ピアノ演奏への一考察

ピアノの弾く上で私が遭遇したハードルについて一考してみました。アマチュアならではの正直ベースです。 「生意気なこと言うな!」と思われかもしれませんがお許しください。徐々に項目を増やしていく予定です。 いまだ結論に達しないことが多いですが、ご意見などいただけると幸いです。

kenban●脱力について

kenban●音階練習と分散和音練習について

kenban●ピアノの発音の仕方とタッチ,音色の関係について

kenban●フィンガリングについて

kenban●準備練習について

kenban●アンサンブルについて

kenban●本番前のリハーサルについて

kenban●ピアノをやめるとき、そして続けるとき

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●ピアノをやめるとき、そして続けるとき

生活の中でピアノを弾き続けていくことは、いくらピアノが好きでも大変なことだと思います。 職業的なピアニストならともかく、アマチュアで弾き続けていくことはなおさら大変です。
ピアノにかぎらず楽器を弾くのを上達しようと思ったら、生活のなかでかなりの負担が生じます。 それでも私はピアノを弾く仲間にはずっと弾き続けて欲しいと思います。 そんな願いをこめて、ピアノをやめてしまう事例について、私の経験に基づいて述べてみたいと 思います。ただ、私の経験に基づいているので主観的な意見になっていることも多いと思いますが 、そのあたりはご容赦ください。

さて、私が子供の頃、ピアノを習っている子はクラスの中に4、5人はいました。でも中学校に入ってからは クラスに1人いるかいないかになっていました。なぜ子供の頃せっかく習い始め、しかもおそらく かなり高価なピアノを購入までしたのに、ピアノをやめてしまうのでしょうか。
このあたりはやはり親の気持ち次第だと思われます。言うまでもなく子供の頃の親は絶対的なものです。 ピアノの練習はどうしても肉体的な反復運動は欠かせません。そうると子供にとってはその時間は苦痛な ものになってしまいます。子供は苦痛がともなうことはしたくないでしょう。

私がピアノを小学生の時に習っていて、まず最初に苦痛を感じたのは「ハノン」です。 あの単純な音型をひたすら続けるのがものすごく苦痛でした。 今であれば、あれは指の訓練なんだと頭で理解できるので納得もいくのですが、子供の頃は そうはいきません。それからバッハのインベンション。インベンションはすばらしい曲が つづってありますが、左手と右手を対等にあつかえないと弾けないですよね。私は 右利きなので、どうしても左手はうまくいきませんでした。そして、なぜかバッハは 暗譜しなくてはいけないという教室の不文律があり、それも苦痛だった記憶があります。
今では、バロックの演奏習慣としては特に暗譜にはこだわっていないということを知りました。 楽譜を置いて、自由に装飾やアドリブを楽しんでいく音楽なのです。それはともかくとして、 インベンション&シンフォニアには苦労させられました。さらにチェルニー。 30番からはじまってえんえんと続きますね。チェルニーは、この曲ではどのテクニックを強化したいのか 分かりやすいです。それだけにその音型の反復を余儀なくされますのでピアノを習う側からすると かなりの苦痛なのではないでしょうか。

さて、チェルニーをする時期になると子供たちの7割くらいは、 やめたいと親に訴えるのではないでしょうか。やめるための理由はさまざまでしょう。 「中学受験があるから」、「部活が忙しいから」等々いろいろあると思います。親としても「勉強」や「学校」を 理由にだされると、たしかにそうだと納得しやすいですよね。そして「まぁ5年くらいやったんだから、いつか 大人になってもまた弾けるようになるだろう」なんて思い、やめさせてしまいます。ところが、 子供のころ5〜6年習っていた経験があって、その後一切ピアノに触っていなかったら、2年をまたずにして 全然弾けなくなってしまうでしょう。そうするとあの5〜6年はなんだったんだってことになります。
私としては、せっか小学校低学年からはじめたのであれば、どんなに子供がいやがっても、また受験などが あっても、高校生になるまでは、親が断固としてやめさせないという気持ちが必要な気がします。

子供は小さい時にいやがっていても、大きくなるにつれて興味がわいてくることが往々にしてあると思います。 高校生くらいになれば、自分で○か×か判断できるでしょう。それぐらいピアノ(ピアノに限らず楽器を)を習わせるときは 親に覚悟が必要だと思います。

さて、話は変わりますが、大人になってピアノを趣味として楽しく弾きたいとささやかな願いをもっていても、 ピアノを弾き続けていくためにはいろんなハードルがありますよね。
まず最初の難関は就職。学生の時とは生活がガラっと変わってしまいます。休みの日にも疲れてしまって、 なかなかピアノに向かえず、だんだん遠ざかってしまうことも多いのではないでしょうか。 こういう時、以前のようにバリバリ弾いていたときのイメージは捨てることが大事なことだと思います。 就職してしばらくして生活のパターンに体が慣れてくると、1日10分や20分の時間はつくれるように なると思います。就職していれば学生の時とはちがって、ある程度の経済力はあるのですから、 電子ピアノを購入し、それで気持ちが切れないように平日に少しづつ弾いていければしめたものです。

次の難関は結婚ではないでしょうか。結婚相手によっては音楽活動に対して理解がないことも多いでしょう。 普通楽器をしていない人にとっては、日常的にまとまった時間を楽器に費やしていることを理解できないことは 当然だと思います。そういった場合は自分が本番などで弾いている姿をなるべく見せることで理解を深めてもらう ことが必要になってくると思います。発表会などで弾いている姿をみると、「あぁこんなことをしているんだ」と 思ってくれて、協力してくれるのではないでしょうか。

次の難関は、一般的ならば子育てだと思いますが、私は子供がいないのでなんとも書きようがありません。どなたか 子育てをされながらピアノを続けている方いらっしゃいますか??

