青き玉座への反逆者

賑やかなのはこの街のいつものことだったが、今宵は格別の賑わいだ。遠方から船が着いたのだ。マルクト帝国とキムラスカ王国の国境に位置するこの街は、両国の橋渡し的に意味合いも含んでおり、貿易を主な産業としていた。商業の前に国境の壁など存在しないとでもいうように、両国の様々な人種が入り乱れていた。皆忙しそうに、とび回っている中で、その青年の姿が目に入ったのは偶然だった。
「よお、兄ちゃん、一杯やっていかないか」
 キートが酒場の客引きとしては、ごくありきたりな台詞で声をかけた相手は、全身を薄汚れた外套で身を包んでいた。旅行者であれば珍しくもない格好だった。
 だが、ありきたりと評すには青年を取り巻く雰囲気が、声をかけるのをためらうような、その癖視線を奪われるものであるのに商売人根性が首をもたげたのだ。
 客商売なんてものは、相手との駆け引きそのものだ。だから一目見たときからキートは青年の素性を探らずにはいられなかった。背の高さからして、青年と思われるものの頭巾を目深にかぶりその素顔はうかがい知れない。だが、わずかにのぞく肌は砂漠の民のものに近い。このままマルクトのほうに抜ける旅行者だと、風が青年の頭巾をさらうまでは信じこんでいた。
「あっ……!」
 思わず声を上げたのは、自分だったのだろうか、それとも青年のものだったのだろうか。
 一瞬の強風に思わずつぶった目を開けば、飛び込んできたのは、まばゆい限りの陽光の如き金だった。そして、こちらを射抜くような蒼い瞳。
「……あんたっ」
 それが先ほどの旅行者だとキートが認識し、再び声をかける前に、青年は息を呑むと勢いよく身を翻し雑踏の中へとその身を消した。稀に見る色合いといい、一度その姿をみたら忘れないような鮮やかな容姿を持った青年だった。どこかでその姿をみたことがあるような気がしたが、思い出せなかった。
 キートが青年の素性を改めて思い出したのは、街の触書をみた時だった。

