モモママの夢話にようこそ...(⌒^⌒)bうふっ
モモママは、子供の頃からたまに妙な夢を見ます。
ゾクっと鳥肌立つ夢も、ホロホロ泣いてしまう夢も...。
それが
正夢だったり逆夢だったり...。
そんな、モモママの夢話をお話します。

皆さんの不思議な夢話がありましたら
BBSでお話して下さいね。

では、ごゆっくりどうぞ〜〜♪


あ〜〜〜!トイレは済ませておいた方がいいかも?
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ー──── ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)ニヤリッ



第1話  K先生...
 
 今から遡る事、34年も前の事になります。
私が通っていたのは幼稚園・小学校・中学校の一貫教育の学校でした。
教育方針が変わっており、5・4制で小学校は5年・中学校は4年となっておりました。
私は幼稚園の時、お弁当が無い日は姉か兄の教室で一緒に食べていました。
姉達の授業が終わるまで、私は小学校の購買部の前で“K先生”とお絵描きをしたり
折り紙をしたりして遊んでいたものです。
小学校に入学した時より3年生まで、私のクラスの担任は偶然にも“K先生”でした。
先生は長崎の原爆の被爆者と言う事でしたが、蓄膿症以外はコレと言った病気も
されずにごく普通に教壇に立たれていました。
私が中学に進学した、秋...。
先生が体調を崩されて休職されていると言う噂を聞いた、数日後の事です。
明け方、夢を見ました。懐かしい先生の『よしよちゃん、よしよちゃん』と、私を呼ぶ声。
どこどこ?と辺りを見回すと、そこには身長30センチ程の真っ黒な悪魔がいました。
三角耳にギザギザ尻尾で、何故か目が祠になっていました。
恐ろしさで悲鳴を上げそうになりながら、『K先生...なの?』と必死で聞きました。
『そうだよ、K先生だよ。怖がらないで』と言われました。
『先生、どうしてこんな悪魔の姿なの?どうしたの?』って言う私の問いには答えて
くれず、『一生懸命勉強するんだよ。元気でね』と言う言葉と共に消えてしまいました。
私は怖さより、先生との別れが悲しくて大泣きをしてるいるうちに目覚めました。
母にすぐに夢の話をした所、『何だろうね。K先生に何かあったのかしらね。』と母は
首を傾げていました。

登校して朝礼の時、その朝、K先生が亡くなった事を聞きました。
詳しい内容はその場では報告されませんでしたが、小学校の職員室に行って聞き
ました。
先生は蓄膿症から蓄膿癌になり、闘病生活を送られていたとの事。癌が目にまで
転移し、片目を摘出した後、残った片目にも転移し、両眼を摘出した後に亡くなった
との話でした。先生は両目の無くなった姿で、私の夢に現れたら、私が怖がると
思われたのか悪魔と言うコミカルな姿で現れたのでしょう。
子供の頃の私にとってはどちらにしても恐ろしい姿に違いは無かったのですが...。

K先生の冥福をお祈りします。                         
                                                合掌



第2話
 白い犬


 平成4年1月のある日、私は東急目蒲線の田園調布駅から発車の合図と同時に
最後尾車両に飛び乗りました。揺れる車両を最前列に向かって移動していると...
私の後ろを白い犬がついて来ていました。「何で犬が一人で電車に乗ってるのかしら」
と疑問に思いながらも私は歩いていました。時々、振り返るとその犬も立ち止まり、
歩くと一緒に歩くいう感じで、とうとう、最前列まで来てしまいました。終点の蒲田駅に
着き、私は実家に行く為に今度は同じ構内の池上線に乗り換え、次の駅で降りました。
まさか、いないだろうと思って、振り返ると...やはりその犬は私と一定の距離を
保ちつつ、ついて来ました。
とうとう、実家に着いてしまい出迎えた母が、「その子どうしたの?」って私に聞くので
「田園調布からずっとくっついて来てるのよ。どうしたもんかしらね?」と言いますと、
母は「この間、ベビー(トイプードル)が死んじゃって寂しいから、うちで飼おうかしら」
と言うので、「そうすれば?」と私は答えました。
その子は色が真っ白で、毛はプードルの様な毛質で、足が短くて、尻尾が無かったの
です。おまけに、耳の毛も短いし...この子はプードル系のミックスなんだろうなって
思ってるうちに、夢から覚めました。