さて、大人になってからピアノを続けていることは難しいですが、続けるためのいくつかのポイントはあると 思います。

まず第一に日常生活の中で、気持ちが切れない程度の練習時間をつくること。この時間を確保するためには 電子ピアノの購入したり、職場や家の近くにピアノがある貸スタジオを探すのも有効な手段だと思います。 貸スタジオは東京あたりでしたら、1時間700円くらいで借りれるところも結構あります。
次に仲間をつくることです。ピアノは一人で弾くことが多いですが、一方でどんな楽器ともアンサンブルができるという 特徴をもっています。ピアノ以外の楽器を出来る人と友人になり、演奏できるようになると孤独になりがちなピアノワークも 楽しいものになると思います。また、ピアノ同士の仲間も連弾できたり、いろんな情報交換ができて励みになると思います。
さらに、レッスンをしてもらうことです。これは1ケ月に一度でも良いのです。人に教えてもらうということで、 レッスンを目標に練習できると思うのです。目標がないといつしか弾くことをやめてしまうのではないでしょうか。
また、目標という意味では本番をもつことも有効だと思います。自分が下手だからなんていう理由で本番で弾くのを避けているのでしたら 、とってももったいないことです。自分でお金をだしてステージで演奏するのを聴いてもらうのですから、誠実に演奏すれば なにも恥じることはないのです(私自身もいつもそう思って大恥かいてます(笑))。そして真面目な演奏はどんなに テクニックがなくても、伝わるものがあるのです(そう信じています)。それがピアノを弾く、そして聴いてもらう よろこびなのではないでしょうか。

さてさて、ずいぶん勝手気ままなことを書かせていただきました。 私自身も仕事をしながらピアノを弾いているので時間のやりくりの大変さや、やってても意味がないんじゃないかという 自分自身への問いかけがあるときがあります。でも音楽仲間にも助けられて細々を続けることができ、ときどき「やっぱりやって よかった」と思えるときがあります。そんなことから「ピアノを続けて欲しい」という願いを込めて、こんな文章を書かせていただきました。 失礼な表現がありましたら、ご容赦ください。

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●脱力について

ピアノのレッスンを受けているとよく手首や肩を「脱力しなさい!」といわれることはありませんか?
この「脱力」はたしかにピアノ演奏が上達する1つのキーになっていると思われます。 しかし「脱力」を会得した人は簡単にいいますが、脱力をするというのは案外難しいと思いませんか?

というのはピアノを演奏するとき「脱力」というは重要ですが、実際は必要な部分には力をいれなければ ならないからです。ピアノを弾くときに指を支えている筋肉はやはり緊張状態になる必要があります。 しかし、指を支えることって案外むずかしいですよね。ためしに指をピアノを弾く状態にして机の上に置いてみます。 ある程度の圧力を指にかけてみます。こぶしのところがへこまないで指は支えてられるでしょうか? (これを俗に指が起つなんていいます。手の甲がへこんでしまっていてはピアノは弾けないと思います。) たぶん訓練していなければ難しいと思います。

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というのはこういった状態は日常生活ではあんまりありえないため普段使わない筋肉を使用しなければ ならないからです。では支えていられないためどうするかというと普通は肩や腕の筋肉で それをカヴァーしようとするはずです。 実はここに「力み」が発生せざる得ない状態が起こると考えられます。指を支えようとすると、必要な筋肉だけでは 支えられないため、それを補うために他の部分の助けを必要とする、これが結局はピアノを演奏する際に 注意される原因になってしまうのです。

ピアノの先生はほとんど小さい頃からピアノを始め、この指を支える筋肉を無意識の間に、ある程度発達 させていることが考えられます。ある程度成長してからピアノを上達したいと思う人はこれらの筋肉を意識的にきたえなければ 、脱力といわれる状態をつくることは難しいのではないでしょうか。

私の場合もやはり指が起つ状態をたもつのはなかなか難しかったです。そこでその部分をあえて機械的に鍛えようとおもい、 トレーニングボードという板(多分いまでも楽器屋さんで売っていると思います)を買ってみました(写真参照)。

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これは木のボードに6個の突起をつけて、それを指で引っ掻くというものです(6個のうち5個を左右の手の5本の指で引っ掻きます) 。引っ掻くことによって鍵盤を押す筋肉を鍛えるという、いわば非音楽的な作業をするものであります。 私も半信半疑で購入してみたのですが、通勤の途中で1日20分くらいやってたら効果ありました。 特に薬指、小指などはなかなか指がたたなく、鍵盤上でへたっていたのがあきらかに、たのもしさが 加わったのです。指の筋肉がつけば自然に肩や手首の力は抜けてきます。力が抜ければ耳もよく聴こえるようになって 自分がだしている音も冷静に判断できるようになります。

