ウインタブルック・ハウス通信

クリスティ・ファンクラブ機関誌

1993.12.24  NO.46

クリスティの十二支(その10)

 「そのとおり」とトミーが言った。「マンチェスター・テリアといってね、昔ながらの黒と褐色のやつなんだよ」
 ハンニバルは自分のことが話題になっているのを知ると、振り向いて、身体を震わせ、さかんに尻尾を振ってみせた。それから腰をおろしたが、その様子はいかにも得意そうだった。(『運命の裏木戸』中村能三訳)


< 目  次 >

◎アガサ・クリスティ劇場を観て(その2)・・・・足立 雅弘  竹内 真理  栗原 陽一 小川 淳子  村田 有規子  土居ノ内 寛子
◎クリスティ・ランドの素敵な人(その15)・・・・安藤 靖子
◎クリスティ生誕百年展を企画して・・・・ジーン・マリリン・リード 安藤 靖子訳
◎クリスティ症候群患者の告白(その16)・・・・・・数藤 康雄
◎ティー・ラウンジ
★表紙   高田 雄吉

アガサ・クリスティー劇場を観て(その2)

クリスティ・ファンクラブ員有志


 前号の「アガサ・クリスティー劇場を観て」は、忙しくて観られなかった人からもその雰囲気の一端がわかったと好評でしたが、アガサ・クリスティー劇場を観た人は、前回の会員以外にも数多くいることがわかりました。
 ということで、感想第2弾です。今回の感想を含めて判断しますと、クリスティ・ファンはどうやら「蜘蛛の巣」がもっともお気に入りだったようです。しかし劇を観た人はまだまだいるはずで、感想はいつでも受付可能です。よろしく!(S)


