三強物語

「このレースは三強で決まりだな」「あの馬なら三強の一角を崩せるかもしれないなあ」

競馬に限りませんが、我々は「三強」という言葉をよく使います。一頭がずば抜けている「一強」よりも力差ない三頭による「三強」の方が好まれる傾向があります。ここでは各時代を賑わせた三強物語を載せてみたいと思います。

元祖三強 72年三強 TTG 平成の三強 93年三強 96、97年古馬三強



元祖三強1968年のクラシックを賑わせた三強です。古馬になってからはタケシバオーの怪物ぶりがアピールされました。

マーチス31戦14勝 
皐月賞・阪神3歳S・きさらぎ賞・スプリングS・NHK杯・札幌記念・目黒記念優勝。三強の中では真っ先に頭角を現し皐月賞制覇。七夕の日に行われたダービーでは1番人気に推されるも4着。享年24歳

タケシバオー27戦16勝(海外除く) 1969年度代表馬 今年顕彰馬に選出される
朝日杯3歳S・天皇賞(春)・スプリンターズS・京都記念・毎日王冠優勝。クラシックでは皐月賞・ダービーともに2着。古馬になっても1200m〜3200mまでオールラウンドに距離をこなした。芝でもダートでも良でも不良でも関係なし。史上初の1億円ホースに昇り詰めた。今でもこの馬を「最強馬」と呼ぶ人は多い。種牡馬としては南関東三冠馬ハツシバオーなどを輩出した。享年28歳

アサカオー24戦8勝 1968年度代表馬
菊花賞・弥生賞・日本短波賞・セントライト記念・AJCC優勝。主戦だった加賀武見騎手は、「もっとも思い出の深い馬」と語っている。享年16歳

三強対決 朝日杯3歳S 弥生賞 日本短波賞 スプリングS 皐月賞 NHK杯 日本ダービー 菊花賞 天皇賞(春)
マーチス 3着 2着 1着 1着 1着 4着 3着 5着
タケシバオー 1着 2着 2着 2着 2着 1着
アサカオー 3着 1着 1着 3着 3着 1着 2着

72年三強1972年のクラシックを賑わせた三強です。68年と同じく7月に行われたダービーはまさに三強のデッドヒートでした。

ランドプリンス21戦6勝
皐月賞優勝。テスコボーイ初年度産駒で一瞬の切れ味が武器であった。享年28歳

ロングエース10戦6勝
日本ダービー・弥生賞優勝。武邦彦騎手に悲願のダービー制覇をもたらす。種牡馬としては宝塚記念馬テルテンリュウなどを輩出した。享年26歳

タイテエム16戦8勝
天皇賞(春)・スプリングS・神戸新聞杯・京都新聞杯・マイラーズカップ優勝。四白流星の派手なスタイルで人気が高かったがクラシックは未勝利に終わり「無冠の貴公子」と呼ばれた。しかし古馬となって天皇賞(春)を制し汚名返上。種牡馬としてはコーセイ・シンチェストなどの活躍馬を送り出した。享年26歳

三強対決 弥生賞 皐月賞 日本ダービー 神戸新聞杯 京都新聞杯 菊花賞 天皇賞(春)
ランドプリンス 2着 1着 2着 2着 4着 4着 13着
ロングエース 1着 3着 1着 6着 5着
タイテエム 7着 3着 1着 1着 2着 1着

TTG1976年のクラシックを賑わせた三強です。昭和の三強の中では最も有名な三強かもしれません。

トウショウボーイ15戦10勝 1976年度代表馬 顕彰馬
皐月賞・有馬記念・宝塚記念・神戸新聞杯・京都新聞杯・高松宮杯優勝。華麗な鹿毛の馬体と風のようにターフを駆け抜ける姿から「天馬」と称される。無敗で皐月賞馬となりダービーでは1番人気になるも2着。古馬との初対決となった有馬記念も勝利しこの世代の強さを証明した。テンポイントとの対決のために引退の時期を遅らせた話は有名。中距離での圧倒的なスピードで2200m以下では負け知らずであった。種牡馬としてもミスターシービーやダイイチルビー、シスタートウショウ、アラホウトク、サクラホクトオーなど数多くの活躍馬を送り出した。享年20歳