もちろんこんなトレーニングをしたからといって音楽性が高まるわけではありません。 ただ、楽器演奏を肉体的な観点からとらえた場合、時間がない大人のプレイヤーにとっては こういったトレーニングをすることによって楽器に向かう時は音楽的な部分に集中できるのではないでしょうか。 一度おためしになってみてください。

もう一つ、今度はピアノを使っての指の筋肉を鍛える方法があります。例えば分散和音のパッセージで 薬指を親指がくぐるとき、薬指がうまく打鍵できずにすべってしまうことがありませんか? temaru これはただでさえ指の力が弱い薬指が親指が下をくぐっているために、さらに打鍵しにくくなって いることが原因です。そうした場合、その指がその箇所で打鍵するのと同じ手の形を作ってあげて、 その状態で薬指だけを繰り返し打鍵する練習をすると有効です。これはその窮屈な手の形で 打鍵するための指の筋肉が鍛えられるからです。

さて、ある程度「指が起つ」ようになったと仮定して、脱力した状態をつくるために私が普段意識している ことをはずかしならご紹介させていただきます。 まず、一番の大前提として脱力している状態を意識することです。この状態を意識するためによくする方法は、

@ まずピアノを弾くときに肘と鍵盤が平行になるくらいの高さの椅子に腰掛ける。
A ピアノの前に背筋を伸ばして座る。
B 片手を真上に上げる(肘は曲げない)
C そのままゆっくり、少しずつ肘をピアノを弾く時のように自然に曲げながら、鍵盤に指がふれるまでおろす。

その状態で肘や背中、肩に力が入っているような感じが残っていなければ、それが基本的な脱力感覚だと思います。 どうでしょうか、力が抜けた感じがしましたでしょうか。
temaru 力が抜けているかどうか、空いている手で確かめることができます。写真のように手首を空いている手で 軽くつかんで上下にふってみます。力が抜けていれば手首はやわらかく動くはずです。

これでも手首がこわばっている場合はもう一つ基本的な脱力感を得る方法をためしてみてください。 先程の@、A、Bのとおり鍵盤まで指をおろしてきます。そうしたら写真のように空いている手で 手の平から手を支えてあげます。どうでしょう、そうすると指を支えているために入っていた余計な力が抜けると思います。
temaru 実際には支えてくれる手はありませんが、このような脱力感を得ることがまず重要だと思います。 演奏中この脱力の感覚が意識的、最終的には無意識的に持続できれば脱力したピアノ演奏ができるのでしょう(かなり難しいですよね)。 ただ、実際それが完璧にできるのはかなり一部分の人だと思います。私もなかなかできません・・・。 なので、部分的にそういった状態で弾けるようにしたり、それに近い状態をつくれるように努力しています。

では実際に曲を練習するとき、脱力感を保持しながら演奏できるために私が練習している方法を述べてみます。これらの練習ははっきりいって当たり前なことなので、 改めて書くと「ばかなこというな」とおっしゃる方もいると思いますがご容赦ください。
まず、曲をある程度分析していくつかのブロックに分けます。普通クラシックの曲は1つの楽章は3つか4つくらいの大きなブロックに 分けられると思います(ソナタ形式の提示部とか展開部とか)。それらのブロックをさらにいくつかのまとまりに分けていきます。 そうするといくつかの8小節くらいのフレーズから成り立っていることが分析できると思います。
練習するときはその1つのフレーズ毎に脱力を意識して弾きます。それぞれがある程度できたら、つなげていくのですが、 最初は1つのフレーズを弾いたあとに3息か4息くらい間をおいて次のフレーズを弾きます。その間隔で脱力が意識できるように なったら、4息を3息に3息を2息にと間をせばめて行きます。そして脱力感を保持しながら通して弾ければOKです。

私はこの練習には2つの効能があると思っています。
1つは1フレーズ毎に息をいれることによって改めて脱力感を得やすく、雪だるま式に力が入って、曲の最後までつっぱしるということを 防げること。もう1つはフレーズ毎に練習するため、音楽的なまとまりを意識しやすく、それを表現できるようになることです。

それではもう一つ、今度は主に耳を使う方法です。
ピアノを弾いている時は、当然自分の音を聴いていると思います。 その際に、自分の出した音が遠くに飛んでいき、聴いている人にとどく ことを強くイメージするのです。言葉を変えると打鍵した音が起ち上がって、ギューンとスピードをもって遠くへ飛んでいくと いう感じですか。力が入っているときは、音が飛ばず、音がでるとその場でピタっと止まっている感じが多いです。 それを意識的に遠くへ届けるように、音を到着点まで耳で聴きとどけるのです。
ちょうど野球で打者がホームランボールを最後まで見届けている感じです。 これはイメージの問題なので体をどう使うということでは ないのですが、このように意識を変えただけで脱力感が得られることがあります。一朝一夕にはこのイメージを 造ることは難しいかもしれませんが、普段から意識していると脱力した伸びやかな音がだせるのではないでしょうか。