○「怪の会」の事務局長として活躍されている足立雅弘さん(横浜市磯子区)
 昨年ファンクラブ会員にと割り引き料金の案内をいただき、さっそく先のことは考えずに、3公演分のチケットを入手しました。結局いろいろあって、2公演しか見られませんでしたが、その感想をとりとめもなく御報告します。
 「ねずみとり」(2/7(日))。英国では41年目に入ったという、現代の伝説「ねずみとり」、その一端にふれようと期待して行きました。原作は読んだことがありますので犯人は知っていましたが、真探偵が誰かは忘れていたので、結末に驚いている始末でした。全体の印象はあまり英国風という感じはしませんでした(とは言えどうすれば英国風になるのか行ったこともない僕には指摘できませんが)。またサスペンス劇なので当然ではあるのですが、観客に過度の緊張を強いる演出だと思いました。これはクリストファ・レン役の沖田浩之の神経過敏的演技の影響大ですが、英国の舞台はもっと余裕というか、緩急のついた芝居をしているのではないかと想像します。と、悪口になってしまいましたが、佐古雅誉(メトカーフ大佐)・馬淵晴子(ボイル夫人)の渋めの演技が締めておりました。
 余談・その一 幕間、終演後ともロビーで次の「ホロー荘の殺人」に出る春風ひとみさんを見かけました。舞台で見るより背が低く可愛らしい感じでした。
 余談・その二 私の斜め前の客席にいた御婦人が当WH通信誌をもっておられたので驚きました。2月7日、8列20番(だったかな)の貴方ですよ。
 「蜘蛛の巣」(3/14(日))。こちらはだいぶ印象が違うコメディー風のサスペンス。クリスティが女優のマーガレット・ロックウッドのために書いた作だそうで、なるほど、主演女優の文字どおり独り舞台でした。この主役の、貴族の姪で外交官の妻・英国の屋敷の冒険好きの女あるじのクラリサ。こんなヒロインを剣幸が見事に楽しく演じていました。普通の女優さんでは或いは浮いてしまうかもしれないのですが、流石にこういうバタ臭い役は本領発揮というか、説得力のある演技でした。台詞が長くなると”男役口調”になってくるのも、御愛嬌というより英国風に感じてしまいます(とんでもない偏見?)。原作は読んだことはあったはずなのにすっかり忘れ果てて、犯人は誰か?と、楽しく見ました。剣幸の代表作といえる出来だったと思います。また余談ですが、劇中ミルドリッド・ピーク(左時枝)のことを「女子プロレスラー」と陰口で言う台詞があり、てっきり日本版独自のことかと思ったのですが、ちゃんと翻訳の文庫本にもある台詞でした。クリスティは女子プロレスを見たことがあったのでしょうか。
○クリスティ劇やクリスティ映画を熱心に観ている竹内真理さん(山梨県都留市)
 まずは「そして誰もいなくなった」。もちろんベテランの俳優は出ていますし、演出家も一流の方ですし、それなのにこのギクシャクした雰囲気はいったい何なのでしょうか。こんなにも緊張感のないクリスティ劇も初めてです。TVでCMを流したり、フジテレビさんとしては、かなり力のいれようだったと思うのですが、第一弾がこれでは、正直言って先が思いやられると感じたのも事実です。
 一番の失敗は大事な場面で笑いをとってしまったこと。第三幕第二場、フロアで殺される場面。北川潤氏扮するブロアがいきなりベランダへ飛び出し、これまたいきなり叫んで倒れる。荻原流行氏扮するロンバートが続けて飛び出し、「時計を抱えた熊の置物」を抱えて、よろよろしながら出てくる。ここで観客は大爆笑となってしまい、ついにラストまで緊張感は戻って来ませんでした。次回公演時はぜひ、正統「そして誰もいなくなった」を見たいものです。
 「ねずみとり」。今回は、主役級の人達はすべてかの有名な夢の遊眠社出身。そのせいか、ボディアクションが大きいこと! 特にクリストファ・レン役の沖田浩之氏の演技は、何なんだこれはとしか言えないほどのオーバーアクション(もちろん彼は遊眠社ではありませんが影響されたのでしょうか?)。果して私はクリスティの劇を見にきたのか、それとも夢の遊眠社の芝居を見にきたのか分からなくなってきました。
 でも、一生懸命演じている熱意は伝わってきますし、その点は、「そして誰もいなくなった」より好感が持てます。しかしながら最後まで違和感がつきまとってしまったのは、まぎれもなく事実です。ああ、57年6月の今は亡き草野大悟氏がジャイルズを演じた(ファンでした)「ねずみとり」が懐かしい……。
 「ホロー荘の殺人」。やっと本当のクリスティ劇に巡り会えた……、これが私の正直な感想です。どの役もまさに適役と言える人達を選んでいますが、なかでも中原ひとみさんのルーシーはすばらしい! の一言につきます。それから深浦加奈子さんのガーダ。まったくどこにこれほど演技力のある役者さんが隠れていたんでしょうか?今まで知らなかったのが本当に残念でなりません。この芝居の命は、まさしくこの二人を誰が演じるかにかかっていると言えます。この点からも今回は大成功だったと言えるでしょう。ただ、一つだけ疑問なのは、何故野口五郎氏をジョン・クリストゥではなく、さほど重要な役とは思えない警部役に持ってきたのか、なのです。できれば彼の演じるジョンを見たかったのですが。
 「蜘蛛の巣」。これはもう本当に楽しいコメディ・ミステリーでした。出演者の息もピッタリですし、肩の凝らない劇に仕上がっていました。主演の剣幸さんは宝塚出身の女優さんで、私は宝塚時代からのファンです。だからといってひいき目に見ているわけではないのですが、陽気で聡明で嘘をつくのがうまい(?)クラリサの役は彼女にピッタリでした。また、ローランド卿役の内田稔氏、ヒューゴー役の湯浅実氏、この二人が実にいい味を出しているんです。冒頭のワインの飲み比べの場面、オリバーの死体を隠す場面、どこをとってもさすがと言うほかありません。それから特筆すべきはピパ役の北村由紀さん。てっきり子役が演じていると思うほど完璧に12歳の少女役を演じきっていました。知らないで見ていれば、それこそ「えー、うそー!」としか言えないと思いますよ。ちなみに彼女は(詳しくは知りませんが)20歳過ぎです。
 以上が今回のアガサ・クリスティ劇場に対する私の感想です。それぞれ出来不出来はありますが、こういう企画はクリスティ・ファンにとっては大変ありがたいので大歓迎です。ただ、それぞれの上演期間が接近していて、だいたい2週間に1度の割合で劇場に足を運ばねばならず、全部を見に行きたくても行けなかった方も大勢おられたはず。せめて1カ月に1本ぐらいのペースで上演して頂けたらもっと余裕をもって行けるのではないかと思いました。
○5回も劇場に通ったという栗原陽一さん(東京都練馬区)
 「そして誰もいなくなった」(1/14(木))は、原作はあまりにも有名であり、島全体で行なわれる殺人を1つの舞台でどのように演じられるのか興味があり、2回分の予約を入れました。1回目の公演はただじっと観るだけで、終ってから感激はしたものの、細かな所も演出されていたのか疑問が残りました。そして2回目(1/22(金))の時、今度は細かな所も見のがさないようにと決めました。そうしたら第1の殺人の時に被害者のグラスに判事はちゃんと手を触れているし、将軍の後を判事が通った後に、ナイフが刺さっており、老婦人も判事が後ろを通過した後に、首をうなだれたのでした。私は細かな所もきちんと演出、演技されていたことに感激しました。
 「ねずみとり」(2/5(金))は世界一のロングラン劇ということで、どんな演劇なんだと興味がありました。実は私はいまだに原作を読んでなかったので、話の筋書きも楽しみでした。全体的にテンポもよく、推理劇としても面白かったのですが、モーリス役を演じていた平栗あつみさんが若すぎた気がしました。
 「ホロー荘の殺人」(2/20(土))は、原作を読んだこともあり、また映画(「危険な女たち」)も観たことがあるので、舞台はどこが違うのか、楽しみでした。観た感想としては登場人物の性格、行動、特徴が実にうまく演じられていたと思いますが、このドラマには刑事はいらないような気がしました。
 「蜘蛛の巣」(3/6(土))は、アガサ・クリスティには珍しいユーモア・ミステリーということで、あまり期待していなかったのですが、実際はその逆で、この作品が一番印象に残りました。クラリス役の剣幸さん、ピーク役の左時枝さん、刑事役の辻萬長さんなどの俳優さんがすばらしく、自分も劇の登場人物の一人になったみたいに一緒にハラハラドキドキしました。
 最後に、またこういう演劇が行なわれる機会がありましたら、今度は「ナイルに死す」、「検察側の証人」、「招かれざる客」、「死との約束」などを公演してほしいと欲深く思っております。
○本場の「ねずみとり」も観たという小川淳子さん(東京都世田谷区)
 アガサ・クリスティ劇場ですが、私も見ました。「そして誰もいなくなった」(1/23(土))、「ねずみとり」(2/6(土))、「蜘蛛の巣」(3/6(土))の3本です。この中では「蜘蛛の巣」が一番よかったですね。ちょっとがっかりしたのは「ねずみとり」。喜劇になりそこなった悲劇という感じがしたのです。この順位に関しては夫も同意見です。出演者では剣幸がすてきでした。華がある、というのかしら。荻原流行も堂々としていて印象深い。夫はかとうかずこがきれいでよかった、と付け加えてました。
○クリスティ・ファン初心者(?)を自認される村田有規子さん(東京都杉並区)
 いつもウィンタブルック・ハウス通信を楽しく読ませていただいています。皆さん、かなり詳しく、そして熟読していらっしゃるようで、私のようなものがファンクラブに入っていてもいいのだろうか? と心配になりましたが、今回のものはサンシャイン劇場で上演されたものの感想が中心でしたので、わかりやすかったです。私も「ねずみとり」を見にいきました。ちょっとギャグが多すぎて疲れてしまいましたが……。
○観なかった劇の感想を書くというユニークな土居ノ内寛子さん(東京都小平市)
 私も実はDMをいただきまして、本当のことを申しまして、一瞬とまどいがあったのです。青春時代から、クリスティに心酔しきって、ある時は徹夜もいとわず……(学校でしっかり寝ておりました)読みふけったものです。小説の中に登場してくるイギリスの独特な風景。風の音、木々のさざめき、にび色の石畳にひびく靴音。どっしりした建物のかもしだす重厚なドアの音。ティーカップのふれる音、ティーの香り、書き出したらきりがなく、私の頭の中には、小説の行間に書かれた目には見えない、もうひとつの自分の雰囲気を、たっぷりと折り込みクリスティの世界にのめりこんでいったのです。木と紙と四季のうつろいを持つ日本人が、短躯にして、頭上に金髪のかつらをつけて、狭い空間の中で演じるということが、私にとって耐えることは出来ないと思ったのです。始めから作品を全然読んだことがなければ、それはそれで大変感激もあったことと思います。素晴らしい演出がなされたとのことですが、私はやっぱり文字人間なのでしょう……(こんな私は変人ですか?)
○今回の連続劇の仕掛人である平井事務所の梅田さん(東京都新宿区)
 先日は「アガサ・クリスティー劇場'93」の感想の載った機関誌をお送りいただき、有難うございました。様々な感想が皆とても率直で、観客の方々のナマの声を聞けたように思います。スタッフ一同、今後の舞台製作の参考になると、喜んでおります。また面白い企画を出していく所存でおります。


クリスティ・ランドの素敵な人(その15)

安藤 靖子


 2号ほど休みました”クリスティ・ランドの素敵な人”が、今号から再開です。最初のころは悪役、チョイ役の登場人物が多かったのですが、このところ準主役級が選ばれるようになりました。今回のグリセルダも、『牧師館の殺人』では主要な登場人物の一人で、すぐに思い出す人も多いでしょう。
 なおこのシリーズが末長く続くよう(同時期にスタートしたクリスティ・ミステリ・マップは中断してしまったので)、素敵な隣人を御紹介して下さい(S)。


