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院展レポート 2010年

第95回院展 「神代桜」

 モチーフとなったのは山梨県の武川実相寺にある樹齢2000年の「山高神代桜」。この作品で秋の奨励賞は3回目だそうです。絵を見ていく人の中にはこの桜の木を知っている人もいたので、桜の名所としてはメジャーな場所のようです。でも描かれたのは満開の桜花ではなく葉桜で石村氏らしいなと思いました。作品の前に立つといつもの重厚な幹の量感だけでなく少し華やかな雰囲気があり、桜の巨木のもつ色香を周辺の草花も含めた空間として描いているのだと感じられました。

 自分が氏の巨木シリーズでいつも気になるのはモチーフである樹木と画家の距離感です。以前木に肉迫するような描き方のときに霊的なものまで感じさせる描き方だったことがあるからですが、今回作品では距離感はやや遠目です。重厚すぎる神代桜の幹を重すぎずに描写するためかもしれません。「神代桜」には添え木があるので距離をとってもスケール感は損なわれていませんでした。
 今回はいつもより明るいトーンで印象がとても軽やかです。ただ会場のスポットライトが絵の暗部に当たっていて幹の形状がわかりにくくなっていたのが残念でした。また、あからさまなマチエール表現をあまり使わない石村氏としては珍しく、雑草の花にひっかき取るような表現があり意外な感じがしました。最後に手直ししたのかもしれませんが、近くで見ると少し浮いているなと思いました。この絵の完成までには、スケッチに長期の車中泊の後に気力体力を振り絞って描いたと聞いていますから、ぎりぎりの決断だったのでしょう。

 しばらく作品の前に立ってそんなことを考えていると、友人連れの女性客が会話の中で氏の作品を評して「夢がある」という言葉を使っていました。その言葉のおかげで帰り際になって絵の詩情に身をゆだねるような視点でもう一度絵を見直すことができました。すると画家が切り取った空間が、画面内で完結するのことなく画面の外につながっていると感じられ、生い茂った雑草を愛おしく思えるような不思議な感覚を覚えました。絵画というのは見る側の心のあり方で随分見え方が違ってくるものだと今更ながら思いました。

(徳田原文彦 2010/9/11)

石村氏のコメント

 桜では日本で3本の指に入る有名な桜で国の天然記念物です、樹齢は最長かと思われます。満開の桜花ではなく葉桜だったのは、単に取材に出る時期が例年通りだったので、桜の時期と合致しなかったのと、仮に、桜の木を花の時期に描いていたとして、まともに描ける状況は作れないという事です。
 1日に何千人と押しかける有名な桜の開花時期に、写生を連日強行すれば、いや、イーゼルを立てたとたんに管理者が飛んで来かねないし、実際、見物者には邪魔な存在になるのは必至です。以前、ある有名な銀杏の樹を黄葉の盛りに取材していて、連日アマチュアカメラマン軍団と静かな陣取りバトルがあったんですよね。
 この距離は柵に遮られて仕方なくでした。いつもなら、手を伸ばせば樹皮に届きそうなくらいに可能な限り近くから、懐入る感じで見上げて描くんですが、今回、国の天然記念物ですから、柵が広範囲に張り巡らされ、半径15メートル以上あったでしょうか、遠巻きに見るしか物理的に叶わなかったのでした。
 この樹を最初に見た時に、あーこれはダメだなあ、次の樹を探さなければと思いました。長年樹を描いているうちに、ある種の選別基準みたいなものがいくつかできてしまっていて、そこから1つでも外れると、この樹は描けないと思うようになっていました。でも柵越しに暫く見ていましたら、この樹の置かれている環境がなんだか愛おしく見えてくるというか、この環境があって、この樹が生きている、近隣の人間からも愛されているんだろうなあ、そんな気がしてきて、周囲の風景も、手前の雑草も、生かせる所は最大限に生かしてみようと言う気持ちになったんです。
 この樹は、皮一枚で生きていて、幹の半分はほぼ炭化しています。特に、私が描いたのと反対側は、まさに炭を乱雑に束ねたような表情です。ただ、花が咲く枝はそちらの方に伸びているので、花の時期に来る、花をメインに描く絵描きは、炭化した側から描くんだそうです。私が描きたいのは、花の美しさではなく、その樹の持っている生命感ですので、炭化していなくて、樹皮も生きている側から描きました。お寺の隣に代々住んでいる方が、花の時期でなく、また、こちらから描く人は珍しいとおっしゃってました。
 雑草に関しては、描き始めるギリギリまで悩みました。でも、なくしてしまうと、今感じているこの樹の牧歌的な温かみのある印象が、変わってしまうだろうと思ったのです。距離があったのと、写生半ばで近所の人に下草を目の前で丸刈りされてしまったので、詳細な表情までは取って来れませんでしたけどね。まあ、いろいろ、物理的な問題もあり、また、出来上がった作品にも相変わらず問題は噴出してますが、
 自分なりにベストは尽くしたとは思っています。

(石村雅幸 2011/1/19)

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第94回「神代桜(じんだいざくら)」
第95回院展 「神代桜」(じんだいざくら)
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輝く芸術人「日本画を追求する石村雅幸さん」

 利根町在住の日本画家・石村雅幸さんは今秋日本画の再興第95回院展(日本美術院)で「神代桜」を描いた作品が奨励賞に選ばれた。生命の原点とも言える木が好きで、12年ほど前から巨樹を題材に描き続けてきた。
 子どもの頃、映画や展覧会でダヴィンチやゴッホを知り、「絵描きはすごい」と思った。大学生になり、多くの学生がデザインを選択する中で、石村さんは日本画の作品に深いものを感じたこと。そして小学校の時、授業で描いた富士山の絵を、図工専門の教員が「日本画的な素質がある」と言ってくれたことだ。その言葉は今も耳に残っている。
 制作は、現地での写生を行ってから取り掛かる。樹木の勢いを表現するため、近くらか見上げるようにして描くことが多い。魅力が感じられる部分を写し取るというが、「木の厳しさ、優しさを感じる。癒されています」と石村さんは話す。
 自身が開く絵画教室では、生徒の個性を尊重した指導をしている。他者の感覚は新鮮で、教えることは自分の技術の再確認にもつながる。勉強になり、創作活動とは違ったやりがいがあるという。
 石村さんにとって日本画とは、「一生、追い求めていくものだと思っています。自然と向き合い発見したものを作品で表現する。日本人が素材を生かすように、整理されたシンプルな画面から深みを出したいです。」

(Weekly living paper エリート情報 2010 11/6 エリート情報社)

Weekly living paper エリート情報