以上私のつたない練習方法をご紹介させていただきました。 ピアノは重力奏法といって腕や肘、体全体の重みをつかわないと豊かな音量がでませんよね。普通大きな力をだそうとすると 筋肉を緊張させてがんばると思いますが、ピアノの場合はほんの一部分の必要な筋肉以外はまったく力を抜かないときれいな 音がでません。私もよく「手首の力を抜いて」なんていわれてしまいます。注意されるとガッカリしてしまいますが、 「脱力」はピアノ上達のキーワードだと思って日々練習しています。

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●音階練習と分散和音練習について

ピアノを何年か習っていると練習曲の「ハノン」をやりなさいといわれませんか?「ハノン」は途中にたしか各調の音階と分散和音の練習が のっていたような覚えがあります。「ハノン」をしなくてもこの音階練習と分散和音を「練習しなさい」といわれることは 多いと思います。

なぜこのような単調な練習をくりかえさなくてはいけないのだろうかと私もよく疑問でした。いまでは「そうだよな〜」って感じで 納得しています。
話は変わりますが、私のまったくの独断と偏見で考えていることにピアノ演奏のテクニックでもっとも基礎的なものの中には、 3つのものがあるのではないか、ということがあります。それは

@和音をつかむ
A各指の独立
Bポジション移動

です。

@の「和音をつかむ」というのは同時にたくさんの音を瞬時にしてつかむテクニックです。 同時に何個もの音をバラけずにきれいに鳴らすのは結構むずかしいです。Aはそれぞれの指が独立して 力強くかつ速く動くテクニックです。親指や薬指を中指のように自由に操るのは難しいですよね。 Bはピアノの88鍵という広い幅をもった範囲を、自在に左右に動けるというテクニックです。ポジション移動をするときは 力が入りやすいです

音階練習と分散和音の練習をするとこの3つのテクニックが全て練習できるのです。音階を弾く場合、各指が独立していないと、 ある音はボコって鳴り、またある音はショボって鳴らなく、歯がぬけた櫛のようなものになってしまいます。 また、音階練習は普通、4オクターブにわたって上行、下行すると思いますが、その間に親指を中指や薬指の下に くぐらせポジション移動していきます。さらに分散和音練習では一気に広い範囲のポジションを、手首をつかったり、 ぱっと飛んだりして移動していかなくてはなりません。そして音階や分散和音の最後には和音でその調性の カデンツァをフォルテで鳴らします。これは和音をしっかりつかみ、かつ脱力していないときれいな音はしませんよね。

このような基本的なテクニックをすべて練習できるので、私は最初にピアノに座ったらまず、他の予備練習とともに、 この音階練習と分散和音練習を2つか3つの調性で練習してます。特に現在練習している曲の調性の音階練習をすると効果的です。

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●アンサンブルについて

ピアノという楽器の特徴から考えてみると、ピアノ演奏には大きく3つの形態があると思います。 1つは完全なソロでの演奏。ピアノには同時に多くの音が出せることと、幅広い音域をもつという 特性からピアニストが一人で弾く「独奏」の曲が多くありますよね。
ソロで弾ける曲がこれだけ充実した楽器は他にあるでしょうか。ソロの曲が充実しているということが、 ピアノ演奏の魅力を増していることは間違いありません。

2つめの演奏形態は他の楽器や歌とのアンサンブルでの演奏。ピアノは先にも述べましたが、 幅広い音域をもつため、伴奏として他の楽器や声を支えてあげることができますし、また時には対等な立場で 会話をすることもできます。

さらに3つめの演奏形態はピアノ同士のアンサンブルです。これは連弾や2台のピアノのための 曲があてはまります。ピアニスト同士のアンサンブルは他の楽器とのアンサンブルとはまた違った 楽しみがありますね。

ここではこの中で2つめの演奏形態である、他の楽器や声とのアンサンブルについて私見を 述べてみます。
話は戻りますが、先程ピアノはソロの曲が充実していると述べました。ところが、このことから ピアノの弾く人の中で、大きな誤解が生じていることがあります。それは「ピアノはソロが弾けてなんぼ」 とか「ピアノはソロが王道だ」といわれることです。

私としては、逆にピアノを弾く人はソロだけしていてはだめだと思っています。 たしかにピアノは、ソロの曲ですばらしい曲が多いですよね。パッと考えただけで、10本の指では 数えられないくらい名曲が多いです。ただ、ピアノ弾としては逆にソロばかりに目を向けていると 、その曲が自己完結しているだけに1人よがりの演奏になってしまう危険性が常にあります。 例えばテンポが妙にぐらついて、弾けないところはゆっくりに、逆に弾けるところはめっぽう速く 弾いてしまったりなどは1人よがりの悪い例ですよね。
アンサンブルをすると、そういった1人よがりの演奏が1番共演者から嫌がられてしまいます。 常に自分とは違った感性をもった演奏者が一緒に1つの曲を演奏しているのです。 いやがうえでも「合わせていく」という気持ちが必要とされます。 「合わせる」ためには共演者が出している音楽や自分が出している音をいつも客観的に 聴く能力が必要となってきます。
この客観的に自分が演奏している音楽を聴くという能力は楽器を上達するためには必須の能力ではないでしょうか。 上達するためには、常に自分の耳でたしかめて、どこがどう良いのか悪いのを判断する必要があります。
さてさてアンサンブルの必要性について述べてみましたが、私が普段アンサンブルをしている上で 気をつけていることを2、3述べてみたいと思います。

