●本書はどんな人のためのものか

 法律問題を扱うテレビ番組が高い視聴率を誇っています。これは,番組自体が面白い,問題となっている事件の内容が面白い…などの理由はありましょうが,視聴者が一番興味がひかれるのは,法律を使うとどういう結論になるのかという点でしょう。

 想像するに,特に法律による結論は,裁判をした場合にもでてくる結論で,不服がある人にも四の五の言わせないという意味で魅力的なものだ…というところに法律による事件処理が興味を持たれる原因があるのではないかと思います。ただ,そういう法律による事件処理というと,これは法律家という専門家に頼らないと無理で,自分でするなんてことは思いもよらないという人が多いでしょう。

 とはいえ,そうなれたらいいな…と思っている人は多いと思います。だから,こういう場合はどうなる,あういう場合は?というふうに事件があげられ,その上で法律を適用するとどういう結論になるのかということが説明してある本となるとよく売れています。

 しかし,そういう本を読めば法律による事件解決ができるようになる人がいるか…といえば,まあいないだろうということは誰でも分かるところだと思います。

 どうすれば法律を扱えるようになるんだろう。どんな特別な訓練をするんだろう…その答えが分かる人はなかなか分かりません。そう思う人は本書を開いてみてください。本書は,まさに法律の使い方を解説するものです。これを読めば,思いもよらない法律の使い方を学ぶことができるはずです。

 さらに,大学の法学部を志望する高校生,さらに在学中の人にも本書は重要な情報を提供するものです。というのは,法学部に入っても法律の知識は学べますが,法律の使い方というと身につかない人が多いのです。高い授業料を払って法学部に入ったのだから,少しは法律を使えるようになりたいと思うのが人情だと思いますが,なかなかそうはいかないのです。ここは英語教育と似ているかもしれません。知識は身につくが,話したり聞いたりすることができるようにならないという点です。

 法律の知識は身につくが,使えるようにならない…そういう法学部の卒業生が多いのですが,それではあまりに悲しいでしょう。本書は,そういう法学部生に一つの答えを示すものです。本書は法律の使い方を解説していますから,この教則に従って,後は自分が知っている知識をあてはめる訓練をすれば,法律が使えるようになるのです。

 最後に,法曹志望者にも本書は重要なヒントになると思います。本書で説明するような技術は,特に最難関と呼ばれる司法試験の合格に直結する知識です。司法試験は,まさに法律のプロを選ぶ試験ですから,真の意味で法律の使いこなしができる人が合格するようになっているのです。だから,本書で解説する知識を知らずに司法試験に合格するというのはありえません。本当に法曹になりたいのなら,法科大学院の入学を考えている場合も,現行司法試験を目指す場合も,本書で解説した知識は絶対に身につけるべきものです。

 また,司法書士,税理士,会計士などを志望する場合,試験自体は法律と過去問の暗記で合格するかもしれません。しかし,それでは法律の使い方が身につきませんし,何よりも勉強が大変つまらなくなります。法律の使い方が身につけば,知識を暗記する分量が減ります。また,本書で解説する技術はすべての法律に共通するルールですから,合格後,どんな法律を使って事件処理するという場合にも必ず役に立つものなのです。

 要するに,真剣に法律を学びたい人。学んだ以上,本物の法学を身につけたいという人は全員,本書を読んだ方がよいということになります。

●法律を暗記する必要があるか

 法律家というと,単に法律に詳しい…往々にしてそれは法律を暗記しているだけという意味ですが…人だとしか思っていない人が多いようです。それが証拠に,司法試験に合格した…というと,六法を全部暗記したんですかとかそういうことが聞かれます。

 しかし,法律家は別に六法全書を暗記しているわけではありません。

 実は法律を暗記することは法律家が仕事をするのに必要がありません。必要な法律は六法から調べたり,本を読んで探したりすればよいからです。

 最近はパソコンのデータベースも発達してきましたから,コンピューターに法律をインプットして,キーワードを入力すれば事件解決に必要な法律の条文が出てくるような仕掛けにすることもできます。インターネットの法令検索システムを使えば,特別なソフトを使う必要もありません。

 さすがに,法律用語の意味も覚えていないというのでは困りますし,ある程度の知識の蓄積がなければ,次に説明する法律の解釈もできません。しかし,法律家が超人的な知識の暗記能力があるかといえば,それほどではない人が多いのです。

 確かに資格試験の突破にはある程度の法律に関する知識の暗記が必

要です。ただこれは試験に出題されるから覚えるに過ぎません。それが証拠に,試験に受かった後,実務に着いた後はきれいさっぱり受験のために覚えたことは忘れてしまう人が多いし,それで仕事はできるのです。

