小脳梗塞記録

2009年の11月、小脳梗塞という病気にかかりました。ホームページのテーマとは離れていますが、 自分へのいましめと同様の病気にかかった方や、健康な方にも参考になるかなと思い、 ここに記しておこうかと思います。

kenban●前兆

hatu●発病

nyu●入院生活

tai●退院後


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●前兆

僕はここ2,3年血圧が高い状態にあり、会社の健康診断でも 食事に気をつけるよういわれることがありました。ちなみに 上が140台から150台、下が90台から高いと100を超えていました。 ただ、まだ薬を飲めなどといわれなかったため、そんなに深刻には 考えてはいず、塩分には多少気をつけてはいるものの、お酒は特に 控えていませんでした。タバコは最初から吸ってはいません。
おととしくらいから、マラソンを始め、2009年の12月には那覇マラソンに チャレンジする予定でした。発病する2,3日前から多少頭痛が していたのですが、発熱も少しあったので特に気にしませんでした。 フルマラソンに向けて、距離を伸ばしていた時期でもあったので、 熱が少しあるのは自覚していましたが、15キロの練習をしました。 次の日は日曜日だったので、1日だらだらして、月曜日は熱が さがったので出勤しました。ですので、自覚症状としては ほんの少しの頭痛だけでした。ただ、発熱ももしかしたら前兆だったのかも しれません・・・。

●発病

2009年11月24日、普段どおり出勤し、普段どおり仕事をしていました。 同僚と席で話をし、振り向いてPCの画面をみた瞬間でした。 天と地がさかさまになるような眩暈を感じ、一瞬パニックになりました。 もしや貧血かと思い、少し席でじっとして、皆さんを騒がせないように そろそろと机などを支えにしてフロアの隅にある書庫に移動して 座りました。眩暈はひどくなり、本の背表紙がつらつら流れていきます。 おそらく眼震していたのではないでしょうか。
自分的にも、これは早退しなくてはならないと思いましたが、 電車で帰る自信がなかったため、トイレで落ち着かせてから 帰ろうと思い、立ち上がって歩こうとしました。 書庫からでて歩こうとしましたが、完全に平衡感覚を失っており、 すぐにしゃがみこんで横に倒れてしまいました。
同僚が心配して大丈夫かと問うので、こんなところで倒れては 職場に迷惑がかかってしまうと気ばかりあせり、大量の 汗がでてきます。ちょうどその時、外から帰ってきた 他の同僚が有無をいわさず救急車を呼んでくれました。 僕もここにいたっては、言葉に甘えようと、その措置に ホッとした記憶があります。

救急車がきて、隊員の方が、指を目で追ってくれといいます。 これは脳の障害を図っているなと思いながら、なんとか できたし、自分の名前なども答えられたので、そんなに 大事ではなく、やっぱり貧血かなと思いました。 会社から10分ほど(多分)、運ばれて病院に入りました。 ベットに寝かされ、質問されたりしている内に、急に嘔吐感が 止まらなくなり、立て続けに4回ぐらい吐きました。 いや〜、苦しかったですね。その後、ベットに寝かされたまま、 MRIなどをとりました。どこの病院に運ばれたのか、 よく分かっていませんでしたが、随分おおきな病院だな・・と 思った記憶があります。意識は少し朦朧としていましたが、 飛んではいなかったので、この時点ではそのまま帰れるのかと 甘い考えをもっていました。
しかし、そのあとベット脇に先生がいらして、「小脳梗塞なので 即入院です」と告げられました。「小脳梗塞」とは 小さい梗塞??なんて思いましたが、後から小脳の脳梗塞と しりました(笑)。入院と告げられ、ことの重大さが わかってくると、家のことや仕事のことなどが、ぐるぐる 頭をまわります。でも一方ではぐるぐる回るということは 脳みそが生きている証拠だなと、冷静な自分もいました。
その後、病室に移され、ベットに寝かされ、静かな環境に なったとき、頭が異様に重く、体を起こせなかったので、 社会復帰できるのかな〜、と漠然と不安を覚えたことを 記憶しています。

●入院生活

治療は安静と投薬でした。脳梗塞では緊急以外では手術をすることは 少ないそうです。脳が腫れるのを防ぐ薬と、血液が固まりにくくなる 薬を投薬しました。
点滴は24時間なので、結構つらかったです。1週間くらいはトイレも1人では いけず、トイレに行きたくなると看護婦さんに車椅子をおしてもらい・・、 という感じでした。人間は基本的なことが1人でできないと、落ち込むものですね。 最初の目標はトイレに1人でいくことでした(笑)。 2,3日は体を起こしていると、くらくらするのでひたすら寝ていました。 だんだん眩暈も治まって、なんとか食事が少しづつできると、 力がわいてきました。
先生が左手の握力をたしかめたりしにきます。 僕は左側の小脳に梗塞をおこしたため、重い症状だと左側に 麻痺がでるのだそうです。でもこまごました操作は少し違和感がありましたが、 握力は通常どおりあったので一安心です。
5日くらいたったとき、血管造影という検査をしました。右側の足の付け根の 動脈からカテーデルをいれて、脳までもっていき、造影剤をいれて写真をとるという、 説明だけきくと空恐ろしい検査でした。実際は麻酔をしてもらって 朦朧としているうちに終わってしまいました。でもこの検査、 終わってからの方がつらいんです。右足の動脈を傷つけているので、 一晩中足を伸ばしたまま固定なんです。トイレも行けないので、尿瓶で 用をたさなくてはいけません。それも横になりながらです・・・。 これがでないんですよね。きたない話ですいません。 でも造影剤はおしっこと一緒にでるらしく看護婦さんはだせだせといいます。 でも普段と違う体勢だと、気持ちばかりあせってでないんです・・・。

そんなこんなで検査の結果は、梗塞した箇所は特に大きくなっていないので、 手術はせず、薬で治療ということになりました。ちょっとほっとしました。 その後は、点滴もとれまして、リハビリになりました。 最初のうちは1人で歩こうとすると、足と頭が分離しているような 今までとは全然違う感じです。それでもいろいろリハビリしているうちに 1人で歩けるようになり、これなら職場復帰もできそうと、嬉しくなりました。

●退院後

12月11日、無事退院できました。やく20日の入院生活です。 入院はもちろんのこと、大きな病気をしたことは初めて だったので、いろいろと考えさせられました。
病院で一生懸命治療に努力されている患者さんをみて、 健康というのは一つの奇跡なんだとい思いました。 微妙なバランスの上になりたっているけど、バランスされている 限り、それが奇跡だという事は気付かない、そんな感じです。
さて、退院しましたが、とてもすぐに出勤できる状態ではありません。 なにかの拍子にすぐに眩暈がしてしまいます。先生がおっしゃるには なれるしかないということですが、眩暈がすると倒れたときのことが フラッシュバックしてものすごく不安になりました。 ですので、12月は最終日まで会社はお休みさせてもらって、 ウォーキングしたり、ピアノを弾いたりして過ごしました。 再発を防ぐためには、なんといっても血圧を下げるということなので、 大好きなお酒ものまず、減塩、野菜中心の生活です。 この病気は一生付き合っていかなくてはならないので、 これからはつねに自分の体と対話していかなくてはいけなそうです。

でも今年に入ってから、通常出勤もでき、ピアノも弾け、 美味しいものも食べられています。脳梗塞を患って、 こんな生活ができるのですから、家族に、病院の先生方、会社&同僚、そして まわりの方々、そして神様に感謝です。

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