1つめは先程も述べましたが、共演者の音楽を注意深く聴くことです。 どういうフレーズの取り方をしているのか、どこで頂点を持ってきているのか、 アーティキレーションはどうなのか、リタルダントはどれくらいか等々いろいろあります。 得にソナタなどは同じテーマをかわるがわる弾くことが多いので、 あまりにかけ離れた歌い方をしていると全然まとまりがなくなってしまいます。
相手は小さく弾きたいのに、自分だけ大きい音を出していては曲にならないですね。

2つめは共演者の楽器の特性を知るということです。 管楽器や歌はどうしてもブレスをとる必要がありますよね。高い音を出す前とかに おおきく息をすっているのに、ピアノが先走ってしまうと高い音をはずしてしまったり しまいます。共演者がブレスする時は一緒に息を吸うと音楽があってきます。 まさに「息を合わせる」といったところでしょうか(笑)。
また弦楽器がフラジオ奏法で音を伸ばしている時など、ちょっとした緊張で 弓のバランスをくずす時があります。そういった際は逆にピアノはどんどん前にいってあげると 共演者を助けることになります。

そして3つめは演奏とは違いますが、合わせ練習をしたりする時に共演者の音楽性を否定してしまうような 言葉を出さないように心がけた方が良いです。1つの曲でもいろんな解釈があるということを 肝に銘じておかないと人間関係が壊れてしまいます。

さてさてピアノほどいろんな楽器の人と一緒に演奏できる楽器はないのでしょうか。 1人で弾くのも良いですが、アンサンブルの楽しさを味わうとまた違ったピアノの世界が 広がります。そして何より音楽仲間が増えるのはとっても楽しいことですね。

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●本番前のリハーサルについて

突然ですが,私は人前で弾くととっても緊張してしまいます。まぁ人前で弾いて緊張しない人は まれかな?といって自分を慰めていますが。音楽は時間芸術ですので失敗しても「今のなし」って 言えないですよね。そいういう,やり直しのきかないプレッシャーも緊張に拍車をかけているような 気がします。

さて,ホールなどで演奏するときはたいていリハーサルというのがあると思います。 ここでは私なりの本番前リハーサルの使い方を述べてみます。
話は飛びますが,ピアニストにとってリハーサルというのは他の楽器の人以上に重要な 気がします。なぜならピアニストは普段弾いているピアノを会場には持ち込めないからです(ホロヴィッツなんかは 持ち込んでましたけどね)。普通は初めて出会った楽器と一夜(?)をともにしなくてはなりません。 楽器はやはり一台,一台ちがうので自分がイメージしていた音とかなり開きがある場合が多いです。 楽器の問題だけではなく,普段狭い部屋で練習していて,急に広い場所で弾くと,自分の耳に自分のだしている 音が聴きずらくて違和感がある場合も多いと思います。この違和感を限られた時間のリハーサルで、 できるだけ少なくしなければならないところがピアニストのつらいところです。

私の場合,リハーサルの時はまず一発最初から最後まで通して弾いて,できればそれを録音します。 何が起こっても,これは本番なんだという仮定のもと,絶対に止まらないで弾くことを心がけています。 「初めての場所」,「初めての楽器」,「緊張」が重なるといろんな現象が起こってきます。 たいていは堅くなってしまって弾けてたところが弾けなくなったとか,なんで自分の音がこんなに聴こえないのだろうと 感じて、いつもより大きな音を出そうとおもって力んでしまったりとか, テンポが異様に速くなってしまうなんてことが起こります。心の中では「こんなはずではなかった!」なんて いう失望感がうずまきます。しまいには泣きたくなるときもあります。
ただ大抵の場合,本番前のイメージというのは練習の時に最高にうまく 弾けたときのイメージになっていませんか?私の場合はやはり練習の時のイメージが美化されてしまっている ことが多いです。リハーサルで通して弾いてみると美化されたイメージが木端微塵にくだけて等身大の自分が見えてきます。

本番で一番避けたいのは失敗したこ時に,そのダメージを払拭できなくて 2次災害,3次災害が勃発してボロボロになっていくことではないでしょうか。リハーサルで通して弾いていると, 本番で弾けないところがあっても,それは大抵リハーサルでも弾けてなかったので「当然か」なんて思ってすぐ次に気持ちを 切替えられます。反対にリハーサルの時に部分練習をすると,意外とうまく弾けたりしてしまいます。 本当に弾けてれば良いのですが,「そこからはじめれば弾ける」という現象もあるので「トータルして弾いてみると 弾けない」ということも往々にしてあります。結局本番はトータルとして聴かせなくては いけないのでリハーサルで部分的に弾けても意味がありません。

私の場合は通して弾いた後に、時間があれば、部分的に弾いてみます。これは主にそのピアノの響きに なれることと,会場の響きになれるためです。「このピアノは低音がなるな〜」とか「ペダルにあそびが少ないな〜」 なんてことをチェックしてみます。まぁ本番で必死になってそういうところに気が回らなくなることも多いですけど・・・(笑)

