白い壁と白い天井、どこまでも続く長い廊下。
時たま、扉がある以外は変化に乏しい場所で、シオンは迷子になっていた。
眠れなくて部屋を抜け出し、ぼんやりと歩いていたらば、見たことのない場所にいた。
誰かに訊こうにも、人っ子一人見当たらないのだ。
「どうしたら、いいんだろう」
紅い瞳の端に涙がにじみ、視界がぼやけてくる。
それを恥じるように、誰に見られるわけでもないのに俯いた。
そのせいで、微かな音を立てて開いた扉に気付く事なく、中から出てきた人とぶつかった。
「ひやっ!」
間抜けな声を上げてシオンは尻餅をついた。
「大丈夫か」
上から声が降ってくる。
シオンはぶつけた頭を手で押さえつつ、顔を上げた。
銀青色の瞳が心配そうにのぞき込んでいた。
ぶつかった相手は、二十六、七歳の青年。知らない顔だったが、視線が引き寄せられ自然と目が合う。
「シオン……」
青年はシオンの事を知っているらしい。
ここではシオンは有名人なのだ。
「あ、あの、すみません。迷子になってしまって………」
「迷子?」
青年はシオンが立ち上がるのに手を貸しながら、いぶかしげに問い返した。
しげしげとシオンを眺めた後、
「ちょっと、手を貸せ」
つかんだままだったシオンの掌を扉の脇の、小さな画面に押し付け、何やら操作する。
「あ、あの………」
わけがわからず、シオンは混乱していた。
「……登録されていない」
青年が溜め息をついた。
シオンの手首を放して、真っ正面にむきあう。
シオンは改めて、ぶつかった相手を見た。
銀の髪に静かに見つめてくる銀青色の瞳。
端麗な容姿をしているが、それ以上に、静かに視線をひきつける存在感がある。
「とりあえず、部屋までつれていってやる」
「ありがとうございます」
シオンは素直に礼をいった。
青年がそっとシオンの左手を取ると、反転して歩き始めた。
手をつながれるとは……。
シオンは照れて下を向いていた。
青年はゆっくりと歩いている。
左手が温かかった。
研究所所内、第一実験室。
少しばかりの家具があるだけだが、ここが今の所、シオンの自室だ。
シオンはベッドに横になり、天井を眺めていた。
眠れなくて抜け出したのに、さらに眠れなくなってしまった。
あの青年はシオンの部屋の近くでシオンを探している人物を見るとシオンの背中をそっと押して、どこかにいってしまった。
その後いろいろとあったが、今は独りだ。
青年の説明によると、シオンが迷子になってしまった理由は、セキュリティシステムにシオンのデータが登録されていなかったために、本来開かないはずの扉が開いてしまったらしい。
(普通、反対じゃないだろうか?)
それを聞いてシオンは疑問に思った。
「それじゃあ、セキュリティの意味ないんじゃないですか? だって、登録されていない人間がいたら意味ないじゃないですか」
「登録されていない人はいない……はずだったんだ」
ついこの間までいなかったのだから、しかたがないのだろうか。
天井から壁に、壁から備え付けのパソコンへと視線を移す。
(あの人のことわかる……かな)
とび起きて画面に触れる。
せめて、名前ぐらい知りたい。
とりあえず、思い付く特徴を入れてみた。
直ぐに分かった。写真と、
人工生命体製造計画 総責任者
レーク
ただ、それだけが書いてあった。
(僕を作った、……責任者?)
どうりでシオンのことを知っているはずだ。
シオンは再び、ベッドに倒れ込んだ。
眠れない夜が更けていく。
数日後、レークと再会した。
「この中から保護者を選べ」
一つの選択が押し付けられた。
目の前には三組の夫婦がいる。
期待に満ちた目でシオンを見ている。
(怖い……)
その場の緊張した空気が重くのしかかってきて、シオンはうつむいた。
前からそれらしい事はいわれていたけれども、はっきりと答えを求められ、シオンは頭を悩ました。
(……………この中から選ぶ……)
今まで交代で、シオンと試験的に暮らしていた。シオンとの相性で、最終的には、シオンの保護者が決まる。その決定はシオン自身が決めるのだ。
覚醒してから、一ヶ月いろいろな人たちに会った。
みんな、優しかった。いい人達だった。
けれど……。
なにか、どこかが足りない。
「……」
一歩後退した。
背中に何かが触れて、シオンは後ろを振返った。
「決まったのか?」
シオンは青年の上着をつかんだ。
「……この中から選んでいいんですか?」
「そうだが……」
シオンは覚悟を決め、顔を上げ、真っ直ぐに青年を見つめていった。
「あの、あなたがいいです」
※
シオンは眠れずに何度目かの溜め息と共に寝返りをうった。
「眠れないのか」
視線を上げれば、いつのまにか枕元に来ていたレークが逆さまに写る。
シオンがこくりとうなづくとレークが枕元に座り込んだ。
シオンがレークのほうに向き直る。
「なにか、話してくれませんか?」
「話? どんな話だ」
「どんなのでもいいです」
レークは微かに苦笑して、何の話をしようかと悩む。
そのまま、沈黙が続きそうになったので、シオンの方から切り出す事にした。
「そういえば、最初に会ったとき、何していたんですが」
「仕事だが……、何故、そんなことを?」
「迷惑だったかなって、すぐに行っていまいましたし」
「俺が見つかると、面倒だったからだ」
「やっぱり迷惑でしたか。あ、いや、その、……保護者に選んでしまって……」
「どうせ、一人身だ。……むしろ、嬉しかった」
「一人身?」
シオンはレークの方に向き直るために、再び寝返りをうつ。手がレークの指先に触れた。
レークと目があった。
シオンは何やら赤面してしまい反対側をむいたが、レークはシオンの手を握り返した。
何もなくただ穏やかに過ぎていく時間。
何かに怯えていた心の奥が満たされていく。
目を閉じれば、全てが消えてしまいそうな気がしていた。
左手が温かい。
寂しさを温かさが埋めていくよう。
シオンは父親に見守られて、穏やかな眠りの中に落ちていった。