一、焔VS鋼、再び 『焔』と『鋼』の銘を授かった二人の国家錬金術師の仲は良いとはいえない。反目しあっているわけではないが、決して「友好的な関係」とは呼べないのだ。 会えば皮肉の応酬をせずにはいられない。――最初に突っかかるのは『鋼』だ。きな臭い地に自らの駒として派遣する『焔』に対して思うところは多々ある。だが、『鋼』のために『焔』はいろいろな配慮をしている。現に『鋼』が国家錬金術師になることができたのは、焔の特別な計らいによるものだ。一言でいうなれば、信頼はしていないが、信用はしている――といったような関係だ。 互いに互いの利用価値を知り存在を認めているからこそ、馴れ合いもせず否定することもできず、結果皮肉の一つや二つ言いたくなるのだろう。 利害が食い違わないからこその共存関係。だが、今二人を取り巻く雰囲気は殺気めいてるといっても過言ではない。原因は焔の錬金術師ことロイ・マスタングの一言にあった。 「人体練成をあきらめろだと?」 不遜な態度で聞き直した部下の言葉の誤りをロイは指摘する。 「そうではない、賢者の石を探すのをやめろと言ったんだ」 「同じことだ、オレ達にとってはっ!」 二人の間に位置する机が苛立たしげに叩かれた。 「夢を……元に戻る夢をみせたのは、あんただろう?」 挑むような目つきとは裏腹に、泣きそうな声を絞り出したのは、鋼の錬金術師エドワード・エルリック。銘の『鋼』は機械鎧の右腕と左足に由来する。そして、表向きは内乱で手足を失ったためとしている鋼の義肢の本当の理由を知っているはずなのだ、この目の前に座るエドワードにとっての上官は。 「あの時とは状況が変わった」 「どんな?」 「――今、賢者の石を求めることには大きな危険が伴う」 「はじめから承知の上だ。細く険しい道だと」 「可能性が薄い事と命の危険が伴う事は別だ」 「自分の身ぐらい自分で守れる」 「先日も殺されそうになったばかりだというのにか?」 一瞬エドワードが言葉につまった、そのわずかな隙を狙ってロイは繰り返した。 「賢者の石を探すな――これは、命令だ」 憎しみさえこもった目で、エドワードは眼前の上官をにらみつけた。 「――――君にはしばらくの間、私の補佐をつとめてもらう」 「……『すぐそばで監視する』の間違いじゃないのか?」 「否定はしない」 張り詰めた空間。ロイは顔色一つ変えない。エドワードは奥歯をかみしめた。 機械鎧が銀時計を握りしめる。 「以前のように銀時計を返せば、済む問題ではないぞ、鋼の」 数瞬の沈黙の思考をロイは見透かしていたようだ。 「――――何故、国家錬金術師にはさまざまな特権が与えられるか知っているか?」 「有能な人材を集めるためだろう?」 「それは無論だが――、力ある錬金術師は例え一人でも敵に回すと危険だ。だからこそ味方に取り込んでおく――軍という名の下に。 ……君は有能だ、十二歳で国家錬金術師の資格をとる程に。 数々の実績――以前の君にはなかったな。 君は有能≠セと知れ渡っているんだ、この意味が分かるな?」 「あんたが敵になるということか」 「そうだな。危険は排除する令が出る可能性も否めない。良くて君の弟は実験室送りになるだろうな」 思わぬ点を突かれたエドワードに衝撃が走る。 「そ……んなこと」 「知られていないとでも思ったのか? 君達が人体練成に手を出したことに、軍はとうの昔に気づいている。何も言わないのは君が有益だからに過ぎない。国家資格……それが君と君の弟の身を守っているに過ぎない。それでもたやすくその銀時計を返せるか?」 再びエドワードが机を強く叩いた、今度は拳で。 「あんたは……っ!」 思わず声を荒げたのは、選択肢などないとわかっているからだ。 最大の弱点を突かれた以上、エドワードは苦渋の決断を呑むしかないのだ。 「今、君が散らかした書類を片付けておきたまえ。それが補佐としての最初の仕事だ」 立ち上がったロイをエドワードは強く睨み付けた。一方ロイは視線をあわせようとはせず、すれちがい様、エドワードの耳元に低く囁いた。 「鎧の弟。目的がなくなれば命令違反も起さないのか? 鋼の」 ☆ ☆ ☆ 元に戻ることができないのなら――そう考えるだけで頭の中が真っ暗になる。 ロイに賢者の石探索を禁じられてから三日経つが、エドワードは未だ命令を受けいれることができずにいた。賢者の石を諦めるということは、元に戻ることを諦めるに等しい。今までが無駄になるのだ、納得することはできない。渋々と仕事をこなしながら、エドワードは別の可能性を模索していた。 