テンポイント18戦11勝 1977年度代表馬 顕彰馬
天皇賞(春)・有馬記念・阪神3歳S・スプリングS・京都記念・鳴尾記念・京都大賞典優勝。額に流星、栗毛の美しい馬体から「流星の貴公子」と称される。当時、西低東高の時代であり阪神3歳Sの圧勝から「見てくれこの脚、これが関西の期待の星テンポイントだ!」 関西競馬ファンのヒーロー的存在となった。しかしクラシックは無冠に終わる。古馬となって4歳時の鬱憤を晴らす連勝劇、ついに「これが夢にまで見た栄光のゴールだ!」天皇賞(春)を制する。有馬記念でついに終生のライバル、トウショウボーイを破り国内最強の座を手中にした。しかし海外遠征前の壮行レース日経新春杯で競走中止。43日の闘病生活後、生涯を終えた。享年6歳

グリーングラス26戦8勝 1979年度代表馬
菊花賞・天皇賞(春)・有馬記念・AJCC・日経賞優勝。遅咲きのステイヤー。デビュー戦では後のライバル、トウショウボーイがいた。菊花賞では12番人気ならがらもイン強襲で戴冠、ここにTTGの幕開けが始まった。TTGの中では最も地味な印象を持つが、二頭が去った後でも走り続け、三強の中では最も多く賞金を稼ぎ最も長い間、活躍した。ライバル二頭が獲得していた有馬記念の勝利を最後に引退。二頭と同じく年度代表馬にも選出された。代表産駆はエリザベス女王杯馬リワードウイング。享年28歳

三強対決 皐月賞 日本ダービー 菊花賞 有馬記念 天皇賞(春) 宝塚記念 有馬記念
トウショウボーイ 1着 2着 3着 1着 1着 2着
テンポイント 2着 7着 2着 2着 1着 2着 1着
グリーングラス 1着 4着 3着 3着

平成の三強

オグリキャップ地方12戦10勝/中央20戦12勝 1990年度代表馬 顕彰馬
有馬記念(88・90)・マイルCS・安田記念・毎日王冠・オールカマー・高松宮杯・NZT4歳S優勝。ご存知「芦毛の怪物」 競馬を知らない人でもオグリキャップは知っているというほどのアイドルホース。笠松から中央入りするもクラシック登録がなかったため4歳時は裏街道へ。クラシックへ出られない無念を晴らすかのように重賞6連勝。続く天皇賞(秋)・ジャパンカップでは同じ芦毛のタマモクロスに屈するも有馬記念で雪辱を果たした。古馬となってオールカマー・毎日王冠を制し天皇賞(秋)では圧倒的1番人気になるも前年と同じく2着。急遽予定を変更しマイルCSへ。絶対に捕らえられない位置からハナ差バンブーメモリーを捕らえたレースは必見、南井騎手はインタビューで感激の涙を流した。そしてなんとジャパンカップへ連闘。競馬の常識は覆されこの頃からオグリキャップの人気は社会現象にまでなり始めた。2分22秒2、2着ながらもスーパーレコードを叩き出した。その後、安田記念を快勝するも以後不振な成績を続けもう燃え尽きた馬と引退が囁かれるようになった。しかしさすがはスーパーホース、引退レース有馬記念で見事にラストランを飾りオグリの名は伝説となった。

スーパークリーク16戦8勝
菊花賞・天皇賞(秋)(春)・京都大賞典・大阪杯優勝。オグリキャップとは同期。デビュー戦から2000m以上の距離しか走らなかった根っからのステイヤー。当時19歳武豊騎手の大のお気に入りの馬であった。菊花賞を制し武豊騎手に記念すべきG1初勝利をプレゼント。古馬となり京都大賞典を快勝。記念すべき第100回天皇賞で三強が初激突。オグリの猛追を抑え見事優勝。ジャパンカップでは1番人気になるもスーパーレコードの前に4着。年度代表馬を賭けた一戦有馬記念ではイナリワンにハナ差破れ年度代表馬を逃してしまう。イナリワンに雪辱を果たすべく翌年の天皇賞(春)で優勝。史上初、天皇賞(秋)(春)連覇を果たした。