 クリスティの数ある作品の中には私達日本人が英語の教科書を通して知った名前 ・・例えばメアリ、ベティ、ケイトなど・・とはおよそ趣を異にするものが多いようです。『牧師館殺人事件』をフォンタナ版で読んだのは4年前のことですが、私はグリセルダという名前からたいへん強烈な印象をうけました。今回、この文を書くにあたり、新潮社版(中村妙子訳)を読んだところ、訳注としてこの名前がチョウサーの『カンタベリーテイルズ』に出てくるこ貞女の名であるという新たな発見をした次第です。中村先生、有難うございます。
 作中のグリセルダはレナアド・クレメントという彼女よりも20才ほども年長の牧師の妻で、20代の半ばという設定になっています。この年齢差のためか、二人の間には夫婦と言うよりもむしろ父親がやんちゃな娘を見守っているような雰囲気があって、微笑ましいかぎりです。『カンタベリーテイルズ』の貞淑な女性のイメージからはほど遠く、彼女は主婦としてはおよそ無能で何もかもお手伝いのメアリに任せている。しかし、マープルさんを始めとする町のおばあちゃん連とはうまくつきあう才覚があり、マープルさんの甥で作家のウエスト氏とは良い話し相手になれるほどの教養の持ち主で、その上、ロレンスという画家のモデルになるほどの美貌に恵まれている。凡人の私にはうらやましいかぎりです。もしグリセルダが美人で聡明なうえに家事も料理もビカ一の優等生主婦だったら、私は彼女にこんなに魅力を感じなかったでしょう。こんな人間臭いグリセルダが私は大好きです。皆さんはいかがですか。


ミニ・ティー・ラウンジ

随分長い間、アガサ・クリスティ一点張りで脇目もふらずでしたが、あるときふと気がついてあたりを見回すと、世はまさにミステリーの花盛りになっていました。そのお花畑でたまたま見つけたのが、アメリカの女流ミステリー作家マーサ・グライムズの作品です。いつもイギリスの片田舎が舞台になり、いっぷう変った名前のイン(inn)が毎回紹介されます。一作ごとに渋味を増すリチャード・ジュリー警視の、やや陰影を帯びた人間的魅力もなかなかのものですが(ルックスも良い)、グライムズの描く女性像には、一種独特の雰囲気がたちこめて、読む者に忘れ難い印象を残します。中には何度も読み返したくなる作品もあって、その度に読後の余韻をたのしんでいます(日名美千子さん)。


クリスティ生誕百年展を企画して

ジーン・マリリン・リード 安藤 靖子訳

 本稿は、「ト−キ−自然史協会年次報告書(1991-1992)」に掲載された報告で、著者のリードさん(トーキー博物館の学芸員)から訳者の安藤さんに送られてきたものの翻訳です。これまでWH通信に載った外国人の文章は、心ならずもすべて無許可で翻訳していたのですが(まあ、モグリの団体の機関誌なので許されよ、という”甘えの構造”に基づいているのですが)、今回は初めて正式な翻訳許可を得ました。マスコミ報道とは異なる視点からの百年展の報告をお読みください(S)。