 マルクト第三皇子、ピオニー・ウパラ・マルクト 謀反の罪のため指名手配中。

☆ ☆   ☆

  久しぶりに見た空は青かった。逃げ込んだ街角の裏にもまぶしいばかりの陽光が降り注ぐ。その光に照らされて、自分の肩ほどのまでの金の髪のきらめきが目に入る。早く染めなければと思う。今のピオニーは追われる身だ。極力目立たないようにしなければならない。自分の容姿が思いのほか目立つものだと気がついたのは、うかつにも何人にもその姿を目撃されてしまったからだった。
 幼いころから、白銀の街に幽閉されていた。それでも書物から幼馴染たちの話から、知識は学んでいたつもりだ。だが、やはり知っているのと実際に経験するのは違うものだ。想像もしていなかった熱砂の空気を肺に深く吸い込むと頭巾を深くかぶり、再び足早に歩み出す。
目指すは染料を扱う雑貨屋。だが、街角のいたるところに兵のいるこの街では、店頭で買うのは難しいかもしれない。どこかの民家で譲ってもらうほうが無難かもしれない。ピオニーがこっそりと手持ちの路銀を確かめる。
 幽閉されていた際には、金など必要もなかったから使用することはなかったが、手持ちがそれほど潤沢にあるものではないことはわかる。ケテルブルクを脱出する際に手伝ってくれたネフリーが少ししか役に立てないけどと持たせてくれたものだった。
 わずかばかりの金額を手のひらに握り締める。ここには彼女の想いが詰まっている。ピオニーの初恋の相手。もう一度会いたいと思っても、邂逅はかなわない。ケテルブルクに戻ったところで、戻っているのは死のみだ。
現在、ピオニーには謀反の罪が着せられている。むろんピオニーは謀反など企んではいなかった。だが、父が暗殺されたと知らせをこっそりと受け取った瞬間。嵌められたと思った。
 ピオニーには兄がいる。順当に行けば王位を継ぐのは兄だ。
 父は病床の床についていた。持ってあと数年そのままでも兄は王位を継ぐことができたのに、父を暗殺する理由がない。比べてピオニーには長く幽閉された鬱屈。王位への願望とあるわけだ。まして父が亡くなった途端に行方を眩ました自分に嫌疑がかかるのは当たり前のことだろう。
 ましてや、兄が火種のもとにしかならない自分を生かしておくとは思えなかった。
 兄とは数度会ったことがあるだけだ。一番上の兄はピオニーが生まれてすぐに、病気でなくなった。ピオニーが言っているのは、二番目の兄のことだ。自分と似た金の髪と青い瞳だけど、肌色は乳白色でやや優男風の容姿だった。どちからといえば、落ち着いた雰囲気で、記憶の中の兄の姿は式典の際のものか、書物を読んでいた姿だけだ。いつも遠くからその姿を眺めることしかできなかった。
 まだグランコクマにいたころ一度だけ庭で遊んでいた際に迷ってしまい、東屋で寛いでいた兄と対面したことがあった。
 其の時もやはり兄は書物を読んでいた。滅多に見ることのできない兄に憧憬の念で見つめていた自分に気がつくと、兄は、
――どうした? ピオニー
 やさしく名を呼んで、大きな手のひらで頭をなでてくれた。
 嬉しさに無邪気な笑顔を浮かべていた幼い記憶も残っている。
 あの兄が起こした自分への策謀なのだろうか。できれば信じたくないと思う。
 それでも直視しなければならない己の現状。父殺しの罪を着せられ追われる身、帰るところがなければ、目指す場所もない。それでも、生きるためには逃げるしかなかった。それすらも、罠だとしても――。
 物思いに沈んでいた、ピオニーを現実に引き戻したのは、前から歩いてくる一人の男だった。
「よお、あんた、ちょっと寄ってかないか」
 まったくこの街は客引きが多すぎる。最初の頃こそ、声をかけられるたびに、外套の下で剣の柄を握り締め、警戒していた。だが、あまりの多さに気にしなくなっていたのと、決して軍人とは思えぬ柄の悪さに追っ手とは思えなかったため、気が緩んでいたのだろう。無言でその傍を通り過ぎようとした時だった。腕を後ろに引かれ、体勢を崩す、
「何をする……っ!」
もう一人男が街角から飛び出し、ピオニーを羽交い絞めにする。声を上げようとした口を何か甘い匂いのする布で押さえられた。
「………っ」
 息を吸い込んだ瞬間に視界がくらりと回った。そのまま意識が深く深く沈み込んでいく。次にピオニーが意識を取り戻した時には再び囚われの身となっていた。