イナリワン地方14戦9勝/中央11戦3勝 1989年度代表馬
天皇賞(春)・宝塚記念・有馬記念・東京大賞典優勝。気性が荒いことで有名で、やる気を出せば強いが惨敗も多いという個性的な馬であった。東京大賞典の勝利を手土産に中央入り。中央2戦は4、5着と低迷するも春の天皇賞では武豊騎手を背に5馬身差のレコードで優勝した。続く宝塚記念も優勝。秋となっていよいよオグリキャップ・スーパークリークとの三強対決がスタート。毎日王冠ではオグリとのデッドヒートでハナ差の2着になるも天皇賞(秋)、ジャパンカップでは惨敗。三強から二強ムードへと移っていく矢先の有馬記念、「勝った」と思ったスーパークリークをハナ差捕らえ年度代表馬に輝いた。その後も春の天皇賞でスーパークリークの2着と三強に恥じない戦いをみせ宝塚記念を最後に引退。中央での勝利3勝はすべてG1、一度も1番人気になることがなかった変わった年度代表馬であった。

三強対決 有馬記念 毎日王冠 天皇賞(秋) ジャパンカップ 有馬記念 天皇賞(春) 宝塚記念
オグリキャップ 1着 1着 2着 2着 5着 2着
スーパークリーク 3位失格 1着 4着 2着 1着
イナリワン 2着 6着 11着 1着 2着 4着

93年三強1993年のクラシックを賑わせた三強です。三冠を三強で分け合う結果に。
古馬となってからはビワハヤヒデの強さが目立ちました。

ナリタタイシン15戦4勝
皐月賞・目黒記念・ラジオたんぱ杯3歳S優勝。小柄な馬体ながら後方一気の切れ味は抜群の馬であった。ラジオたんぱ杯3歳S勝利後、クラシックロードを歩み始める。シンザン記念・弥生賞と2着で迎えた皐月賞。ウイニングチケットとビワハヤヒデの一騎打ちムードであったが、後方で温存した鬼脚で優勝。来たるべきダービーへ向けて三強は形成された。しかしダービーは人気通りに決まり3着。古馬となってからは目黒記念を制するも天皇賞(春)ではビワハヤヒデの2着。皐月賞での矢のような末脚は戻らなかった。

ウイニングチケット14戦6勝
日本ダービー・弥生賞・京都新聞杯優勝。「柴田政人にダービーを勝たせるために生まれてきた馬」 この馬を語るにこのフレーズが必ず出るほどウイニングチケットと柴田政人は切っても切れない関係にあった。弥生賞を快勝し皐月賞では1番人気になるも4着。しかし目標はあくまでダービー、再び1番人気に支持されるとビワハヤヒデとナリタタイシンの猛追を振り切り柴田政人に念願、悲願のダービーをプレゼント。「ダービーに勝ったら騎手をやめてもいい」ついに悲願のダービージョッキーになった勝利インタビューでは「世界中のホースマンに、私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人です、と言いたい」と語った。その後は京都新聞杯を勝つも菊花賞は3着、続くジャパンカップでも3着と好走するも暮れの有馬記念では11着惨敗。古馬となってからは不振に終わり天皇賞(秋)ではライバルビワハヤヒデと同じくレース中に故障発症、同じ屈腱炎で引退した。