 亜麻色の長い髪を巻き毛にした、7、8才の女の子が、大真面目な顔付きで庭へ逃げだして来た。彼女はお茶会用のモスリンの服を着て、大好きな輪まわしの輪で遊ぼうとしている。自分だけの世界に満足げにひたって、その輪を鉄道に見立て、チリー杉の木のまわりを器用な手つきで上手にまわしながら走っている。ビクトリア朝に建てられたトーキーのある別荘(ビラ)から、ゆるやかなスロープを描いて広大にひろがる庭でのことである。ビクトリア朝様式のこの家は「アッシュフィールド」と呼ばれ、少女はアガサ・メアリ・クラリッサ・ミラーで、後に世に名だたる犯罪小説作家アガサ・クリスティとして広く知られるようになった、トーキーが産んだ最も有名な女性である。
 アガサ・クリスティ生誕百年展の準備を始めたころ、ピーター・ベリッジ氏と私がバートンロードを訪れた時、私たちはアガサの幼少時代をそんなふうに思い描いていた。かつては木の生い茂っていたトーキーのこの郊外からは、今も海を望むことができる。しかし、1930年代の終わりごろまではアガサが所有していた、ゆったりとした中産階級のその家は、悲しいことに今はもうそこにない。彼女のチリー杉の木もなくなってしまったし、ミラー家の子供たちが皆、大切に愛用していた大きな木馬の「マチルド」など、古い宝物がしまってあった温室も今はない。この辺りの閑静な環境は、今では、隣接する南デボン工芸大学の学生たちの往来で学期中は乱されているし、トーキーのあちこちで徐々に進む都市化の影響を受けて、とても「閑静」とは言えなくなっている。1890年9月15日にアガサが生まれた土地に今では1960年代に建てられた家々が立ち並んでいる。
 トーベイ市議会では、アガサ・クリスティの生誕百年を祝うために「殺人ミステリー」をテーマに、主としてトーベイ観光局の指揮のもとに、一年間の特別なイベントを開催する計画が審議された。これには一流の犯罪小説作家たちの講演、ビンテイジカーラリー、街頭演劇が含まれ、1990年9月15日にはイングリッシュ・リヴィエラ・センター(トーキーの中心部にある建物)で大晩餐会を開き、花火を打ち上げて最高潮をむかえようというものであった。その6ケ月前、トーキーはこの計画の公表のため、遠くロシアや中東からもやって来た12人の新聞記者の国際色豊かなパーティでホスト役を務めた。「イギリスのリヴィエラでのミステリー」はこうして徐々に実現にむかって動き始めたのである。
 クリスティの小説が成功していることは言うまでもない。だが、生誕百年を祝うにあたって、「アガサ・ミラー」の少女時代とトーキーの密接なつながりを示すにはある正当な裏付けが必要であった。トーキー博物館が展覧会の会場として真剣に考慮されたのはまさにこの点においてであった。博物館には展示場として使えるスペースがあり、展示に必要な専門の技術がある。また、作家としてだけではなくエドワード朝の若い女性としてのアガサをよく知るには、価値ある地元の公文書等の資料がある。だから、ここを会場にしたのはまさに打ってつけであった。当時のトーキー博物館長ピーター・ベリッジ氏の奨励で、百年展の構想案は市議会に受理された。議会から助成金がおりた。百周年全体にわたって、議会を後援したのはオメガ時計であった。博物館からの出資と地元のホテルや企業からの寄付で、展覧会開催のための最終的な予算は12、000ポンドになった(1990年当時のレイトで算出すると約312万円)。
 展覧会を計画し総帥役を務めたベリッジ氏の指揮下には、副館長のピーター・ナイト氏、グラフィックアーティストのロバート・イートン氏、工芸家で大工でもあるシリル・リッピン氏そして私がいた。展示場の照明は博物館の古参の職員、ピーター・ミラー氏が工夫してくれた。私はトーキーに住んだり、訪問した有名人に関する情報を公文書で調査するために博物館に雇われていたのだが、1989年10月、展覧会計画案推進の許可がおりた時点で、ベッリッジ氏から、「他のことはわすれてアガサに専念するように」と言われた。こうして翌年の7月5日を期限とし、またその日を初日と定めて、私たちの調査は本格的に始まったのである。
 博物館には「トーキーディレクトリー」という1847年からの地元の新聞を製本した、歴史的な情報を知るうえでの貴重な資料がおさめられている。1890年アガサがアッシュフィールドで誕生したニュースは9月17日版に発表されている。この「ディレクトリー」は当時の社交界を知るうえで唯一のてがかりを提供してくれる。ヨットクラブの舞踏会、音楽会や訪問者の人名録、何不自由なく育てられた中産階級の娘アガサの暮らしぶりがはっきりとみてとれる。
 生まれはアメリカ人のアガサの父、フレデリック・ミラーは遠縁のいとこにあたるクララ・ベーマーと結婚した。二人はたちどころにトーキーの魅力のとりこになリ、バートンロードに新居をかまえた。ミラー氏は英国紳士の生活になじみ、ホイストをしたり、ヨットクラブやクリケットクラブに加入したりし、後にクリケットクラブの会長になった。娘によれば彼は少なからず魅力のある「感じのよい人」として描かれている。調査中、1894年11月、フレデリックがトーキー自然史協会の会員として受け入れられたことが手書きの議事録で証明されていることがわかった。博物館とフレデリックの結びつきは、私たちが期待したよりも深かった。
 アガサは自分自身のことを「遅く生まれてたっぷりと愛情を受けた末っ子」と、語っている。彼女が生まれたのは、母親が36才、父親が44才のときであった。兄のモンティと姉のマッジは10才ほど年長で、すでに寄宿学校へ行って家にはいなかった。孤独な幼い子供の例にもれず、アガサはうまくゲームのなかで想像上の友達だった「子猫ちゃんたち」を使い、そのなかにはペットのカナリヤ「ゴルディ」やヨークシャテリアの子犬「トニー」も加えられていた。彼女は学校教育をほとんど受けていないが読書が大好きで、その範囲もジュール・ベルヌの初期の空想科学小説からトロロプやディケンズにまでわたっていた。「トーキーディレクトリー」には、ハイヤーエリスロードの「レンサム」にあった「ミス・ガイヤー女学校」の広告が記録としてのこっている。アガサは、短期間ではあったがそこへ週二日通って、代数と文法を学んだ。彼女は歌をうたうことと音楽をこよなく愛し、フロイライン・ウーデルからは個人レッスンを受けた。ここの住所も「ディレクトリー」に広告があり、ローワーテラスのストランドハウスにあったことが記録として残っている。アガサは後に「あなたと共に一時間」というワルツを作曲したが、「一時間もワルツを踊りつづけるのは大ごとだ」と、述べている。しかし、そのワルツは時々トーキーのジョイスバンド(ダンスパーティで演奏する一流のバンド)のレパートリーに加えられた。
 幼いアガサは、5才からミス・ヒッキーのダンス教室に通った。これはフリートストリート43番地、キャラーズレストラン上階のアテナ神殿室にあった。彼女はトーキーでおこづかいのいろんな使い方をおぼえもした。煮て作った飴玉は母親に唯一健康的なお菓子とみなされていたが、1ポンドを8ペンスで、トアのワイリー菓子店から買っていた。そこの飴玉は店内で作られていたのである。五月以降は八月最後の月曜、火曜に開かれるレガッタ市で使う小銭をたくわえた。彼女の姉と両親はレガッタヨットクラブの茶会に出席して、ホールドン桟橋からヨットの帆走を見物したものだった。
