暑くなれば肝を冷やそうというので怪談と一緒に人気があるのが見世物小屋だ。
ただしお上のしめつけが厳しくいまひとつ元気がない。そんな見世物小屋の中で活気があるのが「面妖(めんよう)座」だ。出し物は「水妖(すいよう)」。
大きなたらいの中に水も滴るいい女がつかっている。その下半身は魚の尾びれだ。
もっとも人気があるのは薄物が水に濡れて肌が透けて見えるからにほかならない。尾びれなどは魚の皮をはぎあわせて作った偽者だろうというのが一般の風評だ。
「で、どうだった?」
宰蔵が好奇心まんまんの顔で聞いてくる。
「どうって?」
「見たんだろう? 本物だったのか?」
「ああ、ありゃあどうみても偽者だろう」
往壓はつまらなさそうに答えた。
「まあいい女だったけどな」
宰蔵は女の容姿には興味がない。
「尾は魚の皮だったのか?」
「どうかなあ」
「材料はなんだろう。一日中水に使っているんだから紙じゃないよな。でも布でそんな本物っぽく見せるのは無理だろうし」
「なんだ、扮装に興味があるのか」
「芝居でも水を使うのはむずかしいんだ」
「ふうん」
そんな話をしてしばらくした日の昼、往壓は蕎麦を食いに一軒の店に入った。たいして味は感じないが冷えた蕎麦がのどを滑り落ちる感覚が好きだったのだ。
盛りをすすっていると隣の席に誰か座った。何の気なしに見てみるとどこかで見たような女だ。外の暑さでほてった肌をして、こめかみのところに汗を浮かせている。その汗がつうと肌を滑った。
「あ」
往壓の声に女は顔を向けた。
「あんた、面妖座の」
言いかけると「しっ」と人指し指を唇に当てた。ふっくらとした紅い唇だ。
往壓が思い出したのは面妖座の水妖だった。確かにたらいにつかっていた女に違いない。女は往壓と同じ盛りを頼むと婀娜っぽく笑いかけてきた。
「兄さん、ヤボはいいっこなしだよ」
ちらりと足元を見るとちゃんと白い二本の足が桐下駄を履いている。
往壓は店主に蕎麦をもう一枚頼み、女が食事を終えると一緒に店を出た。
「こんな街中で水のあやかしの姐さんにお会いできるとはね」
「いやだねえ、いやみはよしとくれ」
「今日は小屋は休みなのかい」
「いくら暑くても毎日水につかってられないよ。ふやけちまう」
女は楽しそうに笑うと色気のある目で往壓を見つめた。
「ねえ、ちょいとあそばないかい」
「あそぶって? 俺は金はないぞ」
「そんなの見ればわかるよ」
女はくすくす笑ったが急に顔をこわばらせて往壓を通りの路地へと誘った。
「どうかしたのか」
路地に入り込みそっと通りの様子を窺う女に往壓は尋ねた。
「それがねえ、なんだか最近へんな子供に後をつけられててね」
「子供?」
「小屋にいるときも小屋をひけてからもずっとまとわりつかれているんだよ。あたしを本物の水妖だと思ってるらしくてね」
「へえ、そりゃあ熱心じゃねえか」
「怖いような思いつめたような顔をしてるんで気味が悪くてね」
「あんたに惚れているんじゃないのか?」
「惚れられるんなら兄さんみたいなのがいいねえ」
流し目に往壓は苦笑した。
「じゃあうちに来るかい? 貧乏長屋だけどよ」
「そうかい」
女は嬉しそうに言うと往壓の腕に自分の手をからめた。
女とひと時を楽しんで、また会う約束をして別れた。
「しまった」
後姿を見送った後、往壓は呟いた。
「尾びれがなんで出来ているか聞き損ねたな」
十日たって、約束の日になった。往壓は朝から部屋を掃除して待っていたが、女はこなかった。
「ふられたか」
金のない四十男なんてこんなものだ。
「雲七のところへでも行くか」
そうして腰を上げたときだ。戸がほとほと叩かれて、開けてみると女が立っていた。髪を結いもせず、見世物のときとおなじ流したままだ。
「姐さん………今日はこないのかと思ったよ」
「ああ、すまないねえ。でがけにちょいとごたごたがあって」
女は顔色が悪く疲れているようだった。
それでも部屋にあがると往壓に抱きついて唇をあわせてきた。ひんやりとした唇だった。
「大丈夫か? 具合が悪いなら無理してこなくてもよかったんだぜ」
「そうだねえ………胸が苦しくてねえ」
「水でも飲むか?」
往壓は立ち上がると甕の中を覗いた。まだ水はあったはずだ。
「そういやあ、あれから気味の悪い子供ってのはどうなった?」
「ああ、あの子かい」
女はかすかに笑ったようだった。
「あの子はあたしを本物の水妖だと思い込んでいるって言っただろ」
「ああ」
往壓はひしゃくで水を汲むと湯飲み茶碗に入れた。
「どこで聞いたのかしらないけど、水妖には不思議な力があるって思いこんでいてね」
「不思議な力?」
「不老不死。あるいは不治の病が治るってね」
往壓は女のそばに座って茶碗を差し出した。女はほんやりとした目でそれを見ている。
「あの子はねえ、不治の病の母親のためにその不思議な力が欲しかったのさ」
「そりゃあ切ない話だな」
「だからねえ、あたしは持っていかれちゃったんだよ」
「なにを?」
女は青白い顔をあげ、往壓を見た。
「不治の病に効くのは水妖の心の臓なんだって」
そういって両手でぐいっと着物の胸をはだけた。
そこには乳房はなく、真っ赤な穴が開いていた。
往壓の手から茶碗が落ち、水が畳を濡らした。
女の姿はどこにもなかった。
「それで?」
「あわてて面妖座に行ってみたさ。そしたら役人たちが集まってたよ。水妖の女はたらいの中であおむけに死んでいた。心の臓がえぐられていたらしい」
雪輪の厩で往壓は事の次第を雲七に話した。雪輪はぱさりと尻尾を振って鼻を鳴らした。
「お役人にその子供の話はしたんですか」
「うーん」
往壓は頭をかいた。
「その女も別にその子を捕まえてくれって言いに来たわけじゃないみたいだし」
「まあ、心の臓を食わせても本物じゃないから母親は助からないでしょうしねえ」
「女は俺との約束を守ってきてくれただけなんだよなあ」
往壓は雪輪の足元にしゃがみこんだ。
「名前」
「え?」
「その女の名前は?」
「ああ、聞いてきた。お初、お初というんだよ」
「お初さんですか」
「いい女だったんだよ………」
往壓はお初のふっくらとした唇を思い出した。だが何度思い起こしても、最初の情熱的な口付けではなく、あのひんやりと冷たい死者の感触でしかなかった………。