何だか、奇妙な夢だなぁって思いながら出勤して事務所で仕事をしていると、パートの
おじさんがタイムカードを押しに事務所に来ました。私は何の気無しに「おじさん、
おちびちゃん(前年の3月におじさんのプードルが出産して1匹残していた)は元気?」
と聞いたら、おじさんは困った顔をして「吠えるし、噛むし、暴れん坊なもんだから、
これから、ペットショップに連れて行って里親を探して貰おうと思ってるんだよ。」と言う
ではないですか...。「そんな可哀相な事...。おじさん、あたしにその子を頂戴」と
言ったら、「あ〜、いいよ。今夜連れて来るよ。」と言われました。
すぐに母に電話して、「今夜、10ヶ月のトイプードルを連れて行くよ。」と伝えたら、母は
大喜びでした。
夜になり、おじさんが連れて来た子を見て、あまりに、夢に出て来た子とソックリで、
鳥肌が立つ位に驚きました。
足の短さ・毛質・耳の毛の短さ・尻尾が断尾に失敗したのか極端に短いのです。
おじさんが置いて行った時、泣き叫んでましたが、私が着ていたダウンジャケットの
中でその子を抱っこしたら、急に静かになり私にピッタリと寄り添って来ました。
実家に行くまでの車の中で、名前を付けてあげよう(それまではミーちゃんと呼ばれて
いましが、猫みたいだったので改名です)と主人と話しました。
花子から始まって、クック・マーガレット・ポピー・ポチ・モコモコ...どんな名前にも
まったく反応せず、やっぱりミーちゃんかなって思って呼んでも知らん顔です。
何気なく、以前実家で飼っていたプードルのラムの名前を口に出したら、それまで
無反応だった子がパッと私の顔を見ました。まだ、別の名前を呼んでも知らん顔で、
ラムと呼ぶとそれまで無表情だった子が急に嬉しそうな表情をしました。
名前はラムと決めた訳です。姉はラムを見に来て、口が大きいから、ワニちゃんと
呼んでいましたが、ワニちゃんでもラムと呼ばれた時と同じ反応をしました。
後日、血統書が送られて来て、正式名はアネットと判明しました。つまり、呼び名は
アニーなので、ワニちゃんでもラムちゃんでも、同じに聞こえるみたいでした。

ラムはすぐに実家に馴れて、人を噛んだり吠えたりする事もなく、穏やかで性格の良い
子だったのです。
ラムとの出会いは夢の中でした。ラムは私の実家を選び、名前を選びそして私にモモを
授けてくれました。不思議な縁を感じずにはいられません。

2003年8月20日、ラムは虹の橋を渡りました。享年12歳5ヶ月でした。皆様の応援
お励ましをありがとうございました。
                                                合掌


第3話 義父
 
 平成4年4月18日、義父は亡くなりました。
前の月の3月の下旬に体の不調を訴え、病院の検査により肝臓癌の診断を受けました。
義父と義母には告知をしない事にしました。が、入院期間1ヶ月も経ずに帰らぬ人となり
帰宅をしました。
肝臓と腸にあった癌はすべて切除し、手術は成功との医師の話にほっとしたものです。
術後の経過もよく、翌日には体を動かし、2日目には歩き始めました。
ところが、体液を排出させる為のドレーンを1週間後に抜き、数時間後より、腹痛を訴え
レントゲンでバリュームを流しながら30分置きに腸の様子を見守ってる間、医師の
診断は腸が癒着してる、してないと2転3転し、結局は深夜の緊急手術となりました。
義父はドレーンを抜く前には、『数年振りで立派な便が出たよ。お腹がグルグルして
腸が動いてるのが分るんだよ』と私に言っておりました。腸が動いて、便が出ている
のに癒着は考えられませんが...おそらく、何かを置き忘れてしまったのでしょう。
その緊急手術の途中で、心肺が停止したそうで、蘇生させるのにかなり、時間が
かかったようです。それ以降、義父は手術の傷の痛みなのか激痛で、苦しみました。
私達及び、義父への承諾無しに気管支切開が行われました。恐らく、痛い思いをさせ
られた上に気管支切開により言葉を失い、義父は混乱しておりました。ベットの上で
暴れるので手足をベットに固定されました。痛みを和らげる為に、薬で眠らせる事に
なりました。
父が集中治療室に入った時から、主人と私は付き添う事にしました。お昼過ぎから、
翌朝の8時まで、毎日、義父の側におりました。ウトウトする事はあっても、あの
人工呼吸器の音や、血圧計の音を聞いていると眠れるものではありません。ただただ
無言で義父の側にいて見守る事しか出来ませんでした。そんな日々が続いた6日目の
夜中、義父を見守りながら、私は心の中で義父に話かけました。
『お義父さん、もういいよ。もう、頑張らなくていいよ。お義父さんも疲れたでしょ?
あたし達も疲れちゃったよ。もう、限界だよ。楽になろうよ、ね』
翌日、義父は息を引き取りました。それまで、痰を引いてもらう時の苦しそうな顔とは
違い、安らかな顔でした。