 ローラースケートは、二十世紀初頭の若い女性の趣味としては不釣り合いなものと思われるかもしれない。だが、それは熱狂的に愛好され、実際、トーキー桟橋では2ペンスでローラースケートをすることが許可されていた。ミラー家のアルバムには、アガサと友人達ががっちりとしたスケート靴をはいて、桟橋の端まで爽快なレースをした間に、一息ついているところとおぼしき写真がある。それらの写真にはヘスケスクレセント5番地のルーシ−家の家族たちも写っている。アガサが共に楽しい時代を過ごした家族が。ペティトーでアガサとゴルフをしている間に、彼女に求婚したのはレジー・ルーシーだった。もっとも、数年後アガサはついに他の人に恋心を抱くようになるのだが。アガサは父親同様、素人芝居の上演をとても楽しんだ。コキントンコートは、アガサの友人マロック夫妻の演出による作品の、詩的で美しい舞台になった。自伝の中でも述べられているように、1902年9月11日、オールドトー教会でおこなわれた姉の結婚式の日には「ペンザンスの海賊」の夜の上演を見に行っている。アガサにとって意義深いトーキーの歴史的な建物は、パビリオンであった。1913年1月4日、そこで開かれたワグナーの音楽会に新しい恋人アーチー・クリスティと出席した。アーチー・クリスティがはじめてアガサに求婚したのは、その晩、「アッシュフィールド」でのことだった。戦争の勃発が二人の結婚を急がせるこなり、このときには英国陸軍航空隊のパイロットになっていたアーチーの賜暇中、1914年のクリスマスイブに、ブリストルで彼らは突然結婚した。
 戦争の開始と同時にアガサは応急手当ての講習会に参加し、ついには、トーキーのタウンホールに仮設された赤十字病院のV.A.D.(救急看護奉仕隊)の看護婦になった。彼女はひるむことなく便器を空ける仕事を手伝ったり、傷口に包帯を巻いたりして、職業としての看護婦の仕事がとても好きになっていった。彼女は次のように書いている。「中年の婦人たちの多くは、ほとんどといってもいいほど本当の看護をしていなっかった。憐れみと慈善行為をほどこすことはあっても、看護の仕事は主として便器を空けることから成り立っているということが、本当はわかっていなかった」と。赤十字公文書課から入手したアガサの労働記録のコピーを見ると、彼女はボランティアの看護婦として無給で働き、後に、同じ病院で薬局助手として年16ポンドで働いていたことがわかる。このときの経験と、1917年にとった薬剤師資格のためにトーキーの薬局で訓練をつんだことが、小説のなかで効果的に用いられている毒薬のくわしい知識を与えることになった。
 アガサの生涯と作家としての経歴を調査するあいだに、私達はアガサ・クリスティの娘、ロザリンド・ヒックス夫人から多大なご協力をいただいた。展覧会へも快い協力を惜しまれなっかった。写真を使った展示は展覧会の基調であり、それ自体ユニークではあったが、写真の資料を探し求めているあいだに、ヒックス夫人が寛大にもご家族の写真を見せてくださったからこそ、できたことであった。夫人はご親切に私たちを「グリーンウェイ」へ招き、写真家ナイジェル・コウルトンも同席したうえでアルバムを見せてくださった。そして、私たちが選んだ写真を彼はその場で複写した。当然のことながら、こうした訪問は私たち全員にとって忘れられないものとなった。はじめての訪問のときには、川を見下ろす高台をマツユキソウがじゅうたんのように一面におおっていた。「グリーンウェイ」をとりかこむ木々のしげった地面には、二月の朝の身のひきしまるような寒さにもかかわらず、春の花が淡い色合いで群れていた。「グリーンウェイ」は美しい、白亜の、ジョージ王朝風の建物で、1780年ごろに建てられ、そこからはダート川を見ることができる。アガサと二度目の夫、考古学者のマックス・マローワンは、1939年、6000ポンドでその邸宅を購入した。その当時でさえ、33エーカーの敷地を含むその家は破格に安い値であった。
 古いノートに書かれたアガサの自筆のメモは、小説の筋や登場人物の原案を如実に物語っている。それは家計表のあいだに思いつくままに書き留められ、世界的に有名な犯罪小説作家の魅力的な書き方をしのばせてくれる。アガサの作家とての出発点もこれとおなじ作法によっている。インフルエンザの回復期をベッドで過していた時、母親から何か書いてみたらとすすめられる。その結果、「美女の家」という物語ができあがったが、それは、後ろの方に洗濯代の書き込みのある古い練習帳に書かれたものであった。それから数年後、第一次世界大戦中に、アガサはそれまでよりも真剣に、最初の小説「スタイルズ荘の怪事件」にとり組みはじめた。それは何度か断られた後、1920年ついにボドリーヘッド社から出版された。
 クリスティの小説にはトーキーに言及したものが多いので、本の中に暗示されている場所を割り出すのに、私たちは土地勘を働かせ、独自の探偵術を働かせた。ヒックス夫人は、「邪悪の家」に出てくる「エンドハウス」は、かつてインペリアルホテルの近くにあった「ロックエンド」という大邸宅がモデルになっていることにふれて、まず私たちの注目を引いた。博物館の絵図記録課にあるその地域の地図をしらべたところ、このことは立証された。同じ小説の中で、インペリアルホテルは「マジェステックホテル」と改名されている。そのホテルはまた、「書斎の死体」にも現れる。ここではトーキーは「デインマス」になっている。インペリアルホテルのスタッフに問い合わせたところ、ラウンジと舞踏室のあいだには、確かに長いガラス張りの仕切りがあることが確認された。作品の中で、被害者が生きて最後に見かけられたのがその舞踏室ということになっている。アガサの赤十字での経験は「スタイルズ荘の怪事件」に盛りこまれている。「シンシア」は、V.A.D.で働いており「タドミンスター」で薬局助手をしていることになっている。フレデリック・ミラーがトーキー自然史協会の会員として、洞窟に興味をもっていた可能性をかんがえてみても、「茶色の服の男」では「ハンプスリー大洞窟」となってはいるものの、次の一節はケンツ大洞窟のことであると言えよう。「パパは博物館の館長と一緒にでかけて、文字どおり頭のてっぺんから爪先まですっかり更新世の泥にまみれて帰ってきた。」アガサの子供時代の思い出の多くは、「運命の裏木戸」にこめられている。「ボールディズヘッド」とは「コービンズヘッド」のことらしく、「そこでは岩が赤い」と、ある。また、「ダランス」という写真屋は、ローズ・K・ダラント・アンド・サンズのことで、実際、フリートストリート46番地にあった。この情報は博物館図書室にあったケリーズディレクトリーの古い版の1部をたどって得たものであった。「ヘラクレスの冒険」の中の登場人物の一人が「誰だってトーキーにはおばさんがいるものさ」(「ディオメーデスの馬」)と、語るように、この町は、小説に出てくる「おばさんたち」と同じくらいたくさんの名前があるようで、かわるがわる「セントルー」、「ホロウキー」、「ルーマス」そして「カレンキー」となってあらわれている。
 展覧会はビビアンギャラリイ(主にビクトリア朝のものを展示している)からレイコックギャラリイ(百年展の会場となった展示場)へ入ってくる見学者がまずアガサの子供時代と家族との暮らしぶりに出会い、次いでその後の経験や、小説やその創作のヒントとなったものへと順次うつってゆくように意図的に設計された。228冊のクリスティの本でできた「長城」は、ピーター・ベリッジの思いつきによるもので、ピーター・ナイトが一分のすきもなく築きあげたものだった。並べられた本は、遠くヘイオンワイ(ヘレフォードシャ)の方の古本屋数件から買ってきたものだった。本を購入する仕事にたずさわった者は、クリスティの本を集める習慣がすっかり身についてしまったことがよくわかる。この「壁」は、1940年から1970年にかけてアガサが作家活動のなかで手がけた78の探偵小説の、ペーパーバックの表紙のデザインがどう変わっていったかを描いている。彼女は短編もたくさん書いたし、子供向けの詩と物語の本を一冊と、12の劇を書いている。それらの本はシェイクスピアよりも多くの言語に翻訳され、売上部数は今では5億を上回っている。彼女の正体がわかるまでの15年間、「メアリ・ウェストマコット」のペンネームで書かれた6つの小説は、異なった様式で小説を書くという実験の機会を与えた。また、匿名のもとに、個人的な経験にふみこむ機会をもあたえた。1971年、アガサは新年の叙勲でDBE(大英帝国二等勲爵士)に叙せられた。