「……だが、…とこだろう?」
「こいつのナリだったら、好きものもいるだろうよ」
「容姿はいいとしても、そのあたりで拾ってきたものなんて、大丈夫なのか」
「この服装といい、街はずれものめずらしげにうろうろしているなんて、このあたりのもんじゃないさ。なんか追われているみたいだったしな」
「オイ、やっかいごとじゃないだろな」
「今更、問題の一つや二つ大差ないだろ。早く売っちまえばいいだろ。こいつならぜってー売れるって」
 低い話し声に未だ覚醒しきっていないピオニーの意識がゆっくりと目覚めていく。話の内容からするに、どうやら自分は人買いにでも捕まったようだ。そして、今、まさに売られようとしているところというところだ。瞳を閉じたまま全身の状態を確認する。痛むところはなかった。だが、腕と足を縛られ、口には轡をはめられ、完全な拘束を受けていた。
 ゆっくりと目をあければ、ちょうど二人の男の間で金が受け渡されている瞬間だった。
「へへ、毎度」
 さきほど、ピオニーに声をかけた男は下卑た笑顔を浮かべ去っていた。
 そして、ピオニーを買った黒衣の男がこちらを見る。
「なんだ、目が覚めたのか」
 不当な扱いに対してきつく男を睨む。
「そんな顔をしなさんなって。何もしねぇよ。商品に傷をつけたら売れないしな」
 攫われた時点で何もないはないだろうと思うが口をふさがれていては、反論すらできない。そんなピオニーの心境を視たわけではないだろうが、男が提案を持ちかける。
「どうだ? 騒がないと約束するなら轡をはずしてやるが?」
「…………」
 騒いで兵が駆けつけてきたところで、自分には困るだけだ。男の申し出を断る必要などなかった。肯いたピオニーの轡がはずされる。ついでに腕の拘束もはずされた。思いの他の自由に不審に男を見やれば、何かの実を渡された。
「それでも、食え。お前に野たれ死でもしたら、大赤字だ」
 毒々しい赤い果実は甘い芳香を放っていた。腹はすいていた。今朝から何も食べていない。おそるおそる一口かじる。
「苦っ……」
 思わず自分の歯形の残る果実の表皮を凝視する。こんなものを食べなくてはならないのだろうか。
「おまっ……キルマフルーツの食べ方も知らないのか?」
 男が呆れたように呟き、自身も一つ果実を手に取ると、見本を見せるかのように皮を剥く。そうすれば、ピオニーにも見慣れた赤い粒粒が見えてきた。再びピオニーは手元の実の皮を剥き、中の果肉を含む。今度こそ紛れもない甘さが口の中に広がる。だが、胸中に広がるのは、拭えぬ苦さだ。先ほど口にした苦さなど比にならぬほどの。たかが実一つ自力で食すことのできない自分の愚かさに。自分は玉座などにつくことが適わなくてよかったとも。
 一口食べたまま黙りこんでしまったピオニーに、男が心配そうに声をかける。
「なんだ? 口にあわなかったか」
 ピオニーはただ首を横に振る。黙したままのピオニーが男は気になるのだろう。ありきたりな問いを口にする。
「……お前、名はなんという?」
「…………」
「年齢は?」
「…………」
「だんまりかよ……」
 男はまだピオニーの素性に気がついていないようだ。だが気付かれるのも時間の問題だろう。黒衣の男が軽んじて自由を許している今のうちに情報収集をしておくに限る。
「……これからどこに行く?」
「お、よーやっと口を聞いたな」
 男が嬉しげににやりと口を歪め、宣下する。
「砂漠のオアシスだ」
「……オアシス?」
「ああ、本当はグランコクマにでも行きたがったんだがな、今マルクト側は皇帝が変わったばかりだからな、警備が厳しすぎるのさ」
「……厳しい?」
「ああ、特使の手形を持っているやつだって、検問で一時間は時間をとられるって話だ。普段なら素通りなのにな。おまけに時間がかかるだけでなく、関税は今までの五倍取られるって話だ」
「そうなのか?」
「ああ、ひでぇ話ばかりだ、今のマルクトは。今度の新帝はどうにもいけすかないやつらしい」
 ピオニーが複雑な心境で黙秘する。予定ではキムラスカ方面に抜ける予定だった。都合はよい、だが国の思わぬ悪評を聞いて気にならないわけがない。ピオニーが黙りこんだわけを男は勘違いしたらしい。
「暴れなきゃ手荒なことはしねぇよ。せいぜいいい旦那にでも買ってもらうんだな」
