではないところです(計画の立て方、実行の仕方は213ページ参照)。締切りを守るとは、結果を出せばよいのであり、そこに至る過程がどうかは問いません。

コミュニケート能力が高い人
 司法試験の論文試験は、もちろん書面によって受験生の法曹としての資質を審査する試験です。

 ただ、文章というのは表現手段としては非常に不便なものです。受験生はこの不便な道具を使って、試験委員にアピールすることになります。

 ここで、コミュニケート能力が低いと知識が二〇〇あっても五〇ぐらいしか表現できません。表現されていなければ、評価はされません。一方コミュニケート能力が高ければ、知識が一〇〇しかなくても、八〇の表現ができます。

 このように自分が考えていることを言葉にうまく変換できる割合が高ければ高いほど、知識を身につける量は少なくてもすむのです。すなわち、早い時期で合格しやすいと言うことになると思います。


その他,一芸を持っている人
 一芸といっても,試験合格に役立つことなら何でも構いません。特殊能力ならば,何でもすぐに暗記できる人…が有利なのは間違いがありませんが,もちろん,読解力が飛び抜けている,理解力が優れている,表現力がずば抜けている…何でも結構です。

 また,それほど特殊な能力である必要はありません。たとえば体をこわすぐらい勉強をできる…でも構いません。僕自身も,本気で合格するため勉強をしていた時,不摂生も相まって,胃を壊し,22歳なのに2回も胃カメラを呑みました。

 ただし,これは短期合格をする条件と言ってよいでしょう。合格に必要な能力と自分の能力との間のギャップをきちんと捉えて,これを一つ一つ克服すれば,合格はできるのです。ただ,ちゃんと自分の弱点が何か捉えられるということ自体が一芸だという話がありますが,それを言い出すと,合格者は全員が一芸を持っていることになってしまうでしょう。