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個展レポート 2005年

 横浜タカシマヤ7階美術画廊にて2005年6月15日(水)から21日(火)の会期で石村雅幸日本画展が開催された。氏の初の個展ということで多くの日本画ファン、美術ファンを集めた。

横浜タカシマヤ7階 美術画廊

 JRの横浜駅と隣接する横浜タカシマヤの七階には和食器や宝飾品とともに美術画廊があり多くの人でにぎわっている。タカシマヤは大阪に本社を置く、天保2年(1831年)創業の古着木綿商を源流として今日に至る歴史ある百貨店。当然その画廊では日本の伝統に根ざした芸術に力を入れいていることが想像できる。

 石村雅幸氏の初めての個展が銀座界隈ではなく横浜で開かれたのは意外だった。個展というだけあって画廊などで開かれていたグループ展などに比べて出品数が多いため、氏の新たな一面を垣間見たという人も多かったろう。また、当然のごとくデパートにたまたま訪れた美術ファンが画廊に足を運び、氏の作品にはじめて触れるということもあったと思う。ここでは、当OEM美術館館長の徳田原文彦によるレポートを紹介する。

主役として舞台へ

 自分は友人として、石村雅幸という絵を描くことが好きな青年が日本画家になる過程を見てきた。高校ではイーゼルを並べて石膏デッサンや静物画を描いた。二人で川原にスケッチをしに出かけたこともあったような気がする。素人目にも明らかに秀でた画才を持ちながら、尊大なところもなく謙虚に画道に精進する彼の姿は若くして達観したようにも見えたものだが、後に話を聞いてみるといろいろと悩みも多かったようだ。

 画家にとって個展というのは、演劇ならば端役のその他大勢から主役となることである。見る側にとっては、院展などの公募展で多くの作品の中にある彼の作品を見るのとは違い、画家の作品を一度にたくさん見ることができる貴重な機会である。

 石村氏の初期に作品のテーマは一貫して神社仏閣などの建築物だった。その後、樹木をモチーフとする作品が中心となったのはご存知のとおりである。院展への出品作だけを追いかけてきた自分にとっては、今回の個展はかなりバラエティーにとんだ内容に思えた。

 画家を生業とする以上、院展の出品作品だけを描いているのではない。依頼で小品も描くだろうし、モチーフを指定されるということもあるのかもしれない。氏が雑誌などの表紙を描いたりしていることは知っていたが、絵を売って生活しているのだから春と秋に院展に出すだけで済むわけがないのだ。そういう当たり前のことすら考えずに彼の絵を見ていたのはちょっと恥ずかしい。

 また、同じ構図の絵が大きさを変えて描かれていることも、プロならではという印象を持った。素人の感覚では同じ構図で何度も描くなんてつまらないからやらない。しかし、プロは細密なスケッチから実物大のデッサン、習作といった具合に一枚の構図をものにするために考えられないほどの労力を注ぐ。そして、なんと同じ構図で小さいものを描いてくれと依頼されたりするのだ。技術的なことはともかくとして、そのつど描きあげるだけのモチベーションを維持することがまず厳しいと思う。絵を描くことを仕事にするということの難しさを感じずにいられない。

 さて、今回の個展で自分がもっとも心惹かれたのは花の絵である。いままで石村氏が描く花の絵はほとんど見たことがなかったのでとても新鮮だった。
 特にチューリップを描いた小品は構成的と言えるような作風で巨木シリーズとは異なった表現が新鮮だった。このところのメインテーマとなっている巨木シリーズとは違う色調であることも関係あるのかもしれない。ある意味重厚な色調で描かれる巨木に対して、花を描いた作品の軽やかさ、さわやかさが心地よかった。画家本人に聞いたところ、花に関しては楽な気持ちで描いたものが多いとか。このことが逆に巨木に注がれた氏の情念の深さ証明している。

ひとりの芸術家として

 石村雅幸は自分にとって一番身近な芸術家だ。彼の絵画にかける情熱は十代のころからすでにひとりの芸術家だった。その情熱は弛まぬ努力を生み、飽くなき探究心を沸き立たせ続けている。何が彼にそうまでさせるのかはわからないが、石村雅幸が日本画家になったとき、それが当然のことと感じたのは自分だけではないだろう。彼を知る人たちはみな彼が画家になることに何の違和感も感じなかったに違いない。だからこそ彼の初めての個展が通過点に見えてしまう。それは氏が決して立ち止まらないということに確信がもてるからだ。そして彼の画道にエールを送り続ける人はこれからも間違いなく増え続けるだろう。

(2005/6/21 徳田原文彦)