ビワハヤヒデ16戦10勝 1993年度代表馬
菊花賞・天皇賞(春)・宝塚記念・京都記念・オールカマー・デイリー杯3歳S・神戸新聞杯優勝。連を外したのはレース中に故障発症した天皇賞(秋)のみという完璧な馬であった。大レースでは詰めが甘く朝日杯3歳S、皐月賞、ダービーと2着続き。しかし4歳秋からはトレードマークの赤メンコを外しがらりと一変、菊花賞を5馬身差のレコードで制すると有馬記念ではトウカイテイオーの奇跡の激走に2着に敗れるもG1での好走が認められ年度代表馬に選出された。古馬となってからは無敵となり京都記念、天皇賞(春)、宝塚記念、オールカマーと快勝。この年クラシックで二冠を達成した弟ナリタブライアンとの兄弟対決が期待された。しかし天皇賞春秋連覇確実と思われた天皇賞(秋)で故障発生しそのまま引退。有馬記念でのナリタブライアンとの対決は夢に終わった。

三強対決 弥生賞 皐月賞 日本ダービー 菊花賞 有馬記念 天皇賞(春) オールカマー 天皇賞(秋)
ナリタタイシン 2着 1着 3着 17着 2着
ウイニングチケット 1着 4着 1着 3着 11着 2着 8着
ビワハヤヒデ 2着 2着 1着 2着 1着 1着 5着

96、97年古馬三強三度目にして最後の三強対決となった97年天皇賞(春)は歴史に残る名勝負でした。

サクラローレル21戦9勝(海外除く) 1996年度代表馬
天皇賞(春)・有馬記念・中山記念・オールカマー・中山金杯優勝。ナリタブライアンと同世代。小さな頃から体が弱く常に脚元の不安がつきまとっていた。デビューは1月からと遅く3戦目にしてようやく初勝利。ダービー出走権をかけて青葉賞に出走。3着でダービー出走権は得られたもののレース後、球節炎を発症、ダービーは無念のリタイアに。秋に復帰し菊花賞目指してセントライト記念に挑むも8着、菊花賞は出走ならず、結局クラシックは出走すらできなかった。古馬となり中山金杯にて重賞初制覇、ここから軌道に乗り始めるかに見えたが目標の天皇賞(春)の追い切り中に骨折、またも不運にみまわれた。復帰戦は中山記念、鞍上は小島太から横山典に変わり9番人気をあざ笑うかの快勝、本番の天皇賞(春)でもナリタブライアン、マヤノトップガンの二強ムードを撃沈させ、いよいよ本格化し始める。秋初戦のオールカマーも快勝し迎えた天皇賞(秋)、天皇賞春秋連覇を目指すサクラローレルは断然の1番人気に支持されるも勝負所で四方を塞がれ無念の3着に。次走はジャパンカップを回避し有馬記念一本に絞る。見事、定年を間近に控えた名伯楽境調教師に念願のタイトル有馬記念をプレゼントした。年度代表馬となり現役最強馬として天皇賞(春)へ出走、終生のライバル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーと共に三強対決に沸いた。マヤノトップガンの鬼脚に屈したものの追いすがるマーベラスサンデーを差し返し2着死守、負けてなお強しの内容であった。海外遠征が決まり父レインボークエストが勝った凱旋門賞を目指しステップレース、フォア賞へ出走、勝利は約束されたはずであったがまさかのシンガリ負け。右前屈腱不全断裂を発症していたのであった。
「体さえ丈夫であれば・・・」たられば禁句の世界ではあるがそう思える1頭であった。