沈黙するエドワードに、弟のアルフォンスが心配そうに問いかける。 「兄さん」 アルフォンスとしても、兄が顔を合わすのも嫌っていたはずのロイの手伝いをしているのを見れば、理由を問いたださずにいられない。視察のためにロイが不在の機を逃さずアルフォンスは問いかけたわけだが、エドワードはただ一人の弟にさえ口を閉ざした。 「なんでもない、アル」 口を重くする原因はロイの最後の言葉にある。 あれは警告だ。 軍属のまま抜け出して石を探せば、罪に問われるだけでは済まないと。 なぜそこまでしてロイが引き留めるかはエドワードにはわからないが、弟の身上がかかっているのなら、うかつに動けない。 国家錬金術師をやめる愚かさも先日ロイに指摘されたばかりだ。何より国家資格が持つ特権ゆえに獅子の旗に頭を垂れてきたのだ。その資格なくして、未だ混迷の賢者の石探索を続けられるとは思わない。 ロイを説得する――それしかないようだが、頑迷な態度を見せる上官を説得するのは容易いことではない。 いっそのこと大佐を闇討ちして、口出し無用の状態にするか。 名案だと思ってしまうほど、エドワードは追い詰められていた。だがそれは軍を敵に回すのと同じことだ。 闇討ちがだめなら――。 「――どうした、鋼の?」 ロイが彼の副官と共に、部屋に戻ってきた。 余裕の大人の顔。そのすかしたツラを一発殴ってやりたいという衝動の裏でその案の有効性を検討する。 結果は――使える案だ。 ようやくいつものエドワードらしくニヤリと片頬が上がった。気に食わない上官に対して闘志が甦る。 「大佐、勝負を申し込む」 「何?」 「オレ達の自由を賭けた勝負だ」 堂々と勝負を申し込めばよいのだ。大佐に勝てば己の身を守れるのだということは簡単に証明できる。 「――…………私が勝ったら何が貰える?」 「何でも好きなものにすればいい」 「それでは君の手足を頂こう。――自由を賭けた勝負に負けたら一生籠の鳥だぞ、鋼の」 エドワードの申し出を、ロイは不適な表情を浮かべて承諾した。 ☆ ☆ ☆ 以前と同じ練兵場。対する二人も同じ顔。 はじめ冷やかし半分で集まったギャラリーは、二人の緊迫した雰囲気に呑まれた。 今ここにかつてのロイの親友、エドワードにとってはちょっと頼れる先輩だった茶化し屋の審判はいない。高まるだけの緊張に耐えられず、一人また一人と姿を消し、わずか一握りの見物客だけが残った。 だが、もはや周囲のことなど二人の目に入らない。 どちらにとっても勝ちを譲れない真剣勝負。 吐息の音さえ聞こえそうな静寂を破って、先に仕掛けたのは焔の大佐だった。 発火布により生じた火花を使った錬金術の炎がエドワードを襲う。 だがロイに勝負を挑む以上、今回エドワードには、炎に対する策がないわけではない。 「にゃろう」 強く奥歯をかみ締め、手のひらを重ね合わせた。 パシン。 手を合わせた音が響き、炎の向こうで練成反応の青白い光が起こったのをロイは見た。だが、付近には何も作り出された様子はない。不審に思いつつもまたロイは新たなる火炎を人影に向けはなった。 その炎を割ってエドワードが飛び出して来た。 「なっ!」 体をひねりつつも、再度炎を練成する。指先の小さな火花が、赤く燃え上がったのも一瞬のこと、エドワードに届く前に炎は掻き消えた。 そしてロイは先ほどの練成の意味を知る――あれは炎を無効化したのだ。 攻撃を封じられたロイをエドワードの甲剣が襲う。体勢を崩しつつもロイは懐から出した銃で剣を受け止めた。だが、エドワードの狙いはロイの攻撃力を殺ぐことにあったらしい、返しの二打撃目で右の発火布を裂かれた。三打撃も続けてくると思いきや、一拍の間が空く。その隙を逃さず、ロイは大きく跳び退り間合いを取った。 その一瞬でロイは劣勢を立て直した。一方、対するエドワードは既に肩が大きく上下している。それが炎を無効化する条件なのだ。練成された炎を消すには、周囲を一瞬でも真空にすれば良いだけのこと、だがそれは――。 「呼吸ができないことを覚悟の上で真空を生み出したのか……。だが鋼の、炎の使い道はこれだけではないぞ」 パチン ロイは発火布で生み出した炎により錬成陣を生み出した。錬金術による練成――高等錬金術だ。 新たに描かれた練成陣は上空から炎の雨を広範囲に降らせた。エドワードは避けもせず手のひらを合わせる。練成の青白き光がエドワードの周囲の炎を消す。だがエドワードを襲ったのは炎ではなく石の礫だった。 「痛っ!」 炎を強くたたきつけ、その衝撃で抉り取った地面を飛ばしているのだ。石の弾丸は真空では阻めない。