 エジプト、オリエント急行、ピラミッド、これらは外国を舞台にしたクリスティの小説の典型的な要素となっている。アガサは、15才近く年下の二度目の夫、マックス・マローワンとバグダッドに近いウルで出会った。彼はそこで著名な考古学者レナードー・ウーリーの助手を務めていた。1930年二人は結婚し、アガサはしばしばマックスに同行してニルムドの発掘に加わった。ここでは、繊細な象牙を編み針と化粧用クリームできれいにするような、新しい技術を得た。マローワン夫妻が広く海外へ出かけ、旅先から持ちかえった品で、博物館に展示された見事な展示品に、ダマスカスを訪問中に買い求められたたんすがあった。それは、真珠貝と銀の象眼細工がほどこされたものだった。アガサは「自伝」のなかで、そのたんすから発する奇妙な「バリバリ」という音を聞きながら過ごした眠れぬ夜のことを書いている。熱帯の木材に関する害虫の専門家によって、虫のような生き物が、たんすの内側を食べていたことが明らかにされた。専門的な処置がほどこされた後、もう音はしなくなった。ところが、博物館のガラスの陳列ケースの中へそのたんすを入れようと持ち上げたところ、死んではいるものの、よく保存のきいた、今ではすっかり有名になった例の生き物によく似たのが、ひとつ落ちてきた。アガサの話を例証するために、私たちはそれをたんすのわきに陳列する誘惑にかられたものだ。
 展覧会にはそう簡単に手に入らない品々も必要であった。第一次世界大戦当時の病院の場面を再現するのに、ティーンマスの赤十字病院で、旧式の車イスと病院のベッドを見つけだすまで、博物館の電話はずっと使用中であった。ロバート・イートンは、トウッドストリートのごみ運搬用のカゴのなかからみつけた、わずかに金メッキのはげた額を修復して、コナーの描いた幼いころのアガサの肖像画の複製を収めた。借りたり、見つけたりできなかった品々は作る必要があった。その中には、アガサが着ていたようなV.A.D.の看護婦の服の模造品もふくまれていた。それは、トーキー自然史協会の一会員が細部にわたるまで正確に仕上げてくれた。私が今世紀初頭の水着のデザインを調査していた時には、エクセターのルージメントハウス博物館から助言をいただいた。
 テレビ映画に関する品々を展示する計画は、アガサの最もよく知られたキャラクター、「ミス・マープル」ことジョーン・ヒクソンと「エルキュール・ポアロ」ことデビッド・スーシェの協力がなかったら、決して実現しなかったろう。私たちの招待に答えて、スーシェ氏は進み具合を見に二度やってきた。そして舞台衣裳を担当する会社モリス・エンジェル(ロンドン)から、ポアロの衣裳を借りる手筈をととのえてくれた。「ミス・マープル」は、展示場が明日オープンするという前日に援軍を送ってきた。ヒクソンさんおかかえの運転手が、BBCとの申合せによって、「ミス・マープル」の麦わら帽子と、ハンドバックと、メガネと、編み物をもってエセックスから到着したのである。私たちの心からの感謝の気持ちは翌日ヒクソンさんに届けられた。彼女に一番感謝している、私たち博物館の視聴者からの24本の赤いバラとなって。数週間後、ヒクソンさんがお嬢さんを伴って展覧会を訪ねてくださったときには、お目にかかれて一同おおよろこびであった。お二人は図書室でお茶を召し上がったが、ヒクソンさんは、あの「ミス・マープル」のイメージよりも、ずっとお若く、また魅力的に見受けられた。
 レイコックギャラリイの上階には、公文書を納めるために新しいフロアが建てられている最中で、作業が終わるまでは展覧会の準備で出入りすることはできなかった。初日までわずか6週間を残すばかりであった。実物大の移動更衣車と、等身大の背景は、最後に組み立てられるようにパネルに描いておかなければならなかった(アガサの若い頃の海水浴場の場面が再現されていて、小屋の形をした更衣車とその当時の水着をつけた等身大の人形が置かれていた)。全部で52枚におよぶ展示板には、トーキー自然史協会の一会員と私が、ペンゲリーホールで写真をつけた。トレバー・ハドルトン氏は、教育資源センターのプリンターで、1000語にのぼる写真説明の文を根気よくうちだした。ついに、展示場への出入りが許可された。部屋は、上階を建築中にどこもかしこも埃まみれになっていたから、まず床を掃くことから始めなければならなかった。それも朝になれば、いつももとのもくあみであった。次は、展示場の上から下まで、ペンキをぬりなおすことだった。この仕事は団結のかたいスタッフとトーキー自然史協会のボランティアたちが、よろこんで引き受けてくれた。実際、作業にたずさわった人たちはほのぼのとした連帯感で結ばれ、展示場を設営するという経験は、楽しい、忘れられないものになった。準備は、しばしば、閉館時間の後も長いこと続けられた。
 私たちの予定はとてもたてこんでいたので、開会式典がはじまる前に、やりくりした数分間で最終的な手を加えた。急いで所定の位置に最後の写真を納め、第一次世界大戦当時の病院のベッドの脇に、私の祖母の物だったライフブイ石鹸(古い石鹸のブランド名)を置いた。展示場のうしろに立って、仕事の出来ばえを確かめる時間ももてぬうちに、150人の来賓第一団が到着しはじめた。ヒックス夫妻、トーベイ市長のフランセス・ジョンソン夫人は主賓だった。当時のトーキー自然史協会会長、フランク・コーソン氏はホールデンギャラリイで開会のあいさつをした。ピーター・ベリッジは、サウスウエストテレビとBBCテレビのニュース番組のために、インタビューをうけた。両局のニュースは、同日、あとで放映されたが、BBCのインタビューにはアガサ・クリスティについて、30分のドキュメンタリーが含まれていた。マスコミの熱狂的な反応は、イギリスのラジオやテレビにとどまらず、アイスランド、ブラジル、ニュージーランドをふくむ世界各国から届いた。オランダ、イタリア、ロシア、アメリカからはジャーナリストが訪ねてきた。1990年9月の生誕百周年のお祝いが近づくにつれ、外国人見学者の数が劇的にふえた。アメリカの文学ツアーは、展覧会を日程に組んでいた。日本のクリスティ研究家たちは、展示場の真価を大変よく理解していた。フランス人大学生は、クリスティ・ジャンルの論文の準備中に私たちを訪ねてきた。展覧会について聞いたというウクライナ在住のクリスティの読者からは、「シタフォードの秘密」のロシア語版が送られてきた。
 生誕百周年の日、博物館の中央階段を登ってきた見学者たちは、ボタンホールに花をさし、スマートな、銀冠のついたステッキを手に通っていく、小柄でこざっぱりとした身づくろいの人物にぼんやり見惚れていた。その人物は、もちろん完璧な「ポアロ」の衣裳に身をつつんだ、デビッド・スーシェ氏であった。彼は、「オリエント急行」に乗ってトーキーに到着した「ミス・マープル」ことヒクソンさんに、駅で花束を贈呈して、トーキー駅から博物館に着いたところだった。「ミス・マープル」と「エルキュール・ポアロ」がはじめて会うというアイディアは、博物館の図書室でヒクソンさんと話しているときに出たものである。
 生誕百年展の意図するところは、アガサ・クリスティの作家としてのキャリアと、デボンでの彼女の初期の時代との、調和のとれた「結婚」におかれるべきである。それだから、私たちは、博物館を訪れる人々に、世界的に有名な犯罪小説作家アガサ・クリスティと、20世紀初頭のトーキーでの生活の両方について何か新しいことを学んで帰ってほしい。開会の日に、トーベイ観光局の百周年総帥役、ニール・デボンズは、結果が彼らの期待をおおきく上回っていたことに言及して百年展を絶賛した。アガサ自身が、これに大きくうなずいていてくれたら、それは私たちの望むところである。
★この記事の翻訳および「WH通信」への掲載は、トーキー自然史協会 TORQUAY NATURAL HISTORY SOCIETY のご好意により許可していただきました。
なお本文中の( )内は訳者の注です。
Japanese translation published by permission of the author and Torquay Natural History Society.
文献:
『アガサ・クリスティ自伝』(コリンズ,1977)、『邪悪の家』(コリンズ,1932)、『スタイルズ荘の怪事件』(ボドリ-ヘッド,1920) 、『書斎の死体』(コリンズ,1942)、『茶色の服の男』(ボドリ-ヘッド,1924)、『運命の裏木戸』(コリンズ,1973)、『ヘラクレスの冒険』(コリンズ,1947)、『ト−キ−ディレクトリ』(ト−キ−自然史協会)



