鳥篭王の恋

 見上げれば視界いっぱいに広がる青く澄み渡った蒼穹はいつの間にか姿を変え、 清流となり天上から降り注ぐ――マルクト帝国謁見の間の窓外の景色は、水上の帝都の名を冠するこの街の相応しく、 壮麗にして荘厳、見るものを圧倒する迫力を備えつつも、いつまでも見ていても飽きぬ美麗さを誇る。
その景色を見たいがために謁見も申し出るものも後を絶たないのだが。この部屋の主は、その景色を眺めることもなく、 不機嫌そうに背を向け家臣の奏上を聞いている。
「――アグゼリュスのまちの救出に向かったカーティス大佐から報告が途絶えて、もはや一ヶ月。生存はありえないでしょう。 国内外にて名を馳せる彼を嵌める罠だったにちがいません。これはわが国に対する敵対行為です。 かの国に先手をとられたままではいけません、いますぐに報復をするべきです」
 皇帝の応えは返らない。ただ眉間に深く皴を寄せる。
 現在の皇帝ピオニー九世は若くしてその座についたが、大胆な施策とその明るい人柄もあり、国民に人気はあった。彼の主な外交政策は対話を中心とする温和派であり、即座に報復に出るとは思われない。だが、家臣の問いに応えが返らない。陽光のごとき長めの金の髪が表情に翳を落とす。いつもであれば快活さの源である青き瞳はやや伏せられ、近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。
 こんな時に荘厳な情景は無言で座主る皇帝に、畏怖という名の彩を与える。確かに、彼にとってこの景色は見るためにあるのではない――見られるためにあるのだ。
 痛いほどの沈黙を破って皇帝は口を開く。
「ジェイドは生きている。……。例え街が滅びようと不死人が死ぬわけがないだろう」
「しかし……」
「平野で緊張が高まっている。警戒を怠るな。ともかくもっと情報を集めてこい、原因もわからなけりゃ手のうちようがねぇ――今は待つだけだ」。
 そう待つだけだ。自分にできることは。
「――陛下」
 なおも食い下がろうとする臣下を捨て置き、皇帝は謁見の間を退出する。それでもなお、出兵の許可を求められることはわかっていた。だから、私室に引き下がった彼は、メイドに厳命を下す。
 
 誰も部屋に入れるな――カーティス大佐以外は。
 
 難題を押しつける理不尽さを考慮する余地も考えられなかった。全てを追い払うかのように扉を閉め――そして、独りになる。
 いや、正確には部屋には彼の愛玩するブウウサギたちが待っていてくれた。乱雑に散らかった部屋の中央で立ち尽くす主を不審に思ったのか、鼻を押し付け、心配するように鳴く。
「……ジェイド」
 やわらかなその毛並みを一撫でする。あたたかいものの触れると人は安堵するものだ。引き寄せ再びくすぐる。
 気持ちよさそうに鼻をならすジェイドに、張り詰めていた思いが少しだけほぐれる。
「……お前たちだけだな、そばにいてくれるのは。……あいつらは――……」
 窓の外に視線をやれば、ここからでも水壁が見渡せた。
 この街を守るための城壁だった。だが、ピオニーには自らを閉じ込める檻にしか感じられない。皇帝が動くということは、出兵に他ならない。ピオニーはこの街からでることができなかった。雪の白さを疎ましく感じた幼少時のように、昔も今も自由にならないことに苛立ちを覚える。――否、例え雪降る街に閉じ込められるようと、彼らがいた昔は幸せだった。例え世界の半分をその手にしようと本当にそばにいて欲しい人がそばにいなくては意味などない。
 あの鮮烈な赤が懐かしかった。


「なあ、ジェイド――いい加減。昇進を受け入れろよ」
「そんな窮屈なものは嫌です」
 ピオニーはため息をつく。
「普通、出世を断るやつはいないぞ」
「ここにいるでしょう。大体これ以上、昇進したら遠征しにくくなるだけですよ」
「ずっとここにいればいい」
 それはピオニーの限りなく本音だった。
「ええ、ですから、それが嫌なんですよ。あなたは仕事の邪魔をするから、私の仕事はすすまないし、あなたも仕事がたまる。いいことありませんよ」
「少しはお前がいれば、俺の憂さ晴らしができて、逆に仕事がはかどるだろうが」
「そうですか、では手始めにこちらの書類にサインをお願いします」
「…………ジェイド」
 いつになく、真剣な響きにジェイドが手を休めピオニーを見つめる。
「……お前にそばにいて欲しいんだ」
「……いるでしょう」
「…………そうじゃなくって、ずっと。お前をこの街から出したくない」
「それでは、あなたを守れません」
「俺は守ってもらわなけりゃいけないほど弱くはない」
 ジェイドはゆるく首を横に振る。
「皇帝を守るのは、この国を守るも同じ。そばにいるだけでは、だめなんですよ。……私は必ず帰ってきますから。あなたの元に」
「……ジェイド」

 視線が交差する。
 心配だから、おまえをこの街から出したくない。
 心配だから、あなたの敵を排除してきます。

想いは同じ。ゆえにすれ違う。

 だが、二人で生きていたいと願う限り、折れるのはピオニーの方だった。
「……帰るだけじゃだめだ、……生きて帰って来い」
「……わかりました」


 自分にできることは彼の帰りを待つことだけ。軍事に傾きつつあるこの国を守らねば、彼の帰ってくる場所がなくなる。
  帰還を信じて、待つ。それが籠の中でもできる自由。



甘いのは難しすぎです。
間を置いたので、前半と後半の文体がちがいすぎますが……。
そのうちまたいじるかもしれません。


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