初七日の朝、義父の夢を見ました。
義父は家の客間に横たわっていました。周りはしーんとして誰もおらず、何故か私が
父の遺体に付き添っていました。ふと義父を見ると、亡くなった時より遥かに頬が
ふっくらとして頬に血の気がさしておりました。
『お義父さん!』と声をかけると、義父はムクっと起き上がりフワァ〜と大きな欠伸をし
あたしの目の前に胡座をかいて座りニコニコしていました。
『お義父さん、皆が心配をして病院に来てくれてたの、分ってた?』と私が言いますと
義父は『あ〜、分ってたよ。○○に△△だろう?皆には迷惑をかけたなぁ。ずっと
付き添ってくれてありがとうなぁ。父さん嬉しかったよ』と言いました。
その一言で、私は号泣してしまい、目が覚めました。

私は、この義父のありがとうの言葉の意味を、付き添った事に対するものだと思って
いたのですが、今、ここで思い出しながら書いているうちに気付きました。
それは、私が父に引導を渡した事へのありがとう、だったのではないでしょうか?
頑張らなくていいよとか、楽になろうねと言う言葉から義父は自分の病気の事も、
体の状態も理解したんだと思います。
もし、私の父だったとしたら、私は同じ事が言えるでしょうか...。
                                              合掌



第4話
 義叔父

 唐突にわたしは初めて見る家にいた。玄関からずっと鯨幕が張り巡らされたいた。
線香の匂いに人のザワザワする気配...でも、誰もいない。鯨幕に目をやると、何故か
“青梅市今井自治会”の文字がある。(今井と言うのは主人の実家のある町名)
ふと見るとわたしは菊の花(わたしの大ッ嫌いな花ではあるが)を持っていた。どうも、
棺に花を入れるように誰かに頼まれたらしい...。鯨幕にそって、部屋の中に入ると
そこには棺がポツネンと安置してあった。
『何で、あたしがひとりでこんな事しなくちゃいけないの?』って思いながら、棺の中を
覗いたら、そこには千葉の叔父さん(義父の弟)が横たわっていた。
『あぁ、千葉の叔父さんが亡くなったのね』と思いながら、菊の花を顔の周りに飾ってると
義叔父が動いた様な気がした。じっと見てると、フ〜と大きな息をしたと思ったら、
いきなりに目を開けた。あまりの恐怖で腰が抜けたようになって、義叔父を見ていたら
どっこらしょと起き上がった。そして、何事も無かったかのように、棺から出た。
『ちょっと〜〜〜〜!叔父さん生き返ったよ〜〜!』と悲鳴とも叫びともつかない大声を
出した所で目が覚めた。冷や汗をかいていた。

後日、義母の所に行った時にその話をしたら、その日、千葉の叔父さんは心臓発作で
緊急入院していて、生死の境を彷徨っていたそうだ。
その後、すぐに回復して今ではピンピンしている。
なにも、あたしの夢に出なくても良さそうなものなのに...怖がらせてさぁ。




第5話 もんちとの別れ...