クリスティ症候群患者の告白(その16)

数藤 康雄


×月×日 キャロリン・G・ハートの『ミステリ講座の殺人』(早川書房)を読む。アメリカ作家の典型的な”コージー派”ミステリで、暇つぶしには最適な本である。未読の方も多いと思うので多少内容を紹介すると、主人公はミステリー専門店の店主アニー・ローランス。新婚早々の若い女性だが、ミステリー大好き人間で、専門店まで経営する始末。夫の名前はマックス、飼っている猫の名前がアガサ、ということからも明らかなように、かなりのクリスティ好きな作者のシリーズ物である。
 邦訳3作目となるこの作品では、アニーが大学でミステリーを講義することになる。メインの話は省略するが、ここで披露したいのがアニーの講義。なんと「ミステリ界に君臨する三女性」という題目で、ラインハート、クリスティ、セイヤーズを講義するのである(ついでながら、学生が読むべきクリスティ作品として『予告殺人』、『ABC殺人事件』、『死との約束』、『ねじれた家』、『ポアロのクリスマス』、『五匹の子豚』を挙げている。これがハート女史のクリスティ・ベスト6であろう)。
 余談ながら、私は性格的に教師にはまったく向かない人間だが、宮仕えの悲しさでここ数年は「義肢装具力学演習」という本人もよくわからない講義をしている。ミステリーの講義なら多少は先生という仕事を楽しいと思えるか?
×月×日 ペイパーバックで出た"PROBEM AT POLLENSA BAY and other stories"を購入する。この作品のハードカバーは1991年に英国で出版され、広告には初収録の短編ばかりを集めたものと書かれていた。しかしそれらの短編は日本では当然訳されているだろうと思い、ハードカバー本は購入しなかったが、それは正解であった。収録作品はやはりすべて既訳の短編であったが、一つ興味を引いた点は、短編の初出誌がきちんと書かれていたことである。
 以前に書いたが、ミス・マープルの初登場が長編『牧師館の殺人』なのか、1928年に発行された雑誌(雑誌名は不明)なのかという問題も、ミス・マープルの短編集『火曜クラブ』に短編の初出誌がきちんと書かれていれば、短編のミス・マープルの方が先であると簡単にわかったはずである。再版されるクリスティの短編集には、今後は初出誌を載せてほしいものである。
 なお収録短編の初出誌は以下のとおり(題名は早川書房の作品より)。
「ポレェンサ海岸の事件」(Strand Magazine,1936)
「二度目のゴング」(Strand Magazine,1932)
「黄色いアイリス」(Strand Magazine,1937)
「クィン氏のティー・セット」("Winter's Crimes",1971)
「レガッタ・デーの事件」(Strand Magazine,1936)ただし雑誌の短編はポアロが探偵役として登場する。
「愛の探偵たち」("Three Blind Mice and Other Stories",1950)
「愛犬の死」(Grand Magazine,1929)
「白木蓮の花」(Royal Magazine,1925)
×月×日 パソコン雑誌「ASCII」を見ていたら、歌田氏という人がMS−DOSの使い方に関する連載物を担当している。記憶にある名前だと思いながら本文を読み始めたが、すぐに思い出した。詩の雑誌「ユリイカ」がクリスティ特集をした当時の編集長である。あの頃2、3回会い、優秀な編集者であることはよくわかったが、これほどパソコンに強い人間だとは知らなかった。最近は出版・印刷業の仕事が急速に電子化されつつあるようなので、編集者もパソコン・ワープロに熟知していないと困るのであろう。現代思想が専門の著者がsedやgrepについて書いているのをみると、なんとなく頼りなくみえるが、それは、こちらが著者の専門を知っているから言えることであろう。でもひょっとすると、私の雑文もそのように見られているのかな?。
×月×日 私が熱狂的なクリスティ・ファンになったのは、何度も書いていることだが、『アクロイド殺害事件』に登場する”口述録音機”(ディクタフォン)を誤解した結果である。したがって、今でも読書中に”口述録音機”(ディクタフォン)にぶつかるとつい嬉しくなってしまうが、最近『弓弦城殺人事件』を読んでいて、久しぶりにディクタフォンにお目にかかった。面白いのは、カーが口述録音機を単なる背景の道具として登場させているだけではなく、作中人物に次のように言わせている点である。書き写すと以下のとおり(早川ミステリ文庫、加島祥造訳、P103)。

 ”フランシスが突然言った。「口述録音機(ディクタフォン)のことじゃあ、くだらん噂ばかり聞いているな。声は電話の声に毛が生えたくらいで、恐ろしいきいきい声だとか、聞きわけられるが、本当の人間が扉の向こうで話しているのと大違いで・・小説の中で使うだけの代物だとかね!……まあ聞いてみよう。どうして動かすのかな?」”

 この『弓弦城殺人事件』は1933年の出版で、カーがカーター・ディクスン名義で書いた最初の作品である。クリスティの『アクロイド殺害事件』は1926年の出版なので、それから7年後であるが、引用した部分は、おそらく『アクロイド殺害事件』におけるクリスティのトリックを間接的に批判しているとも読める。なにしろ同じような疑問を、33年後に私自身がもったからである。
 WH通信NO44に掲載された塚田さんの「約束と、かぎ煙草」は、カーの『皇帝のかぎ煙草入れ』はクリスティの『死との約束』のトリックに触発されて書かれたものであろうというユニークな説を展開していたが、上の引用文は、その頃のカーがクリスティの作品をかなり意識して読んでいた痕跡であると言ってもよいだろう。もっとも当時のミステリー作家で『アクロイド殺害事件』を読んでいなかったら、プロとしては失格であろうが……。 ×月×日 会員の旭京子さんより、英国政府観光庁が発行している"CHARACTER BRITAIN"と"Literary BRITAIN"というパンフレットが送られてきた(ありがとうございました)。前者はミス・マープルにゆかりの土地の、後者はクリスティが生活した土地の観光案内が書かれている。一般旅行者向けの案内でそれなりによくまとまっているが、私が知らなかったこと(セント・メアリ・ミード村のモデルはダートムーアのウディコム(Widecombe)である旨)も書いてある。無料だと思われるので、興味のある人は資料を請求するものいいだろう。なお噂によると、「クリスティのデボン」という日本語通訳付のトーキー・ツアーがあるとか。クリスティは作品の翻訳権料だけでなく、観光客誘致でもイギリスに多大な貢献をしているようだ。
×月×日 光文社の編集部より、ひらいたかこさんの署名入り画集『Christie』をいただく。児童文学などはほとんど読まないので、娘が熱中していた『ちびっこ吸血鬼』シリーズの挿絵を担当されていたのがひらいさんとは知らなかった。画集は創元推理文庫の表紙絵を集めたものだが、大型版なので迫力十分。邦訳もでたアダムスの画集と比較すると、作者の苦労話、自慢話のようなものは一切なく、すっきりしていて清々しい(もちろん、あっても悪くはないが)。願わくば、全作品のイラストレーションを(ポアロの肖像画を含めて)見たいものだ。