●法律家はなぜ必要か〜妥当な結論

 法律家は法律を暗記しているわけではないというのなら,なぜ法律家という特別の技能をもった職業が必要になるのでしょうか。

 考えてみてください。法律家という職業は,法律を使って事件を解決するものです。このことは,どういうときに裁判所に行くのか,弁護士事務所に相談に行くのかを考えれば分かると思います。

 しかし,法律を調べれば,事件解決ができるのなら,法律問題は六法を買ってきて,丹念に調べれば誰でも解決できるということになります。そうなると,法律家という職業など不要だということになります。

 いや,そうはいっても法律が膨大すぎで調べる手間が大変ではないかと思う人がいるかもしれません。ならば,パソコンソフトを作って,事件のキーワードを入れれば事件解決法が表示されるようにすればよいでしょう。

 もしもただ単に事件に関係する法律を引っ張ってくればどんな事件でも処理できるというのなら,近い将来にはその程度のソフトが出てきてもおかしくないと思われます。

 そういうソフトができると,法律家が圧力をかけて出てこないようにするのではないかとか,値段を高くして専門家しか買えないようにする(登記の申請書類を作成するソフトなどは,司法書士で,7桁のお金を払わないと手に入れられないという話もあります)とかいうことも考えられなくもありません。

 しかし,そういうことではなくコンピューターで事件処理ということは近い将来に実現することはないでしょう。

 それは,法律を書いてある通りにそのまま使うだけでは事件の解決ができないからです。

 法律の中には明治時代に作られた法律や,検討が足りないまま作られた法律もあり,そのまま事件に適用するとおかしな結論が導かれるものがあります。しかし,法律家は決してそのような法律をそのまま受け入れるわけではありません。

 不当な結論であっても,そのまま機械的に法律をあてはめて事件処理をすればよいというのなら,確かに法律家などいりません。しかし,それでは世の中がうまく治まりません。そういうことでは国民が納得しないからです。

 この点,裁判所の判決がおかしいという批判がよくありますが,それは裁判所が完璧を求められるからでしょう。実は全く報道の対象にならない大部分の判決はおおむね妥当な結論が導かれているのです。そうでなければ,裁判所など誰も利用しなくなります。弁護士なら,非常識なことばかり言っているようでは誰も相談する人がいなくなるでしょう。

 というわけで,法律家が必要な理由は,まずは事件解決において妥当な結論が導かれるためなのです。

 これは皆さんにとって意外なことかもしれません。法律家といえば超人的な暗記能力がある分,常識に疎いというふうに思っている人も多いようですから。

 常識がなくてよいというのは,法律に従うとおかしな結論が出てしまうことがあるということがあっても,「それが法律だ」と思ってあきらめる人が多いからかもしれません。法律とは自分とはなじみがなく,常識が通じない世界だというわけです。後,頭がいい人は非常識だいう偏見もどうもあるようです。

 しかし,実際のところ,何が常識的な解決かとか,当事者が納得する解決法は何かということの判断ができることが法律家の第一条件なのです。

 テレビのバラエティー番組では,変な法律を紹介したり,「法律ではそうなっていますが,おかしいですよね」なんていったりする弁護士がよく出てきます。しかし,実際に法律がおかしいから,それで仕方がない。あきらめろ…というのでは,法律家がいる意味がほんとうにありません。こういう番組をみて,本当の法律家像を誤らないようにしてください。

●法律家はなぜ必要か〜理論構成の必要

 一方,不当な法律があったら無視すればよいという考え方もできると思います。

 しかし,それは早計です。まず一見不当であっても意味があってそういう結論が導かれるようになっていることが多いからです。また,ある特定の場面で不当な結論になっても,他の大部分の場面で妥当な結論になるようになっていることも多いのです。

 にもかかわらず,安易に例外を認めてしまうと,自分に都合良い時は法律を無視して良いという風潮が広まり,法などあってなきがごとしということになりかねません。

 法律はそれなりの目的があって作られますが,守られなければ法律を作った目的が達成できません。一部に不当な結論が導かれる場合があっても,安易に法律の無視をすることを認めてしまうと,妥当な法律まで安易に無視されるようになりかねません。中国の歴史話などをみていても,こういう話はよく出てきます。

 そこで例外を認めるための理屈を考える必要があります。今回は特例であり,よほどの理由があるんだ。他に例外を認めるのでも,同じくらいの理屈がないと認められませんよ…というぐらい巧妙な理屈を考えなければならないのです。巧妙な理屈とは,「法律を無視しているわけではない」というのが一番よいでしょう。明文の定めがなくても,妥当な結論が出るような定めが当然されているかのように思えるような,そういう理屈を考えるのです。

 人は,とかく目の前のことにとらわれがちです。事件があればその事件解決にのみ目を奪われがちです。しかし,安易な解決をすると,他の場面で不都合な結果が出てくるかもしれません。考えられる場面とのつじつま合わせをする必要があるのです。