 もんちとは、わたしが育てた、プードルを父・マルチーズを母に持つMIXの子でした。
本当は“もも”と言う名だったのですが、家族は皆、“もんち”と呼んでいました。
もんちは1977年12月25日に生まれました。生まれた時に、母犬に子育てを放棄されて
しまったので、わたしが1週間ミルクで育て母代わりをしました。1週間過ぎてから、突如
母性に目覚めた母犬とバトンタッチしました。
もんちは黒いマルチーズの様でした。毛質はプードル、マズルはマルチーズ、体型も
マルチーズでした。とても賢くて、丈夫な子でした。そして、とても可愛い子でした。
寝る時はもちろん、どこでもわたしと一緒でした。わたしが外出先から帰ってくる時は、
数分前から玄関でわたしを待っていてくれました。

そんな、もんちは義父の初七日の日に老衰で亡くなりました。14歳4ヶ月でした。
亡くなる前日に、わたし達は義父の葬儀の香典返しを届けに、実家に行きました。
それが、もんちとの別れになりました。もんちは、その頃ではほとんど1日寝てる事が
多かったのですが、わたし達が行った時にはヨロヨロしながらも元気そうでした。
恐らく、もんちはわたしに会うまでと...頑張っていたのでしょう。
犬好きの義父がお供に連れて行ってしまったんだと思います。


 わたしと主人はわたしの実家にいました。実家がある地域が強制疎開の対象になり、
ご近所の方はすでに引越しが終わっており、残すのは実家のみとなっていました。
ペットは一人に付き1匹と決められていました。わたしはもんちを連れて行くつもりでした。
その他にセキセイインコが2羽いたのですが...。
荷物をまとめて、もんちを連れて行くつもりで抱こうとした時、もんちが言いました。
『ぴい(これはわたしの呼び名です)、あたしはここに残るよ。』
『もんち、ダメだよ!あたしは連れて行くよ!インコさんを空に放せばいいんだもん。
一緒に行こう!』と、わたしは言いましたが、もんちは首を横に振り、『あたしは大丈夫
だから、心配しないで。今まで、ありがとう!』と言います。
わたしは悲しくて悲しくて、もんちを抱きかかえて号泣してるうちに、目覚めました。

 目覚めても涙が止まりませんでした。しばらくして、指折り数えたら、その日はもんちの
3回忌でした。実家では、実家で生まれた子の亡骸は庭に埋めているのですが、多分、
もんちは土に帰った事をわたしに教えてくれたのでしょう。

そしてモモは1998年12月12日に生まれました。その年はもんちの7回忌の年でした。
モモはもんちの生まれ変わりだろうと、わたしは信じています。



第6話 小梅ちゃん...?

 今回の夢話は、わたしがこのページを作るキッカケとなった夢話です。4月8日の日記に
書きましたので、皆さんの記憶に新しいと思いますが...。

 どこかの旅館かペンションか定かでは無いのだけれど、10畳位の部屋にゴチャゴチャと
荷物やらお布団で足の踏み場も無い部屋で、わたしは小梅母と床にペッタリ座りこんで話を
していた。わたし達のまわりにも友達がいたハズなのだけど、顔は覚えていない。
小梅母とゲラゲラ笑いながら話していた。
足を崩して座っている、小梅母の足元で小梅ちゃんが、小梅母の踵をガシガシ噛んでいた。
あんまりその仕草が可愛いので、あたしは小梅ちゃんを仰向けにしてお顔やポンポンに
スリスリした。

そんな夢を4月8日の朝方に見た。わたしは目覚めても小梅ちゃんの毛の感触やポンポンの
感触が頬に残っていた。モモのとはまったく違う感触と匂い...。
小梅母とは電話で何度も話しているし、写真も見ているので小梅母は間違いは無かった。
小梅ちゃんは生では見た事がないのだけど、かなり小さい子だった。何だかとてもリアルな
夢だったので日記に書いた。

ところが、翌日...。友達のユッコさんが会社に遊びに来てくれた。
ユッコさんがシュガーちゃん(ミニプーのホワイトの女の子)を連れて来てくれるのではないか
とわたしは思っていた。ところが、ユッコさんはベルちゃんを連れて来てくれた。
ベルちゃんとは初対面だった。(写真では見ていたが...)ベルちゃんを見て、抱っこさせて
もらったら...なんと!!
あたしが夢で見た“小梅ちゃん”と思っていた子は、ベルちゃんだった。華奢な体つき・毛質・
香り...。すべてピッタリだった。まさに、正夢?
まさに不思議な夢話であった。


第6話にて、モモママの不思議な夢話は一旦終了します。皆様、お付き合い頂きまして誠に
ありがとうございました。
また、不思議な夢を見ましたら、随時書き上げていくつもりです。
皆様の不思議な夢話をBBSにお書きいただけたら、幸いです。
                                        平成15年4月25日
                                               モモママ