 ピオニーも皮肉の笑みを口の端に乗せる。火種の元にしかならない自分を買うものなどいるのだろうか。いや、キムラスカ王ならば買うかもしれない。そして自分は自由のない傀儡か。つくづく自分は自由という言葉と縁遠いらしい。もはや諦めの心地で残りの果実を手早く口の中に収めた。
 食事が終わると男は再びピオニーを縛り上げ、馬車の荷台へと押し込めた。
 再び閉じ込められた先の獣の匂いに眉をひそめる。薄暗い車内に何か複数の生き物がうごめいているのは感じ取れた。時折、聞こえる鳴き声。
「ぶうぅ」
 丸い体とふさふさの毛並みまっすぐにのびた二つの耳とつぶらな瞳。ようやく暗がりに慣れてきた目が映したものは、家畜として買いなされた魔物の姿だった。確かブウサギといった。
 揺られる馬車の中で床に転がされるだけで、何もすることがなくて暇だったため、彼らの行動を見ていた。食べて寝るまた食べて寝る以上。……自分と変わらないかもしれない。そう思うと急に彼らに愛着を持ち始めた。いや、よく見れば愛らしい姿ではないか。興味を持って見つめていたピオニーの視線に気がついたのか、一頭がピオニーの側まで寄ってきた。
「ぶう?」
 側に座り込む。床に転がされたままの自分の顔がなめられる。くすぐったさに身をよじる。見る限り彼らは草食のようだ。襲われることはないだろうが、それでも、その一頭はピオニーの顔を舐めまわす。彼らに愛着のわき始めていたピオニーだったが、さすがにこれにはまいった。必死で逃げようとしていたところ、轡をその舐めまわす一頭に取られた。
「あ…………」
 思わず声を上げてから、言葉がでることに気がついた。
「……お前、お手柄だな」
 目の前の獣を見つめ、誉めてやる。言葉を紡ぐことさせできればこちらのものだ。
「慈悲深き氷嶺にて、清冽なる棺に眠れ――フリジット・コフィン」
 小声で詠唱すると氷の刃をだし、手足の縄を断ち切る。子ども時代、譜術を難なく行使する幼馴染の真似をして覚えたものだが、あまり素養はなかったようで、下手なままだったが、それでも縄を断ち切ることぐらいはできる。断ち切られた枷がばらばらと地に落ちる。
 縛られて赤くなった手首をさする。
「さぁてと、どうするかな」
まずはキムラスカの国境を越えなくてはならない。それはピオニーも同じ思いだからこそ、おとなしく男に協力していた。馬車の小窓から外をうかがいみる。遠くに国境が見えていた。だが、その時点で不審な点に気がついた。マルクトへの入る関であるにもかかわらず、その前に待ち構えているのは青い軍服を着た軍人なのだ。青はマルクト軍の色だ。二重検問を行っているようだ。黒衣の人買いの話にあったが想像以上の厳しさだ。自然手のひらに汗をかき、唾を喉は飲み込む。マルクト軍が探しているのは自分だ。姿を見られた時点でお仕舞だろう。だが、黒衣の人買いはただの売り物としてか見ていない。ピオニーが見つかったところで、人買いの危険程度と思っており、その程度であれば、どうとでも言いくるめられると思っているのだろう。彼は国境越えの助けにはならない。そうとわかればここにこのままいたら危険なだけだ、未だ走り続ける馬車の後ろをこっそりと外をうかがった。幸いにして、回りは林だ。転がりおちて、横に逃げ込めばなんとかなるかもしれない。荷台の淵へと手をかけたピオニーを押すものがあった。
「ぶう」
「おわ、アブね」
 バランスを崩しかけ、あわててへりにつかまりなおす。
 振り返れば先ほどのブウサギがいた。
「なんだ、お前も一緒に行くのか?」
「ぶうう」
 高い鳴き声は肯定なのだろうか。ピオニーもにやりとわらう。
「そーだな、お前もこのままここにいても、ミンチになるだけだもんな。……来いよ」
 暖かな毛並みの塊を抱えると、勢いよく馬車を蹴り飛ばし、地に転がった。
 かなり荒かったが、なんとか痛む身を引き起こすと、横の林へと身をもぐりこませた。馬車はピオニーが逃げたことに気がついていないのか、未だ国境へと変わらず進んでいた。見つめていたのは一瞬のこと、すぐに身を翻すとピオニーは森の奥深くへとその身を隠した。一緒に逃げ出した、獣と共に。



まだまだ先は長いです……。
書いてる自分だけが楽しい無駄に長い話。
ここまでですでにお気づきだと思いますが、大捏造話です。


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