ティー・ラウンジ

■ファンクラブの機関誌はたいへん興味深く、楽しく感激致しました。特に”『テルの上にすわっていた』を楽しむ”は、思わずコピーをとって、キャロル協会の門馬義幸さんにお知らせしてしまいました。アリスの本のコレクターで、キャロルの研究もされている方です。イギリスのキャロル協会の会員でネットワークも持ってらっしゃるのですが、まだクリスティとキャロルの詩のことは御存知なかったようで、興味を持たれたと、返事を頂きました。でも、こういう鎖って、とても面白いと思います。キャロルとクリスティ(ひらいたかこさん)。
> ■『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』は、まだ読んでいませんが、キャロルのパロディーの読み比べは興味深く拝見。特に原詩も並べてあるのでゆっくり何回も読んでいます。この頃文庫のミステリが多すぎ、ほとんど手にとりませんが、HPBに転向して、じっくりと読んでいます(佐々木建造さん)
■P・G・ウッドハウスはクリスティ同様、英米両国にファンを持つ作家ですが、日本では最近ほとんど読まれていないですね。ウロオボエですが、乱歩の『続幻影城』の戦前の「新青年」などでの短編邦訳の統計では(ミステリ作家でないにもかかわらず)ウッドハウスはかなり高位にあったと思います。英米では今でも作品がリプリントされつづけていて、2、3年前に書簡集も出たのですが(最近PENGUIN版になったのを見ました)、ウッドハウスとクリスティとの間にも文通があったらしい(ただしこの書簡集には未収録。クリスティへの言及は2ヶ所あります)。クリスティ=ウッドハウス往復書簡を読んでみたいなあ、と思っている次第。ついでに言うとディクスン・カーはウッドハウスを少年時代に愛読していたらしく、カーのドタバタ描写はウッドハウスからきたものではないか、と推察しております(青木零さん)。
■7/10(土)NHKのポアロの作品、たまたま滞在中のアメリカ人がじっくり観て一言。BOSTONに帰ったらクリスティの本をいくつか読んでみたいといっていました。今まで読まず嫌いだったらしいです。私は今から”日本語”で観ることにいたします(橋本和子さん)。
■東京12チャンネルで、「二人で探偵を」が始まったと思えば、NHKの「名探偵ポアロ」が再開と、クリスティ人気は、相変わらずのようです。7月17日には、スペシャルで「スタイルズ荘の怪事件」を放映の予定です。「二人で探偵を」の方は、室内はVTR、屋外ロケはフイルムというスタイルで、そこに抵抗があります。原作を読んでいないということもありますが……(田中茂樹さん)。
■クリスティ劇場、見には行けなかったけど、おかげ様で多くの会員の方々のお話が聞けて、ちょっとだけ覗いた程度の気分にはなれました。当地にも「市民劇場」の組織があって年6回ナマの舞台が見られますが、1回でもいいからクリスティ劇が巡ってきてくれたらなあ、というのは夢のまた夢。昨夜は久しぶりにNHKTVの「名探偵ポアロ」見ました。いつもながら当時の英国の背景がしっかり出ているのが楽しいですね。スーシェのポアロもすっかり違和感がなくなりました(杉みき子さん)
■仙台より浜松に転居となりました。ひょんな事から「アガサ」の存在を知り、早速はせ参じて、沢山の本をお借りして読みまくっております(大森朋子さん)。
■話はかわりますが、テレビでクリスティやっているの、御存知ですよね。テレビ東京で毎週日曜、午前11:00〜11:55です。6月27日で第7回でした。”トミーとタペンス”のシリーズものです。とっても丁寧に作られています。タペンスは美人で魅力的ですよ。トミーはどことなく雰囲気がヘイスティングズに似ているような気がします。この「アガサ・クリスティ・ミステリー」長く続くといいんですけど(小川淳子さん)。
■今年はお正月からNHKで「ポアロ」シリーズが放映されたり、また『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』が出版されたりして、クリスティ・ファンにとっては幸先の良いスタートになりました。特にお正月の「ポアロ」では、クリスティ・ファンにとっては堪えられないシーンがいくつもあったように思います。食器を洗っているシーンがとても印象的でした。(カップがきれいに洗えているかどうか、逐次チェックしている。)思わず笑ってしまいました。(主人がその後、時々”まね”をします。) 『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』を書店で見つけた時は久しぶりにワクワクしました。題名も内容も「クリスティ」らしくて、会員の皆様なら同感されると思いますが、クリスティの磊落さというか、快活さが大変心地よかったです。一気に読んでしまいました。そして前号で、冒頭のパロディーの詩について、オリジナルの「キャロル」の詩と比べて解説して下さっているのは大変興味深く、楽しく読ませて頂きました(新谷里美さん)。
■先だってお送りした「AERA」の記事を書いた日本人の女性は、イギリス人の男性と結婚し、ダートマス(トーキーの南)に住んでいるとのことでした(リードさんの手紙によると)。ですからあの記事はイギリスから東京の朝日新聞に送られたものではないでしょうか(安藤靖子さん)。
■本号はクリスティ劇場の大特集号ですね。当方、カクテル・ドレスは仕事でしょっちゅう着ていますが、清貧で1本も見られなかったので、せめて誌上で楽しませていただきます。
 ところでクリスティをパクッタ映画について、忘れないうちにお知らせ致します。それは今年封切られたマドンナ主演の米映画「ボディ」です。マドンナが脱ぐとか、ファック・シーンがあるかとか、そういうことだけで注目された映画ですが、一応ミステリー仕立てで、ストーリーは明らかに「検察側の証人」のパクリです。
 「検察側の証人」の、金持ちのオールドミスを殺した容疑で裁判を受けるレナード役を女性におきかえ、マドンナが演じています。当然レナードに不利な証言をする検察側の証人、ローマイン役は男性に変えられ、ウィルフリッド卿にあたる弁護士がマドンナに誘惑されちゃって、SMプレイなんか始めるあたりから怪しげになり、あとは大駄作の坂道をマッシグラ。上半期の栄えあるワースト5に入れてあげてもよいような詰まらない作品ですが、ラストのドンデン返しでも「検察側の証人」と同じことをやるので、プロットを借りていることは間違いないでしょう。
 プレスシートを捨ててしまったので記憶が定かではありませんが、この映画の原案・製作にはマドンナもかんでいたはずで、”マドンナはB・ワイルダーの「情婦」におけるデートリッヒを意識して、この役に挑戦したい”と書かれていたと思います。だから、マドンナに言わせれば「クリスティなんて知らない。ワイルダーをパクッタのだ」と言うかもしれませんが、クレジットには、クリスティについてもワイルダーについても、何のことわりも記されていませんでした。こうした場合、著作権法的にはどうなんだろうと心配してしまったのですが、そんなことを心配する苦労症は私だけだったみたいで、配給会社の宣伝部の人も、批評家も、クリスティとの関連について発言した人は、私の知るかぎり一人もいませんでした。ま、この程度の作品が何をパクッテいようと、どうでもいいやと思ったせいかもしれませんが…(泉淑枝さん)。
■英国病が再発し、5月から6月にかけて渡英しました。今回は”お花見旅行”をテーマに、チェルシーのフラワーショーはじめ庭園、公園を巡ることを目的とした旅だったので、特にクリスティに因んだ場所には行きませんでした。でもやはりチョルシーははずせません。またクリスティの似顔絵がある(?)と小耳にはさんでいたナショナル・ポートレート・ギャラリーにも足を運びました。残念ながら似顔絵にはお目にかかれませんでしたが、N.P.G.の売店でカードセット(カード・封筒・おばあさんになったクリスティが表紙になった白い小型ノート)といろいろな作家のポートレート(含むクリスティ)が印刷されたラッピングペーパー、若いクリスティが表紙になったA5サイズの本のようなノートを見つけ購入しました。
 それからチョルシーの教会に、クリスティのお墓の場所の案内が出ているのにはびっくりしました。3年前には無かったものです。またお墓には行く度に花が増えており、訪れる人が多いことが感じられました(斎藤佐知子さん)。
■夏休みの映画は、なんとなく「クライング・ゲーム」を観ることになりました。クライマックスでの映倫カット(?)には唖然としましたが、ユニークな映画で楽しめました。今号も年内には間に合いそうです。メリー・クリスマス & 謹賀新年。

--------------------ウインタブルック・ハウス通信------------------------
☆編集者:数藤康雄  〒188      ☆ 発行日 :1993.9.15
 田無市南町6−6−16−304       ☆ 会 費 :年 500円
☆発行所:KS社            ☆ 郵便番号:東京9-66325
 品川区小山2−11−2          ☆ 名称:クリスティ・ファン・クラフ
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