マヤノトップガン21戦8勝 1995年度代表馬
菊花賞・有馬記念・宝塚記念・天皇賞(春)・阪神大賞典優勝。デビュー戦は1番人気ながらも5着、勝ったのは後の桜花賞馬ワンダーパヒュームだった。その後、じわじわと能力を現し神戸新聞杯、京都新聞杯共に2着で迎えた菊花賞。1番人気は牝馬ながら果敢に挑戦してきたフランス帰りのダンスパートナー、トップガンは3番人気であった。レースは神戸新聞杯の戦法、4角先頭で押し切り見事、初重賞をG1で飾った。次走は強豪相手の有馬記念だったが単騎スローの逃げ切り勝ち、日本一となり年度代表馬に選出された。古馬となり初戦として阪神大賞典に出走、ナリタブライアンとの壮絶な叩き合いとなった今もなお語り継がれる平成の名勝負であった。阪神大賞典のレース振りから春の天皇賞はこの2強対決になるはずであったが、トップガンは伸びず、サクラローレルに現役最強の座を奪われる形になった。メンバー的に絶対に負けられない宝塚記念を快勝し、秋初戦オールカマーに出走するもまたサクラローレルに敗れる。次走、三強+バブルガムフェローの四強が揃った秋の天皇賞ではバブルの2着。落とした評価をなんとか取り戻していった。そしてグランプリ三連覇がかかった有馬記念、三強対決かと思いきやまさかの7着に沈んでしまう。サクラローレルとの差がまた開いていった。翌年限りの現役が決まり、阪神大賞典を快勝後、三度目にして最後の三強対決となった春の天皇賞へ出走。凱旋門賞へ向けて国内ラストランとなるサクラローレルが1番人気、トップガンは2番人気、マーベラスサンデーは3番人気であった。さあ最後の直線、王者の意地でマーベラスサンデーを差し返したサクラローレルが春の天皇賞連覇かと思ったその時、「大外から何か突っ込んでくるぞ!トップガン来た!トップガン来た!」豪快な末脚で二頭を並ぶ間もなく差し切って優勝、前走の阪神大賞典で見せた後方待機策がここでも決まりライスシャワーが持っていた3分17秒1のレコードを2秒7も更新する3分14秒4という世界レコードであった。今まで実力をイマイチ評価されなかったトップガンであったがこのレースで深くファンの記憶に残る名馬となったであろう。秋の目標ジャパンカップを前に左前浅屈腱炎を発症し引退となった。
G1、4勝すべて違う勝ち方をしたため騎手の腕によるとして実力の割に評価が低かったトップガン。しかしG1、4勝は馬の実力なくしてはあり得ない堂々たる成績である。最近では種牡馬としてバンブーユベントスやチャクラなどの活躍馬を輩出している。

マーベラスサンデー15戦10勝
宝塚記念・京都大賞典・札幌記念・大阪杯・エプソムカップ・朝日CC優勝。デビューから引退まで全て武豊が手綱を取った。同期にフジキセキがいるサンデーサイレンス初年度産駆。デビュー当初から大器と噂されデビュー2連勝を飾りクラシックに名乗りを挙げるも骨折にて1年以上の休養を余儀なくされクラシックを棒に振ることに。復帰後はその評価が間違いではなかったことを示すように6連勝(重賞4連勝)し、G1戦線に名乗り出るようになった。秋の天皇賞で三強初対決、バブルガムフェローの4着に屈し、まだG1では通用しないという印象があった。続く有馬記念で二度目の三強対決。マヤノトップガンには先着するもののサクラローレルに2馬身半差の2着、サクラローレルには歯が立たなかった。明けて大阪杯を快勝し春の天皇賞にて三度目の三強対決。掛かり気味のサクラローレルを交わし一旦先頭に立つもサクラローレルに差し返され、二頭の叩き合いを横目にマヤノトップガンにも差され3着。本来中距離馬のマーベラスサンデーにとって3200mは適正範囲外であったが意地を見せ、まさに歴史に残る名勝負であった。この後、宝塚記念に参戦、他の二頭は参戦せず負けられないこの一戦で悲願のG1制覇を成し遂げる。この後、三強に不運が続き、サクラローレル、マヤノトップガンは引退、こちらはなんとか故障上がりではあるが有馬記念に出走することができた。1番人気の期待を裏切らない走りであったがゴール前シルクジャスティスに差され2着、これが引退レースとなった。
三強の中ではどうしても地味な存在として扱われる事が多いが、勝率667、連対率800は立派な名馬の証。サンデーサイレンスの後継種牡馬として最近では今年の天皇賞(春)3着、宝塚記念2着のシルクフェイマスなどの活躍馬を輩出している。

三強対決 天皇賞(春) オールカマー 天皇賞(秋) 有馬記念 天皇賞(春)
サクラローレル 1着 1着 3着 1着 2着
マヤノトップガン 5着 4着 2着 7着 1着
マーベラスサンデー 4着 2着 3着

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