夜明け前

 ぬくもりがそっと離れる気配を感じピオニーは目を覚ました。
 まだ朝もあけきらぬ、薄闇の中手早く身支度を整えるジェイドの姿がある。
「…………行くのか?」
 やや掠れた声で問えば、ジェイドが困った顔で見つめてくる。
「起こしてしまいましたか」
「……いつまでも、お前に潰されるほど初心じゃないだけだ。 …………少しは置いていかれる身にもなってみろ」
「また一緒に行きたいとか駄々をこねないでくださいね」
「ごねてやろうか?」
「まだ朝には早いというお誘いですか?」
 ジェイドが苦笑し、再びピオニーの傍へと歩み寄ってくる
 気だるそうに横たったままのピオニーの陽光のごとき髪をかき分け、額に口付けられる。
「おとなしく寝ていてください。あなたに引き止められたら離れられない」
「行かなければいい」
 微塵のためらいもなく、言い放たれた一言に困惑した声が名を呼ぶ。
「…………ピオニー」
 続く言葉はない。代わりに無言で長い指がピオニーに伸ばされる。輪郭をなぞるように触れる指先から、くすぐったそうに逃げ、その腕を捕まえる。
「ジェイド、……お前また変なこと考えているだろう?」
「なんですか? 変なことって?」
「お前が真面目な顔して考え込んでいるのは、フォミクリーのことを考えているときだ。…………違うか?」
 一瞬降りた沈黙が肯定を示していた。だが、ジェイドの表情はなんら変わることない。代わりに捕まえた腕から微かな緊張が伝わる。
 この話題はジェイドにとって触れがたい禁忌だ。それでもふっかけたのは、声をかける直前のジェイドの横顔に危うさが漂っていたからだろうか。このまま行かせてはならないと警鐘が鳴り響いていた。
  軽く引き寄せると降参したようにジェイドが寝台へと腰掛ける。
「…………あなたにはかないませんね」
 弱音ともとれる一言だが、言葉の端に滲むのは甘い響きだ。
「俺のレプリカでもつくって、連れていくつもりだったのか?」
「あなたを置いていくのではなく、あなたを連れて行くための人形作りですが」
「なんだ本当にまだ諦めていなかったのか?」
「…………諦めましたよ。精巧な人形を作ることはできても記憶の再現まではできない。知っているでしょう?」
「ああ、だが同じ記憶を持つ俺がいたとしても、お前は俺を選ぶんだろう?」
 不敵にも言い放たれた一言にジェイドが微かに強張る。
「あなた以外のあなたなどいらない」
「…………それをお前は作ろうとしていたんだろうが」
「無知という罪は何よりも罪深いですねぇ」
 はぐらかそうとする言葉をピオニーは許さない。
「知っていたくせに……」
「いいえ、それさえも作れると信じていたんですよ。なまじ半端に頭が良かったばかりに、自らを取り巻くものが色褪せたつまらない世界としか映らず、己の世界に固執していました。自分しかいない世界で叶わない願いなどないと」
「今でもつまらないって思っているのか?」
「いいえ、あなたの傍にいれば、少なくともつまらないなどと思うことはないですよ。能天気で、突拍子もなくって、あなたの行動は、私には読みきれない、」
「お前がぐだぐだ無駄なことばかり考えすぎるんだ」
「もう少しあなたには、行動を謹んでもらいたいと思うのは私だけではないと思いますけどね」
「なんだお前俺の無茶苦茶なところが好きだとか言っておいて、その癖行動を制限するのか?」
「好きだと言った覚えは……」
「嫌いなのか?」
 言いよどんだジェイドに間髪いれずにピオニーが問い詰める。
「………………好きですよ、あなたのすべてが。例えどんなあなただだろうと」
「そう俺は俺だ。…………それでも、お前はまだフォミクリーを考えたんだな」
「……………………本当に攫いますよ」
 最愛の人の傍にいたいと思うのは理屈では語りきれない。例え離れなければならいない理由があろうと。
「おう、連れていけ、どこにでも」
「………………唆さないでください」
 数多の葛藤など微塵も見せずに、淡々と諭す。結局ジェイドという男は本能より理性が勝るそういうヤツなのだ。
 未だ横になったままのピオニーはつまらなさそうに亜麻色の髪をひっぱる。
「可愛くないぞ」
「………………ピオニー」
 押し殺した声音に情愛が滲む。
 するどくにらむジェイドの視線を余裕でピオニーは受け止める。
「ジェイド、諦めろ」
「…………あなたという人は策士ですね」
「……なんとでも言え」
「…………………………もう少しだけ出発を遅らせます」
 悔しさの滲んだジェイドの降参宣言に、ピオニーが破願してジェイドの腕の中に収まる。



某アンソロ没原稿にして、某様に勝手に捧げたもの。
なんだか中途半な話になってしまった感はいなめませんが、 個人的にはぐだぐだとした話はすきなのですよ。


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