第1章 ヨーコからの影響

 

 

ジョンの生涯には日本との関わりが様々な形となって見ることができるのだが、かといって生前における公式な音楽活動の中で、それを直接的に確認できるものはあまりない。主なものとしては@「ワン・トゥ・ワン・コンサート」(1972年)における「叛」「全共闘」の文字入りヘルメット姿、A楽曲「あいすません(あいすいません)」(73年)のタイトルと歌詞、Bベストアルバム「シェイヴド・フィッシュ(削り節)」(75年)のタイトル及びジャケットくらいだろうか。

これらに共通しているのは、「ヨーコとの生活から生まれた」ということである。「生活」というだけあって、その影響やテーマは直接的で切実な問題だった。すなわち@は政治活動や永住権問題、Aはヨーコとの別居、Bはショーン誕生をもって主夫生活に入っていく時期のものと、ヨーコ抜きでは考えられない言動の数々である。@は当時ジョンが影響を受けていた左翼思想の表れなのだが、映像作品であるため、視覚的もしくはファッション的な側面からしか位置付けられていないのが残念である。一方、Aはジョン自身がヨーコ=日本人、Bはそれに加えショーン=日本人であるヨーコとの子どもだと強く意識した結果の作品だといえる。

では、ジョンにこれほどまでに影響を及ぼした、ヨーコの存在およびその精神性とは一体何なのか。常にジョンを通して語られることの多い彼女について、筆者りなの解説をし、ジョンとの関わりについて改めて記してみたいと思う。

 

 

ヨーコとその作品にみられる日本文化の精神性

 

まずヨーコの生い立ちと、育った時代背景から、その精神性を探ってみる。

オノ・ヨーコ(小野洋子)は1933(昭和8)年2月、東京の裕福な銀行家の家に生まれた。母方の曽祖父は安田財閥創始者・安田善次郎、祖父が貴族院議員という家柄である。父の仕事に伴い2歳で初めて渡米してから何度か日米を行き来するが、当時の日本は軍国主義真っ只中。戦時中は疎開も経験し、空腹を忘れるために空想の食事を弟・啓輔と試みるなどしていたという。

ヨーコは幼少期の記憶について、以下のように記している。

 

「五、六歳の頃だったと思う。(中略)…家庭教師は、バイブルを読んでくれる先生が一人に、外人のピアノ教師がいた。それに私のお付きの人がいて、仏教を教えてくれた。」

 

極めて独特な環境である。日米の往来、戦争、疎開、多くの使用人に囲まれた生活から、受けた教育に至るまで、激動の時代に普通の子どもでは考えられないほどの多様な価値観に触れている。学校も学習院初等科に入学後、転校を繰り返すが、当時の学習院は皇族や貴族など、ごく限られた家庭の子供しか入学出来なかった事を考えると、その稀なる上流階級ぶりが理解できよう(現在の天皇陛下は一学年後輩である)。このような「象牙の塔」の子供時代を過ごす中で、本人は相当孤独だったようだが、逆に徹底的に自分自身を見つめていたようだ。そして全ての価値観が引っくり返ってしまう終戦を12歳で体験する。孤独な自己探求の後に見つけた答えは「既成の道徳・価値感に対する本能的な拒否反応」であったが、一方で「普遍の美しさを持つ空への強い憧れ」も持ち合わせていたのだった。(自由で普遍の存在としての空は、後年まで持ち続けるテーマである)。

 

その後、学習院大学哲学科に女性として初めて進学し、20歳でアメリカに留学してからのアーティスト活動に関してはよく知られている。前衛芸術集団「フルクサス」への創草期からの参加、そして62(昭和37)年に帰国しその後ロンドンへ活動の舞台を移し、ジョンと出会うことになるわけだが、この時期の活動については洋書「YES」(ハリー・N・エウブラムズ社・2000年)や、ヨーコと40年来の交友をもつ飯村隆彦氏の著書「ヨーコ・オノ 人と作品」(水声社・2001年)に詳しい。

 

ところで本稿で取り上げたい、ヨーコのアートにおける日本文化の精神性であるが、これは日本人であるヨーコにとっての基礎的かつ当然のアティチュードの一つだったと考えてよい。