ロイの攻撃をエドワードは大きく回避することとなる。ロイはエドワードが逃げた先にも炎の雨を降らした。 「逃げてばかりか?」 大規模な練成をいつまでも続けられないため、ロイはわざとエドワードを挑発した。そしていつものようにエドワードは挑発にたやすくのる。 「ふざけんじゃねぇ!」 エドワードが急所のみをかばいロイめがけて一直線に砂礫の弾丸に突っ込む。一見無謀に見えるが、エドワードにとっても長期戦は不利だ。有効な策が見当たらない以上、慣れた肉弾戦に持ち込む方が良いのだ。 エドワードの甲剣が練成中の無防備なロイを捕らえようとした瞬間、巨大な練成反応の光が二人を包み込んだ。 「なっ!」 驚いたのはエドワードだ。 鮮やかに浮かびあがる二人の体ごとはいる大きさの練成陣。 ロイは二重に錬金術を使っていた。――炎の威力を利用した石の弾丸、更に礫で練成陣を組んでいた。 完全なロイの罠だった。 「まずはその右手を貰う!」 ロイの宣言通り、エドワードの右手の機械鎧は、今生まれた練成の光によりダガーへと姿を変じる。 ロイはエドワードの機械鎧を自らの武器に変えたのだ。 すぐさまダガーの柄をロイは握る。 ダガーの切っ先はすでにエドワードの傍ら、刃を滑らせ喉元へと狙いを定める。 だが罠に愕然としているはずのエドワードの顔に再び不適な笑みが蘇るのを見て、ロイが目を瞠った。 再び足元で練成の光が生み出される。 「何っ?」 今度驚いたのはロイだ。 視線を足元へと奪われたと思ったら、視界が回った。音を立てて背中から強く砂利に叩きつけられる。 「痛ぅ!」 「勝負あったな」 ロイの喉元に突きつけられた一振りの剣。 ロイの上に圧し掛かるエドワードに右腕はない。それは今ロイの手の中でダガーへと姿を変じているのだから。ロイに降伏を促す剣はエドワードの左足へとつながっていた。 睨み合いの一時。 ロイの喉がなる。そのかすかな震えはロイの首筋をかすかに傷つけた。 エドワードが降伏の言葉を要求すべきか迷った時、ロイが口を開いた。 「…………降参だ」 短く呟かれた言葉。だがそれは確実に試合の終了を明示していた。 張り詰めていた緊張が一気に解かれる。エドワードの体から力が抜け、左足の剣が重力に引かれて下に落ち、それはあやうくロイを傷つけようとした。 「――っと、気をつけたまえ、鋼の」 「バランスがわりぃんだよ」 「あたりまえだ、あまりほめられた作戦ではないな。左の機械鎧に練成陣を描いておくのは。一か八かの賭けだ」 「賭けでもしなけりゃ、大佐に勝てねぇよ。……おまけに完全に勝ったとはいかないみたいだし」 「?」 地へと転がったエドワードの指差す先へとロイが視線をむけると銃をかまえた彼の副官の姿がある。その銃口はエドワードに向けられていた。 「…………中尉」 彼女は目礼と共に銃口を下げた。 「部下のしつけぐらいしっかりしておけよ」 「……まだ憎まれ口をたたく余裕があるようだな。ならば自力で執務室まで来い」 負けた悔しさからかロイはさっさと立ち上がり、副官とともに建物へと足を向けた。 「大佐、その前に腕戻していけ、……って、おい、大佐!」 エドワードが右腕をなくし、左足は剣という大変バランスの悪い状態で追いかけようとするが、当然転び、必死に体を起した時には、もはや司令部内へとロイはその姿を消していた。 「あんのバカヤロ―――」 エドワードの叫びがいつまでも練兵場にこだましつづけていた。 憎まれ口をたたきあう関係。以前の二人にもどった証拠でもあった。 ☆ ☆ ☆ 「本当に行くのか」 ――見送りはしない、と断言したロイだったが、出発直前のエドワードを執務室に呼び出した。強制的に挨拶をさせるつもりなのだ。 どこまでも邪魔をするロイに対してエドワードの態度も険悪に近い。 「当たり前だ」 「…………今以上の地獄をみることになるぞ、それでもか?」 「覚悟はしている」 ロイがため息をつく。今のロイの言葉は決意を鈍らせるどころか煽ることにしかなりえない。 「必ず一日一度報告をしたまえ、それが義務だ」 「一日一度!? それ多くないか?」 「――…………私の親友は日に何度も電話をよこすようなヤツだった。……それでも――私は彼の最期の報告を聞くことができなかった」 「……」 「心配をするぐらいは私の権利でもあるだろう」 「心配? 余計な仕事を増やすなの間違いじゃないのか?」 「……そうだな。それにしても本当に憎まれ口が減らないようだな。もう行きたまえ。――そして、さっさと帰ってこい」 「おう、行ってくる」 エドワード達はまた旅立つ――鮮やかな笑顔を残して。 |