こうして舞台での時間が終わったら,さらに,録音したものを後から聴いてみると効果的です。 普段とのほんの些細のずれが全体に影響していることが多いです。例えば弾いているときには気付かなかったが、テンポがいつもより すこし速かったりとか,休符の取り方があまかったりとか,フォルテで弾くつもりがないところが強張っておおきな 音になっていたりします。これらを弱冠修正するだけど,驚くほど全体的によくなったりすることが 多いです。

本番で良い演奏をして褒められたいというのは誰でもありますよね。私なんか、かなりの見栄坊なので、 その気持ちが強いみたいです。ただ、その気持ちが強すぎるとどうしてもうまくいきません。 リハーサルで等身大の自分に戻るのはとっても重要なことだと思います。

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●ピアノの発音の仕方とタッチ,音色の関係

ピアノはよく,チェンバロやオルガンと違ってタッチによって音色が変るといわれます。チェンバロも 弾き方によって実は音色は変ります。ただ,それは単音というよりかは次にくる音との関係によって決まってくることが 多いようです。

ピアノの場合,コンサートピアニストの演奏を聴くとその変幻自在の音色に酔いますよね。 私も指を立てたり,寝かせたりといろいろと駆使してさまざまな音色を出せるようにと努力しています。 ただここでハッと気付きました。ピアノの音色を考えたときに ピアノの発音の仕方をふまえなくては片手落ちではないかと。

ということでここでピアノのタッチとその発音上の特徴,音色変化の関係について考えてみました。 皆さんよくご存知だと思いますが,ピアノは鍵盤を押すと複雑な機構のアクションが作動し,フェルトでまかれた ハンマーが弦をたたいて音をだし,鍵盤をもどすとダンパーが降りて消音します。 弦がたたかれる位置や角度は(ソフトペダルを踏んだ以外),鍵盤をどうやって 押そうが変りません。変る要素としてはハンマーが弦をたたくスピードとダンパーがおりるタイミングです。 そう考えると単音で考えた場合,ダンパーペダルを使用する以外で音色が変わる要素は,鍵盤を押すスピードを 変えることによってハンマーが弦を打つスピードを変えることと,ダンパーが戻るタイミングをコントロールする離鍵のスピードです。 また,2音以上同時にならす場合はこれらの要素をどう組み合わせるかによって変ってくると思われます。 実際はこれらの要素にペダルの使用が複雑にからんでくるため単純には言えませんが,ここでは音色とタッチとの関係を考えたいので, ペダルについては別に述べたいと思います。

音色をタッチでかえる方法が鍵盤を押すスピードと離鍵のタイミングということであればピアニストはその指で 音楽のイメージを表現するために無限の段階のスピードを駆使しなくてはなりません。
あたりまえと思われる方もいると思いますが,当然ゆっくり鍵盤を押せばハンマーはゆっくり弦を叩き, やわらかいピアノの音色。早く押せばハンマーはいきよいよく弦をたたき,輝かしく太いフォルテとなるでしょう。 さらにゆっくりと離鍵すればふんわりとやわらかい雰囲気,パッとはなせば歯切れのよい印象の音をつくれると思います。

意外と見落としがちなのは,離鍵についてです。私も緊張して息があがっていると, 今だしている音よりも次にだす音に意識が飛んでしまい,音の最後の処理がおろそかになってしまいます。 弦楽器や管楽器など音がのびる楽器は、音をのばしているあいだ中,弓を動かしたり 息を入れたりして何かしらアクションをおこしています。なのでだしている音に対して意識が少なくなるということはないでしょう。 ピアノの場合,音をだしてからは「その音はそうじゃなくてこうだ!」なんて変えることはできません。なので すぐ次の音に意識がいってしまい,音のきれめをおろそかにすることが多いのかななんて思っています。 しかし,離鍵のタイミングひとつで音というのはかなり違った印象になってきます。次の音とすこし空きぎみで弾くとくっきりと した輪郭で,かつ快活な歯切れの良い印象になるし,すこし次の音がなるまで保持して,ゆっくりめに離すときれいなレガートが できます。なので音の切れ目を,つまり離鍵について意識することは音作りの上で重要なのではないでしょうか。

それではまたまた恥ずかしながら,私が演奏するときに使っている方法についての一例を少々のべさせていただきます。 先ほど,鍵盤を押すスピードを無限に変える必要があると書きましたが,実際これをコントロールするためには 指だけではなく,手首は肩など全体がそのつど違う動きをする必要がありそうです。一例を挙げてみます。 ショパンのノクターン11番の中間部に和音進行のところがありますよね。ここはやわらかく静かな 雰囲気でとてもきれいなところです。私の場合,こういう場所は指先を伸ばして手首は少し下がり気味で 弾きます。さらに鍵盤を押すときは手首はあまり動かさず、腕から全部を鍵盤の上にのせていくように弾きます。 そうやって力を抜いて弾くと自然にゆっくりとした打鍵になって,やわらかい音になります。 ただ,和音がばらけないで弾くのは難しいのですが・・・。

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これとは全然違うタイプのシューマンの「子供の情景」からの鬼ごっこ。これは快活でアレグロで, なおかつメロディーは一つ一つの音が歯切れよく聴こえる必要があります。私はこういう場合は, 少し手首は上げ気味で手のひらから,指をつるして指をあまり上げないで手前に引っ掻くイメージで弾きます, そうすると打鍵が速く,また音と音がすこし離れたようになってスタッカートのイメージが表現できることが多いです。