代表的なものとしては1964(昭和39)年、京都・南禅寺でのイベント‘タッチ・ピース(evening till dawn)、65(昭和40)年の‘カット・ピース(カッティング・イベント)’があり、ともに極めて東洋的で仏教的な解釈が可能である。前者は7月21日、月明かりの下、枯山水の庭園を眼前に夜空を眺めるというイベントである。ヨーコの回想によれば、約50人が「空を見ること」と「触れる」ことをインストラクションに一夜を明かすというもので、99(平成11)年には以下のように語っている。「雲ひとつない美しい満月の下、夜明けまで空を眺め、日が昇った後お風呂に入り、僧侶の作った朝食をいただきました。それはまさに禅の世界でした。でも意識してやろうと思った訳ではなく、私の考えが最初から禅に近かったのです。」

後者はステージ上に座るヨーコの服を、参加者が順にはさみで切り刻んでいくもので、大相撲の断髪式をイメージすると分かりやすい。但しここでは、参加者は全くの第三者で、下着にまではさみを入れる者もいたという。ある意味生命の危険にすら及ぶものである。これはカーネギー・ホール(アメリカ)を始め、東京やロンドンでも開催されているが、ヨーコによれば、それまでの芸術が、制作者が自らの作品を押し付けること(=エゴ)で成立しているのに対し、「そういった自我を抜き取った無我の境地に立って作品を作りたい」との思いから、「このモチーフをつきつめていった究極のところに生まれた」とし、さらに「仏教における自己犠牲の精神が宿っている」作品だと振り返っている。

 

 

「空」と「他力」…仏教思想のあらわれ

 

この二つに見られる共通点は「空(くう)」の概念である。これは仏教の根本思想であり、辞書には「実体のない状態」とある。まず‘タッチ・ピース’だが、これは文字通り禅文化を代表する名刹でのイベントである。電気もない夜空の下、時間さえ止まっているような暗闇の中で、参加者は自らの存在(意識)の絶対性を認識しつつも、そのはかなさや小ささを認識することを免れない。それは自然との対峙を経ることにより得られるもので、人間は自然の一部にすぎず、意識が自然と一体化していくような結論に達せざるを得ないものだ。そこには西洋思想において万物の最上位に位置される人間の特殊性や存在感は皆無である。また‘カット・ピース’における「無我」の境地は「空」と同じ意味で、自らの意識を限りなく「無」に近づけることにより、逆にその存在を普遍たらしめる「色即是空、空即是色」(宇宙における万物の本質は実体を持たず、変わらないものは何一つとしてない/実体のない空こそあらゆるものの本来の姿である)という表裏一体の概念を体現したアートだともいえる。

 

 

 他にも有名な‘釘を打つ絵画’(1965・昭和40年)や‘天井の絵’(1966・昭和41年)に代表されるように、ヨーコのアートの大きな特徴は、観客が自由に作品に触れ、参加することを前提に成り立っている(インストラクション/参加型アート)。ここで重要なのは、ヨーコは観客の参加方法や取組み方に関して、その一切を観客側に委ねているということだ。自由に、といわれて戸惑う参加者も多いだろうし、あからさまに斜に構え、揶揄しながらの参加者もいるだろう。それでもヨーコは参加者に対し「こうしなさい」との直接的な指示はせず、想像することをベースとした極めて観念的な指示のみを行うのである。

 

ヨーコはこの心境を「始めは実際に人を斬っていても、次第に、実際に斬らなくても、心の中で斬れば済むという段階にいくように」と、高名な禅の体現者である山岡鉄舟を引合いに出し、禅に例えている。自ら修行により悟りを求める行為を「自力」というが、これを成し遂げた禅僧は他者に対し極めて寛容であった。一休しかり良寛しかり、流れる川のように自然に身を任せ、相手を受け入れることができた高僧である。ヨーコは完全なる性善説の立場から、人間の可能性を信じ、あらゆる先入観や固定観念を捨てることにより、一切の解釈を相手に委ねるところに達したのである(というよりも、本来持っていた)。