 そういうわけで,法律家として要求される能力が何であるかが判明しました。まずは,常識的な判断力です。併せて,法律からそのような結論が導かれるような理論構成をする能力です。この両方の養成を同時に満たしているのが法律家なのです。

 以上の説明で,六法を丸暗記しても事件解決はできないということや,機械にデータを入力すれば自動的に事件解決というわけにはいかないことが分かってもらえたと思います。

 事件を入力したら,たちどころに解決方法が出てくるようなソフトを作るには鉄腕アトムやドラえもんを作るくらいの技術が必要なのです。場合によってはもっと高度な技術が必要かもしれません。

 というわけで,いかにコンピューターが発達しても,少なくとも弁護士・検察官・裁判官が失職するということは当分ないということになります。

●事件解決の教則本とは何か

 大学の法学部で勉強をしたり,資格試験の受験勉強を機械的にしたりしているだけでは,事件の解決ができるようになる気がしないというのは誰もが感じるところです。

 ましてや,特殊な事件を取り上げ,おもしろおかしく結論を説明しているだけのお手軽な本やテレビ番組などいくらみていても,法律を使いこなせるようにはなりません。

 知識というのは単に暗記しているだけではだめで,使いこなしが必要なのです。しかも,このためのコツもあります。

 このことは,何も法律だけの話ではありません。特定の大学や資格試験の問題に答えるのにはそのための技術が必要です。数学の公式も単に暗記するだけではなく,どういう問題でその公式を適用するのかを気がつくための技術があるのです。

 知識を体に置き換えれば,体を使いこなす技術というものもあります。スポーツや武道の達人は,体を鍛えているだけでなく,それを使いこなす技術も持っているのです。

 知識も体も結局は目的達成の道具です。あらゆる道具は,単に用意するだけではだめで,それを使いこなす技術がなければ宝の持ち腐れになってしまいます。

 実際,法学部を出た人に,「この場合,どう事件処理するのですか」と相談してもなかなか要領を得た答えが得られないものです。それは,法学部では法律の知識や難しい議論を教えてもらえますが,法律の使い方についての基本的な手ほどきは受けられないからです。その技術を教える本もありません。

 従来の法学入門書といえば,高名な先生が書かれた基本理論を説明するものと,身近な事例を持ち出しておもしろおかしく解説をするというものしかありません。そうでなければ,法律の基本的な知識を大きな字で,色刷りで説明するだけのあまり内容がない本も多いところです。

 後二者はともかく,学者が書いた本の場合は,よく読むと重要な基礎理論についていいことが書いてあることが分かります…が,それが事件解決にどう役に立つのか,どのように重要なのかということの説明は今ひとつうまくいっていないように感じます。

 その理由として,具体例の出し方がうまくないということがあげられます。法律のように抽象的な事項を理解するには,(また本文で詳しく説明しますが)どうしても自分が知っている知識との比較で理解するしかありません。

 しかし,そこで出された具体例が自分の知っている知識・体験とつながらないと,説明の意味が分からないのです。「しかし」の意味を日本語の辞書で引いたら「だが」と書いてあり,「だが」の意味を引いたら「しかし」と書いてあって同じ意味に戻ってしまう…という話がありますが,言い換えた先も意味が分からなければ理解ができないのは当然です。

 ただ,それよりも重要なことがあります。それは,知識と事件解決をつなぐ橋渡しをする知恵・技術があるのに,その点の説明が十分ではないということです。法的な概念の意味が分かっても事件解決をするにはどうすればよいのかということを知らない学生はたくさんいる原因はここにあります。

 知恵・技術の解説は,法学の説明そのものではない以上,入門書にその点が書かれていないのは仕方がない面もあります。しかし,この知恵・技術をどこでも学べない。判例や学術研究書の断片的な情報から自分で学ぶしかないという現状にあります。

 この本は,法律の知識と実践に間にできた隙間を埋める技術・知恵を解説するものです。知恵・技術を知れば,事件解決をする自信が出てきます。そうすれば,法律学を学ぶ張りが出てくるはずです。

 また,本書を読めば事件解決という目から法律上の制度をみることができるようになります。自ずから法律の学び方も変わってきて,これを効率よく学ぶことができるでしょう。

 このようなメリットこそ,多くの立派な先達がおられる中,あえて本書を書くことにした理由です。本書は法学を学ぶ人は全員に役立つ本になるはずです。本書を読まないということは,早く深く法学を理解する道があるのに,あえて遠回りをするようなものなのです。

 何よりも,僕が学生のとき,こう説明されたらもっと早く法律学が理解できたのに…という,自分の理想,願いを形にするようがんばって説明をするつもりです。

 以上のような試みがささやかでも実現していれば幸いに感じます。