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一般に指を寝かせて指の腹で弾こうとするとやわらかいピアノ、指をたてて弾こうとするとはっきりとした発音の 音になると思います。 いろいろな音色を弾くための方法が増えて,さらに弾くための方法が 曲のイメージと直結して,わざわざそれを意識しなくても弾けるようになれば いろんな音色を使い分けることができるんだろうな〜と思っています。かなり難しいですけど ピアノを弾く醍醐味でもありますね。

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●フィンガリングについて

譜読みなどを進めていくときに指使いを決めると思いますが、結構悩みませんか?
皆様はどういった基準で指使いを決めていっていますか?私は最近まで「要は物理的に効率の良い 指を使うのが1番」っていう基準で決めてきました。つまり、「親指から小指まで均等な働きができる!」 また「するべきだ!」という仮定にたって、その鍵盤に一番近く、また次の音の打鍵がスムーズにできる指は 何かということで指使いを決めるのです。

しかし最近、これだけを基準にしてしまうのは間違いではないかと思うようになってきました。
話は変わりますが、ピアノはエチュードが充実していますよね。ちょっと思い出しただけでも ハノン、チェルニー、クラーマービューロ、モシュレス、クレメンティなどなどたくさんあります。 ピアノを習っていくと、大抵これらの曲を1つ1つクリアーしていくことになるんではないでしょうか。 いろんなテクニックがありますが、共通した目的の1つに指の独立と強化ということがあります。 つまり、親指から小指まで全て力強く、均等に弾ける手をつくることです。
これはピアノを弾く上である程度必要不可欠なものです。これら強靭で均等な働きができる手がないと 弾けない難曲(そして美しい曲)がピアノにはいっぱいあるからです。

ただ、逆説的ですが、これらの訓練をしながらも曲を弾く際は、あえてそれぞれの指はやはり違うんだという 認識で弾く必要があるのかなと思っています(あくまで個人的な意見ですよ〜)。
昔、チェンバロの奏者たちは指の個性を使い分けて演奏していたそうです。各指を「良い指」「悪い指」とか 呼んで働きを区別していたのです。どれが「良い指」、「悪い指」かは人によって違うようですが、指それぞれに特有の 働きがあるという認識では一致していたようです。そして、拍子の強拍には「良い指」、弱拍には「悪い指」を つかったりして、拍子感を表現したんだそうです。こういった使い分けはヴァイオリンなどの弦楽器での 弓使いに通じます。フランスで活躍したイタリア生まれの作曲家のリュリが書いた弓使いでは強拍ではダウンボウ、 弱拍ではアップボウを使うことが徹底されています。
参考までにチェンバロでの指の特性を考えた指使いの例を載せてみました。

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ピアノ弾きから見ると薬指を中指が飛び越えたり、右手では中指ばかり使ったりと不自然な指使いですが、 実際この指使いで弾いてみるとどうでしょう。左手の指使いに顕著ですが、拍子の頭には中指をもってきています。 これは「良い指」で強拍を弾くと同時に、強制的に拍子の最初の前に一瞬の間を作ることによって 拍子感を出しているのです。アーティキレーションやフレーズがあえて弾きにくくすることによって くっきり浮き上がってくると思いませんか?右手もつなげてはいけないためにあえて中指ばかり使うのです。
チェンバロはペダルや音量の変化がないのでそういった奏法で表現していくのです。ピアノの場合はペダルをつかったりして 音量的なダイナミックさが安易にできてしまうために、そのパワーでおしまくって細かな表現ができていない場合が 多いのではないでしょうか。

ピアノの曲でも例えばエドウィン・フィッシャーはモーツァルトのソナタK.310冒頭では次のような指使いを提唱しています。 これなんかは、親指を強拍や強調したい箇所に使うことによって、それを実現しようとするものです。

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また、ピアノ教師としても有名だったショパンは断片となった草稿「方法の方法論」で次のような言葉を残しています。いわく

「どの指にも同じ力を得させようとしたために、長い間自然に反する扱いがなされてきた。 しかし、指はそれぞれ異なる構造をしているので、大切なことは各指に適した優美な打鍵を発展させ、 その優美さを損なうようなことをしてはいけないということである。各指はそれぞれの構造に適した 力を持っているのである。」

そして実際ショパンは親指の上を小指が越えたり、親指の仲介なしに、一番長い 中指を他の指の上を越したり使ったようです。

私はフィンガリングを決める時、次のようなことを気をつけて決めようとしています。
@物理的に効率がよいか(やはりこのことが重要であることは変わりません)
A@に反しますが、音楽的に要求された場合は各指の特性によって、あえて非能率的な指使いをする。

指は人によって違うために、他人のフィンガリングはある程度は参考になりますが、結局は 自分なりのフィンガリングを模索しなくてはなりません。でもうまく音楽と合ったフィンガリングが みつかると、おもわずニンマリと一人ほくそえんでしまいます(笑)。

最後にチェンバリストのエラ・ハリッヒ=シュナイダーさんの言葉を載せておきます。とても勉強になる 言葉でした。

「さて、我々はどんなフィンガリングを用いようとしているのであろうか?如何なる基本的な規則が 常に正当であるのか、そして如何なる点でそれを現代に適合するようにするのが 正しいのか?楽器の性格によって、そして、それ故にこそ、次の点が不可欠となる。