 

このように自己の裁量において相手に全てを委ね、理解を願う行為を仏教では「他力」(the power beyond self)という。もともと阿弥陀仏の願いの力に頼って成仏するという意味だったのが転じ、「自己が他者を信じきって、相手の如何なる解釈をも容認する」ときに用いられている(余談だがキリスト教は性悪説である。原罪と「悔い改めよ」との神の言葉と慈悲に、救いを求めるのがキリスト教の本質である)。

 

一般にコンセプチュアル・アート(インストラクション・アート)は、その言葉にあるように非常に抽象的であるから、各々の解釈は鑑賞者の自由な裁量に任される。よってひとつの解釈は常に逆説性をも内包し、様々な意味を生じさせる可能性を持つわけだが、ここで見逃してはならないのは、ヨーコのアートについていえることは、それが極めて想像力豊かで詩的だというところにある。ヨーコに関する著書も多い映像作家の飯村隆彦氏によれば、海外のアーティストの作品が、そのコンセプトが言語化されたとき、説明や証明が可能なものが多い(例えばジョセフ・コススの‘椅子’という作品は「本物の椅子、椅子の写真、辞書の椅子の項目」の3つが飾られているだけ)のに対し、ヨーコのアートは実現不可能なものや合理的な解釈が困難なものも少なくない。そこには、ある事象に対して明解な合理性(コンセプト=概念)を求める西洋と、非合理性(イマジネーション=想像力)をも許容する東洋との相違がある…との見解が示されている。

 

西洋における近代合理主義は、二元論に基づいた論理的明瞭性を起点として発展してきた。しかしながら東洋思想では二元論は不完全なものであり、空の思想はそれを超越している(後述)。二元論とはすなわち論理性であり、論理を超越したヨーコのコンセプチュアル・アートがどんなに「無我の境地」から発せられていようとも、西洋人にとってそれらは「自我の非合理な投影」に他ならず、故にしばしば「挑発的」と捉えられ、一人歩きし、無知で偏見に満ちた評価が広まっていったのだ。しかしながら90年代に入り、そういった動きも影を潜め、時代と共にヨーコの再評価が大きく進行している。コンセプチュアル・アートやパフォーマンス・アートが当たり前のものとなった今こそ、「最も有名な無名芸術家」を真に理解する大きなチャンスだといえよう。

 

さて、ここではいくつかの例を取り上げたが、このほかにもヨーコの詩的想像力を喚起させるアートの根本は64(昭和39)年および70(昭和45)年に発表された著書‘グレープフルーツ’で広く親しまれている。何点か紹介しよう。

 

 

想像しなさい。 千の太陽が いっぺんに空にあるところを。

一時間輝かせなさい。

それから 少しずつ太陽たちを 空へ溶けこませなさい。

ツナ・サンドイッチをひとつ作り 食べなさい。

 

 

想像しなさい。

雲がしたたり落ちてくるのを。

庭に穴を掘り それらを埋めなさい。

 

 

空に ドリルで穴をひとつ開けなさい。

穴と同じ大きさに 紙を切りなさい。

その紙を燃やしなさい。

空はピュアなブルーでなければならない。

 

 

地球が回る音を聴きなさい。

 

 

想像しなさい。

あなたの身体がうすいティシューのようになって

急速に 世界中に広がっていくところを。

想像しなさい。

そのティシューからちぎりとった一片を。

同じサイズのゴムを切りなさい。

そしてそれを、あなたのベッドの横の壁につるしなさい。

 

 

太陽を見つめなさい。 

それが四角くなるまで。

 

 

この作品を貫く精神は、現在に続くヨーコのアートに対する一貫的なベースとなっているだけでなく、上述したように私たち日本人にはとても親しみやすい、伝統に基づいた感覚(東洋的な詩的想像力)が備わっているのだ。しかもそこから派生した様々なアートは大変ユニークなのである。     

そしてこの‘グレープフルーツ’を激賞し、これをモチーフに‘Imagine’を作曲したのがション・レノンだったのだ。

 

  H13.8.10 

H・KANDA

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