@ 完全なレガート
A 必要ならば和声の保持をうながす<和声的>フィンガリング
B フレージングとアーティキレーションの手段としてのフィンガリング

この3つを守るならば、まったく自由にドビュッシーの<我々の指を探せ>という示唆に従うことも よかろう。フィンガリングは芸術という目的への技術的な手段である」

●準備練習について

みなさんは練習するとき、どうやってはじめますか?
僕はピアノの練習をするときは、いきなり曲の練習はしません。 まず、準備練習というものをします。ピアノを弾くということは、 もちろん音楽をかなでるということですが、一方でスポーツ同様、 体の運動という側面をもっています。 スポーツ選手も最初はストレッチとかして、体をほぐしますよね。 ピアノも練習するまえにそういったことが必要なのではないでしょうか。

ここでは、僕が普段している準備練習と、それに対して考えている効果を 述べてみたいと思います。

まず最初の準備練習は、ハ長調の音階を1オクターブ両手で上向して、それを2度づつあがって いって、オクターブ上までいったら、今度は2度づつさがってくる練習です。 これは本当に1音づつ、ゆっくりゆっくり弾きます。

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ここで気をつけているのは、まず基本的なフォームです。背筋が伸びているか、肩があがっていないかなど、 そして何よりも1つの音を弾くごとに脱力ができているかのチェックです。 しばらく弾けなかった後にピアノに向かう時には良いリハビリになります。耳もピアノの音になれてきますし。

次の予備練習は今の音階をある程度の速さかつフォルテで、スタッカートとレガートで弾くことです。 これはスタッカターで弾くことによって、5本の指全ての筋肉を鍛え、分離独立させること、 そしてレガートで弾いて指さばきのすばやさを意識するための予備練習です。

その次は下のような譜面を弾きます。親指で音を保持しながら弱い薬指や小指で弾くので、相当きついです。 ただ、重点的にこの部分の強化をするにはすごく効果的です。あんまり無理にやりすぎると、手を痛める可能性があるので、 適当なところでやめてくださいね。

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そして最後にハノンの中から音階練習と分散和音練習です。僕の場合はハ長調は必ずやって、後もう1か2つくらい 何かの調性を弾きます。最初はゆっくり弾いて、その後は速めのテンポで弾いています。 音階練習と分散和音練習の効果は別に述べてましたのでここでは割愛します。

大体これらのことをすると15分くらいかかります。ある意味面倒ですが、習慣になると 結構効果があります。1度おためしください! 他にみなさまの中で準備練習で日々されていることがありましたら、ぜひお知らせください〜。

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●譜読みについて

よくピアノ弾きの方とお話していると、1つの曲を練習していく過程は「譜読み」「さらい込み」「仕上げ」という 過程をたどっているような気がします。今回はこの中の「譜読み」について述べてみました。

どのような状態になったら「譜読み」が終わったかというのは個人で差があって、あまり決まったものがないような気がします。 人によってはかなり弾けるようにならないと「譜読み」が終わっていないとおっしゃる方もいます。こういった方は大抵ご自分では 「譜読みが遅い」とおっしゃります。

それでは僕の場合はどうでしょう。僕がまず新しい曲に取り組むときは、ピアノを弾く前にざっと譜面だけながめます。 そうすると、耳があまりよくないのか、聴いていたときよりもたくさんの情報が見えてきます。
まず、曲全体のおおまかな構成。導入部があって、ここからは展開するんだな〜とか、最後の盛り上がりはこのあたりからだな〜とかです。 転調などをしている場合は、転調を導いているのはこの音か、とか思いながらながめます。また主題がどうやって処理されているか、なんていうのも 重要です。 まぁいいかえれば、演奏するにあたっての大きな演奏設計図を 頭の中で描くといったところでしょうか。だいたいのところがイメージできたところで、ピアノに向かいます。 そして弾きながら、この設計図の点検と指使い、ペダルを決めていきます。設計図を描いても実際弾いてみるとかなりちがったりすることも しばしばです(笑)。

指使いをきめるときは、フィンガリングについてで述べたような方法で決めていきます。ただ、テンポは、 弾けなくても雰囲気弾きでそれらしいテンポで弾いてみます。そうすると自然に行く指がみつかることが多いからです。 自然にいく指が音楽的にもよいなと感じれば、それは当座の指使いになります。
ペダルにも同じようなことがいえます。ある程度のテンポで気持ち良く響くペダルをさがしてつけます。 「譜読み」の場面での指使いやペダルはその後、「さらい込み」の時に調整していくので、ある程度幅をもって 考えます。僕の場合、重要なのは「良い曲だな〜」と実感しながら、ある程度の設計図と指使い、ペダルがきめられることです。
そんなこんなでこれらが決まると僕にとっても「譜読み」は終わります。 そして、はてしなく続く「さらい込み」につながります(笑)。なので僕は「譜読み」の時が一番たのしい時かな〜。自分の実力を感じるよりも、曲の美しさに身をまかせられるよう な、そんな気がして(^^)。
みなさんはどうやって「譜読み」をしていますか??

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